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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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書棚の上のコリンダ@京都河原町丸太町  "Kolinda" on the top of bookshelf @ Kawara-machi Maruta-machi, Kyoto
 11月2日から4日まで京都に行っていた。もともとはKYOTO EXPERIMENT 2016 AUTUMNの一環として開催される池田亮司のコンサート『Ryoji Ikeda:concert pieces』(*1)及びインスタレーション『the rador [kyoto]』(*2)を観ることを目的に計画した旅だった。コンサートについては、何よりもformula [ver.2.3] / C⁴I / datamatics / matrixの4作品を、池田自身のお墨付きによるオーディオ・ヴィジュアル規格で体験できることに魅力を感じていた。すなわち、重低音から高周波に至る極端に幅広い周波数スペクトルを、ホールの巨大なPAから浴びる体験が、自宅のスピーカーでCDを聴くのとは異なる聴取を与えてくれるのではないかと。もちろんそれにさらに映像がプラスされた体験であることも。
 結論を言えば、そこに意外性に満ちた新たな発見はなかった。それは確かに高水準に突き詰められた構築であり、その尖った純度においても、噴出する暴力性においても、池田亮司以降に制作された凡百のエレクトロニック・ミュージックを簡単に蹴散らすものにほかならなかった。しかし、『+/-』をはじめとする作品群からすでに聴き取っていた認識を刷新するものではなかった。むしろ映像が加えられることによって、決して作品体験が深化するわけではないことの方が発見だったかもしれない。抽象的な文字/記号列のつくりだす、一見余剰を徹底的に削ぎ落としたウルトラ・クールな映像は、実のところ、音響の過剰をわかりやすく視覚のパターンにはめ込み、「図解/絵解き」してしまう。そこに限界を感じたのか、その後、映像はニュース映像等の断片のコラージュへと向かうのだが、こちらは少なくとも視覚レヴェルでは既視感を乗り越えられない。むしろ池田作品には似つかわしくない焦燥感や苛立ちばかりが画面から響いてくる。
*1 http://rohmtheatrekyoto.jp/program/4284/
*2 http://rohmtheatrekyoto.jp/program/4286/


 3日の15時から22時まで4つのコンサートを聴き、翌日はあらかじめ調べておいた幾つかの店舗を回った。いつも通販で利用しており、『松籟夜話』のフライヤー配布にもご協力をいただいている、魅力溢れる品揃えのレコード店Meditationsに挨拶にうかがう前に、午前10時から開いている近くの新刊書店「誠光社」(※)を訪れた。
※http://www.seikosha-books.com/

この「誠光社」は、英国『ガーディアン』紙が選ぶ世界の書店10選にも挙げられた京都の有名書店「恵文社 一乗寺店」で店長を務めた堀部篤史氏が独立し、新たに開かれた書店だ。作り付けの白木の書棚が並ぶレイアウトも素敵だが、やはり何と言っても選書が素晴らしい。「書棚を読む」楽しさを与えてくれる。書物を選び並べること自体が、知のネットワークを構築することであるのがよくわかる。これぞと狙いを定めた本を出版社に直接注文して取り寄せているのだろう。見かけたことのない本もたくさんある。未知の鉱脈が覗いている‥‥という感じ。

一通り書棚を回り(スペースはさほど広くないが、その分濃密で、一冊ごと書背に眼が止まってしまうので、意外と時間がかかる)、気になる本を3冊ほど抜いてレジへ向かおうとして、書棚の上にレコード・ジャケットが飾ってあるのに気が付く。へぇと見回すと、何とコリンダ(Kolinda)の第1作のジャケットが並べられているではないか(驚)。
以前にブログでも触れたことがあるが(※)、コリンダこそはマリコルヌ(Malicorne)の開いたトラッド・ミュージックへの扉を、さらに大きく開け放ったばかりか、その向こうからぐいっと腕を伸ばして、まだ何も知らなかった当時の私をトラッドの泥沼に引きずり込んだ張本人である。
※http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-114.html
http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-113.html

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              表面                            裏面

 その世界では有名と言いながらも、何せフランスのトラッド専門のマイナー・レーベルHexagoneからリリースされたハンガリーの演奏グループの盤。そこら辺にごろごろ転がっているものではない。それがなぜここに‥‥と興味を惹かれた私は、レジでの精算時に店主に尋ねずにはいられなかった。その答は意外なものだった。
 「うちの店のお客さんにも人気のロベール・クートラスというフランスの画家がいて、彼の作品集も並べているんですが、この作品のジャケット・デザインがそのクートラスなんですよ」。「ええっ、クートラスって、あの小さなカードみたいなの描いてる、最近、日本で個展も開かれた‥‥」。「ええ、そうです。ご存知なんですか」。
 頭の中で一瞬火花が閃いた。ロベール・クートラス(Robert Coutelas)については、Facebook経由で個展の情報が流れてきて、その慎ましい、だが綺想に満ちた画風に興味を惹かれたが、会期中に松濤美術館を訪れることができず、残念に思っていた。だが、その名前や視覚イメージが、私の中でコリンダと結びつくことはなかった。
https://www.discogs.com/ja/Kolinda-Kolinda/release/1824450
http://robert-coutelas.com/jp/information/

