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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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『松籟夜話』第八夜来場御礼  Thank You for Coming to the Listening Event "Syorai Yawa" Eighth Night
 小雨がぱらつく肌寒さの中、大勢の皆様に『松籟夜話』第八夜にご来場いただき、厚く御礼申し上げます。当日のプレイリストをご紹介いたします。各盤に簡単な紹介コメントを付けましたが、当日の案内の流れを再現するところまでは至っていません(そちらについてはまた後日にできれば補足を)。なお、参考のために試聴用リンクを付しましたが、こちらも必ずしも当日ご紹介したトラックの音源ではありませんので、その点ご注意ください。


撮影:津田貴司


開演前BGM:Umeko Ando『IHUNKE』Chilar Studio CKR-0108
試聴:https://www.youtube.com/watch?v=_hhuSIYDwvs
アイヌの音楽家、安藤ウメ子による歌(ウポポ)。「イフンケ」とは子守歌のこと。ゆったりと沁みてくる優しい声音。トンコリ奏者OKIによるプロデュース。




第1部 複数の煙が立ち上るような声の集積が、その場所を照らしていく

久高島イザイホー』宮里千里 琉球弧の祭祀Bsf006 tr.1, tr.6
試聴:http://www.reconquista.biz/SHOP/BsF006.html
この1978年以降、もはや行われていない12年に1度の神事(神女ノロの任命式)の貴重な録音。「エーファイ」という掛け声があちらこちらから湧き上がり、歩み出した声の列は、周囲の観客の話し声や歓声をも巻き込みながら、ぐるぐると渦を巻く。


宮古西原古謡集』久保田麻琴編「南嶋シリーズ」ABY-004  tr.1
試聴:http://elsurrecords.com/2013/04/22/v-a-%E3%80%8E%E5%AE%AE%E5%8F%A4%E8%A5%BF%E5%8E%9F%E5%8F%A4%E8%AC%A1%E9%9B%86%E3%80%8F/
1974年奥原初雄録音制作。西原村立100周年記念盤として発表された2枚組アルバムをもとに、久保田麻琴が復刻。祭祀の熱気が感じられる名演と言える。イザイホーに比べて静的な(移動のない)録音である。交差して行き過ぎる二つのさざ波のように、ゆったりとずれながら重なり合う声。

服部龍太郎監修『南海の唄ごえ―奄美民謡集』日本コロムビアPLP-99(AL-5018)A-8
試聴:
次第に高まっていく声の響きあいが聴けるが、指笛や掛け声の合いの手や太鼓の拍子に「のる」のではなく、指笛も太鼓も声も、それぞれがそれはそれとして進行しているように聴こえる。収斂せずしこらない音の群れ。

台灣原住民音樂紀實3『雅美族之歌』TCD-1503 tr.16
試聴:http://okmusic.jp/#!/i/collections/2479037
台湾南東沖にある蘭嶼(LANYU ISLAND)に暮らす海洋民族アミ族。どことなくポリネシア系のチャントに通じるものを感じる。




台灣原住民音樂紀實1『布農族之歌』TCD-1501 tr.16-17
試聴:http://okmusic.jp/#!/i/collections/2730908
南部山岳地帯に暮らすブヌン族。小さな遠くのほうから聴こえるような声から始まり、下からせり上がるかのように次第に声が増えていき、音程も徐々に上がっていく。



台灣原住民音樂紀實8『魯凱族之歌』TCD-1508 tr.1-2
試聴:http://okmusic.jp/#!/i/collections/2571374
ルカイ族。どことなくブルガリアンボイス的な響きを感じる立体的なポリフォニーだが、それでも西洋近代的な多声のあり方を相対化するに十分な成り立ち。バックにかすかに虫が鳴いているのが聴こえる。



台灣原住民音樂紀實7『排灣族之歌』TCD-1507 tr.12
試聴:http://okmusic.jp/#!/i/collections/3165202
パイワン族。力強い男声の独唱を基音に多声が重なる。これもどことなくブルガリアンボイス的な響きを感じる。しかし、部族ごとの感触の違い、声のスペクトルの広がりは驚くほど。柳田國男や折口信夫が琉球に「原日本」を見出すきっかけとなった台湾蕃族の文化は、実はかくも多様だった。

ブルガリアの音楽〜バルカン・大地の歌』KING WARLD MUSIC LIBRARY KICW1096 tr.16-17
試聴:https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD-%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%BB%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E3%81%AE%E6%AD%8C-%E6%B0%91%E6%97%8F%E9%9F%B3%E6%A5%BD/dp/B00005F832
旋律の最後に声が裏返るところが特徴的でブルガリアの合唱ということがわかるが、台湾原住民族の合唱と並べて聴いても特にヨーロッパの音楽だというふうに差異化認識できない。当日は台湾音源に続けて、どこの国の音源かは最初伏せたままプレイした。


 撮影:原田正夫                     撮影:益子博之



休憩時BGM:『台灣 士林 神農宮』
台湾旅行に行った友人(本業はイラストレーター/画家)による(おそらく道教寺院の)読経。無造作に置かれた簡単な録音機材が、見事にお堂の空間的なボリュウムを描き出している。
(この場所のようです/https://www.travel.taipei/ja/attraction/details/937)



THAILAND:Music and songs from the Golden Triangle』MUSIQUE DU MONDE 92754-2  disc2 tr.8-10
試聴:http://losapson.shop-pro.jp/?pid=60052921
そっと肩に手を置くように、声の身体が重なり合う。あらかじめ音高構造によって声の居場所を切り分け確保するのではなく、声の肌をすり合わせ、共棲するもうひとつのポリフォニーのあり方が、琉球弧から台湾を経て、ここにも浮かび上がる。

