大上流一・森重靖宗ライヴ『Shield Reflection』@Ftarri水道橋店 Live Information Ryuichi Daijo " Shield Reflection " with Yasumune Morishige at Ftarri Suidobashi
2016-05-21 Sat
明日5月22日(日)の夜は、このライヴへ。大上流一 (ギター) と 森重靖宗 (チェロ)という、かねてから追いかけてきた二人の演奏者の注目すべき共演。ギターとチェロによるフリー・インプロヴィゼーションというと、やはりデレク・ベイリーとトリスタン・ホンジンガーのことを思わずにはいられない。管楽器を含まない、パワー・ミュージックとしてのフリー・ジャズから離陸し遠く離れた、「音による思考」というべき、繊細かつダイナミックな速度と変化に溢れた音楽。それは一見、抽象の極限へと向かうようでありながら、実はストリートの猥雑な喧噪に満ち満ちていた。
もちろん、彼らがそうした先行例をなぞるわけはあるまい。ベイリー直系的な演奏からスタートし、その引力圏を脱出して透明な叙情や空間への沈潜へと至る大上と、サウンドをアブストラクトに研ぎ澄ますことで、音のマテリアルな強度、身体への具体的な働きかけを究めていく森重。二人がどのように交錯/衝突し、あるいは並行し、すれ違うか、期待に胸が震える。今回のライブの企画は大上によるものだが、これまで専らトリオ編成で進めてきた『Shield Reflection』のシリーズを、今回デュオに切り替えるにあたり、おそらくはある秘めた決断/覚悟があるのだろう。確かに森重は、そうした重大な転換を託すに値する相手に違いない。注目。



5月22日(日)午後7時30分開場、8時開演
『Shield Reflection』
大上流一 (ギター) + 森重靖宗 (チェロ)
Ftarri 水道橋店
1,500 円

http://www.milkman.jp/ryuichi%20daijo/daijo%20index.html
http://www.tochoh.com/event/51311
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2016-05-21 Sat
5月19日に発売された文藝別冊「ジェネシス 眩惑のシンフォニック・ロック」(河出書房新社)に執筆した。最近の文藝別冊は本当にプログレづいていて、昨年1月のピンク・フロイド(増補版)、同7月のキング・クリムゾン、今年2月のイエスに続く特集企画となっている。一読して、今回の構成はとてもバランスが取れていると感じた。一般にピーター・ゲイブリエルの脱退を決定的として前後を分かち、「プログレからポップに転じた」と括られてしまいがちなジェネシスの軌跡だが、ここではむしろスティーヴ・ハケットの脱退に大きな転機を見るジム・オルーク(インタヴュー記事)をはじめ、フィル・コリンズのドラム・サウンドの変遷を追ったり、歌詞の文学性を分析したり、メディア・イメージの分析を通じて『眩惑のブロードウェイ』を変化点と位置付けたり、あるいは変わることのない「英国らしさ」に基層を見出したりと、視点の設定により様々な切断と連続が見出し得ることが提示されており、ジェネシスという歴史=物語の読解として、とても厚みのある内容となっている。
それゆえ、各執筆者の論点が互いに反響しあうところが魅力だろうか。彼らの基層というべき「英国らしさ」について、大英帝国的な畸人変人性を通じて、あるいは頻繁に言及されるマザー・グースのみならず、キーツをはじめ英文学からの出典を通じて、さらには田園風景を通じて、複数の評者により多角的に論じられている。反対に極めて英国的なバンドでありながら、実はヨーロッパへの影響が大きかったとして、ジェネシス・フォロワーたちの紹介がなされている。また、彼らの初期イメージを形成したポール・ホワイトヘッドのカヴァー描画が採りあげられ、あるいは彼らのライヴ・ステージにおけるヴィジュアルの変遷が語られる一方で、彼らのコピー・バンドである「復刻創世記」のメンバーにより、彼らのアンサンブルの妙やサウンド構築の秘密が明かされる。
私自身は「ジェネシス - 音の石組み」なる論稿で、彼らの活動を編年体でとりまとめたCD3枚組の『R-Kives』(いわゆる「ベスト盤」だからか、本号でも他では一切、ディスク・ガイドにおいてすら、触れられていない)から語り始め、まずは議論の前提として、彼らの変わることのない一貫性を指摘している。30年近くも活動を継続しながら、そこにはEL&Pの低迷も、イエスの迷走も、ピンク・フロイドの肥大も、キング・クリムゾンの転生もない。
