hofli -「Studying of Sonic」がもたらしてくれた素晴らしき出会い1 hofli - “Studying of Sonic” Brought Me Wonderful Encounters Volume 1
2012-12-31 Mon
先日、金子智太郎との共同レクチャー「The Way to Ambient Music」で参加させていただいたイヴェント「Studying of Sonic」のライヴで、初めて聴くhofli(津田貴司)の生み出す細やかな温もりをたたえた音に耳が惹きつけられた。ふゆのやわらかなひざしがつくりだすちっぽけなひだまりのうつろい。彼は今回の出演者中、私が唯一予備知識を全く持たない演奏者でもあった。その後の短い立ち話で、ライヴの冒頭に奏でた水を入れた巻貝は小杉武久の演奏に着想を得ていること、Michel Doneda『Gaycre』や『Montagne Noir』にとらえられた、演奏(マイクロフォンの「演奏」を含む)によって浮かび上がる自然環境の生成変化ぶりに関心を持っていることを知った。喜ばしい出会いのしるしに、店舗流通では西荻窪「雨と休日」だけに卸しているという、彼の自主制作CDを2枚購入して帰った。今回はそれについて書いてみたい。軽いボール紙製の薄い箱型パッケージ、CDの入った長方形の薄い紙袋、淡い水彩の挿し色や深い青に映える星座の図案、封入されたリーフレットの柔らかな色味と手触りが織り成す稲垣足穂(むしろhofliの音と響きあうよう「タルホ」と表記すべきか)的、あるいはジョセフ・コーネル的な「永遠の少年」のロマンティシズム。だがそこにコーネルの「箱」が醸し出さずにはおかないネクロフィリアの匂いはない。漂うのは薄荷や林檎の香り。寒さに肩をすくめながらざわめきに耳を澄ます姿が浮かんでくる。
彼のつくりだす音は、いつもすべすべした丸みを帯びて、まぶしさのないうす曇りの視界に浮かび上がる。こぽこぽ。たぷたぷ。ミクロな揺らぎがシャボン玉のようにはじけていく。
それらは新たに音風景を構成するというより、広がる風景の中の埋もれた一点景にほのかな光を当てる。彼は背景を塗りつぶしにかからない。耳の視界の片隅に何か小さな取るに足らないものを見出し、あるいはそっと付け加える。寒々とした風景に淡い色合いとわずかばかりの温もりが加わる。それらは何か見慣れた「もの」の形をしていたり、あるいは日常から切り取られたさりげない一場面だったりする。
☆
晴れ渡った夜空にまたたく、明るい冬の星座の星々に耳を傾ける。
☆☆
風の強い夜、小さな木立の葉枝の鳴りにどこまでも続くうっそうとした森林を思い浮かべる。
☆☆☆
眠れない夜、冷蔵庫のコンプレッサーの低いうなりと水道管の立てるこぽこぽした水音の間の空いた会話に耳を浸す。
☆☆☆☆
ベッドサイドのスタンドを灯し、机の隅に置かれた小さな鉢植えや家族の写真をぼんやりと照らし出す。
☆☆☆☆☆
しんしんと雪の降った翌朝、軒先から滴る雪融け水のしずくに、ベッドの中でまどろみながら耳を澄ます。
☆☆☆☆☆☆
昨年の前作『水の記憶』が、まるで林の中に「庭」をつくるように響きの点景を配置するのに対し、今年の『雑木林と流星群』(タルホ的!)では、ひとつひとつ置かれた簡素な音が、ゆっくりと辺りを照らし出していく。
CD購入時にもらったリーフレットにインタヴューが掲載されていて、そこで彼は「みみをすます」というワークショップ開催の話題とともに、『雑木林と流星群』では環境音のフィールドレコーディングと対話しながら音を重ね、できあがった音源からから元の環境音を消去するという「引き算」の発想で音楽をつくっていったことを語っている。足の下でぱりぱりと砕ける落ち葉の感触が、その響きの広がりに耳を澄ますことが、自分の身体の滲みこんだ空間のパースペクティヴを与える。
素晴らしい出会いをもたらしてくれた「Studying of Sonic」に、またはるばる新潟からおいでいただいたというhofliの友人であり、『雑木林と流星群』のライナーノーツを執筆し、また先のリーフレットでインタヴューワーを務めた藤井友行氏(のみの音楽舎)に感謝したい。



『水の記憶』
試聴:http://shop.ameto.biz/?pid=26718667



『雑木林と流星群』
試聴:http://shop.ameto.biz/?pid=52409168
hofli WEB SITE:http://hoflisound.exblog.jp/
hofli sound diary:http://d.hatena.ne.jp/hofli/
のみの音楽舎:http://fleaongak.blogspot.jp/
西荻窪「雨と休日」:http://shop.ameto.biz/
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2012-12-28 Fri
去る12月23日(日)、西麻布Calm and Punk Galleryにおいて、このブログでもご案内したイヴェント「Studying of Sonic」が開催された。30名という当初予定した定員は申込期限前に予約で埋まり、その後の問合せ多数につき一部追加予約を受け付けたと主催者であるサウンド・アーティスト小野寺唯から聞いていた。当日詰め掛けた熱心な聴衆に向け、次のプログラムが上演された。順を追って見ていきたい。
①レクチャー「The Way to Ambient Music」金子智太郎・福島恵一
②ライヴ&アーティスト・トーク(with 飯島淳)
sawako+holifi
Yukitomo Hamasaki+yui onodera