アイヌのうた』萱野茂、平取町アイヌ文化保存会 JVC WORLD SOUNDS VICG-60400  tr.4-6, tr.10
試聴:http://victorentertainmentshop.com/product/?item_cd=VICG-60400
繰り返し現れる「トゥルルルルッ」という、喉や鼻の奥を震わせるような発音に、外気の寒さを感じる。老婆の声の襞の暖かみが際立つ。


『INUIT fifty-five historical recordings』LE COUEUR DU MONDE SUB ROSA SR115 tr.3-4
試聴:http://www.subrosa.net/en/catalogue/le-coeur-du-monde/inuit.html
取り上げたのは1961年のテープ録音と、1906年の蝋管(ワックスシリンダー)録音。ノイズの彼方から聞こえる声に、時間的空間的な「遠さ」を聴く。

VIETNAM music of the montagnards』LE CHANT DU MONDE CNR 27411085.86  disc2 tr.1
試聴:http://www.allmusic.com/album/vietnam-music-of-montagnards-mw0000030959
シンプルな旋律のバリエーションの繰り返しだが、輪唱でもユニゾンでもないタイミングで突然割って入る男声、さらにそこに女声が加わり、三声になる。そのどれもが互いに「合わせない」「ハモらない」。各自のテンポで、それぞれがそれはそれとして進行している。



第2部 声の照らし出す空間、環境を触知する息

参考映像集+参考文集紹介
合成写真による南島イメージ⇔山之口獏「会話」
 東松照明の沖縄への眼差し(混成文化、神秘性)⇔岡谷公二、ソクーロフ
 比嘉康雄によるイザイホー撮影(神秘性と日常性)
⇔柳田國男、折口信夫、ニコライ・ネフスキー、谷川健一
 風景による浸食⇔岡本太郎「沖縄文化論」、アントナン・アルトー「記号の山」
 ゴシックと(もうひとつの)ポリフォニー

Costis Drygianakis『Hymns of the Passion and the Resurrection』more mars team mm013 ( book + 2CD ) CD-1 tr.10, CD-2 tr.5, tr.14, tr.17
試聴:http://www.art-into-life.com/product/5843
中世ゴシック期におけるポリフォニーの成立が、楽譜を演奏に必要不可欠なものとし、作曲の地位を高め、音の動きの可視化により複雑化を加速し、「西洋音楽」を確立した。それ以前の姿をとどめるギリシャ正教の聖歌を、サウンドアーティストによる現地録音で。岩のようにごつごつした声の響きがぶつかり合い、空間を隔て、聖堂内に充満し、詰めかけた参列者のしわぶきの向こうに霞む。

灰野敬二『Un Autre Chemin Vers L'Ultime』Prele prl007 tr.1
試聴:http://www.art-into-life.com/product/6412
ノルマンディーの背も立たない洞窟内で、座り込んだまま、声を張り上げることもできずに、苦し気な吐息を漏らす灰野。冷え込む大気に押しつぶされながら、ふと白い息が立ち上り、空間を手探りし、壁を伝い、暗闇で頬を撫でる。原初へと遡り、空間を照らし出す声の底流。

沢井一恵『The Sawai Kazue』邦楽ジャーナル HJCD-0006 tr.6
試聴:
中国の古代遺跡から出土した五絃琴を基に復元した楽器のために高橋悠治が作曲。静かにかき鳴らされる単調な、だが縺れた繰り返しが、手元をぼんやりと照らしながら、巫女の虚ろな呻きを引き出す。床を伝い、板の隙間に沁み込みながら、空間を手探りし、闇の中に浮かび上がらせる息。シャーマニズムの原初へと遡る声の記憶。

Doneda, Achiary, Sawai『Temps Couche』Les Disques Victo VICTO CD 055 tr.4
試聴:https://play.google.com/store/music/album/Michel_Doneda_Temps_Couch%C3%A9?id=Bksovcpo64xd4timtqqofbt36ae&hl=am
珍しくフリー・インプロヴィゼーションで用いられた沢井のくぐもった低い声は、先の巫女の呻きと明らかに通底しており、他方、Benat Achiaryの灰野的な吐息へと迫る。Michel Donadaのソプラノ・サックスも次第にヴォーカルな熱を帯び、十七絃箏の乱舞に足元を崩されながら、揃わぬ声のクライマックスを演じる。


閉演(現世へのサルベージとして):茂木綾子『島の色 静かな声』DVD Silent Voice
試聴:https://vimeo.com/125685823
水面に映る月に雲がかかり、水の流れが聞こえてくる。神秘的とも言えるモノクロームな冷ややかさは、機織りのリズミックな動き、糸を紡ぐ柔和な手つきへと引き継がれ、次第に色彩を帯び、体温を高め、人が動き、布が翻り、犬が寝そべって、生活が立ち上がる。以前にスティルライフ(津田貴司+笹島裕樹)はこの映画と「共演」している。


