fc2ブログ
 
■プロフィール

福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

■最新記事
■最新コメント
■最新トラックバック

■月別アーカイブ
■カテゴリ
■リンク
■検索フォーム

■RSSリンクの表示
■リンク
■ブロとも申請フォーム
■QRコード

QR

潜在的次元の目覚め ———— 小林七生個展「眠るソラ / COMA SPACE」レヴュー Awakening of Potential Dimensions ———— Review of Nanao Kobayashi’s Exhibition “Nemuru Sora / COMA SPACE”
1 誉田屋源兵衛・黒蔵まで
 2023年11月20日。渋谷アップリンクでの東京公演から続けて追いかけた2019年5月のSublime Frequencies Night@UrBANGUILD以来だから四年半ぶりの京都。その空隙にはコロナ禍による三年間の「断層」、母の死、私の退職と大きな変化/断絶が詰まっている。
 市内を南北・東西に縦横断する二本の地下鉄、烏丸線と東西線の交点である烏丸御池駅から少し(南に)下がったところに目指す会場はあった。江戸中期創業の「帯匠」誉田屋源兵衛。大正時代に建てられたという町家に入ると、保存施設ではなく、今も現役で使用されていることがわかる。その一方で、上がることはできないものの、そこここの戸が開け放たれ、座敷やその向こうの庭の様子を垣間見ることができる。京町家ならではの細長い「走り庭」(水屋等がある)を抜けると、お目当ての「黒蔵」が見えてくる。その名の通り、よくある白壁造りではない(この理由は後ほど明らかになる)。脇の厠からちょうど出てきたご当主、十代目誉田屋源兵衛氏とすれ違う(店のHPでお顔は拝見していた)。やはり只者ではない存在感。
 
 写真:福島恵一                  写真提供:小林七生

2 一階手前
 会場へは靴を脱いで上がる。折り返すと、円形の紋章にも似た作品が出迎えてくれる。マンホールの蓋程度の大きさ。円形の輪郭の内部が、中心から放射状に伸びる線、円や円弧、正三角形や正方形によって仕切られ、それぞれの区画に異なる「刺繍」による造形が施されている。「刺繍」とカギカッコを付したのは、通常の平面的な描画ではなく、幾つものビーズが「植えられた」ジオラマを思わせる造形であったり、質感の異なる他の生地が用いられていたりと、多様な施しが為されているからである。シャープな構成にもかかわらず、感触が柔らかく優しいのは地がファブリックだからだろうか。こうして近づいて細部が見えてくると、「紋章」との第一印象があっさり崩壊して、むしろシンボリックに描かれた地図や都市計画図、あるいはジオラマに似たその立体模型のように感じられる。クロード・ニコラ・ルドゥーによる「アル=ケ=スナン王立正塩所(製塩都市)」に感触が少し似ているのではないだろうか。
 その奥に他の作品が並べられている。壁には黒い布が張り巡らされ、照明は落とされているが、閉ざされた空間にもかかわらず閉塞感・圧迫感は感じられない。厳つさもまた。思った以上に中が広く、また背の高い展示がないからだろうか。落ち着いた居心地のよさ。微かに漂うお香の匂い。不動前にある即興演奏のためのライヴ・スペースPermianで何度も顔を会わせた小林本人が出迎えてくれ、贅沢なことに作品を説明してくれた。
 続く作品群は、自然石の表面に「刺繍」が施されたもの。石の表面に植えられた一群のビーズは、広がる苔や地衣類がまとう露のきらめき、凍てつく夜に育まれた霜柱、成長した鉱物結晶を思わせる。一様な平面だった「刺繍」の支持体が、自然の造形による不規則な平面(多様な起伏や陥没)へと変貌を遂げたのだとばかり思っていたら、小林の説明により、「刺繍」が平坦な一層だけではなく、独自の厚み/ヴォリュームを獲得しているのだと知り驚く。ここで「刺繍」は、自己増殖により石の表面を覆うだけでなく、石に「あるべき形」を与えることまでしているのだ。もし仮に最初に「付着」した石が小さくとも、その表面を覆い尽くせば増殖の停止を余儀なくされるのではなく、自ら新たな「表面」をつくりだし、限りなく増殖を続けることができるのだ。マイケル・クライトン原作のSF映画『アンドロメダ病原体』で、落下した人工衛星のサンプル採取用ネットに未知のウイルスを発見するシーン、何秒かに一回、発光し震えながら分裂増殖していくシーンをふと思い浮かべた。

 写真:Junpei Onodera / Asohgi【Xより転載】

3 一階 円形小広場
 「刺繍」を施された「石」が点在する向こうは明るくなっている。白壁に囲まれた吹き抜けの円形小広場のようになっていて、中央に太い石の柱がそびえ、そこに上から「ネット」が掛かっている。近づいて見上げると、網の目は一様ではなく、かといって無秩序でもなく、数多くの大きさの異なる正多角形が結びついたような形をして、空間を満たす暖かく柔らかな光に輝き、また壁や床に繊細な影を落としている。透明だったり光を反射する部分があるため、視点によって「見え」が変わり、均質な像を結ばない。本節の冒頭に「ネット」と記したが、実際には一目でそれと判明するわけではなく、離れての「見え」と近寄っての観察を統合して得られる結論でしかない。そうした統合による結論を目指さず、ただ率直に感覚的な印象を述べるならば、輪郭や遠近が定かでなく、不均質な濃淡の分布と感じられる点で、むしろ「雲」に近いかもしれない。
 小林の説明によれば、これもまた「刺繍」で、幾つかの長さの異なる管の形状をしたガラスビーズと同様に細いアルミのチューブを、中に糸を通して結び合わせたものだという。空間の広さを思えば気の遠くなるような作業だが、どのように進められたのだろうか。
 尋ねると、やはり全体の完成イメージや設計図が先にあるわけではなく、まずは細部を次々に増殖させていくのだという。とすれば、まずはある一片のガラスビーズあるいはアルミチューブを選び、それに糸を通していくのだろうから、結節点(交点)の配置よりも、線の折れ曲がりながら伸びていく動きこそが制作の推進力なのだろう。それが随所で分岐して広がり、また寄り集まって面を織り成していく。ネットワークというよりメッシュワーク(ティム・インゴルド)。
 この空間のために制作したので、さすがに部屋の寸法は測ったけれども、実際に作品を掛けてみたら思っていた以上に重さで垂れ下がる形になったと彼女は話していた。作品全体のかたちづくる曲面のみならず、各部の「網目」の形状も、重力と張力の釣り合いがこの場で即興的に生み出したものなのだ。ここで「刺繍」はいよいよ支持体を離れ、自由な空間へと身を踊らせるに至っている。

4 二階
 急で狭い階段を二階へと上る。新書版程度の大きさの作品が三つ。いずれも浮き彫りを施した灰色の石板を思わせる形状をしているが、細部がそれぞれ異なる。中心部で光が瞬いているのに気づき。覗き込むと白い光の小さな環が回転しながら、黄や赤へと色合いを変化させ、それに伴って明るさや光の滲み具合、環の形状等が微妙に変化していく。小林の説明によれば、管を回転させながら、それを通して太陽を撮影した映像(動画)を、作品の中に仕込んだ極小のモニターで再生しているのだと。確かにLEDを仕込んだのでは、こうした魅惑的な微妙さは得られないだろう。ちなみに再生される映像は、三つともそれぞれ異なるという。生命の源である太陽の「かけら」を封じ込めた魔法の石。そういえばジャングルの中にポツンと残されたマヤ遺跡の神殿の石組みのうちに、ちょうどこの「石板」を嵌め込む空隙が設えられていそうだ。呪力を秘めた神具、あるいは古代遺跡から出土したオーパーツの印象。
 もうひとつ横長のガラスケースがあり、中には金属的な光沢を放つ帯が収められていた。誉田屋源兵衛でかつて制作されたものであり、糸状のプラチナが織り込まれているという。その端に古代の天文図形を思わせる文様が、ごく細い糸で刺繍されている。「始原」を内包した作品と、実際に長い変容の時を経て、いままた新たな細工を施されて時間を積層した作品がしめやかな対を成している。