そのうえで彼らの代表作『フォックストロット』の幕開けを飾る「ウォッチャー・オヴ・ザ・スカイズ」や長大な「サパーズ・レディ」のサウンドを例に挙げ、彼らの演奏が堅固な音の石組みにより、何よりも音による「世界(像)」を提示することを目指しており、ゲイブリエルの演劇的突出にもかかわらず、それはあらかじめ設定された「世界」の中を跳ね回る「キャラクター」でしかないことを説明している。12弦ギターやキーボードのアルペジオ、リフレインの多用は、アンソニー・フィリップスの創造を継承して、トニー・バンクス(とマイク・ラザフォード)が完成させていった、サウンドの層の稠密な積み重ねのまさに典型にほかならない。対してスティーヴ・ハケットの常に震えやにじみを帯びたギター、フィル・コリンズのアンサンブル全体を揺すぶりスウィングさせるビ・グ・バンド的なドラムは、この揺るぎない構築に息づきをもたらす揺らぎ成分として機能している。
一方、ゲイブリエルの独裁による達成として語られがちな『眩惑のブロードウェイ』も、元ネタというべきレナード・バーンスタイン『ウェストサイド物語』と比較すれば、それがゲイブリエル自身によってジョン・バニヤン『天路歴程』になぞらえられているように、英国を旅立ててはいないことがわかる。彼の本当の旅立ちは、やがてワールド・ミュージックとの出会いによって果たされることになるだろう。
やはりジェネシスは変わっていない。それはバンクスの変わらなさ/変わり難さであり、彼の内部に残り続けるクラシック音楽とソウル・ミュージック(それはパブリック・スクール時代、彼とゲイブリエルを引きあわせたものだ)をはじめとするポップ・ミュージックとの解消し難い分裂に起因している。彼は依然としてパブリック・スクールという「檻」、そしてその延長上にあるジェネシスという「檻」に囚われているのだ。
『危機』ただ1作品だけにフォーカスして、長くは続かなかった「奇跡」を論じたイエスと異なり、ジェネシスに関し、あえて変わることのない一貫性/連続性を前景化したのは、売れた/売れないとポップ/プログレを短絡的に結びつける俗説への反抗ということもあるが、それだけではない。もちろん彼らのサウンドが大きな切断/転機をはらんでいるのは確かだ。しかし、それはゲート・リヴァーブの使用によるドラム・サウンドの劇的変化とシンクロしており、それはポップ・ミュージック全体に波及する一大変化でもあったことを忘れてはなるまい。しかも、スティーヴ・リリーホワイトとヒュー・バジャムというプロデューサー/エンジニア側の達成として語られがちな、この一大「発明」が、ゲイブリエルのソロ作の制作中に、フィル・コリンズの叩くドラムに起こった偶然により誕生したものであることを思えばなおさらだ。
個人的には、『松籟夜話』第五夜でジム・オルークを特集した際に、彼のジェネシス・マニアぶりを再認識し、今回の企画を知って「ぜひ」とリクエストした彼へのインタヴューが掲載されているのがうれしい。音楽誌のジェネシス特集としては「DIG special edition」によるもの(2014年11月発行)が秀逸だったが、本誌も実に読みごたえのある特集となっている。ぜひお読みいただければありがたい。

http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309978871/
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%B9-KAWADE%E5%A4%A2%E3%83%A0%E3%83%83%E3%82%AF-%E6%96%87%E8%97%9D%E5%88%A5%E5%86%8A-%E6%B2%B3%E5%87%BA%E6%9B%B8%E6%88%BF%E6%96%B0%E7%A4%BE%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8/dp/4309978878
光に盲いて サイ・トゥオンブリーの写真 − 変奏のリリシズム − Eyeless in the Overflowing Lights Review for the Exhibition "Cy Twombly Photographs Lyrical Variations"
2016-05-08 Sun