撮影:益子博之



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ライヴ/イヴェント・レヴュー | 01:24:57 | トラックバック(0) | コメント(0)
不思議な蝋石の珠 ―― 『松籟夜話』第八夜へのお誘い  A Marvelous Pyrophyllite Ball ―― Invitation for the Eighth Night of "Syorai Yawa" a.k.a "Night Stories As Pine Tree Leaves Rustling in the Wind"
 今週末の日曜、2月5日の夜は、また特別の一夜になるに違いない。そんな風に落ち着いて思いを巡らすことができるのは、どれくらいぶりだろう。
 民族(民俗)音楽の現地録音としてのフィールドレコーディングに狙いを定め、3回シリーズの初回として今回のテーマを確定した昨年11月には、いろいろとあてもなく空想を巡らす余裕があった。とりあえず沖縄久高島イザイホーから始めて、これまで真正面から採りあげてこなかった「声」をやろう。美声とか巧みな歌唱、力強い叫び、個性的な声音等を追い求めるのではなく、もっと「根」に向かってに掘り下げていこう。ジャンルとしてのルーツ・ミュージックではなく、無名性/原初性の方へ。舞台上で皆の視線を一身に浴びるひとりの卓越した芸能者ではなく。複数による多声の集合体に耳を浸そうと。

 テーマを見据えていた時から、奄美や宮古、八重山、さらには台湾や中国から東南アジアにかけての少数民族の歌は、なんとなく視界には入っていた。第七夜でAMEPHONEを採りあげた時にも、トン族の蝉歌をかけていたわけだし。そこに豊かな鉱脈が広がっていることは明らかだった。

 素材は溢れるほど揃っている。あとはどう選択/配列するかだ。イザイホーの現地録音を聴いて、何となくではあるが、津田も私も「揃わない/同期しない」ことが重要なのではないかという直感を抱いていた。作業を効率化するためのワーク・ソング等、同じリズムを循環させ、動作のタイミングを合わせるための歌は、今回はちょっと違うかな。だからフライヤーの惹句は「聖なる場所に集う声」とした。声の集合性が、そのまま複数性/多声性を生きる様をとらえるには、日常の中の「仕事」ではない、別の側面に着目する必要があるのではないか。あえて「聖なる場所」とした背景には、そんな着想があった。別に宗教的な祭儀だけに局面を限定する考えはなかった。人が集まって、声の身体を触れ合わせれば、そこに日常とは別の時間/空間が開けるはずだ。そんな確信もあった。

 手持ちの音源を掘り返していった。沖縄/琉球の音楽に聴き親しんでいない私は、津田に教えてもらって、El Sur Recordsまで出かけて、南嶋シリーズを買い込んだりした。耳の旅路は、琉球弧から台湾を経て、さらに南へと進み、島尾敏雄言うところの「ヤポネシア」をくっきりと浮かび上がらせた。
  


 その一方で、それでいいのかという思いも当然あった。これでは地域文化研究ではないか。すでに指し示されている連関を検証するだけにとどまらず、想像力を奔放に(かついささか無責任に)飛躍させてみたかった。あらかじめ描かれた囲いの線を破って、その外へとすばやく走り出る線を引きたかった。まったくの当てずっぽうではあるけれど、何本か補助線の案は浮かんでいた。しかし、それが外部へと至る「逃走線」足り得るか確かめるためには、「あらかじめ描かれた囲いの線」を知る必要があった。

 ざっと一瞥したところでも、柳田國男、折口信夫、伊波普猷、金田一京助、谷川健一、島尾敏雄、岡本太郎、吉本隆明‥‥、南島、沖縄、琉球、先島、琉球弧、台湾(特に「蕃族」)、アイヌ、海上の道、ヤポネシア、イザイホー、ノロ、ユタ、聞得大君、カンカカリヤ、カンダーリ、御嶽(うたき)‥‥、鳥居龍蔵、東松照明、中平卓馬、比嘉康雄、クリス・マルケル、仲里効‥‥。そこにはめくるめく世界が開けていた。文化人類学こそ少々かじってみたことがあるものの、民俗学/民族学にはこれまでほとんど手を着けてこなかった。津田に薦められて読んだ金子遊『辺境のフォークロア』(河出書房新社)でニコライ・ネフスキーの存在を知った。柳田や折口自身によるテクスト(特に後者)は取っ付きにくく、柳田批判や折口研究を経由したが、二人の「偉大さ」というよりは、鋭い感受性とそれに反応して不可避的に起動されてしまう想像力の激しさ(ほとんど「激震」と言ってよい)に、改めて気づかされることとなった。これではカルチャー・スタディーズや表象論はもとより、谷川や吉本も到底かなわないだろう(あくまでも私見)。他方、いろいろと悪評高い岡本太郎の沖縄文化論は、核心を鋭く突いていると感じた。
   


 その間、着々と作業を進めていた津田は、琉球弧から耳の旅路を東西南北へと伸ばし(何と台湾少数民族8部族すべてをカヴァー)、そこから「もうひとつのポリフォニー」のあり方を浮かび上がらせていた。私が引こうとしていた補助線も、音楽史や建築史、宗教学等に首を突っ込んで仮説を補強した結果、気がついてみれば同じ可能性を目指すものとなっていた。
そうした可能性のありかをわかりやすく示すために、『松籟夜話』第八夜では、第三夜の「熱帯雨林」特集以来久しぶりに、映像とテクストも用いることにした。「百聞は一見に如かず」で聴取の持つ可能性が視覚イメージに抑圧されたり、確立された権威に頼るだけになったりする恐れもあるのだが、心配ばかりしていても始まらない。主催者の当初の意図を超えた「発見」に期待しよう。これまでの七夜でも、それは必ず起こってきたのだから。
   


