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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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ケニー・ウィーラー安らかに眠れ、喜び溢れる騒々しさとともに  Kenny Wheeler RIP, with Joyful Noise
 FacebookでKenny Wheelerの死去を知った。追悼の書き込みで掲げられているNorma Winstoneとの共演作品(*0)を聴きながら、彼の名前を身近に感じつつも、実際にはほとんど聴いていなかったことに改めて気づかされ、思わず愕然とする。
*0 https://www.youtube.com/watch?v=a30DykabjQg
 代表作として挙げられるECMの諸作品、例えば『Gnu High』も『Music for Large and Small Ensemble』も手元にない。『Song for Someone』(1973)はずっと探していて、psi recordsからCD化された際にようやく手に入れたのだが、ビッグバンドによるそのサウンドは、初期Incusのラインナップにおよそふさわしくなく、びっくりした。と同時にトランペットのアンサンブルが高く突き抜けて、雲が晴れ空が高さを増していよいよ澄み渡っていく見通しのよい「都会的ジャズ・サウンド」に、いささかアレルギーがあることを知ることにもなった。また彼はGlove Unity Orchestraにも参加していて(初作と言うべきAlexander von Schlippenbach『Glove Unity』には不参加)、好きな『Jahrmarkt/Local Fair』や『Compositions』にも入っているのだが、どうも印象が明確な像を結ばない。


 彼はカナダ生まれだが、音楽活動は渡英後に花開いたと言ってよい。英国ジャズはフリー系に偏るとは言いながら結構聴いてきたから、「ファースト・コール」ミュージシャンであるWheelerの演奏を何度も耳にしているはずなのになぜだろう。そう思ってレコード棚を漁ってみると、愛聴盤でトランペット・セクションを務めているのが、たとえばHarry Beckettであり、Henry Lowtherであることがわかる。Keith Tippett周辺では、これにさらにMarc Charigが加わる。たとえばNeil Ardley『A Symphony of Amaranths』(1971)ではまさに先の二人+αであり、甲高く舞い上がるトランペットの響きを柔らかな弦アンサンブルが押しとどめ、ハープやヴィブラフォンのきらめきへと譲り渡す。Incus初期の名盤であり、Barry Guy主導の大編成によるThe London Jazz Composers Orchestra『Ode』では、Harry Beckett, Marc CharigにDave Holdsworthが加わる。The Blue Notes, Chris McGregor's Brotherhood of Breath, Keith Tippett's Ark等も、先に挙げた名前にMongezi Fezaを加えれば、ほぼカヴァーできる。Mike Westbrookの初期作品はDave Holdsworthが中心で、より大編成の『Marching Song』や『Mtropolis』にはWheelerの名前が見えるのだが、これはまさにWestbrookによるサウンド・ペインティングのマチエールとして、耳をつんざく、あるいは冷え冷えと明けていくソノリティの一部をかたちづくる‥という印象にとどまる。


 オーケストラ/ビッグバンドは先に述べたように苦手意識があるからさて措くとしても、WheelerとWinstoneのように、トランペットとヴォイスの絡みについてはどうだろうか。真っ先に思い浮かぶのは、Robert Wyatt『Rock Bottom』に収められた「Little Red Riding Hood Hit the Road」(*1)におけるMongezi Fezaのトランペットの、外で遊ぶ子どもたちの歓声が乱反射したような瑞々しさと壊れやすさであり、続いてはJulie Tippetts『Sunset Glow』の表題曲(*2)や「Mind of a Child」(*3)等における、Marc Charigの垂れ込めた曇り空をゆっくりとかき混ぜていくような動きだろうか。いずれも突き抜けず、澄み渡らず、声が脱ぎ捨てられずにいる身体の重さを置き去りにして幾何学世界の抽象性へと飛翔してしまうことがない、「煮え切らない優しさ」が私には好ましい。それはJim O'Rourkeがこよなく愛するMark Hollisの伝説的なソロ・アルバムの2曲目『Watershed』(*4)において、闇に沁み込むように消え入る声に置き去りにされ、周囲のざわめきに肌を総毛立たせ震えている身体を、暖かく包み込み抱きとめるHenry Lowtherの落ち着いた息の流れ(おぼろに崩れ気配と化して、痕跡すら残さずに霧散霧消してしまう木管群と比べてみること)にも通じているように感じられる。

*1 https://www.youtube.com/watch?v=a2TUb51oukc
*2 https://www.youtube.com/watch?v=i9752fyJBxU&list=PLE5117B2F6A580913&index=2
*3 https://www.youtube.com/watch?v=i9viNcsvNR4&index=3&list=PLE5117B2F6A580913
*4 https://www.youtube.com/watch?v=Uw0rzonn8qA

 結局のところ、私の最も聴き親しんだWheelerとは、Spontaneous Music Ensemble『Karyobin』で繰り広げられるグループ・インプロヴィゼーション(*5)において、John Stevensがシンバルとスネアがばらばらな物音として散乱させ、Dave Hollandのベースが遠くを通り過ぎる中、身体の重さや息の温もりを全く感じさせない抽象的なフレーズの断片を、Evan Parkerと共にちぎれ雲の如くに浮遊飛翔させる彼なのだろうか。Wheelerのどこまでも端正で乱れることのない息遣いと瞬間的な流動化能力は、マイルス五重奏団の響きだけを取り出して極限まで抽象化し、さらに滅菌処理まで施したようなスーパー・クールな幾何学的構築に大きく貢献している。もちろん、エレクトリックな変形能力を駆使して、不定形な音色の斑紋をそこかしこに浮かべることにより、抽象的な断片を自在に結びつけあるいは切り離すDerek Baileyのメディウムとしての働きを無視する訳にはいかないが。

*5 https://www.youtube.com/watch?v=DMqq5YTC1Uk

 ‥とここまで書いてきて、ふとLuis Moholo Octet『Spirits Rejoice !』のことを思い出す。果たしてWheelerはそこにいた。とりわけ亡きMongezi Fezaの作曲作品「You ain't gonna know me 'cos you think you know me」(*6) のFezaの思い出へと捧げられた演奏で、アフリカ的なバネの効いたリズムに乗り、Nick EvansとRadu Malfattiという何とも豪華なブラス・セクション共に吹き鳴らす彼には、まるでFezaの魂が憑依したかのようにあからさまなまでに喜びと哀しみに満ちており、いつもと異なる想いが感じられるように思う。繰り返し繰り返し螺旋を巡りながら次第に高揚していくアンサンブルは、様々な感情を内包したまま、一切を捨象することなく混濁したままに昇り詰めていく。最後の繰り返しの後、感極まって吹き鳴らされる口笛にも似たハイ・ノートに、彼のまた別の一面を見る思いがする。

*6 https://www.youtube.com/watch?v=CJlP7nX_qtY

 晩年にはRoyal Academy of Music(RAM)にも関わっていたようだから、さぞストレスも多かったのだろう。ちなみにRAMで今年4月まで開催されていたKenny Wheeler展のタイトルは『Master of Melancholy Chaos』だという。あんまりではないかと思いつつ、Caroline Forbesの撮影したポートレイトを眺めると、なるほどデューラーの版画に出てくる土星生まれの胆汁質のような顔をしている。しかし、だからこそ、浮き世のしがらみから解き放たれたいま、こうした喜悦に満ちた音を吹き鳴らしてほしいと、そう願わずにはいられない。この願いをもって、彼への追悼の意に代えることとしたい。Kenneth Vincent John Wheeler(14 Jan.1930 - 18 Sep.2014)安らかに眠れ、喜びあふれる騒々しさとともに。
Kenny肖像


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音楽情報 | 22:58:38 | トラックバック(0) | コメント(0)
「公園喫茶」を知っていますか  Do You Know "Park Cafe" ?
 「公園喫茶」という音楽サイト(※)をご存知だろうか。このブログの左側に掲げたリンク蘭にも掲載しているので、ぜひ訪れてみてほしい。そのリンク表示でも「公園喫茶(pastel records)」と表記しているように、pastel records店主の寺田兼之が始めた音楽紹介ページなのだが、彼自身は「公園喫茶」を始めたいきさつを次のように説明している。
※http://www.pastelrecords.com/koencafe/

はじめまして、
この「公園喫茶」WEBを運営している、寺田と申します。
2013年まで、pastel recordsというCD/レコードショップを運営しておりました。
現在は、販売活動をひとまずお休みして、この「公園喫茶」を中心に、自分自身の気になる「音楽」、「人」、「もの」、「こと」を、気ままに発信したいと思ってます。
ここで取り上げることにつきましては、私自身の価値観が基準となっています。
それは、pastel recordsと同じ価値観でもある、美しく、個性的で、心がこもっていて、気取っていない、日々の生活の中でも、やわらかな刺激を与えてくれる心地よい音楽を紹介する…というのがベースとなっています。基本、音楽が中心となっていきますが、音楽のみに特化したいとも思っておりません。
レコードショップを運営していていつも違和感を感じていたことは、
音楽というのは、なんて中途半端な立ち位置になったんだろう?ということです。
あくまで自分の思っていることなんで、反論は遠慮してほしいのですが、
なんだか境界線がやたら多いのです。
もっといろんな人に自分の知っている音楽や周りの人を知ってほしい。
損得勘定なく紹介するには、pastel recordsでは商売過ぎる。
まず買ってもらうことよりも、知ってもらうことが先じゃないかな…と。
身内ノリも入ってくるかもしれませんが、きっと皆さんが知らなくても、ちょっと興味をもってやろうじゃない、と思っていただけるような紹介を心掛けてまいります。

