2022-07-25 Mon
つなぎに軽めの食の話題を(レヴューは別途執筆中です!)。退院して自宅へ向かう途中、昼食用にサンドイッチを買って帰ろうということになり、バスを途中で降りて、自由ヶ丘駅から少し離れた「エリオント」へ。ここは比較的最近できたドイツパンを得意とするお店。サンドイッチ系やスイーツ系に加え、「ライ麦99.9%使用。16時間蒸し焼きにしました」とのポップに惹かれ、プンパニッケルも少しだけ買ってみる。試しにハチミツを塗って食べてみたら、独特のもっちり感は素晴らしいが、持ち味が強力で、これはもっとヴォリュームのある具材の方が合うなと。
■エリオント自由が丘 Instagramより
ということで、土日の昼食用の食材を買いに行く時に一計を案じる。ちなみに我が家では、基本的に料理は妻が担当、私が洗い物担当なのだが、土・日・祝日の昼食は私が調理する。と言っても、パスタばっかりだけど。おかげでパスタ作りはそれなりに上達した。幾つかスペシャリテも開発。
退院直後で「大丈夫?」と妻に心配されたが、そこはリハビリの一環ということで。ここではパスタの前菜とドルチェに仕立てたプンパニッケルのサンドイッチをご紹介。
構成については別添構造図を参照(笑)。要はハムとザワークラウトにチーズを合わせたものと、チーズとブルーベリーを合わせたものの二種類。組み立ててからラップを掛けて冷蔵庫に入れ、食べる直前にラップごと切って盛り付け。


仕上がりについては別添写真を参照(肝心の断面がよくわからないが)。前菜の方は韓国ソウルで購入した木製の皿に。大葉の刻みとパルメザン・チーズを散らした。何だかオサレに見える。手前に配したのは山羊乳のチーズ。牛乳でつくった白いチーズよりもコクがあると言うか、旨味が濃い。リコッタ・チーズ(フレッシュ?)ともども、近所のそこで製造しているお店(というよりは工房に売り場が付属している)「チーズスタンド」で購入。ロース・ハムもザワークラウトも近所にある自家製造の名店「ダダチャ」で購入。パスタをつくる際に、ベーコンを拍子木に切ってよく使うのだが、ここのベーコンは肉質がよく、噛み心地が素晴らしい。もちろん、ハムもソーセージもおいしい。
具材をいっぱい盛り込んだので、パンの強さに負けていない。ゴチャゴチャしそうなところだけど、酸味が一本筋を通し、「えいやっ」と入れてみた大葉が効いていて、ヌケがある。これはもう「ハーブ」として機能している。

ドルチェは別の皿で。景徳鎮のレプリカの豆彩(闘彩)。いささかミスマッチですが(笑)。チーズとブルーベリーの組合せはチーズケーキでも定番だからマッチしないわけがない。ジャムは、入院中に妻の親戚からいただいた生ブルーベリーを妻が煮てくれたもので、かなり甘さ控えめなのだが、プンパニッケルのもっちり感の中にある本来の甘みを引き出す感じで、なかなかうまく行った。

コーヒーはいつもの堀口を切らしていて、別の店の豆。やや浅煎りで酸味が勝っているのだが問題なし。プンバニッケルの持ち味を活かせて、復帰後初回のランチは満足のいく仕上がりに。
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2022-07-23 Sat
簡単な手術を受けるため、7月5日から15日まで入院していた。その間に感じたことなどを幾つか記しておきたい。1.響く靴音
ベッドに臥せっていると、靴音がよく聞こえる。コツコツではなく、カッカッカッでもなく、キュッキュッ、あるいはギュ・ギュが多い。病院スタッフはみんな底が滑りにくい靴を履いていて、入院患者も転倒防止のためにスリッパやサンダルではなく「靴」の着用を求められているため、運動靴が多くなるのだろう。
靴音が目立つのは、話し声が聞こえないせいでもある。新型コロナウイルス感染拡大防止のため今年になってからずっと面会は禁止。荷物の受け渡し等もスタッフ・ステーション経由で、入院中は家族とも直接会うことができない。四人部屋の病室はカーテンが引き巡らされ、患者同士の会話もない。テレビやラジオ、スマホはイヤホンで。もちろん病室でのスマホの通話は禁止。病棟内ではマスクを着用。
だから検温や点滴交換時の声掛けや、入退院時の手順、手術前の注意事項等を説明する、看護師や医師の声しか聞こえてこない。後は食事を運んでくる配膳車のずしりと重くくぐもった車輪の音。看護師が記録用のPCや血圧計、院内処方の薬剤等を載せて押し歩くワゴンのカタカタと鳴る金属製の揺れ。
武満徹は『サイレントガーデン −− 滞院報告』で、病室の外の廊下から入ってくる生活音について書いているが、そうした生命観に満ちた「いのち」を励ましてくれる響き(それはかつて自分が属していた「日常」につながっている)は、おそらく当時の何分の一かに減じてしまっていることだろう。

