2020-11-30 Mon

つい先頃、松山晋也の監修・編集により発行された『カン大全 永遠の未来派』に執筆参加した。マニアックかつ重厚なのに、思いがけず売り上げ好調と聞いて驚いている。敬愛の込められた丁寧なつくりで、中身が濃いことは保証しよう。ここでは遅ればせながら、本書の全体の構成と拙稿の位置づけ、そこに盛り込んだ視点等について私見を述べることで、理解の一助としたい。
1.「大全」が目指すもの
ここで「大全」とは、トマス・アクィナス『神学大全』等に通じる「スンマ(summma)」のことだとすれば、それは単に大量の情報の集積のみを意味するものではない。「スンマ」とは総合や体系を意味し、『神学大全』においては、論点をすべて網羅し、体系的に組み上げることが目指された。
本書が「大全」を名乗る自負は、表紙に掲載された、ごく簡略化された目次構成ですでに明らかである。そこにはこう記されている(後で言及しやすいように番号を付した)。
1 カンの物語
2 シュトックハウゼンとWDRスタジオ
3 クラウトロックを育んだ戦後ドイツの風景
4 ユーロ・フリー・ジャズの勃興
5 カンの構成分子
6 カンのDNA
7 ロング・インタヴュー
8 ディスク・ガイド
通常、こうしたアーティスト特集本は、バンド・ヒストリーとディスク・ガイドを軸に構成される。そこに資料としてのアーティスト・インタヴューや、全体を展望する対談・鼎談等が加わるのが定番であり、後は様々な論者が自論や蘊蓄・トリヴィア、さらには個人的・世代的な思い出や感想を語ったり、ディスク・ガイドをシーン全体や影響関係に広げることがよく行われる。
対して本書においては、バンド・ヒストリーを詳細に語りつつ、全体への展望を与える「カンの物語」とロング・インタヴュー、ディスク・ガイド以外の部分を、2〜4のカンの多面性(あるいは多様体としてのカン)について論じる部分と、5〜6のカンの構成分子/DNAについて論じる部分という2つの視点で統括することにより、カンに関する論点を網羅的かつ体系的に構築することが目指されている。
冒頭にひっそりと置かれた序文「永遠の未来派」は、1970年代にカンを形容した「40年先を行く音楽」との賞賛が40年以上経過した現在もなお有効であることを宣言し(ここで「未来派」はマリネッティと何の関係もない)、続けて次のように編集意図を説明する。
60年代末〜70年代末のおよそ10年の活動期間に残された11枚のアルバムは、途切れることなく世界中で聴き継がれ、新しいリスナーたちを感嘆させてきた。その遺伝子を受け継いだミュージシャンたちはこれからも増え続けるはずだ。
本書はその“永遠の未来派”をさまざまな角度から検証し、全貌を明らかにするために編まれたものである。
ここで「さまざまな角度から検証」が必要なのは、カンが通常のロック・ミュージックの文脈には収まり切らず、また、語り尽くせない多面性を有しているからにほかならない。そこで、まず3として、単に同時代のロック・シーンを俯瞰的に展望するだけでなく、その多様な現れについて触れ、さらにそれらを生み出した文化的・社会的背景に視線を届かせることが求められる。続いて、彼らの持つ多面性の大きな要因となっているシュトックハウゼン(電子音楽)と同時代のヨーロッパのフリー・ジャズについて、それぞれを取り扱う2・4が用意される。
他方、「遺伝子」という時の流れを経て受け継がれていくものと、40年経ってもいまだに古びず触発的であり続ける、時を超えた「永遠性」とが交差することにより、「遺伝子の乗り物」としてのカンのあり方が浮かび上がる。彼らは出来上がった結果を貼り合わせるのではなく、生成のプロセスを束にする。そうした生成流動性こそが彼らの「永遠の未来」性を可能にしている。この流れをたどるために5・6が用意される。そこに見られる多様な要素や現れは、先に見た多面性の別の姿でもある。

2.カンの構成分子〜火星からやって来た音楽人類学者
私は「カンの構成分子〜火星からやって来た音楽人類学者」を、こうしたパースペクティヴの下に執筆した。それゆえカンを生み出した影響関係を、スタティックな「影響源の一覧表」としてではなく、そこに作用した、そして今も作用し続ける諸力間のダイナミズム/緊張関係として描き出すことを目指した。冒頭でペーパー・クロマトグラフィに触れているのは、一見した限りでは一様に溶け合って見分け難い諸成分が、ある力(表面張力と浸透力の差異)に突き動かされて、濾紙上を移動しつつ互いを分離し、それぞれの存在を明らかにするという動的なプロセスのダイナミズムを、読者に視覚的にイメージしてもらうための仕掛けである。
「カンの構成分子」とは、松山から原稿依頼を受けた際の「お題」である。普通なら影響源とか、影響関係と呼びそうなところだ。その時にも彼と話したのだが、ここには「プログレとはロックがクラシックやジャズの影響を受けて生まれた音楽である」というような粗雑な図式的理解とはまったく異なるパースペクティヴがある。図式では他からの影響を受ける対象としての「ロックなるもの」があらかじめ動かし難く前提されているのに対し、「構成分子」には、そのようなあらかじめ準備された核や軸が存在しない。すべてが構成的である。そして、それこそがカンの本質にほかならない。
カンの独自の「レパートリー」として、E.F.S.(Ethnological Forgery Series)の連作があることはよく知られている。それらの「ナンチャッテ民族音楽」は、「単なるフェイクではなく、それを構成する各要素を徹底的に解剖・分析した上で、再構成・再創造するという冷徹なプロセスを経てつくりあげられている。」【本書p.119】
ここで私は『2001年宇宙の旅』に登場する、異星人がごく断片的な情報から分析の限りを尽くして再現した「地球人の部屋」を例に引いている。細部まで完璧にコピーされた精巧極まりない、だが実物とはあり得ないほどに決定的に遠く隔たった「異物としてのシュミラクル」。カンにとっては、そもそもロック・ミュージックそれ自体が、自らの手持ちの要素ではなく、そのようにシュミラクルとしてつくりださなければならないものだった。人類の滅亡した地球を訪れた火星の音楽人類学者が、そこに残るわずかな痕跡から「地球人の音楽」を探求・理解・再創造しなければならないように。

スタンリー・キューブリック『2001年 宇宙の旅』より
E.F.S.から『2001年宇宙の旅』ヘの補助線を明確に引いたのは、津田貴司とともにナヴィゲーターを務めているリスニング・イヴェント『松籟夜話』の第七夜に関し、AMEPHONEの作品を光源に音世界を照らし出そうと、二人でプログラム構成に考えを巡らしていた時だった。「捏造民俗音楽」という視点によるセクションの選盤に当たり、その発想の源であるカンのE.F.S.連作を聴いてみたのだが、どうもパッとしない。AMEPHONEの想像的構築とは異なり、民俗・民族音楽のフィールドレコーディングの持つ強度に、カンの捏造ぶりが対抗し得ないのだ。これは決して時代的な限界ではなく、カンによる「捏造」行為自体が、民俗・民族音楽それ自体をターゲットにしていたのではなく、ロック・ミュージックをシュミラクルとして再構成・再創造しながら、その「ロック・ミュージック」というフィルターを通して民俗・民族音楽を捏造していることに思い至った。E.F.S.には、エスノ・ミュージックならぬ「エセノ・ミュージック」という「名訳」があるが、それにならえば、カンは最初からエスノ・ロックではなく「エセノ・ロック」を演奏していたのだ。
カンとはロックの「部外者」であり、だからこそロック自体を解剖・分析し尽し、冷徹に再構成・再創造できたとの認識を得たのは、もっとずっと遡る。1980年代の初めだったと思うが、当時、池袋西武「アール・ヴィヴァン」レコード売り場を担当していた田島敦夫(芦川聡から引き継いだ二代目店長で、彼自身「はたご屋」名義でカセット・テープを自主制作するミュージシャンでもあった)から、「カンって、いったいどこが面白いんですかね」と突然尋ねられて、咄嗟にそのようなことを説明した記憶がある。このことは、私が当時からカンをその分析/構成力において、すなわちメタ・ロック的な視点から評価し、それゆえ当時のニュー・ウェイヴへの影響を含めて歴史的に重要ととらえながらも、音楽それ自体としてはあまり評価していなかったことを証し立てている。白状してしまえば、それは今でもさほど変わらない。今回、改めて聴き直してみて、マルコム・ムーニーとの絡みはやはり素晴らしいと思ったけれども。
さて、ここで少々舞台裏を明かしておけば、「火星の音楽人類学者」とは、ひとつにはティエリー・ド・デューヴによる美術批評『芸術の名において デュシャン以降のカント/デュシャンによるカント』に登場する「火星からやって来た民俗学者あるいは人類学者」のもじりであり、もうひとつには文中でもその名を挙げているマルセル・モースの門下であり、『始原のジャズ』を著した民族音楽人類学者アンドレ・シェフネルにちなんだものである。マルセル・グリオール率いるダカール=ジブチ調査団に、シェフネルと共に参加したミッシェル・レリスも、また熱狂的なジャズ愛好家だった。この辺については、昼間賢による『始原のジャズ』訳者解説が詳しい(この訳者解説だけでもぜひ読んでほしい)。
「通常のロック・ミュージックの文脈には収まらない」部分として、現代音楽、電子音楽、フリー・ジャズ、雅楽を含む民族音楽等からの「影響」(直接的な引用や模倣から、触発による再創造や捏造に至るまで)を中心に採りあげているが、音楽以外の文脈にも言及している。これは特にカンの場合は必須だ。大きいのはフルクサスからの影響だろう。忌まわしきファシズム体制への反発・忌避もあって、「リーダーなし」の対等なネットワークへの志向が彼らの共感を呼び、グループの基本思想として根付くこととなったのは、ごくごく自然な成り行きだったろう。おそらくは、このことの別の側面での現れとして、彼らがグループをシンボライズするヴィジュアル・イメージを固定しなかったことも指摘しておいた。『フューチャー・ディズ』のカヴァーをはじめ、デザインとして秀逸なものも多いから、彼らがヴィジュアルに無頓着だったとは言えまい。「CAN」との命名通り「何にでもなり得る、何でも放り込める、それ自体としては空っぽなスペース/プロセス」として自らをとらえていることの、確信犯的な表明だったのではないか。