 最後に今回の準備作業中に出会った、興味深いエピソードを紹介したい。私は渡辺哲夫『祝祭性と狂気』(岩波書店)で知ったのだが、柳田國男「故郷七十年」に少年時代(13歳から2年間)を過ごした布川での不思議な思い出が綴られている。その家にあった祠の中に何が入っているのか気になって、こっそり開けてみたら、丸くきれいな蝋石の珠が出てきたという。そしてその時、柳田は昼の空に輝く何十もの星を見たのだと。柳田自身、それを異常心理だったと見做している。突然、ヒヨドリがピーッと鳴いたので我に返ったが、もしあの時、鳴き声が聞こえなかったら、そのまま戻らなかったのではないかと。
 これについて精神科医である渡辺哲夫も「瞬間の狂気」としている。渡辺は同書で、宮古のカンカカリヤ、カンダーリについて採りあげ(有名な谷川健一「神に追われて」よりも面白いと思う)、こうした「瞬間の狂気」がこの地では文化としての根を持っていると記している。そうした文化的な根から切断された不幸な例として、アメリカに移住したベラ・バルトークの不幸な晩年に触れながら。
さらに続けて、小林秀雄がある講演で、柳田のこのエピソードを紹介し、ムクドリが鳴かなかったら発狂したかもしれない彼の感受性を、彼の弟子たちは受け継がなかったが、それなしには民俗学など出来はすまいと語ったことを書いている。もちろん小林一流の与太には違いないのだが、それでも狂気を催すかどうかはともかくとして、祠から出てきた「丸くきれいな蝋石の珠」に激しく揺さぶられる感受性が、彼の民俗学を支えていたのは確かなように思う。
   


 『松籟夜話』第八夜においでくださる方たちは、そこで披露される音盤や映像やテクストに向かい合い、その扉を開いて、どのような「蝋石の珠」を見出してくれるだろうか。そんな出会いに向けて、拙い間違いだらけの思考ではあるけれど、懸命に発信していきたいと思う。

 どうぞおいでください。

松籟夜話第八夜縮小


ライヴ/イヴェント告知 | 00:54:57 | トラックバック(0) | コメント(0)
速度と動き ―― 「タダマス24」レヴュー  Speed and Movement ― Live Review for "TADA-MASU24"
 新譜ディスク・レヴューの一番の難しさは、その配列にある。各作品の核心をとらえること自体は、そう難しいことではない。だから優れた作品を選び出し、そうではない作品を外すことは、その延長線上で充分に可能だ。けれど、単に優れた作品を並べて、その美点を書き連ねても、表現が飽和して互いに打ち消し合い、輝きを減じるだけでしかない。そうではなく、一見類似した印象を対比や差異で切り分け、相反する手触りの間を類比の糸で結びつける。前掲作の響きの余韻が続く演奏の特質を照らし出し、さらに綴られたレヴューが先立つテクストに反対側から光を当てる。このようにして連ねられた峰々がひとつの風景をかたちづくり、起伏に満ちた物語を紡ぎ出す。最後に付け加えられた掌編に、それまでの展開を根底から転覆させる大どんでん返しが仕込まれていたりする。それは一幕の劇であるとともに、同時代を映し出す鏡ともなっているだろう。

 四谷音盤茶会の選盤と構成を担当する益子博之が10枚の音盤でつくりあげる流れには、こうしたコンポジションの冴えがある。ある音に打たれ貫かれたということは、単にその1曲、1枚に惹かれたのではなく、その前後の流れに巻き込まれたということにほかならない。
彼の相方、多田雅範の唐突で無遠慮なツッコミは、そうした語りの流れを揺さぶり、あらかじめ描かれていた設計図を引き裂き、時には回帰すべき着地点を見失って、聴衆を途方に暮れさせる。しかし、彼が彼にしかできない独特の仕方で流れに熱く息を吹き込み事態を複線化し、異論を差し挟んで仮説を宙吊りにするかと思えば、予定調和の結論を勢い余って突き抜け、崖から転がり落ちることによって、その場で聴く体験としての「音」は確実に「触発する力」を強めている。
それは決してあらかじめ仕組まれた伏線としてのミスリードではない。事前のシナリオを投げ捨てて振り向いた瞬間、彼は思わずばったり必然の帰結と出会ってしまうのだ。避けようのない運命的な邂逅として。まったくのアクシデントのように。

 今回、私は、多田が自分でもよくわからない(であろう)説明の中で口走った「速度と動き」というつぶやきに、思考をギュッと鷲掴みにされた。益子もやはりこの一言に惹きつけられたらしく、その後の説明の中で、何度となく繰り返し触れていた。今回はこの一連の流れを採りあげて論じることとしたい。もちろんこれは私の視角からの切り取りであり、この回に披露された音盤を巡る議論やそこに秘められた聴取の可能性が、これから展開する論点に尽きるものでは決してないことは、改めてお断りしておきたい。
 なお、当日のプレイリストと、先立つ3回を含めた40枚の音盤の中からさらに選り抜かれた2016年のベスト10については、すでに益子がウェブ上にアップしているので、これを参照していただきたい(※)。
※http://gekkasha.jugem.jp/?cid=43767
タダマス241縮小
撮影:原田正夫



 チューバの低くくぐもった唸り声のいつ果てるとも知れない持続。トランペットの掠れた息。高域と低域の間にぴんと張り渡された空間に、箏の爪弾きと鉄琴の単音が振り撒かれ、傷跡を残した上を、ノイジーなエレクトロニクスの砂嵐がさらにやすり掛けしていく。楽器の音色の色彩感はことごとく取り払われ、すべては鈍く冷たい輝きを放つ電子音の構築と化して、耳の視界を薄暗くモノクロームに染め上げる。そこで前景化してくるのは、個々の音の断片であるよりも、むしろその背後に広がる空間の静まり返った広がりの方である。冷え切った希薄さ、いや空っぽな虚無/真空の中を、音は交錯も衝突も重なり合うこともせず、左右から現れ、すれ違い、ただ通り過ぎて、消えていく。満たされることのない空間は、距離だけが支配している。音/響きを触れ合わせ、積み重ねるアンサンブルの生理とは隔絶した音世界。この鈍く輝くモノクロームな音の手触りを、生楽器による電子音の模倣ととらえ、演奏全体を電子音楽的なコンポジションに見立てる者もいるかもしれない。だが、それは違う。ここには脳内の夢想を、演奏者という媒介無しに、余すことなく直接テープ上に定着できることがもたらした、電子音楽特有の自己完結的な閉塞性がない。一見、完璧に描きあげられた画布は、いつもどこかが撓み揺らいでいる。視界一杯に広がる美しく淀みない回転運動の中に、そこだけ別の画面をはめ込んだような逆向きの動きが潜んでいる。