2.毎朝の儀式
手術自体は無事完了したものの、初めての全身麻酔だったこともあり、術後のひどい麻酔「酔い」に悩まされた(術部の痛みこそなかったが、手術自体の身体へのダメージは当然あっただろう)。当日の夕方から翌日の午前中まで、何とも言い難い苦しさ、居たたまれなさに身をよじり、シーツがぐっしょりと濡れるほど油汗を流し、しかし吐き気が強くて水が一滴も喉を通らず、溲瓶をあてがわれても尿はまったく出なかった。つなぎっ放しの点滴からは1リットル以上の薬液が注入されているというのに。
翌日の朝食も喉を通らず、ほうじ茶とヨーグルトのみ。昼・夜もほぼ同様。朝食の後、看護師に支えられてトイレに行き、洋便器に腰掛けて、ようやく少し尿が出た。紅茶か番茶のような、今までに見たことのない濃い色。点滴で水分・栄養補給のほか、痛み止めと感染防止の抗生剤を注入。
翌々日になって、ようやく自分で起き上がれるようになる。疲労や怖れや焦燥や混乱がこころとからだの中に澱のように降り積もっている。気晴らしをしたいが、集中を要する音楽はとても聴けそうにない。明るく軽いだけの音楽も嘘寒く、かえって疲れる。閉ざされたカーテンの中に居続けると何しろ気が滅入ってくるので、スマホと入院に備えて買い求めたイヤホンを携えて、その階のスタッフ・ステーション前のロビーへ。
youtubeで音楽を聴いてみよう。むしろふだんは聴かないクラシックはどうだろうか、たとえばモーツァルトのピアノ協奏曲とか、あるいは‥‥と検索するうちに、ふと思いついてサミュエル・バーバー「弦楽のためのアダージョ」を聴いてみる。
音が鳴り始めた途端、いままで見えていた光景が透明なガラスの向こうに、すっと一歩遠ざかる。いや、自分の眼で見ているのに、ヴィデオキャメラで撮影してモニターを通して眺めているような感じに変わると言った方が正確か。遠くなるだけでなく、「いま・ここ」のアクチュアリティから切り離され、ガラスの入った額縁がはめられる。音量は決して大きくなく、周囲の物音がよく聞こえるのだが、それらはみな音楽のスクリーンで濾過され、投影された画面の中から響いてくるように感じられる。スタッフ・ステーション内の看護師の動きも、カウンターの前を通り過ぎる回診の医師や床を清掃する業者の歩みも、車いすを押してもらって、あるいは点滴のスタンドを杖代わりに、ゆっくりと検査に向かう入院患者たちの移動も、すべてキャメラのレンズの向こうへと遠ざかり、現実感を希薄にして、妙に整然と美しくまとまった一幅の画となっている。見ている私はキャメラのこちら側へと切り離され、そこにはいない部外者、第三者として、距離を隔てて画面を見詰めている。つまりは「観客」として。
冷ややかに透明な哀しみがどこからともなく舞い降りてくる。自分とは切り離された「物語」として、これから起こる「悲劇」を眺めているとでも言えばよいのだろうか、得体の知れないふわふわと現実離れした感じ。切断による間隔化がもたらした空疎さを、条件反射的に「物語」で埋め合わせようとしているのか。それともアクチュアルな手触りを失って意味不明にカクカクと動く人体が、機械仕掛けの滑稽さをたたえるからなのか(そこに哀れみを感じるというのも何とも傲慢な話だが)。スタッフ・ステーション内の分散した動きが、この後、突然の災厄に見舞われてパニックに陥る前の、最後に残された日常のように見えてくる。あるいは救急の担架で運び込まれ、息を引き取りつつある者の瞳に映る、この世の最後の光景。
思えば、この曲をたぶん初めて聴いた映画『プラトーン』でも、あるいはその後に観た役所広司主演のテレビドラマでも、演出はそうした「感じ」を求めていた。曲が流れ始めるとその場に付随する現実音が消され、画面はスローモーションに切り替わり、眼の前の「現実」から生々しい「現実感」が取り除かれ、ありふれた日常は美しい(恐ろしい、悲惨極まりない‥‥)絵空事に変貌する。雑味はすべて除かれ、指に触れる手がかりもまた取り払われて、光景はどこまでもどこまでも冷ややかに美しく透き通って、やはり透明極まりない弦の響きとともに、ゆっくりと崇高に向け上昇していく。辺りを物憂げに見下ろす哀しみをたたえながら。
死の瞬間に、脳は「脳内麻薬」を分泌して現実感を喪失させ、苦痛や恐怖を取り除くという話を、どこかで読んだことがある。ライオンに襲われ食われかけた人の「自分の身に起こっていることではないように感じられた」との証言が引かれていた。それと似た「浄化」作用が擬似的に生じているのかもしれなかった。苦しかった記憶や不安が水っぽく柔らかくなって、薄らいでいくように感じられた。
これは生の営みを一片の物語へと譲り渡してしまう悪い「物語化」だ、極めて不健全な習慣だと思いながら、私はしばらくの間、毎朝、この「儀式」を続けた。ただ、その後、そのまま閉ざされた病室のベッドには戻らず、イヤホンを外してトイレに行き尿が便器に当たる音に耳を澄ましたり、自宅に電話して妻と話すなど、現世へと帰還するためのプロセスをバッファーとして必ず設けるようにした。