 写真:Junpei Onodera / Asohgi【Xより転載】

5 二階 回廊
 部屋を出ると、ちょうど例の円形小広場の上、壁沿いに設えられた回廊に脚を踏み入れることになる。先ほどは一階から見上げたネットを、今度は見下ろしている。二階からの方が離れているため、ネットのほぼ全容を一度に視界に収められる。本体は至るところで光を反射して、必ずしも輪郭や細部の描き出す文様を明らかにしないのだが、床に映る影が壁を伝って二階の壁にまで続き、ひとつながりの線画を描き上げている(上向きの照明も設置されているのだろう)。光の向きや壁までの距離により、形に歪みやブレが生じているだろうが。ふと振り向いて、今までいた部屋の外壁が、白壁造りの蔵の外壁の形状をそのまま残していることに気づく。何と、既存の蔵を被うように建物が築かれ、さらにそれに隣接するようにこの円筒状の空間が新たに建設されて、蔵の内部空間とつなげられているのだ。何と言う綺想。中央の太い石柱は二階よりさらに上まで伸びていて、階下から眺めるよりもさらに巨大さを明らかにしており、この空間全体を壁や回廊ごと回転させるための軸(シャフト)のように思えてくる。もしそうであれば、中空に張られたネットは、回転体の上層と下層の間の界面にほかなるまい。水と油を入れたガラス瓶を激しく振ってしばらく置いておくと、少しずつ濁りが晴れ、上層の油と下層の水に分かれる。それは決して滑らかな単一の平面ではなく、まだ分離しきらない水や油の粒が残り、細かな泡立ちやそれらが溶け合いながら、なお輪郭を保った大小さまざまな区画の線が現れる。このネットはそのような存在かもしれない。二次元の平面/曲面へと収斂しきれず、ミクロな剰余次元をはらんだ二.〇X次元(それは先ほどの「雲」の印象とも合致する)。
 小林も、この空間を見て、回転/旋回のイメージを持ったという。建造物や作品はさすがに動かせないとしても、光源(たとえば懐中電灯)を移動させて、この「ネット/雲」の壁面や柱、あるいは床に映る影を回転させることは可能かもしれない。そんな話を彼女にすると、実は会期中にこれまで二度、このスペース(一階)でサウンド・パフォーマンスをしているのだと教えてくれた(彼女は優れたドラム/パーカッション奏者でもある)。ドラム・セットを持ち込むのはさすがに大変なので、スネアとシンバルだけにして‥‥と。この空間は確かに音でも光でも放ってみたくなるに違いない。


 写真:福島恵一

6 三階
 回廊に開いた狭い入り口から細い螺旋階段を上る。急な上に長くいつまでも続く。眼が回りそうになってようやく三階にたどり着く。今までで一番暗い。壁は黒布で覆われており、天井は円天ドームのようだ。みんな、中央に吊り下げられた「作品」を見つめている。床に座って見上げている者もいる。
 個展の告知フライヤーに載せられた写真がこの「作品」なのだが、まるで煙か靄のようにしか見えない。この空間ではもっとはっきりと見えるが、それでもそれが何であるかはよくわからない。花や果実の「房」(たとえばブドウの房)のような形に見えるが、それも安定した形であるのか、吊り下げられた結果としてのバランスの様態なのかわからない。天井中央部の小さな丸い穴から光が射し込み(自然光だという)、「作品」を真上から照らしている。光柱の直径は「作品」より少し小さいように思われ、「作品」の輪郭を際立たせず、むしろ内側からぼんやりと発光させている。小林の説明によれば、これもまた「刺繍」で、細いワイヤーやビーズを用いて、中心の核の部分から少しずつ外側に広げるようにして(いったんかたちづくってしってから、その内部へと後戻りすることはできない)、「立体」をかたちづくっていったのだという。カゴのような構造なのだろうか。中には隕石のかけらも入っているという(ここでも始原が内包されているわけだ)。
 そうした説明を聞いてもなお、この「作品」の制作過程やできあがった構造が明確にイメージできたわけではない。だが、円形小広場に掛けられた「ネット/雲」とのつながりはおぼろげに理解できた。「ネット/雲」においては、ガラスビーズやアルミチューブの長さによって直線的に規定されていた「辺」が、ここではよりミクロで軽やかなワイヤーの戯れに置き換わり、きらめくビーズはその途中に挿しはさまれ、花のように咲き、果実のように実っているのだと(少し近寄って一部分を注視すると、胞子嚢を付けたカビの顕微鏡写真のようにも見える)。その意味で「ネット/雲」を折り畳み巻き込んだものが、この「作品」だととらえてもよいのかもしれない。内部に無数の空隙を抱え、立体でありながら希薄である点で、こちらは三次元に少し欠ける二.九X次元だろうか。
 見とれているうちに、黒く覆われた周囲の壁から時折、光が射し込むのに気づく。小林の説明によれば、周囲を取り囲む壁にはぐるりと窓が配置されていて、それを閉めて黒布で塞ぎ、さらにその上に黒いメッシュを張り巡らしているのだという。そして少し風を通わせるために、一部の窓は少し開けてあるのだと。それゆえ時折、風でめくれて光が射し込むのだ。壁に近づいても、壁面の存在感がおぼろげな理由もこれでわかった。
 天井の中央部分にも実は大きな天窓が設けられているのだという。それを塞ぎ、小さな丸い穴だけを真上に残したのだと。陽射しの変化や雲の動きにつれ、射し込む光が変化し、「作品」の姿もゆるやかに移り変わる。今日は晴れていて雲が高いので、光の移り変わりが速いようだとも。そう言われて凝視すると、少し時間を掛けて変化する以外に、一瞬、雲がかかるのか、さっと色合いが変わる瞬間がある。今の時期は日暮れが早いので、展示の終了する午後五時頃になると、「作品」はほとんど見えなくなってしまうという。光が消え、「作品」の姿がふっと見えなくなってしまうと、もうそこにあったことすらわからなくなってしまうと。そうしている間にも光が移り変わり、ちょっと首を傾げるだけで、「作品」を吊り下げている細いワイヤーのうちの何本かがたちまち消え失せる。
 この「作品」を真上から自然光を取り込める空間にぜひ展示したくて場所を探していた時に、この黒蔵の三階のスペースを知って、もうたまらずに「作品」の写真を持って、ご当主に直接お願いに行ったのだという。ちなみに彼女は東京の出身で、京都に地縁があるわけではない。あの只者ではないご当主も、彼女の気迫にさぞ驚いたことだろう。ほとんど貸し出しを行っていないという、このスペースの使用が許可された。「この三階のスペースは、ちょうどさっきの円筒状のスペースの真上にあるんですよ」と語った彼女の声には依然として熱がこもっていた。あの「ネット/雲」の真上に、この「作品」が浮かび、さらにその真上から太陽光が射しているという配置の妙は、ピラミッドの玄室や春分/秋分の正午の太陽に合わせた光路の設計を思わせる。既存の空間の特性を使い尽くした展示に驚かされた。
 そんな話を聞いてふと思い立ち、「作品」のギリギリまで顔を近づけて内部を覗き込んでみる。「作品」の横幅は両眼の感覚よりも広いので、輪郭は視界の外に出てしまう。すると暖色の光の中に分子模型のような形が視界いっぱい無数に浮かんでいて、奥行きがあるのか、立体なのか平面なのかもさっぱり不明であるにもかかわらず、「作品」の内部へと入り込み、それらに取り巻かれ浮かんでいるように感じられた。雪の日に、床面までガラス窓になっている建物の二階(以上)から見下ろすと、風にあおられて吹き上がってくる雪片があるために、身体が宙に浮いているように感じられる。そうした「無重力感覚」がここでも感じられた。たとえば油滴天目茶碗がそうであるように、この「作品」もまた一つの世界/宇宙を確かに内包している。
 ※註
 個展会場には作品名が表示されていないため、ここでは「作品」とだけ呼んでいるが、小林本人から、三階に展示されていたのは2021年に制作した「TAMA」と題する作品であると教えられた。小林のウェブページに掲載されている「雲」とは別作品であるとのこと。しかし「TAMA」とは何だろう。私は柳田国男「ある神秘的な暗示」を思い浮かべながら、「珠=魂」ではないかと推測する。