タダマス24-1 この日、後半の幕開けとなった、タダマスの常連と言うべきIngrid Laubrockによる『Serpentines』(Intakt Records)の3曲目、12分以上にも及ぶトラックを「長いので途中まで聴いていただいて‥」とあらかじめ断りながら、結局はほとんど全編をかけてしまった益子が、夫君Tom Rainey(dr)をはじめ、いつものメンバーで脇を固めることの多い彼女が、やはりタダマス常連でもはや説明不要だろうTyshawn Sorey(dr)やCraig Taborn(p)、さらにはHenry Threadgillのアンサンブルの屋台骨を支えるDan Peck(tuba)、箏奏者Miya Masaokaとこれまでと異なるメンバーと共同作業を行っていることに注意を促す。ふだんは音を出し過ぎるPeter Evans(tp)やSam Pluta(electronics)が、ここでは珍しく抑制の効いた演奏をしており、Laubrock本人もほとんどサックスを吹かず、鉄琴を叩いているだけであるとも。
 多田が「ここにTyshawn Soreyがいる必然性」を指摘し、論述の口火を切る。後で発表された「タダマスの選ぶ2016年ベスト10」の堂々第1位を飾ったTyshawn Sorey『Inner Spectrum of Variables』(Pi Recordings)にも似たゲンダイオンガク的な構築性が、なるほど、ここには感じ取れる。さらに多田は、ここには一定の速度があり、すべての奏者はそのひとつの速度をキープするために演奏しているのだ‥と続ける。それは決して各演奏者に共有された、アンサンブルのテンポ感覚といった凡庸なものではない。クラシックでは当たり前の緩急法であるテンポ・アゴーギクでもない。だが確かにここには、あるイマジナリーなラインが引かれ、その上を刻々と移動している感覚がある。同期を禁じられ、直接の接触はもちろん、目配せさえ許されず、各演奏者は暗闇の中を孤独に飛翔しつつ、それでもある軸線に沿って互いに重なり合う螺旋を描いている。まるで中空に残された「匂いの道」をたどる蝶の群れのように。

タダマス24-2 ここで示された「速度」というキーワードは、次なる聴取へと引き継がれ、さらには前後合計4作品を、ある光点から照らし出すことになる。続くEve Risser White Desert Orchestra『Les Deux Versants Se Regardent』(Clean Feed Records)は、楽器というよりは音色のコンポジションだった。「楽器」というひとまとまりの広がりは分解され、抽出された幾つかのかけらだけが、プラネタリウムみたいに注意深く配置され、星座の姿を浮かび上がらせる。ドーンという深い鳴りが空気を揺すり、様々な音色のかけらが軋みまたたく。ここで湧き出る「速度」は先ほどよりだいぶゆっくりであるように感じられる。そして響きのかけらが細かくなるのと比例して、イマジナリーなラインも蜘蛛の糸のように極端に細くなっている。なかなか見つからない導きの糸を探して、手元しか照らし得ないペンライトのちっぽけな光が、ちらちらと不安定にまたたきながらさまよう。

 物理的な速度ではなく、速度感、あるいは動きの感覚が重要なのではないか‥と益子が問題提起する。この2作品は共にいわゆる音響的即興と言いながら、実のところずいぶん異なっている。前者はイメージで言えば、竹林の中をずんずんと歩んでいる感じであり、細い枝や葉が動きによってがさがさと音を立てているように聴こえる。これに対し後者は、能のすり足みたいで、静かでゆるやかだがすごい力が込められている‥‥と。

 ここで多田から益子へとリレーされた「速度と動き」とは、自身率いるユニット「ライブラリ」の演奏について蛯子健太郎の語る「物語のスピード」と共通するのではないだろうか。 
私は以前このことについて、次のように書いていた(*)。「然るべき速度が、然るべき地点で、然るべきタイミングで出会い、あるいはすれ違う。合流地点や時刻が先に決められているのではなく、然るべき速度こそが然るべき出会いをもたらす。蛯子の言う「物語のスピードで」とはそうしたことだろう。張り詰めた氷が緩みせせらぎが聞こえだす季節、種子が芽吹きゆるゆると茎葉を伸ばす速度、回転するルーレットに投げ込まれた球の軌跡、倒れていくドミノの連鎖、転がる毛糸玉がするすると解け、自らの軌跡を跡付けながら、核心を露わにしていく過程。」
*http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-411.html