3.コンパートメント化の進行 「いま・ここ」からの離脱
入院前日、7月4日の夕刻、いま借りている本をいったん返却しようと、私は目黒区立大橋図書館に向かっていた。そこで奇しくもその日に田園都市線で起こった騒動を体験することとなった。
私は4両目4番ドアの近く(優先席の次のブロック)に座っていた。そこが池尻大橋駅ホームの階段に近いからだ。まだ17時前なので車内は混んではいなかった。ガラガラでこそないが、付近に立っている乗客はいなかったように思う。三軒茶屋駅を出発後しばらくして、もうすぐ目的の駅というところで、座っていた左手側、列車の後方からドンと大きな音がし、座ったままそちらを振り返ると隣りの車両との連絡ドアに人の姿が張り付いていた。次の瞬間、ドアが開くと同時に、わっと三・四人の人の群れが噴き出してきた。つんのめり床に手を着く者があり、脱げた靴が片方だけ床に落ちていた。しばらく前の京王線の放火事件が頭を掠めたが、火の手が見えるわけでもなく、臭いもしなかった。続けて人が押し合いへし合いしてドアから吐き出されるが、さらに次の車両まで逃げようとはしない。最初に逃げてきた男性二人が「何があったんですか」、「さあ、人がすごい勢いで走ってきたから‥‥」というような要領を得ない会話をしている。勢い良く開いた反動でドアが一度閉まり、すぐさま荒々しく開け直されると「○○ちゃん、いまは靴なんてどうでもいいの」と母親らしき女性の叱り声が響いた。
すでに車両は池尻大橋駅に入っていた。もう連絡ドアからの人の流れは途絶えていた。すぐ近くの4番ドアから降りて、ホーム後方の様子をちらりと伺うと、一斉にホームに吐き出された乗客たちの背中だけが見えた。私はそれ以上そこにとどまることなく、改札口に向け階段を上がった。車両が運行を一時停止する旨のアナウンスが響いていた。
後ほどニュースで確認すると、乗客が暴れて6両目と7両目の間の連絡ドアのガラスを叩き割ったようだった。詳しくは書かれていないが、おそらくその乗客は6両目に乗っていて、割れたガラスに驚いた6両目の乗客が5両目に逃げ、その様子に慌てた5両目の乗客が私の乗っていた4両目に駆け込んできたのだろう。5両目の乗客は、おそらく何が起きたかもわからず、ただ凄い勢いで人が逃げてきたから、押し出されて避難したものと推測される。7両目の乗客は後方の8両目に逃げたのだろう。とすれば、避難者の流れが割とすぐ途切れ、人数がさして多くなかったことも説明がつく。6両目の乗客は4両目まで逃げる必要を覚えなかっただろう。すでに駅に着いていたのだし。
混雑している時間帯ではなかったのが不幸中の幸いと言えるが、それでも押し倒され、あるいは躓いて転んでいる者がいた。もし混雑していたら将棋倒しによる怪我人が出たかもしれない。先日の放火事件と異なり、「事件」自体による生命への直接の危険はなかったにもかかわらず。なぜ、このようなパニックが起きてしまったのか。
ひとつ思い浮かぶのは、以前に比べ、乗客が周囲に注意を払わなくなっていることである。耳をイヤホンで塞ぎ、視線をスマホの小さな画面に釘付けにしている者が多い。それでは微かな予兆/前兆を感じることも出来ず、聞き耳を立てたりそちらを振り向いて危険の程度を確認することも出来ない。そして、これらの情報収集に基づき事前に身構えることも。情報ゼロから過大な入力がいきなり立ち上がることにより、慌ててパニックを起こしやすくなることは疑いない。
いわゆる「スマホ依存」やゲームへの重症の耽溺でもはやそれが手放せないという者もいよう。しかし、私にはむしろ、「いま・ここ」から自分を切り離したいという思いの方が強いように感じられる。イヤホンから大音量で流れる音楽に聴き入っているというよりは、周囲にバリヤーを張り巡らして聴覚を塞ぎ、視界も画面で独占して環境情報を遮断して、コンパートメント化を図ることにより、自分の身体の存在する空間から「意識」を切り離す。かつてサイバーパンクは「電脳空間」に意識をジャックインさせることにより、身体を現実空間に置き去りにしたが、おそらくここでは、こうした切断が行為として意識されることはあるまい。単にミュートしているだけだからだ。何の覚悟も要らない手軽で気楽な操作。だが、それが時には重篤な結果をもたらすことにもなりかねない。
単なるミュートであるがゆえに、現実の身体が占める空間に対しておそろしく鈍感になり、しかもそのことに一切気づいていないし、注意も払っていない。ひとことで言えば無頓着なのだ。担いだリュックや肩にかけたショルダーバッグが他人にぶつかっても気づかず、電車が揺れて他人にぶつかってもお構いなし、優先席に座った自分の前に高齢者や障害者、妊婦が立とうが知らんぷり。開くドアをはじめ、大勢が通行する動線を塞いでいて平気なのも、同じ無頓着によるものにほかなるまい。環境に感応しない身体存在。それはもう「生物にあるまじき振る舞い」とすら言える。一種の「幽体離脱」か。
同じ空間を共有し肌を接しさえする眼の前の他者には無頓着/無関心で、はるか離れた別地点にいる他者が発するラインやツイッターのメッセージには慌てて応答する。以前は電車の中で電話しながら手を振ったり、ぺこぺこお辞儀する者を見かけたが、メールからさらにSNSに中心が移った今は、そうした身体動作は見られない。やはりあれはリアルタイムの会話が、別々の場所に話者がいるにもかかわらず、共通の仮想空間を立ち上げてしまうからこそのものだったのだろう。今やそうした同期もない。こうした「いま・ここ」への無関心は、結局、自分の身体を、そして他者の存在を軽視することにほかならない。いつかきっと手痛いしっぺ返しを受けることになるだろう。
4. イヤホンを着けて街を歩く
「ウォークマン(*1)をつけて外をあるく。音楽はロックではいけない。環境音楽もだめ。半透明なひびきと不安定なリズムをもつものがいい。ボリュームをいっぱいにあげてはいけない。つまみを調節して、現実音が音楽の波に洗われながら浮きしずみする状態をつくる。すると、風景がそこにはない音でフィルターをかけられているのがわかる。どこかちがうが、もとのままの風景にはちがいない。」【高橋悠治「メモ・ランダム」より 『カフカ/夜の時間』晶文社1989】
*1 いまとなっては、この語にも注解が必要かもしれない。ウォークマンとは持ち運びの簡単な掌サイズの、ステレオヘッドホン(イヤホン)で再生音を聴取するカセットテープ・プレイヤーであり、もともとは1979年に初めて製品化したソニーの商品名だが、「セロテープ」等と同様に、それがそのまま呼び名として流通し、普通名詞化することとなった。当時のソニー会長の「出先でカセットテープを高音質で聴きたい」というリクエストに応えるため、取材用の携帯カセット・レコーダーから録音ヘッドを取り除き、再生ヘッドをステレオ化したものがプロトタイプになったと言う。この「テープレコーダーから録音機能を外す」発想が画期的だった。実際、社内からも「そんな製品が売れるわけがない」と猛反発を受けたと言う(その後に録音機能が付属している機種も製作された)。自分で用意した音源を移動中に(呼び名通り「歩きながら」でも)聴ける点で、その後の携帯CDプレーヤーや同MDプレーヤーを経てi-pod等に至る流れの先駆けとなった。
この高橋悠治の表明は今でも新鮮に響く。というのも、みんなウォークマンをそのようには利用せず、あくまで他の音を遮断して音楽だけを聴いていたからである。細川周平『ウォークマンの修辞学』(朝日出版社1981)においても、彼自身が「あとがき」で断っているように、ヘッドホンを着けると周囲の音が完璧にシャットアウトされ、カセットの音だけが聞こえてくるという「理想的な」想定が議論の前提としてなされている。言わば、都市体験のサウンドトラックだけがカセット収録の曲目に差し替えられるのだ。その効果はむしろ視覚的なもの、映画でよく行われる映像の異化(新たな文脈/意味の付加)にとどまるだろう。都市体験そのものの変容には至らない。電話口で一瞬聞き覚えのない声から、ずいぶん長いこと顔を会わせていない友人の顔貌や立ち居振る舞いがまざまざと浮かび上がる時の、あるいは空港に降り立ったとたんに全身を包み込む微かな匂いに、前回訪問時の記憶のあらゆる細部が一瞬のうちに鮮やかによみがえる時の、身体がぐらりと揺らぐタイムスリップにも似た感覚はない。やはり嗅覚や聴覚は、視覚よりも「古層」の感覚だからだろうか。

