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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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「ユリシーズ」4号出ました
 「ユリシーズ」4号が出ました。本号ではディスク・レヴューのほか、「特集 スウィンギング・ロンドンからブリティッシュ・サイケデリアへ」に関わり、河添さん・鈴木さんとの鼎談に参加したり、セレクトされた作品をレヴューしたりしてます。鼎談における私の発言など、「コールリッジからモンティ・パイソン、サンダーバードまで」という感じで、思いっきりミーハーしているので、サイケデリック探求者に怒られてしまいそうです。(ToT)あぅ

 内容は以下の通り。どうぞ書店でお手に取ってご覧ください。

OPINION
知られたくない若者たち 永江朗

音楽|を|と|の|遠くまで 近藤康太郎

ジョー・ヘンリー・インタヴュー
クリエイション、パフォーマンス、プロデュースの源泉について
ディスコグラフィ&プロダクション・ワーク

ジェームス・チャンス・インタヴュー
ファンキー、パンク&エレガントなノー・ウェイヴの生き証人
ディスコグラフィ

エントランス・バンド・インタヴュー
ブルース、サイケデリア、アシッド・ロックを幻視する、
LAの最も魅惑的なトリオとの会見
ディスコグラフィ

特集 スウィンギング・ロンドンからブリティッシュ・サイケデリアへ

巻頭エッセイ
Shadow of Your Smile 「残照」への追憶

クロストーク
新しさへの批判・伝統への批判
河添剛×鈴木泉×福島恵一

マイク・マキナニー・インタヴュー
灰色の街を塗り替えた伝説のデザイナー 山下潤一郎

カラー・グラビア
マイク・マキナニー作品集

ジョー・ボイド・インタヴュー
UFOクラブをつくった音楽プロデューサーと巡るロンドン・アンダーグラウンドの旅
山下潤一郎

ジョー・ボイド・プロデュース作品集『white bicycles』
世界をリードしたロック/ポップのドキュメントを聴く
大貫憲章

スウィンギング・ロンドン・フォト・アルバム

PSYCHEDELIC FREAK OUT!
102枚のアルバム・ガイド
大貫憲章/河添剛/鈴木泉/平 治/福島恵一/古川博一

カラー・グラビア スウィンギング・ロンドン・フォト・ギャラリー

七尾旅人インタヴュー
そして無限に増殖し広がっていくもの――彼が描く音楽と未来
湯浅学

七尾旅人小論
分裂と統合、そしてその向こう 江口正登
七尾旅人ディスコグラフィ さわやか

前野健太インタヴュー
あたらしい朝 磯部涼

短期集中連載
LOST IN THE '80s
[第2回]テレヴィジョン・パーソナリティーズ

ダン・トレイシー・インタヴュー
心の中では 俺は囚人 清水久靖

クロストーク
テレヴィジョンが受像したポップ・ミュージックの歪んだ亡霊
河添剛×清水久靖×平 治

テレヴィジョン・パーソナリティーズ・ディスコグラフィ
河添剛/清水久靖/平 治

[連載]
Greeting from ULYSSES

[ユリシーズ レ・ヴァリエテ]
◎奇跡の軌跡に勇気をもらう スタッフ・ベンダ・ビリリ 松山晋也
◎ワイルド・サイケを歩け Finders Keepers サラーム海上
◎FRICTION LIVE in Seoul “息”と場の流動 間奈美子
◎AND THE LIFE GOES ON 山下達郎「街物語」への雑感 吉留大貴
◎米インディペンデント・アート・マガジンの高度なロック性 河添剛
◎フットボールデカスロン 虹釜太郎
◎ブリテン的労働者階級とロックの距離感 ブレイディみかこ
◎オルタナティヴ・メディアとしてのビッグイシュー 今井晋
◎ジジェクによる『こうもり』/『こうもり』によるジジェク 石川義正
◎連載 DJ SUPERNATURALISM 大貫憲章
◎連載 Check the Wardrobe 松井清

DISC REVIEW
河添剛/平 治/清水久靖/松山晋也/サラーム海上/高橋芳朗/磯部涼/小川真一/五十嵐正/福島恵一


表紙はこちら。



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執筆活動 | 21:57:49 | トラックバック(0) | コメント(0)
「純喫茶ECM」の準備着々
 9月26日(日)に渋谷アップリンクで開催の「純喫茶ECM」の準備を、ナヴィゲーターの原田さん、多田さん、その他スタッフの皆様と進めています。昨日はプログラムの打合せと会場の下見をしてきました。