 穏やかな口調、柔らかな声音からの、「商売抜きで、自分の気に入ったものしか取り扱わないぞ」という彼の強い決意が聞こえてくる。いや「○○ないぞ」といった頑な否定形の言明は彼にはおよそふさわしくない。正しくは「自分が気に入ったものは、何が何でも採りあげるぞ」だ。
 実際、彼は単にネット上のリリース情報を転載したり、プレス・シートを丸写ししたり、Facebookで「いいね」がたくさん付いたコメントを引用したりすることはない。ブログにありがちな個人的な感想/印象の書きなぐりもしない。そうしたやっつけ仕事の代わりに、彼は注意深く音に耳を傾け、歌詞を読み込み、様々な想いや考えを巡らして、的確なレヴューをしたためたり、あるいは労を惜しまずミュージシャンにアクセスし、よく練られたインタヴューを試みる。
 インタヴューと言っても、よく音楽雑誌に載っている、新作の意図とツアー予定を尋ねて終わりみたいな、TVドラマの番宣みたいなものではない。彼のインタヴューは常に音楽への驚きと畏れと愛情に満ちている。そしてアーティストへの暖かい理解にも。だから問いを投げかけられたアーティストたちは、決まって実に楽しそうに、また興味深そうに答えている。聴き手の視線が外側からとらえた像が投げかけられることにより、また思考の新たな扉が開かれるのだろう。そこでアーティストたちは「自らが創造主であり、自分たちだけが正解を知っている」わけではないことに、自然と気づかされている。自らの作品/演奏が投げかけた波紋が、また戻ってきて、自身の身体を柔らかく揺り動かすことを楽しんでいる。それは寺田の問いかけが、作品への深い理解と愛情に支えられ、しかも正解主義や権威主義に縛られることなく軽やかに想像の翼をはためかせているからだ。

 たとえば現在のところ最新記事であるFederico Durandへのインタヴューでは、彼の幼時からの音楽体験の記憶を引き出して、現在の彼が演奏制作している音楽が、そこから香るように柔らかくたちのぼってくる印象を与える。こうしたやりとりを可能とした理由のひとつは、寺田の「あなたの最初のフェイバリットな音楽体験は何でしたか?」という質問の仕方にあるだろう。受けてきた音楽教育の履歴とか、活動経歴ではなく、影響を受けたミュージシャンや音楽遍歴でもなく、あるいは「音楽との初めての出会い」といった抽象的な訊き方でもなく。経歴やルーツ、あるいは始まりを尋ねることはひとを身構えさせる。それゆえひとはこれに決まりきった紋切り型か、さもなくば伝説化によって答える。「フェイバリットな体験」の問いかけがひとを武装解除し、想起の流れにゆったりと身を浸し、楽しかった「あの日・あの頃」の思い出に向けて、ゆるやかに遡ることを可能にする。
 さらに固有名詞の注(具体的にはミュージシャンの紹介)を文章で付すだけでなく、参考となる音源を探してリンクを張ってくれているのもありがたい。実に誠実でていねいな編集だ。
 もうひとつ付け加えれば、Durandの友人であるTomoyoshi Dateから聞いたとして、Durandのフェイバリット・ミュージシャンだというPopol Vuhのことを訊いてくれているのも個人的にはうれしい。DurandとPopol Vuhの両方を知っている人がどのくらいいるかわからないけれど、確かに『In Den Garten Pharaos』とか近いかもね‥と思うとそうではなくて、Werner Herzog監督作品のサウンドトラックが好きだというのだ。例として挙げられているのが『Herz Aus Glas』だからわからなくはないけれど、Herzogの熱に浮かされたような幻惑的なアクの強い映像を間に挿むと、Durandのゆったりと牧歌的でそよ風に揺れるようなサウンドの手触りとはなかなか結びつかない。

 一方、鳥取ボルゾイ・レコードにも平置きされていた『かけがえのない』を題材とした西森千明へのインタヴューで寺田は、「『かけがえのない』での西森さんの歌唱とピアノには、懐かしさと同時に、音楽の持つ優しさ、喜びが、聴く者の気持ちを前に向かせてくれる。懐かしさというものは、小さい頃から青年期の感受性を通して染み込んだ風景、そして自分自身を取り巻く環境の変化の中で過ぎ去った年月は二度と戻らないという諦念みたいなものが底辺に流れているような気がするのですが、『かけがえのない』はそんな在りし日を偲ぶようなノスタルジーな作品でもない。なぜなら、この作品には、希望を抱き、勇気を持って前へと進んだ、その先の風景が描かれているから。」という強い感慨を胸に抱いて、「“青葉”という明治時代の文部省唱歌を取り上げてらっしゃって、西森さんのうたう、曲の魅力に、無限定な永遠を心で見た気がします。この曲は『かけがえのない』を生み出すきっかけとなっているでしょうか?」といきなり核心に踏み込み、彼女から「はい。とても大事な歌です。」との答を引き出している。これも決して問いつめるわけではないのに作品の本質にひたひたと迫り、音の姿かたち、佇まいを自然と浮かび上がらせる素晴らしいインタヴューだ。

 もうひとつ、Aspidistraflyのインタヴューに触れておきたい。実はこのインタヴューは「公園喫茶」がかげもかたちもなかった2011年の冬に行われ、以前にpastel recordsのページに掲載されている。最近になってAspidistraflyの作品が再発されたことに合わせて、「公園喫茶」に改めて再録されたものなのだが、読んでみれば、「公園喫茶」の他の記事と何の違和感もなく読めることに気づくだろう(ここでも参考音源あるいは映像へのリンクがうれしい。特に冒頭で掲げられている古い映画のサウンドトラックへの参照はありがたい)。逆に言えば寺田は、「公園喫茶」の視点をpastel records当時から変わることなく持ち続けていることになる。
公園喫茶2_convert_20140928164241


 先の引用で述べられていたように、pastel recordsは2013年末に「閉店」の憂き目を見た。寺田はそこで音楽に関わることを止めてしまうかもしれなかった。そのことを知った時は大層ショックを受け、ブログに次のように書いた。2013年10月末のことだ。

 たびたびお世話になっていた奈良の通販CDショップpastel records(*)から、年内に閉店とのお知らせが届いた。これまで導いてくれた貴重な耳の道しるべが、またひとつなくなってしまうことになった。
*http://www.pastelrecords.com
 以前にpastel records紹介の記事(※)を書いたことがあるが、ただただ新譜を大量に仕入れて‥でもなく、「売り」のジャンルに照準を絞り込むのでもなく、ポップ・ミュージックの大海原に漕ぎ出して、その卓越した耳の力を頼りに、新譜・旧譜問わずこれはという獲物を採ってきてくれる点で、何よりも「聴き手」の存在を感じさせるお店だった。
 一応、取り扱いジャンルはエレクトロニカ、フォーク、ネオ・クラシカルあたりが中心ということになっていて、店名とあわせてほんわりと耳に優しく暖かな、それこそ「パステル」調のイメージが思い浮かぶが、決してそれだけにとどまらず、さらに広い範囲を深くまで見通していた。それは私が当店を通じて知ったアーティストの名前を挙げていけば明らかだろう。中には他所では名前を見かけなかったものもある。Richard Skelton / A Broken Consort, Tomoko Sauvage, Annelies Monsere, Federico Durand, Aspidistrafly, Julianna Barwick, Kath Bloom & Loren Conners, Mark Fly(活動再開後の), Squares on Both Sides, Movietone, Balmorhea, Efterklang, Masayoshi Fujita / El Fog, Talons', Tia Blake, Susanna, Lisa O Piu, Cuushe, Satomimagae ....すぐには思い出せないだけで、まだまだたくさんあるだろう。
※http://miminowakuhazushi.dtiblog.com/blog-entry-13.html
 http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-12.html
 すべての作品に試聴ファイルが設けられており、実際に聴いて選ぶことができるのも大きかったが、各作品に丁寧に付されたコメントが素晴らしく的確で、pastel recordsを支える確かな耳の存在が感じられた。音楽誌に掲載されるディスク・レヴューが加速度的に「リリース情報として公開されるプレス・シートの丸写し」となっていくのに対し、pastel recordsのこうした揺るぎない姿勢は、単にショップとしての「誠実さ」の範囲を超えて、聴き手としての誇りをたたえていた。「自分が聴きたいと思う作品を提供する」とはよく言われることだが、それを実際に貫くのは極めて難しい。
 大型店舗と異なり、仕入れられる作品数も限られていただろうに、Loren Mazzacane Conners(実は彼の作品を探していて、ここにたどり着いたのだった)やMorton Feldmanを並べていたことも評価したい。それは単に「マニアックな品揃え」を目指したものではない。店主である寺田は「サイケデリック」とか「インプロヴィゼーション」とか「現代音楽」とか、ポップ・ミュージックの聴き手にとっていかにも敷居が高そうなジャンルの壁を超えて、pastel recordsが店頭に並べるエレクトロニカやフォーク作品(先に掲げたリストを参照)と共通する、密やかな「ざわめき」や「さざめき」、あるいはふうわりと漂い香るようにたちこめる希薄さをそこに聴き取っていたのではないか。聴いてみなければわからない、響きの手触りの類似性を手がかりとした横断的な道筋。(後略)