 Hexagoneに遺されたコリンダの作品は計3枚(*)。ご覧のようにデザインにあまり一貫性はない。強いて言えば民俗色の濃い表現となろうか。2枚目はいささかダサい。私は中世写本かタピストリーを思わせる3枚目のデザインが好きだった。1枚目はアンティークの陶器の絵柄か何かからコラージュしたデザインかと思っていたので。だが、それがクートラスの描くカルトを並べたものだと知ると、何だか無性に愛おしくなる。それはこれまで決して交わることのなかった二つの線を結びあわせてくれた、旅先でこそ開かれ得る新たな窓への感謝でもあるだろう。しかし、「誠光社」スゴイな。前日、コンサート会場周辺をうろつく途中で、ふと前を通りかかり、「タルト・タタン始めました」の案内に惹かれて飛び込んだ「リンデンバーム」(☆)も良かったなあ。タルト・タタンが良かったので、翌日は改めてシャルキュトリーや野菜のマリネ等を購入。レヴェルの高さに驚く。京都はやっぱり深い。
*https://www.discogs.com/artist/818759-Kolinda
☆htp://www.linden-baum.jp/index.html

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アート | 13:48:07 | トラックバック(0) | コメント(0)
ソウルのジョセフ・クーデルカ  Josef Koudelka in Seoul, South Korea
 12月22日から26日まで、韓国ソウルに出かけていた。妻といっしょに恒例のクリスマス詣で。今回はソウル在住の友人が実家に帰ることになって会えなかったり、頼りにしていたCDショップが閉店していたり、この時期にいつも開催されていたインディーズ・レーベル・フェアがなかったり、毎回いろいろと買い込むタイムズスクエアの新世界デパートの中にあるEマートが、なぜかクリスマス当日だけは休店だったり、段差で足をひどく挫いたりと、いつも通りではないところもあったけれど、それでも通い慣れた店はみんなやあやあと迎えてくれて、相変わらずおいしくて心和まされた。特に以前にブログでも紹介したホンデのソグムクイ(豚の塩焼き)店「豚の貯金箱」と大学路(テハンノ)の老舗珈琲店「学林(ハクリム)」は、すっかり行列のできる人気店になっていた。

 今回は友人に会えなかったので、現地に着いてから入手したコンサート情報はなかったが、無料で配布している美術展情報誌『Seoul Art Guide』で気になる展示を見つけ覗きに行ってみた。Josef Koudelka『Gypsies』展@ソウル写真美術館(※)。ジョゼフ・クーデルカ(ヨゼフ・コウデルカ)の名前はどこで見かけたのだろうか、記憶の片隅に引っかかっていた。紹介ページに掲載されていた馬の写真【写真1】にも心惹かれるものがあった。
※https://pro.magnumphotos.com/C.aspx?VP3=SearchResult&ALID=2K1HRGPO2MJU
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【写真1】


 広い会場ではなく、写真数はさほど多くないが、内容は充実していた。祭りの賑わい【写真2】、バンドの演奏風景【写真3】、駆け出す犬と子どもたち【写真4】等、そこにとらえられた世界には音が渦巻き、響きが沸き立っているはずなのに、とても「静か」だ。張り詰めた静謐さでも、研ぎ澄ませた静寂さでもなく、押しつけがましさのない柔らかく人肌の「寡黙さ」という印象。ざわざわとした騒がしさがそこにはない。時に被写体がブレるほど動きのある画面に、なぜ騒々しさを感じないのかと不思議に思う。
 行きつ戻りつ反芻しながら見進めるうちに、画面の落ち着いた構図感が、こちらの視線をゆったりと受け止めてくれる心地よさがじんわりと沁みてくる。決してわざとらしく並べられ、仕組まれたあざとさはない。縁で手を怪我しそうな鋭い断ち切り感もない。人物を中心にしながら、彼らを壁や奥に向かって立ち上がったグラウンドの前に置くのではなく、すっと奥まで背景が抜けていて、視線が解き放たれることがある【写真5】。それでも視線は不安なままに移ろい漂うことはない。「前景」や「中景」に対し、「後景」が強調されることはなく、世界はどこまでもひとつで、手触れるようにそこにある。真空の空間の中に事物が配置されているような空虚さもない。そこにとらえられている形象は面や辺を強調することなく、時に明暗のなだらかな起伏に輪郭を一部溶かしながらひっそりと佇んでいる。これが「静か」さを生んでいるのだろう。
 ここでキャメラの眼差しは、向こうに広がる世界に飛び込んでいって獲物を捕らえてくることはない。こちらへと射し込んでくる光を柔らかく受け止め、明暗の中から親しみ深いかたちが浮かび上がるに任せている。クーデルカはこちら側から、向こうに広がる世界に耳を澄まし傾けている。先の「静か」さは、この慎ましさのことでもあるだろう。

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【写真2】                         【写真3】

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【写真4】                         【写真5】


 だが、それにしても、どうやって撮ったんだろうと不思議に思う写真が幾つもある。【写真6】や【写真7】の視線の交錯はいかにして成立し得たのだろう。複数の動きが織り成す動きの一瞬をとらえたとしか見えない【写真4】の後景に、まるでテオ・アンゲロプロス『アレキサンダー大王』の中の大王の登場シーンのように、実にバランスよく配置された人影の列が写っているのはなぜなのだろう。
 声高にメッセージを掲げない「寡黙」な写真たちは、そうした魅惑的な謎をたたえることにより、私たちの視線を向こう側へと誘い寄せる。

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【写真6】                          【写真7】