尖塔状のエントランス・ロビーから、展示室に入り、外の見えるガラス張りの渡り廊下から新緑の沸き立つ中庭越しに、そのサイロみたいな外観を見返す。ホワイト・キューブの延長として設えられた瀟洒な階段室にも、展示空間と照応したオブジェがさりげなく掛けられている。そうした贅沢な空間を味わいながら、多くの質の高い常設展示作品(その中には専用の「ロスコ・ルーム」にインスタレートされた7点の絵画で構成されるマーク・ロスコ「シーグラム壁画」も含まれている)を見た後に、企画展である「サイ・トゥオンブリーの写真 − 変奏のリリシズム − 」の展示スペースにたどり着く。スペースに足を踏み入れると、左手の壁に沿って奥までパネルが並び、それがさらに正面の壁面へと続いているのが見える。歩みを進め、最初の作品の前に立った瞬間、静かに打ちのめされ、動けなくなった。これは一体何だろう。私はいま何を見ている/見ようとしているのだろう。
一瞬、視線が定まらず、それでもホワイト・アウトの中から浮かび上がるかたちを何とかつかまえることができたものの、今度はそれが何であるか、どのような状態が写されているのか、言葉がすっと浮かばず、束の間、急に海が深くなって足が着かなくなったような不安に襲われる。
脆い光に満たされた空間に、壜やコップの壊れやすい輪郭が浮かんでいる。高い露出で画面が飛んでいるせいもあって、写っている物体の姿は妙に平面的だ。影絵、いやエックス線写真みたいだな‥‥と思う。空港の手荷物検査でモニターの中を通り過ぎて行く不確かなかたち。特定の対象に向けて焦点を絞り込むことなく、素通しの「光」がたまたま浮かび上がらせた何物かの影。キャメラのこちら側にいてシャッターを切ったはずのトゥオンブリーは、その時にレンズを通して何を見ていた/見ようとしていたのだろう。「壜やコップを写真にとらえようとした」ようには見えない。対象へと向けられた強い眼差しが感じられないのだ。だから、とらえどころのない薄明るさの中に頼りなく浮かんだ「廃墟」という印象が浮かぶ。打ち捨てられ、人がいないこと。「空虚」や「寂寥」を空間ごととらえたものなのだろうか。だが、この「とらえどころのない薄明るさ」に「廃墟」というレッテルを貼っても、すぐに力なく剥がれ落ちてしまうだろう。そのような撮影者の意図を伝えるメッセージ性、何かの意味合いを効率よく伝える表象性というか、プレゼンテーションの力が、ここからは陰影と共に揮発してしまっている。
よく似た写真がさらに2点並べられている。同時期に撮られたものか、あるいは連作か。そう言えばこれまでの常設展では必ず添えられていた、作品名や制作年次を記したプレートが、ここには貼られていないことに気づく。写っている個数は異なるが、おそらくは同じ壜やコップがジョルジョ・モランディの絵画よろしく、被写体として使い回されているのだろう。だが、モランディの場合と異なり、そうした配置のコンポジション感覚が表立つことはない。撮影者の「意図」を求めて伸ばされた手は、虚しく空を掴むことになる。対象/被写体を見詰めようとする視線が空振りし、手応えなく画面を通り過ぎてしまうように。
ピントが合っているのかズレているのか、よくわからない布の皺が、海底の砂地の褶曲のように浮かび上がり、あるいは遺跡の柱の列が、全体を想定させない一部分として切り取られている‥‥。そうした「把握」が一瞬の「失語症」の後、どこからともなく浮かんでくる。空白を埋め合わせるように。だが、一瞬ぽかんと空いた隙間感は残っていく。次々に作品を見ていくと、同様の手触りというか、手応えのなさを感じずにはいられない。
この「失語症」感を撮影者のねらいととらえられるだろうか。見慣れたものを、一瞬だけ何だか見定められない形象としてとらえる‥‥というように。確かに不安定で不均衡に切り取られたフレーミングや、対象の分布のバランスを取りながら眼差しを多視点に分散させ視線をさまよわせるオールオーヴァーへの傾きがないわけではない。だがそこに対象の輪郭を幾何学的な文様へと解体してしまうような、強い抽象化への志向は見られない。つまり、ここで視覚は抽象世界へと飛躍することにより、「見たままとは別の安定した構図/構造」へとたどり着くことができない。支えてくれるもののないまま、見ることの不安定さに揺られ、震えるばかりだ。
それと気づかぬうちに写真がカラーになっている。眼を射る鮮やかさはない。「水死体のような」とでも言うべきか、ふやけて褪色した色合い。水槽に漂うクラゲみたいに、内側からぼんやり発光しているようにも感じられる。モノクロとカラーの間の断層は感じられない。
半開きのドアの向こうに広がる部屋、引かれたカーテンの隙間から覗くベッドの暗がり。そうした奥行きを提示しながら、キャメラの眼差しは「向こう側」へと踏み込んでいかない。関心なく通り過ぎ、生気なく映し出すばかり。