 その時、最後に記した「少し休養したら、また好きな音楽、おすすめの音楽について、ぜひ語ってください。待ってます。」との願い/祈りが天に通じたのか(笑)、彼は翌2014年2月から、前述の「公園喫茶」を開設してくれた。そこには先に掲げたような彼の強い決意が刻まれており、その後、今に至るまで順調な活動が続いていることを喜びたい。むしろ「2014年2月開設」と確認して、「えー、今年に入ってからだっけ」と改めて驚かされた次第。何だかずーっと前からあるような気がするのだ。
公園喫茶1_convert_20140928164212


 それにしても「公園喫茶」とはよくも名付けたりと思う。月光茶房店主原田正夫によれば、「カフェ」が外に開いているのに対し、「喫茶店」は内に閉じている。外界といったん遮断することにより、閉じた親密な空間をつくりだし、それが居心地の良さや自由な夢想を生み出す。対して公園とはまさに開かれた、誰でもがそこを訪れ得る、言わば往来の空間であり、鳥の声や樹々のざわめき、水音、あるいは子どもの遊ぶ声に洗われる場所である。と同時に大通りや商店街とは異なって、都市の中にありながら喧噪を離れた緑深き憩いの場でもある。すなわち、「公園」と「喫茶」は居心地の良い憩いの場であることを共通項としながら、「外に開かれてあること」と「内に閉じること」を架橋している。このバランス感覚こそが寺田の真骨頂なのだ。耳を貪欲に外に向けて開きながら、情報の洪水に押し流されてしまうことなく、聴くことを深く自らの内面に問う力強さを持っている。聴き手としての確かなコアが感じられるのだ。そうした聴き手は「音楽評論家」と呼ばれる人たちにも実は少ないように思う。
 旧pastel recordsを引き継いだヴィジュアルの素晴らしさも、「公園喫茶」の特質である。それは単に趣味の良さというだけでなく、「音楽は耳だけで聴くものではない」という寺田の信念に基づいているように思われる。それは常に五感と戯れるものであり、たとえば視覚は音の相同物を求めてさまよい、イメージをあれこれ探し求めてやまない。旧pastel recordsの頃からヴィジュアルに気を配り、ジャケット写真とアーティスト写真(ギョーカイ用語で言うところの「ジャケ写」と「アー写」)で事足れりとしない姿勢は一貫している。ちなみに今回の掲載写真は、すべて「公園喫茶」のページから転載させていただいた。

 音楽に、あるいは批評に、興味関心があるならば、ぜひ一度、「公園喫茶」を訪れてみてほしい。軽やかな鋭敏さと肚の座った揺るぎなさを兼ね備えた確かな耳の持ち主が、商売っ気抜きでいいものを教えてくれるまたとない場。たとえ関心のあるジャンルが違っても、きっと得るところがあるはずだ。それは保証する。
公園喫茶3_convert_20140928164306


批評/レヴューについて | 16:48:42 | トラックバック(0) | コメント(0)
『トリベル』の謎  A Riddle of "Torivel"
 オーディオが修理中でディスク・レヴューがままならないため、急遽、埋め草記事として先日の鳥取行きの話を。

 今回、鳥取を訪れてみようと思い立ったきっかけは、『トリベル』という不思議な名前の小冊子だった。「鳥取民工芸トラベルブック」と副題されており、鳥取県の作成したれっきとした観光用ガイドなのだが、単なる名所案内ではなく、「手仕事」にフォーカスした視点、その結果選ばれた題材、写真やキャプションの質の高さに惹きつけられた。たとえば鳥取民藝美術館を紹介する写真。展示された個々の事物ではなく、それらが集積された空間に眼差しを向けており、外からの光や階段による空間の交錯、家具のひっそりとした佇まい等の響き合いをしっかりととらえている。対して岩井温泉の老舗旅館は、時の止まったような古びた木造建築を、次第に明るくなっていく移行の時間の中に置いて、幻想的な魅力を引き出している。他にもフツーの観光案内には載っていない魅力的な場所が幾つも紹介されていた。次のURLでPDF版を見られるのでぜひ。
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 初日は早起きして羽田に向かい、飛行機で鳥取空港へ。バスで市内に向かい、さらに別のバスに乗り換えて倉吉へ。掘り割りの水の流れに沿って並ぶ土蔵の白壁、重たさと軽みが混じり合う石州瓦の赤み、黒い焼き杉の肌は木目など見えないほど焼き込まれてケロイド状になっていた。それにしても小さく清らかな流れがあって、そこに居並ぶ家屋の前に小懸かりの橋があって‥‥という眺めはいいなあ。京都の上賀茂神社の並びみたい。あちらの方が緑が多くて涼しげではあるけど。土蔵の中は高さを活かして吹き抜けで2階にしていたりする。
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 昼食は『トリベル』に掲載されていた「コーヒーと音楽とインドカレーの店」夜長茶廊に開店を待ちわびて入る。写真はチキン・カレーとバター・チキンのセット。両者の風味の違いまで計算して丁寧につくられていて良かったですね。サイドで注文したラッサムとサモサもなかなか。コーヒーは香りはいいけど、エチオピア、マンデリンともややすっきりし過ぎの感。音楽は2枚目にかかった(LPを片面ずつプレイ)ドロシー・アシュビーが印象的でした。
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 続いては三朝(みささ)温泉へ。本日投宿する「依山楼岩崎」に荷物を置いて付近を散策。三朝川に架かる橋が美しい。中程に木の枡を並べた足湯が設けられている橋があり、足を浸す。湯口に近い枡はかなり熱い。じんじんと響く足を我慢しながら顔を上げると、眼前には山の緑が広がる。名物だと言うカジカガエルの声はもう聴こえないけれど、近くは湧き出す湯の響き、川の流れ、川を渡る風に揺すられる樹々の葉擦れ、柔らかな街の喧噪が渾然一体、心臓の鼓動と混じり合う。輪郭が溶けて柔らかくなり、外界との隔てが薄らいでいく感じ。身体に沁み込んでくる山の緑に、以前にブログでレヴューした韓国映画『母なる証明』で、母が廃品回収業者の家へと向かうシーンの、辛うじて見分けられる程度のちっぽけな母の姿と視界一杯に広がる山の緑を思い出していた。
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 ひなびた温泉街の小路へ。造り酒屋(※)に「古酒」とあるので不思議に思っていると、豊かな顎髭をたくわえた店主が説明してくれた。蒸留酒ではなく、清酒(吟醸酒)を温度管理して熟成させるのだという。2010年の世界品評会で金賞を受賞し、その後、外務省から声がかかって晩餐会で供されているという1996年に仕込んだ「白狼」を試飲させてくれる(超下戸なので遠慮したのだが、まあ小さじ1杯程度なので‥)。淡い琥珀色。フルーティさはなく、味も香りも速い。いったん通り過ぎた後でずーんと響いてくる中に木の実やスパイスの香りが聴き取れる‥‥ような気がする。日本酒とはとても思えない。ドライ・シェリーが近いだろうか。音で言うと中高域よりももっと高い帯域がどこまでも豊かに伸びている感じ。気さくで話し好きの店主によれば、白狼は三朝の古い伝説に出てくるのだという。
※http://www.fujii-sake.co.jp

 小路をさらに進むとかつての共同浴場の後が足湯になっている。足を浸してみるとこちらはぬるくて柔らかい。さらに先に「株湯」という元湯があるというので行ってみる。そこは飲泉できるようになっているのだが、大きなポリタンクに湯を汲みに遠くから車で来る人もいるという。旅館に戻って湯に入るととろりとしていて、肌が滑らかになる感じ。源泉が底から湧出していて、時折、ぽこりと気泡が昇ってくる。ここでも飲泉ができるので飲んでみると塩味が比較的強く、金気と石膏ぽさが少し。匂いはなく、刺激は少ない。

 翌日は鳥取市に戻り鳥取砂丘へ。まあ砂丘は以前に一度行ったことがあるのでよいとして、妻が行きたいという「鳥取砂丘 砂の美術館」へ。「札幌雪まつりが砂になったようなもんでしょ」といささか馬鹿にしていたのだが、実際に見てみるとなかなか圧倒的。招聘アーティストたちによる競作で、与えられたテーマに沿ったコンポジションをレリーフにまとめている。雪まつりが実在の建物等の単に三次元の写しであるのに対し、構成が入る分、こちらには物語とパースペクティヴがあり、各要素の配置がもたらす調和と緊張がある。今回のテーマはロシアということで、まあ、おなじみのテーマが並んではいるのだが、ロシア民話、建国神話、宗教的エピソード、ロシアン・アヴァンギャルド、旧ソ連による宇宙開発が一同に展示される企画展なんて、たぶん世界のどこにもないのでは。ましてやウクライナ情勢に関心が集まる微妙な時期にあって。このあっけらかんさは買い。それとなぜか大阪スナック系母娘のガラガラ声二人組が多い。砂丘とヤンキーの親和性? 謎‥‥。
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http://www.sand-museum.jp