 会場のアップリンク・ファクトリーは響きがキレイだし、何より居心地がいいですね。当日はカフェ風のレイアウトになりそうです。それとスピーカーがいいですねー。Taguchi製だそうです。初めて見ました。写真の左端に写っている白っぽくて背が高いのがそうです。音源がECMということで、後ろにずらりと並んだJBLではなく、響きの美しさでアコースティック楽器奏者にもファンの多いTaguchiが選ばれました。当日は何と月光茶房からCDプレーヤーとフォノ・カートリッジを持ち込んで臨みます。いい音をお聴かせしますので、ぜひおいでください。

 選盤作業も長時間かかりました。でも原田さん、多田さんのお二人は、ECCM全1100枚余りがすべて頭にインプットされているようなものなので、「この流れで次にかけるべきは何でしょう」とお尋ねすると、すぐに候補作品が返ってきます。あれもこれもかけたいけど、そうすると「音のしりとり」になって、何時間かかっても終わりません(実はそれもやってみたいけど)。泣く泣く絞込みをかけています。

 今回のプログラムでは、心を震わせる「美音感傷系」から入って、ECMの音の海へ深く深く潜っていきます。響きに、音に、音楽に、こんな力があったなんて。まるで魔法のように見たことの無いイメージを映し出し、身体を激しくゆさぶり、感性を武装解除して、心臓を鷲づかみにする音の流れ。コメントもまた、美術へ、映画へ、歴史へ、神話へと自在に領域を横断しながら、ECMの迷宮的世界にいくつもの魅力的な補助線を引いていきます。ヴィジュアル・イメージも活用しますので、どうぞお楽しみに。「えっ、ここでこれがかかるなんて‥」とマニアも驚く秘蔵盤もおかけします。ご期待ください。アナログ・ディスクの音の豊かさを、実感していただけるひとときともなるかと思います。

 それではご来店をお待ちしています。

『ECM Catalog』刊行記念「純喫茶ECM」
渋谷アップリンク・ファクトリー
日時:9/26(日)開場18:00/開演18:15
料金:¥1,500(1ドリンク付)


アップリンク・ファクトリーの様子
左端の白っぽくて背の高い、
細長い形をしたのがTaguchiのスピーカーです。



ライヴ/イヴェント告知 | 21:49:14 | トラックバック(0) | コメント(0)
萩尾望都に花束を②-マット・ソーンさんからコメントをいただきました
 な・なんと、前々回ブログで採りあげた「文芸別冊 総特集 萩尾望都」執筆者のマット・ソーンさんからコメントをいただきました。ありがたいことです。まずは、以下に内容をご紹介します。



無頓着なソーンです。

私の萩尾先生とのインタビューを取り上げて下さってありがとうございます。

無頓着…ですか。(・・;)どちらかというと「確信犯」です。そのインタビューをしたとき、私は萩尾先生とは10年ほどお付き合いさせていただいていて、『11人いる!』や『A, A'』などの翻訳をさせていただいていました。アメリカの『The Comics Journal』から萩尾先生のロング・インタビューを頼まれた時、「やるからにはみんなが訊きたくても訊けないようなこと訊いちゃう」と決意しました。そしてインタビューを始める時に、「色々ぶっ飛んだ質問もさせていただきますが、もし『それはやめてほしい』というのがあればご遠慮なくおっしゃって下さい」と、一応断っておきました。ちなみに「それはやめてほしい」という内容は全くありませんでした。萩尾先生は寛大であります。それを知った上での先生への甘えでした(苦笑)。この日本語版を出すとき、日本のファンに「無頓着」と思われるだろうと予想していました。(編集の方に「本当にこれを載せちゃっていいんですね?」と再三確認しました。)それでも日本の方に先生のストレートで大変興味深い回答を読んでほしかったです。

あと、言い訳に聞こえるかもしれませんが、「さも自分が発見したかのように論文」を書いたつもりはなく、逆にその解釈は普通だろうと思って書いたので、日本のファンからの激しい反論にびっくりしました。でも、実際に、あの論文を発表して間もなく、そういった比較文学論的な「批評」を書くのは自分の性に合っていないと気づき、「文化人類学」の方に移って、フィールドワークに基づいた読者の調査を始めました。

などということより、最後の方のあなたのトーマの解説と言うか感想がすばらしい!…と、それだけ言いたくてコメントをしようと思いました。



 どうもありがとうございます。いやいやびっくりしました。さて、それではお答を。この場合、「無頓着」は肯定的な評価です。日本的な感情共同体を前提にしないことで、萩尾望都さんを自由にしたという意味で。当然それは意図的なことであり、「確信犯」的所業でしょう。と同時に、彼女の方にも、それに応えるだけの資質(と期待)が備わっていたということだと思います。
 彼女の描いた/書いたものを見ていて、「すべてのことに自分なりの答をきちんと出す人だなあ」と感じます。それはもちろん白か黒かの2分法で考えるということではなくて、「世間がそう言っているから、まわりがそう言っているから、そうなんだろう」という問題の片付け方をせずに、必ず自分で考えて自分なりの答を出すし、答が出ない問題は「未解決」あるいは「保留」として、きちんと分類されている‥というような意味です。平気で「他人の言葉」を自分のことのように語ることはしないというか。