5.「いま・ここ」を丸ごと聴くこと
やはり「聴く」こと、しかも「いま・ここ」を丸ごと聴くことが重要だと思わずにはいられない。イヤホンを挿し込み、出来合いの音楽だけをあてがって、耳を「塞ぐ」のではなく、全周囲360°へと開くこと。こんな音まで聞こえているのかと、自分の耳の「底知れなさ」に驚くだろう。と同時に、そうした「底知れない」耳をもってしても到底聞き尽くせないほどたくさんの多種多様な音が溢れかえり、交錯し乱反射してありとあらゆる方向から脈絡なく降り注いでいることに、否応なく気づかされるはずだ。「底知れない」耳をはるかに上回る「底なし」の音。その時、私たちは世界の恐るべき豊かさの一端に触れている。
「見ることとは光の制限である」とアンリ・ベルクソンが言ったように、「制限」がなければ眼はただ光の洪水に溺れ、「ホワイト・アウト」を起こしてしまうだけだろう。しかし、耳は、もちろん可聴周波数帯域があらかじめ限定されているとは言え(これは光も同じだ)、響きの渦や乱流が立ち騒ぐ中を、「ホワイト・アウト」を起こさずに、かなりの程度動き回れるように思う。よく知られる「パーティ効果」のことを言っているわけではない。それとは話が逆だ。話し声とグラスのぶつかる音、哄笑からひそひそ笑いまで様々な響きのシチューから、特定の発話を抽出して聞き取るのではなく、反対にそうした特定/抽出をすることなしに、すなわちマスキングやフィルタリングなしに、すべてを丸ごと聴くこと。初めての宿に泊まり、耳慣れない物音に耳が捕らわれて寝付けなくなり、次から次へふだんは耳を傾けずにいた様々な音が聞こえてきたことはないだろうか。あるいは遠ざかっていく列車の音に耳を澄ますと、そこに結びつけられたロープが引き伸ばされていくように、遠くの音が浮かんできたことがないだろうか。そうした「聴くことの深まり」は後で触れるフィールド・レコーディング作品を聴く際にもよく生じてくる。
こうして論を進めていくと、聴覚のマスキング/フィルタリングの最たるものが、イヤホンから大音量の音楽を流し込み、しかもそれを聴こうとせず鼓膜を嬲らせているだけの「遮断」であることが浮かび上がってくるだろう。先に見たように、それは世界の豊かさとの回路を切断し、自らを閉ざすことに他ならない。各自の意見形成におけるインフォ・バブルやエコー・チェンバーの悪影響が指摘されて久しいが、それは必ずしもSNSという「ストラクチャー」の産物ではない(当然のことながら増強効果はあるにしても)。むしろ、耳を塞ぎ聞かないこと、すなわち、あらかじめあてがったもの以外を聞かない/聞こえないようにしてしまうことの結果なのだ。
6.標語による二分法
この「あらかじめあてがったもの以外を聞かない/聞こえないようにしてしまうこと」の蔓延は、SNSの流行などよりもはるかに遡って、コミュニケーションの重要性が「送信者から受信者へのメッセージの伝達」という情報通信工学の図式で示されるようになったことと深く結びついているように思われてならない。通信ノイズを排除してメッセージを受信するということは、「メッセージしか受信しない」ということであり、さらには「受信した内容からメッセージを仕立て上げられればそれでよい」とすることにほかならない。個別具体的な差異を踏まえた、適切な分析=記述がなければ、具体性を欠いた、恐ろしく抽象的な観念ばかりが、頷きあうための「合言葉(あいことば)」として垂れ流され、加速度的に流通・増殖することとなる。蓮實重彥が大正期の言説空間について、差異の意識を消滅させる「標語」というものの周辺のみを回っている‥‥と指摘している(*5)が、そうした状況がまたも繰り広げられているのではないか。
*5 浅田彰、柄谷行人、野口武彦、蓮實重彥、三浦雅士 共同討議「大正批評の諸問題」p.23 『批評空間』1991年No.2(福武書店)
たとえば「多様性(ダイバーシティ)の尊重」が内実を欠いて「標語」に堕してしまうならば、ただちに「多様性」の信奉者とそうでない者を色分けする線引きのための口実となる。「金槌を持てば何でも釘に見えてくる」と言うが、まさにここで作動しているのは「釘か、釘でないか」の二分法にほかなるまい。
冒頭に述べた毎朝の「儀式」を「不健全」とした理由がここにある。人間の感覚・思考は、世界の混沌とした不透明で見通すことの出来ない豊かさとの触れ合いを欠けば、恐ろしく透明な単純さに陥ってしまいやすいからである。
もちろん、そうした世界の過剰さとそのまま向かい合うことが難しい、心身ともに衰弱した状態であれば、ひとときの休息が必要だろう。雨が上がるまで、ちょっと軒下を借りて雨宿り。だが、ずっとそのまま軒下に居続けることはできない。掌を「外」へと差し出し、雨粒を皮膚で直接に受け止めてみる必要があるのだ。
「普通の日の普通の心を少しの間調べてみるとよい。心は無数の印象を受け取る。ささいな印象、奇異な印象、はかない印象、あるいははがねのような鋭さによって刻み付けられた印象を。これらの印象は、無数の粒子の絶え間ないシャワーとなって、あらゆる方向からやってくる。」【ヴァージニア・ウルフ「現代小説」】
ウルフの言う「粒子のシャワー」を浴びること。セザンヌの言う感覚の感光板を感光させること。衝突してくる粒子にブラウン運動的に突き動かされながら、この一歩を歩み出すこと。そのようにして運動した軌跡が「物語」となる。「物語」とはあらかじめ記されるものではなく、この一歩ごと、一瞬ごとに書き進められ、振り返るたびに聞く/読むことによって、その都度編み直されるものにほかならない。
7.フィールド・レコーディングの現場から
自身もフィールド・レコーディングを行う津田貴司が、それぞれに異なる仕方でフィールド・レコーディングに携わる五人のアーティスト(井口寛、高岡大祐、Amephone、柳沢英輔、笹島裕樹)と二人の聴き手(原田正夫、福島恵一)にインタヴューした『フィールド・レコーディングの現場から』が、今月、カンパニー社から出版された。アーティストだけでなく、聴き手からも話を聞いたのは、フィールド・レコーディングについては「録ること」だけでなく「聴くこと」にもまた「現場性」が宿っているとの津田の認識があったのではないかと、私は考えている。
実際、聴き手の話は「何がきっかけでフィールド・レコーディングを聴くようになったか」、「どのようなところに魅せられていったのか」といった点についても語っており、これからフィールド・レコーディングにアプローチしようという方はもちろん、すでに聴き親しんでいたり、すでに自らフィールド・レコーディングを行っていたりする方にも、「そうか、そういう入口、行程、視点があり得るのか」と、フィールド・レコーディングへの関わり方を多角的に深めるのに役立つのではないかと思う。
先に「それぞれに異なる仕方で」と述べた通り、五人のアーティストの視点・姿勢・手法は様々で、本当にいろいろな角度から「気づき」を与えてくれる一冊となっている。その一方で、録音や聴取の仕方をマニュアル的に示すものではない。録音や聴取時のエピソードはふんだんに盛り込まれているし、インタヴュー中に挙げられている作品については簡単なガイドを付しているので、実際に音源にアプローチする際にも役立つだろう。しかし、網羅的なディスク・ガイド(たとえば時系列や傾向に沿った)とはなっていない。いや、あえてしていないと言うべきだろう。
これはあくまで一参加者の私見となるが、「ジャズの聴き方指南」といった「○○の鑑賞法を教えます」といった書物と本書が大きく異なるのは、「フィールド・レコーディング作品の聴き方」という、決まりきった「作法」とか「王道」があるとして、それを伝えようというのではなく、フィールド・レコーディング作品を聴くことを通じて、その「体験」に自ずと触発され、日常の聴き方、耳の眼差し自体が深まることを目指している点にある。すなわち本書は、これまでと違った仕方で世界と触れ合う体験への誘いなのだ。