 早めに投宿する岩井温泉「岩井屋」へ。バスを降りてまず町並みの美しさにびっくり。暗くなってしまう前に周囲を探索する。古い家屋の木の使い方が繊細で美しい。昔作られたガラス独特の歪んだ透明さもまた魅力的。たまたま見つけた廃校になった小学校は、明治時代の木造建築だという。ここもそばを川が通り、掘り割りに水が流れる。掘り割りが先でぐっと弧を描いて、曲がった水面が見える景色って、どうしてこうも魅力的なのだろう。それにしても静かで音がほとんどしない。ただしんしんと暗くなっていく。
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 温泉の湯はさらりとしていて、三朝の複雑さはない。やはり飲泉できるので飲んでみると三朝より塩味がうすい代わりに不思議な旨味がある。二つに分けて構成された12箇所の湯が楽しめた依山楼岩崎の凝った趣向よりも、湯船の底から静かに湯が湧き出したちのぼる静謐さがありがたい。じっくりと堪能。

 翌日、最終日は浦富海岸で遊覧船に乗り(小型船なので島の岩肌に触れられそうなほど近づける)、またまた鳥取市へ。まずは冒頭で触れた鳥取民藝美術館へ。焼き物系はやはり益子で活動した濱田庄司の流れを感じないわけにはいかない。素朴な色合いや柄に対するモダニスティックな抽象化の作用。だが、ここが面白いのは、そうした「作用」を焼き物だけでなく、家具や布製品、和紙をはじめ生活用品全般に押し広げていることであり、さらにそれらが「過去の記録」として保存陳列されているだけでなく、隣接する「鳥取たくみ工芸店」で販売されていることだ。民衆生活の再発見に基づいた、モダン・デザインによる生活改善運動としての姿がよくわかる。それが「伝統」を貧血化するような純粋化の運動でないことも注目しておきたい。美術館のこじんまりとした入口のすぐ脇にある地蔵堂は八角形の天井にステンドグラスというよりは、ル・コルビュジエによるロンシャン教会を連想させるような色ガラスによる光の導入が施されていた。
 昼食はこれまた隣接する「たくみ割烹店」で。牛味噌煮込みカレーとハヤシライス。脂が強くなく、まったりとしていて、よく考えられ練られた味。食後のコーヒー(ブラジル系のまったり風味)とねっとりと粘度の高いヨーグルトもおいしい。
 その後、市内を散策。『トリベル』に掲載されていた昭和28年築のレトロビルに行ってみる。いかにもな石造りの階段を上がると、何とレコード屋があるではないの。どーしてこう磁石に引き付けられるように出会ってしまうのだろうか。あきれる妻をよそに、ちょっとだけ品揃えを確認。そう広くはない店内にCDとアナログ。西森千明『かけがえのない』が平置きされている。滋味豊かなアコースティック系の作品チョイスは「奈良pastel records」から店主寺田による音楽サイト「公園喫茶」の流れを思わせた。後で調べると、このborzoi record(※)は知る人ぞ知る、鳥取に「ボルゾイ・レコードあり」というような有名なお店のようですね。
※http://borzoigaki.exblog.jp

 最近は来日ミュージシャンのライヴでも、東京・大阪で複数回というよりは、地方都市の、しかもライヴハウスではなく、ギャラリーやカフェ、レコード店やあるいはお寺等を巡っていくツアーが多いように思う。シャッター商店街をはじめ、地方にお金が流れないことがたびたび指摘されるが、そうした「消費」とは別の形で、地方の「活性化」は進んできているように感じている。むしろ文化的なネットワークの構築を通じて。ここ鳥取でも、そうした流れは確実に起こってきているようだ。むしろ20年前に訪れた時の方が、もっと活気がなく疲弊していたように思う。これは後から調べてわかったのだが、『トリベル』主導で意欲的なショップを結んだイヴェントも仕掛けられているようだ(※)。
※http://trivel.jimdo.com

 その一例として、歩き疲れて入った喫茶店のレヴェルの高さを挙げたい。交差点に位置するビルの2階にある「1er(プルミエ)」を、あらかじめ知っていたわけではなかった。入り口に掲げられたメニューがなかなか魅力的だったので、そこにしたというだけである。明るい色の木の階段を昇ると、先客が二組いた。下段の皿にお好みのケーキ2種とフルーツ。中段にはスコーン2種とクリームとジャム。上段には何種類ものクッキー等の焼き菓子が盛りつけられたセットとコーヒーを注文する。見ると壁に店主が訪れた時に持ち帰ったものだろうか、ラ・トゥール・ダルジャンやポール・ボキューズ等、フランスの有名レストランのメニューが飾ってある。しばらくして供された菓子はどれも素晴らしく、量もたっぷりで(写真参照)、これはお得(結局、焼き菓子はプチ・クロワッサンだけ食べて、後は袋をもらって持ち帰ることに)。これでドリンク付きで1500円ですよ。おい、マ○アージュフ○ール、威張ってねーで少しは見習えよ‥と。いちじくのタルトは香りをはじめ風味のまとまりがよく、タルト・タタンは、そもそも出している店自体珍しいが、こちらは固めで苦みより酸味を活かすタイプ。コーヒーもグアテマラをベースにしたブレンドだろうか、「たくみ割烹店」のようなまったり系ではなく、すっきりとした酸味があって、しかもちゃんとボディの輪郭がはっきりしている。おいしい。まだ若い店主は、フランスに渡り、パティスリーやブーランジェリー(両者の区別は曖昧と話していた)で修行したという。旅の最後を偶然見つけた素敵な店で締めくくれるなんて、何と幸せなことだろう。
鳥取17_convert_20140925200404https://www.facebook.com/1er.tottori
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 けれど不思議なことがひとつある。『トリベル』がなぜ私の手元にあったのか、よくわからないのだ。鳥取市内の観光案内所にも置いてなかったし(『トリベル』はありますかと訊くと、『トリヴェラー』という地図が出てきた)。記憶では立川セプティマに置いてあったのをもらってきたような気がするのだが、はっきりしない。仮にそうだとしても、なんでそんなところにあったんだろう。マイナー県を旅せよという、神の思し召しだったのだろうか。あるいは『トリベル』の表紙を飾る不思議な道祖神(?)のお導きなのだろうか。
トリベル表紙

その他 | 22:08:02 | トラックバック(0) | コメント(0)
アンドレア・チェンタッツォ ライヴ・イン・ジャパン  Review for Andrea Centazzo Live in Japan
 鳥取空港を定刻通り離陸したANA298便は到着予定時刻に10分ほど遅れて羽田空港に着陸した。たぶん空港の外れの滑走路が割り当てられているのだろう。機体はゲートまで延々と空港内を走行し、さらに接続したゲートから空港出口まで動く歩道が配置されているとは言え、1km近く歩かされたような気がする。京浜急行に乗ると、今度は各線の遅延情報が表示されている。原因欄にはearthquakeと。だから会場最寄りの明大前駅に20時30分に着けたのは幸運だったと言うべきだろう。20時の開演にはもともと間に合うはずがなかったのだから。


 受付担当の女性に案内されて入口の重い扉を開けると、予想外の大音量が噴き出してきた。前半のトリオ演奏は(何度目かの)クライマックスを迎えているようだった。近くに残されていた唯一の空席に身体を押し込む。眼の前の秋山徹次はエレクトリック・ギターから間断なくノイジーなサウンドを射出している。中央に陣取ったアンドレア・チェンタッツォは、ドラム・パッドからけたたましい電子音のパルスを叩き出している。反対側の壁際に腰掛けた石川高も携えた笙に懸命に息を吹き込んでいるようだが、サウンドの奔流に呑み込まれてしまって、どれが彼の音だかわからない。

 一転して静かな視界が開け、吹き切って進む笙の響きの輪郭がくっきりと浮かび上がる。チェンタッツォはドラム・セットの各部を点検するようにカタカタと鳴らし、スキンを擦るが、小音量ながら先ほどまでの破裂的な粒立ちを失わない。秋山が両者を取り結ぶように、繊細な爪弾きとブーストされたノイズを交互に繰り出し、さらにリヴァーブをかけてまるでオブラートで包んだように輪郭を曖昧にしたリフレインと、そうしたもやつきを鋭く切り裂くサステインの往還へと移行していく。胴のない打面だけの2バス、やはり深さのない打面だけの幾つものタム、4枚のシンバルを重ねたツリーが3本。ツアーのための移動用とは言え大掛かりなドラム・セットを改めてしげしげと眺めていると、キックを入れたトライバルなビートが急に噴出して演奏を押し流していく。と同時にチェンタッツォは手元にあった小シンバルを弄び、タムにランダムに打ち付けて、スクエアなビートを濁らせ、撹乱し、傷つけることを忘れない。ここでは秋山とチェンタッツォがそれぞれ独立した展開を見せ、笙のゆるやかな呼吸とおおらかなうねりが両者を共に浸し、丁寧に縫い取って、一つの風景として成立させていた。

