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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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名古屋納屋橋の夜は更けて − 音楽&薬草バー『スキヴィアス』探訪記  Round Midnight in Nayabashi, Nagoya − Visit Report of Music & Herb Bar "Scivias"
 大阪中崎町コモンカフェにロジャー・ターナーと高岡大祐のデュオを観に出かけた翌日、大阪から京都、さらに名古屋へと足を伸ばした。京都行きの理由は何と言うことはなくて、以前に食べて大層おいしかった、蛸薬師「丸十」の焼き芋、錦小路そば権太呂の刻みきつねうどん、祇園「安参」の肉割烹コースを再び巡るためだったのだが、京都で夕食を摂った後に名古屋に向かったのは、20時に店を開ける音楽&薬草バー「スキヴィアス」を訪れるためだった。

 「スキヴィアス」は虹釜太郎主宰のゼミで知り合った「スキヴィアス服部」が経営している。「スキヴィアス」については開店時にこのブログで採りあげたので、覚えている方もいらっしゃることだろう(*1)。また、「スキヴィアス服部」(あるいは「服部レコンキス太」)が、同人誌『TOHU-BOHU』に、さらには自主制作コピー誌『音について その1』に書いた文章についても、このブログで採りあげている(*2)。音が耳に届く前にミュージシャン(ここでは演奏者、作編曲者、制作者等を幅広く含む)の意図に還元して「回答」(だがそれは一体、何に対してのものなのか。まだ問いさえ受け止めてないというのに)を出してしまうのではなく、音を記号や情報としてだけ読み解くのでもなく、音に触れた自らの身体の変容を見詰めながら丁寧に腑分けし、音楽に限らず幅広い文化的背景を参照しつつ記述していく手つきは、今時得難いものだと思う。
 *1 http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-211.html
   http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-213.html
 *2 http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-80.html
   http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-212.html


 名古屋駅から広小路をずんずんと進んで、納屋橋の左側を渡ったところで、たもとにある不思議な建物(旧加藤商会ビル。かつてはタイ領事館も置かれていたところで、今はタイ料理のレストランになっている)の前に立って左手を眺めれば、斜め前方に「SCIVIAS」の白い看板が見える。石を投げれば届く距離だ。
 2階に上がってドアを開けると、奥にL字型のカウンターが設えられ、その前にチェアが並ぶ。手前には小さな本棚やCD等の展示販売用のコーヒー・テーブルが置いてあるだけでテーブル席がないので、ずいぶんと広く感じる。
 来店を事前に伝えてあったので、やあやあと挨拶を交わす。Facebookで流れて来る開店の音楽はフィールドレコーディングだったり、民族音楽だったりと結構ヘヴィだが、この時は随分と聴きやすいアンビエント風の音が流れていた(後で訊くとハウシュカだという)。

スキヴィアス行き0 服部は「最近、これをよく聴くんですよね」と言いながら、CDをかけ換える。高橋アキ演奏による『早坂文雄:室内のためのピアノ作品集』(Camerata)。ドビュッシー由来の香り高さと、品のいい端正で落ち着いた佇まい(メシアンほどには濃密でも厳格でもない)。「何か『教授』の元ネタって感じがしませんか」と彼。順番なら先に出て来るはずの武満徹を跳ばして、坂本龍一となるのは、音を聴くとよくわかる。これは高橋アキによる明晰な演奏の貢献も大きいのだろうが、ロマンティックな匂いが薄く、ドビュッシーの向こうにサティを透かし見ているところがある。エキゾティックの手前で立ち止まるクールネス。「元ネタって言うより、教授にもっと教養や恥じらいがあったら、こうなってましたってことなんじゃないの」と与太を飛ばす。


 最近、何かいいのありますかと訊かれて、そうなることだろうと思って仕込んできた数枚のCDを見せる。

スキヴィアス行き1 まずは熱帯雨林のフィールドレコーディングで、マイクロフォンの「皮膚」を痛々しく擦りむいて無理矢理感度を高めたのではないかと思えるほど超鮮明なDavid Michael, Slavek Kwi『Mmabolela』(Gruenrekoder)。虫の音が耳に、肌に鋭く突き刺さる。スピーカーはヤマハの小型モニターなのだが、ゆらゆらした低音の響きが随分下まで出ているみたいなので尋ねると、カウンターの端(入口に近い方)にFostexのスーパー・ウーハーを1台床置きして鳴らしていることを教えてくれる。なるほど。