Carl Stone+Christoph Charles
1.The Way to Ambient Music
小野寺による挨拶と趣旨説明に続き、 音源と映像を用いたレクチャーを始める。アンビエント・ミュージックと総称される音楽の聴きどころやその可能性を活かす聴き方について、関連領域を横断しながらイントロダクションを提供する試み。
金子は米国の老舗レーベルであるフォークウェイズの1950年代に録音されたフィールドレコーディング音源(蒸気機関車の走行音、虫の声、花火の音など)を紹介しながら、そこに音楽を聴き取ったり、風景を発見する心性/欲望を、録音/通信テクノロジーが世界をまた私たちの身近な生活環境を変えていく動きと関連付けながら解説した。
米国アンペックス社による民生用テープレコーダーの発売が、SPレコードの制作・流通によりいったんは「購入するもの」と化した音楽を含む私たちの身の回りの音を、改めて「自分たちで録音/再生するもの」とした(その可能性をより幅広く開き直した)とか、「フィールドレコーディングされた音を聴く」という行為自体が録音/再生テクノロジーの発達(特にLPレコードによる再生ノイズの飛躍的軽減)に支えられている‥等の指摘は極めて重要かつ触発的だ。また、マイクロフォンに飛び込んでくる音を何でも取り込んでテープに定着するテープレコーダーの原理が、ジョン・ケージ「4分33秒」をを基礎付けているとの指摘も興味深く、ケージによる「拾得物としての音楽」をこうしてテクノロジーと結びつけることによって、さらに視野を広げることができるだろう。そして何よりも、これら一連の出来事が全て1940年代末から50年代初めにかけての、ごく短い期間に集中して起こっていることに驚かされる。フェイズの大きな変わり目と言えよう。
さらには、こうしたシーンのキー・パーソンと言えるトニー・シュワルツの業績にも一部言及が為された。この部分はもっと掘り下げてもらいたかったところだ。
もちろん金子ならではの選曲眼により、披露された音源がいずれもサウンドとして興味深かったことは指摘しておきたい(決して歴史的価値だけではない)。なお、金子が雑誌『アルテス』に連載している書評が、ちょうど現時点での最新刊である第3号で、今回のテーマとも深く関連するSteve Roden編纂によるSPレコード音源集+アンティーク写真集の体裁の『I Listened to the Wind that Obliterates My Traces』を採りあげていることもご案内しておこう。
続いて私のプレゼンテーションは、金子の記録/記憶を介した「聴くこと」への時間的アプローチに対し、もっぱら空間的アプローチになることを予告した後、まずは音源1としてカイロの街頭音を素材としたGilles Aubry『Les Ecoutis, Le Caire』の何とも言えない魅惑的音像/音場を紹介し、この聴取体験を深めるために次の5つの補助線を引いてみた。プレイした音源や図像とともにご紹介しよう。
①フリー・インプロヴィゼーション
音源2:Derek Bailey『Solo Guitar Volume 1』
②空間による侵食とこれによって明らかとなる音のマテリアル性
音源3:Derek Bailey, Min Tanaka『Music and Dance』
③音空間のヘテロトピア性
音源4:Michel Doneda, Tetsu Saitoh『Spring Road 01』
図像:ル・コルビュジエ「サヴォワ邸」
ピエロ・デッラ・フランチェスカ「キリストの笞刑」
フラ・アンジェリコ「受胎告知」
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ「牢獄」
原田正夫「(仮)ある晴れた日の新宿風景」
④感覚器官としての手→運動器官としての耳
資料:認知運動療法によるリハビリテーションの視点
⑤視覚イメージと聴覚の切り離し
音源5:Lucio Capece『Zero Plus Zero』
図像: Lucio Capece演奏風景
音源6:Michel Doneda, Xavier Charles, Jean-Leon Pallandre『Gaycre 2』
プレゼンテーション後は金子と短くやりとりし、「時間的/空間的と二人のアプローチの差異が指摘されたが、共にフィールドレコーディングを素材に「聴くこと」や「聴き方」を問うものではなかったか。私のプレゼンテーションもテレビ普及前(=ラジオの時代)に深められた「聴くこと」の様相をとらえるものである」との金子の投げかけに対し、「その通りで、youtubeをはじめ映像の氾濫の前に、いま「聴くこと」が貧しくなっている。視覚のフレームに従属させるのではなく、まず音に耳を傾けてもらいたい」と私が返してコーナーを締めくくった。
「参考になった」、「触発された」、「面白かった」とアフターアワーズに直接多くのご好評をいただいた。演者としてありがたい限りであり、今後に向け大層励みとなった。金子とも「また機会があれば‥」と話し合ったところである。

金子のプレゼンテーション
左:福島 右:金子
2.Live Performance & Artist Talk
続いて後半は3組のデュオ・ライヴと飯島淳をファシリテーターに迎えたアーティスト・トークで構成。
(1)sawako+hofli