『始原のジャズ』 ダカール=ジブチ調査団の面々
「ロック自体を再構成・再創造する」というメタ・ロック的な取り組みに関し、論稿ではディス・ヒートとジョン・ゾーンによる「ロクス・ソルス」のプロジェクトを、「カンと同じ行動を起こした者たち」として挙げている。これは本書が送られてきて、通読して初めて気づいたことだが、「カンの構成分子」と対を成す「カンのDNA」のディスク100枚にはディス・ヒートもジョン・ゾーンも含まれていないが、ホルガー・シューカイ『ムーヴィーズ』のディスク・レヴュー(筆者:岸野雄一)において、いささか角度こそ異なるものの、ディス・ヒートとジョン・ゾーンの名前が触れられている。リスペクトの表明や楽曲のカヴァーを含む直接的な影響関係と、系譜学的な類似(ここでは演奏現場や音楽生成の瞬間における諸力の交錯/衝突をどう制御/発展させるかという姿勢の共通性を指す)との視点の違いだろうか。


『ディス・ヒート』 『ロクス・ソルス』
3.ユーロ・フリー・ジャズの勃興〜独自「武装」による非米国化を目指した者たち
ヤキ・リーベツァイトがマニ・ノイマイヤー(グル・グル)と共に、アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『グローブ・ユニティ』にドラマーとして参加していることは、ジャーマン・ロック・ファンに広く知られていよう。それ以前にも、リーベツァイトはマンフレート・ショーフのグループで活動していたわけだから、その時点でジャーマン・フリー・ジャズ・シーンの只中にいたのは確かだ。
その一方で、数少ないインタヴューでも繰り返し語っているように、彼が「フリーの不自由さ」に飽いてカンに参加したのも事実である。こうしたことを踏まえれば、単にカンの同時代現象としてジャーマン・フリー・ジャズ・シーンをとらえるだけでは、「大全」の構築には不充分であることが見えてくる。これに対応して私が本原稿執筆に当たって用意した三つの論点に関し、以下に述べることとしたい。
(1)黒人音楽からの独立
一つには、フリー・ジャズ・ムーヴメントを通じ、ヨーロッパのジャズが「黒人音楽としてのジャズ」から独立していくことである。ジャズという音楽が黒人起源、すなわちアフロ・アメリカン文化に根を持っていることを最初に示したのは、実は前述のアンドレ・シェフネル『始原のジャズ』である。「ジャズの本場」米国では人種差別の存在ゆえに、そうした理解は遅れていた。その後、ジャズにおける初めてのモダニズムであるビ・バップがチャーリー・パーカーら黒人演奏者により生み出され、第二次世界大戦後、豊かな米国文化の象徴として世界中に輸出される。その結果、たとえば我が国においては、戦時中に敵性音楽として禁じられていたジャズをこっそり愛好していた者たちが、「ジャズは白人の音楽とばかり思っていたが、実は白人によって差別されていた黒人の音楽だった」として、自らを黒人に重ね合わせる(これにより白人を両者共通の敵として浮かび上がらせる)という倒錯した理解も生み出された。
そうした黒人文化とジャズの結びつきは、人種差別に反対する黒人解放運動(ブラック・パワー)とフリー・ジャズが重ね合わされることにより、さらに強力なものとなっていった。その一方で、ヨーロッパのフリー・ジャズには、それとは異なる可能性が芽生えつつあった。もちろん、より演奏しやすい環境を求めて相次いで渡欧(短期間の楽旅を含む)黒人ジャズ・ミュージシャンたち、オーネット・コールマン、ドン・チェリー、セシル・テイラー、アルバート・アイラー、アートアンサンブル・オヴ・シカゴの面々、アンソニー・ブラクストン、リーオ・スミス等が、ヨーロッパにおけるフリー・ジャズの動向に大きなインパクトを与えたことは紛れもない事実であり、これらと切り離してシーンを論じることはできないが。
(2)ユーロ・フリー・ジャズを牽引したドイツ
二つ目として、この時期にはドイツのフリー・ジャズがヨーロッパ全体を牽引していたということがある。それゆえ「ジャーマン・フリー・ジャズの勃興」ではなく、「ユーロ・フリー・ジャズの勃興」なのだ。その原動力となったのが、ケルン音楽大学に新設されたジャズ・コースに集ったショーフ、シュリッペンバッハたちであり、ナム・ジュン・パイクを通じてフルクサスに関わり、いち早く自主レーベルを立ち上げ、独自の活動を切り開いていったペーター・ブロッツマンたちである。前者においては、そもそもケルンが二十世紀音楽の「聖地」であったことが大きい。ここで事態は「2 シュトックハウゼンとWDRスタジオ」と見事にクロスすることになる。
旗揚げ宣言となった『グローブ・ユニティ』に続き、ブロッツマン『マシンガン』、ショーフ『ヨーロピアン・エコーズ』と、立て続けに重要作が制作されるが、これらに参加したミュージシャンのネットワークはドイツ一国にとどまらず、ヨーロッパ中に広がることとなった。
(3)「ポスト・フリー」の探求
そして三つ目として、ヤキの飽いていた「フリーの不自由さ」に対する「ポスト・フリー」の模索が始まることである。
通常のユーロ・フリー・ジャズ史の叙述において、ドナウエッシンゲン音楽祭におけるドン・チェリーとぺンデレッキの邂逅は語られても、同時代にフリードリッヒ・グルダが撒き散らかしていた、オモチャ箱をひっくり返したような「世界音楽」的展開はあまり語られることがない。同様にICP、FMP、Incus等ミュージシャンにより設立・運営される自主レーベルの活動に比べ、それと同一平面でECMが採りあげられることは少ない。
実際には、ジョン・コルトレーンの死に象徴されるフリー・ジャズの行き詰まりが、「ポスト・フリー」に向けた探求を促し、そこでは様々な「可能性」(と思われたもの)に対し、数限りないアプローチが、まったくの手探りで進められた。フリー・ジャズ+ヨーロッパの現代音楽=フリー・ミュージックというのは、その混迷した現実に眼を瞑り、あっけらかんとスキップした貧しい図式的理解に過ぎない。いつだって、「正解」や「定型」が見出される前の混沌とした移行期にこそ、驚嘆すべきまったく別の可能性に満ちた試みが潜んでいるのだ。それらは先の「図式的理解」の照明の届かない、薄暗い階段の踊り場の隅や袋小路に置き忘れ、打ち捨てられている。そしてこのことは、過去においてそうであるというだけでなく、現在においても当てはまることを忘れてはならない。いつだって可能性は、完成された定型の繰り返しにではなく、手探りの試行錯誤のうちに開けているのだ。
「ポスト・フリー」の探求においてECMレーベルが果たした役割については、少々補足しておいた方がいいだろう。清水俊彦は記念碑的著作『ジャズ・アヴァンギャルド』に収められた論稿「ポスト・フリーのパラダイムをきりひらく二人の先導者」において、「ポスト・フリーの動きを可能な限りその全体的な広がりにおいて捉えるためには、まずいくつかの調子を狂わせるようなレコードを思い浮かべることからはじめるのがふさわしいだろう。」【同書p.175】と前置きして、次のような一連のアルバムを掲げる(番号は便宜的に付したもので原著にはない)。この13作品のうち※印を付したものがECMからのリリースであり、約半数の6作品もある。
1 アンソニー・ブラクストン『Anthony Braxton』
2 マリオン・ブラウン『Afternoon Of A Georgia Faun』※
3 スティーヴ・レイシー『Wordless』
4 バール・フィリップス『Bass Barre』
5 アンソニー・ブラクストン『Recital Paris '71』
6 チック・コリア『Piano ImprovisationVol.1〜2』※
7 ディヴ・ホランド、デレク・ベイリー『Improvisations For Cello & Guitar』※
8 バール・フィリップス、ディヴ・ホランド『Music from Two Basses』※
9 コリア、ホランド、バリー・アルトシュル『A.R.C』※
10 サークル『Paris Concert』※
11,12 ポールブレイ・シンセサイザー・ショウ『Dual Unity』『Improvisie』
13 スティーヴ・レイシー『Lapis』


マリオン・ブラウン ホランド&ベイリー
清水はこれに続けて、「こうした動きと重なり合うようにして、ヨーロッパのフリーのミュージシャンたちによる自主レコードが相ついで出はじめた。これらヨーロッパの新しい音楽美学は、レイシー、レオ・スミス、ブラクストンらのそれと奇妙に結びつく完全にコンテンポラリーな作品を生み出している」【同書p.176〜177】として、次の4作品を挙げている。
14 チカイ、メンゲルベルク、ベニンク『John Tchikai/Misha Megelberg/Han Bennink』(ICP)
15 ペーター・ブロッツマン『Nipples』(Calig)
16 エヴァン・パーカー、ベイリー、ベニンク『The Topography Of The Lungs』(Incus)
17 マンフレート・ショーフ『European Echoes』(FMP)
ここでは初期ECMの作品とICP、FMP、Incus、ブロッツマンの自主制作レーベルの延長上の作品(*)が、同一平面上に並べられている。ただし、ここで挙げられているECMの作品がいずれも米国のミュージシャンが主導あるいは参加したものに限られていることに注意しよう。この制限を取り払えば、ECMのカタログからたとえば次の作品がリストに加わったに違いない。
18 ジャスト・ミュージック『Just Music』
19 ベイリー、パーカー、ヒュー・ディヴィス、ジェイミー・ミューアほか『Music Improvisation Company』
20 ヴォルフガング・ダウナー『Output』
21 テリエ・リピダル『What Comes After』
*『Nipples』はブロッツマンの3作目であり、先立つ2作品『For Adolph Sax』、『Machine Gun』はいずれも彼自身の自主レーベルBroから最初リリースされ、後にFMPから再発された。なお、『Nipples』も初回ジャケットは中央の写真部分が実は折り畳まれており蛇腹状に伸びるという、いかにも手づくりなギミックが施されている。