スキヴィアス行き2 続いてはある古楽作品をミニマル・ミュージックの原型と見立てて奏したRalf Meinz, Karolina Ossowska & Mikołaj Palosz『Play Giuseppe Tartini "La sonata il sol minore al terzo suono"』(Bolt)。メロディが抑揚無しに引き伸ばされて、ヴァイオリンとチェロの弦の振動の生々しい衝突/干渉(倍音領域を含む)が前景化して、Tony Conrad状態をつくりだす。「こーゆーの聴くと、進化論的な音楽史って何だよって話ですよねー」、「我々が知ってる音楽史って「ハンスリック以降」って言うか、まあ、それぞれの時点での政治的視点からの再話だから。結局、『歴史は勝者が創る』っていう原理原則は文化史でも変わらないってことでしょ。バッハですら再発見されなくちゃいけなかったわけだし。古楽だって、つい最近まで専門家しか聴かない『生気のない難しくてつまらない音楽』扱いだったわけで‥」と、またいーかげんな与太を飛ばし合う。こちらは酒も飲んでないのに。

クォーツ追加4 「それからインプロヴィゼーション関係ではこれね」と歌女『盲声』(Blowbass)を差し出す。もともと大阪まで来たのも、ロジャー・ターナーと高岡大祐のデュオのためだったので‥と。そこから、フリー・インプロヴィゼーション系をはじめ、来日アーティストに対する共演者のブッキングの固定化はいかがなものか‥という話になるが、身の危険を回避するため詳細はオフレコに(笑)。


スキヴィアス行き3 さらに雰囲気を変えてと、Marta Valdes『En La Imaginacion』(Ahora)を。「ギター弾き語りの女声によるフィーリンなんだけど、すごく良いですよ。フィーリンでもナイトクラブの匂いがするのは苦手で、ほら、お酒飲めないから。でもこれはストイックで繊細にして自然体。どちらかというと作曲の人らしいんだけど‥」と日本盤付属のライナーを差し出す。

 その後、二人いたお客さんが帰ってからも、二人であれこれ音盤をかけながら、延々と話をしていたのだが、こちらも眠気が増していたので、何を話したかあまりよく覚えていない。投げかけられた話題に応えようとして、なかなか固有名詞が出てこなかったり。話題もあっちこっち跳んだし。服部も酔っていて、結構、話に脈絡がなかったのだが、それでも「ともかく音を聴いてみましょう」と、その場で音盤を探してちゃんとかけるところは流石プロ。もちろん見つからなかったのもあったんだけど‥(笑)。なので、こちらも対抗して、その時に挙げようとしてちゃんと出てこなかった参考書目を、後から記憶をたどり、調べ直したのが次のリスト。

I.ウォーラーステイン『史的システムとしての資本主義』川北稔訳、岩波書店、1997年
I.ウォーラーステイン『近代世界システムⅠ』川北稔訳、岩波現代選書、1981年
I.ウォーラーステイン『近代世界システムⅡ』川北稔訳、岩波現代選書、1981年
中井久夫『西欧精神医学背景史』みすず書房
前田英樹『民俗と民藝』講談社選書メチエ
前田英樹『ベルクソン哲学の遺言』岩波現代選書
渡辺哲夫『フロイトとベルクソン』岩波書店
山本義隆『磁力と重力の発見』、『十六世紀文化革命』、『重力と力学的世界』等