sawakoのPCからカラカラ、コトコトと小石を踏みしめて歩くような感触の音の細片が振りまかれ、一方hofliは少し水を入れた巻貝をゆったりと揺すりながら客席を巡り、ステージに到着してからもそれを続け、あるいはやはり水を入れたガラス壜を叩いた音を拡散させる。ミュート加減の丸みのある音が気泡のようにゆっくりとたちのぼる。後に続くアーティスト・トークでsawakoが語った通り、森を散策するようなゆるやかな眺めの変化が魅力的。会場内に8基がランダムに配置された無指向性スピーカーKAMOMEの「散在する点音源」としての特性を最も効果的に活かしていたのは、このペアかもしれない。各スピーカーは覗き込めば響きが湧き出す泉と化していた。聴衆が最も頻繁かつ流動的に会場内を歩き回っていたのも、このペアの時だった。もちろん一番手だったし、しかも演奏者であるhofliが率先して歩き回った性もあるだろうが、通常はコンサートで主催者がいくら「どうぞご自由に歩き回ってください」と呼びかけても、ほとんど動かないのが日本の観客である。それをこれだけ動かしたのは、やはり二人の演奏の魅力ゆえではないか。

左:hofli 右:sawako
(2)Yukitomo Hamasaki+yui onodera
流麗なドローンが足元からひたひたと満ちてきて、ピアノの旋律の断片が中空に繊細な綾を織り成していく。牧歌的だった前ペアに対し、2番手に登場した彼らの音には都会の夜のテイストが香る。彼らの演奏に先立って、今回発売前のKAMOMEを提供してくれた(株)PHONONから製品説明があったため、演奏中にもかかわらず来場者の質問と担当者による説明が会場にぼそぼそと響く悪条件だったが、そうした予定外のつぶやきすら余裕でサウンドスケープに取り込む貫禄のパフォーマンスだった。後のアーティスト・トークでは、ピアノのサンプリング音だけに音素材を限定してプレイし、風景を構成するよりもタイムラインに沿った音の動きの推移変容を編み上げることを意図したと力強く語ったHamasakiの発言が深く印象に残った。

左:Hamasaki 右:onodera
(3)Carl Stone+Christoph Charles
大御所二人のパフォーマンスは、持続音により全体としては安定した音場で空間を満たしながら、貝殻をこすり合わせる音、イルカの鳴き声、小石をかき混ぜる音(それぞれ音素材を同定できるわけではなく、~のように聴こえるという印象記述に過ぎないが)等のサウンドの細粒がそこここで間欠的に噴き上がり、サウンドの花を咲かせるバランスの取れた仕上がり。低音がぶ~んと分厚く共鳴しながらゆるやかなうねりをつくりだし、エスニックな歌謡の蜃気楼を揺らめきのうちに呑み込んでいく。幾重にも敷き重ねられた音の層の空気をはらんだふうわりとした柔らかな厚み/広がりがアンビエントと呼ぶにふさわしい。アーティスト・トークではKAMOMEの可能性について尋ねられ、音量や周波数帯域には制限があるものの(今回も音にならなかったサウンド・ファイルがあったとのことだ)、無指向性点音源の特性を掘り下げれば、インスタレーションをはじめ様々な使い方ができると答えていた。

手前:Carl Stone 奥:Christoph Charles

アーティスト・トーク 左端:飯島
三者三様のパフォーマンスながら、生の物音やフィールドレコーディング素材(サンプリング音を含む)が共通して用いられることにより、前半のレクチャーの内容との連続性が確保されていると感じられた。両者が相互に補完しあうことにより、聴取体験が、また「聴くこと」への理解と楽しみがより一層深まったと信じたい。
ともあれ、多面的な構成により出色のイヴェントとなったことは間違いあるまい。休日の午後から夕方という時間帯設定も成功だったように思う。詳しくは別稿に譲るが、短いながらいろいろな方と直接お話しできたし、素敵な出会いもあった。
主催者やスタッフ、出演者各位、そして何よりも冷え込みの厳しい中をご来場いただいた多くのお客様(何とはるばる新潟や名古屋からおいでいただいた方も)に深く感謝したい。どうもありがとうございました。

この日の立役者のひとりKAMOME
音響:枯山水サラウンディング http://www.kare-san-sui.com/
KAMOME提供:株式会社PHONON http://www.phonon-inc.com/
2012-12-25 Tue
公益(財)日本伝統文化振興協会のスタッフ・ブログ「じゃぽ音っと」(*)で知った韓国舞踏の公演「舞天 祝祭の大地」の印象を書き留めておきたい。*http://d.hatena.ne.jp/japojp/20121114
会場少し前に草月会館に着くと、すでに列が地下のホールから1階のチケット売り場近くまで伸びている。あちこちから聞こえてくる韓国語のやりとりに耳を澄ましながらしばし開場を待つことに。
草月ホールは久しぶりだが、ホール内に入ると、かつてのビル・フリゼール・バンドや金石出(キム・ソクチュル)一座の熱演の記憶がふとよみがえる。舞台に対して放射状に並ぶ客席の奥行きが比較的浅く、傾斜もゆるやかで、舞台が近く見えるのは舞踏公演に向いているかもしれない。
今回の公演は8種類の舞踏を入れ替わりで見せる。目まぐるしいショーケース的攻勢を予想したが、観終わって思った以上にたっぷりな大盛り加減にびっくり。前菜8種盛り合わせではなく、主菜8品の満腹コース。
企画構成を担当した陳玉燮の日本語を交えたユーモアたっぷり(いささかオヤジ・ギャグ)の司会進行により、踊り手たちが次々に舞台に上がる。音楽はサムルノリ系の打楽器アンサンブル(チャンゴ、ケンガリ、チンなど)やこれにダブル・リードの管楽器ピリが加わったものとテーグム、カヤグム、ヘーグム等の管弦楽器中心のアンサンブル(それでもコンサート・マスターはチャンゴが務めるのが韓国伝統音楽ならでは)の2種類。後者ではヴォイス(「口音」という)が加わる場面も見られた。