 ブログを書くにあたりネットで検索すると、1968年の「プラハの春」をとらえた写真で評判を呼び、その後、写真家集団マグナムに参加したとあり、少々意外に感じた。私がマグナムに対して抱いていた「社会活動に向かう報道写真家」というイメージとは、およそ異なる作風だったので。また、テオ・アンゲロプロス『ユリシーズの瞳』のスティル撮影を担当したとあり、これは何となく合点が行った(実際には「請負仕事はしない」と固辞する彼に、「ならば撮影現場に出入りして自由に撮ってくれてよいから」とアンゲロプロスが食い下がったらしい)。
 国内でも2011年に東京都写真美術館で「プラハの春」撮影作品を中心とした展示が、また、2013~2014年には国立近代美術館で初期から現在に至るより大規模で総合的な回顧展が行われ(その時のフライヤーも今回のソウルと同じ馬の写真だった)、好評を呼んでいたこともわかった。いずれも私は見ていない。後者に関するレヴューでは、同展の1/3ほどを占めるジプシーを被写体とした作品について、次のような印象が記されていたりする。

「プラハの春」をとらえた写真に比べ、壁一枚隔てたもどかしさを感じる。「プラハの春」の写真はその一線を踏み越えて、対象に肉薄している。

それはある意味その通りだろう。そこでクーデルカは「向こうに広がる世界に飛び込んでいって獲物を捕らえて」いるように感じられる。と同時に、それが写真としての完結性を確保できるよう、撮影者としての意匠をそこに鮮やかに刻み込むことを忘れない(時にあざとく感じられるほど)。写真とは記録映像データではなく、自分は決して戦場パパラッチではないとの矜恃を示すために。と同時に、そこでは市街戦という極限状態を通じて、レンズの向こうと手前を隔てる我彼の差異は消失し、同じ「人間性」へと還元されてしまうように感じられる(もともと彼にとって同一国民だとは言え)。【写真8】【写真9】

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【写真8】                          【写真9】

ジプシーをとらえた作品群は、その一線の手前に踏みとどまり、差異を認め、文化の固有性を尊重する「来訪者」の慎ましさをたたえている。個々の人生に輝く生の尊厳へと向けられた眼差し。それは決して差別への怒りや貧しさへの哀れみではない。私がそれをことさらに好ましく思うのは、次回『松籟夜話』の準備で、沖縄/琉球等を題材とした写真集や民族学資料を続けて見てきたせいかもしれない。

そうした中、ひとつ驚かされたのは、たまたま手元にあったLPジャケットに使われているのが、調べていて彼の写真だとわかったこと【写真10】。実はこのグループについては予備知識がなく、内容もイタリアのトラッドとしかわからなかったのだが、とある中古盤セールで見つけ、ジャケット【写真11】に魅せられて、比較的安かったものだから「ジャケ買い」したのだった。北イタリア特有の涼しい響きが残響に淡く滲み、端正な演奏に幽玄な手触りを与えている(*)。今回改めてジャケットを確認してみたのだが、やはりクーデルカの名前はクレジットされていなかった。
*http://www.sheyeye.com/?pid=106598544

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【写真10】                               【写真11】
                                     Magam『suonando l'allegrezza』
                                   

 こうしてみると、LPジャケットというのは、つくづく不思議な「場所」だなと思う。音楽ファンはジャケットを飾る写真やイラストの作者を知らず、一方、美術愛好家たちはご贔屓の写真家や画家の作品が、マイナー音楽のLPジャケットなんて「辺境」で流通しているとは知る由もない(事件は美術館で起こっている!)。特に共にマイナーな音楽家と写真家/画家だったりすると、二つの線が交わることはほとんどないのではないか。もちろん「ジャケット・デザインや音楽ポスターの制作で有名なアーティスト」というのは、かつて存在していたわけだが。
 実はつい最近、別のところで、そうした驚きを体験したことがあった。その話はまた次回に。




アート | 22:15:13 | トラックバック(0) | コメント(0)
アスガー・ヨルンとジャン・デュビュッフェ  Asger Jorn and Jean Dubuffet
 椹木野衣『後美術論』(美術出版社)を読んだ。内容はかつての彼の著書である『ヘルター・スケルター』をはじめ、「いつか聞いた/読んだ話」的な「既視感」が強く、あまり感心しなかったのだが、とある一節に眼が惹きつけられた。具体的に指摘するならば、セックス・ピストルズの仕掛け人マルコム・マクラレーンへのシチュアシオニストの影響に筆を伸ばした際、一瞬だけ登場する「同じくシチュアシオニストの運動に参加したコペンハーゲンの画家アスガー・ヨルンは‥」という名前に(284ページ)。アスガー・ヨルン(Asger Jorn)といえば、ジャン・デュビッフェの音楽/音響探求時の共同作業者ではないか。彼の名前にこんなところで出会うとは。
 元はと言えば、デュビッフェによる「ミュジック・ブリュット」の試みに注目しながら、アスガー・ヨルンについて全く予備知識もなく、調べようともしなかったこちらが悪いのだ。この際せっかくなので‥と少し調べてみると、シュルレアリスムをちょっとかじった後、「コブラ」に参加し、さらにアンテルナシオナル・シチュアシオニストに加わり、脱退したことがわかった。デュビュッフェとの共同作業は1960年から1961年頃のことなので、さらにその後の活動となる。
 おそらく美術側からのお定まりのデュビュッフェ評価としては、「ミュジック・ブリュット」の試みは取るに足らぬお遊びのようなものなのだろう。だから、デュビュッフェを通して見たヨルンの存在感は、希薄なものにとどまらざるを得ない。それはたぶんヨルンの側から見ても同じことらしく、英語版ウィキペディアのアスガー・ヨルンの項目には、「コブラ」やシチュアシオニスト・インターナショナルは出てきても、デュビュッフェの名は出てこない(ちなみにデンマーク語版にも出てこないようだ)。
 今回調べていて、Jean Dubuffet & Asger Jorn『MUSIQUE PHÉNOMÉNALE』(当初、10インチ盤4枚組で限定50部のみリリース)のTochnit Alephからの再発予定を知り、心躍ったのだが、これはまたずいぶんとマイナーな喜びにほかなるまい。