 そんな中で、ただ一つよく覚えているのが、服部のしてくれた次の話。
 「スティルライフ『夜のカタログ』を聴くと、演奏の背後というか、背景の音がすごくよく聴こえてくるんですね。これは彼らがそうした音をよく聴いている‥ってことでもあるんだけど。それで思い出したのが、中学の頃、電車通学していたんですが、本当に田舎の駅なんで、電車もあまり来ないんです。駅のまわりも静かだし。それで電車に乗り損ねて行っちゃった時に、意識で電車を追いますよね。耳でも線路の振動が遠ざかっていくのを追いかけるんです。どんどん小さくなっていく音を。そうするとロープをたどっていくみたいに、だんだん遠くの音が聴こえるようになってくるんです。」
 「それって、スティルライフのメンバーの津田さんが、ワークショップ『みみをすます』で使っている、段階を踏んで耳を開いていく方法論と似てるなー。いやー、その話、彼が聞いたらきっと喜ぶと思うよ。」



ちなみに珍しいリキュール各種のほか、ノン・アルコールのメニューもいろいろなハーブティーやコーディアルなどありますので、お酒の飲めない方も、どうぞお気軽にお訪ねください。
なお、「スキヴィアス」への行き方については次を参照してください。
http://otyto.hatenablog.com/entry/2023/02/02/000000

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音楽情報 | 18:54:08 | トラックバック(0) | コメント(0)
サイモン・フィンにかけられた双子の呪い  Twins' Curse on Simon Finn
 以前にこのブログに、英国の「伝説のアシッド・フォーク・シンガー」サイモン・フィン(Simon Finn)について書いた際、かつては幻のレゴートだった彼の第1作『Pass the Distance』のレコード・ジャケットのイラストにはおそらく元ネタがあり、「どうも子供靴の広告の図柄らしいのだが確認できなかった」とした(*1)。
*1 http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-86.html#comment18
  

 これに対し、さいとうさんという方がありがたいことに「元ネタ発見!」のコメントを、ブログに寄せてくださった。それ(*2)を見ると「START-RITE」という子供靴専門メーカーの広告キャラクターで、英国人のノスタルジアをかきたてるほど深く浸透しているイメージらしい。
*2 http://www.sterlingtimes.co.uk/memorable_images66.htm


この靴メーカー自体が19世紀末の創設で、現在の社名になったのが1921年、そして件の「双子キャラ」は何と1936年から使用されているらしい。ぜひ次のSTART-RITE斜の歴史紹介動画(*3)を参照してほしい。「双子キャラ」にはいろいろヴァリエーションがあって、月旅行したりもしている。巧妙なパクリというか、パロディ満載のサウンドトラックも楽しい。
*3 https://www.youtube.com/watch?v=HUzUmdgiJbI


 ‥で、なぜ、この図柄がジャケットを飾ることになったかだが、「folk radio uk」の記事(*4)によると、「サイモン・フィンがレコーディング・スタジオのそばで、この双子キャラの広告ポスターが貼ってあるのを見かけたからだ」という。確かに『Pass the Distance』というタイトルと「(Children’s Shoes) Have Far to Go」というコピーは見事に響きあう。しか、案の定START-RITE社からはクレームをつけられ、作品は廃盤の憂き目を見ることになってしまう(もちろん、そのせいだけではないだろうが)。
*4 http://www.folkradio.co.uk/2011/11/simon-finn-anniversary-show-london/


 先のブログ記事にも書いたように、以前には伝説のように囁かれていた「デヴィッド・トゥープ(David Toop)の参加」も本人が事実と認めたし、作品も正式に再発されたしで、めでたしめでたしなのだが、しかし、改めて次のことは指摘しておきたい。本作は「幻の名盤」の再発としてサイケやアシッド・フォークのマニアに独占させておくのではなく、より幅広く聴かれるべき作品にほかならない。そのためには、そうした呪われた伝説の囲みを破って、作品を外へと開いてやらねばならない。先のブログ記事執筆の狙いは、まさにそこにあった。ぜひ、本作品の素晴らしさに一度耳を傾けてみていただきたい。