そうした中に、手前の、おそらくは鉢植えか花瓶に活けられた花の向こうに、横向きの男の頭部が浮かんでいる写真があった。全体がぼんやりと淡く、こちらに訴えてくるものがなく、視線を惹き付けることもない。珍しく生きた人間が写っているにもかかわらず。ふと「念写」で撮影した写真みたいだなと思う。レンズが見定めるべき対象を持たない、思念により直接感光されたフィルム上の痕跡。あるいは死体の脳に電極を突き刺して、生前の記憶をサルヴェージし、「救出」した断片的イメージをモニターに映し出したら、こんな風に見えるかもしれないと。当の本人にも、もういつ、どこでのことか思い出せなかっただろう色褪せ擦り切れた記憶。「エピソード記憶」となることなく、文脈からこぼれ落ちたまま、海馬の片隅にただただ堆積/沈殿し、溶解するに任されていたばらばらの記憶のかけら。割れたガラスの破片のような視覚の断片。
後半になって、テーブルに置かれた野菜に続き、飾られた花や墓前に供えられた花の写真が多くなる。いっしょに見ていた妻が「これはお仕事をしている花ね」とつぶやく。こちらを向いて美しさを送り届けてくれるのではなく、周囲に満遍なく魅力を振り撒くでもなく、こちらとは違う方を向いて、そちらにだけ事務的に愛嬌を送り届ける、こちらは放ったらかしの愛想のなさを言っているらしい。なるほどと思う。
それに比べると併せて展示されていた、キノコの写真を貼り込み、さらにドローイングを施したコンポジションは、いかにも「こちら向け」でプレゼンテーション的な押し付けがましさを感じずにはいられなかった。



「当惑」というか、「宙吊り」の快感をこれほど感じた展示もなかった。珍しく図録を買って帰った。写真は各ページに1点ずつ収められ、やはり作品名も制作年次も記載されていない。その代わり、後の方のページに縮小版が掲載され、そこに作品名や制作年次が併記されたリストが付いている。実は会場での展示に関しても、番号付きの配置図があり、その番号で引ける作品目録が用意されていた。しかし、トゥオンブリーの写真を見るには、つまりは「失語症」の瞬間を味わうには、確かにこうしたキャプションはない方がよかった。また、これは川村美術館ではいつものことなのかもしれないが、常設展を見て回り、通常の作品(という括りはあまりに乱暴だが)を体験した後に、トゥオンブリーの写真を見るという順序も正しかった。企画者の確かな見識を感じる。
もともと私がこの展示に興味を持ったのは、部屋を暗くし、視覚を封じた上で、筆触(触覚)だけを頼りにドローイングする「触覚=非視覚の画家」トゥオンブリーが、視覚そのものであり、本来触覚とは無縁の写真を撮っていたという矛盾というか、謎に惹かれてのことだった。
トゥオンブリーとの出会いは、おそらく80年代後半ではなかったろうか。池袋西武にあったアール・ヴィヴァンで、洋書の画集をあれこれ立ち見していた中で見つけたのだと思う(だから90年代になって初めて明らかにされる写真作品は、そこに入り込む余地がなかった)。当時は「触覚=非視覚の画家」などという理解はなく、アブストラクトで鋭敏な軽やかさとリリカルでファンタジックなところに魅惑されていた。だから、私の頭の中でトゥオンブリーは、ジョセフ・コーネルの「箱」やコラージュ、マックス・エルンストのコラージュ、ヴォルスの銅版画(写真や油彩ではなく)の傍らに位置していた。
その後、しばらく忘れていたトゥオンブリーの名前に出会ったのは、最近惜しまれつつ閉店した吉祥寺dzumiで音盤レクチャー『耳の枠はずし』を行った際に、5回目として企画した「複数の言葉 ECM Cafe」の打合せで、月光茶房店主にしてECMレーベルのコンプリート・コレクターの原田正夫と話していた時だった。ECMのジャケットの書き文字がトゥオンブリーのドローイングの影響を受けているのではないかと指摘されて、「ああ、確かに」と思った。しまい込まれていたはずの記憶がするっと出て来たことに自分でも驚き、どこでトゥオンブリーを知ったのだっけ‥‥とその時も訝ったのを覚えている。このことをきっかけに彼について少し調べ、ロラン・バルトが彼について書いていることも知った。聴覚と触覚の関係と言うか、「聴くこと」に否応なく入り込んでくる「触れること」について考え込んでいた時期だったために、「触覚=非視覚の画家」トゥオンブリーは、私の中でいささか特権的な位置を占めることになった。滑らかに流れていく機械的な反復のようでいて、実は様々な紙質/表面状態の紙との接点における諸力のせめぎ合いに突き動かされ、筆触をその都度その都度のミクロな繋留点としながら、流され推移していく線の軌跡。それはたとえばエヴァン・パーカーがノンブレス・マルチフォニックスでつくりだす複層的な音流と、あるいはミッシェル・ドネダが息の流れを編み、束の間つくりあげる息の柱と、とても近しいように思われた。