タダマス24-3 次のRaphael Malfliet『Noumenon』(Ruweh Records)をかける前に、益子が次にかける盤はちょっと心配があって‥‥と前説を始める。自宅で聴いた時に、最初は全然ピンと来なくて、試しに別のアンプに切り替えてみたら、すごく良くなった。3人の演奏者が個々ばらばらに、それぞれ独立して浮かぶのではなくて、溶け合ったサウンドが移り変わるように聴こえるとよいのだが‥‥と。喫茶茶会記の再生装置から聴こえてきた音は、音場型というよりは、やはり音像型というべきものだったので、益子の言う良さは伝わりにくかったのかもしれない。それでも印象を率直に記すと、各演奏者がサウンドの範囲を極端に絞り込み、オン/オフの切り替えを主軸に演奏しているように感じられた。即興演奏にありがちな性急なコール&レスポンスはないのだが、音を重ね、擦り合わせることのほとんどない演奏は、メイン・ストリームのジャズならありきたりの「ソロ回し」を音響化したように感じられた。サウンドは「交替」するだけで、複数の音色の化学反応による「変容」や「変質」は起こらない。別にコンダクターがいて、彼に指差された演奏者が順番に音を出しているようにすら思われた。後半、3人の間の距離がふっと縮まる場面があるのだが、それも長くは続かない。

タダマス24-4 この3枚に、前半最後に掛けられたAnna Webber's Simple Trio『Binary』(Skirl Records)を加え、4枚が編み上げる風景を改めて見直してみたい。
 John Hollenbeck(dr,perc)、Matt Mitchell(piano)とのトリオで登場したAnna Webberは、以前の「Hollenbeck印」のブランド・コピー的な作風から一転して、ユニークな個性を確立してきた。アンサンブルの推進力が細かく叩き分けるドラムであることは変わりないのだが、ミニマルな繰り返しに向かわず、目まぐるしく不断にギアを切り替えながら、常に力強くペダルを踏み込み続ける身体的なドライヴ感がある。3人乗りタンデムというより、鋭い突っ込みを見せるMatt Mitchellの打鍵と、どこかオモチャ的な軽い音色でパタパタとせわしなく散乱し続けるJohn Hollenbeckの、ちょうど噛み合わせ部分にAnna Webberのサックス・リフが入り込み、かつてのHenry Cowを思わせる硬質なリズム構築全体が、ひとつの車輪と化して、ぐるんぐるん回転している感じを与える。
 この演奏に対し、多田は「サックスに視点を合わせて聴くと、耳を走らせるドライヴ感がある。リズムやアクセントがどんどん移り変わっていくにもかかわらず、重心が定まっていて、行く手を見詰める視線がまっすぐで揺るぎない」とコメントした。これは体感的に納得できる。晩年の菊地雅章トリオのように、彼方に結像した共通の光景を見詰めているというより、各演奏者の身体同士を直接結び合わせ、重心の移動、それに伴う動きを、まるで組み体操のように連結させている印象なのだ(ここで私は、互いに他の者の足首をつかみ、3人がひとつの輪になって前転を続けるマット運動を思い浮かべている)。ここで三者によるイマジナリーなラインの共有は、ひとつに連ねられた身体運動感覚とどきどきする心臓の鼓動に取って代わられている。

 そこから見ると、(1)Ingrid Laubrock、(2)Eve Risser White Desert Orchestra、(3)Raphael Malflietの演奏は、順を追って身体が引き離され、(1)まずはイマジナリーなラインがくっきりと太く現れ、(2)次いでそれが細く淡く手応えの薄いものへと変容し、(3)ついには実体を失って、ゲームのルールやマニュアルに示された作業手順のような単なる指示へと変化していくプロセスを描いているように思われる。
 もちろん、こうした度合い自体を取り出して、どの水準が適切かという議論をしてもしょうがないわけだが、少なくとも演奏の肌触りとしては、私にはIngrid Laubrockによる果敢な挑戦が好ましく感じられた。Eve Risser White Desert Orchestraによる音色のテクスチャーの生成が、それよりも繊細で精緻な瞬間を有していることは認めざるを得ないのだが、ピアノが内部奏法から打鍵に移り、それでも発散的な音響で星座的な見晴らしを持続するものの、続くピアノの和音に管楽器が積み重なってテーマ風の情景を提示するパートに至ると、以降、確かに音色の線はそうした「器」から溢れ、こぼれ落ちていくものの、それ以前の張り詰めた緊張(それこそが星座の映る天蓋を支えていたものなのだが)をずいぶんと緩めてしまうように感じられた。

 最後に発表された益子と多田の選ぶ2016年ベスト10に、Ingrid Laubrock『Serpentines』が選ばれなかったことへの異論のように読めてしまうかもしれないが、もちろん本稿の主眼はそこにはない。このような聴取がもたらす体感的な気付きの可能性を選盤・選曲の流れとしてプログラムし、なおかつ、それを当日の新たな発見として即興的に名指し、さらにそれを的確に認め、また投げ返すといった、益子と多田の実に真っ当な批評のアクションに、改めて打たれたということなのだ。
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撮影:原田正夫


masuko x tada yotsuya tea party vol. 24
益子博之×多田雅範=四谷音盤茶会 vol. 24
2017年1月22日(日)
ホスト:益子博之・多田雅範
ゲスト:藤巻鉄郎(ドラム・打楽器奏者)


"TADA-MASU" Best 10 Albums of 2016

1. Tyshawn Sorey『Inner Spectrum of Variables』(Pi Recordings PI 65)

2. Flin van Hemmen『Drums of Days』(Neither/Nor Records N/N 005)

3. Raphael Malfliet『Noumenon』(Ruweh Records 003)

4. David Virelles『Antenna』(ECM Records ECM 3901)

5. Jim Black Trio『The Constant』(Intakt Records Intakt CD 268)

6. Eve Risser White Desert Orchestra『Les Deux Versants Se Regardent』(Clean Feed Records CF 399 CD)

7. Lilly Joel『What Lies in the Sea』(Sub Rosa SR 416)

8. Leah Paul『We Will Do the Worrying』(Skirl Records SKIRL 035)

9. Jeff Parker『The New Breed』(International Anthem IARC 0009)

10. Marcus Strickland’s Twi-Life『Nihil Novi』(Blue Note Records/Revive Music B002468402)

extra. Bon Iver『22, A Million』(Jagjaguwar JAG 300)