 もうだいぶ前のことになりますが、「笑っていいとも」のテレホン・ショッキングのゲストに彼女が出演したことがあって、タモリの質問に、普通なら曖昧に笑って受け流すところを「私の払った税金が道路や橋になるのです」と平然と答え、周囲を唖然とさせたのをよく覚えています。私も当時は「やっぱり宇宙人的な人だ」と思ったものですが、それは彼女の中ですでに答えが出ていたことなのでしょうね。それと、その時にもうひとつ事件があって、次回出演者の交渉中にタモリが手元の紙にいつも落書きをしていて、おそらくオ○ンコか何か描いてるんでしょうが、普通、女性ゲストはあきれたり、恥ずかしがったり、見て見ぬふりをしたりするところを、彼女は何とタモリの頭を「ぺしっ」とはたきました。これも、共同体の空気に縛られない彼女の本来的な行動パターンがよく出ているところだと思います。

 本来、作家として、ひとつの世界を創造している以上、自分の考えを確立し、それに責任を持つのは当然であると、彼女の作品は常に主張しているように思います。それが世間の常識と違っているかどうかは問題でない。よく世間の「常識」に反してみせることで、「表現者」を気取る人たちがいますが、それは先ほどの「世間がそう言っているから、まわりがそう言っているから、そうなんだろう」を、そのまま裏返してみせただけのことであり、それこそ「紋切型」にほかなりません。
 彼女が親しくしていた表現者に、野田秀樹と高橋巌がいます。表現の形式、つくりだす世界の手触り、あるいはもっと簡単に言って「話し方」(頭の回転の速さを含む)のレヴェルで相当に異なる二人ですが、彼女は二人の中に、自分と同じような「自分なりの仕方で考え抜かれた創造世界」を見ていたのではないか‥という気がします。

 以前に彼女は、作品を生み出すためには意識の奥底へ深く深く潜行していかなければならないと語っていました。様々な素材を仕込んで一種の過飽和状態をつくりだし、言葉やイメージの断片が浮遊し、思いがけない結びつきが生まれ、またすぐにほどけていく、自らの意識の尖端に集中しながら、それをアリアドネの糸として、入り組んだ迷宮の中へ少しずつ下降していくのでしょう。彼女の作品に魅力を与えているのは、常にこの「深さ」の体験であるように思います。もちろんそれは、具体的な作品において、非常に多様な現れ方をするわけですが、それでも単なるストーリー構成/叙述の巧さとか、構図や描線の見事さとか、キャラクター造型の魅力等を超えて(これらのうちの一つでもあれば優秀な漫画家でしょう)、彼女ならではの「作家性」の強さを感じさせるところです。
 とすれば、彼女の作品の真の魅力を語るためには、彼女のように鮮やかにサイコ・ダイヴィングするのはとうてい無理としても、何とかして、ほんの僅かでも、この「深さ」に触れる必要があるのではないでしょうか。それゆえ、批評の営為が求められるのだと思います。その点で、もしマットさんが批評を断念されてしまわれたとしたら、大変もったいないことだと思いますが、ここで言う批評とは、批評文を執筆することだけでなく、様々な批評性、あの魅惑的な「深さ」に指先だけでも触れようとする努力を含みますので、サンディエゴで彼女の講演を主催し、レイ・ブラッドベリと彼女を引き会わせるマットさんの取り組みは、じゅうぶん批評的なものにあふれていると思います。

 そうした批評への回路とマットさんが最近研究していらっしゃる「受容コミュニティ」との交点として、たとえば「ファンクラブの効用」といったテーマが浮かぶのですが、これはまた次の機会に。貴重なコメント、本当にどうもありがとうございました。



マット・ソーンさんのホームページ(日本語)
英語ページには萩尾望都インタヴューも掲載されています。 
http://matt-thorn.com/index-j.html

写真はマットさんのブログから。
萩尾望都とレイ・ブラッドベリ



アート | 00:00:49 | トラックバック(0) | コメント(0)
John Butcher&Eddie Prevost 来日ツアー
 9月後半にジョン・ブッチャーとエディ・プレヴォが来日する。AMMもキース・ロウに代わってジョン・ブッチャーが加入するかたちで継続するのだろうか。金属打楽器を擦って倍音をくゆらせるプレヴォに、それと寸分違わぬサウンドで交差し、大海原のようなサウンドの地平をつくりだしながら、さらにパーカッシヴなパルスを発射するブッチャー。ぜひ聴いてみてください。ただし、9月26日は渋谷アップリンクの「純喫茶ECM」へどーぞ。(^○^)