 写真:福島恵一  ※「TAMA」の細部


 写真提供:小林七生  ※会場における展示状態で撮影されたもの

7 再び一階へ
 階段を降りて一階に戻る。めくるめく素晴らしい体験に意識がほてっている。導入部にある「紋章」についても彼女は説明してくれた。やはり旋回/回転のイメージがここにも潜在しているのだという。円や円弧による点対称のイメージと、正三角形や正方形による線対称のイメージが重ね合わされているのは、安定した回転ではなく、回転する中で変貌していく運動のモチーフが現れているのだろう。藍色の線が入った部分は、藍を栽培して染料を取り、糸を染めるところからやって織り上げたと。またビーズの粒立ちは、ドラムの演奏感覚に通じるところがあると話してくれた。これはまったくその通りで、彼女の「非力さ」を逆手に取ってむしろ武器として磨き上げた彼女のドラム奏法は、ドラムを思いっきり振動させて派手に鳴り響かせる鈍重さとは無縁に、余韻を切り詰め、乾いた音の粒を散乱させながら、打面を鮮やかに駆け抜けていく。叩かれたドラムは遠い異国の民族楽器のように硬く張り詰めた音をたてる。それはまさにビーズの輝きに似ているだろう。
 また旋回/回転とは必ずしも同一平面上に限られるわけではなく、下から沸き上がってくる場合もあるだろうという。増殖する「刺繍」の成長が止まって固定化/作品化するのではなく、不断に更新を続けるプロセスの、ある時点での断面として作品があるというわけだ。そうした潜在的な成長性のイメージは、確かに随所に感じられた。この「紋章」に対する最初の感想の中で、都市計画模型とかジオラマと言っている部分が、これに当たるだろう。
 「だから、この作品(勝手に「紋章」と呼んでいる作品のこと)は、下地となる生地があって、その上に刺繍しているのだけれど、実はこれは平面ではなく、球を半分に切った断面が見えていて、球の残りの半分は向こう側に隠れている。だから布を掛けて、後ろに何があるか見えないようにしているんだ」と彼女は悪戯っぽく語った。ここから始まった旅路は、太い石柱に貫かれた円筒状の空間と「ネット/雲」、その上空に浮かぶ「宇宙を内包する房」とその真上から射し込む太陽光という垂直の重ね合わせの中で、予想外の完結を迎えたかと思っていたが、入り口に掲げられたこの球が回転しながら不断に更新を続ける「地図」の中に、すべての道のりはあらかじめ描き込まれていたのかもしれなかった。
 黒蔵を出て振り返り見上げると、ぐるりと窓を巡らせた高い塔の稜線と手前の棟の軒先が、青空を鋭く切り取っていた。

 写真:福島恵一

8 眠るソラ / COMA SPACE
 今回の個展のタイトルについて考えてみたい。
 気になるのは英語副題の中の「COMA」の一語だ。「COMA」とは医学用語で「昏睡」、怪我や病気で意識を失っている状態、あるいはそれに準じる深い眠りを指す。調べると、(感謝祭のディナーで七面鳥を食べ過ぎて)食事の後でうとうとと眠くなることを「food coma」と言うようだが、これに類似した用法が頻繁にあるわけではなさそうだ。確かに今回の展示スペースはとても居心地がよいし、作品自体も攻撃的・刺激的・暴力的ではなく、またうるさく何かを主張するものでもない。しかし、だからといって決して眠りを誘うものではない。それにしても、なぜ「COMA」という極めて意味の強い特異な語が招喚されたのだろうか。
 この問いに対する個人的な回答として、眠るソラ=COMA SPACEとは、作品が自ら増殖/回転/更新を続けることにより、やがて現働化する潜在的な(隠された)次元、まだ展開しない(折り畳まれたままの)メタ世界(※)のことだと考えてみたい。
 ※ここで私は、中井久夫が「世界における索引と徴候」(『徴候・記憶・外傷』みすず書房 所収)で、徴候や索引が一つの世界に等しいもの(=メタ世界)を開くと述べたことを思い浮かべている。その例として挙げられているのは、たとえばプルースト『失われた時を求めて』の紅茶に浸したマドレーヌ菓子の場面である。
 その理由として、レヴュー文中に示したように、展示されている作品群が、ことごとく現時点では形にならず、眼にも見えない可能性を内包しており、しかもそれだけに終わらず、「刺繍」という手法を貫きながら、その様相や支持体との関係性を次のように段階的に発展させていることが挙げられる。
「眠るソラ」表色付き
*1 直接の支持体はないが、実際に空間に掛けられた際には、重力と張力のバランスによりさまざまな形状を取り得る。
*2 形状はほぼ変化しないが、真上から射し込む自然光の時間変化により「見え」がさまざまに変容し、消滅に至る。

 一方、時間のテーマについては、やはりレヴュー文中に示したように、主として二階に展示された作品群により提起されていた。ちらつく太陽の映像(生命の源=始原)をビルドインしたオーパーツめいた作品と、過去に作成され経年変化により歴史を刻印された帯にさらに新たに刺繍を施し、時を積層してみせた作品である。このテーマは三階に展示された作品に受け継がれ、「真上から射し込む自然光の時間変化による『見え』の(消滅にまで至る)変容」として現れている。さらにそれは一階手前に展示された作品から始まり展示全体を貫く底流と言うべき「自己増殖/回転/更新」のテーマ系と接続している。円筒形の空間におけるサウンド・パフォーマンスが、すでにそこに張り巡らされ描き込まれている関係性の網の目(折れ曲がる直線の繁茂)に対する音と光/影による「書き加え」であり、回転を具現化していること、さらには三階の展示がそれらと垂直に重なり合っていることを、いささか蛇足ながら付け加えておく。

 概念的な流れは今述べたようなものであるとして、それらが各作品において、どのように感覚的に具現化されているか見ておきたい。
 まず挙げられるのは、主要な素材であるビーズの「粒」としての形状である。それは単にミクロな「アトム」を象徴するだけでなく、地衣類の芽として、界面の泡膜として、あるいは顕微鏡の視界のうちに浮かぶ分子模型や雲を構成する水や氷の粒子として顕現している。それらがいずれも変容/成長する力を秘めた存在であることに注目しよう。特に円筒状の空間から三階へと貫く中心軸に合わせて垂直に重ねられた二つの「雲」は、「粒」を高速で運動・衝突させることにより、雨や雪、雹や霰、竜巻や雷さえ生じさせる能産的な存在である。
 さらに二つの「雲」は共に「ネット」としての性格を宿している。ここでどうしても「インドラの網(因陀羅網)」のことを思い浮かべずにはいられない。「インドラの網(因陀羅網)」とは、華厳経によればインドラ神(帝釈天)の宮殿にかかっている宝網で、網の結び目に一つひとつ宝珠が付いていて、それぞれが一つの世界を宿しており、それらが互いに限りなく姿を映し合っている‥‥というライプニッツの提唱した「モナド」にも似た世界観が語られている。何も「縁起(=関係性)」のネットワークについてシンボリックに語りたいわけではなくて、三階の暗がりに浮かんだ「雲」に近づいて中を覗き込んだ時、眼に映ったのはまさに互いが互いを映し合う果てしない広がりであったし、それを写真に撮ると自動的に焚かれるフラッシュライトのせいで真上から射し込む自然光の反映は消え失せ、モホリ—ナギによるフォトグラムのように白く感光した「インドラの網」状のもののごく一部が写っているだけである不可思議(さっき見えたものはいったい何だったのか)について書き記しておきたいだけなのだ。