『Just Music』 『同』オリジナル盤 『Music IMprovisation Company.』
先の13作品に共通する傾向として、空間への注目とそれへの挑戦的なアプローチを抽出し、それをリスト全体21作品に敷衍することができる。この視点から幾つか簡単にコメントしておこう。
たとえばそれは、1におけるサウンドのパペット・ショウとも言うべき、室内楽とは別の仕方で精緻に組み立てられたミクロな動きであり、2においては空間/距離を隔てた呼び交しや自らの(あるいは他の誰かの)放った音の響きに耳を澄ます「聴くことの重視」であり、この「聴くこと」の重視は空間をたっぷりとはらんだソロである3・4をまっすぐに貫いている。一方、5は管楽器からほとんど正弦波と聴き紛う純正な響きを引き出しており、空間と呼吸の精密な均衡を求めて、耳と皮膚と口腔のセンサー感度を極限まで高めている緊張がひしひしと伝わってくる。
7、8、14、16、19はすでにある沈黙に傷を付け、そこから演奏が新たな空間を切り開きつつ、グループとしての関係性をゼロから構築していくフリー・インプロヴィゼーション(フリー・ジャズからは切断されたそれ)であり、後に「クリスタル・サイレンス」として確立されるECMのレーベル・イメージとはおよそかけ離れている。初期ECMにおいては、こうした冒険的演奏にすら場所が与えられていたことに、改めて注意を喚起したい。
11,12,20では、電化/電子化による聴き慣れない、時には耳に痛いほど尖った不定形のサウンドが、空間に炸裂し、ねじ曲げる。よりクールな21では、電化により希薄化されたギターのたなびきと、自力で抽象的な空間を構築するコントラバスが相互に浸透しあう。6、9、10は今となってはいささかインパクトに欠けるが、6の傍らにキース・ジャレット『Facing You』、ポール・ブレイ『Open, To Love』を、9、10の隣りにはチック・コリア『Return To Forever』を、いずれも初期ECM作品から選んで並べるならば、当時は新鮮だった一つの風景が浮かんでくるだろう。
ここで特筆すべきは、サラヴァ・レーベルを支えた天才録音技師ダニエル・ヴァランシアンの全面協力を得た13における多重録音等も駆使した空間への多面的なアプローチであり、もうひとつは18において、集団即興演奏に対するありとあらゆる時間的/空間的指定を、事前の指示のみならずリアルタイムのハンド・キューやコンダクションを含めて総動員していく野心的極まりないアプローチである。それゆえ『カン大全』掲載原稿では初期ECMの諸作から代表として18を採りあげ言及した。
4.European Ecoes : Jazz Experimentalism in Germany 1950-1975
「ポスト・フリー」を巡る部分で、話が随分と長くなってしまったが、最後にもうひとつ、今回、もっぱら歴史的事実の確認のために参照したHarald Kisiedu「European Ecoes : Jazz Experimentalism in Germany 1950-1975」について少し触れておきたい。この論文はAACMの一員であり、『A Power Stronger Than Itself』の著者としても知られるトロンボーン奏者/作曲家のジョージ・E・ルイスの指導の下に執筆されている。ウェブ上で梗概のみならずほぼ全文(本文200ページ弱・英語)を閲覧できるので、興味のある方はぜひご一読いただきたい。単に先行研究をとりまとめただけでなく、関係者に直接インタヴューも行った労作であり、『グローブ・ユニティ』の時点のブロッツマン・トリオのドラマーが、スヴェン・アケ・ヨハンソンではなくマニ・ノイマイヤーで、だからこその『グローブ・ユニティ』参加となったことは、この論稿を読んで初めて知った。
なお、この論稿ではかなりの部分をミュージシャンの政治思想検討に当てており、その部分については、今回、基本的に活用していない。その理由は「音楽批評は政治から距離を置くべき」というようなことでは決してない。少なくともカンに関する限り、政治思想的な側面に注目する必要はないと考えるからだ。あえてそのように述べるのは、イルミン・シュミットが「大全」に収録されている以外の最近のインタヴューで「カンは『68年』のグループなんだ」と繰り返し表明しているためである。ここで「68年」とは、もちろん1968年5月のパリにおける「五月革命」やこれと同時期に欧米や日本で起こった学生叛乱を指している。カンの活動開始時期を考えれば、学生叛乱が同時代の出来事なのは明らかであり、カンと名乗る以前のジ・インナー・スペース時代に、いかにもアングラな政治風刺映画『Agilok & Blubbo』のサウンドトラックも手掛けているわけだから、当時の左翼勢力とつながりがあったことは確かだろう。にもかかわらず、あえてカンの政治性を否定するのは、ヤキ・リーベツァイトとホルガー・シューカイとダモ鈴木が政治的信条を共有するはずなど決してあるまいという確信(笑)もさることながら、もし本当に当時のドイツの学生叛乱や反政府運動にどっぷりと浸かり、あるいは共感して熱いエールを送っていたのならば、誰しもがまずパリ「五月革命」を思い浮かべる「68年」などを持ち出す代わりに、当時のドイツにとってはより切実だったはずの、社会主義ドイツ学生連盟の政治的指導者であった活動家ルディ・ドゥチュケの活躍や1968年4月に起こった彼の暗殺未遂(彼はその後も活動を続けるも、この時の後遺症に苦しみ続け、ついに40歳で生涯を終える)について、さらにはドイツ学生叛乱のその後の展開であるバーダー・マインホフ・グループ(後のドイツ赤軍)のテロリズム(ドゥチュケはテロによる直接行動に反対していたのだが)とウルリケ・マインホフをはじめ逮捕された幹部の不可解な獄中死について言及すべきではないのか。



『Agilok & Blubbo』 ルディ・ドゥチュケ 『See You at Regis Debray』
まさに彼らの死をテーマに作品を制作しているゲルハルト・リヒターのようなアーティストがドイツにはいることを考えると、イルミンの発言はあまりにも軽く、どうしても昨今の世界的な「68年」ブームに便乗した安易な売り込みのように思えてならないのだ。
我が国において日本赤軍に関して制作された映画・音楽等は枚挙に暇がないが、バーダー・マインホフ・グループというか、アンドレアス・バーダーについて、バーダーひとりしか登場しない特異な映画作品である『See You at Regis Debray』のサウンドトラックを池田亮司が担当していることを最後に付記しておきたい。



ゲルハルト・リヒターの作品から
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音響再生産の文化的起源 ジョナサン・スターン『聞こえくる過去』刊行! Cultural Origins of Sound Reproduction Translation of Johonathan Sterne『The Audible Past』 Has Come Out !
2015-11-01 Sun
注目すべき書物が出版された。ジョナサン・スターン『聞こえくる過去 音響再生産の文化的起源』(インスクリプト)、音響研究、聴覚文化論の必読文献とされるJohonathan Sterne『The Audible Past Cultural Origins of Sound Reproduction』の全訳である。何しろ大部の書物ゆえ、まだ冒頭部分をひとかじりしただけなのだが、それでも本書が極めて充実した内容を持っていることは窺い知れる。今回はその点に絞って、レポートさせていただきたい。