まずはホール客席後ろの出入り口が開き、そこから歓声とともに打楽器群が鳴り渡り、ケンガリ奏者に率いられた少女集団が通路から舞台へと駆け上がる。これは実は続く「チン舞」のためのイントロダクション。チン(縁の部分が厚く折り返された銅鑼)を携えた赤白衣装の女性(彼女はひとり少女ではなく「おばちゃん」年齢)が一座から歩み出て、チンを叩きながらゆるやかに旋回する。やがてチンを置いた彼女はくるくると激しい回転に達して、客席からやんやの拍手喝采を引き出し、村祭りの広場に沸き立つ興奮を伝える。
続いては一転して重々しい静寂の支配する「サルプリ舞」。背景に月と雲を浮かばせた陰影濃い照明に、白装束に身を包んだ女性が片手に持った白い布を泳がせる。視線は伏したまま、多くは客席に背中を向け、重々しく、だがすべるように足を運ぶ哀しみの舞。
明るさを増した舞台に初老の男性が姿を見せると「トッペギ舞」。同じく白装束姿ながら、こちらには飄々とした軽みが感じられる。手の構えとゆっくりとした回転は一瞬「太極拳」を連想させるが、あのように腰を深くは落とさない。重心を軽やかに操り、身体の運動でダンスの空間をさらさらとクロッキー風にスケッチしてみせる様は、どこかマース・カニンガムを思わせる(ゆるやかな流動にふと透き通った空間が浮かび上がる印象)。ただ、ときどき両足を開き、思い切り腰を落として「ダンッ」と床を踏みしめるキメが入るあたりは「農夫の舞」とちらしに説明のある通りか(少なくともモダニズムではあるまい)。
そしてサムルノリ再び(「パンクッ」)。やはりホールの外から演奏が始まり、吹き鳴らされるピリの喧騒さに煽られてみるみるうちにうちに舞台へと流れ込み、渦を描いて跳ね回る十数名の少女たちの熱気に、ホールの空気がたちまちのうちに沸騰する。うち5名の少女は防止に棹と長いリボン状の布飾りを付けて、それをわずかな首の動きでひゅんひゅんと回転させ、さらには輪になって走り回りながらトンボを切ってみせる。華やかな祝祭(ハレ)の賑わい。さらに少女たちにひとり紛れ込んだ少年(まだ小学生とのこと)が、さらに長い3mはあろうかという防止の布飾りを激しく振り回しのたくらせるパフォーマンスも。
急に続いては緩。白装束の女性がやはり白い布を操る「トサルプリ舞」。先ほどの「サルプリ舞」が視線を伏せ背中で暗示することにより、貴族文化的な様式性やシンボリックな物語性を担っているとすれば、首にかけ両手でたくし上げるほど長い布を自在に操るこちらは、正面に向け見開かれた眼がこちらをしっかりと見つめ、衣装もより民衆的で舞もおおらかな力強さをたたえている。ヘーグムのうねりと絡みながら、もう高齢の鄭英晩(人間国宝にしてアンサンブルの音楽監督)が張り上げくゆらせる声の、しなやかな強度が素晴らしい。
「芸者の踊り」と紹介された「長鼓舞」は、にこやかな笑みを浮かべながらチャンゴをあしらうように奏で、艶美さを振りまきながら、民謡調の女声の柔らかな節回しに乗せて舞い踊る。途中から同様にチャンゴを携えた女性3名が加わり、さらに艶やかさを増す。確かにサムルノリ等の広場の祝祭とは別物、閉ざされた座敷で繰り広げられる宴である。
続いて管弦の演奏にケンガリが入って音圧を増しテンションを高めて、韓国時代劇によく登場する皇后風の額縁髪型ときらびやかな宮廷衣装による「太平舞」が始まる。「王女メディア」風の威圧的なメークアップにふさわしい威風堂々たる舞。途中で脱いだ上掛けを下げに来る女官役の踊り手のカラクリ人形的な動きが面白い。
ラストを飾る8番目は男性の踊り手。でんでん太鼓を大きくした手持ちの太鼓を叩きながら、帽子に付けた棹とリボン状の布飾りを鮮やかに操る。帽子飾りが鞭の如くしなって鋭く空間を切り裂き、あるいはレーザー光線のように素早く8の字の軌跡を彫り刻む様に思わず息を呑む。先ほどの少女たちの嬌声に満ちた賑やかさとは異なり、見事な達人技にどんなに拍手歓声があがっても、沈黙の中に風切り音だけが響く冷ややかでモノクロームな鋭利さが決して失われることはない。頚椎の具合を心配したくなるほど、次々と超絶技を繰り出しながら、彼は客席の興奮を一身に担う。トリにふさわしい白熱のパフォーマンスだった。
アンコールは演者全員が舞台上に顔を揃え、演奏に載せて始まる簡素な舞に、客席から部隊へ挙がって参加するよう呼びかけるおなじみの趣向。金石出一座の際の賑わいを思い出す(確か笹に短冊よろしくお札(お金)がぶら下がっていたっけ)。あの時は村々を巡る巫者の祭儀だから‥と何やら「民俗学」的な理解をしたが、今回のようなプログラム/パッケージされたアーティスティックな舞踏公演の装いであっても、その内容はそうした民俗をしっかと踏まえ、それゆえにこそ高いエンターテインメント性を確保している。すっかり満腹になり、頭の中を真っ白にした一夜だった。
2012年12月14日(金) 草月ホール
金貞淑:チン舞 静寂の趣
趙寿玉:サルプリ舞 清浄無垢
李潤石:トッペギ舞 一代壮観
演戯団八山台:パンクッ 師走の流星群
李貞姫:トサルプリ舞 無限の重
下仁子:長鼓舞 浄の拍動
金順子:太平舞 生涯の深遠
金雲泰:チェサン小鼓舞 華麗な激
※各惹句は公演パンフレットから引用

左から順に、太平舞、トサルプリ舞、チン舞、チェサン小鼓舞、サルプリ舞、長鼓舞、トッペギ舞、パンクッ


野坂操壽・沢井一恵デュオ・コンサート・レヴュー-華やかな音色の宴、原初の響きへの幻想 Live Review for Souju Nosaka and Kazue Sawai Duo Concert-A Gorgeous Party of Notes, An Imagination for the Birth of Raw Sounds
2012-12-24 Mon