フィールド・レコーディングの現場から
津田貴司 編著
B6判並製:256頁
発行日:2022年7月
本体価格:2,200円(+税)
ISBN:978-4-910065-08-3
フィールド・レコーディングすることとフィールド・レコーディングされた音を聴くことは地続きである。井口寛(録音エンジニア)、高岡大祐(チューバ奏者/録音エンジニア)、Amephone(音楽家/プロデューサー)、柳沢英輔(音文化研究/映像人類学)、笹島裕樹(サウンドアーティスト)、原田正夫(月光茶房店主)、福島恵一(音楽批評/耳の枠はずし/松籟夜話)の7人との対話を通じて、サウンドアーティスト・津田貴司がフィールド・レコーディングの現場を探索する。録音が切り開く耳の枠の外部へ――音を標本化しないままに「他者としての音」に出会うこと。フィールド・レコーディングによって可能となる聴取のあり方を考える。
▼目次
まえがき――フィールド・レコーディングの現場
なぜ録音するのか、なにを録音するのか
●井口寛との対話
01 ディスク・レビュー
音質が表象するもの
●高岡大祐との対話
02 ディスク・レビュー
聴くことの野性
●Amephoneとの対話
03 ディスク・レビュー
録音の中でしか行けない場所
●柳沢英輔との対話
04 ディスク・レビュー
なぜ、写真ではなく録音なのか
●笹島裕樹との対話
05 ディスク・レビュー
耳の枠の外部へ
●原田正夫との対話
06 ディスク・レビュー
聴こえない音にみみをすます
●福島恵一との対話
07 ディスク・レビュー
ここではないどこか、いまではないいつか
まとめ|フィールド・レコーディングの可能性 津田貴司×福島恵一
あとがき――録音できない音
付記
「今時、簡単な手術で11日間も入院させる病院があるか」と訝しく思われる方もいるかもしれない。実際、私の病室に限っても、大抵の手術は前日入院で、合計三泊四日か、四泊五日だった。私の場合は術部の感染が懸念されたため、最初は術部にドレーンを挿入して血液が溜まらないようにし、術後一週間経過して抜糸するまでの容態変化を見て、そこで退院の期日が決定された。それゆえの入院期間の長さと理解されたい。
2014-09-25 Thu
オーディオが修理中でディスク・レヴューがままならないため、急遽、埋め草記事として先日の鳥取行きの話を。今回、鳥取を訪れてみようと思い立ったきっかけは、『トリベル』という不思議な名前の小冊子だった。「鳥取民工芸トラベルブック」と副題されており、鳥取県の作成したれっきとした観光用ガイドなのだが、単なる名所案内ではなく、「手仕事」にフォーカスした視点、その結果選ばれた題材、写真やキャプションの質の高さに惹きつけられた。たとえば鳥取民藝美術館を紹介する写真。展示された個々の事物ではなく、それらが集積された空間に眼差しを向けており、外からの光や階段による空間の交錯、家具のひっそりとした佇まい等の響き合いをしっかりととらえている。対して岩井温泉の老舗旅館は、時の止まったような古びた木造建築を、次第に明るくなっていく移行の時間の中に置いて、幻想的な魅力を引き出している。他にもフツーの観光案内には載っていない魅力的な場所が幾つも紹介されていた。次のURLでPDF版を見られるのでぜひ。


初日は早起きして羽田に向かい、飛行機で鳥取空港へ。バスで市内に向かい、さらに別のバスに乗り換えて倉吉へ。掘り割りの水の流れに沿って並ぶ土蔵の白壁、重たさと軽みが混じり合う石州瓦の赤み、黒い焼き杉の肌は木目など見えないほど焼き込まれてケロイド状になっていた。それにしても小さく清らかな流れがあって、そこに居並ぶ家屋の前に小懸かりの橋があって‥‥という眺めはいいなあ。京都の上賀茂神社の並びみたい。あちらの方が緑が多くて涼しげではあるけど。土蔵の中は高さを活かして吹き抜けで2階にしていたりする。



昼食は『トリベル』に掲載されていた「コーヒーと音楽とインドカレーの店」夜長茶廊に開店を待ちわびて入る。写真はチキン・カレーとバター・チキンのセット。両者の風味の違いまで計算して丁寧につくられていて良かったですね。サイドで注文したラッサムとサモサもなかなか。コーヒーは香りはいいけど、エチオピア、マンデリンともややすっきりし過ぎの感。音楽は2枚目にかかった(LPを片面ずつプレイ)ドロシー・アシュビーが印象的でした。

続いては三朝(みささ)温泉へ。本日投宿する「依山楼岩崎」に荷物を置いて付近を散策。三朝川に架かる橋が美しい。中程に木の枡を並べた足湯が設けられている橋があり、足を浸す。湯口に近い枡はかなり熱い。じんじんと響く足を我慢しながら顔を上げると、眼前には山の緑が広がる。名物だと言うカジカガエルの声はもう聴こえないけれど、近くは湧き出す湯の響き、川の流れ、川を渡る風に揺すられる樹々の葉擦れ、柔らかな街の喧噪が渾然一体、心臓の鼓動と混じり合う。輪郭が溶けて柔らかくなり、外界との隔てが薄らいでいく感じ。身体に沁み込んでくる山の緑に、以前にブログでレヴューした韓国映画『母なる証明』で、母が廃品回収業者の家へと向かうシーンの、辛うじて見分けられる程度のちっぽけな母の姿と視界一杯に広がる山の緑を思い出していた。