 それにしても、演奏状況の変転をクールに達観し、「無造作に演奏する」ことをモットーにしている感のあった秋山が、これほど「動かされる」とは思わなかった。ギターの弦にせわしなくアクトするだけでなく、視線を上げることなく絶えずエフェクターのペダルを踏み替え、多彩なサウンドのスペクトルを端から端まで使って、しかも次々に切り替えていく姿は、「対応におおわらわ」であるように映った。原因は波状攻撃的に次々に押し寄せるチェンタッツォの突っ込みの鋭さにある。ドカドカと叩き込み、奔放にスキンを鳴り響かせるかと思えば、足元に転がした金属ボウルを突き回していたぶり、ドラムを指先や掌で叩いて手触りを楽しむ演奏は、振幅が大きいだけでなく、他の演奏者の領域に自在に越境してくる性格のものだ。最近の「即興演奏」と称するものにありがちな傾向、取り澄まして盛りつけられたオードヴルみたいに、各自が白い皿の上にあしらわれた「点景」にとどまり、混ざり合うことはおろか、影響を及ぼし合うこともなく、それぞれ個人的な作業に没頭するパーソナライズされたあり方とはおよそ異なる姿勢がそこにはあった。それは決してラウドであることを意味しない。小音量のシークェンスにあっても、チェンタッツォは「物音演奏」が陥りやすい盆栽的な自閉性にはまることなく、常にそこからズレ、逸脱していく。そこには共通して彼の卓越した「打つ力」が働いている。グルーヴやテクスチャーの構築/完成へと向かわず、それを切り裂いて、あるいは隙を突いて放たれる「場違いな一打」。それは音の密度が上がり、絶え間ない打撃がシーツ・オヴ・サウンドを織り上げる場面であっても、粒立ちのムラや傷、偏差、仕掛けられたランダムネスがそれを波立たせ、ほどいていく。胸のすくような大胆な連打と、にもかかわらず団子状に固まることもなければ積み重なることもなく、多方向に散乱していく音の軌跡は、往時のキム・デファン(金大煥)を私に思い起こさせた。

 その反面、チェンタッツォがもはやフリー・インプロヴィゼーションに過大な期待を抱いてはいないこともうかがえた。彼は演奏の展開をもっぱら場面の転換としてとらえているようだ。そのため、他の二人の演奏がある膠着/停滞に至ると、濃縮された音響が化学変化を起こして新たな生成に至る可能性を見守ることなく、それをすぐさま見限る傾向があった。たとえばギターと笙のかたちづくるドローンの新陳代謝が滞り、二人が抜け出せなくなった場面で、チェンタッツォは先立つ演奏で散らばった音具を片付け、集めた小シンバルをきちんと重ねて、悠然と次に向けて準備をしていたし、演奏の最後で音が消え、秋山と石川が楽器を抱え、次の一音をいつでも放つことのできる臨戦状態で、演奏意識をフェードアウトしていこうとしているところで、彼はとっくに演奏を終えて、独り「ニュートラル・コーナー」に戻り、テーブルから拾い上げたオモチャのラッパを「プー」と鳴らして、あからさまに終止符を打ってみせた。



 後半のチェンタッツォによるソロは、自身による近年のコンポジションが演奏された。冒頭の「Voices」では、マラカスを手に取って、それでタムを叩き、リフレインを織り上げていく。と言っても、スティーヴ・ライヒ的なミニマルなグルーヴが生じるわけではない。彼はグルーヴの円環を回さず、「フレーズ」を叩き切って進む。マラカスのジャラジャラした付随的な音響やマイクロフォンで拾った音響に付加された残響も、グルーヴを脱構築する方向に作用している。しかし、これは導入部であって、フェルトの付いたスティックに持ち替えると皮の鳴る響きが前景化して、リズムと音色のテクスチャーの位相が揃ってくる。エレクトリック・パッドへの一打をトリガーとしてコーラスを思わせる電子音が鳴り響き、めまぐるしい連打による高揚と対比される。トリガーにより放たれるサウンド・ファイルはやがて荘厳な男声合唱、あるいは女声合唱へと移り変わり、その陰影深い交錯を、シンバルを持続的に叩き続ける雷鳴に似た響きが襲い、ついには叩きまくられたシンバルが集中豪雨のように真っ白に耳の視界を閉ざす。
 アフリカ的なものにインスパイアされたと言う、続く「Five Blocks Away」では小型のムビラ(親指ピアノ)が電気増幅され、最初は木部への打撃が鳴り響き、続いてキーへの強烈なアタックが歪んだ音響を轟かせ、PCから再生される透明なリフレインとの鮮やかな対比をかたちづくる。また3曲目「Mantra」ではPCから再生される男声の詠唱(チベット仏教のヴォイスだろうか)の間を空けた断続的な繰り返しと、ヴァリハを思わせるしなやかな植物質のリフレインを、シンバルの連打が覆い尽くしていく。

 こうして7曲ほどが披露されたのだが、一部を除き、いずれも非西洋音楽(民族音楽)から採集したサンプルをPCから再生し、それとドラム演奏を組み合わせるものだった。彼の態度からは、引用したサウンド素材に対するリスペクトが常に感じられたことは確かで、これを帝国主義的な文化搾取だなどと言うつもりは毛頭ない。エキゾティシズムを巧みに活用しながら、ポリティカル・コレクトネスを確保し、コンサート・マナーとしてのヴィルトゥオージテも欠くことがない点で、たとえば文化庁メディア芸術祭参加のホール・プログラムとして好評を博すことは疑いない。それをどうしても食い足りなく思ってしまうのは、「フリー」に囚われた私の業のためなのだろうか。
 スキンヘッドに黒ぶち眼鏡、堂々たる体躯をアジア的な黒衣に包んで(その姿は子どもの頃によく観た英国の特撮TVドラマ『サンダーバード』に登場する、変装の得意な悪役ザ・フッドを思わせる)、演奏が終わるごとに胸の前で合掌して礼を尽くす彼の姿を見詰めながら、私は眼の前で繰り広げられている音楽とAdiemusの作品との違いについて、頭の隅でぼんやり考えていた。確かに奔放に叩きまくられる打楽器のサウンドは、聴き流せる類いのものではなく、聴き手を金縛りにし圧倒する強度に満ちている。また、先に見たように、「打つ」ことへの集中や、サウンドの散乱への配慮が随所に見られ、演奏の只中に口を開ける「即興的瞬間」への対応も図られている。しかし、その一方で、演奏はサウンドを選定し配置したコンポジションの時点で完結しており、ここで示されるランダムネスの導入をはじめとする「即興的配慮」とは、すべて演奏を「再現」ではなく、「ライヴ化」するための「おまじない」的なパフォーマティヴに過ぎないと、やはり思わざるを得ない。ここで彼はまず「作曲家」であり、次いで「作曲作品の忠実な解釈者」であるにほかなるまい。
 コンポジションの演奏を終え、鳴り止まぬ拍手に彼は前半と同様のトリオによるアンコールで応えたが、2階に上がっていて、呼ばれて慌てて降りてきた秋山のセッティングが充分整わぬうちに始められた演奏は、それでも充分興味深い浮遊感覚に満ちたものだったが、チェンタッツォはこのセットを同じ一つの繰り返しだけで押し通した。そして、秋山と石川の交感の成立/不成立にかかわらず、次第にフェードアウトし、自身がこれ以上小さな音量で演奏できない地点に立ち至ったところで演奏を終了した。この時彼はコンポーザー感覚をリセットしないまま演奏に臨んでいたのだろう。

 こうした事態は予測できたことだったかもしれない。前回の掲載で紹介した彼の1985年の作品『Tiare』は、彼の比較的初期のコンポジションなのだが、もともと映像を伴う作品として制作されていて、それを幸いにもウェブ上で観ることができる(※)。音だけを聴いていると多数の打楽器や電子音、フィールドレコーディング素材等で構成されたサウンド・レイヤーが敷き重ねられ、あるいはズレ、あるいは多方向に散乱していく様が聴き取れるのだが、映像はむしろそうしたズレや散乱を調停し、収束させる「枠付け」として作用する。つまり、映像とセットで体験すると、演奏の中に口を開けている「即興的瞬間」が埋め合わされ、全体としてより「ウェルメイド」感が強くなってしまうのだ。響きの多彩さもあり、非常に興味深く味わうことができる作品なので、これはぜひ映像の有無を切り替えながら、各自体験してみていただきたい。
※https://www.youtube.com/watch?v=GMl4j-R0CGY

 前々回の掲載で、私は彼の『Indian Tapes』における達成を高く評価した。その中で、この作品がインディアン音楽に直接影響されたものでも、素材を引用して構成されたものでもなく、むしろ幼時からの彼の憧れの投影であり、言わば「見果てぬ夢」であることを指摘した。そして、もし可能ならば、その先にあったはずのものを今回の来日で目撃したいと望んだが、その願いは果たせなかった。
 象徴的だったのは、後半のコンポジション演奏の最後に演奏されたのが、まさにインディアン音楽にインスパイアされた作品だったことである。そこではインディアンの「戦いの太鼓」を思わせるリズムが演奏され、インディアンのチャント(詠唱)の断片が音素材として直接引用されていた。演奏は「聖なる声」のまわりを巡りながら、グルーヴを高揚させていった。かつての「見果てぬ夢」は別の形で現実の中にすでに取り込まれていた。