小野寺唯主催の「Stydying of Sonic」における金子智太郎との共同レクチャー「The Way to Ambient Music」の準備等があり、ずいぶん間が空いてしまったが、遅ればせながら前々回掲載の「沢井一恵ライヴ@ロゴバ」で予告した野坂操壽と沢井のデュオ・コンサート「変絃自在 [箏]-ふたりのマエストロ」について、感銘を受けた演目を採りあげ、その印象を記すことでライヴ・レヴューしたい。1.華やかな音色の宴
沢井忠夫の作品はいつも大輪の花の艶やかさ、華やかさをたたえている。たとえば沢井一恵が平河町ミュージックス第1回でベーゼンドルファー「インペリアル」を十二分に鳴らしきるように演奏した「華になる」の、色とりどりの響きの花々の咲き誇る様を思い出す。プログラム・ノートによれば曲名に「花(の名前)」が登場することも多いというから、彼の作曲家としての本来的資質であると同時に、彼自身そのことをよく知っていて、狙いを定めていたのだろう。今回は彼の作曲作品が2曲演奏された。まずはそれに触れておきたい。
3曲目の「百花譜-春、夏、秋、冬-」は、野坂の箏と沢井の十七絃によって奏される四季の情景。野坂による高音のアルペジオのサントゥールの舞にも似た優美な散乱ははらはらと散り落ちる春の花びらであり、それを沢井の豊かな低音が柔らかくしなやかにドライヴする(そこにはドロシー・アシュビー的なジャジーさすら感じられる)。あるいは低音の太い響きが夏の空高く昇り詰め、重くのしかかるまどろみのうちに濃密な時間がゆっくりと過ぎていく。絵になる情景が蒔絵のように散りばめられ、きらびやかな王朝美学のうちに奥深い秋の典雅さを匂い立たせれば、一転、輪郭を失った響きが吹き荒れ、渦巻く激しい流動と化した冬将軍が到来する。音色やフレーズのシンボリズムだけによるのではなく、響きの手触りや移ろい、あるいは濃度や速度、質感の千変万化を尽くして、お決まりの題目を新鮮に描ききった彼の筆力に圧倒された。
対してフィナーレとなる6曲目「二つの群の為に」は二人と総勢17人に及ぶ若手男声箏奏者との共演。次々と箏が運び込まれ並べられるうちに、たちまち舞台は桐の木目が寄せては返し、白い箏柱の波頭を閃かせる一面の大海原となる。曲題通り、二人のソロとオーケストラ的な群の対比であり、グループを分割する線が様々に引かれ、各群に異なる運動状態(それは同時にパーカッシヴな打絃をはじめ、ピクチャレスクなよく映えるフレーズでもある)が配分される。そうした写像的操作によって構築されているにもかかわらず、噴き上がるような激しい華麗さと強靭にして優雅なドライヴを決して失わないあたりが、彼の真骨頂と言えるだろう。
2.きらめきの綴れ織り
2曲目は野坂のソロによる「五段幻想」。暗闇にすっと落とされた一条のピンスポットが、白く輝く二十五絃箏を真上から照らし出す。野坂の両手のさざめきが織り成す細密な響きの綴れ織りは、そのまぶしさのないミクロな輝きにより、螺鈿細工の緻密さを浮かび上がらせ、ほのかにエキゾティシズムの香るフレージングが東と西を結ぶあたり、アラビアやペルシア、マジャールやアナトリアの幻想をさまよう。芳しい余韻が鼻腔をくすぐる。ぴんと張られた細い絃の、箏らしいたわみのない響きは、むしろヴァージナルやクラヴサンの清冽なきらめきを思わせた。
3.原初へと記憶を遡る響き
コンサート冒頭、静まり返った漆黒の闇の中(非常口への誘導灯も消灯する旨、あらかじめ注意のアナウンスがあった)、何も見えない舞台から沢井のつぶやきが響いてくる。低いモノローグの中で、彼女は十七絃の響きを想像の力で原初へと遡らせる。この地球に初めて鳴り響いた絃は乾燥した草木の蔓だっただろうか、その音の主はきっと北京原人だったに違いない‥‥と。かつて彼女とジョエル・レアンドルの共演『organic-Mineral』(In Situ)において、箏とコントラバスが共に木の板に弦を張り渡しただけの祭具へと変貌するのを目撃し、ミッシェル・ドネダ、ベニャト・アシアリとの『Temps Couche』(Victo)には壮大なギリシャ悲劇にも似た古代劇を想起した私にとって、そうしたあてのない妄想を沢井自身から肯定してもらった気がして、大層うれしかった。
時折、絃が弾かれて音がホールの天井高く放り上げられ、またゆっくりと落ちてくる。次第に響きは水平な広がりを見せ、暗く重い水を押しながら舞台からの距離をゆるゆると渡ってくる。
ほのかに明かりが灯り、沢井のソロによる「六段」が始まる。昨年のCD『The Kazue Sawai』に収録された演奏と同じく十七絃によるものであり、平河町ミュージックス第1回の箏による演奏がそのストレス・フリーな伸びやかさによりふと交錯する金銀、緋、錦の鯉の群れを思わせたのに対し、深い水の中を歩むように感じられる。速度を落としたフレーズは重く深く空間を掘り刻みながら、しかし少しも粘ることなく絃を離れ、眼に見える揺らぎとなってゆっくりとこちらへと近づいてくる。ホール内の空気の密度が何倍にも高まった気がする。
きりきりと張り渡された絃の中央部分と端部を弾き分け、音色のテンションをさりげなく操ることにより、絃の震えは、その都度異なる羽色の鳥を一羽一羽産み落とし巣立たせる。左手による絃の押し引きは倍音成分を連続的に変化させ、響きの裳裾をオンド・マルトノのようにひらめかせる。後半、音の間が詰んできて、ようやく交錯が姿を現す。「箏の音」ではなく、絃の生な震えを初めて聴いた気がした。それは確かに「2001年宇宙のた旅」で黒く巨大なモノリスの周囲に集った猿人たちが耳にした響きに似ているのかもしれない。


「変絃自在 [箏]-ふたりのマエストロ」
2012年12月6日(木) さくらホール(渋谷区文化総合センター大和田4F)
野坂操壽(箏、二十五絃箏)