 それでは招聘元のJAZZ&NOW寺内さんからのご紹介をどーぞ。

 現在のフリー・インプロヴィゼーン・シーンにおいて、最重要なミュージシャンの一人と言って良いかと思います。英国のサックス奏者、ジョン・ブッチャーと伝説的な実験/即興音楽グループ「AMM」の唯一不変のメンバーとして知られる打楽器奏者のエディ・プレヴォが9月後半に来日いたします。
 プレヴォはAMMでの来日以来となる、10年振り、ブッチャーは'04年のロードリ・デイヴィス(harp)とのデュオ以来となる、6年振りの来日です。二人はこのところ英仏では比較的頻繁に共演をしていますが、それ以外での演奏はほぼ皆無であり、極めて貴重な機会ではないかと思います。 是非、皆様お誘い合わせ上、足をお運びください。 会場でお会いできるのを楽しみにしております。

9月17日(金) 吉祥寺 サウンド・カフェ・ズミ 
       ジョン・ブッチャー ソロ
9月18日(土) 埼玉・深谷 ホール・エッグファーム
9月19日(日)  六本木 スーパー・デラックス 
        FTARRI DOUBTMUSIC FESTIVAL
        プレヴォ + Sachiko M, ブッチャー + 中村としまる + 秋山徹次 etc...
9月20日(月・祝)  京都 パーカーハウスロール
9月21日(火)  大阪・中崎町 common cafe
9月22日(水)  金沢 kapo 
      + 島田英明 (violin)
9月23日(木・祝)  渋谷 アップリンク・ファクトリ
         ブッチャー + 中村としまる, プレヴォ+ ジム・オルーク + 秋山徹次
9月24日(金)  福島 いわき市立美術館
9月26日(日)  宇都宮 大谷資料館 (地下採掘場跡) 
        オープニングアクト:河野円 + 大城真
9月27日(月)  千葉・稲毛 jazz spot Candy

詳細は下記ブログをご参照ください
http://d.hatena.ne.jp/jazzandnow/





ライヴ/イヴェント告知 | 22:50:07 | トラックバック(0) | コメント(0)
萩尾望都に花束を①-「文芸別冊 総特集 萩尾望都」
 引き続き7月の落穂拾いネタです。前回ファンであることをカミングアウトした萩尾望都について。

 「文芸別冊 総特集 萩尾望都」が河出書房新社から発行されている。売り物はデビュー前原稿(未完成)の収録と2万字ロングインタビューなのだろうか。そのほか、まんが家・作家のお友達からの特別寄稿と長嶋有との作家対談など。「マニア嫌い」で知られるモーさまゆえか、いわゆる「批評」系の論考の掲載はない(実はあるのだが後述)。
 本人へのインタヴューも、作家仲間の寄稿や対談も、あるいは「主要47作品」の徹底解説も、いずれも踏み込みが甘く、「おっ」と思わせるところはほとんどない。彼女の作品にちりばめられた「家族との確執」(特に抑圧的な母と自己を確立しないがゆえに「軟体動物」的な姉)を思えば、ファンなら「わっ」と思わずにはいられない「家族へのインタビュー」は、さすがにその辺踏み込まないし。
 実は「評論」として短いものが2本掲載されているのだが、いずれも外国人研究者(イタリアとアメリカ)によるものであるのが興味深い。村上春樹やよしもとばななの翻訳紹介者であり、後者から萩尾望都「残酷な神が支配する」を読むように紹介されたというジョルジョ・アミトラーノは、この作品を手に取った時に「なぜ漫画の表紙に、イェーツの言葉があるのだろうと不思議に思」ったと、いかにもヨーロッパ知識人的な反応を見せる。対して、22歳の時に「トーマの心臓」を読んで、ル=グウィン「闇の左手」やサリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」にも優る衝撃、いや影響を受けたというマット・ソーンは、彼自身が萩尾望都に対して行った4時間にも及ぶインタヴューから、一部を紹介してくれている。ここでの彼の質問の仕方はあけすけなぐらいにストレートだ。そしておそらくは外国人相手だからでもあるだろう(それにより日本という共感共同体のしがらみから離れることができる)、彼女もまたびっくりするくらいストレートに返答している。結果として、本書の中で一番彼女の本質へ切り込み得ているのはこの部分だろう。