ひなびた温泉街の小路へ。造り酒屋(※)に「古酒」とあるので不思議に思っていると、豊かな顎髭をたくわえた店主が説明してくれた。蒸留酒ではなく、清酒(吟醸酒)を温度管理して熟成させるのだという。2010年の世界品評会で金賞を受賞し、その後、外務省から声がかかって晩餐会で供されているという1996年に仕込んだ「白狼」を試飲させてくれる(超下戸なので遠慮したのだが、まあ小さじ1杯程度なので‥)。淡い琥珀色。フルーティさはなく、味も香りも速い。いったん通り過ぎた後でずーんと響いてくる中に木の実やスパイスの香りが聴き取れる‥‥ような気がする。日本酒とはとても思えない。ドライ・シェリーが近いだろうか。音で言うと中高域よりももっと高い帯域がどこまでも豊かに伸びている感じ。気さくで話し好きの店主によれば、白狼は三朝の古い伝説に出てくるのだという。
※http://www.fujii-sake.co.jp
小路をさらに進むとかつての共同浴場の後が足湯になっている。足を浸してみるとこちらはぬるくて柔らかい。さらに先に「株湯」という元湯があるというので行ってみる。そこは飲泉できるようになっているのだが、大きなポリタンクに湯を汲みに遠くから車で来る人もいるという。旅館に戻って湯に入るととろりとしていて、肌が滑らかになる感じ。源泉が底から湧出していて、時折、ぽこりと気泡が昇ってくる。ここでも飲泉ができるので飲んでみると塩味が比較的強く、金気と石膏ぽさが少し。匂いはなく、刺激は少ない。
翌日は鳥取市に戻り鳥取砂丘へ。まあ砂丘は以前に一度行ったことがあるのでよいとして、妻が行きたいという「鳥取砂丘 砂の美術館」へ。「札幌雪まつりが砂になったようなもんでしょ」といささか馬鹿にしていたのだが、実際に見てみるとなかなか圧倒的。招聘アーティストたちによる競作で、与えられたテーマに沿ったコンポジションをレリーフにまとめている。雪まつりが実在の建物等の単に三次元の写しであるのに対し、構成が入る分、こちらには物語とパースペクティヴがあり、各要素の配置がもたらす調和と緊張がある。今回のテーマはロシアということで、まあ、おなじみのテーマが並んではいるのだが、ロシア民話、建国神話、宗教的エピソード、ロシアン・アヴァンギャルド、旧ソ連による宇宙開発が一同に展示される企画展なんて、たぶん世界のどこにもないのでは。ましてやウクライナ情勢に関心が集まる微妙な時期にあって。このあっけらかんさは買い。それとなぜか大阪スナック系母娘のガラガラ声二人組が多い。砂丘とヤンキーの親和性? 謎‥‥。

http://www.sand-museum.jp
早めに投宿する岩井温泉「岩井屋」へ。バスを降りてまず町並みの美しさにびっくり。暗くなってしまう前に周囲を探索する。古い家屋の木の使い方が繊細で美しい。昔作られたガラス独特の歪んだ透明さもまた魅力的。たまたま見つけた廃校になった小学校は、明治時代の木造建築だという。ここもそばを川が通り、掘り割りに水が流れる。掘り割りが先でぐっと弧を描いて、曲がった水面が見える景色って、どうしてこうも魅力的なのだろう。それにしても静かで音がほとんどしない。ただしんしんと暗くなっていく。







温泉の湯はさらりとしていて、三朝の複雑さはない。やはり飲泉できるので飲んでみると三朝より塩味がうすい代わりに不思議な旨味がある。二つに分けて構成された12箇所の湯が楽しめた依山楼岩崎の凝った趣向よりも、湯船の底から静かに湯が湧き出したちのぼる静謐さがありがたい。じっくりと堪能。
翌日、最終日は浦富海岸で遊覧船に乗り(小型船なので島の岩肌に触れられそうなほど近づける)、またまた鳥取市へ。まずは冒頭で触れた鳥取民藝美術館へ。焼き物系はやはり益子で活動した濱田庄司の流れを感じないわけにはいかない。素朴な色合いや柄に対するモダニスティックな抽象化の作用。だが、ここが面白いのは、そうした「作用」を焼き物だけでなく、家具や布製品、和紙をはじめ生活用品全般に押し広げていることであり、さらにそれらが「過去の記録」として保存陳列されているだけでなく、隣接する「鳥取たくみ工芸店」で販売されていることだ。民衆生活の再発見に基づいた、モダン・デザインによる生活改善運動としての姿がよくわかる。それが「伝統」を貧血化するような純粋化の運動でないことも注目しておきたい。美術館のこじんまりとした入口のすぐ脇にある地蔵堂は八角形の天井にステンドグラスというよりは、ル・コルビュジエによるロンシャン教会を連想させるような色ガラスによる光の導入が施されていた。
昼食はこれまた隣接する「たくみ割烹店」で。牛味噌煮込みカレーとハヤシライス。脂が強くなく、まったりとしていて、よく考えられ練られた味。食後のコーヒー(ブラジル系のまったり風味)とねっとりと粘度の高いヨーグルトもおいしい。
その後、市内を散策。『トリベル』に掲載されていた昭和28年築のレトロビルに行ってみる。いかにもな石造りの階段を上がると、何とレコード屋があるではないの。どーしてこう磁石に引き付けられるように出会ってしまうのだろうか。あきれる妻をよそに、ちょっとだけ品揃えを確認。そう広くはない店内にCDとアナログ。西森千明『かけがえのない』が平置きされている。滋味豊かなアコースティック系の作品チョイスは「奈良pastel records」から店主寺田による音楽サイト「公園喫茶」の流れを思わせた。後で調べると、このborzoi record(※)は知る人ぞ知る、鳥取に「ボルゾイ・レコードあり」というような有名なお店のようですね。
※http://borzoigaki.exblog.jp
最近は来日ミュージシャンのライヴでも、東京・大阪で複数回というよりは、地方都市の、しかもライヴハウスではなく、ギャラリーやカフェ、レコード店やあるいはお寺等を巡っていくツアーが多いように思う。シャッター商店街をはじめ、地方にお金が流れないことがたびたび指摘されるが、そうした「消費」とは別の形で、地方の「活性化」は進んできているように感じている。むしろ文化的なネットワークの構築を通じて。ここ鳥取でも、そうした流れは確実に起こってきているようだ。むしろ20年前に訪れた時の方が、もっと活気がなく疲弊していたように思う。これは後から調べてわかったのだが、『トリベル』主導で意欲的なショップを結んだイヴェントも仕掛けられているようだ(※)。
※http://trivel.jimdo.com
その一例として、歩き疲れて入った喫茶店のレヴェルの高さを挙げたい。交差点に位置するビルの2階にある「1er(プルミエ)」を、あらかじめ知っていたわけではなかった。入り口に掲げられたメニューがなかなか魅力的だったので、そこにしたというだけである。明るい色の木の階段を昇ると、先客が二組いた。下段の皿にお好みのケーキ2種とフルーツ。中段にはスコーン2種とクリームとジャム。上段には何種類ものクッキー等の焼き菓子が盛りつけられたセットとコーヒーを注文する。見ると壁に店主が訪れた時に持ち帰ったものだろうか、ラ・トゥール・ダルジャンやポール・ボキューズ等、フランスの有名レストランのメニューが飾ってある。しばらくして供された菓子はどれも素晴らしく、量もたっぷりで(写真参照)、これはお得(結局、焼き菓子はプチ・クロワッサンだけ食べて、後は袋をもらって持ち帰ることに)。これでドリンク付きで1500円ですよ。おい、マ○アージュフ○ール、威張ってねーで少しは見習えよ‥と。いちじくのタルトは香りをはじめ風味のまとまりがよく、タルト・タタンは、そもそも出している店自体珍しいが、こちらは固めで苦みより酸味を活かすタイプ。コーヒーもグアテマラをベースにしたブレンドだろうか、「たくみ割烹店」のようなまったり系ではなく、すっきりとした酸味があって、しかもちゃんとボディの輪郭がはっきりしている。おいしい。まだ若い店主は、フランスに渡り、パティスリーやブーランジェリー(両者の区別は曖昧と話していた)で修行したという。旅の最後を偶然見つけた素敵な店で締めくくれるなんて、何と幸せなことだろう。