音楽情報 | 01:16:42 | トラックバック(0) | コメント(0)
ケニー・ウィーラー安らかに眠れ、喜び溢れる騒々しさとともに  Kenny Wheeler RIP, with Joyful Noise
 FacebookでKenny Wheelerの死去を知った。追悼の書き込みで掲げられているNorma Winstoneとの共演作品(*0)を聴きながら、彼の名前を身近に感じつつも、実際にはほとんど聴いていなかったことに改めて気づかされ、思わず愕然とする。
*0 https://www.youtube.com/watch?v=a30DykabjQg
 代表作として挙げられるECMの諸作品、例えば『Gnu High』も『Music for Large and Small Ensemble』も手元にない。『Song for Someone』(1973)はずっと探していて、psi recordsからCD化された際にようやく手に入れたのだが、ビッグバンドによるそのサウンドは、初期Incusのラインナップにおよそふさわしくなく、びっくりした。と同時にトランペットのアンサンブルが高く突き抜けて、雲が晴れ空が高さを増していよいよ澄み渡っていく見通しのよい「都会的ジャズ・サウンド」に、いささかアレルギーがあることを知ることにもなった。また彼はGlove Unity Orchestraにも参加していて(初作と言うべきAlexander von Schlippenbach『Glove Unity』には不参加)、好きな『Jahrmarkt/Local Fair』や『Compositions』にも入っているのだが、どうも印象が明確な像を結ばない。


 彼はカナダ生まれだが、音楽活動は渡英後に花開いたと言ってよい。英国ジャズはフリー系に偏るとは言いながら結構聴いてきたから、「ファースト・コール」ミュージシャンであるWheelerの演奏を何度も耳にしているはずなのになぜだろう。そう思ってレコード棚を漁ってみると、愛聴盤でトランペット・セクションを務めているのが、たとえばHarry Beckettであり、Henry Lowtherであることがわかる。Keith Tippett周辺では、これにさらにMarc Charigが加わる。たとえばNeil Ardley『A Symphony of Amaranths』(1971)ではまさに先の二人+αであり、甲高く舞い上がるトランペットの響きを柔らかな弦アンサンブルが押しとどめ、ハープやヴィブラフォンのきらめきへと譲り渡す。Incus初期の名盤であり、Barry Guy主導の大編成によるThe London Jazz Composers Orchestra『Ode』では、Harry Beckett, Marc CharigにDave Holdsworthが加わる。The Blue Notes, Chris McGregor's Brotherhood of Breath, Keith Tippett's Ark等も、先に挙げた名前にMongezi Fezaを加えれば、ほぼカヴァーできる。Mike Westbrookの初期作品はDave Holdsworthが中心で、より大編成の『Marching Song』や『Mtropolis』にはWheelerの名前が見えるのだが、これはまさにWestbrookによるサウンド・ペインティングのマチエールとして、耳をつんざく、あるいは冷え冷えと明けていくソノリティの一部をかたちづくる‥という印象にとどまる。


 オーケストラ/ビッグバンドは先に述べたように苦手意識があるからさて措くとしても、WheelerとWinstoneのように、トランペットとヴォイスの絡みについてはどうだろうか。真っ先に思い浮かぶのは、Robert Wyatt『Rock Bottom』に収められた「Little Red Riding Hood Hit the Road」(*1)におけるMongezi Fezaのトランペットの、外で遊ぶ子どもたちの歓声が乱反射したような瑞々しさと壊れやすさであり、続いてはJulie Tippetts『Sunset Glow』の表題曲(*2)や「Mind of a Child」(*3)等における、Marc Charigの垂れ込めた曇り空をゆっくりとかき混ぜていくような動きだろうか。いずれも突き抜けず、澄み渡らず、声が脱ぎ捨てられずにいる身体の重さを置き去りにして幾何学世界の抽象性へと飛翔してしまうことがない、「煮え切らない優しさ」が私には好ましい。それはJim O'Rourkeがこよなく愛するMark Hollisの伝説的なソロ・アルバムの2曲目『Watershed』(*4)において、闇に沁み込むように消え入る声に置き去りにされ、周囲のざわめきに肌を総毛立たせ震えている身体を、暖かく包み込み抱きとめるHenry Lowtherの落ち着いた息の流れ(おぼろに崩れ気配と化して、痕跡すら残さずに霧散霧消してしまう木管群と比べてみること)にも通じているように感じられる。