マット
 (前略)「トーマ」のテーマは何でしょう。
萩尾
  テーマはですね、いつ人は愛を知るのか。愛に目覚めるのか。だから最初に手紙を残して死んじゃうというむちゃくちゃを若さの勢いでやったが、たとえば30過ぎて描いたとしたら、もっと死ぬ理由をいろいろこじつけてたかもしれない。でも当時は「理由無く死んでもいいさ」と思ったわけです。(後略)
マット
 僕が初めて読んだのは22歳の時だったが、ユーリが翼を、羽根をなくした理由を話しているところを読んで、僕は当然「これは性的暴行を受けたんだ」と捉えたんです。
萩尾
  あ、そうですね。
マット
 そういうことを論文に書いて学会で発表したんですけど、それを僕のホームページに載せたらある日本のファンがそれを読んで怒り狂って「なんてことを言うんだ」て言われて。どうですか、その解釈は?
萩尾
  いや、当たってると思います。うん。

 後半はまあ読めば誰でもそう思うところで(「性的」がどこまでを指すかは人によってイメージが異なるだろうが、たとえ性器玩弄や性交に至らずとも、自分に惹かれて近づいてきた少年に、より強い屈服/服従を強いるためだけに暴行を施すということ自体、すでに「性的」な行為であると言ってしまっていいだろう)、「そんなこと、さも自分が発見したかのように論文に書くなよ!」とは思うけれど、こうしたほとんど無頓着なストレートさが彼女を武装解除し、トーマの死に関するびっくりするほど率直な回答を引き出したのは確かだろう。

 溶けかかる雪を踏みしめ、鉄橋の金網の破れ目から身を躍らせるトーマ。彼の身体の墜落とともに物語は幕を開ける(まるで錘を利用したカラクリ細工のように)。一瞬、時が止まったように、トーマが書きのこしたメッセージが掲げられる(なお、この「出されなかった手紙」は、図書室の本の頁にはさまれてしばらく時を過ごした後、作品のまさに最後のコマでユーリの元に届けられる)。映画なら、ここがタイトルバックだろうか。トーマの絶叫と通り過ぎる列車の轟音がクラッシュしたままモノクロームに凍りつき、ヘンデルによる「サラバンド」(キューブリック「バリー・リンドン」のオープニングを飾った)の弦楽合奏が重々しく鳴り渡る様を、何度思い浮かべたことか。そして演奏は、翌朝のシュロッターベッツ・ギムナジウムの喧騒によって突然に断ち切られる(まるでトーマの生のように)。
 自らが堕ちたこと(翼を失ったこと)をひた隠しにして生きるユーリにとって、最初トーマの死は押し付けがましい支配のための企みとしか映らない。彼がその真意に気づくのは、ずっと後、物語のほとんど最後に近づいてからだ。エーリクの言葉によってトーマの真意に気づき、立ち尽くすユーリを残してエーリクは走り去る。一人残され、書棚の前でうなだれるユーリのもとへ、翼を失った堕天使となって墜落していくトーマの姿が、実に印象的に描かれていることに注意しよう(すべてを捧げ尽くすように)。
 ここで物語を推し進めているのは、高低差(落下のエネルギー)にほかならないのだ。





アート | 22:33:03 | トラックバック(0) | コメント(1)
血は黒く、すぐに乾く-「ぼくのエリ 200歳の少女」
 本来なら7月に書くはずだった感想を遅ればせながら。なお、ネタバレを含んでいるので、映画未見の方はご注意ください。ただし、個人的にはネタバレしたから価値が下がるような作品ではないと思います。

 毎日新聞映画評に載った好意的レヴューに誘われて銀座テアトルへ。吸血鬼、耽美、北欧、少年と少女‥と来ては、萩尾望都ファンとしては行かないわけには(実際には妻に連れて行かれたのだけど)。さて作品の出来という点から言うと決してつまらなくはない。傑作ではないかもしれないけれど(←誉めている)。ここでは、作品自体の出来不出来よりも、観に行くきっかけとなった映画評や後からネットで読んだ感想にちょっと違和感を覚えた点について書いておきたい。

 まず、演出は決して耽美的ではない。北欧系の白い肌と街を包み込む雪景色と、赤い血を映えさせる道具立てはこれ以上ないくらいに整っているのに、白地に深紅をぶちまけるようなシーンはない。むしろあえて避けられているといっていいだろう。毎日新聞の映画評が採りあげていた、少年が少女と血の契りを交わそうと自らの指をナイフで傷つけ、傷口から床に滴り落ちる血に、少女=空腹の吸血鬼がしゃぶりつくシーンも、血の赤さが鮮やかに示されないために、決して耽美的な陶酔を引き起こすことはない。その分、何か得体の知れない禍々しい力が噴出するのを目撃してしまった感じ、「見てはいけない暗がりを覗き込んでしまった」感じは際立たされる。それが演出の狙いなのだろう。至るところで血を流しながら、その血は黒く、白地に映えることなく、すぐに乾いて醜い跡だけを残す。演出として「これだけは譲れない」というメッセージがひしひしと伝わってくるところだ。
 そうした中で、本作品中、最もショッキングに血の赤が噴出するのが、吸血場面でも、終盤の大虐殺でもなく、主人公の少年がいじめっ子に反撃して、彼の横っ面(左耳の辺り)を長い棒で一撃し赤く血に染めるシーンだということは、もっと注目されてよいだろう。この「勝利」で暴力に酔った少年が、部屋を訪ねてきた少女につれなく接し、これに反発した少女が涙の代わりに眼や耳から血液をあふれさせるシーンが、もうひとつの「血のクライマックス」であることを考え合わせれば、ここでは理不尽に人を傷つける「暴力」こそが赤い血と結びつけられているのは確かなことだ。
 鼓膜を破られたいじめっ子が不良の兄に頼んで主人公に仕返ししようとして、助けに来た少女に皆殺しにされてしまう終盤の「大虐殺」シーンについても、黒いヒューモアすら感じさせる乾いた画面は、「耽美」よりも「パンク」の美学を感じさせる(金髪だけどプヨプヨしていて決して美少年ではない主人公と、黒髪に浅黒い肌と黒い瞳をした、これまた美少女とはいえない吸血鬼の少女というセレクションがまた)。
 