9 自分を小さく希薄にする作業
 「刺繍」の各工程はどれも細かい作業の繰り返し・積み重ねだと小林は話してくれた。最終形を思い浮かべて、それに近づけようとして作っているのではないし、いちいち「こうしよう」と思って手を動かしているわけでもない。手指を動かしているうちに、だんだん頭が、自分が空っぽになってくる。指先が勝手にビーズやワイヤーと会話している。作業が進んでくると、自分が小さくなっていくのに対して作品はだんだんできあがってくるので、むしろつくりかけの作品の方が「意志」を持って作業を、作業する手指を導いていく。作業は自分の考えや知識、経験、想像を超えて進んでいく。それが面白い‥‥と。
 そうした制作作業の過程ですでに、潜在的な(隠された)次元、まだ展開しない(折り畳まれたままの)メタ世界が開かれていく。それは小林自身の中に潜在していた次元、折り畳まれていたメタ世界が引き出され、展開していくことでもあるだろう。彼女は繰り返される作業の中で小さく希薄になりながら、同時にそれを通じて更新されていくのだ。

 アルバート・アイラー論集『五十年後のアルバート・アイラー』(カンパニー社)に「録音/記録された声とヴァナキュラーのキルト」を執筆した時、親しみやすい単純なメロディー断片を接合したキメラ的なテーマを繰り返し力の限り吹き鳴らすアイラーの演奏を、(特に女性たちが)集団で作業するキルトづくりと重ね合わせた。パッチワーク、プリコラージュ、異なるパースペクティヴの共存、連帯の可視化、排除への抵抗等について述べているが、その核心はフリー・ブロウイングを続け、どこまでも自己を肥大させていく他のフリー・ジャズに対し、アイラーはコース・アウトするほどの勢いでテーマを繰り返しながら、音量や歪みの途方もない増大とは逆方向に、自分をどんどん小さく希薄にしていっていることだった。キルトづくりとアイラーのブロウは、その自分を小さく希薄にする「作業性」において重ね合わされるべきだったのだ。そのことに感づいていたはずなのに、率直に言語化できなかったことを口惜しく思う。と同時に、小林七生のアートワークをアイラー的な観点から眺められるのに気づいたことを嬉しく思わずにはいられない。


小林七生個展「眠るソラ / COMA SPACE」
 会場:誉田屋源兵衛・黒蔵
    京都府京都市中京区室町通三条下ル烏帽子屋町489
https://kondayagenbei.jp/
 会期:2023年10月27日(金)〜11月20日(月)
    ※11月28日(火)まで会期延長
時間:金~月→11:00~17:00
火~木→アポイント制(要予約/こちらよりお申し込みください。)
https://forms.gle/h56kQx5GhK1nmLpVA
入場無料
 
参考URL
  小林七生ウェブページ http://www.nanaokobayashi.com/

スポンサーサイト



アート | 10:27:36 | トラックバック(0) | コメント(0)
書棚の上のコリンダ@京都河原町丸太町  "Kolinda" on the top of bookshelf @ Kawara-machi Maruta-machi, Kyoto
 11月2日から4日まで京都に行っていた。もともとはKYOTO EXPERIMENT 2016 AUTUMNの一環として開催される池田亮司のコンサート『Ryoji Ikeda:concert pieces』(*1)及びインスタレーション『the rador [kyoto]』(*2)を観ることを目的に計画した旅だった。コンサートについては、何よりもformula [ver.2.3] / C⁴I / datamatics / matrixの4作品を、池田自身のお墨付きによるオーディオ・ヴィジュアル規格で体験できることに魅力を感じていた。すなわち、重低音から高周波に至る極端に幅広い周波数スペクトルを、ホールの巨大なPAから浴びる体験が、自宅のスピーカーでCDを聴くのとは異なる聴取を与えてくれるのではないかと。もちろんそれにさらに映像がプラスされた体験であることも。
 結論を言えば、そこに意外性に満ちた新たな発見はなかった。それは確かに高水準に突き詰められた構築であり、その尖った純度においても、噴出する暴力性においても、池田亮司以降に制作された凡百のエレクトロニック・ミュージックを簡単に蹴散らすものにほかならなかった。しかし、『+/-』をはじめとする作品群からすでに聴き取っていた認識を刷新するものではなかった。むしろ映像が加えられることによって、決して作品体験が深化するわけではないことの方が発見だったかもしれない。抽象的な文字/記号列のつくりだす、一見余剰を徹底的に削ぎ落としたウルトラ・クールな映像は、実のところ、音響の過剰をわかりやすく視覚のパターンにはめ込み、「図解/絵解き」してしまう。そこに限界を感じたのか、その後、映像はニュース映像等の断片のコラージュへと向かうのだが、こちらは少なくとも視覚レヴェルでは既視感を乗り越えられない。むしろ池田作品には似つかわしくない焦燥感や苛立ちばかりが画面から響いてくる。
*1 http://rohmtheatrekyoto.jp/program/4284/
*2 http://rohmtheatrekyoto.jp/program/4286/


 3日の15時から22時まで4つのコンサートを聴き、翌日はあらかじめ調べておいた幾つかの店舗を回った。いつも通販で利用しており、『松籟夜話』のフライヤー配布にもご協力をいただいている、魅力溢れる品揃えのレコード店Meditationsに挨拶にうかがう前に、午前10時から開いている近くの新刊書店「誠光社」(※)を訪れた。
※http://www.seikosha-books.com/

この「誠光社」は、英国『ガーディアン』紙が選ぶ世界の書店10選にも挙げられた京都の有名書店「恵文社 一乗寺店」で店長を務めた堀部篤史氏が独立し、新たに開かれた書店だ。作り付けの白木の書棚が並ぶレイアウトも素敵だが、やはり何と言っても選書が素晴らしい。「書棚を読む」楽しさを与えてくれる。書物を選び並べること自体が、知のネットワークを構築することであるのがよくわかる。これぞと狙いを定めた本を出版社に直接注文して取り寄せているのだろう。見かけたことのない本もたくさんある。未知の鉱脈が覗いている‥‥という感じ。

一通り書棚を回り(スペースはさほど広くないが、その分濃密で、一冊ごと書背に眼が止まってしまうので、意外と時間がかかる)、気になる本を3冊ほど抜いてレジへ向かおうとして、書棚の上にレコード・ジャケットが飾ってあるのに気が付く。へぇと見回すと、何とコリンダ(Kolinda)の第1作のジャケットが並べられているではないか(驚)。
以前にブログでも触れたことがあるが(※)、コリンダこそはマリコルヌ(Malicorne)の開いたトラッド・ミュージックへの扉を、さらに大きく開け放ったばかりか、その向こうからぐいっと腕を伸ばして、まだ何も知らなかった当時の私をトラッドの泥沼に引きずり込んだ張本人である。
※http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-114.html
http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-113.html

コリンダ1-1縮小 コリンダ1-2縮小
              表面                            裏面

 その世界では有名と言いながらも、何せフランスのトラッド専門のマイナー・レーベルHexagoneからリリースされたハンガリーの演奏グループの盤。そこら辺にごろごろ転がっているものではない。それがなぜここに‥‥と興味を惹かれた私は、レジでの精算時に店主に尋ねずにはいられなかった。その答は意外なものだった。
 「うちの店のお客さんにも人気のロベール・クートラスというフランスの画家がいて、彼の作品集も並べているんですが、この作品のジャケット・デザインがそのクートラスなんですよ」。「ええっ、クートラスって、あの小さなカードみたいなの描いてる、最近、日本で個展も開かれた‥‥」。「ええ、そうです。ご存知なんですか」。
 頭の中で一瞬火花が閃いた。ロベール・クートラス(Robert Coutelas)については、Facebook経由で個展の情報が流れてきて、その慎ましい、だが綺想に満ちた画風に興味を惹かれたが、会期中に松濤美術館を訪れることができず、残念に思っていた。だが、その名前や視覚イメージが、私の中でコリンダと結びつくことはなかった。
https://www.discogs.com/ja/Kolinda-Kolinda/release/1824450
http://robert-coutelas.com/jp/information/