*1 https://www.youtube.com/watch?v=a2TUb51oukc
*2 https://www.youtube.com/watch?v=i9752fyJBxU&list=PLE5117B2F6A580913&index=2
*3 https://www.youtube.com/watch?v=i9viNcsvNR4&index=3&list=PLE5117B2F6A580913
*4 https://www.youtube.com/watch?v=Uw0rzonn8qA

 結局のところ、私の最も聴き親しんだWheelerとは、Spontaneous Music Ensemble『Karyobin』で繰り広げられるグループ・インプロヴィゼーション(*5)において、John Stevensがシンバルとスネアがばらばらな物音として散乱させ、Dave Hollandのベースが遠くを通り過ぎる中、身体の重さや息の温もりを全く感じさせない抽象的なフレーズの断片を、Evan Parkerと共にちぎれ雲の如くに浮遊飛翔させる彼なのだろうか。Wheelerのどこまでも端正で乱れることのない息遣いと瞬間的な流動化能力は、マイルス五重奏団の響きだけを取り出して極限まで抽象化し、さらに滅菌処理まで施したようなスーパー・クールな幾何学的構築に大きく貢献している。もちろん、エレクトリックな変形能力を駆使して、不定形な音色の斑紋をそこかしこに浮かべることにより、抽象的な断片を自在に結びつけあるいは切り離すDerek Baileyのメディウムとしての働きを無視する訳にはいかないが。

*5 https://www.youtube.com/watch?v=DMqq5YTC1Uk

 ‥とここまで書いてきて、ふとLuis Moholo Octet『Spirits Rejoice !』のことを思い出す。果たしてWheelerはそこにいた。とりわけ亡きMongezi Fezaの作曲作品「You ain't gonna know me 'cos you think you know me」(*6) のFezaの思い出へと捧げられた演奏で、アフリカ的なバネの効いたリズムに乗り、Nick EvansとRadu Malfattiという何とも豪華なブラス・セクション共に吹き鳴らす彼には、まるでFezaの魂が憑依したかのようにあからさまなまでに喜びと哀しみに満ちており、いつもと異なる想いが感じられるように思う。繰り返し繰り返し螺旋を巡りながら次第に高揚していくアンサンブルは、様々な感情を内包したまま、一切を捨象することなく混濁したままに昇り詰めていく。最後の繰り返しの後、感極まって吹き鳴らされる口笛にも似たハイ・ノートに、彼のまた別の一面を見る思いがする。

*6 https://www.youtube.com/watch?v=CJlP7nX_qtY

 晩年にはRoyal Academy of Music(RAM)にも関わっていたようだから、さぞストレスも多かったのだろう。ちなみにRAMで今年4月まで開催されていたKenny Wheeler展のタイトルは『Master of Melancholy Chaos』だという。あんまりではないかと思いつつ、Caroline Forbesの撮影したポートレイトを眺めると、なるほどデューラーの版画に出てくる土星生まれの胆汁質のような顔をしている。しかし、だからこそ、浮き世のしがらみから解き放たれたいま、こうした喜悦に満ちた音を吹き鳴らしてほしいと、そう願わずにはいられない。この願いをもって、彼への追悼の意に代えることとしたい。Kenneth Vincent John Wheeler(14 Jan.1930 - 18 Sep.2014)安らかに眠れ、喜びあふれる騒々しさとともに。
Kenny肖像


音楽情報 | 22:58:38 | トラックバック(0) | コメント(0)
ディスク・ユニオンの宝箱の回帰  Return of Treasure Chest at "disk union"
 ディスク・ユニオンの棚やエサ箱が「宝箱」に感じられた時代があった。
 80年代前半、まだ音楽を聴き始めたばかりの頃、雑誌『フールズ・メイト』で仕入れた知識だけを携えて、プログレ・コーナーを中心にレコード店をチェックしていた頃、次第にフリー・インプロヴィゼーションやフリー・ジャズにも興味が広がり出し、清水俊彦や植草甚一の文章、あるいはフィリップ・カルルとジャン=ルイ・コモリによる『ジャズ・フリー』巻末の人名辞典等を頼りに、ディスク・ユニオンの「フリー・ジャズ」コーナーを漁るようになっていった。当時を知らない方には信じられないかもしれないが、その頃のディスク・ユニオンにはIncus,Ogun,FMP,ICP,BVhaast,Bead,Hat ART等はもちろんのこと、Metalangage,Parachute,Trans Museq,Music Gallery Editions,Quartz,HORO等の新譜が入荷していた。これはほんの一例に過ぎないが、当時の私は次のような作品をプレミアの付いた中古盤ではなく、新譜で(時にはバーゲン価格で)入手している。

