ムタツミンダにかかる月 - 『ECM Selected Signs III - VIII』を超えて The Moon over Mutatsminda - Beyond "ECM Selected Signs III - VIII"
2013-07-03 Wed
多田雅範がまたやってくれた。Jazz Tokyo最新号の巻頭に掲載されたCD6枚組ボックスセット『ECM Selected Signs III - VIII』のディスク・レヴューで、作品の紹介に飽き足らず、自らECMの膨大な音源を脳内で超高速スキャンし、何とも趣向を凝らしたアンソロジーを編み上げて、来日間近なECMの総帥マンフレート・アイヒャーに叩き付けるという輝かしい暴挙を。選曲にはすべてyoutubeへのリンクが張られており、彼が自ら選び抜いた候補曲をひとつひとつウェブ検索し、音源がアップされていなければ、また次の候補曲の音源を探し求めるという気の遠くなるような作業を、その溢れるばかりの情熱(それは深い愛情であるとともに、きっと煮えくり返る憎悪でもあるのだろう。いずれにしろ彼のECMに対する「業」の深さを思い知らされる)を持って成し遂げたことがわかる。
まずは実際にリストを眺め、音源を耳にしていただきたい。
http://www.jazztokyo.com/five/five1001.html
ここにはリストだけを転記しておく。音源はやはり彼のディスク・レヴューを読みながら聴いてもらいたいから。
Alfred Harth: Transformate, Transcend Tones & Images
Paul Giger "Bombay II" foto de Fernando Figueroa Sánchez y Clara Ivanna Figueroa
Ketil Bjornstad The Sea Part II
Ulrich P. Lask - Unknown Realms (Shirli Sees)
Keith Jarrett Staircase Part 3
Hajo Weber & Ulrich Ingenbold - Karussell
Miroslav Vitous Group When Face Gets Pale
Egberto Gismonti Group - 7 Anéis
AMM III - Radio Activity
Ralph Towner - Oceanus
Jansug Kakhidze The Moon over Mtatsminda
*Themes from an Exhibition: ECM's Selected Signs Box
ECMを聴き込んだ方なら、このリストがECMのパブリック・イメージに沿った凡庸なものではないばかりか、時代を画した数々の革命を刻んだ記念碑でも、あるいは個人的な嗜好や思い出を収納したタイム・カプセルでもないことに気づくだろう。リンク先の音源を順に聴いていけば、先に述べた彼の「業」の深さが身にしみてよくわかるはずだ。
Maggie Nicolsの乾いた粘膜が震えこすれて血が滲み痛々しく傷ついていくヴォーカリゼーションは、Meredith Monkたちの引き締まった声の身体によるモダンな舞踏や、北欧トラッドの歌姫たちによる凍てつく冬の朝のようにぴんと張り詰め澄み切った朗唱とは、明らかに別世界に生息している。多田はいきなり冒頭から、決して再発されず封印されたままのAlfred Harthによる呪われた名盤を取り出してくる。Maggieは4曲目のLask盤でも前面に押し立てられ、曲のブレヒト/アイスラー的な硬質さを、さらにクリスタル・ガラスを水晶の角で引っ掻くような強度へと高めている。
Paul Gigerによるヴァイオリンの繰り返しもまた、ここでは乳白色のまどろみをまとうことなく、弦の痛々しい軋みが空間を傷つけ切り裂くに任されている。
Ketil Bjornstad『The Sea』では、出航に際して旅の行方を厳かに託宣するような「Part 1」ではなく、ゆるやかなうねりに身を任せつつ果てしなく高揚していく「Part 2」が選ばれていることに注目したい。前者のyoutube音源のURLを参考に掲載しておく。
http://www.youtube.com/watch?v=ile35s101NM
Egberto Gismontiはやはり隠れた名盤『Infancia』から。「Part 2」の高揚を反映しながら、北の海の重くたれ込めた空とは真逆の突き抜けた青さが、何とも言えない幸福さとして心地よく舌の上で弾ける。
Japoからのリリースということもあって、ECMからの選曲でAMMの名前が挙がることは99%以上の確率であり得ないと言ってよい。にもかかわらず、ここではシンバルの弓弾きが醸し出す倍音の傷跡にギターのエレクトロニックな持続が浸透し、不明瞭な混信をはらんだラジオ放送がそこに投影されるという鋭利なまでに混濁した音響が、涼しい顔で並べられている。
Ralph Towner「Oceanus」の開く底の見えない深淵は、彼方への通路である黒々とした深海海流を思わせる。この流れへと引き込まれどこまでも果てしなく運ばれていく者は、ぽっかりと暗く口を開けた死のクレパスを覗き込まないわけにはいかない。そうした非日常的な不吉さから、ゆるやかに時が流れ、大地は揺らぐことなく、陽が沈み、月が昇るおだやかな日常性へと、聴き手を送り届け、たどる家路を見守ってくれるのが、本来は指揮者であるJansug Kakhidzeの弱々しい、だが生のよろこびにあふれた声と、それを照らし出す聖なる山ムタツミンダにかかる月にほかならない。ECMに魅せられた耳の「業」の深さを知る多田ならではの日常回帰のための儀式手順である。