ジョナサン・スターン『聞こえくる過去 音響再生産の文化的起源』
(訳=中川克志、金子智太郎、谷口文和)
出版社であるインスクリプトのページ(※)に、本書は次のように紹介されている。
※http://www.inscript.co.jp/b1/978-4-900997-58-5
音響再生産は、人間の耳をメカニズムとして模倣することから始まる。それまでの口に耳が取ってかわる。音についての理解と音響再生産の実践に、転換・転倒が起こったのだ。
そして、技術は私たちの聞き方をいかに変えたのか──。
視覚のヘゲモニーに覆いかくされながら、今も続く「耳の黄金期」。『聞こえくる過去』が語る物語は、音、聴覚、聴取が近代的な文化的生活の中心であり、その生活においては、音、聴覚、聴取は、知識、文化、社会組織の近代的な様式の基盤であることが示される。
本書は、オートマタ、聴診器、電話、レコード、ラジオから缶詰製作や死体防腐処理技術等までを含んで、音響再生(音響再生産)の技術・思想・イデオロギーを分析し、ヘッドフォンによるデジタル音源の聴取に代表される現代的聴取の体制の起源と系譜をたどり、音響技術史にとどまらず、メディア論、感性の歴史、近代性の歴史と哲学に新たな視点をもたらしたジョナサン・スターンの代表作である。「音とは、乱雑で政治的な人間の活動圏の所産である」。視覚の特権化を廃し、音の経験に歴史的・社会的・文化的な外的要素を導入することによって、包括的な音の歴史と哲学を描きだした本書は、フーコーの考古学、マクルーハン、キットラー、クレーリーの系譜に新たな地平を拓き、近代の近代性を問いなおす、人文学の記念碑的著作である。図版資料収載。
これを読んだだけでも魅力的な書物であることがわかるだろう。そして、もしこの紹介文に対し、「ふふん」と鼻を鳴らして、冷ややかな批判的眼差しを向ける方がいるならば、むしろそうしたあなたこそ、本書を手に取るべきなのだ。
たとえば「技術は私たちの聞き方をいかに変えたのか──」という箇所に「巷に蔓延する一面的な技術決定論ではないのか」との疑いが生じるかもしれない。しかし、スターンは次のように述べている。
技術の神格化とは、「電話が私たちの仕事のやり方を変えた」とか「フォノグラフが私たちの音楽の聴き方を変えた」といった主張の背後に潜んでいる信仰なのだ。衝撃の物語は、正当にも、技術決定論の一形態として広く批判されてきた。衝撃の物語は因果関係に関する貧弱な見解から生ずるのだ。【本書19ページ】
音響再生産技術に対して私たちが最も大切に抱いている信仰 − 例えば、音響再生産技術は音とその発生源を分離したとか、録音は死者の声を聞かせてくれる等々 − は、その技術の衝撃を記述する無垢な経験的記述ではなかったし、今もそうではない。それらは人々が音響再生産技術に託した願望だった。この願望は、技術革新と利用のための計画となった。【本書20ページ】
あるいは「視覚のヘゲモニーに覆いかくされながら」とか「視覚の特権化を廃し」というフレーズに、視覚と聴覚の安易な二項対立、そして前者に対して後者の「復権」を図るというお決まりの脱構築の戦略を感じ取るかもしれない。しかし、それはスターンの姿勢ではない。彼は「聞くことと見ることの差異はしばしば生物学的、精神的、肉体的な事実だと考えられ、音の文化的分析のために必要な出発点であるとほのめかされる」として、一連のリストを「視聴覚連禱」として掲げる。【本書28ページ】
その一部を参考として以下に掲げよう。
○聴覚は主体を巻き込み、視覚は遠近感を提供する。
○音は私たちのところにやってくるが、視覚はその対象へ向かう。
○聴覚は内面的なものに関わり、視覚は表面に関わる。
○聴覚は外側の世界と肉体的に接触する必要があり、
視覚は外側の世界と距離を取る必要がある。
○聴覚は私たちを世界のなかに巻き込む感覚で、
視覚は私たちを世界から分離する感覚である。
そして彼は次のように付け加える。「視聴覚連禱」は聴覚(と、さらには話し言葉)をある種の純粋な内的要素を示すものとして理想化するが、それは宗教的な教義に由来するイデオロギー的なものであると。【本書29ページ】 一連のリストが「連禱(Litany)」と名付けられているのは、それがキリスト教的観念に由来することを示すためにほかならない。実際、彼はこの点を突いて、ウォルター・オングの主張を批判し、オング『声の文化と文字の文化』はときには科学的知見の要約のように読めるかもしれないが、オングの初期の著作は、諸感覚に対する彼の主たる興味が神学的関心にあると表明している旨を指摘している。
しかし、ここで素晴らしいのは、スターンが一連の視聴覚連禱に「キリスト教的」とのレッテルを貼って、えいやっと乱暴に放り捨ててしまうのではなく、次のように述べていることだ。
おそらく視聴覚連禱の最大の間違いは、聴覚と聴取を同一視していることだ。聴取は方向づけられた後天的な活動である。それは紛れもない文化実践なのだ。聴取は聴覚を必要とするが、たんに聴覚に還元されはしない。【本書33ページ】
と、ここまで見てきただけでも、本書において思考が実に注意深く深められていることに気づくだろう。本書を読み進めることにより、読者は、私たちが普段、暗黙に前提としてしまっており、あまりにも当たり前なので、もはやそのことに気がつきもしないようなイデオロギー的な条件設定に気づかせてくれる。これは大きな魅力だ。本書が研究者にとって「必読文献」とされるのも納得できる。
だが、私にとって本書の魅力はそれだけではない。これまで様々な箇所で自分が行き当たっていた課題、そしてそこに至る体験や思考の道筋が、至るところで本書と交錯しているのだ。
たとえば、金子智太郎と虹釜太郎が主催する「アンビエント・リサーチ」でオートマタについて知り、次いで金子智太郎が通訳を務めたフランシスコ・ロペスのワークショップにおいて、「オートマタがつくられた時には、音響再生産技術を可能とする個々の技術は出揃っていた。にもかかわらず、音響再生産技術が確立されるのはもっと後のことになる。なぜ、その時ではなく、この時だったのか」という問いを投げかけられることになる。その時に思いついた答は、ジャック・デリダが「現前の形而上学」として批判する「自らが話すのを聞く」という回路にとって、音と発生源を分離したアクースマティックな音のあり方自体がタブーだったからではないか‥‥というものだった。
これに対し、本書もまた「フォノグラフ(と、さらには電話)をつくる基本的な技術は、それらが実際に発明されるよりも少し前に存在していた。それではなぜ、音響再生産技術はまさにそれが登場した時代に登場し、他の時代には登場しなかったのか」という問いを掲げている。【本書12ページ】
さらに「視聴覚連禱」と関連してデリダが参照されているのは先に触れた通りだが、それだけでなく、音響再生産技術を「音を発生源から分離させ、アクースマティックな音をつくりだす」ものとして定義すべきかどうかの議論において、直接言及はされないが、同様の問題群が再び参照されることになる。その結論としてスターンは、ピエール・シェフェールやマリー・シェーファーの論にもかかわらず、あえて対面のコミュニケーションや個人間の直接性を真正なものとして優位に置き、そこからのズレとして音響再生産技術を位置づけるのではなく、そうした聴覚の超越論的主体を必要としない定義、すなわち「変換器」によって音を何か別のものに変えて、さらにその何かを音に戻すという定義を採用するに至る。【本書34〜37ページ】
このほかにも、以前にミッシェル・ドネダについて論じる際に引用した「アヴェロンの野生児」の事例(監督のフランソワ・トリュフォー自身が主人公の博士を演じた映画『野性の少年』の元ネタとして知られる)が採りあげられていたり、メルロ=ポンティだけでなく、マルセル・モースについて言及されていたりと、本当に興味は尽きない。
以下に本書の目次を掲げておくので、ぜひ参考にされたい。また、本書の訳者の一人であり、訳者を代表して「訳者解説」を執筆している中川克志が、次のページで本書の紹介をしているのが、やはり参考になるだろう(冒頭に掲げたインスクリプトによる紹介文は、ここでの紹介や訳者解説を要約する段階で、いささか内容を短絡させてしまったのではないだろうか)。
http://soundstudies.jp/c01/
また、表象文化学会発行による『表象』09号(月曜社)が、特集「音と聴取のアルケオロジー」を組んでおり、言わば本書の出版に合わせたもののはずなのだが、「大学院生向けの論文ネタ指導」的な色合いが強いせいか、どうも読んでいてピンと来ない。少なくとも私には、この特集の内容を通して、本書の魅力を思い浮かべることはできなかったことを白状しよう。まあ、だからこそ、実際に本書を手に取って読み始めた際に、強い衝撃を受けたのだとも言えるのだろうが。
目次
ハロー!
音の自然を再考すること─森、倒れた木、現象学について
音響再生産とは何か 本書の計画
第一章 人の代わりに聞く機械
委託、共感覚、音の外見
耳科学、生理学、社会存在論
ダイアフラム、発声器官、音の機械
もう一度耳から機械へ:音響再生産の可能性の核心
第二章 聴取の技法
間接聴診と医学の聴覚文化
間接聴診─技法の社会的基礎と哲学的基礎
聴こえるものが知りうるものになる─変わる医学知識の体制
記号としての音
第三章 聴覚型の技法とメディア
電信術─「古代と近代」
広められた聴覚型の技法─もしくはヘッドセット文化小史
第四章 可塑的聴覚性─技術をメディアに
男性による出産と赤ん坊の機械
音が産業的問題となる─研究と技術革新の場
音響再生産の市場形成─実験的メディア・システム
中産階級の社交における差別化、利便性、様態変化
可塑性、家庭空間、宣伝活動
官僚制、介在、国民性
結論─まずはメディア、その後に技術
第五章 音響忠実性の社会的誕生
音響再生産のダイアグラムとしてのスタジオとネットワーク
真正性をもたらすための人工的な工夫
機能の美学と再生産という事実
忠実性と純粋聴力の拡張
電話テストからトーン・テストへ─信頼すべき機械たち
可変的な真実性
遂に真なる忠実性へ
信頼の断絶
第六章 鳴り響く墓
化学の力で素敵な聴取
彼のマスタリングされた声
未来に向けたメッセージ
「死にゆく文化の声」─音響民族誌と保存の精神
プロジェクトとしての永続性
結論 聞こえくる未来

2014-03-04 Tue

表紙の写真が思わせぶりだけど、中身は展示会用のオブジェやインスタレーションの写真が並んでいて、作品のタイトルや製作者である著者自身による短い説明が日英バイリンガルで記されている。
作品には驚かされた。音楽が聴こえる。人の姿が出てこない方がいい。空間の中で完結している方が。別にインタラクションの中に置かれる必要なんてない。だから、実を言うと説明はいらない。建築としての位置づけも。彼の展示について「建築はどこにあるの?」という評をネット上で見かけた。建築家が嬉々としてこういうのをつくっているのが許せないらしい。

別にいいよねと思う。建築だと言わなければいいだけ。でも本人も「実は建築と言いたい‥」と思っているらしいところが端々から覗いたりする。そこがちょっと余計。生きている人間の身体やヒューマン・スケール(との対比)を絡ませるのも、建築にしたいからなのかな。

空間の造形としてとても洗練されていて、力が抜けていて、遊び心があり、かつ核心をとらえている。やっぱりこれは音楽だ。眼に見える音楽。楽譜というよりも(あれはきっかけの記号だから)、放たれた音が結晶化/視覚化したもの。