 最後にひとつ付け加えておきたい。コンポジション演奏の最後から2番目の曲は、エアー・シンセをフィーチャーしたもので、一連のコンポジション演奏の中で、最も不確定性やコントロール不能性が高く、演奏も遊戯的な喜悦に満ちたものだった。演奏後に彼が述べた曲名は「私がロバート・ムーグに会った日」だった。おそらくは初めてシンセサイザーに触れた際の、童心に帰ったような新鮮な驚きと無垢な喜びをベースにした作品なのだろう。そうした記憶や夢想を突き抜けて走る線がコンポジションの位相にも存在している以上、いつか『Indian Tapes』の見果てぬ先が、音響化される日が来るかもしれないと思う‥‥思いたい。私は大層あきらめが悪いのだ。

2014年9月16日(火)
明大前キッドアイラック・アート・ホール
秋山徹次(guitar)
石川高(笙)
アンドレア・チェンタッツォ(drums,electronics)

写真は小川敦生氏、橋本孝之氏のFacebookページから転載させていただきました。




ライヴ/イヴェント・レヴュー | 00:14:16 | トラックバック(0) | コメント(0)
アンドレア・チェンタッツォについて(補遺)  About Andrea Centazzo (Supplement)
 前回記事の補遺として、幾つか追加情報を提供したい。

 まずは横井一江によるアンドレア・チェンタッツォへのインタヴュー。もともと音楽サイトJazz Tokyoに掲載され、サーバ移転に伴いアクセスできなくなっていたものを、今回の来日に伴い、横井自らが自身のブログに復刻再録したもの。著書「アヴァンギャルド・ジャズ」の記述では、「マエストロ」ガスリーニの陰に隠れている感があるが、これは単独インタヴューなので、そのようなことはない。
http://kazueyokoi.exblog.jp/22569050/

 続いては、ベン・ワトソンの大著『デレク・ベイリー』(工作舎)から、チェンタッツォに触れている場面を引用するとしよう。ワトソンによる「デレク・ベイリー総覧」の一節で、彼は『ドロップス』を採りあげ、大層高く評価する。
『ドロップス』ではベイリーとイタリアの打楽器奏者アンドレア・チェンタッツォの1977年のデュエットが聴ける。優れたビート奏者と組むとベイリーは例外なく素晴らしい演奏をするが、これはまさに開いた口が塞がらないほどの印象的な演奏だ。最近のベイリーの明晰でハードな演奏を聴き慣れている耳には、この昔の彼のギターの音はもっと柔らかくて、弦楽器ならではの繊細さに満ちているように聴こえるに違いない。奇妙な言い方になるが、これがまさに「ロック時代のヴェーベルン」だ。常套手段の回避はほぼ完全に守られているが、それでいて、抽象的、革新的な音楽にはほとんどの場合欠けている花、つまり、身体的な心地良さを感じさせる演奏になっている。(458~9ページ)

 そして最後に、日本におけるチェンタッツォの作品の紹介に最も貢献している(と少なくとも私は評価している)、世界の「はみ出し音楽」を紹介するレコード店SHE Ye,Ye Recordsのページから、チェンタッツォ関連音源をピックアップしておこう。試聴ファイルも備えられているので予習にも便利。付された紹介文も的を射ている。なお、前回記事の最後で紹介した大作にして問題作の『Indian Tapes』だが、インドとは関係なくて、今なら「ネイティヴ・アメリカン」と呼ぶべきところの、西部劇に登場する「インディアン」を指す。最もチェンタッツォ自身が「インディアンの伝統音楽に影響を受けているわけではない」と言明している通り、引用や模倣があるわけではない。彼は子どものころからインディアンにあこがれていたという(ライナーノーツに付された写真には、まだ幼い彼が羽根飾りを着けてインディアンの扮装をした姿が写っている)。彼らが自然と取り持つ融和的な関係、神話的思考、神秘への畏れや霊性への崇拝等々が、彼のあこがれを通じて音楽制作へと反映しているのだろう。彼は独りスタジオに籠って、まるで砂絵を描くように、念を込め祈りをささげながら、オーヴァーダブを繰り返していたのかもしれない。

Andrea Centazzo / Indian Tapes
http://www.sheyeye.com/?pid=56315983






Andrea Centazzo / Tiare
http://www.sheyeye.com/?pid=22072769






Andrea Centazzo / Plays UFIP
http://www.sheyeye.com/?pid=59359095






Alvin Curran, Andre Centazzo, Evan Parker / Real Time
http://www.sheyeye.com/?pid=23287647





Henry Kaiser,Toshinori Kondo,Andrea Centazzo / Protocol
http://www.sheyeye.com/?pid=80210081





Andrea Centazzo, LaDonna Smith, Davey Williams / Velocities
http://www.sheyeye.com/?pid=33984193




ライヴ/イヴェント告知 | 22:09:54 | トラックバック(0) | コメント(0)
アンドレア・チェンタッツォ来日ライヴ  Andrea Centazzo Live in Japan
 「来月、坂田明、藤原清登とのツアーのため、イタリア出身の伝説の打楽器奏者アンドレア・チェンタッツォが来日します。渡米後の活動は謎なのですが、イタリアと言えば、まず思い浮かぶのが、彼のICTUS、PISAのインプロヴァイザーズ・シンポジウム、MEVだった。」
 8月8日、寺内久がFacebookに寄せたこの書き込みで、私はアンドレア・チェンタッツォAndrea Centazzoが来日することを初めて知った。掲載された日程を見ると、坂田明、藤原清登とのトリオ演奏しかブッキングされていないようだ。思わず反射的に手が動き「う〜ソロが見たい。聴きたい」と書き込んでしまう。そうした私のつぶやきが天に届いたのか(Twitterもしてないから貴重なつぶやきではあるだろう)、何と寺内自身がソロ演奏を含むライヴを企画してくれると言う。世の中まだまだ捨てたものではないかもしれない。

【ライヴ情報】
アンドレア・チェンタッツォ Solo & Trio
出演:Andrea Centazzo (per, electronics) 、石川高 (笙) 、秋山徹次 (g)
日時:9月16日(火)  開場19:30 開演20:00
料金:予約2700円 当日3000円
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
   東京都世田谷区松原2-43-11
  [京王線 / 京王井の頭線・明大前駅より徒歩2分 ]
   Tel:03-3322-5564 
   Mail:arthall@kidailack.co.jp




 ここでライヴ告知の補足として、なぜ私がそんなにソロ演奏にこだわったのか、その理由を書いておきたいと思う。そうすれば、彼の音楽活動を概括的に紹介することもできるだろう。もちろん、あくまで私の視線、私の「個人史」を通して‥ということになるのだが。