 Hexagoneに遺されたコリンダの作品は計3枚(*)。ご覧のようにデザインにあまり一貫性はない。強いて言えば民俗色の濃い表現となろうか。2枚目はいささかダサい。私は中世写本かタピストリーを思わせる3枚目のデザインが好きだった。1枚目はアンティークの陶器の絵柄か何かからコラージュしたデザインかと思っていたので。だが、それがクートラスの描くカルトを並べたものだと知ると、何だか無性に愛おしくなる。それはこれまで決して交わることのなかった二つの線を結びあわせてくれた、旅先でこそ開かれ得る新たな窓への感謝でもあるだろう。しかし、「誠光社」スゴイな。前日、コンサート会場周辺をうろつく途中で、ふと前を通りかかり、「タルト・タタン始めました」の案内に惹かれて飛び込んだ「リンデンバーム」(☆)も良かったなあ。タルト・タタンが良かったので、翌日は改めてシャルキュトリーや野菜のマリネ等を購入。レヴェルの高さに驚く。京都はやっぱり深い。
*https://www.discogs.com/artist/818759-Kolinda
☆htp://www.linden-baum.jp/index.html

コリンダ2縮小 コリンダ3縮小




アート | 13:48:07 | トラックバック(0) | コメント(0)
ソウルのジョセフ・クーデルカ  Josef Koudelka in Seoul, South Korea
 12月22日から26日まで、韓国ソウルに出かけていた。妻といっしょに恒例のクリスマス詣で。今回はソウル在住の友人が実家に帰ることになって会えなかったり、頼りにしていたCDショップが閉店していたり、この時期にいつも開催されていたインディーズ・レーベル・フェアがなかったり、毎回いろいろと買い込むタイムズスクエアの新世界デパートの中にあるEマートが、なぜかクリスマス当日だけは休店だったり、段差で足をひどく挫いたりと、いつも通りではないところもあったけれど、それでも通い慣れた店はみんなやあやあと迎えてくれて、相変わらずおいしくて心和まされた。特に以前にブログでも紹介したホンデのソグムクイ(豚の塩焼き)店「豚の貯金箱」と大学路(テハンノ)の老舗珈琲店「学林(ハクリム)」は、すっかり行列のできる人気店になっていた。

 今回は友人に会えなかったので、現地に着いてから入手したコンサート情報はなかったが、無料で配布している美術展情報誌『Seoul Art Guide』で気になる展示を見つけ覗きに行ってみた。Josef Koudelka『Gypsies』展@ソウル写真美術館(※)。ジョゼフ・クーデルカ(ヨゼフ・コウデルカ)の名前はどこで見かけたのだろうか、記憶の片隅に引っかかっていた。紹介ページに掲載されていた馬の写真【写真1】にも心惹かれるものがあった。
※https://pro.magnumphotos.com/C.aspx?VP3=SearchResult&ALID=2K1HRGPO2MJU
クーデルカ1縮小
【写真1】


 広い会場ではなく、写真数はさほど多くないが、内容は充実していた。祭りの賑わい【写真2】、バンドの演奏風景【写真3】、駆け出す犬と子どもたち【写真4】等、そこにとらえられた世界には音が渦巻き、響きが沸き立っているはずなのに、とても「静か」だ。張り詰めた静謐さでも、研ぎ澄ませた静寂さでもなく、押しつけがましさのない柔らかく人肌の「寡黙さ」という印象。ざわざわとした騒がしさがそこにはない。時に被写体がブレるほど動きのある画面に、なぜ騒々しさを感じないのかと不思議に思う。
 行きつ戻りつ反芻しながら見進めるうちに、画面の落ち着いた構図感が、こちらの視線をゆったりと受け止めてくれる心地よさがじんわりと沁みてくる。決してわざとらしく並べられ、仕組まれたあざとさはない。縁で手を怪我しそうな鋭い断ち切り感もない。人物を中心にしながら、彼らを壁や奥に向かって立ち上がったグラウンドの前に置くのではなく、すっと奥まで背景が抜けていて、視線が解き放たれることがある【写真5】。それでも視線は不安なままに移ろい漂うことはない。「前景」や「中景」に対し、「後景」が強調されることはなく、世界はどこまでもひとつで、手触れるようにそこにある。真空の空間の中に事物が配置されているような空虚さもない。そこにとらえられている形象は面や辺を強調することなく、時に明暗のなだらかな起伏に輪郭を一部溶かしながらひっそりと佇んでいる。これが「静か」さを生んでいるのだろう。
 ここでキャメラの眼差しは、向こうに広がる世界に飛び込んでいって獲物を捕らえてくることはない。こちらへと射し込んでくる光を柔らかく受け止め、明暗の中から親しみ深いかたちが浮かび上がるに任せている。クーデルカはこちら側から、向こうに広がる世界に耳を澄まし傾けている。先の「静か」さは、この慎ましさのことでもあるだろう。

クーデルカ2縮小 クーデルカ3縮小
【写真2】                         【写真3】

クーデルカ4縮小 クーデルカ5縮小
【写真4】                         【写真5】


 だが、それにしても、どうやって撮ったんだろうと不思議に思う写真が幾つもある。【写真6】や【写真7】の視線の交錯はいかにして成立し得たのだろう。複数の動きが織り成す動きの一瞬をとらえたとしか見えない【写真4】の後景に、まるでテオ・アンゲロプロス『アレキサンダー大王』の中の大王の登場シーンのように、実にバランスよく配置された人影の列が写っているのはなぜなのだろう。
 声高にメッセージを掲げない「寡黙」な写真たちは、そうした魅惑的な謎をたたえることにより、私たちの視線を向こう側へと誘い寄せる。

クーデルカ6縮小 クーデルカ7縮小
【写真6】                          【写真7】


 ブログを書くにあたりネットで検索すると、1968年の「プラハの春」をとらえた写真で評判を呼び、その後、写真家集団マグナムに参加したとあり、少々意外に感じた。私がマグナムに対して抱いていた「社会活動に向かう報道写真家」というイメージとは、およそ異なる作風だったので。また、テオ・アンゲロプロス『ユリシーズの瞳』のスティル撮影を担当したとあり、これは何となく合点が行った(実際には「請負仕事はしない」と固辞する彼に、「ならば撮影現場に出入りして自由に撮ってくれてよいから」とアンゲロプロスが食い下がったらしい)。
 国内でも2011年に東京都写真美術館で「プラハの春」撮影作品を中心とした展示が、また、2013~2014年には国立近代美術館で初期から現在に至るより大規模で総合的な回顧展が行われ(その時のフライヤーも今回のソウルと同じ馬の写真だった)、好評を呼んでいたこともわかった。いずれも私は見ていない。後者に関するレヴューでは、同展の1/3ほどを占めるジプシーを被写体とした作品について、次のような印象が記されていたりする。

「プラハの春」をとらえた写真に比べ、壁一枚隔てたもどかしさを感じる。「プラハの春」の写真はその一線を踏み越えて、対象に肉薄している。

それはある意味その通りだろう。そこでクーデルカは「向こうに広がる世界に飛び込んでいって獲物を捕らえて」いるように感じられる。と同時に、それが写真としての完結性を確保できるよう、撮影者としての意匠をそこに鮮やかに刻み込むことを忘れない(時にあざとく感じられるほど)。写真とは記録映像データではなく、自分は決して戦場パパラッチではないとの矜恃を示すために。と同時に、そこでは市街戦という極限状態を通じて、レンズの向こうと手前を隔てる我彼の差異は消失し、同じ「人間性」へと還元されてしまうように感じられる(もともと彼にとって同一国民だとは言え)。【写真8】【写真9】