 Francois Tusques / Piano Prepare (La Chant Du Monde)
 Sonde / En Concert (Music Gallery Editions)
 Tamia / Tamia (T Records)
 Tamia / Senza Tempo (T Records)
 LaDonna Smith,Davey Williams,Theodre Bowen / Folk Music (Trans Museq)
 LaDonna Smith,Davey Williams,Anne LeBaron / Jewels (Trans Museq)
 Musica Elettronica Viva / United Patchwork (HORO)
 Bennink,Megelberg,Rutherford,Schiano / A European Proposal (HORO)

 
   

  


 どれも最近はレアになっているようだが、新譜で入手した当時の私にはそうした有り難みがわかろうはずもなく(現在と違って情報もなかったし)、今となっては甚だ後悔しているのだが、よくわからないままに手放してしまったものも少なくない。
 逆に言うと、そうして手放してしまったものが今度は中古盤となって還流してくるわけで、特に「フリー・ジャズ中古」のコーナーはとんでもない「無法地帯」と化していた。おそらくはノイズ・ミュージック以降に確立される「ノイズ・アヴァンギャルド」という札付け(が適切かどうかはもちろん別として)がまだなかった当時は、60~70年代の残滓である「訳のわからないもの」はみんな「フリー・ジャズ中古」へと不法投棄されていたのである。だからセシル・テイラーやアルバート・アイラーといった由緒正しきフリー・ジャズに混じって、所謂フリー・インプロヴィゼーションはもちろん、新ウィーン楽派やストラヴィンスキー以外の現代音楽のほか、音響彫刻、環境音、演劇、あるいはどこにも紹介されていないヨーロッパのマイナーなグループ等が並んでいた。
 そうした中から私はカールハインツ・シュットックハウゼン、ルチアーノ・ベリオ、ヴィンコ・グロボカール、Nova Musichaシリーズ(Cramps)等を集め、ラモンテ・ヤングを入手し、鈴木昭男を知り、Living TheaterやWelfare Stateの音を耳にし、シンセサイザーを演奏するPaul Bleyに驚かされた。そのほかにも見知らぬ音盤をジャケットにクレジット楽器編成等を頼りに(要はピアノ・トリオやワン・ホーン・クワルテットとは異なる、ストレート・アヘッドではあり得ない怪しげな編成)掘り起こしていった。
 未知の作品をいろいろ教えてもらったという点では池袋アール・ヴィヴァンの存在も大きいのだが、スタッフに相談したり試聴もできる代わりに中古盤は扱っていなかったアール・ヴィヴァンに対し、ディスク・ユニオンの中古盤コーナーには、自分の勘だけを頼りに勝負するスリリングな楽しみがあった。プレミアなど付こうはずもなかったので(何しろ店員もそれが何かわからずに、単に「規格外」と判断してそこに放り込んでいるわけだから)、値段も安かったことがそうしたギャンブルを可能にしてくれていた。

 そうした中から自分なりに「発掘」した代表格として、ここでは二つのグループを簡単に紹介しておこう。
 まずはBBFC (Bovard,Bourquin,Francioli,Clerc)。このスイス出身のトロンボーンとサックスの2管クワルテットは、何より骨太な構築を得意としている。弓弾きを自在に駆使して空間を切り裂きまた綴じ合わせるLeon Francioliの荒々しい雄弁さとOlivier Clercの野太い打撃が切り結び、Jean-Francois BovardとDaniel Bourquinの重心を低く構えた重量感溢れる咆哮がのしかかる。

 