沢井一恵(十七絃)
若手男性箏奏者17名(箏、十七絃)


左:野坂 右:沢井 沢井による十七絃ソロ
2012-12-05 Wed
今回のライヴは彼らにとって今年4月にリリースしたCD『Acoustic Fluid』の発売記念ツアーの一環に当たる(フライヤー参照)。7月には橋爪の左肘骨折というアクシデントに見舞われたが、その後、リハビリ期間を経て、現在は全く問題ない状態でステージをこなしている。ライヴ中のMCでは「ツアー中、新曲が毎日できている」との発言があり、実際、この日も2曲の新曲が披露されるなど、グループのクリエイティヴィティが非常に充実していることが感じられた。『Acoustic Fluid』における彼らの清冽な叙情溢れる演奏に着いては、すでに本ブログで、音楽批評サイトcom-postの面々によるクロス・レヴューへのレヴューを含むディスク・レヴューとして(ややこしいな)採りあげた(「流動化された音響」*1)。
今回のライヴでは『Acoustic Fluid』への参加が一部にとどまった佐藤浩一(pf)がフル参加していることが注目される。今年4月の新宿ピットインでのライヴ(私は聴いていない)について多田雅範が記述しているような(「橋爪亮督グループ『アコースティック・フルード』発売記念ライブReview」*2)、彼と橋爪、市野が研ぎ澄まされたテンションをぶつけあう場面が聴けるのだろうか。期待を膨らませて、久方ぶりのピットイン詣でとなった。
*1 http://miminowakuhazushi.dtiblog.com/blog-entry-165.html
*2 http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/day?id=7590&pg=20120421
さて聴き終えての全体的印象からすれば、そうした「発火力」(多田雅範)の爆発よりも、むしろメンバー間の自在なやりとりを通じた、痒いところに手が届くような心配りに溢れた熟成したアンサンブルを聴くことができたように思う。もちろんここで「熟成」とは単に「聴きやすい」とか「スムーズ」といったことを意味しない。グループとしてのサウンドのテクスチャーがより精緻になり、アンサンブルに奥行きが出て、各演奏者間の「対位法」的な関係が自在に織り成され、常に新しい切り口に聴き手に向け示される。
リーダーの橋爪は、何よりもまずコンポーザーとしてこのグループに関わっている。それゆえか、彼は先陣を切って演奏を牽引しようとはしない。大きなドライヴを担うよりは、むしろ曲にふさわしいエモーションの表出に向け、基本的な色合いの広がりを差配する。彼のテナー・サックスの音色はエッジがおぼろにかすれ、チョークで描いたデッサンを思わせる。的確さと曖昧さの絶妙な配合。そのサウンドは常に透かし見るような多重さをはらんでおり、時に壊れやすく不安定な印象を与えもした。
対して、この日の演奏全体にわたりグループの前面に立ってアンサンブルを強力にドライヴしたのは橋本のドラムだろう。しぱしぱっと閃光が瞬くようなシンバル・ワークや切れ味鋭いリム・ショットは時間を刻むのではなく、前へ前へと押し立てる。その推進力はCD『Acoustic Fluid』に収録された演奏に比べ、まだ若い彼の成長ぶりを印象付けた(単に彼のドラム・サウンドが私のオーディオ・システムの再生能力を超えているために、CDよりも説得力を持って聴こえたというだけの話ではあるまい)。総体として橋爪と市野による透明感溢れるレイヤーの重ね合わせを主調とするグループ・アンサンブルに、これほど鋭く切れ込むドラミングがフィットするのは、彼らの演奏のしなやかな柔軟性と精緻な揺るぎなさによる。
そのカギを握っているのが織原のフレットレス・エレクトリック・ベースだ。アコースティック・ベースのように明確な輪郭を持たず、どこまでも透き通り輪郭を溶かしながら(この点がどろりとゲル状の軟体動物性を前面に押し立てるパーシー・ジョーンズなどと決定的に異なる点だ)、方円の器に従い自在にかたちを変え、空間を開き、ボトムを支え、空間へとしみこむ彼のベースは、グループのサウンドの心棒そのものである(それはグループ全体のつくりだす響きと美しい相似形を描いている)。ドラムとのコンビネーションにおいて浮遊するように包み込みながら、フロントラインとの距離/空間を確保する一種のメディウムとしても重要な役割を果たしている。
中空に浮かびたなびき揺らめいて、薄荷の匂いを放ちながら透き通り、空を横切って長く伸びる飛行機雲のように気化していく(あるいは風に吹かれるちぎれ雲のように散り散りにかたちを失っていく)市野のギターは、先に述べた橋爪のテナーのもろく崩れやすいおぼろさと重なり合い溶け合いながら、演奏の色調を柔らかく(だが断固として)決定する。一方、佐藤のピアノは、リズム隊の一員としてリズミックな打撃を提供するよりも、華麗に匂いたつアルペジオを振りまいてアンサンブルに色を挿しながら、そのサウンドの明確にして実体的な輪郭の強さにより、他の三人の音の層を貫通して、(橋爪、市野ではなく)橋本のドラムの音の粒子/波と衝突しあい、互いに響きを引き立てあう。
個人的な印象としては、こうした彼らの特質は「Current」とメドレーで奏された「Last Moon Nearly Full」や、急遽その場で「十五夜」をイントロダクションに挿入された「Journey」等の演奏(いずれも『Acoustic Fluid』収録曲)で最もヴィヴィッドに聴き取れたように思う。
タバコの煙とPAのサウンドゆえに長いこと遠ざかっていた新宿ピットインだが、3泊4日の韓国ソウル行き出発前日のドタバタの中で出かけた甲斐の十二分にある素敵なライヴだった。素晴らしい演奏を繰り広げたメンバーたちと、彼らを知るきっかけを与えてくれた益子博之、多田雅範に改めて感謝したい。