ライヴ/イヴェント・レヴュー | 23:18:10 | トラックバック(0) | コメント(0)
タダマス『二十四の瞳』を読んで涙する  Sakae Tsuboi's Novel "Twenty-four Eyes" Moves "TADA-MASU" to Tears
 益子博之と多田雅範の二人がナヴィゲートするNYダウンタウン・シーンを中心とした現代ジャズの定点観測「四谷音盤茶会(通称「タダマス」)」が、1月22日(日)の開催で24回目を迎える。振り返ると初回開催は2011年4月16日。私自身によるレヴュー(※)を見ると、「益子博之の選ぶ2010年の10枚」を題材として、シーンの先端をヴィヴィッドに突き動かす「変容」を、例えば「フレーズからトーンへ」、「ジャズの解体/再構築に向けて」といった鋭い切り口から生々しくとらえていることがわかる。以来、四半期×24=6年間が経過しているわけだが、こうした視点設定、選択と分析、問題提起は古びるどころか、ますます孤高の輝きを増しているように思われる。
※http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-104.html

 彼の地の「最新モード」を要領よくパッケージして持ち帰り、壇の上から物知り顔で講釈を垂れる「流行通信」的な行き方(「ヒョーロンカ」の標準的姿勢はこれ)を彼らはきっぱりと拒絶し、常に二人が貪欲な聴き手として未知の魅力に打ちのめされ、不可解な謎にとまどう作品をこそ、迷うことなく俎上に上げてしまう。このいさぎよい覚悟こそが、批評の倫理にほかならない。だから、あらかじめ自分たちの選んだ曲をプレイしながら、「いまここ」に流れた音に改めて新鮮に反応し、これまで気づかなかった新たな発見をまくしたて、あるいは予定と異なる違和感に口ごもるのが、「ダダマス」の最高にスリリングな瞬間である。
だからこそ、各回に招かれたゲストたちは、そこが初めての場所であるにもかかわらず、彼らと胸襟を開いて話し合える。ホスト側があらかじめ正解を隠し持っている「目隠しジュークボックス」と違うのはここだ。だから、ここで試されているのは、トリヴィアルな蘊蓄でも楽理の知識でも、ましてや多彩な交流関係でもなく、眼の前の音に頭から飛び込み、深く潜って行ける潜水能力なのだ。この時、会場である綜合藝術茶房喫茶茶会記Lルームは、決して益子・多田のホームであるわけではなく、二人とゲスト、そして我々参加者全員が、皆対等にテーブルに着くプラットフォームにほかなるまい。

前回のゲストは、井谷享志が2回目の登場とあって、「いよいよ二巡目に突入したか」と思ったが、今回はまた初登場の新ゲスト。このブログでは高岡大祐とのトリオ「歌女」のメンバーとして何度となく登場していただいているドラム・打楽器奏者の藤巻鉄郎である。ソロ作『奏像』で打撃の瞬間に眼を凝らし、そこから弾け飛ぶ音粒の軌跡、たちのぼる響きの揺らぎに耳を澄ます彼は、果たして「タダマス」音源をどう聴くのだろう。

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以下は益子による今回の案内文。

masuko x tada yotsuya tea party vol. 24: information
益子博之×多田雅範=四谷音盤茶会 vol. 24

2017年1月22日(日) 
open 18:30/start 19:00/end 22:00(予定)
会場:綜合藝術茶房喫茶茶会記
新宿区大京町2-4 1F(丸の内線四谷三丁目駅から徒歩3分)
ホスト:益子博之・多田雅範
ゲスト:藤巻鉄郎(ドラム・打楽器奏者)
参加費:¥1,300 (1ドリンク付き)

今回は、2016年第4 四半期(10~12月)に入手したニューヨーク ダウンタウン~ブルックリンのジャズを中心とした新譜CDと、2016年の年間ベスト10をご紹介します。
ゲストには、ドラム・打楽器奏者の藤巻鉄郎さんをお迎えします。歌物からジャズ、完全即興まで幅広い領域で活躍する藤巻さんは、現在のニューヨークを中心としたシーンの動向をどのように聴くのでしょうか。お楽しみに。