1.米国ツアー
 私が初めて彼の名前を眼にし、また音を聴いたのは、Eugene Chadbourne率いる2000 Statuesの演奏を収録したLP『English Channel』(Parachute)だった。John ZornがかつてChadbourne, Polly Bradfieldと組んでいたトリオが300 Statuesという名前で、確か「三百羅漢」と漢字が添えられていたから、さしずめ「二千羅漢」か。この作品は1978年6月にコロンビア大学で催されたNYダウンタウン・シーンに集う新世代インプロヴァイザーたちの旗揚げと言うべき公演の記録であり、新たな胎動の予感に満ち満ちている。この「即興オーケストラ」のメンバーには300 Statuesの3人に加え、Tom Cora, Wayne Horwitz, Lesli Dalaba, Bob Ostertagらが参加し、Elliott Sharp, David Moss, Christian Marclayたちこそいないものの、AlabamaからTransmuseqの2人(Davey WilliamsとLa Donna Smith)が駆けつけるというオールスター的なものであり、さらに当時NYで活動していた4人の異邦人たちをも惹き付けていた。すなわち、Fred Frith, Steve Beresford, 近藤等則, そしてアンドレア・チェンタッツォである。
 演奏はChadbourneによるインスタント・コンポジションに基づくインプロヴィゼーションなのだが、極端な断片化、典型の引用、破滅的な加速、雑多さを厭わないコラージュ志向等、後にNYダウンタウンで繰り広げられる汎イディオム的なインプロヴィゼーションの特質がすべて出揃っており、Derek Baileyたちによる非イディオム的なインプロヴィゼーションを当然の前提としつつ、さらにそれを切断し、乗り越えていこうとする向こう見ずな意欲に溢れたものとなっている。とりわけ確信犯的な「ステレオタイプ」の濫用とC&Wやカリプソ・バンドのフェイク等の攻撃的なヒューモアで「即興」の権威を打ち砕き、引き摺り下ろそうという、Chadbourne一流のポップな悪意は凄まじい。もうひとつ、コンポジションの指定により、複数の演奏者によるソロやデュオが同時並行的にズレながら仕掛けられる等、ジョン・ケージによるブラックマウンテンでのハプニングを踏まえた構成となっていることも指摘しておきたい。
 ここでチェンタッツォはアタックが強く余韻の短い金属質の音を多用しながら、ノイジーな喧噪に満ちた、しかし遠くまで見透かせる隙間を失わない「ポップ」な演奏(後のDavid Mossを思わせる)を達成しており、また、バンド演奏のパロディックなフェイクにおいても、見事にその務めを果たしている。
 この後、彼はいったん帰欧し、同年10月からの英国ソロ・ツアーに続き、11月5日に再びNYの土を踏む。12月12日まで続く大規模な米国ツアーの始まりだ。この滞在の間にZorn,Chadbourne,Bradfield,Cora,近藤との共演を収めた『USA Concerts』及び『Environment for Sextet』、Rova Saxophone Quartetとの共演『The Bay』(以上すべてIctus)、Henry Kaiser、近藤とのトリオによる『Protocol』(Metalanguage)、Davey Williams, La Donna Smithとのトリオによる『Velocities』(Trans Museq)の録音を残している。なお、Ictusは彼自身による自主レーベルで、これについては後述する。
 彼の「単身赴任的ネットワーキング」の形は、やはり単身日本からNYに乗り込んだ近藤と、美しい相似形を描いている。ちなみに先の4人、チェンタッツォ、近藤、Frith、Beresfordはいずれも1948年から50年の生まれであり、1953〜4年生まれであるChadbourneやZorn、Cora等と同じく、録音を通じてあらゆる種類の音楽に親しむことを共通の行動規範/文化的基盤とする世代に属している。このことはDavid Moss(1949年)、Elliott Sharp(1951年)、David Toop(1949年)、Heiner Goebbels(1952年)等を周囲に並べ、さらにDerek Bailey(1930年)、Steve Lacy(1934年)、Misha Mengerberg(1935年)、Peter Brotzmann(1941年)、Han Bennink(1942年)、Willem Breuker(1944年)、Evan Parker(1944年)ら「第一世代」と年齢を比較してみれば、より明らかになってくるだろう。
 さて、この時期のチェンタッツォの演奏の特徴のわかりやすい例として、5つのデュオの収められた『USA Concerts』を聴いてみよう。カタカタ、コトコト、カシャン‥‥。身軽ですばしっこい音。余韻が短く、質感が軽くオープンで、時にオモチャっぽさすら感じられる音色。細かな連符の記述に押し込めようもない、それぞれ異なる響き/粒立ちの素早い明滅。彼はこの時、かなり大量の楽器を抱えてツアーしているのだが(ジャケット写真にとらえられた楽器ケースの多さに注目)、音色の多彩さは決して楽器の多種多様さだけによるものではない。ドラム・セットの各部を鳴らし分け、音具やアタックを変えてスキンからうなりやうねりを引き出し、余韻の短い風を切るような鋭い一撃、岩を穿ち金属を掘り刻むような重い打撃が、「おりん」の長く引き伸ばされた余韻(楽器を振り動かし、空気をかき混ぜて響きをくねらせる)やシンバルの揺れ動くドローンと対比させる。アフリカ的なカリンバの音色が用いられても、民族音楽的なリズム・テクスチャーが採用されるのはほんの束の間のことに過ぎず、すぐにざわざわとした触感/耳触りへと解体され、音色そのものの運動と化す。先に見た余韻の対比をはじめ、彼はサウンドのありとあらゆるパラメーターを操作しようとする。彼が軸足をサウンドの次元に置いていることは明らかだ。逆に言うと、彼は即興演奏の「お約束」の最も重要な、そして因習的/慣習的な「コール&レスポンス」にほとんど頼ろうとしない。「フリー・インプロヴィゼーション」という剥き出しの闘争の場に、楽器だけを携えて裸で放り込まれた演奏者たちの身体は、たいていまずそこへ向かい命綱とするのだが、彼はむしろサウンドの背後に巧妙に身を潜める。あらゆるパラメーターを操りながら、ソロ演奏により編み上げたサウンド・レイヤーを代わりに差し出すのだ。



2.フリー・ミュージック
 渡米に先立って、彼はヨーロッパに広がるフリー・ミュージックのシーンで活動を展開していた。パリに移住する前、一時、イタリアを活動拠点としていたSteve Lacyが導きの糸となった。チェンタッツォはLacyについて、次章で述べるGiorgio Gasliniと対比させながら、次のように語っている。
 「ガスリーニはクラシック音楽出身のミュージシャンだから、どのように演奏すべきか、どのようにスコアを読みとるべきか、どこで即興すべきかを教えてくれた。でも、作品をやはり第一義的に考えていた。でも、スティーヴ・レイシーは違う。もっとオープンで、自分の感じるままに演奏することを教えられたんだ。ガスリーニの教えも貴重だったが、レイシーには即興演奏を学んだと言える。」(横井一江『アヴァンギヤルド・ジャズ』)
 1976年のLacyとの出会いは、結果としてGiorgio Gaslini Quartettoからの脱退をもたらし、彼はソロを中心に活動し、様々な即興演奏者たちと共演を重ねていくことになる。彼はまた自主レーベルIctusを創設し、Lacyとのデュオによる『Clangs』をその第一作としてリリースする。やがて彼の共演者リストにはDerek Bailey, Pierre Favre, Kent Carter, Evan Parker, Alvin Curran, Gunter Hampel, Radu Malfattiら、ヨーロッパのフリー・ミュージック界からとびきり重要な名前が連ねられていくことになるだろう。また、Guido Mazzon, Maurizio Glammrco, Bruno Tommaso, Giancarlo Schiaffini等、イタリア人ミュージシャンの名前も。ヨーロッパの即興ネットワークに単身飛び込み、自主レーベルを通じてそれを広めていくチェンタッツォの動きは、イタリアでは極めて先駆的なものだった。イタリアにおけるフリー・ジャズ〜フリー・ミュージックに関わる動きを1990年代初頭のItalian Instabile Orchestraからとするのはあまりと言えばあまりな過小評価だが、実際、原本が1971年に上梓されたフィリップ・カルル、ジャン−ルイ・コモリ『ジャズ・フリー』巻末の「フリー・ジャズ人名事典」において、英・独・仏・蘭のミュージシャンたちが数多く並んでいるのに対し、イタリアからはGiorgio Gaslini, Enrico Rava, Aldo Romanoの3名しか採りあげられていない。この時点でのチェンタッツォの動きは、まだ胎動期のNYダウンタウン・シーンへの突入と同様、極めて例外的な早すぎたものととらえられよう。
 ここで当時のチェンタッツォの演奏を紹介する前に、イタリアにおけるLacyの役割の重要性に触れておきたい。ジャズ・コンポーザーズ・ギルドの欧州楽旅からスピン・アウトした彼は、そのまま欧州を彷徨し、そこで出会った仲間たちと南米へ演奏旅行に出かける。その時の演奏を私たちは名作『The Forest and the Zoo』(ESP)で聴くことができる。後にパリに住まうことになる米国人サックス吹き、南アフリカから英国へ亡命してきたリズム・セクション、イタリア人トランペット奏者がアルゼンチンで繰り広げた演奏は、祖国/大地を遠く離れた異邦人の哀しみと、それゆえに可能となった身体の重さを感じさせない透明さによって、フリー・ジャズの頂点にして、すでにそれを突き抜け、フリー・ミュージックとしか呼びようのないものへと至っている。この時のトランペット奏者こそ、前述のEnrico Ravaにほかならない。また、1960年代のイタリアで注目すべき即興演奏集団として、Gruppo di Improvvisazione Nuova ConsonanzaとMusica Elettoronica Vivaが挙げられるが、共に現代音楽の作曲家たち(前者はイタリア人、後者はローマ在住の米国人)を中心に結成されたこれら二つのうち、コミューン的で参加の門戸を広く開いていた後者にLacyは参加し、『United Patchwork』(Horo)の録音を残している。さらには「International POPular Group」を標榜するAreaにも招かれて、『Maledetti』に参加している。そしてまた、チェンタッツォに対しても導きの糸となったのだった。
 さて、数ある盤のうちから、まずはDerek Baileyとのデュオ『Drops』を聴いてみよう。Baileyが神経を剥き出しになったが如き鋭敏な弦の震えに対し、チェンタッツォが煎り豆が弾けるように多方向に散乱する打撃で応える。共に音数は多いが余韻の少ない透明な響きが空間の透過性を保っているため、敷き重ねられた音は互いに交錯/衝突しながら、いくらでも自由に空間を飛翔することができる。空間を埋め尽くしていくのと対照的な、響きの散乱が空間を押し広げ、隅々まで照らし出して耳の視界を広々とさせていく演奏。様々な打楽器を駆使し、長短や音高、音色や余韻、倍音等のパラメーターを即時に操作しながら(スチール・パンのような音色すら聴かれる)、休むことなく音を繰り出していくチェンタッツォの貢献は大きい。数あるBaileyの共演作の中でも、とりわけ透明度が高く繊細にして鋭敏な1枚と言えよう。
 もう1枚、Evan Parker, Alvin Curranとのトリオによる『Real Time』(Ictus)を聴いてみよう。ソプラノ・サックスと電子音がつくりだす水平なたなびきに、打楽器の鋭いアタックが刻み目をつけていく。抑制の効いた乾いた響きは凍てついたモノクロームさをたたえ、まぶしさのない薄明かりの中に、その身を横たえている。決してフレーズを奏することなく、流動するドローンを編み上げ、あるいは複数の微細な流れへと解けていく電子音に対し、ソプラノ・サックスによるノンブレス・マルチフォニックスもまた、いつもの喧噪さを抑え、しめやかに響く。しかし、この滔々たる流れを断ち切るように、打楽器の音色が突如として泡立ち沸騰する。ここではデュオである『Drops』以上に、演奏者一人ひとりがまずソロによりサウンドのレイヤーをかたちづくり、それを敷き重ね触れ合わせながら、そこに生じる摩擦や干渉に応じて敏感に音の層や粒子を変容させていく演奏のあり方が見えやすいものとなっている。


