2010-04-27 Tue
「耳の枠はずし」第3回について、レヴューやご感想を数多くいただきましたので、ご紹介します。まずは四谷いーぐる後藤さんと益子さんがcom-postに書いてくださいました。
http://com-post.jp/
後藤さんのレヴューは、思考や感性が音に触発されていく様子が、断片の構成によりリアルに描かれています。
「今回の主要アーティスト、ミシェル・ドネダ周辺のミュージシャンが出す音からは、実に有益な思考の種を受け取った。」とか、「音そのものが喚起するさまざまな心象、想念の数々が非常に興味深いものであったということである。」というあたりは泣けてきます。(T_T)うぅ
com-post bbsでも後藤さん、益子さんとも、あの午後の時間から、ある種の同時性とか風景とかを感じ取っていただけたことがわかります。うれしいです~。
第5回「ECMカフェ」にゲスト出演していただく多田さんは、こちらの選曲に見事にチューン・インし、鮮やかに乗りこなしてくださいました。
http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/day?id=7590&pg=20100425
これまた選曲者冥利に尽きるレヴューですー。(ToT)あぅ
体調不良を押して参加してくださった虹釜さんは、最後もうろうとして、かつて白州アートキャンプでカンパニーを聴きながら熱が39度まで上がって、即興演奏と自然音が渾然一体となった時のことを思い出したと告白してくれました。この回は最後環境音攻めでしたからね。お身体をお大事に。今回はディストピア・アンビエントまでたどり着けませんでした。ごめんなさい。
今度は補足です。まず始まる前に流していたヴィデオですが、Maya Deren/Divine Horsemenです。前回記事の写真はその1コマでした。この作品はマヤ・デレンがハイチのブゥードゥー教の儀式を撮影したものを、後にシェリル・イトウが編集しています。この作品は今福竜太「野生のテクノロジー」(岩波書店さん再刊してよ)所収のマヤ・デレン論「石蹴り遊びをするリリス」で知りました。そこで彼は、人類学者が対象となるフィールドに「書き込み」をしてしまう介入的なモードの例として、この作品に見られるトランスして踊っている人たちの中に分け入ってしまうカメラ・ワークを挙げています。実際「何でぶつからないんだろう?」と思ってしまうくらいスゴイです。フィルムによる人類学フィールドワークとしては、バリ島におけるグレゴリー・ベイトソンとマーガレット・ミードの取り組みが先駆ですが、それは極めて非介入的なものであり、人類学では当然そちらが正統です。
前回のレクチャーの際に、野山に分け入るミッシェル・ドネダたちを追うマイクロフォンについて、演奏者が動くかマイクが動くかは重要な違いで、演奏者が動くから物語が生まれる‥とのご指摘をいただき、それは相対的なものではないかとだけお答えしたのですが、後で思い出したのが本作品というわけです。近々(「フィネガンズ・ウェイク」にちなんで6月16日だとか)、今福竜太さんご本人が、ズミでライヴをなさるということで、宣伝も兼ねて。
もっともカメラ・ワークについては、カメラが動くだけじゃ物語は生まれないなんて、今や誰も言わないでしょうねど。それだけカメラに比べ、マイクは固定された記録メディアでしかなく、視点の移動に対する「聴点」の移動なんてあり得ないと思われているということかもしれません。
もうひとつ補足です。Sound Cafe dzumi店主の泉さんから、「第一部と第二部のつなぎのところが、やや説明不足でとまどった人がいたかも‥」とご指摘をいただきました。確かにいきなりP.D.(P16.D4.の前身)ですからねー。
この回は「空間の侵食」ということで、一貫して「空間を聴く」ことをしていますが、第一部の作品は、即興演奏という行為に注目すれば、それでも即興演奏+背景音として聴けてしまうものであるのに対し、第二部の作品ではそれがもはや成り立たなくなっています。あえて事前説明をしなかったのは、P.D.の作品の冒頭で噴出する都市環境音の輪郭の定かでない広がりに不意討ちされてもらいたかったからです。一瞬くらくらっとして、すぐに「これは駅のコンコースの音か何かだ」とわかってしまうんですが。でも、この耳を押さえていた掌をぱっと外した一瞬に襲い掛かる外の世界の音圧を、ぜひ体験して欲しかった‥というわけです。
こちらはFabrice Charles,Michel Doneda,Pierre-Olivier Boulant/Salsigneの演奏風景。風力発電の巨大な風車の傍らで奏され、ぼろぼろに切り刻まれる音の痛み。

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2010-04-27 Tue
福島恵一音盤レクチャー in Sound Cafe dzumi〈耳の枠はずし-不定形の聴取に向けて〉
4月25日(日) 15:00~18:00
第3回 アンフォルム 空間の侵食 音盤プレイリスト
1.アンフォルム 空間の侵食
■Alessandro Bosetti,Michel Doneda,Bhob Rainey/Places dans L'air(Potlatch)2002
■Michel Doneda,Pierre-Olivier Boulant/Montsegur(Puffskydd)2003