  後美術論        
椹木野衣『後美術論』 『MUSIQUE PHÉNOMÉNALE』再発予定

   
『MUSIQUE PHÉNOMÉNALE』オリジナル装丁と中身



アート | 22:33:42 | トラックバック(0) | コメント(0)
光に盲いて サイ・トゥオンブリーの写真 − 変奏のリリシズム −   Eyeless in the Overflowing Lights Review for the Exhibition "Cy Twombly Photographs Lyrical Variations"
 尖塔状のエントランス・ロビーから、展示室に入り、外の見えるガラス張りの渡り廊下から新緑の沸き立つ中庭越しに、そのサイロみたいな外観を見返す。ホワイト・キューブの延長として設えられた瀟洒な階段室にも、展示空間と照応したオブジェがさりげなく掛けられている。そうした贅沢な空間を味わいながら、多くの質の高い常設展示作品(その中には専用の「ロスコ・ルーム」にインスタレートされた7点の絵画で構成されるマーク・ロスコ「シーグラム壁画」も含まれている)を見た後に、企画展である「サイ・トゥオンブリーの写真 − 変奏のリリシズム − 」の展示スペースにたどり着く。

 スペースに足を踏み入れると、左手の壁に沿って奥までパネルが並び、それがさらに正面の壁面へと続いているのが見える。歩みを進め、最初の作品の前に立った瞬間、静かに打ちのめされ、動けなくなった。これは一体何だろう。私はいま何を見ている/見ようとしているのだろう。
 一瞬、視線が定まらず、それでもホワイト・アウトの中から浮かび上がるかたちを何とかつかまえることができたものの、今度はそれが何であるか、どのような状態が写されているのか、言葉がすっと浮かばず、束の間、急に海が深くなって足が着かなくなったような不安に襲われる。
 脆い光に満たされた空間に、壜やコップの壊れやすい輪郭が浮かんでいる。高い露出で画面が飛んでいるせいもあって、写っている物体の姿は妙に平面的だ。影絵、いやエックス線写真みたいだな‥‥と思う。空港の手荷物検査でモニターの中を通り過ぎて行く不確かなかたち。特定の対象に向けて焦点を絞り込むことなく、素通しの「光」がたまたま浮かび上がらせた何物かの影。キャメラのこちら側にいてシャッターを切ったはずのトゥオンブリーは、その時にレンズを通して何を見ていた/見ようとしていたのだろう。「壜やコップを写真にとらえようとした」ようには見えない。対象へと向けられた強い眼差しが感じられないのだ。だから、とらえどころのない薄明るさの中に頼りなく浮かんだ「廃墟」という印象が浮かぶ。打ち捨てられ、人がいないこと。「空虚」や「寂寥」を空間ごととらえたものなのだろうか。だが、この「とらえどころのない薄明るさ」に「廃墟」というレッテルを貼っても、すぐに力なく剥がれ落ちてしまうだろう。そのような撮影者の意図を伝えるメッセージ性、何かの意味合いを効率よく伝える表象性というか、プレゼンテーションの力が、ここからは陰影と共に揮発してしまっている。
 よく似た写真がさらに2点並べられている。同時期に撮られたものか、あるいは連作か。そう言えばこれまでの常設展では必ず添えられていた、作品名や制作年次を記したプレートが、ここには貼られていないことに気づく。写っている個数は異なるが、おそらくは同じ壜やコップがジョルジョ・モランディの絵画よろしく、被写体として使い回されているのだろう。だが、モランディの場合と異なり、そうした配置のコンポジション感覚が表立つことはない。撮影者の「意図」を求めて伸ばされた手は、虚しく空を掴むことになる。対象/被写体を見詰めようとする視線が空振りし、手応えなく画面を通り過ぎてしまうように。

 ピントが合っているのかズレているのか、よくわからない布の皺が、海底の砂地の褶曲のように浮かび上がり、あるいは遺跡の柱の列が、全体を想定させない一部分として切り取られている‥‥。そうした「把握」が一瞬の「失語症」の後、どこからともなく浮かんでくる。空白を埋め合わせるように。だが、一瞬ぽかんと空いた隙間感は残っていく。次々に作品を見ていくと、同様の手触りというか、手応えのなさを感じずにはいられない。
 この「失語症」感を撮影者のねらいととらえられるだろうか。見慣れたものを、一瞬だけ何だか見定められない形象としてとらえる‥‥というように。確かに不安定で不均衡に切り取られたフレーミングや、対象の分布のバランスを取りながら眼差しを多視点に分散させ視線をさまよわせるオールオーヴァーへの傾きがないわけではない。だがそこに対象の輪郭を幾何学的な文様へと解体してしまうような、強い抽象化への志向は見られない。つまり、ここで視覚は抽象世界へと飛躍することにより、「見たままとは別の安定した構図/構造」へとたどり着くことができない。支えてくれるもののないまま、見ることの不安定さに揺られ、震えるばかりだ。