長い糸の両端を持って自然に垂らした時にできる懸垂曲線(=カテナリー曲線)を並べた作品が一番好きかな。「カテナリズム(catenarhythm)」とか「空気のような舞台(atomosphere)」。特に後者で闇の中に浮かび上がる細く白い曲線の連なり。あまりネット上に写真がなかったのが残念。
http://www.ryujinakamura.comもぜひ参照のこと。




2014-01-03 Fri
ずっと手に取る機会がなくて、ソウルに向けて旅立つ前日にTower Record渋谷店で入手。行きの飛行機から読み進める。到着後しばらくして、妻から移された風邪(ノロ?)でダウンし、その後は別の本にチェンジ。気力が少し回復した滞在後半、また、読むのを再開し、帰りの飛行機でとりあえず読了。私の身体の忌避反応が率直に示しているように、読み手の気力・体力を求める本だ。その後もぱらぱらと読み返しているが、「消化」できた感じがしない。長期間に渡って書かれた文章の「集成」であることが、一点からの見通しを難しくしている部分もあるだろう。‥‥というと「散漫」との誤解を与えてしまうかもしれないので付け加えるならば、内容は編集によりかなり絞り込まれており、私自身、竹田賢一の文章を網羅的に読めているわけでは全然ないにもかかわらず、「あれを入れてほしかった。これも漏れている‥」と思わずにはいられなかった。巻末の書誌を見れば、さらに「ああ、あれも読みたい、これも‥」となることは必至。本人参加の鼎談(図書新聞)、幾つかの書評(週刊朝日、ミュージックマガジン)もあるようだが、とりあえず今は手元になく参照できない。どうしようかと考えたが、もともとこの本を読んで書くことをこの年末年始の課題として設定していたこと、そしてこれは思いがけず、竹田氏ご本人からFBの関連リンクに「いいね」をいただいたこともあり、ここは思い切って書いてしまおう。なので、本稿は全体を紹介することを目指さず、トピックを絞り込んだ読後メモ的なものに留まらざるを得ないことをあらかじめお断りしておく(結果としてずいぶん長くなってしまったけど)。

構成は必ずしも執筆順ではないが、冒頭に掲げられているのは、巻末書誌でも最初に掲げられている「地表に蠢く音楽ども」の連載の再録である。連載に至る経緯については、本書に収録された土取利行・坂本龍一『ディスアポイントメント − ハテルマ』のライナーノーツの再発時の追記部分に詳しい(この盤の再発に奔走された当時のキング・レコードのディレクター堀内宏公氏の功績か)。それによれば、新宿ゴールデン街の飲み屋のママのシャンソン・コンサートを竹田がプロデュースすることになり、ブリジット・フォンテーヌを題材に選ぶ。すでに決定していた坂本龍一(同じ店の常連)以外のミュージシャンを集めていて、ブリジットの日本盤をリリースしていたコロンビア・レコードに広告をもらいに行ったところ近藤等則グループを紹介され、ベースの徳弘崇とドラムの土取利行に依頼する。そしてコロンビア・レコードのディレクターから話を聞いた間章(彼は当時すでに『ラジオのように』をはじめとするブリジットの日本盤のライナーノーツを手がけていた)が連絡を取ってきて、『月刊ジャズ』誌で音楽批評を書き始めることになる‥‥と。
こうした「ドミノ倒し」は当然読者をも巻き込んでおり、亡き大里俊晴はそのひとりだった。本書巻末に収録された「紙表に蠢く音韻ども[あとがき]」によれば、大里は「竹田さんのために論集を出したいわけではなくて、70年代後半から80年代にかけて自分の行動や考え方に影響したものを整理しておきたい。竹田さんの書いたものは竹田さんのものではないのだから」と言い、「反論の余地はなかった」と竹田は書いている。
当時の『ジャズ』誌は、1990年代になってから、今は無き三軒茶屋の古書店で『映画批評』とともにバックナンバーを数冊ずつ安価で手に入れて読むことができた。その店では他にもA5版『トランソニック』、『迷宮』等をやはりプレミア無しで手に入れたっけ。
そのようにして手元にたまたま『ジャズ』1975年9月号がある。この号から間章による新連載「ジャズの"死滅"へ向けて」が始まり、川本三郎、諏訪優等の連載陣に加わっている。後に間と竹田が分担執筆することになる海外盤紹介コーナー「Disk In the World」は編集人の杉田誠一がひとりで執筆しており、FMPやOgun等ヨーロッパのレーベルを中心に、Irene Schweizer, Rudiger Carl, Hans Reichel, Fred Van Hove, Steve Lacy, Alan Skidmore, Mike Osborne, John Surman,Harry Miller, Cecil Taylor等の参加作品12枚が紹介されている。そして特集は何と山下洋輔トリオで(特集に続いて『UP-TO-DATE』の広告が掲載されているから、この作品のリリースに合わせた企画と推測される)、「ピアノ炎上」イヴェントに関する粟津潔のリポート、山下洋輔「ブルーノート研究」の採録、坂田明へのインタヴュー、山下洋輔完全ディスコグラフィ等と並んで、竹田賢一「地表に蠢く音楽ども」第1回が掲載されている。目次にも〈新連載〉であることは明記されているのだが、掲載場所は特集の中のひとコマとなっている。
その後、たとえば「自販機本」のページに、エロなヌード写真に挿まれた異様に「浮いた」ページとして仕立てられたりもした竹田原稿だが、ここでは一見して(あくまでも見かけの上では)、他の稿に埋もれるようにして並べられていることに注意したい。この連載第1回ですでにその後も続けて用いられる対話形式が試みられているのだが、そこで向かい合っているはずのAとBは明確にキャラクタライズされず、文章は単なる箇条書き、あるいは断章形式のように読めてしまう。そして、そこでは「真に知的な意識のメスによって"ジャズ妖怪"を徹底的に解剖すべきなのだ」という山下洋輔の提言に応えようとして、即興性が「タブラ・ラサ」ではあり得ないことを明らかにしながら(この指摘だけで当時の凡百のフリー・ジャズ論をはるかに凌駕していよう)も、山下トリオの演奏を突き放してしまわない文の運びは、かえって事態をわかりにくくしているように思われる(「以前は、強迫観念のように音を叩きつけつづける山下トリオの演奏に、意識と肉体の弁証法を感じて満足していたのだが、彼らが音を出しつづけることによって聞かせまいとしているものはなんだろうか」との問いは、この論稿中で答えられることがないのだが、いやそれどころか、現在までに書かれたありとあらゆる山下トリオ論の前に、依然として立ちはだかっているように思われる)。
というのも、これが連載第2回では「ジャズはやっぱりアクースティックだ」といった発言の不用意さがルー・リード『メタル・マシーン・ミュージック』を題材に批判されるのだし、第4回では「ジャズはライヴだ」が同様に批判の俎上に載せられる(「そのうえ生の演奏を聞きに集まる聴衆は、レコードを通じて個的に幻想していた態度を自ら積極的に演ずるのだ。ベンヤミンによれば『複製技術』の時代には全面的におしのけられるはずの礼拝的価値が、逆に展示的価値を付随的な演戯として従えて、ぼくたちの前に立ちはだかっている」との指摘は、今でも、いや今だからこそ有効である)。
竹田の思考/志向を「既成ジャズ批判」というようにわかりやすく/平べったく切り取れないのは、民族音楽、人間の聴覚や認知ゲシュタルト、労働や祭祀の中からの音楽の発生といった汎音楽的な構えを、彼が自らの思考の基底に置いているからにほかならない。60年代からの楽天的な雰囲気の下、ありとあらゆる借り物の思考が花開き、その後、「68年」以降、「大阪万博」以降、「オイル・ショック」以降の冷えきった空気の中でそれらが急速にしぼんでいく時に、「現在位置の測量」をいかに行うのかが課題とされ、先の姿勢が要請されたのだろう。だから、この連載が3回に渡る「民族音楽の栄養分析」の執筆へと向かったことは必然と言える。しかも、「科学」や「科学」に憧れる社会学、民族学、文化人類学等が陥りやすいオーセンティシティへの崇拝を、すでに批判の対象としていることに注目したい。彼は「民族音楽の栄養分析」の(上)(中)と(下)の間に挿入された「伝統の威を借る寄食者のための間食」(連載第9回)で《オレゴン》を例に挙げ、「(前略)ジャズでもロックでも、ヨーロッパ音楽でも民族音楽でも、そのような様式のリニアーな発展の途上に、音楽性の複合体を想定する訳にはいかない音楽作品に対し、既に博物館入りした伝統の概念で切って捨てるほど、不毛な批評の方法はない」としている。
『ジャズ』誌における「地表に蠢く音楽ども」の連載は、先に触れた「民族音楽の栄養分析」で終了する。その最終回では、『永遠のリズム』以降のドン・チェリーが分析の対象とされるのだが、これは挿入された《オレゴン》擁護の続きとして、いかにも根無し草的な印象を与える彼のインド音楽の活用やトルコ人ミュージシャンとの共同作業、北欧での無国籍的な活動等を評価していて、筋は通っているものの、先に見た汎音楽的な構え自体の拠って立つべき基盤を解き明かすものとはなっていない。これに先立つ2回もまたアフリカ音楽の教育カリキュラムを巡る議論に費やされた感がある。
本書に収録された論述の中で、先の願いにかなうものは『ロスコー・ミッチェル・ソロ・コンサート』のライナーノーツの冒頭に綴られる山岳ヴェッダ族を巡る部分だろう。
「山岳ヴェッダ族の社会の成員にとって、音楽(少なくともぼくたちが音楽と名づけられるもの)とは、各人がそれぞれイニシエイションに際して自分のものとした『私の歌』しか存在しないからである。(中略)そこではソロという概念も、インプロヴィゼイションという概念も成立する余地はない。」
注意深く行文をたどれば、連載の「別の」帰結として用意された「〈学習団〉1・20決起」のプログラムに、これに対応するであろう箇所を発見できる。それはイヴェントを構成する音楽、映像、朗読、講義の4つの主要なユニットのうち、竹田が担当した「講義」の部分である。彼によれば「講義は[資料1・1]の17の学習過程へのオリエンテーションとして、竹田が話した」とのこと。ちなみに[資料1・1]の内容は次の通り。
学習1 音楽史を遡る
学習2 音楽に国境をつくり出す
学習3 民族の音楽に征服されること
学習4 食物を聞く訓練
学習5 楽器を使わない − 楽器をつくる
学習6 メロディーの呪縛から自らを開放すること
学習7 名前を消すこと、個人史を消すこと
学習8 シンボルの音を探す
学習9 リズムの点的理解から領域的理解へ
学習10 リズムの不確定性原理へ
学習11 ビートは円、リズムは歪み
学習12 音を聞かない訓練
学習13 夢をコントロールする訓練
学習14 沈黙のヒエラルキー、量的差異を聞く
学習15 沈黙の言語を学ぶこと
学習16 一本の草と自分が平等であることを知る
学習17 恊働作業に習熟する
後半、あからさまにカルロス・カスタネダ色(「マラヤの夢語り」等を含む)が強くなるように思われ、そうした部分に辟易される向きもあるだろうが、このうち最初の学習1〜4あるいは7までを先の山岳ヴェッダ族との関わりでとらえたい。これを竹田がCan "Unlimited Edition"に収められた「民族音楽まがいものシリーズ」に関して論じている(論じようとしている)内容に接続すれば、先の願いはかなり満たされるのではないだろうか。そういえば竹田は「ヴェッダ・ミュージック・ワークショップ」なる活動を主催していたはずだ。その内容はどのようなものだったのだろう。
以上、連載「地表に蠢く音楽ども」を読み進める際のわかりにくさへの対応として、『地表に蠢く音楽ども』所収の次の2つの論稿を補助線として用いることの直感的提案である。それが何をもたらし得るかについては、改めて考えてみることとしたい。
p.205 ロスコー・ミッチェル・ソロ・コンサート
p.223 Can "Unlimited Edition"