■Fabrice Charles,Michel Doneda,Pierre-Olivier Boulant/Salsigne(Puffskydd)2004
■Serge Baghdassarians,Boris Baltschun,Alessandro Bosetti,Michel Doneda/Strom(Potlatch)2004
■Derek Bailey&Min Tanaka/Music and Dance(Revenant)1980
■John Butcher/Resonant Spaces(Confront)2006
■Tetsu Saitoh,Michel Doneda/Spring Road 01(Scissors)2001
■Heiner Goebbels/Shadow/Landscape with Argonauts(ECM)1991
2.不定形の聴取に向けて
■P.D./Alltag(Wahrnehmungen)1980
■Heiner Goebbels&Alfred 23 Harth/Goebbels Heart(evva)
■Ariel Kalma,Richard Tinti/Osmose(SFP Disques)1977
■Sacred Flute Music from New Guinea:Madang(Quartz)1976
■Morton Feldman/ Morton Feldman(Edition RZ)
”Piano Three Hands” played by Morton Feldman(piano) and John Tilbury(piano)
■Erik Satie/Early Piano Works(Phillips)
”Gimnopedies” played by Reinbert De Leeuw(piano)
■Jose Maceda/Gongs and Bamboos(Tzadik)2001
■Easter on Mount Athos vol.1(Archiv)1978
主要参考文献
□門林岳史「ホワッチャドゥーイン マーシャル・マクルーハン?」 NTT出版
□デリック・ドゥ・ケルコフ「ポスト・メディア論」NTT出版
□「水声通信30号 特集バタイユ」 水声社
□「ユリイカ 1997年7月号 特集バタイユ」 青土社
□「批評空間」臨時増刊「モダニズムのハードコア」太田出版
□前田英樹「絵画の二十世紀」NHKブックス
□ジャコメッティ「エクリ」 みすず書房
□「ジャコメッティ」 リブロポート
□ホセ・マセダ「ドローンとメロディー」 新宿書房
多くの皆様にご参加いただき、ありがとうございました。
レヴューやご感想等もいただいておりますので、
そのご紹介と補足を別途させていただきます。
Michel Doneda,Pierre-Olivier Boulant/Montsegurの動画より
動画はhttp://puffskydd.free.fr/mtsegur/index.htmlで見られます。

2010-04-24 Sat
福島恵一音盤レクチャー in Sound Cafe dzumi「耳の枠はずし」第3回「アンフォルム 空間の侵食」を、明日4月25日(日)15:00~18:00に開催します。どうぞご参加ください。まだ、お席に余裕はございますが、予約していただいた方が確実です。予約方法ははこちらをご覧ください。http://www.dzumi.jp/info/02.html
さて、今回は「フリー・ミュージックのハードコア」の最終回ということで、前回、自然のざわめきへと深く身を沈めながら、繊細にして過酷な「息の柱」奏法へと至ったMichel Donedaのその後の道行きを追うことから始めます。その時、これまでは音に近接して音だけに集中していた聴取が、音との間の「距離」に向き合わされることとなるでしょう。距離/空間に苛まれ、ぼろぼろに穴だらけになっていく音。同じ音の姿をDerek Bailey&Min Tanakaにも見ることができます。Michel Donedaは果たしてそこにどのような可能性を見出したのか。その先に広がる不定形の聴取の世界とは‥。
これまで同様、音盤だけでなく、ヴィジュアル資料も駆使しながら、ジャンル横断、感覚混交のうちに、バタイユ~クラウス/ボワによるアンフォルム、視覚/聴覚/触覚の関係、沈黙/ドローン等のトピックを経巡ります。
予定音源;Michel Doneda,Derek Bailey, P.D. ,Ariel Kalma&Richard Tinti,Morton Feldman...
「ここでこれがかかるか!」というようなサプライズ音源や動画も用意したいと思います。乞うご期待!
なお、第4回「複数のことば① 清水俊彦を聴く」は5月9日(日)開催です。
これだけで何だかわかったらスゴイ。

2010-04-18 Sun
■虹釜太郎さんと原雅明さんによるAbstract Workshop!明日です。私も行きたかったのですが、はずせない用事が入ってしまって‥。
残念無念です。ぜひ行って、どんなだったか教えてください。
以下の情報は虹釜さんのブログから転載しました。
【Abstract Workshop】
パリペキン音楽講座スペシャル
Abstract Workshop (アブストラクトワークショップ)開催
『音楽から解き放たれるために──21世紀のサウンド・リサイクル』という本と「ジャズ」ミックスCDをリリースした原雅明氏を迎え
実に15年ぶりの「Abstract Workshop」!