2012年11月30日(金) 新宿ピットイン
橋爪亮督(tenor sax), 市野元彦(guitar), 織原良次(fretless bass), 佐藤浩一(piano), 橋本学(drums)

2012-12-01 Sat
2012年11月16日(金)にROGOBA DESIGN ON LIFE_Tokyo(ロゴバ)て行われた、「平河町ミュージックス」主催による沢井一恵コンサート『没絃琴~二十五絃、瑟から一絃琴まで~』について以下にレヴューしたい。なお、彼女はこの「平河町ミュージックス」公演の第一回(2010年5月28日『アジアの絃~5つの類』)で演奏しており、このコンサートについては本ブログでレヴューした(*)。文中「前回ライヴ」とあるのは、このコンサートのことを指すものである。*http://miminowakuhazushi.dtiblog.com/blog-entry-34.html
【アンコールに代えて】
予定された曲目の演奏が終わると、「アンコールに代えて、皆さんに自由に楽器に触れていただこうと思います」と沢井自身によるアナウンスがあり、いったんは片付けられた各種の箏が、また改めて演奏スペースに並べられ始めた。アフター・アワーズとなり、聴衆がみな立ち上がって、あちこちで挨拶が始まる中、幾人かは前に出ておずおずと箏に触れ始める。私も手を伸ばしてみた。あんなに間近で観ていたのに、演奏者の側に回ると楽器は思ったよりはるかに大きかった。絃は太くて固くざらざらとしていて、指でそっと弾いてみても微かに「ぶーん」と唸るだけで碌な音をたてなかった。先ほどまであれほど荒々しく息づき筋肉を躍動させていた獣は硬く表面を閉ざし、まるで硬直した死体のようによそよそしく横たわっていた。ピアノやギターのような近代西洋楽器や多くの民族楽器が触れると思いのほか大きな音で「鳴って」しまい、弾き手を次なる指の運びへと誘うのに対し、少なくとも沢井の弾いていた箏はそうではなかった。
【開演前の空気】
前回のロゴバでのライヴが、空間内の各所にあらかじめ配置した楽器の間を経巡っていくものだったのに対し、今回は道路側のコーナーに演奏スペースが設えられ、すでに演奏台の上に水平に置かれた箏のほかに、幾つもの箏がまわりに立てかけられていた。横たえられたあるいは立てかけられた箏の木目と黄色く浮き上がる絃が、柔らかな暖色系の光に満ちた空間に映え、傍らに吊り下げられたタピストリーの文様と響き合う。演奏スペースを取り囲むように置かれた色とりどりのファブリック系のチェアやソファは、開演前の密やかなざわめきの中で、すでに音を呼吸しているようだ。吹き抜けの天井まで届くガラスの向こうを人が歩き、車が通り過ぎる。聴衆が詰めかけてくると(今日は満席とのこと)、それまで空気を多く含んでいた柔らかいざわめきに社交的な角が立ちはじめ、やがて権威主義的な咳払いを含むようになる。
【2012年11月16日のプログラム】
『没絃琴~二十五絃、瑟から一絃琴まで~』
1) 柴田南雄「枯野凩」(かれのこがらし) 十七絃箏&尺八:善養寺恵介
2) 高橋悠治「残絲曲」 瑟、朗読:高橋悠治
3) ロビン・ウィリアムソン「見知らぬ人の子供時代からの手紙」
4)一絃琴による即興
5) 西村朗「覡」(かむなぎ) 十七絃箏&コントラバス:斎藤徹
【1曲目】
本来ヘヴィな楽器であるはずの十七絃箏の音が驚くほどまろやかに立ち上がり、間合いを計るようにゆっくりと置かれていく。うねうねと揺らぎながら響きが立ち上り、沢井は音が消えていくまでをしっかりと見届ける。スローモーションで倒れていく柱の列。まるで水の中にいるように空間の濃度がとろんと高まっていく。尺八の揺らぎのないまっすぐな音が途中から加わり、その上にそっと浮かべられる。次第に尺八の息が高まり、音の輪郭が硬く張りつめ、墨跡がくっきりと鮮やかに浮かび上がり、これに十七絃箏が硬質なグリッサンドや低絃のアタックで応え、線が交錯し呼吸がかき乱れる。やがて弧を描くように息が整い、また音が柔らかくほぐれ、滲むように中空で溶け合って、互いに響きを吐き尽くし、フィナーレを迎える。
【2曲目】
復元楽器である瑟(しつ)に張られた二十五本の細い絃が爪を付けずに奏され、細く澄んだ糸のままの響きを立ち上らせる。占兆を読み取ろうと盤面に手をかざし、映る指の影を追い、それと戯れる柔らかな手の動き。次第に響きが澄み渡り、少しずつ色が浮かび、川面の細やかなきらめきを映し出すに至る(その様子はどこかドビュッシーを思わせる)。時折、たまたま通りかかったように高橋の声が行き過ぎる。朗読のテクストである李賀の漢詩は、今回のために訳し直され、文語的ないかめしさを抑え、ふと物思いに耽る遠く淡い眼差しを与えられている。すれ違う景色に視線がゆらり揺らめき、絃の音は幹のしなりを思わせる中央のさわりと、枝葉のざわめきにも似たはらはらとした分散を織り成していく。
【3曲目】
ロビン・ウィリアムソンがメンバーだったインクレディブル・ストリング・バンドは、英国トラッドに根差しながら、遠く東洋に憧れ、ユートピア的な越境をいつも夢見ていた。それゆえか、指の腹でつま弾かれる絃の響きは、ハープを慕いつつ、東と西の間の中空で安らぎまどろみ、さらに低音の太々とした鳴りが深い淵を覗き込む。
【4曲目】
今回のライヴのタイトルに掲げられた「没絃琴」とは良寛の漢詩に現れる語であるという。「絃の失われた琴」のイメージが、彼女を「絃をすべて取り払うところまではいかないが、一本だけ残す」演奏へと駆り立てた。それゆえ演奏で用いられたのはピタゴラス的な一弦琴ではなく、小型の箏に張られた十七絃のうち、一本の絃だけに琴柱をかませたもの。前回のライヴで演奏した五絃琴のための「畝火山」を作曲した高橋悠治に、今回も作曲を依頼したが「あなたひとりで遊んでいなさい」と断られたとは沢井の弁。