 次いではReform Art Unit及びThree Motions。ウィーンを活動拠点とする不定形のユニットである彼らの核はFritz Novotny(reeds,perc)とMuhammad Malli(dr,perc)の二人。19701年代初めに録音した『Vienna Jazz Avangarde』はもともとESPレーベルからリリースされる予定だったというから、彼の地のフリーの草分けと言っていいだろう。掲げたジャケットのイメージ通りの硬い鉛筆による繊細極まりない細い線の、腺病質で神経症的な震えが寄り集まり編み合わされて、精緻な起伏と明暗の移り変わりを生み出していく。

 


 新譜レヴューは定期的に掲載するが、旧譜についてはあまり採りあげないのは、よくある「廃盤自慢」に陥りたくないからだ。それに妙に好事家の物欲を刺激すると、自分が入手しにくくなるだけだし(笑)。にもかかわらず、こんな話を始めたのは、最近久しくお目にかかることのなかった、この二つのグループの盤をディスク・ユニオンの中古盤コーナーで見かけたからだ。特にBBFC関係については『Montreux 18 julillet 1987』、『Live』、『Cherchez L'Erreur』、『Musique』など未入手の盤も多数あり、早速購入させていただいた。かつてと違い、インターネットでいくらでも情報が入手できるわけだが、プレミアなしの良心的価格だったことを付け加えておこう。
 私が覗いたのは新宿とお茶の水だが、最近、新譜売り場では縮小を続け冷遇されてきたフリー関係が、こと中古盤に関しては盛り上がりを見せているように感じる。CDについてUS買付盤が大量に入荷しているが、アナログがさらに充実している。お茶の水Jazz TokyoではHorace Tapscott with the Pan-African Peoples Arkestra『Live at I.U.C.C.』を、新宿中古センターでは、John Cage「Variation �鵺」収録の米コロンビア盤やPhilip Corner『Piano Work』を、新宿ジャズ館のフリー・ジャズ中古盤セールでは、残り物の中に何と奇才/鬼才Jerome Savary率いるカーニヴァル劇団Le Grand Magic Circus『Les Derniers Jours De Solitude De Robinson Crusoe』を発見。新宿本店6階のオルタナティヴ売り場では、Le Bal De La Contemporaine(Sylvain Kassap,Francois Mechali,Gerard Siracusa,Pablo Cueco等参加の街頭練り歩き的ラテン・バンド)こそいささか値が張ったものの、Harry Partch『Harry Partch』(有名ブートレグ)や『Feldman・Brown』(Mainstream)を割安で入手。さらにはChantal Grimm『Variations En Femmes Majeures』、Les Soeurs Goadec『A Bobino』(La Chant Du Monde)、Chichomeia『Rogaton De Bleu』(Revolm)等の未知の盤を勘に頼って選び出した。ジャケットの説明からLes Soeurs Goadecはブルターニュ、Chichomeiaはオクシタンのそれぞれトラッド演奏であることは知れたが、むしろレーベルの耳を信じての買い物。こうした「掘り出し物」を見つける冒険ができるのは久しぶり。ここまでのラインナップから明らかなように、フリーはフリー、現代音楽は現代音楽ときちんと分割/区分されてしまうのではなく、開けてみるまでは何が潜んでいるかわからない、国境無視の治外法権状態が戻りつつある。最近は「ネットの情報」に必ず先回りされているわけで、「担当者も中身を知らないくせに、こんな高値付けやがって」(失礼)的な失望が多かっただけにうれしい限り。「ユニオンの宝箱が戻ってきた!」とばかりに感激。今後もこうした勇気あるチャレンジを続けてくれることを期待かつ要望したい。

   

  

  

  


 最後の最後でようやく今回のタイトルにたどり着くことができました。前置きの思い出話が長過ぎたかな。ちなみに後で調べたら、Chantal Grimmは大里俊晴が『マイナー音楽のために』で、相変わらずのぼやき口調ながらしっかり言及していました。さすがですね。脱帽。
 ちなみに、いま日本語でこの辺に詳しいサイトとして、新潟にある日本の至宝と言うべきレコード店「SHE Ye,Ye」のページ(※)があります。大里俊晴のレコード棚が引っ越して、彼亡き後も自ら増殖を続けているかのような品揃えは、お店というよりもう立派な文化アルシーヴであります。基本的に1枚ずつの入荷なのですぐ売り切れちゃうんだけど、試聴ファイルはそのまま残されているので、数々のお宝盤に触れることができて、ものすご~く勉強になります。いや~耳福耳福。
※http://www.sheyeye.com