INTO INFINITYの日本側キュレーターも務める原氏
単行本『音楽から解き放たれるために──21世紀のサウンド・リサイクル』(フィルムアート社)も貴重なテキストとして現在読まれています
出演者: 原雅明 虹釜太郎
「Abstract Workshop」
日時: 2010年4月19日(月) open19:00 strat19:30
会場: 円盤 JR高円寺駅から2分 http://enban.web.fc2.com/
杉並区高円寺南3-59-11五麟館ビル2F 電話 03-5306-2937
料金: 1,000円 ワンドリンクはこの料金に含まれています
原 雅明 プロフィール
編集者を経て、90年代から音楽ジャーナリスト/ライターとして執筆活動を始める。その後、soup-disk及びdisques cordeレーベルの運営、moxa等のイヴェントのオーガナイズ、HEADZの設立と雑誌FADERの創刊などを手がける。近年は、ロサンゼルスの音楽シーンと繋がりを深め、LOW END THEORYの日本ツアーのオーガナイザー、非営利ネットラジオ局DublabとCreative Commonsのアート・プロジェクトINTO INFINITYの日本側キュレーターを務める。単行本『音楽から解き放たれるために──21世紀のサウンド・リサイクル』(フィルムアート社)とミックスCD『How Far Do You Wanna Go?』(BLACK SMOKER)を09年に発表。Sound&RecordingMagazine(リットーミュージック)にて連載「The Choice Is Yours」を10年4月号よりスタート。
http://corde.co.jp
■かつてのAbstract Workshopがどんなだったかは、
金子智太郎さんのブログの説明がわかりやすいので、
そこから転載します。
「Abstract Workshop」は雑誌『Groove』に1996年11月から1997年11月まで連載された対談+音源紹介の2ページ記事です。タイトルどおり当時「アブストラクト」と呼ばれたブレイクビーツを中心にあつかっていますが、実際はリアルタイムのあらゆるビート、フリージャズ、サウンドアート、ミックステープなどが縦横に語られていました。いま読んでも絶妙なミックス具合というか…、ページを切り抜いて取っておいた人も多いだろうと思います(僕もです)。ちなみに佐々木敦さんの連載「Paradox Soundz Lab.」(『ex-music』収録)とペアのようになっていました。ざっと13年ぶりですね。本当に楽しみです。
■その金子さんと虹釜さんが主催のアンビエント・リサーチの第2回目も
開催日程が確定しました。私も第1回に続き参加予約しますた。
Richard Skelton「Landings」。これは良かったですね。「ユリシーズ」3号のディスク・レヴューで採りあげました。ちなみにこれはLPの方のジャケットです。

2010-04-05 Mon
4月4日(日)に開催した福島恵一音盤レクチャー in Sound Cafe dzumi第2回「野生の耳がとらえる音景」にご参加いただいた皆様ありがとうございました。参考に当日のプレイリストを掲載します。
次回、第3回「アンフォルム 空間の侵食」は4月25日(日)に開催します。
1.「伝統」が喚起する想像力
■Malicorne/Malicorne(Hexagone)1975
■Valentin Clastrier/Heresie(Silex)1991
■Equidad Bares/Mes Espagnes(Silex)1994
■Renat Jurie/Entre La Rivieira E La Mar(Silex)1991
■Benat Achiary/Arranoa(Ocora)1988
■Michel Doneda/Terra(Nato)1985
2.生成のざわめきの中へ
■Michel Doneda/L'elementaire Sonore(In Situ)1991
■Michel Doneda,Jean Pallandre/Eclipses(Poil)1989
■Michel Doneda,Nihn Le Kanh,Dominique Regef/Soc(In Situ)1992
■Dominique Regef/Tourneries(Vand Œuvre)1993
■Kim Suk Chul Ensemble/Shamanistic Ceremonies of the Eastern Seaboard(Victor)1991
■Lionel Marchetti&Seijiro Murayama/Hatali Atsalei(Intransitive Recordings)2003/2007
■Etant Donnes/Aurore(Touch)1990
■Jean Dubuffet/Musique Brut(?)1961