 それと気づかぬうちに写真がカラーになっている。眼を射る鮮やかさはない。「水死体のような」とでも言うべきか、ふやけて褪色した色合い。水槽に漂うクラゲみたいに、内側からぼんやり発光しているようにも感じられる。モノクロとカラーの間の断層は感じられない。
 半開きのドアの向こうに広がる部屋、引かれたカーテンの隙間から覗くベッドの暗がり。そうした奥行きを提示しながら、キャメラの眼差しは「向こう側」へと踏み込んでいかない。関心なく通り過ぎ、生気なく映し出すばかり。
 そうした中に、手前の、おそらくは鉢植えか花瓶に活けられた花の向こうに、横向きの男の頭部が浮かんでいる写真があった。全体がぼんやりと淡く、こちらに訴えてくるものがなく、視線を惹き付けることもない。珍しく生きた人間が写っているにもかかわらず。ふと「念写」で撮影した写真みたいだなと思う。レンズが見定めるべき対象を持たない、思念により直接感光されたフィルム上の痕跡。あるいは死体の脳に電極を突き刺して、生前の記憶をサルヴェージし、「救出」した断片的イメージをモニターに映し出したら、こんな風に見えるかもしれないと。当の本人にも、もういつ、どこでのことか思い出せなかっただろう色褪せ擦り切れた記憶。「エピソード記憶」となることなく、文脈からこぼれ落ちたまま、海馬の片隅にただただ堆積/沈殿し、溶解するに任されていたばらばらの記憶のかけら。割れたガラスの破片のような視覚の断片。
 後半になって、テーブルに置かれた野菜に続き、飾られた花や墓前に供えられた花の写真が多くなる。いっしょに見ていた妻が「これはお仕事をしている花ね」とつぶやく。こちらを向いて美しさを送り届けてくれるのではなく、周囲に満遍なく魅力を振り撒くでもなく、こちらとは違う方を向いて、そちらにだけ事務的に愛嬌を送り届ける、こちらは放ったらかしの愛想のなさを言っているらしい。なるほどと思う。
 それに比べると併せて展示されていた、キノコの写真を貼り込み、さらにドローイングを施したコンポジションは、いかにも「こちら向け」でプレゼンテーション的な押し付けがましさを感じずにはいられなかった。
トゥオンブリー1 トゥオンブリー2 トゥオンブリー3


 「当惑」というか、「宙吊り」の快感をこれほど感じた展示もなかった。珍しく図録を買って帰った。写真は各ページに1点ずつ収められ、やはり作品名も制作年次も記載されていない。その代わり、後の方のページに縮小版が掲載され、そこに作品名や制作年次が併記されたリストが付いている。実は会場での展示に関しても、番号付きの配置図があり、その番号で引ける作品目録が用意されていた。しかし、トゥオンブリーの写真を見るには、つまりは「失語症」の瞬間を味わうには、確かにこうしたキャプションはない方がよかった。また、これは川村美術館ではいつものことなのかもしれないが、常設展を見て回り、通常の作品(という括りはあまりに乱暴だが)を体験した後に、トゥオンブリーの写真を見るという順序も正しかった。企画者の確かな見識を感じる。

 もともと私がこの展示に興味を持ったのは、部屋を暗くし、視覚を封じた上で、筆触(触覚)だけを頼りにドローイングする「触覚=非視覚の画家」トゥオンブリーが、視覚そのものであり、本来触覚とは無縁の写真を撮っていたという矛盾というか、謎に惹かれてのことだった。
 トゥオンブリーとの出会いは、おそらく80年代後半ではなかったろうか。池袋西武にあったアール・ヴィヴァンで、洋書の画集をあれこれ立ち見していた中で見つけたのだと思う(だから90年代になって初めて明らかにされる写真作品は、そこに入り込む余地がなかった)。当時は「触覚=非視覚の画家」などという理解はなく、アブストラクトで鋭敏な軽やかさとリリカルでファンタジックなところに魅惑されていた。だから、私の頭の中でトゥオンブリーは、ジョセフ・コーネルの「箱」やコラージュ、マックス・エルンストのコラージュ、ヴォルスの銅版画(写真や油彩ではなく)の傍らに位置していた。
 その後、しばらく忘れていたトゥオンブリーの名前に出会ったのは、最近惜しまれつつ閉店した吉祥寺dzumiで音盤レクチャー『耳の枠はずし』を行った際に、5回目として企画した「複数の言葉 ECM Cafe」の打合せで、月光茶房店主にしてECMレーベルのコンプリート・コレクターの原田正夫と話していた時だった。ECMのジャケットの書き文字がトゥオンブリーのドローイングの影響を受けているのではないかと指摘されて、「ああ、確かに」と思った。しまい込まれていたはずの記憶がするっと出て来たことに自分でも驚き、どこでトゥオンブリーを知ったのだっけ‥‥とその時も訝ったのを覚えている。このことをきっかけに彼について少し調べ、ロラン・バルトが彼について書いていることも知った。聴覚と触覚の関係と言うか、「聴くこと」に否応なく入り込んでくる「触れること」について考え込んでいた時期だったために、「触覚=非視覚の画家」トゥオンブリーは、私の中でいささか特権的な位置を占めることになった。滑らかに流れていく機械的な反復のようでいて、実は様々な紙質/表面状態の紙との接点における諸力のせめぎ合いに突き動かされ、筆触をその都度その都度のミクロな繋留点としながら、流され推移していく線の軌跡。それはたとえばエヴァン・パーカーがノンブレス・マルチフォニックスでつくりだす複層的な音流と、あるいはミッシェル・ドネダが息の流れを編み、束の間つくりあげる息の柱と、とても近しいように思われた。
 だから、白く細い線がスキーのシュプールのように流れ、彫り刻まれたグレイ・ペインティングの1点を除き、ほとんどそうした筆触や流れの感覚の感じ取れなかった原美術館における展示(2015年)には正直がっかりした。その失望が今回の発見の驚き/喜びを倍加させているのかもしれない。
トゥオンブリー4 トゥオンブリー5