クーデルカ8縮小 クーデルカ9縮小
【写真8】                          【写真9】

ジプシーをとらえた作品群は、その一線の手前に踏みとどまり、差異を認め、文化の固有性を尊重する「来訪者」の慎ましさをたたえている。個々の人生に輝く生の尊厳へと向けられた眼差し。それは決して差別への怒りや貧しさへの哀れみではない。私がそれをことさらに好ましく思うのは、次回『松籟夜話』の準備で、沖縄/琉球等を題材とした写真集や民族学資料を続けて見てきたせいかもしれない。

そうした中、ひとつ驚かされたのは、たまたま手元にあったLPジャケットに使われているのが、調べていて彼の写真だとわかったこと【写真10】。実はこのグループについては予備知識がなく、内容もイタリアのトラッドとしかわからなかったのだが、とある中古盤セールで見つけ、ジャケット【写真11】に魅せられて、比較的安かったものだから「ジャケ買い」したのだった。北イタリア特有の涼しい響きが残響に淡く滲み、端正な演奏に幽玄な手触りを与えている(*)。今回改めてジャケットを確認してみたのだが、やはりクーデルカの名前はクレジットされていなかった。
*http://www.sheyeye.com/?pid=106598544

クーデルカ10縮小 クーデルカ11縮小
【写真10】                               【写真11】
                                     Magam『suonando l'allegrezza』
                                   

 こうしてみると、LPジャケットというのは、つくづく不思議な「場所」だなと思う。音楽ファンはジャケットを飾る写真やイラストの作者を知らず、一方、美術愛好家たちはご贔屓の写真家や画家の作品が、マイナー音楽のLPジャケットなんて「辺境」で流通しているとは知る由もない(事件は美術館で起こっている!)。特に共にマイナーな音楽家と写真家/画家だったりすると、二つの線が交わることはほとんどないのではないか。もちろん「ジャケット・デザインや音楽ポスターの制作で有名なアーティスト」というのは、かつて存在していたわけだが。
 実はつい最近、別のところで、そうした驚きを体験したことがあった。その話はまた次回に。




アート | 22:15:13 | トラックバック(0) | コメント(0)
アスガー・ヨルンとジャン・デュビュッフェ  Asger Jorn and Jean Dubuffet
 椹木野衣『後美術論』(美術出版社)を読んだ。内容はかつての彼の著書である『ヘルター・スケルター』をはじめ、「いつか聞いた/読んだ話」的な「既視感」が強く、あまり感心しなかったのだが、とある一節に眼が惹きつけられた。具体的に指摘するならば、セックス・ピストルズの仕掛け人マルコム・マクラレーンへのシチュアシオニストの影響に筆を伸ばした際、一瞬だけ登場する「同じくシチュアシオニストの運動に参加したコペンハーゲンの画家アスガー・ヨルンは‥」という名前に(284ページ)。アスガー・ヨルン(Asger Jorn)といえば、ジャン・デュビッフェの音楽/音響探求時の共同作業者ではないか。彼の名前にこんなところで出会うとは。
 元はと言えば、デュビッフェによる「ミュジック・ブリュット」の試みに注目しながら、アスガー・ヨルンについて全く予備知識もなく、調べようともしなかったこちらが悪いのだ。この際せっかくなので‥と少し調べてみると、シュルレアリスムをちょっとかじった後、「コブラ」に参加し、さらにアンテルナシオナル・シチュアシオニストに加わり、脱退したことがわかった。デュビュッフェとの共同作業は1960年から1961年頃のことなので、さらにその後の活動となる。
 おそらく美術側からのお定まりのデュビュッフェ評価としては、「ミュジック・ブリュット」の試みは取るに足らぬお遊びのようなものなのだろう。だから、デュビュッフェを通して見たヨルンの存在感は、希薄なものにとどまらざるを得ない。それはたぶんヨルンの側から見ても同じことらしく、英語版ウィキペディアのアスガー・ヨルンの項目には、「コブラ」やシチュアシオニスト・インターナショナルは出てきても、デュビュッフェの名は出てこない(ちなみにデンマーク語版にも出てこないようだ)。
 今回調べていて、Jean Dubuffet & Asger Jorn『MUSIQUE PHÉNOMÉNALE』(当初、10インチ盤4枚組で限定50部のみリリース)のTochnit Alephからの再発予定を知り、心躍ったのだが、これはまたずいぶんとマイナーな喜びにほかなるまい。

  後美術論        
椹木野衣『後美術論』 『MUSIQUE PHÉNOMÉNALE』再発予定

   
『MUSIQUE PHÉNOMÉNALE』オリジナル装丁と中身



アート | 22:33:42 | トラックバック(0) | コメント(0)
光に盲いて サイ・トゥオンブリーの写真 − 変奏のリリシズム −   Eyeless in the Overflowing Lights Review for the Exhibition "Cy Twombly Photographs Lyrical Variations"
 尖塔状のエントランス・ロビーから、展示室に入り、外の見えるガラス張りの渡り廊下から新緑の沸き立つ中庭越しに、そのサイロみたいな外観を見返す。ホワイト・キューブの延長として設えられた瀟洒な階段室にも、展示空間と照応したオブジェがさりげなく掛けられている。そうした贅沢な空間を味わいながら、多くの質の高い常設展示作品(その中には専用の「ロスコ・ルーム」にインスタレートされた7点の絵画で構成されるマーク・ロスコ「シーグラム壁画」も含まれている)を見た後に、企画展である「サイ・トゥオンブリーの写真 − 変奏のリリシズム − 」の展示スペースにたどり着く。

 スペースに足を踏み入れると、左手の壁に沿って奥までパネルが並び、それがさらに正面の壁面へと続いているのが見える。歩みを進め、最初の作品の前に立った瞬間、静かに打ちのめされ、動けなくなった。これは一体何だろう。私はいま何を見ている/見ようとしているのだろう。
 一瞬、視線が定まらず、それでもホワイト・アウトの中から浮かび上がるかたちを何とかつかまえることができたものの、今度はそれが何であるか、どのような状態が写されているのか、言葉がすっと浮かばず、束の間、急に海が深くなって足が着かなくなったような不安に襲われる。
 脆い光に満たされた空間に、壜やコップの壊れやすい輪郭が浮かんでいる。高い露出で画面が飛んでいるせいもあって、写っている物体の姿は妙に平面的だ。影絵、いやエックス線写真みたいだな‥‥と思う。空港の手荷物検査でモニターの中を通り過ぎて行く不確かなかたち。特定の対象に向けて焦点を絞り込むことなく、素通しの「光」がたまたま浮かび上がらせた何物かの影。キャメラのこちら側にいてシャッターを切ったはずのトゥオンブリーは、その時にレンズを通して何を見ていた/見ようとしていたのだろう。「壜やコップを写真にとらえようとした」ようには見えない。対象へと向けられた強い眼差しが感じられないのだ。だから、とらえどころのない薄明るさの中に頼りなく浮かんだ「廃墟」という印象が浮かぶ。打ち捨てられ、人がいないこと。「空虚」や「寂寥」を空間ごととらえたものなのだろうか。だが、この「とらえどころのない薄明るさ」に「廃墟」というレッテルを貼っても、すぐに力なく剥がれ落ちてしまうだろう。そのような撮影者の意図を伝えるメッセージ性、何かの意味合いを効率よく伝える表象性というか、プレゼンテーションの力が、ここからは陰影と共に揮発してしまっている。
 よく似た写真がさらに2点並べられている。同時期に撮られたものか、あるいは連作か。そう言えばこれまでの常設展では必ず添えられていた、作品名や制作年次を記したプレートが、ここには貼られていないことに気づく。写っている個数は異なるが、おそらくは同じ壜やコップがジョルジョ・モランディの絵画よろしく、被写体として使い回されているのだろう。だが、モランディの場合と異なり、そうした配置のコンポジション感覚が表立つことはない。撮影者の「意図」を求めて伸ばされた手は、虚しく空を掴むことになる。対象/被写体を見詰めようとする視線が空振りし、手応えなく画面を通り過ぎてしまうように。