 ネットで見つけた感想の中には、吸血鬼の少女が実は去勢された少年であることが画面のぼかしによって隠されてしまい、邦題もまたこれを隠蔽していることに腹を立てているものがあったが、私にはそのことが作品の本質を損なってしまうほどの傷だとは思えなかった。むしろ、「吸血鬼映画だから耽美/退廃の美学」と決めてかかって疑わない方がよっぽど‥。
 それともうひとつ。やはりネット上に書き込まれた感想で、原作「モールス」では小児性愛者として描かれている少女の「保護者」役の中年男性が、映画ではそうではない(少なくとも、そのことを明らかにするシーンはない)ことに「キレイゴト」と不満を述べているものがあった。ここも違和感を覚えたところ。「小児性愛者」という設定も確かに「パンク」的で、「なるほどね」ではあるのだが、むしろ、こう考えられないだろうか。この中年男性もかつては少年であり、少女を愛し、共に生きることを選んだ。その結果、彼だけが歳を取り、吸血鬼である少女は老いること無く、その結果、見かけ上は「少女と中年男性」のカップルになってしまった‥と。すなわち、少女の食事である血液集めに失敗して、身元をわからなくするために劇薬で顔を焼き、最後は少女に自らの血を与えて、病院の窓から身を投げるこの男の悲惨な姿は、この作品のラストで少女との逃避行に旅立つ主人公の少年の40年後の姿そのものなのだと。毎日新聞の映画評では「吸血鬼版『小さな恋のメロディ』」と表現していたが、その内実はかくもブラックなものにほかならない。

 血の甘さに酔いに来た観客を、ブラックな現実のはらむ辛辣な棘で責め苛むところが、この作品の真骨頂と言うべきだろう。そして、そのためにこそ、白地に映える血の赤の鮮やかさは、禁欲的なまでに遠ざけられなければならなかったのだと。



アメリカでのリメイクがすでに決まっているとか。
う~む。



映画・TV | 23:02:25 | トラックバック(0) | コメント(0)
「ECMカフェ」再び!
ECMレーベルのコンプリート・コレクター原田正夫さん(月光茶房店主)と元ECMファンクラブ会長の多田雅範さん(音楽サイトmusicircus主宰)のお二人をお迎えし、音盤レクチャー「耳の枠はずし」の最終回を飾った「ECMカフェ」が、装いも新たに今度は渋谷に現れます。

「ECM Catalog」刊行記念「純喫茶ECM」
9月26日(日) 18時15分から 渋谷アップリンク・ファクトリーにて
料金:1500円(1ドリンク付き)

ちなみに「純喫茶」と言っても、赤いウインナ入りのスパゲッティ・ナポリタンとか無いので、ご注意ください。(*^^*)

前回はお二人がゲストでしたが、今回は私がゲストです。音盤をかけながら、ECMの魅力ををいろいろと掘り下げていきます。決してマニア専用企画ではありません。「ECMってもっと聴いてみたいけど、何だか難しそう‥」と二の足踏んでるそこのあなた。ECM歴40年の専門スタッフが懇切丁寧に指導します。初心者でも安心。美音系、アンビエント、ネオ・クラシカル、フォーク、トラッド、現代音楽、北欧系クラブ・ジャズ、映画音楽、フリー・ジャズ、音響実験、ミニマル・ミュージック、民族音楽、フリー・ミュージック‥。ECMへの入口はどこにでも開けています。そして出口も。