3.ジョルジョ・ガスリーニ
 Lacyとの出会いが結果としてGasliniとの別離を招いた。Baileyよりひとつ年長のGiorgio Gasliniはイタリア・ジャズ界のマエストロとして知られ、1957年には無調によるジャズを作曲・演奏し、巨匠ミケランジェロ・アントニオーニに映画音楽を提供し、前述のItalian Instabile Orchestraの創設メンバーともなったピアノ奏者/作曲家である。
 まずはチェンタッツォ参加以前の1957年の無調ジャズ作品「Tempo E Relazione」を聴いてみよう。6本の管楽器が緻密に綾なす優雅な響きは、どことなくカバレット風味の退廃的香りを含め、直ちに初期のシェーンベルクを思い起こさせる。しかし、ベース&ドラムスは時にシンコペーションこそかいま見せるものの、極めてスクエアにリズム・キーパーに徹している。その禁欲性が垂れ込める管アンサンブルの官能性を際立たせていることは事実としても。これは1960年にアントニオーニ『夜』のために書いた映画音楽でも基本的に変わらない。これが1964年の「Oltre」となると、テーマ・メロディにジャズ的な闊達さが再帰するとともに、リズム・アレンジが細分化し、オン/オフやシンコペーション、モンタージュを多用したものとなる。しかし、「書かれたもの」感が強いことは否めない。
 手元にあるチェンタッツォ参加作品は2枚。いずれも同メンバーのQuartetto編成による1975年の『Murales』と『Concerto Della Liberta』である。前者はライヴ録音で全編を貫く革命歌的な簡素で飾り気のない、だが雄々しくしなやかで力強いメロディに驚かされ、圧倒される。私は即座に竹田賢一率いるA-Musikを思い出した。それゆえチェンタッツォのドラムスもむしろジャズの枠組みを離れ、シンプルにメロディを歌うサックスを支えている。Francois TusquesのIntercommunal Free Dance Orchestraと似た感触と言えるかもしれない。対して後者は題名通り各演奏者の自由度が高く、勇壮に隊列を組んだ前者と対照的な感がある。まるで盛装してぬかるんだ泥道を爪先歩きするように、優美にして不安定なテーマを基本として、各自が充分にスペースを取ったのびのびした演奏を繰り広げる。チェンタッツォは冒頭のドラム・ソロを除けば地味にバッキングに徹しているようでいて、よく聴くとGasliniのもつれるような指さばきにキラキラと輝く擬音的なパーカッション・ワークで絡み、前景でのリズムの刻みとは別の動きを後景で仕掛ける等、重層的な演奏をしている。後に顕著となるサウンド・レイヤー的な構築の萌芽や彫り刻むような強いアタックもすでに聴かれる。それゆえグループ全体のダイナミクスの振れ幅が大きく、それでいて細部からの構築感も揺るぎない。傑作と言ってしまっていいだろう。
 ちなみに『Murales』をリリースしているのはGaslini自らが起こしたレーベルDischi Della Querciaであり、彼のフリー色の強い作品はここから出ているものが多い。Querciaとは「樫」のことで、おそらくは大地/民衆に根差した抵抗的な力強さの象徴だろう。同レーベルからのチェンタッツォ脱退後の作品『Free Actions』(1977年)、『Graffiti』(1978年)等を聴くと、全体としてのフリーの度合いは増しているものの、前者の場合、それはリード・セクションとピアノの応酬に留まりドラムはスクエアだし、後者ではパーカッション・ソロによる曲があったりするが、エスニックなリズム・パターンの導入に終始してしまう(むしろチェンバロをフィーチャーした曲が聴きもの)。


4.それ以前
 Gasliniの下へ馳せ参じる以前からの活動について、少し触れておこう。チェンタッツォはスイスのジャズ・スクールで学び、自身のスタジオで音楽制作を開始している。リリースは後のことになるが、その時期の活動を反映した作品として、いずれも彼自身のソロによる『Ictus』(1974年)とElectriktus名義の『Electronic Mind Waves』(1976年)が、共に伊PDUレーベルからリリースされている。ウェブ上に残された音源を聴く限り、前者は瞑想的なゴングの深い響きで幕を開け、低域の電子音のうねりに打楽器の繰り返しが重ねられて、次第に温度感が上がりピュンピュンと「トビもの」の電子音パルスが放出される。オルガンやエレクトリック・ピアノのソロが前面に出たジャズ・ロック的展開も一部聴かれ、さすがにドラムは達者な演奏を見せている。後者は1973年からの演奏を収めるとされるが、シンセサイザーのリフレインを多用した前者以上にコズミックな仕上がりで、共にTangerine Dream等のジャーマン・ロックの強い影響下にある作品と言える。
 ここで改めて注目すべきは、彼がこうしたソロによる世界創造から音楽活動を始めていることだろう。一人でバンド・アンサンブルを構築するのではなく、打楽器と電子音のつくりだすサウンドの海に深々と身を浸すところから。そこではパターンとしてのメロディやリズムよりも、サウンドの温度や粘度の差異、あるいは連続と切断の配分、密度の配置と変容等が身体感覚的に重視される環境である。彼の音楽世界の始まりは、こうしたところにあるのではないだろうか。
 もうひとつ、ソロ・アルバムのタイトル、自主レーベルの名称等に頻出する「Ictus」について触れておきたい(ElectriktusもElectric+Ictusと絵解きできる)。「Ictus」とはイタリア語で詩における「強勢」とか、医学用語としての「発作」を意味し、元々はラテン語で「吹く」、「打つ」といった意味合いを持つ。このことを知ってから、チェンタッツォの打楽器演奏が平坦なリズム・パターンを編み上げるよりも、常に隙をついて一音が飛び出すこと、群れから走り出ることに憑かれているのを見るにつけ、彼が何に魅せられているのか、わかったような気がする。その一瞬に稲妻のように身体を走り抜け、世界を切り裂く「閃き」に。


5.Indian Tapes
 チェンタッツォの音との個人的出会いから始めて、彼の活動を遡ってきたが、ここで米国ツアーに続く時期に戻ることとなる。実は彼は1980年代の途中から演奏活動もレーベル運営も中断してしまう。正直に言って、その後1990年代から米国を中心に活動を再会していたことは、今回の来日情報をきっかけにリサーチしてみるまで知らなかった。だから私の紹介は彼が1980年に残したLP3枚組ボックス・セットの大作『Indian Tapes』を以て終わることになる。
 だが、これが大変な問題作なのだ。なぜ彼のソロが聴きたかったかと言えば、いまだにこの作品が頭の中で鳴り響いていたから‥と言っても過言ではない。そう、このLP3枚に収められた音源は、ライヴの一発録りにしろ、スタジオでオーヴァーダビングを数限りなく重ねたものであろうと、すべて彼独りによるものなのだ。
 全体がまとめられたのは1980年だが、使用された中には遥か以前1974年に録音された音源も含まれており、先に述べたようにライヴの一発録りで編集も施されていないトラックもあれば、何と35回ものオーヴァーダブを重ねているトラックもある。打楽器奏者のソロ作品というと、リズム・シークウェンスな何層も重ねたリズムのタピストリーのようなものを想像しがちだが、本作は決してそうではない。演奏は「Ictus」の名にふさわしい「閃き」の力を常にはらんでおり、ロラン・バルトがイーヴ・ナットを讃えた意味での「打つ力」に溢れている。その一方で、ゴングの長い余韻のたゆたいに身を浸し、ハーモニクスの色合いの変化に耳を澄ますことも忘れてはいない。
 フィールドレコーディングによる虫の音や蛙の合唱が素材として用いられているのも特筆すべきだろう。先に精密な設計図を描いて、細かな部品を一つずつ録音していくような組み立て方とは異なり、ここには最良の意味で「アンビエント」な、開かれた広がりがある。彼はサウンドのレイヤーを重ね合わせながら、紙漉き職人にも似た手さばきで響きを繊細に滲ませていく。
 様々な種類の音響のかけらを、「驚異の部屋」のように陳列配置した音空間も現れる。微細な打撃音が「野生」のままに枝を伸ばし繁茂した結果、壊れたオルゴールとゼンマイ時計の「墓場」に迷い込んだが如き機械仕掛けの植物園をつくりだし、クラシックやポップスの誰でも知っている有名曲が、あるいは映画のワンシーンがズタズタに切り刻まれ、ほとんどプランダーフォニックス的なブリコラージュを経て、めくるめくサウンドのパノラマへと変貌を遂げる。
 彼の世界にあって、メロディはむしろ副次的な存在だが、もしかしたらそれゆえにこそ、ここではまだ磨かれていない原石を思わせるメロディがふと剥き出しで姿を現す。その様は彼がライナーノーツで発言を引用し、オマージュを捧げているHarry Partchを思い出させる。



ライヴ/イヴェント告知 | 18:55:56 | トラックバック(0) | コメント(0)