最新の情報は下記をご覧ください。
topic・tadamasu:http://gekkasha.modalbeats.com/?eid=954584




ライヴ/イヴェント告知 | 23:05:42 | トラックバック(0) | コメント(0)
書棚の上のコリンダ@京都河原町丸太町  "Kolinda" on the top of bookshelf @ Kawara-machi Maruta-machi, Kyoto
 11月2日から4日まで京都に行っていた。もともとはKYOTO EXPERIMENT 2016 AUTUMNの一環として開催される池田亮司のコンサート『Ryoji Ikeda:concert pieces』(*1)及びインスタレーション『the rador [kyoto]』(*2)を観ることを目的に計画した旅だった。コンサートについては、何よりもformula [ver.2.3] / C⁴I / datamatics / matrixの4作品を、池田自身のお墨付きによるオーディオ・ヴィジュアル規格で体験できることに魅力を感じていた。すなわち、重低音から高周波に至る極端に幅広い周波数スペクトルを、ホールの巨大なPAから浴びる体験が、自宅のスピーカーでCDを聴くのとは異なる聴取を与えてくれるのではないかと。もちろんそれにさらに映像がプラスされた体験であることも。
 結論を言えば、そこに意外性に満ちた新たな発見はなかった。それは確かに高水準に突き詰められた構築であり、その尖った純度においても、噴出する暴力性においても、池田亮司以降に制作された凡百のエレクトロニック・ミュージックを簡単に蹴散らすものにほかならなかった。しかし、『+/-』をはじめとする作品群からすでに聴き取っていた認識を刷新するものではなかった。むしろ映像が加えられることによって、決して作品体験が深化するわけではないことの方が発見だったかもしれない。抽象的な文字/記号列のつくりだす、一見余剰を徹底的に削ぎ落としたウルトラ・クールな映像は、実のところ、音響の過剰をわかりやすく視覚のパターンにはめ込み、「図解/絵解き」してしまう。そこに限界を感じたのか、その後、映像はニュース映像等の断片のコラージュへと向かうのだが、こちらは少なくとも視覚レヴェルでは既視感を乗り越えられない。むしろ池田作品には似つかわしくない焦燥感や苛立ちばかりが画面から響いてくる。
*1 http://rohmtheatrekyoto.jp/program/4284/
*2 http://rohmtheatrekyoto.jp/program/4286/


 3日の15時から22時まで4つのコンサートを聴き、翌日はあらかじめ調べておいた幾つかの店舗を回った。いつも通販で利用しており、『松籟夜話』のフライヤー配布にもご協力をいただいている、魅力溢れる品揃えのレコード店Meditationsに挨拶にうかがう前に、午前10時から開いている近くの新刊書店「誠光社」(※)を訪れた。
※http://www.seikosha-books.com/

この「誠光社」は、英国『ガーディアン』紙が選ぶ世界の書店10選にも挙げられた京都の有名書店「恵文社 一乗寺店」で店長を務めた堀部篤史氏が独立し、新たに開かれた書店だ。作り付けの白木の書棚が並ぶレイアウトも素敵だが、やはり何と言っても選書が素晴らしい。「書棚を読む」楽しさを与えてくれる。書物を選び並べること自体が、知のネットワークを構築することであるのがよくわかる。これぞと狙いを定めた本を出版社に直接注文して取り寄せているのだろう。見かけたことのない本もたくさんある。未知の鉱脈が覗いている‥‥という感じ。

一通り書棚を回り(スペースはさほど広くないが、その分濃密で、一冊ごと書背に眼が止まってしまうので、意外と時間がかかる)、気になる本を3冊ほど抜いてレジへ向かおうとして、書棚の上にレコード・ジャケットが飾ってあるのに気が付く。へぇと見回すと、何とコリンダ(Kolinda)の第1作のジャケットが並べられているではないか(驚)。
以前にブログでも触れたことがあるが(※)、コリンダこそはマリコルヌ(Malicorne)の開いたトラッド・ミュージックへの扉を、さらに大きく開け放ったばかりか、その向こうからぐいっと腕を伸ばして、まだ何も知らなかった当時の私をトラッドの泥沼に引きずり込んだ張本人である。
※http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-114.html
http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-113.html

コリンダ1-1縮小 コリンダ1-2縮小
              表面                            裏面

 その世界では有名と言いながらも、何せフランスのトラッド専門のマイナー・レーベルHexagoneからリリースされたハンガリーの演奏グループの盤。そこら辺にごろごろ転がっているものではない。それがなぜここに‥‥と興味を惹かれた私は、レジでの精算時に店主に尋ねずにはいられなかった。その答は意外なものだった。
 「うちの店のお客さんにも人気のロベール・クートラスというフランスの画家がいて、彼の作品集も並べているんですが、この作品のジャケット・デザインがそのクートラスなんですよ」。「ええっ、クートラスって、あの小さなカードみたいなの描いてる、最近、日本で個展も開かれた‥‥」。「ええ、そうです。ご存知なんですか」。
 頭の中で一瞬火花が閃いた。ロベール・クートラス(Robert Coutelas)については、Facebook経由で個展の情報が流れてきて、その慎ましい、だが綺想に満ちた画風に興味を惹かれたが、会期中に松濤美術館を訪れることができず、残念に思っていた。だが、その名前や視覚イメージが、私の中でコリンダと結びつくことはなかった。
https://www.discogs.com/ja/Kolinda-Kolinda/release/1824450
http://robert-coutelas.com/jp/information/

 Hexagoneに遺されたコリンダの作品は計3枚(*)。ご覧のようにデザインにあまり一貫性はない。強いて言えば民俗色の濃い表現となろうか。2枚目はいささかダサい。私は中世写本かタピストリーを思わせる3枚目のデザインが好きだった。1枚目はアンティークの陶器の絵柄か何かからコラージュしたデザインかと思っていたので。だが、それがクートラスの描くカルトを並べたものだと知ると、何だか無性に愛おしくなる。それはこれまで決して交わることのなかった二つの線を結びあわせてくれた、旅先でこそ開かれ得る新たな窓への感謝でもあるだろう。しかし、「誠光社」スゴイな。前日、コンサート会場周辺をうろつく途中で、ふと前を通りかかり、「タルト・タタン始めました」の案内に惹かれて飛び込んだ「リンデンバーム」(☆)も良かったなあ。タルト・タタンが良かったので、翌日は改めてシャルキュトリーや野菜のマリネ等を購入。レヴェルの高さに驚く。京都はやっぱり深い。
*https://www.discogs.com/artist/818759-Kolinda
☆htp://www.linden-baum.jp/index.html

コリンダ2縮小 コリンダ3縮小




アート | 13:48:07 | トラックバック(0) | コメント(0)
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