皆様のご来店をお待ちしています。



アップリンク・ファクトリーの地図です。



ライヴ/イヴェント告知 | 22:32:38 | トラックバック(0) | コメント(0)
「ビート・サウンド」16号出ました!
「ビート・サウンド」16号出ました。
巻頭特集は何と「ジャパニーズ・ロック&ポップス」。[音のチカラ]1960-1989と題して、厳選ディスク・ベスト50+αをどどんと。
このセレクションは執筆者5人(伊藤隆剛、小林慎一郎、土橋一夫、福島恵一、湯浅学)と編集部が、それぞれ30作品ずつリストアップしたものを単純集計したものです。表紙にもある通り、上位ははっぴいえんど、大瀧詠一、細野晴臣、山下達郎、矢野顕子、荒井由美、加藤和彦とおなじみの顔ぶれに。

ちなみに私の30選は次の通り。どーせ他の方が選ぶだろうと、はっぴいえんども、YMOも、細野晴臣も、ナイアガラも、ユーミンも、フリクションも、裸のラリーズも、浅川マキも、マジカル・バワー・マコも、頭脳警察も、パンタも、はちみつぱいも、ムーン・ライダーズも、高田渡も、非常階段も‥無しという偏ったセレクションです。ちなみにフリーや現代音楽系は、別枠で原稿を書くことになっていたので、あらかじめ外しています。太字が50選に選ばれたもの。それでも12枚も入ってるからいいか(打率4割)それにしてもジャックスも早川義夫も入らなかったのにはびっくりしました。

1968 ザ・フォーク・クルセダーズ / 紀元弐千年
1968 Jacks / Live
1968 早川義夫 / かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう
1972 あがた森魚 / 乙女の儚夢
1973 吉田美奈子 / 扉の冬

1973 J.A.シーザー / 国境巡礼歌
1974 三上寛 / BANG !
1974 四人囃子 / 一触即発

1975 Brast Burn / Debon
1976 憂歌団 / 生聞59分
1976 森田童子 / マザー・スカイ
1977 佐井好子 / 胎児の夢

1977 友川かずき / 千羽鶴を口にくわえた日々
1979 灰野敬二 / わたしだけ?

1979 アーント・サリー / アーント・サリー

1979 新月 / 新月

1980 Nachiko / 1st(薬屋の娘)
1981 Phew / Phew

1981 加藤和彦 / ベル・エキセントリック

1981 Noise / 天皇

1983 After Dinner / Glass Tube

1984 須山久美子 / Les Chansons Qui Filent Du Reve...
1984 A-Musik / e ku iroju

1984 シェシズ / 約束はできない

1984 Lacrymosa / Lacrymosa
1986 ルナ・パーク・アンサンブル / 虫喰いマンダラ
1986 高橋鮎生 / Nova Carmina
1986 Killing Time / Filling Time with Killing Time
1989 不失者 / 1st
1989 Merzbow / Scum

別原稿では次のようなアーティストを採りあげています。選に漏れたものを拾うのではなく、別の視点/基準で‥と言いながら、少し拾ってます。ごめんなさい。

高田みどり、橋本一子、どくとる梅津DIVA、小杉武久、タージ・マハル旅行団、近藤譲、高橋鮎生、高橋悠治、メルツバウ、高柳昌行、阿部薫、J・A・シーザー

ちょい前に「レコード・コレクターズ」8月号が「日本のロック/フォーク」を特集していて、あちらは60~70年代で切ってるんですね。するとYMOが出てきたところで切れて、なんとゆーか、すごく座りがいい。完結した世界になる。それを「ビート・サウンド」では80年代まで引っ張っているので、本当はもっと割り切れない居心地の悪さ(「現在」に通じてしまうことによる)みたいなものが出てくるかなと思ったのですが。あんまり、そうはなりませんでしたね。枚数的には50選の中で19枚が80年代なんで、80年代を軽視しているわけでは全然ないんですけど。

個人的には、80年代初めは、京都ゼロ・レコード周辺の「サウンド的にはパンクじゃないけど、精神的姿勢はすごいパンク」というところに魅せられていたのがわかって、興味深かったです。う~む。

それと総論で書いたのですが、やはり自分のルーツは子どもの頃にTVから聞こえてきたアニメやドラマの音楽にあるなーと再確認できたのも収穫ですね。「狼少年ケン」とか「ジャングル大帝」とか「悪魔くん」とか「ウルトラQ」とか「ウルトラセブン」とか。「サンダーバード」や「謎の円盤UFO」がブリティッシュ好きにつながった気もするし。