 だがそれにしても、「触覚=非視覚の画家」トゥオンブリーによる、これらの写真をどのようにとらえ、位置づけたらよいのだろう。
 展示の図録に付された前田稀世子による解説では、彼の写真がポラロイド・写真を複写機で約2,5倍に拡大し、色の浸潤の実験を行いながらプリントしていることを説明した後、トゥオンブリーのドローイングと絵画における「盲目性」は写真制作においても呼応するところがある‥と指摘する。だが、その「盲目性」の内実として示されるのは「写真は出来上がる像が意識されながらも、実際には出来上がる瞬間まで結果がわからない」ことであるに過ぎない。これではすべての写真作品が「盲目性」を含む‥というだけのことになってしまう。これに対し前田は次の2点を指摘することにより、トゥオンブリーの特権化を図る。すなわち、かつて実践していた描画の「盲目性」と写真の制作方法の「盲目性」の類似に、彼は気づいていたに違いないこと。そして、彼の写真の多くが対象のクローズアップであり、作家と対象の距離が非常に近く、これは鉛筆で手元だけを見て描くことと同様、画面全体に対して仮の盲目性を引き受けることになること。さらに次のことを付け加える。撮影したポラロイド写真をそのまま作品化するのではなく、複写機で拡大することにより、人の手を直接介在させないプロセスを挿入し、眼からの専制を逃れていると。「眩しい光によってもののディテールと色が消し去られ、世界の手触りだけが残されている」という指摘にはその通りだと思うが、それ以前の理屈立ての方は、あらかじめドローイングや絵画で知られているトゥオンブリー作品の特質=「盲目性」を採りあげ、それと呼応する部分を彼の写真作品から無理矢理つつき出した気がして、どうも納得が行かない。


 やはりずっと気にかけている画家ジョルジョ・モランディに関する評文が掲載されていると聞いて、堀江敏幸『仰向けの言葉』(平凡社)を図書館から借り出したところ、そこに何とサイ・トゥオンブリーの写真に関する一文が記されていた。
 「深海魚の瞳 − サイ・トゥオンブリー」と題された評文は「自分以外のだれかに世界を示すための光がかえってものを見えなくさせる光になり、見えなくさせる障害がむしろ見えるということの真の意味を教える」という一節で始まる。「盲目性」の暗示。しかし、彼は「トゥオンブリーの写真を前にすると、ついそんなことを考えたくなる」と書き付けながら、観念を抽象的に深める代わりに、描写へと筆を転じる。「ほぐれて散らばった光の束がいつのまにか膜と化し、どこまでも直進するのを止めて、微かな震えを抱えた靄となる」と。視覚像に手を伸ばし、指先でかき分けながら触れていくような的確な描写。この『仰向けの言葉』に収められた彼の美術批評は、どれもこうした五感へと広がる繊細で的確な描写が素晴らしい効果を上げている。そして彼はそうした描写の力を借りながら、トゥオンブリーの写真を次のように名指していく。
 「(前略)被写体が何であるかをすでに言葉を通して知っているにも関わらず、現物と一対一で結びつける機会をついに得られなかった、特殊な人間の器官を連想させる点だ。トゥオンブリーの写真は、物理的には像が見えているのに、それがいったい何であるかを理解できない欠落を抱えた目に写る光景である。世界を発見する喜びや昂奮とも、親しい世界を確認して得られる安堵ともちがうとまどいがそこには焼き付けられている」
 私の感じた失語症的瞬間、あるいは死体からサルヴェージされた文脈を欠いた記憶、その時に何を見ていた/見ようとしていたのかわからない視覚の断片として描き出した欠落が、ここではまた別の視点からとらえられている。これに続くチューリップや花々を被写体とした連作等に関する「とまどい」を鍵とした記述がまた素晴らしい。
 「ハレーションとブレに包まれた光の膜から。偶然のたまものとしてしかあらわれて来ない画。表面の肌理に感応しつつ、その向こうにある厚みと奥行きをぼやけた光で照らし出す一連の写真では、しばしばとまどいに喜びがまさる。1990年に撮影された『彫刻の細部』の、幾層かの薄い黄色の光も同様だ。なにが写っているのか不明のままであったとしても、色彩と光が輪郭をぼかし、色のグラデーションが世界の皮膚となって、世の中のすべては真実の擬態にすぎないことをそれらは明確に示してくれる」