音楽情報 | 13:11:02 | トラックバック(0) | コメント(0)
ケヴィン・エアーズ(1944〜2013)追悼  Kevin Ayers(1944−2013) RIP


 2月18日にケヴィン・エアーズが亡くなったことを遅ればせながら知った。68歳だった。ここでは彼の作品に関する思い出を語ることで哀悼の意を表したい。


 私は彼のよい聴き手ではなかった。最後の作品となった『Unfairground』も聴いていないし。それでも初期の作品やBBC等のライヴ音源には何度となく耳を傾けた覚えがある。

 彼独特のノンシャランな洒脱さとノンセンスなヒューモア感覚は極めて英国的なものだが、だからといって英国に彼のようなミュージシャンが何人もいるわけではない。「オリジナル」ソフト・マシーンの盟友であるデヴィッド・アレンやロバート・ワイアットも、幾つも共通する資質を持ちながら、ケヴィンに似ているとは到底言えない。さっさとイビサ島に隠遁を決め込んだり、『スウィート・デシーヴァー』を制作してキング・クリムゾン「グレート・デシーヴァー」をやんわりと(だが核心をとらえて)揶揄したり、バナナで作った駒で大真面目にチェスを指したりする「優雅なだらしなさ」と言うべきエピキュリアンぶりは、おそらく誰にも真似できない。そのしどけなく長椅子に横たわるような脱力した歌い方も、そしてぞくっとするようなセクシャルな深みをたたえた声音も。

 彼の音楽を初めて聴いたのは、たぶん80年代初めに池袋西武アール・ヴィヴァンで購入した『ジョイ・オヴ・ア・トイ』と『シューティング・アット・ザ・ムーン』を併せて収めた2枚組LP(ジャケットを差し替えての再発盤)だったと思う。スズの兵隊やテディ・ベアのぬいぐるみが渾然一体行進しているような幕開けから一気に引き込まれた。にもかかわらず、その後すぐに彼の作品の収集に走らなかったのは、当時手に入りにくかったという理由からだけではなく、キング・クリムゾンやヘンリー・カウ、シェーンベルクやヴェーベルン、デレク・ベイリーやエヴァン・パーカーらの張り詰めたテンションの高さに耳の焦点を合わせていた当時、彼の底抜けに明るい楽天性に耳を浸すことに何となく後ろめたさを感じていたからかもしれない。

 それから随分たって彼の作品のCD再発が進んでからは、以前に本ブログに追悼記事を掲載したロル・コックスヒルの参加に着目して、ライヴの音源を幾つか手に入れたりした。ステージ上でコミカルな寸劇が繰り広げられたりして、なかなか一筋縄では行かない、凝った、そして「モンティ・パイソン」的に何でもありの脱線だらけの構成となっている。ロル・コックスヒル、デヴィッド・ベッドフォード、マイク・オールドフィールドが顔を揃えた「ホール・ワールド」は、ロックとかジャズとかポップスといった既成の枠組みにとらわれることなく音楽を溢れ出させる、本当にクリエイティヴなすごいバンドだったんだなと改めて思わずにはいられない。

 そんなわけで私が選ぶ彼の代表作5枚は、結局のところ初期作品+ライヴということになってしまい、すでに彼を知っているファンには何ら目新しい点のない、まったく代わり映えのしないものなのだが、それでも一応挙げておこう。ジャケット・デザインの不思議ぶりを見ているだけでも楽しい。
  
     Joy of a Toy         Shooting at the Moon     Whatevershebringswesing

  
The Confession of Dr.Dream BBC Radio 1 Live in Concert 最初に手に入れた再発盤
and Other Stories  




音楽情報 | 17:15:47 | トラックバック(0) | コメント(0)
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