本書におけるよりまとまった、そして注目すべき論述として、「ロフト・ジャズ」からヘンリー・カウ/アート・ベアーズへと引かれる線、というより共有される「地図」への言及がある。
もともと私が初めて眼にした竹田の文章は『フールズ・メイト』に掲載された(それにしても初出時ではなく、スペシャル・エディションによる再発時なのだが)「芸術熊たちの反歌」と「Henry Cow Discography − 日本語ヴァージョン」であり、共にHenry Cow 〜 Art Bearsを取り扱ったものだった。
プログレ雑誌の常として、ファンタジー、エロス、オカルティズム等を採りあげるのに加えて、「来日記念」としてDerek Bailey関連記事が載り始め、さらに英国『Impetus』誌からの大量の翻訳転載を含む、アヴァン・ジャズ〜フリー・ミュージック特集の中に埋め込まれながら、後のRock in Oppositionフォローの出発点としてのHenry Cow 〜 Art Bears記事であり、編集長である北村昌士の論稿も併せて掲載されていた訳だから、場違いとの印象を持つことはなかったが、それでも竹田の文章には他とは異質の要素を感じていた。それはひとつにはロジック・レトリックのレヴェルで、情報を圧縮して注入しながらも、それを「情報主義的」に一人歩きさせずに批評のコントロール下に置く文章作法の厳格さであり、左翼アジテーションの語法を自在に用いながら、メタファーやシンボルを輝かせるエクリチュールの硬質さである。もうひとつにはブラック・ミュージックへの注視である。これは「プログレ世界」全般に欠けていたのだろうが、『フールズ・メイト』にも『Impetus』にもなかった。そこでジャズはイマジネーションやエナジーの源泉ではあっても、遠く過去に切り離されたものとして扱われていた。すでに遺産分与済みの祖先として。私自身は植草甚一の著作や清水俊彦『ジャズ・ノート』を頼りに(『ジャズ・アヴァンギャルド』が出版されるのはもっとずっと後のことになる)、まだ60年代フリー・ジャズを漁っているところだった。IncusやFMP、ICPは知っていても、竹田が「クリス・カトラー『地図作成についての予備的ノート』から抜粋、引用した」との注に続けて、「1977年春、チャールズ・ボボ・ショウらが組織したフェスティヴァルは、《地図製作者たちのジャズ・シリーズのための音楽》とネーミングされた」と名を挙げたチャールズ・ボボ・ショウのことは全く知らなかった。
その後、雑誌『同時代音楽』2-2掲載の「ディスク・イン・オポジション」で竹田が後藤美孝との対談でHenry Cow〜Art Bearsについて語り、続くディスク・レヴューでDerek BaileyやSteve Lacyに続けてHenry ThreadgillやAnthony Davisを採りあげている(本書未収録)のを読むことになるのだが、おそらくはそれよりもArt Ensemble of ChicagoからAACM経由で、あるいはCompany周辺に「越境」してきた存在として、BYGレーベル以降のAnthhony Braxton, Leo SmithやGeorge Lewisを追いかけた方が早かったように思う。あるいはJohn ZornやEugene Chadbourne、Elliott Sharpらを聴き始めて、彼らが一様に「NYに出てきた時にはもうロフト・ジャズは終わっていた」と語っているのを眼にした方が。
だから、小石川図書館のレコード・コレクションでスタジオ・リヴビーのフェスティヴァルを収録したWild Flowersのシリーズを聴いていたにもかかわらず、私にとってロフト・ジャズという語は決して形を成すことがなかった。これはジャズ・ジャーナリズムの側から見れば話が逆かもしれない。彼らにすればロフト・ジャズという「フリー・ジャズ以降」のムーヴメントがあったものの、それらは勃興を遂げるフュージョン/クロスオーヴァーの陰に霞んでいく存在であって、ましてやそれらがプログレッシヴ・ロックのよりアンダーグラウンドな、あるいは英米以外の地域限定的な展開や、あるいはヨーロッパに飛び火して独自の変容を遂げたフリー・ジャズやそこから派生したフリー・インプロヴィゼーションなどと結びつくとは思いもよらないということになるだろう。
ここで竹田はヨーロッパとブラック・アメリカを複眼的にとらえながら、二つの景色を巧みな仕方で重ね合わせていく。たとえば彼は本書収録の「『ロフト・ジャズ』への片道切符」で次のように書いている。
音楽家をとり囲む(音楽的)事象をすべて共時的な視点で対象としなければ、音楽のアイデンティティーを形成できないという認識があるからなのだ。(中略)だから、オリヴァー・レイクのいう「三六〇度の関心」とか、ビーヴァー・ハリスらの三六〇度音楽体験集団というネーミングが登場してくる。(中略)『Dogon A.D.』についてジュリアス・ヘンフィルは、「このアルバムでの私の関心は、私の中にある音楽がアフリカ的要素をどれだけ引き出せるかであった。だが、私はここでアフリカの音楽を演奏しようとしていたわけではない」という。また、リーオ・スミスやムハル・エイブラムズが、クリエイティヴ・ミュージック、ワールド・ミュージックというとき、彼らはアメリカ黒人音楽の伝統(ジャズの伝統に限らない)を視座として、目に入る、耳に聞こえるあらゆる音楽を分断されないまま自己の音楽と等価なものとする。彼らの黒人音楽の伝統という視座を他のものと入れ替えてみよう。ヨーロッパの民衆音楽の伝統を掘り起こしながら融合を実現しているウィレム・ブレーカーやフランソワ・テュスク、マーヴェラス・バンドらの音楽、(後略)。
また、本書に収められた「『ロフト・ジャズ』の測量教程」で彼は次のように書いている。
今や個々の演奏スタイルや語法が問題なのではなく、歴史の広がりや空間の広がりの中に存在するスタイルや語法の、新たな組み替えと再構成の仕方を問題にしていることなのだ。今年、ハーレムで催された「地図製作者たちのジャズ・シリーズのための音楽」と呼ばれたフェスティヴァルで、ジュリアス・ヘンフィルは《ハミエット・ブリュイエット、デヴィッド・マレイ、オル・ダラ、フランソワ・ニョーモ、チャールズ・ボボ・ショウ、フィル・ウィルソンのアンサンブルの演奏に加えて、俳優たちやフィルムまで使った。それはどたばた喜劇のユーモアと神秘と大きな悲しみにみちたマルチ・メディアのイヴェントだった》と描かれたパフォーマンスを行った。
前述の「芸術熊たちの反歌」を読んだ時点では「地図」のメタファーの使用以外に共通点が見出せず、謎のままに留まっていたHenry Cow〜Art BearsとCharles "Bobo" Shawの重ね合わせも、以上のような記述とHenry Cowの「散開」後の活動としてMike Westbrook Brass Bandと合体してさらにフォーク歌手Frankie Armstrongを迎えたThe Orckestra(Dagmar Krause,Phil Mintonとのトリプル・ヴォーカル!)やLindsay Cooperが参加したFeminists Improvising Groupからスピン・オフしたと言うべきLes Diaboliques(Irene Schweizer,Magie Nicols,Joelle Leandre)の雄弁さを知る今では至極納得できる。