http://blog.zige.jp/c-est-la-vie/kiji/688068.html
http://blog.zige.jp/c-est-la-vie/kiji/695672.html
http://blog.zige.jp/c-est-la-vie/kiji/696552.html
けれど不思議なことがひとつある。『トリベル』がなぜ私の手元にあったのか、よくわからないのだ。鳥取市内の観光案内所にも置いてなかったし(『トリベル』はありますかと訊くと、『トリヴェラー』という地図が出てきた)。記憶では立川セプティマに置いてあったのをもらってきたような気がするのだが、はっきりしない。仮にそうだとしても、なんでそんなところにあったんだろう。マイナー県を旅せよという、神の思し召しだったのだろうか。あるいは『トリベル』の表紙を飾る不思議な道祖神(?)のお導きなのだろうか。

2014-04-27 Sun
多田雅範が夢の中のやりとりをブログに書いている。その中に次のような科白がある。「ええっ?おれ、そんなこと言ってましたっけ?おれ、それよりも福島さんが以前赤坂のクラブでDJしたときの選曲ってのが知りたいんだよなあ」と頭を抱えている。
http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/day?id=7590&pg=20140423
おそらく多田はこのことについて、次の後藤雅洋の書き込みで知ったのだろう。
大昔の話ですが、私は「座って聴くDJ対決」を乃木坂の某クラブで体験しました。出演者は評論家の福島恵一さんと、名前は失念しましたが何人かのDJさん。深夜から明け方まで続くイヴェントで、私はDJもセンスで勝負する点ではジャズ喫茶のレコード係りとまったく同じであることを実感したものです。理由は単純で、明らかに福島さんの選曲感覚がその繫ぎ方を含め優れていて、ほとんど聴いたことのない音楽ジャンルであるにもかかわらず、飽きることがない。これって、いいレコード係り(たとえば旧『ジニアス』の西室さんとか…)のいるジャズ喫茶にいるときの快感とまったく同じなのですよ。
http://ikki-ikki.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-105b.html
本当に昔、もう20年以上も前のことになるだろうか。正確な日時はもはや覚えていない。何とか記憶を掘り起こしてみよう。
これは確かレコメンデッド・レコーズの日本支部だったロクス・ソルスの企画「レコメン・ナイト」の2回目だった。オールナイトのイヴェントなんだけれど、レコメンデッド・レコーズやその周辺を中心に、新譜をはじめ興味深い作品を紹介してもらえれば‥‥と、ロクス・ソルスの渡邊宏次から直接依頼されたのだった。その際に、CDから曲をかけて、解説して‥‥という形式でもいいけれど、できれば第2部はDJ風に、解説無しで曲だけかけるというのも考えてほしい‥‥とのことだったような気がする。
会場は赤坂小学校(だったかな?)のそばの地下クラブで、行ってみたら狭いのでびっくりした。ダンス・フロアなんてなかった。もっともあっても困るけど。踊るための曲なんてかけられないし。
おそらくはクラブなんぞ行ったこともない私を気遣ってだろう、渡邊は「第1回目を担当した坂本理さんはずっと曲をかけては解説し‥の繰り返しだったから、そういうレコード・コンサート方式でも構いませんよ」と声をかけてくれていた。でも、私はせっかくだからと、ノン・ストップでプレイすべき曲のリストをつくった。
つかみが大切だろうから、まずは頭から強烈なのをぶちかまして、その後もテンションを保ったまま、エッジの鋭さと情報量の多さで乗り切ろう‥‥みたいなことを考えたのではなかっただろうか。そこで選んだのが、まずはMark Feldman『Music for Violin Alone』(Tzadik)から冒頭曲。弦を焼き切らんばかりの苛烈な弓さばき。凄まじいばかりのヴィルトゥオージテの炸裂。鋭い音彩に切り裂かれた空気が傷口を閉じる前に、Alvin Curran『Crystal Psalms』(New Albion)にCD-Jでスイッチ。不定形な詠唱が浮かび上がり、シナゴーグで録音されたと思しき朗唱と混じり合い、以降も混成合唱を基調に、暴力的に場面を切り刻むノイジーな衝撃音の噴出(これがもう迫力満点)、SPレコードからの音源だろうか蜃気楼のようにたちのぼるおぼろな声、暗がりに重く沈んだブラスの高鳴り、子どもたちの声、打楽器の容赦ない連打等が交錯し、浮かんでは消えていく。これは24分の1トラックかけっ放し。その後は確か、John Zorn『Kristallnacht』(eva)から、やはり緻密な重層的コラージュによる冒頭曲「Shtetl」をかけた。「リリー・マルレーン」の断片を含むなど、テイストも似通っていたし。それ以外にも何かかけたような気もするが、よく覚えてはいない。全体で45分くらいじゃなかっただろうか。
覚えていないと言いながら、それでもDJを務めた第2部のことは、それなりに覚えているようだ。レクチャーを行った第1部でかけた盤のことは本当にまったく覚えていないから、やはりDJ初体験ということで、ものすごく緊張していたし、準備する時にもあれこれ心配したり悩んだりしたから、それだけ深く心に刻まれたのだろうか。
ちなみにもう一人DJプレイを行ったのが佐々木敦。最近は音楽にはすっかり飽きてしまって、演劇やダンスやJ文学やJ現代思想に精出しているようだが、当時はまだもっぱら「レコメン」中心のライターだった。僕一人じゃ時間が持たないだろうと心配した渡邊が、事前に声をかけていたのだ。彼はすっかりDJ慣れしていて、ただつないでかけるだけの私と違い、ちゃんと器用にCD-Jを操って、複数の音源を重ね合わせたりしていた。それゆえ音の流れは希薄で平坦なものとなるが、むしろそれが通常の「マナー」だったのだろう。情報を圧縮したような濃密重厚な音をかけ続けられては、聴く方も息が続くまい(一方、私は「息をつく間も与えない」ことを目指したわけだが)。ジャンルは主にテクノ・ミュージックだったように思う。The Ecstasy of Saint Theresa『Free-D(Original Soundtrack)』のジャケットが見えたのを覚えている。この盤はジャケットの美しさに惹かれて、私も持っていたので。
四谷いーぐるに置かせてもらったフライヤーを見て、後藤雅洋は覗きに来てくれたのだろう。誰か連れが1人といた。私の友人も1人聴きに来ていて、私、佐々木、渡邊のスタッフ・サイドを除けば、客は5〜6名じゃなかっただろうか。もう終わる頃になって、イヴェント目当てではないカップル客が入って来た。
クロージングには、チル・アウトのつもりでChristine Baczewska『Tribe of One』(Pariah Record)から、冒頭曲「As Any Fool Can Plainly See」をかけた。童謡のようにふんわりと、鼻にかかった声が、足下5cmだけ宙に浮いたまま、どこまでも続いていく。外に出るともう夜は白々と明けていた。
【試聴音源】