■Michel Doneda,Le Quan Ninh,Laurent Sassi,Marc Pichelin/Montagne Noire
(Ouie Dire)1997-98
■Michel Doneda&Benat Achiary/Ce N'est Pourtant...(L'empreinte Digitale)1995
■Michel Doneda,Benat Achiary,Kazue Sawai/Temps Couche(Victo)1997
■Michel Doneda/Anatomie des Clefs(Potlatch)1998
参考文献(前回挙げたもの以外)
□「もうひとつの音楽史」 「現代思想」1990年12月臨時増刊
□中井久夫「分裂病と人類」 東京大学出版会
□中井久夫「西欧精神医学背景史」 みすず書房
□川田順造編「『未開』概念の再検討Ⅰ」リブロポート
□高橋悠治「カフカ/夜の時間」晶文社
□多木浩二「ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』精読」岩波書店
□檜垣立哉「記憶の実在-ベルクソンとベンヤミン-」 「思想」2009年12月号 岩波書店
□道の手帖「ベンヤミン」 河出書房新社
レクチャー中で用いたアジェの写真。ベンヤミンは彼の写真について「現実からアウラを掻い出す」と賞賛した。

2010-04-05 Mon
「耳の枠はずし」第1回にご参加いただいた四谷いーぐるの後藤さんが、「com-post」でレヴューをして下さいました。ありがとうございます。リンク http://com-post.jp/?itemid=396
冒頭いきなり「一見とらえどころの無いように思えるベイリーの音楽が、
考え抜かれた末のものであることが実感として理解できた。」とあります。「実感として‥」とはうれしいお言葉です。ここで「考え抜かれた」とは、「演奏者の意図に帰着させるのではなく音をとらえよう」とするレクチャーの趣旨に沿いながら、音の運動の軌跡をとらえた結果、単なるランダム性とかではなく、緻密な構造が眼に見えるように浮かんできた‥ということかと思います。
さらに幾つか注文をいただきました。ありがとうございます。
「とは言え、贅沢な批判かもしれませんが、ものすごく濃い内容を福島さんはあたかも当然のことのようにすらすらとお話しになるので、こちらとしては、『そこはオイシイ話なのだからもっともったいつけてもいいのに』などと余計なおせっかいを言いたくなる場面もあった。(中略)そこで冒頭の「レベルが高すぎる」という話になるのですが、それは「難解」だとか「わかりにくい」という意味ではなく、音楽評論において極めて重要なポイントがてんこ盛りになっているので、もう少し内容を絞って、それぞれの問題についてじっくりと語ってもよかったのではないかという、感想です。なんというのかなあ、福島さんの想定しているお客さんのレベルが高すぎるというのか、まあ、確かに高いとは思えるのだけど、もう少し個々の固有名詞などについて、冗長だという批判を覚悟の上で、詳しく説明しても良いのでは、と思いました。」
う~ん。難しいところです。「詰め込み」は私の貧乏性のゆえでしょうか。情報の密度を上げていかないと音の強度に対抗できない‥との思いもあります。確かにもう少し論点を絞り込めればいいのですが。第1回では「欲張りすぎと言われても、ここまでは行きたい」というところがあって、無理をしてしまいました。この辺のバランスについては、今後のレクチャーの中で引き続き考えてまいります。よろしくお願いします。また、どうぞお運びください。
後藤さんにも評判の良かったヴィジュアル・イメージ。ベイリーの音ってこんな感じ?

2010-04-04 Sun
本日、4月4日(日)15:00~18:00、吉祥寺Sound Cafe dzumiにおいて、音盤レクチャー「耳の枠はずし-不定形の聴取に向けて」第2回を開催します。今回のテーマは「野生の耳がとらえる音景」。
前回、デレク・ベイリーから「音響」以降まで、素材との格闘を通じて、自らの意識の暗がりを探り、沈黙の力動に触れていった演奏者たちをたどりました。今回は、これに対して、トラッド演奏への関わりから、自然の生成流動に眼を凝らし、耳を傾け、身を浸して、ざわめきと向かい合っていった演奏者たちを取り扱います。代表はやっぱりミッシェル・ドネダですね。
あわせて、プリミティヴとヨーロッパの成立、複製技術を通じた新たな近くの枠組み等にも触れていきます。どうぞご参加ください。
自然の生成流動という時、浮かぶのがアンドレイ・タルコフスキー。「鏡」で渦巻く草原と洗面器の水に放たれ乱れる母親の髪の毛。「ソラリス」でゆらゆらともつれる水草やティー・カップにつがれた紅茶の表面に降る雨。「ノスタルジア」でちっぽけなロウソクの炎を守りながら、空っぽの湯治場を渡る苦行なんて、ドネダの「息の柱」による演奏そのものです。ほどけてはまた結ばれる乱流の劇場。
写真は「ソラリス」から。小川の流れに揺れる水草が、後ろに少し見えますね。