それでは武田昭彦編集長からの内容紹介をどーぞ。
■巻頭特集「音のチカラ」
No.16の巻頭特集は「音のチカラ」と題し、1960年~1989年までのジャパニーズ・ロック&ポップスの厳選ディスク・ベスト50+αをお届けします。はっぴいえんど、山下達郎、細野晴臣、荒井由実、矢野顕子、加藤和彦らの作品を、伊藤隆剛、小林慎一郎、土橋一夫、福島恵一、湯浅学の各氏が改めて耳を傾け、「音のチカラ」を追体験できる作品の魅力について言及しています。エンジニア・インタビューは1970年代東芝EMIに在籍中、邦楽の音を変えた行方洋一、また80年代にミキサーとして腕を奮っていた菊地功の両名にスポットを当てました。
■オーディオ特集は、「デジタルファイル・ミュージック」と「デジタルファイル時代のアナログ盤再生」の2本立て
オーディオ特集は、「デジタルファイル・ミュージック」と「デジタルファイル時代のアナログ盤再生」の2本立て。前者ではiPadの音楽再生ツールとしての活用法から、USB付スピーカーやプリメインアンプの紹介、さらにUSBケーブル8ブランド9機種レビューなどをお届けします。「デジタルファイル時代のアナログ盤再生」ではバンバンバザールの福島康之さんとカセットコンロスのワダマコトさんのアナログレコード放談、さらにUSB付レコードプレーヤー7機種をレビューしています。
■連載「買わないことには始まらない」
片岡義男さんの連載「買わないことには始まらない」でパッケージメディアの魅力を再認識していただく一方で、パッケージと音楽配信が共存する音楽シーンのいまを知るコラムで音楽を全方位的に定点観測。すべての音源を分け隔てなくエンジョイするのが『ビートサウンド』流です。


前号のプログレ特集より、
描き込まれているジャケットの数が
ちょっと少なくなっているのが悲しいかも。



執筆活動 | 22:28:32 | トラックバック(0) | コメント(0)
ECM-出会いの交点
多田雅範と堀内宏公の運営する音楽サイトmusicircus内にECMカタログ完成記念企画として、二人の選んだ「偏愛ECMベスト11」が掲載された。「ECM Catalog」の主要な執筆者である二人が数多いECM作品の中からどの作品を選んだかももちろん興味深いが、読んでみてむしろ驚かされるのは、それらが幾つもの出会いの瞬間に満ち溢れていることである。
多田によるECM 1545 Ketil Bjornstad / The Seaのレヴューなど、ビョルンスタがムンク研究家として来日講演することを聞きつけた彼の奔走が、たちまちのうちにノルウェー大使館でのミニ・コンサートを実現し、勢いあまって女性大使とビョルンスタを引きつれ駆け抜けてしまう(慌てる大使館日本人スタッフ)という、ほとんどバスター・キートンばりの速度に、「ジャズ・ライフ」誌のレヴュー、ディスク・ユニオン新宿店の喧騒、小野好恵の散骨の情景等がフラッシュバックする。まるでジョナス・メカスの個人映画の如く。「記憶」の各章のページが素早くめくられるように(Each Chapter Memorized)。

一方、堀内は自らが作品を選び、それにしかるべき位置づけを与えることが、「音楽を聴く際に特権的に許されている思いがけない発見や予測できない不安定な状態といったもの-明確に定義できない曖昧で開かれた体験の種子を抱えた状態にできるだけ長く留まり、自らの力で参照点を見つけ、進む道を探し出そうと試みること」を奪ってしまうのではないかと怖れながら、それが補助線/目印として、聴き手一人ひとりが「別の何か」に変化していく手助けとなる可能性に慎重に賭けている。それゆえ彼は「ECM Catalog」で執筆を担当した作品をあえて除外し(それは「権威づけ」を注意深く遠ざけることとなる)、採りあげた作品を明確な輪郭の中に閉じ込める代わりに、幾つかの「必然」と「偶然」の線の織物へとほどいてみせる。はかなげに明滅する魅惑的な謎の群れ(Ephemeral Calm Mysteries)。

「偏愛」といういささか自嘲的な言葉が、ここでは我が物顔に世間を流通する「独断と偏見」を離れ、気負いのないすがすがしさをたたえているのは、これらの作品が、彼らとともに様々な瞬間を経てきたからだろう。「批評とは作品をダシに自分を語ることだ」というのは間違いで、単に「批評通して自分が透けて見えてしまうのを避けることはできない」というだけのことだ。だからこそ、作品といかに向き合うかが問われ、また、その向き合い方が厳しくも喜びに満ちた瞬間をどのように乗り越えてきたかが問われることになる(Every Critical Moments)。

二人が共にECM 1220 Mike Nock / Ondas(=Waves)を選び、Ketil Bjornstad / The Seaに揃って触れているのも興味深い。波々が十重二十重に折り重なり、想いを深めながら、ふうわりと柔らかな永遠へと向かうように。Eternity / Coda / Mercy

http://homepage3.nifty.com/musicircus/ecm/e_hl/004.htm



ECM 1545
Ketil Bjornstad, David Darling, Terje Rypdal, Jon Christensen / The Sea



批評/レヴューについて | 23:40:55 | トラックバック(0) | コメント(0)

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