http://espanol.bestbuy.com/site/music-for-violin-alone-cd/2405490.p?id=1676081&skuId=2405490

https://itunes.apple.com/jp/album/crystal-psalms/id51235519

https://www.youtube.com/watch?v=rn1pERMiK3s

https://www.youtube.com/watch?v=sXWJVVV-8xs

なし
追記
この記事を読んだ多田雅範から連絡があり、私のDJの件を知ったのは、かつて彼が編集に携わっていた『Out There !』誌に連載の後藤氏のコラムであり、それが夢の中で蘇ったのだという。手元にあるバックナンバーを見てみると、vol.6掲載の後藤氏によるコラム「ジャズ喫茶の真実」が、いーぐる連続講座で私が3回シリーズを行ったことを採りあげていて、その中に「何年か前、深夜に赤坂の乃木坂裏のさるクラブで福島さんがDJを務めたイヴェントがあった」とのくだりを発見した。この号が2000年発売だから、やはり90年代半ばのことだったのだろう。
2011-12-31 Sat

今年も「耳の枠はずし」をご覧いただきありがとうございます。
更新が滞っておりまして申し訳ありません。
いろいろと不調が重なりまして‥。
来月からは再開したいと思いますのでよろしくお願いします。
今年を振り返りますと、1~3月は割と順調で4~5月に一度スランプがあり、何とかそこを脱して、9月のフランシスコ・ロペスによるワークショップ参加をジャンピング・ボードにして、一挙に加速したのですが、そこで力尽きた感があります。「書くこと」の密度・強度を高めるのはやりがいもあっていいのですが、もともと集中力はあっても持続力に欠ける性質だし、また、そうした密度・強度を引き出してくれる〈誘惑〉に満ちた題材がごろごろ転がっているわけでもないので、その辺はうまくコントロールしていかないといけないですね。反省しています。
念のため、誤解のないように付け加えておけば、もちろん魅力的な題材は多々あるけれども、いろいろと準備が必要だったりして、おいそれと手が出ないというこちらの力不足が大きな要因です。あくまでも「手頃な」題材をうまく用意できなかった‥という言い訳とご理解ください。
「不調」の方も、恒例の韓国ソウル行きでだいぶ解消されました。いろいろ思いがけないサプライズ(*)もあって(思いがけたらサプライズにならないですが)、行きつけの店を巡り、友人と会い、ギャラリーをのぞいたり、新しい店を開拓したりするなかで、体内にたまった〈毒素〉をずいぶん排出できた気がします。これでようやく更新を再開できる気が‥。
それでは来年もよろしくお願いします。
*1 行きの飛行機で「扇風機おばさん」と遭遇。
*2 行きつけのカムジャタン屋でKBSテレビの取材を受ける。
*3 帰りの飛行機のエンジンに鳥が飛び込み、離陸後に空港へ引き返す。 などなど

ふらりと入ったギャラリーで展示されていた新作青磁。チャーミング!

常宿のすぐそばなのに行ってなかった宗廟にあった屏風。

これが元祖カムジャタン(カムジャクッ)。やはりここが一番おいしい。

ホンデのカフェ405 Kitchenのメニュー。ここはおいしいですよ。ヴォリュームもたっぷり。

よく行くホンデのショコラティエの新メニュー。ピュアなカカオの香り。

アックジョンからカロスギルに向う途中でのぞいたミュージアム。凝った意匠の建築。
収蔵品の陶磁器もなかなかの高レヴェル。

建築といえばこれも。ホンデにあるファッション・ビル。

ソウル在住の友人(オーストラリア人)から教えてもらったホンデのハンバーガー屋。
肉質が良くておいしかったですよ。ポテトもカリカリ。

これは帰国後につくったフォー・ボーです。器は韓国で買ってきたもの。