しかし、この鮮やかな見取り図の下にその後充分な探求が進められたとは言えまい。
たとえば雑誌『同時代音楽』創刊号掲載の「新しいヨーロッパの民衆音楽と左翼の展望(1)」(※)で、竹田は次のような非常に興味深い目次構成案を「次号からの予定」として示している。
§2~1 フリー・ジャズからフリー・ダンス・オーケストラへ
=フランソワ・テュスク(フランス)を中心に
§2~2 権威への反抗としてのロック
=アレア(イタリア)を中心に
§2~3 ヨーロッパの伝統の参照
=ウィレム・ブロイカー(オランダ)を中心に
§2~4 プログレッシヴ・ロックとインテリジェンス
=ヘンリー・カウ(イギリス)を中心に
§2~5 自主流通メディアの形式
=FMP(西ドイツ)を中心に
§2~6 東欧のジャズ・ロック・シーン
§3~1 60年代という屈折点
§3~2 フリー・ジャズのインパクト
§3~3 非ヨーロッパ音楽への憧憬
§3~4 ヨーロッパの伝統への眼差し
この後、視界に浮上してくるシーンとして、John Zornのゲーム・ピースやFred FrithとTom CoraによるSkelton Crewの活動、Materialのネットワーク戦略等を彼がいち早く採りあげたNYダウンタウン・シーンや、Marvelous Band周辺のその後と言うべきLouis Sclavis, Michel Doneda等の活躍(NatoやSilexレーベルの検証を含む)等を配すれば、これは現在でも充分語る価値のある「手つかずのまま放置された」課題領域、いや現在にこそ語るべき「隠蔽/忘却され無かったことにされてしまっている」アクチュアルな問題領域と言うことができる。書誌に記載された中からさらに未収録の論稿を採録した書籍の出版も望みたいが、それよりも竹田がかつてしていた音盤レクチャーを、今こそ再開してもらいたいと願わずにはいられない。「情報はすべてネット上にある」という既視感とそれと裏腹な健忘症が蔓延する現在、前々回の掲載で掲げた「音楽産業による一面的な聴き方の押し付けに対抗する別の聴き方を提案し、他の聴き手との相互批判的共同作業に向けて開いていく」ことが、今ほど求められている時はなかろう。
※この論稿は本書巻末の「書誌」に掲載されていない。掲載雑誌からして漏れることは考えにくい。内容があくまで「予告編」的なものであり、肝心の本編が執筆されていないことから、あえて外したものかもしれない。しかし、その「予告」の重要さに鑑みて、あえてここでは言及することにした。なお『同時代音楽』創刊号の巻末に掲載された「次号予告」では、この論稿の続編に加えて、〈一挙掲載〉と銘打って次の目次が掲げられている。
竹田賢一評論集「地表に蠢く音楽ども」
坂本龍一評論集「旅するメディアの領界」
対談 竹田賢一+坂本龍一
〈阿部薫追悼文〉集+〈坂本龍一論〉集
だから、細川周平が巻末の解説で書いている「1Q68の長い長い余波」としてすべてを包み込もうとする仕方に、無理は承知の上でやはりいちいち異議を唱えたくなる。それは「余波」として遠くから懐かしく耳を傾けるべきものなのか。ピアノの余韻のように弾かれた後はただひたすらに減衰していくだけのものなのだろうか。仮に「昔馴染みの消息を確かめることが、新録音、新人を探索することに比べて二次的とはもはや思えない。(中略)こうなると先端も末端も革新も保守も大した違いではない」としても、「(少なくとも録音で)知った人が今、何をしているかを確かめに行くほうが、失望が少ないという経験則にしたがう。そういう「気になる」アーティストが10人もいれば、音楽生活は充分に豊か」なのか。「本書で語られたアーティストには懐かしさを覚えるが、手許にアルバムはないし、今はまだ、あるいは既に聴き直す時期ではないと思う」としても、果たして「聴いた経験が感覚のどこかに残っているだけでよい。忘れてしまったなら、それはあまり大事ではなかったのだろう」か。
サウンドスケープを聴くための「安心毛布」を記述する試み − バーニー・クラウス『野生のオーケストラが聴こえる − サウンドスケープ生態学と音楽の起源−』書評 Approach for Describing "Security Blanket" to Listen to Soundscapes − Book Review for "THE GREAT ANIMAL ORCHESTRA Finding the Origins of Music in the World's Wild Places" by Bernie Krause
2013-12-09 Mon
実際に野外で現地録音に臨み、数多くのフィールドレコーディング作品を制作しているアーティスト自身による著作ということで、大きな期待を持って読み始めた。実際、導入部分に出てくるフィールドレコーディングに初めて挑んだ際の体験描写には頷かされた。ここには「今までも聞こえていたはずなのにずっと聴いていなかった音」を発見し、世界がそのような注意の網の目をすり抜けてしまう響きに溢れていることに衝撃を受ける様が描かれているだけでなく、外部の音を聴くという行為自体において自分自身の身体を消し去ることはできず、常に自らの身体によって新たな書き込みを施されてしまった、言わば「汚染された音」しか聴くことができないという事実が明らかにされている。双眼鏡のように、マイクとヘッドフォンが音を拾って非常に近い距離まで引き寄せる。初めて聞く活き活きとした細かい音の数々が耳に迫ってきた。(中略)携帯用の録音機材を通して聞いていると、一定の距離を保って録音しているだけのような気がしない。むしろ、初めての空間に取り込まれて自分もこの経験の一部になってしまったように感じていた。(中略)レコーダーのそばにしゃがみ込み、音を立てないように一人で小さくなっていると、何か音がするたびに驚いてしまう。ステレオ・ヘッドフォンをつけているために周囲のどんな小さな音の質感も実際より大きくなって届く。しかもどんな小さな音も聞き逃さないようにわたしはヘッドフォンの受信レベルを上げていた。(中略)周囲の音響的雰囲気が細部に至るまで際立ち、自分の耳だけでは決してとらえられなかったはずの音が浮かび上がってくる − わたしの息遣い、座り心地が悪くて少し足の位置をずらしたときに立ててしまった音、鼻をすする音、近くに鳥が降り立ったときの落ち葉の音、何かに気がついてさっと羽ばたいて飛び立つときに空気が動く音。【15〜16ページ】
だが、彼は「レコーダーはレコーダーなしでどう聞くかということを学ぶための道具と言える」【17ページ】と、こうした驚きと怖れをすぐに解消し、外部環境に対して自らを透明化してしまう。
そして彼はサウンドスケープを、非生物による自然の音である「ジオフォニー」、人間以外の野生生物が発する「バイオフォニー」、そして人間が出している「アンソロフォニー」の3つに区分するのだが、このうちジオフォニーを無視し、バイオフォニーを特権化して、アンソロフォニーをこれに対する「ノイズ」と位置づける。書名に掲げられている「野生のオーケストラ」とは、このバイオフォニーにほかならない。ちなみに原題は「Great Animal Orchestra」。環境中に存在する多様な音響のうち、彼が何を前景化し、何を背景に押しやり、あるいは無視しようとしているかがよくわかる。
彼は動物たちが交わす鳴き声が周波数帯を棲み分けていることに、ことさらに驚いて見せる。
どの鳴き声もそれぞれ担当する音響帯域幅にうまく収まって聞こえる − あまりにぴったり収まっているので、優雅に構成されたモーツァルトの『交響曲第41番ハ長調 ジュピター』を思い出したほどだ。ウディ・アレンはかつてこの曲について、神の存在を表明したと評していた。【91ページ】
鳴き声が生存に必要なシグナルのやりとりである以上、共棲の中で各自が自分たちのための生態学的ニッチを見出していくことはおよそ必然と言えよう(※)。当然、音響についても。それは必ずしも周波数帯上の棲み分けだけにとどまらないだろうが(周期や疎密のパターンによる差異化も想定される)。それはある種の「闘争」の産物であるはずだが、彼はそれを見ようとしない。また、前提として存在しているはずのジオフォニー(そこには雨や風、波しぶきの音だけでなく、それらが響く空間の音響特性も含まれる)も考慮されない。あたかも野生動物たちが、最初から平穏な調和に至ったかのように彼は語り、「神の生き物はみんなコーラスの一部(All God's Critters Got a Place in the Choir)」なる曲題を意味有りげに引いてみせる。動物たちはみな、人間のように賢しらではない神の忠実な被造物として、声を揃えて賛美歌を歌っているのだ。
※ニッチ理論について
ニッチ理論は最近あまり評判がよくないようだが、それはニッチをあまりにも実体化し、数量的な分布曲線に従わせようとまでしたり、種間競争だけにフォーカスして(それはすなわち地形や気候、土壌など無生物や微生物がつくりだす環境を無視して、「主体」だけをクローズアップすることにほかならない)、それだけですべてを説明しようとし過ぎるからではないか。ジェームズ・J・ギブソンによるアフォーダンス理論からも生態学的ニッチの概念は要請されるのであり、グレゴリー・ベイトソンもインタラクションが生じる機会を主体(動物)間に限定しているわけではない(*)。
*主体(となりうる動物)だけにフォーカスする思考のどうしようもない了見の狭さについては、次の記事も参照のこと。それは結局、「人間中心主義」を薄めて自然界に投影した結果生じる「動物中心主義」に過ぎない。
「金子智太郎さんの学会発表を聞いて考えたこと」
http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-75.html
「1980年代以降、人間の音楽のルーツは自然界のサウンドスケープにあるという考えがふたたび注目を集めている。」と、彼はバヤカ族(バベンゼレ・ピグミー)の例を採りあげ、「人間の音楽の起源」について語り始める。【143〜146ページ】
この指摘自体は事態のある一面をとらえている。誰でもピグミー族の音楽実践を聴けば、それが熱帯雨林の湿った空気と密な植生がもたらす反響の豊かさ、あるいは発音体の姿が樹々に隠れて見えないこと、身体を浸す水との触れ合いの多さ等の産物であることを疑わないだろう。だが彼がそこで「森の音」として持ち出すのは、バイオフォニーであり、動物の音響構造だけなのだ。バヤカ族に対する彼の眼差しは、図らずして敬虔な動物たちを有り難そうに見詰める彼の身振りと重なり合ってくる。