 これらの深い感取に支えられた見事な描写にもかかわらず、堀江は「抽象の厳しさとやさしさを突きつめたと考えられていた画家が、そのかたわら、事件性の希薄な日常の事物や風景に、『見えているけれど見えていない』眼を向けていた真の理由は何なのか。明確な答えはないだろうし、当人にもわからないだろう」と、その「謎」を宙吊りのままにする。それは美術批評として正しい姿勢と言えるだろう。
 だが私はトゥオンブリーの写真から受けた、これまでにない魅惑的な「とまどい」の深さ故に、このあえかな光の靄に包まれた世界に闇雲に踏み込み、根拠を欠いた妄想を吐露したいという気持ちを抑えられない。すなわち、「抽象の厳しさとやさしさを突きつめたと考えられていた画家」、「触覚=非視覚の画家」がこのような写真を撮影したのではなく、実はその真逆で、このような写真を撮影する写真家、いやこのような眼差しで世界を見ていた男が、やがて「触覚=非視覚の画家」として「抽象の厳しさとやさしさを突きつめた」のではないか‥‥と。
 もちろんこれは単なる思いつきに過ぎない。しかし、ブラック・マウンテン・カレッジ在籍時の1951年に行ったピンホールカメラの実験から、その後1993年になって初めて開催した写真展にポラロイド写真を拡大してプリントした作品まで、断続的に撮影された写真には同様の手触りがあり、強い連続性・一貫性が感じられるのは確かだ。そこには彼特有の生理的・生得的な何かが前提条件として横たわっているように感じられる。つまりあからさまに言えば、トゥオンブリーはあのような撮影を手法として選択し行ったのではなく、そもそも彼にはあのように世界が見えていたのだと(仮にいつもではないにしても)。図録の年譜を見ると、暗闇の中で視覚を封じたドローイングを始めるのは1953年からとなっている。これは後発的に手法として開発したものととらえることができよう。
 だが、それにしても、なぜ視覚を封じて筆触に頼ることをしたのだろう。新たな手法開発のための実験としてだろうか。私にはそれも「彼にはあのように世界が見えていた」ことに理由があるように思えてならない。不確かな視覚の中で、世界は光の靄に満たされ、「真実の擬態」が遍く浮遊する。これは実は視覚=光の不足ではなく過剰によってもたらされる状態だ。彼は「光に盲いていた」のではないか。とすれば、むしろ求められるのは視覚=光を厳しく制限することにより、手で触れることのできる物質の世界、堅固で確実で平らな基底平面に着地することだ。彼はそれを曲がった棒を反対側に曲げるような、いささか極端な方法で実施した。すなわち視覚=光をシャットアウトし、直接事物に触れることのできる確実な触覚のみに頼って描くことで。それは紙と筆記具の接触点で生じる「筆触」を繋留点とした「自動筆記」的な性格を持つ一方で、光の靄の中に失われてしまう現物=視覚像と「それが何であるか」という言葉・了解の結びつきを、ドローイングの運動と軌跡として彫り刻まれる線を通じて取り返そうとする営為ではなかったか。
 そのように考えると、今回展示されていたキノコの写真を貼り込みドローイングを施したコンポジションが、まるでキノコ図鑑のページのように、図像とそれが何であるかの説明、絵解きを、くどいようにプレゼンテーションしていた理由もわかるような気がする。名前を書いてみたり、数字を書き込んでみたり、そうした図像と「それが何であるのか」のくど過ぎる確認作業は、原美術館に展示されていた作品群に共通に見られ、私はその飽きることなく繰り返される鬱陶しさに、いささかげんなりしたのだった。


 サイ・トゥオンブリーに対するイメージが大きく変わっただけでなく、視覚と触覚に関する思考を深めるまたとない機会ともなった。希有な展示だった。


トゥオンブリー0縮小
  撮影:原田正夫


サイ・トゥオンブリーの写真 − 変奏のリリシズム −
DIC川村記念美術館
2016年4月23日〜8月28日





アート | 18:41:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
ジャン・フォートリエ展@東京ステーションギャラリー  Jean Fautrier Exhibition@Tokyo Station Gallery
 新聞の紹介記事を見てはるばる東京駅まで。ジャン・フォートリエについては「アンフォルメルの先駆者」として以前から画集等で親しんで来たが、彼の作品と直接向かい合ったのは、2011年4月〜7月にブリヂストン美術館で開催された『アンフォルメルとは何か』展だった。「厚塗りに込められた実存の重苦しさ」という私の月並みな先入観を、吹き抜ける涼風のような清冽さが襲った。ジャン・デュビュッフェのこれは予想を上回る暑苦しさとともに、これはまたとない収穫となった。



 今回の展示は日本初の大規模な回顧展ということで期待して出かけた。丸の内北口改札を出てすぐギャラリーの入口があり、エレヴェーターで3階へ上がる。
 緑色をした蛙(そんな悪口がフランス語にあったような)みたいな管理人の肖像が出迎えてくれる。組まれた手指のどす黒さに人生の労苦、実存の重苦しさへと向かう眼差しを感じずにはいられない。続くエドゥアール夫妻それぞれの肖像画習作もまた、顔色が黒ずみ、消えることのない不機嫌さをたたえている。「娼家の裸婦」と題された鈍重な裸婦像の奥に覗く客の姿がフランシスコ・ベーコンを思わせる流動化を来していて驚かされる。
 静物画を満たしているのも暗い湿度であり、静物の並べられた食卓をひたひたと浸す台所のこもった匂いが漂ってくるようだ。思わず高橋由一を思い浮かべた。
 続く人物像にも初期セザンヌのような暴力性を秘めたやりきれなさが濃密にたちこめている。溢れる動物的生命力がそのまま噴き上がる野卑な表情やぶよぶよと美的規律からはみだしていく身体。それらが次第に輪郭をおぼろにして、空間に滲み出し始める。
 「横向きの頭部」、「マリエット」で一瞬、厚塗りへと向かう筆の動きを示しながら、画風は総体として別の道を進み、実存の重苦しさの沁み込んだ身体を手放そうとしない。それらの到達点と言うべき作品が、赤黒い塊がごろんと放り出された、どこかジェームズ・アンソールを思わせる(私はそこに民俗的な視線を投影しているのかもしれない)「羊の頭部」であり、暗い空間の中に肉の赤が静謐に浮かび上がる、これは明らかにフランシス・ベーコン的な「兎の皮」であるだろう。出品作品目録を見ると、これまで言及してきた作品が1922年から26年の作品であるのに対し、この2作品は27年。「1−レアリスムから厚塗りへ 1922-1938」と題された第1部の展示でも27年以降はデッサン系の作品と彫像だけなので、「到達点」との印象は当たっていよう。ここに示されている「静謐な肉の強度」は実に素晴らしい。フォートリエの新たな可能性を手に入れた気がした。