 ピントが合っているのかズレているのか、よくわからない布の皺が、海底の砂地の褶曲のように浮かび上がり、あるいは遺跡の柱の列が、全体を想定させない一部分として切り取られている‥‥。そうした「把握」が一瞬の「失語症」の後、どこからともなく浮かんでくる。空白を埋め合わせるように。だが、一瞬ぽかんと空いた隙間感は残っていく。次々に作品を見ていくと、同様の手触りというか、手応えのなさを感じずにはいられない。
 この「失語症」感を撮影者のねらいととらえられるだろうか。見慣れたものを、一瞬だけ何だか見定められない形象としてとらえる‥‥というように。確かに不安定で不均衡に切り取られたフレーミングや、対象の分布のバランスを取りながら眼差しを多視点に分散させ視線をさまよわせるオールオーヴァーへの傾きがないわけではない。だがそこに対象の輪郭を幾何学的な文様へと解体してしまうような、強い抽象化への志向は見られない。つまり、ここで視覚は抽象世界へと飛躍することにより、「見たままとは別の安定した構図/構造」へとたどり着くことができない。支えてくれるもののないまま、見ることの不安定さに揺られ、震えるばかりだ。

 それと気づかぬうちに写真がカラーになっている。眼を射る鮮やかさはない。「水死体のような」とでも言うべきか、ふやけて褪色した色合い。水槽に漂うクラゲみたいに、内側からぼんやり発光しているようにも感じられる。モノクロとカラーの間の断層は感じられない。
 半開きのドアの向こうに広がる部屋、引かれたカーテンの隙間から覗くベッドの暗がり。そうした奥行きを提示しながら、キャメラの眼差しは「向こう側」へと踏み込んでいかない。関心なく通り過ぎ、生気なく映し出すばかり。
 そうした中に、手前の、おそらくは鉢植えか花瓶に活けられた花の向こうに、横向きの男の頭部が浮かんでいる写真があった。全体がぼんやりと淡く、こちらに訴えてくるものがなく、視線を惹き付けることもない。珍しく生きた人間が写っているにもかかわらず。ふと「念写」で撮影した写真みたいだなと思う。レンズが見定めるべき対象を持たない、思念により直接感光されたフィルム上の痕跡。あるいは死体の脳に電極を突き刺して、生前の記憶をサルヴェージし、「救出」した断片的イメージをモニターに映し出したら、こんな風に見えるかもしれないと。当の本人にも、もういつ、どこでのことか思い出せなかっただろう色褪せ擦り切れた記憶。「エピソード記憶」となることなく、文脈からこぼれ落ちたまま、海馬の片隅にただただ堆積/沈殿し、溶解するに任されていたばらばらの記憶のかけら。割れたガラスの破片のような視覚の断片。
 後半になって、テーブルに置かれた野菜に続き、飾られた花や墓前に供えられた花の写真が多くなる。いっしょに見ていた妻が「これはお仕事をしている花ね」とつぶやく。こちらを向いて美しさを送り届けてくれるのではなく、周囲に満遍なく魅力を振り撒くでもなく、こちらとは違う方を向いて、そちらにだけ事務的に愛嬌を送り届ける、こちらは放ったらかしの愛想のなさを言っているらしい。なるほどと思う。
 それに比べると併せて展示されていた、キノコの写真を貼り込み、さらにドローイングを施したコンポジションは、いかにも「こちら向け」でプレゼンテーション的な押し付けがましさを感じずにはいられなかった。
トゥオンブリー1 トゥオンブリー2 トゥオンブリー3


 「当惑」というか、「宙吊り」の快感をこれほど感じた展示もなかった。珍しく図録を買って帰った。写真は各ページに1点ずつ収められ、やはり作品名も制作年次も記載されていない。その代わり、後の方のページに縮小版が掲載され、そこに作品名や制作年次が併記されたリストが付いている。実は会場での展示に関しても、番号付きの配置図があり、その番号で引ける作品目録が用意されていた。しかし、トゥオンブリーの写真を見るには、つまりは「失語症」の瞬間を味わうには、確かにこうしたキャプションはない方がよかった。また、これは川村美術館ではいつものことなのかもしれないが、常設展を見て回り、通常の作品(という括りはあまりに乱暴だが)を体験した後に、トゥオンブリーの写真を見るという順序も正しかった。企画者の確かな見識を感じる。

 もともと私がこの展示に興味を持ったのは、部屋を暗くし、視覚を封じた上で、筆触(触覚)だけを頼りにドローイングする「触覚=非視覚の画家」トゥオンブリーが、視覚そのものであり、本来触覚とは無縁の写真を撮っていたという矛盾というか、謎に惹かれてのことだった。
 トゥオンブリーとの出会いは、おそらく80年代後半ではなかったろうか。池袋西武にあったアール・ヴィヴァンで、洋書の画集をあれこれ立ち見していた中で見つけたのだと思う(だから90年代になって初めて明らかにされる写真作品は、そこに入り込む余地がなかった)。当時は「触覚=非視覚の画家」などという理解はなく、アブストラクトで鋭敏な軽やかさとリリカルでファンタジックなところに魅惑されていた。だから、私の頭の中でトゥオンブリーは、ジョセフ・コーネルの「箱」やコラージュ、マックス・エルンストのコラージュ、ヴォルスの銅版画(写真や油彩ではなく)の傍らに位置していた。
 その後、しばらく忘れていたトゥオンブリーの名前に出会ったのは、最近惜しまれつつ閉店した吉祥寺dzumiで音盤レクチャー『耳の枠はずし』を行った際に、5回目として企画した「複数の言葉 ECM Cafe」の打合せで、月光茶房店主にしてECMレーベルのコンプリート・コレクターの原田正夫と話していた時だった。ECMのジャケットの書き文字がトゥオンブリーのドローイングの影響を受けているのではないかと指摘されて、「ああ、確かに」と思った。しまい込まれていたはずの記憶がするっと出て来たことに自分でも驚き、どこでトゥオンブリーを知ったのだっけ‥‥とその時も訝ったのを覚えている。このことをきっかけに彼について少し調べ、ロラン・バルトが彼について書いていることも知った。聴覚と触覚の関係と言うか、「聴くこと」に否応なく入り込んでくる「触れること」について考え込んでいた時期だったために、「触覚=非視覚の画家」トゥオンブリーは、私の中でいささか特権的な位置を占めることになった。滑らかに流れていく機械的な反復のようでいて、実は様々な紙質/表面状態の紙との接点における諸力のせめぎ合いに突き動かされ、筆触をその都度その都度のミクロな繋留点としながら、流され推移していく線の軌跡。それはたとえばエヴァン・パーカーがノンブレス・マルチフォニックスでつくりだす複層的な音流と、あるいはミッシェル・ドネダが息の流れを編み、束の間つくりあげる息の柱と、とても近しいように思われた。
 だから、白く細い線がスキーのシュプールのように流れ、彫り刻まれたグレイ・ペインティングの1点を除き、ほとんどそうした筆触や流れの感覚の感じ取れなかった原美術館における展示(2015年)には正直がっかりした。その失望が今回の発見の驚き/喜びを倍加させているのかもしれない。
トゥオンブリー4 トゥオンブリー5