「第7章 ノイズの霧」、「第8章 ノイズとバイオフォニー 水と油」では、罪深い人間たちがつくりだすノイズが、いかにバイオフォニーの均整のとれた調和を脅かし、汚染し、破壊しているかが描き出される。そこでヘヴィ・メタル音楽、あるいは広大な自然の中を疾走するスノー・モービルやオフ・ロード車がとりわけ悪者扱いされるのはよく見る構図だ。彼によればノイズの害悪は人間にも向けられており、ストレスや機能障害をもたらしているという。だが、彼がバイオフォニーの調和を讃える際に持ち出すバッハやモーツァルトは、彼の愛する動物たちにとって、果たしてノイズではないのだろうか。
「ノイズが環境の一部になると、わたしたちはそれをシャットアウトしたり除去したりするために相当なエネルギーを費やす。ところが、慣れ親しんだパターンで構成されたサウンドスケープが聞こえてくると、(時に非常に前向きに)耳を傾けることになる。」【222ページ】として、彼は亡くなった父の思い出を語りだす。認知症を患い、寝たきりになった父の90歳の誕生日パーティで「持参した心地のいいダンスミュージック」かけると、歩くことなどできないはずの父親は何と椅子から立ち上がり、ダンスフロアの真ん中まで出て行って、誰の介助もなしに孫たちと元気いっぱい踊り始めたという。こうした話は私も何度となく聞いており、きっと事実なのだろうと思う。だが、「持参した心地のいいダンスミュージック」はバイオフォニーにとってノイズではないのか。さらに彼はバヤカ族にとっての森の奥深くにある居住区のサウンドスケープと、ダンスミュージックが父親に与えた効果を「同じ影響」と評価する。人間のノイズによって傷つけられてしまうはずのバイオフォニーが、いつの間にか人間によってつくりだされた「心地よい」ノイズと同列に扱われ、人間に対する「治癒効果」によって評価されるようになってしまっている。
こうした「ご都合主義」が最も典型的に現れている部分として、彼が所有しているコテージを訪れたはいいが、「静か過ぎる」として翌朝早くには都会へと引き揚げてしまうカップルのエピソード【246〜247ページ】がある。彼は哀れみと嘲笑をもって、彼らや、あるいは夜明けの豊かな環境音のコーラスの中にいながら、それに耳を傾けようともせず、携帯電話に何かをまくしたて続けるジョギング中の女性について語っている。彼によれば静穏さとは無音とは異なる、「健全な生物が肉体的、精神的に活力を感じるために必要とする基本的状態」【241ページ】であり、その実例として人間に平穏さの感覚を与える一群の音(息遣いや足音、心音、鳥の歌、コオロギの鳴き声、寄せる波、小川のせせらぎなど)、耳に聞こえるか聞こえないかの中間領域を挙げている。
そうした陳腐な主張よりもずっと興味深いのは、彼がグランドキャニオンの底で入り込んだと言う無音体験である。私にとっては本書のハイライトと言うべき箇所なので、長いがそのまま以下に引用する。
「静脈を流れる血の音以外に何も聞こえないことに急に気がついた。音響領域の一方の端には微かに脈打つ鈍い音が表われ(ママ)、反対側には聞いたこともない物悲しい音が表われた(ママ)。おそらく耳鳴りの初期症状だったのだろう。その他には寝袋を置く場所を探してわたしが立てるカサカサという音。しはらくの間、耳がおかしくなったと思っていた。周辺のレベルを確認するために音圧計をチェックすると、モニターには表示できる最低レベルである10調整デシベルが表示されていた。完全な静寂である。すぐにわたしはその完璧なる静けさに混乱し、頭のなかに響く血流の音や耳の奥でがんがんと響きながら大きくなっていく音以外の音を求めて、一人でしゃべったり歌を歌ったり、峡谷の壁に向かって石を投げたりした。聴覚への刺激が何もないことでおかしくなってしまいそうだった。すぐに機材を片付け、川のせせらぎが聞こえるところまで引き返した。離れたところを流れる川の音がとても嬉しく、おかげで方向感覚を取り戻すことができた。」【240〜241ページ】
暗闇の中で眼を閉じているのに光が感じられるように、入力のない神経が勝手に信号をつくりだしてしまうことはよく知られている。これはそのことが聴覚に対して生じたものだと考えられる。このケージ的かつ啓示的体験から、彼は尻尾を巻いて一目散に逃げ出してしまう。散々、人間のノイズがバイオフォニーを汚染していると警告を発し、自分は人間のノイズがまだ触れない無垢のバイオフォニーを幾つも録音したと自画自賛しながら、彼自身は不安に絶えきれず、沈黙を暴力的に破壊しようとする。彼は人間を嫌い、人間の手が触れない自然を、動物たちを愛する。だがその姿は「ハワイは日本人だらけだ」と吐き捨てる日本人観光客に似てはいないだろうか。彼は単に自分の身体をマイクロフォンとレコーダーの陰に隠し、自らの存在を消滅させたつもりになっているだけではないのか。「森の中で一本の木が倒れたときにその音を聞く人間が周囲に一人もいなければ、それは音を立てたことになるのだろうか」というジョージ・バークレーの問題提起を、彼は「人間中心の限定的なものの見方」と批判しているが【249ページ】、彼自身、そこから逃れ得ているかははなはだ疑わしい。
自然のサウンドスケープは細かなところまで鮮やかな情報が満載で、確かに写真は何千もの言葉に匹敵するかもしれないが、自然のサウンドスケープは何千枚もの写真に匹敵する。写真が表現するのはその時々の二次元の断片で、有効な光と影とレンズの範囲内に限定されるが、サウンドスケープは正しく録音すれば、三次元で、空間的な広がりと奥行きという効果を持ち、重層的に進行していく物語とともに細部に至るまでの特徴をあきらかにすることができる。それは視覚媒体だけでは望めないことである。しっかりと耳を澄まし、視野を広げたうえで細かい部分に注意を払えば、どんなごまかしも見破ることができる。【78ページ】
自信に満ちあふれた宣言だ。確かマリー=シェーファーも「眼は世界の端に位置しているが、耳は必ず世界の中央に位置している」と言っていたっけ。だが、私たちの聴覚は視覚に従属する傾向が強く、「機械による知覚」である録音との間に致命的なズレを生じてしまう。そのことについて、彼自身、次のように言及している。
視力に特に問題のない者は目に見えているものばかりに意識がいって、目に見えているものの音しか聞いていないのだ。視線が沖合で砕ける白波をとらえているときは、たいていの場合、距離感や力強さを伝える波の轟き、凄まじい音以外は、脳と耳で遮断している。岸辺の傾斜が洗う波の先頭を見つめているときは足元の砂の上で弾ける細かい泡の音を聞いていて、遠くで砕ける波の音は耳に入ってない。
しかしマイクには目も脳もない。取捨選択することなく、設定範囲内にあるすべての音を拾う。ということは、海岸の音を表現するのであれば、水際から80メートルほど手前のところ、背の高いテンキグザを植えたところと水際のちょうど真ん中ぐらいのところ、そして水際、といった具合に異なる距離からさまざまなサンプルを録音する必要があるということだ。【19〜20ページ】
これまでは耳をフィルターのように使ってノイズを閉め出していたが、豊富な情報を取り込むための入り口として使うべきだったのだ。【16ページ】
この述懐もまた、マイクロフォンが明らかにした「機械の知覚」を、自らの知覚の「進化/深化」と安易に同一視してしまっている。知覚とは身体的行動のために、身体が世界から膨大な部分を差し引き制限するものであることを、改めて思い出そう。
人間の知覚/機械の知覚という対比は、機械の知覚が「わたし」にバイオフォニーの豊かさを気づかせてくれたというだけで、その後、抹消されてしまう。まるで魔法の「鍵」は「わたし」へと手渡され、今も「わたし」の手の内にあるとでも言うように。
結局、私は音の外部性(音が私の外部にあること)に畏れを抱かない彼の傲慢さ/鈍感さに我慢がならないのだろうか。それは葉擦れや雨音、密集した樹々への反響等が渾然一体となった熱帯雨林のサウンドスケープに、動物の鳴き交わししか聴こうとしない態度へのいらだちであり、主体間のコミュニケーションによって織り成されるバイオフォニーを、ジオフォニーの「地」の上に、「図」として浮かび上がらせることへの反発にほかならない。そこにはニューエイジ的な自然同化/自然礼賛に、キリスト教的な、神>人間>動物>植物 というヒエラルキーが忍び込んでいる。
もうひとつには、私がフィールドレコーディングの可能性を、Francisco Lopezのサウンド・マター論の方位に見出していることが挙げられるだろう。これについては、ぜひ、彼の来日時のワークショップの記録を含む、以下の一連の記事を参照していただきたい。
http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-119.html
http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-120.html
http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-123.html
http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-124.html
http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-125.html
http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-126.html
http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-127.html
本書をあまりにも能天気な自然礼賛ぶりゆえに鼻で笑ったり、人間に対してノイズが悪影響を与える証拠を拾い集める際の「トンデモ」疑似科学ぶりをあげつらっても、本質的な批判にはなり得ない。むしろ本書はフィールドレコーディングという行為を通じて、多焦点的に茫漠と広がる環境音に耳の視線を向け、生成する音風景に耳を凝らす際にともすれば落ち込んでしまいやすい陥穽、尻尾を巻いて逃げ込んでしまいやすい居心地良く手放せない安心毛布を、あらかじめ指し示してくれるものとして読まれるべきではないかと思う。