 「2−厚塗りから『人質』へ 1938-1945」に移っても、当初の静物画はまだ第1部の暗い重苦しさの中に埋もれている。「飾り皿の梨」のこすりつける筆致や「醸造用の林檎」における先の2作品を思わせる粘りのある赤が印象に残るが、それも束の間のことに過ぎない。
 その点で「人質」連作はやはり明瞭なブレイクスルーをもたらしている。マチエールの焼き締めたような固さと陶器の肌のような輝き。浮かび上がる白。広がる緑や青が透明な哀しみをたたえながら乾いた涼やかさを吹き込んでいる。ちらしに用いられている「人質の頭部」にしても、暗い眼窩に実存的虚無とやらを読み取るのは勝手だが、画面中央に広がる陶土にも似た白い輝きから黄色みを帯びて黄土色に至る希薄な流れと、そこに響く涼しげな薄い緑の広がりを、それらがかたちづくる乾いた硬質の表面の張り詰めた強度を、そうした文学的な物語に従属させてしまい、見ようとしないのはいかがなものか。



 その点で、会場で流されていた記録フィルム「怒り狂うもの フォートリエ」における美術評論家ジャン・ポーランの言説は、まさにそうした文学的解釈と言えるだろう。彼はコロー等の古典的フランス絵画の事前との予定調和を批判し、フォートリエを持ち上げる。その美しき自然に飽き足らない実存的沸騰を。ポーランにとってフォートリエの作品は、その不気味さ、おどろおどろしさによって、現代社会のシンボルであるに過ぎないのだろう。彼はほとんど「現代社会の高まるストレスがアンフォルメルを生んだ」と言っているに過ぎない。何と貧しいジャーナリズム的言説か。彼はフォートリエに「抽象とは熟慮に基づく分析であって‥」と反論されて、慌てて場を取り繕い、フォートリエの口を塞ごうとする。「いや、私の言いたいことはまさにそれだ」と。現代の幇間と言うべき(それにしてはあまりにも尊大だが)道化師的評論家像。
 そうしたポーランのありきたりな言説とフランソワ・ベイルのいかにもな音楽を聞かされるにもかかわらず、このフィルムはフォートリエの作品制作の様子を見られる点で極めて貴重だ。「描くのに時間はかけない」と言っている通り、彼は筆で線を引き、パテを盛りつけ、顔料の粉末を振りかけてパレット・ナイフでこね上げ、刷毛目を付けて、あっという間に作品を仕上げてしまう。まるでピッツァでもつくっているかのようだ。

 そして最終章として「3−第二次大戦後 1945-1964」が来る。最初に並ぶ静物画群は「人質」連作の成果を、技法として静物画にそのまま投影したものと言えるだろうか。物語が消去された分、涼やかな風通しの良さが増しているが、集中力、凝縮力、強度という点では劣る。やがて彼は具象を離れ、抽象へと離陸する。1955年頃からの「ふとっちょ」、「こちょこちょ」といった作品群は、薄い青が涼やかなコンポジション。やはりマチエールの固い肌触りと硬質な輝きが魅力的だ。「オール・アローン」の茶色の軽やかな用い方に見られるように、軽みが出て来たのもこの時期の特徴と言えるだろう。
 続く「黒の青」、「雨」、「干渉」、「草」、「植物」といった大判の晩年作品は、テンプレート的な構成がいささか表面化してくるものの、それでも流行としての「アンフォルメル」の中心を成したアルトゥングやスーラージュに比べればよっぽどいい。彼らがアンフォルメルと言いながら、描く身体の動きや画面上に仕切られたグリッドといったテンプレートに任せっきりなのに対し、フォートリエには素早い動きと軽やかなリズムがあり、線の疾走や表面の起伏といった運動を一斉に解き放ち、その一瞬に鮮やかに凝固せしめたような生成感覚が、硬質な表面の中に封じ込められながら、どきどきと息づいている。



 最後の扉を出たところにコレクション展示として、堂本尚郎の収蔵作品が2つ掛けられている。「アンフォルメルつながり」というつもりなのだろうが、実際に展示されているのはパターンの繰り返しを基底としたグラフィックな造形作品であって、かつてのアンフォルメル期の作品ではない。場違いとの感じを拭えない。堂本のためにも、フォートリエのためにも、不幸な趣向となっているのが何とも残念だ。

 最後に会場について。ワンフロアの広さが確保できず、展示室間を階段で移動しなければならないのは明らかにマイナス点だが、その階段室がなかなか素晴らしい。東京駅創建当初の煉瓦壁の肌合いがまず素晴らしく、そこから連想される古風なモダニズム洋館建築をベースとした八角形の空間構造、ステンドグラスとシャンデリアの瀟洒さも好ましい。

ジャン・フォートリエ展
東京ステーションギャラリー
2014年5月24日(土)〜7月13日(日)
月曜休館 10:00〜18:00(金曜は20:00まで)
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201405_JEAN_FAUTRIER.html



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