爪を付けぬ指の腹が絃を叩き、指先が絃をたわめ、引き絞り、振りほどいて、打ち付ける。絃の生々しい震えが解き放たれ、さわり、分割振動、共振/共鳴(琴柱のうなりまで)がいっせいに立ち騒ぎ、絃を押す左手に従って乱高下し、激しく揺らぎ滲み、ミュートされて声を低める。やがて左右の分業は排され、右手/左手が共に絃を煽り、鎮め、操り、操られる。耳に腹に響くリズム以上に、彼女の手触り、指がかりが神がかった律動を伝え、荒い息づかいがそれを後押しする。
黒檀(?)の箸や竹の細いへら、木あるいは紙製の細い筒を取り出し、それらにより時には両手で絃を叩き、擦り、削るようにしごき掻きとる。姿勢はせわしなく移り変わり、息はますます荒く、高々と張られた一本の絃の上で多種多様な衝突と摩擦が調合され、振動は果てしなく散乱し、響きはあてもなく拡散して、手指は時に一絃を離れ、胴に張られた他の絃をまさぐり掻きむしる。だが背景に沈んだそれらの絃は、ひそかなつぶやき/ざわめきを漏らすに過ぎない。挑むべき標的はそこにはない。
一絃の震えは魅惑的な軋みや呻きを立てながら、すぐに輪郭を崩壊させ、できかけたかたちを解体して不定形の海に溺れてしまい、ひとつの声を持つことができないでいる。散乱あるいは切断のヴェクトルがあまりに強すぎるのだろうか。前回ライヴの「畝火山」で聴かれた五絃琴による、数珠を手繰るような規則的繰り返しは、ここでは闇にゆっくりとしみこむ間もなく、沸騰し分解して飛び散ってしまうため役に立たないようだ。
律動を細かに切り刻み、空間を傷だらけにしながら、即興演奏による探求の歩みは止まることがない(ここに遊戯的な「あそび」や「たわむれ」が入り込む余地はない)。残酷さが匂い、口の中に苦い味が広がる。演奏は収斂すべきかたちを自ら思い浮かべることができずに終わりを迎えた。果敢な挑戦に拍手を送りながらも「この挑戦にはまだ先がある」と感じたのは私だけではないだろう(おそらくは彼女自身も)。
【5曲目】
本来、十七絃箏と打楽器のデュオで演じられるべきこの曲は、CD『The Sawai Kazue 』と同様、コントラバスの斎藤徹を招いて演奏された。演奏前に沢井はその理由を「これはどう見たって韓国朝鮮のリズム。ならばそのリズムが誰よりも身体に入っている人と演奏するのがいい」と説明した。
最初、斎藤はコントラバスを床に横たえ、左手で弦に触れ「さわり」をつくりだしながら右手の音具で弦を叩き、あるいは両手に一本ずつ持った弓で弦を同時に弾いて、荒々しく刻まれたリズムの切り立った錯綜を取り出す。衝突交錯する打撃、ぐらぐらと沸騰し噴出する叫び、輻輳し互いに強めあう倍音、不均衡や混濁をこそ力にする強度、そして躍動し野を駆け巡るリズム。
同じく横たえられた十七絃箏の上を、爪を履いた沢井の指先が眼の眩む速度で走り抜ける。空間を切り裂くほど鮮やかに音が解き放たれ、匂い立つ響きで弦が霞む。
斎藤が立ち上がり、プリペアドされたコントラバスに音具をあてがい、渾身の力で弾き立てる。ぶんぶんと弦がうなり、空気が震え、空間が沸き立って、血がたぎり、身体が汗をほとばしらせる。リズムは揺らぎぶれながらも、いやそうであればこそ、でこぼこの草原を駆け巡り、一気呵成に急崖を下る荒馬の鞍の軌道にきりきりと焦点を合わせる。人馬一体の境地(ここでは沢井と十七絃箏だけでなく、斎藤の大きな身体やコントラバスもまた、渾然一体ひとつに溶け合っている)。弾む呼吸は足元に広がる原野の起伏をたちどころに明らかにする。
「いま弾いた音はすべて譜面に書いてある通りです」と、演奏後、沢井が手元の譜面を掲げて告げた。演奏の自由闊達さと先立つ一絃琴による即興に似た火照った手触りからすれば、その「宣言」はほとんど意外なほどだったが、おそらくそれはあり得べき聴衆の誤解を解くためというより、曲の可能性を十二分に引き出し得たとの自負の為せる業だったろう。そこでは演奏の収斂していく先として、曲の「本質」が厳しく見極められていた。それは必ずしも「書かれた譜面」そのものを意味しない。むしろそこに立ち上がり得る音楽世界に対するヴィジョン、可能性の核心と言うべきものだ。曲を一見して「韓国朝鮮のリズム」と、しかも文献的な知識としてではなく、金石出(キム・ソクチュル)たちが演奏していた巫楽のあの身を切り血の出るような生々しいリズム(以前、彼女は斎藤らと共に韓国に渡り、祭儀を繰り広げながら村々を回る金石出たちに同行したことがある)と直感洞察し得た時点で、もうすでに勝負はあったのかもしれない。こうした音に触発されてやまないことこそ、まさに彼女のシャーマン的資質の豊かさを明らかにしていると言えるだろう。
【4曲目(補足)】
逆に言えば、そんな彼女のシャーマニスティックな幻視力をもってしても、一絃琴による即興演奏において、その収斂すべき先を見定めることはできなかった。板に一本の金属弦(というよりはただの針金)を張った一弦ハープ(?)を掻き鳴らしながら歌うブルースマンを知っている。声の発露のきっかけとして用いるのならば、あるいはそれでも充分なのかもしれない。先ほど触れた前回ライヴにおける「畝火山」で手繰られる五絃琴のつましい響きに伴われ、唇の端から流れ出す「呪」の連綿たる響きを思い出す。
息の通わぬ箏に熱い息を吹き込み、冷ややかに屹立する絃から「声」を引き出すことの難しさについて様々に思いを巡らさずにはおけない。


沢井一恵の次なるライヴは箏のデュオ。
下のリンクでちらしの拡大版を見ることができます。