 だがそれにしても、「触覚=非視覚の画家」トゥオンブリーによる、これらの写真をどのようにとらえ、位置づけたらよいのだろう。
 展示の図録に付された前田稀世子による解説では、彼の写真がポラロイド・写真を複写機で約2,5倍に拡大し、色の浸潤の実験を行いながらプリントしていることを説明した後、トゥオンブリーのドローイングと絵画における「盲目性」は写真制作においても呼応するところがある‥と指摘する。だが、その「盲目性」の内実として示されるのは「写真は出来上がる像が意識されながらも、実際には出来上がる瞬間まで結果がわからない」ことであるに過ぎない。これではすべての写真作品が「盲目性」を含む‥というだけのことになってしまう。これに対し前田は次の2点を指摘することにより、トゥオンブリーの特権化を図る。すなわち、かつて実践していた描画の「盲目性」と写真の制作方法の「盲目性」の類似に、彼は気づいていたに違いないこと。そして、彼の写真の多くが対象のクローズアップであり、作家と対象の距離が非常に近く、これは鉛筆で手元だけを見て描くことと同様、画面全体に対して仮の盲目性を引き受けることになること。さらに次のことを付け加える。撮影したポラロイド写真をそのまま作品化するのではなく、複写機で拡大することにより、人の手を直接介在させないプロセスを挿入し、眼からの専制を逃れていると。「眩しい光によってもののディテールと色が消し去られ、世界の手触りだけが残されている」という指摘にはその通りだと思うが、それ以前の理屈立ての方は、あらかじめドローイングや絵画で知られているトゥオンブリー作品の特質=「盲目性」を採りあげ、それと呼応する部分を彼の写真作品から無理矢理つつき出した気がして、どうも納得が行かない。


 やはりずっと気にかけている画家ジョルジョ・モランディに関する評文が掲載されていると聞いて、堀江敏幸『仰向けの言葉』(平凡社)を図書館から借り出したところ、そこに何とサイ・トゥオンブリーの写真に関する一文が記されていた。
 「深海魚の瞳 − サイ・トゥオンブリー」と題された評文は「自分以外のだれかに世界を示すための光がかえってものを見えなくさせる光になり、見えなくさせる障害がむしろ見えるということの真の意味を教える」という一節で始まる。「盲目性」の暗示。しかし、彼は「トゥオンブリーの写真を前にすると、ついそんなことを考えたくなる」と書き付けながら、観念を抽象的に深める代わりに、描写へと筆を転じる。「ほぐれて散らばった光の束がいつのまにか膜と化し、どこまでも直進するのを止めて、微かな震えを抱えた靄となる」と。視覚像に手を伸ばし、指先でかき分けながら触れていくような的確な描写。この『仰向けの言葉』に収められた彼の美術批評は、どれもこうした五感へと広がる繊細で的確な描写が素晴らしい効果を上げている。そして彼はそうした描写の力を借りながら、トゥオンブリーの写真を次のように名指していく。
 「(前略)被写体が何であるかをすでに言葉を通して知っているにも関わらず、現物と一対一で結びつける機会をついに得られなかった、特殊な人間の器官を連想させる点だ。トゥオンブリーの写真は、物理的には像が見えているのに、それがいったい何であるかを理解できない欠落を抱えた目に写る光景である。世界を発見する喜びや昂奮とも、親しい世界を確認して得られる安堵ともちがうとまどいがそこには焼き付けられている」
 私の感じた失語症的瞬間、あるいは死体からサルヴェージされた文脈を欠いた記憶、その時に何を見ていた/見ようとしていたのかわからない視覚の断片として描き出した欠落が、ここではまた別の視点からとらえられている。これに続くチューリップや花々を被写体とした連作等に関する「とまどい」を鍵とした記述がまた素晴らしい。
 「ハレーションとブレに包まれた光の膜から。偶然のたまものとしてしかあらわれて来ない画。表面の肌理に感応しつつ、その向こうにある厚みと奥行きをぼやけた光で照らし出す一連の写真では、しばしばとまどいに喜びがまさる。1990年に撮影された『彫刻の細部』の、幾層かの薄い黄色の光も同様だ。なにが写っているのか不明のままであったとしても、色彩と光が輪郭をぼかし、色のグラデーションが世界の皮膚となって、世の中のすべては真実の擬態にすぎないことをそれらは明確に示してくれる」

 これらの深い感取に支えられた見事な描写にもかかわらず、堀江は「抽象の厳しさとやさしさを突きつめたと考えられていた画家が、そのかたわら、事件性の希薄な日常の事物や風景に、『見えているけれど見えていない』眼を向けていた真の理由は何なのか。明確な答えはないだろうし、当人にもわからないだろう」と、その「謎」を宙吊りのままにする。それは美術批評として正しい姿勢と言えるだろう。
 だが私はトゥオンブリーの写真から受けた、これまでにない魅惑的な「とまどい」の深さ故に、このあえかな光の靄に包まれた世界に闇雲に踏み込み、根拠を欠いた妄想を吐露したいという気持ちを抑えられない。すなわち、「抽象の厳しさとやさしさを突きつめたと考えられていた画家」、「触覚=非視覚の画家」がこのような写真を撮影したのではなく、実はその真逆で、このような写真を撮影する写真家、いやこのような眼差しで世界を見ていた男が、やがて「触覚=非視覚の画家」として「抽象の厳しさとやさしさを突きつめた」のではないか‥‥と。
 もちろんこれは単なる思いつきに過ぎない。しかし、ブラック・マウンテン・カレッジ在籍時の1951年に行ったピンホールカメラの実験から、その後1993年になって初めて開催した写真展にポラロイド写真を拡大してプリントした作品まで、断続的に撮影された写真には同様の手触りがあり、強い連続性・一貫性が感じられるのは確かだ。そこには彼特有の生理的・生得的な何かが前提条件として横たわっているように感じられる。つまりあからさまに言えば、トゥオンブリーはあのような撮影を手法として選択し行ったのではなく、そもそも彼にはあのように世界が見えていたのだと(仮にいつもではないにしても)。図録の年譜を見ると、暗闇の中で視覚を封じたドローイングを始めるのは1953年からとなっている。これは後発的に手法として開発したものととらえることができよう。
 だが、それにしても、なぜ視覚を封じて筆触に頼ることをしたのだろう。新たな手法開発のための実験としてだろうか。私にはそれも「彼にはあのように世界が見えていた」ことに理由があるように思えてならない。不確かな視覚の中で、世界は光の靄に満たされ、「真実の擬態」が遍く浮遊する。これは実は視覚=光の不足ではなく過剰によってもたらされる状態だ。彼は「光に盲いていた」のではないか。とすれば、むしろ求められるのは視覚=光を厳しく制限することにより、手で触れることのできる物質の世界、堅固で確実で平らな基底平面に着地することだ。彼はそれを曲がった棒を反対側に曲げるような、いささか極端な方法で実施した。すなわち視覚=光をシャットアウトし、直接事物に触れることのできる確実な触覚のみに頼って描くことで。それは紙と筆記具の接触点で生じる「筆触」を繋留点とした「自動筆記」的な性格を持つ一方で、光の靄の中に失われてしまう現物=視覚像と「それが何であるか」という言葉・了解の結びつきを、ドローイングの運動と軌跡として彫り刻まれる線を通じて取り返そうとする営為ではなかったか。
 そのように考えると、今回展示されていたキノコの写真を貼り込みドローイングを施したコンポジションが、まるでキノコ図鑑のページのように、図像とそれが何であるかの説明、絵解きを、くどいようにプレゼンテーションしていた理由もわかるような気がする。名前を書いてみたり、数字を書き込んでみたり、そうした図像と「それが何であるのか」のくど過ぎる確認作業は、原美術館に展示されていた作品群に共通に見られ、私はその飽きることなく繰り返される鬱陶しさに、いささかげんなりしたのだった。


 サイ・トゥオンブリーに対するイメージが大きく変わっただけでなく、視覚と触覚に関する思考を深めるまたとない機会ともなった。希有な展示だった。


トゥオンブリー0縮小
  撮影:原田正夫


サイ・トゥオンブリーの写真 − 変奏のリリシズム −
DIC川村記念美術館
2016年4月23日〜8月28日





アート | 18:41:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
次のページ