だから、白く細い線がスキーのシュプールのように流れ、彫り刻まれたグレイ・ペインティングの1点を除き、ほとんどそうした筆触や流れの感覚の感じ取れなかった原美術館における展示(2015年)には正直がっかりした。その失望が今回の発見の驚き/喜びを倍加させているのかもしれない。


だがそれにしても、「触覚=非視覚の画家」トゥオンブリーによる、これらの写真をどのようにとらえ、位置づけたらよいのだろう。
展示の図録に付された前田稀世子による解説では、彼の写真がポラロイド・写真を複写機で約2,5倍に拡大し、色の浸潤の実験を行いながらプリントしていることを説明した後、トゥオンブリーのドローイングと絵画における「盲目性」は写真制作においても呼応するところがある‥と指摘する。だが、その「盲目性」の内実として示されるのは「写真は出来上がる像が意識されながらも、実際には出来上がる瞬間まで結果がわからない」ことであるに過ぎない。これではすべての写真作品が「盲目性」を含む‥というだけのことになってしまう。これに対し前田は次の2点を指摘することにより、トゥオンブリーの特権化を図る。すなわち、かつて実践していた描画の「盲目性」と写真の制作方法の「盲目性」の類似に、彼は気づいていたに違いないこと。そして、彼の写真の多くが対象のクローズアップであり、作家と対象の距離が非常に近く、これは鉛筆で手元だけを見て描くことと同様、画面全体に対して仮の盲目性を引き受けることになること。さらに次のことを付け加える。撮影したポラロイド写真をそのまま作品化するのではなく、複写機で拡大することにより、人の手を直接介在させないプロセスを挿入し、眼からの専制を逃れていると。「眩しい光によってもののディテールと色が消し去られ、世界の手触りだけが残されている」という指摘にはその通りだと思うが、それ以前の理屈立ての方は、あらかじめドローイングや絵画で知られているトゥオンブリー作品の特質=「盲目性」を採りあげ、それと呼応する部分を彼の写真作品から無理矢理つつき出した気がして、どうも納得が行かない。
やはりずっと気にかけている画家ジョルジョ・モランディに関する評文が掲載されていると聞いて、堀江敏幸『仰向けの言葉』(平凡社)を図書館から借り出したところ、そこに何とサイ・トゥオンブリーの写真に関する一文が記されていた。
「深海魚の瞳 − サイ・トゥオンブリー」と題された評文は「自分以外のだれかに世界を示すための光がかえってものを見えなくさせる光になり、見えなくさせる障害がむしろ見えるということの真の意味を教える」という一節で始まる。「盲目性」の暗示。しかし、彼は「トゥオンブリーの写真を前にすると、ついそんなことを考えたくなる」と書き付けながら、観念を抽象的に深める代わりに、描写へと筆を転じる。「ほぐれて散らばった光の束がいつのまにか膜と化し、どこまでも直進するのを止めて、微かな震えを抱えた靄となる」と。視覚像に手を伸ばし、指先でかき分けながら触れていくような的確な描写。この『仰向けの言葉』に収められた彼の美術批評は、どれもこうした五感へと広がる繊細で的確な描写が素晴らしい効果を上げている。そして彼はそうした描写の力を借りながら、トゥオンブリーの写真を次のように名指していく。
「(前略)被写体が何であるかをすでに言葉を通して知っているにも関わらず、現物と一対一で結びつける機会をついに得られなかった、特殊な人間の器官を連想させる点だ。トゥオンブリーの写真は、物理的には像が見えているのに、それがいったい何であるかを理解できない欠落を抱えた目に写る光景である。世界を発見する喜びや昂奮とも、親しい世界を確認して得られる安堵ともちがうとまどいがそこには焼き付けられている」
私の感じた失語症的瞬間、あるいは死体からサルヴェージされた文脈を欠いた記憶、その時に何を見ていた/見ようとしていたのかわからない視覚の断片として描き出した欠落が、ここではまた別の視点からとらえられている。これに続くチューリップや花々を被写体とした連作等に関する「とまどい」を鍵とした記述がまた素晴らしい。
「ハレーションとブレに包まれた光の膜から。偶然のたまものとしてしかあらわれて来ない画。表面の肌理に感応しつつ、その向こうにある厚みと奥行きをぼやけた光で照らし出す一連の写真では、しばしばとまどいに喜びがまさる。1990年に撮影された『彫刻の細部』の、幾層かの薄い黄色の光も同様だ。なにが写っているのか不明のままであったとしても、色彩と光が輪郭をぼかし、色のグラデーションが世界の皮膚となって、世の中のすべては真実の擬態にすぎないことをそれらは明確に示してくれる」
これらの深い感取に支えられた見事な描写にもかかわらず、堀江は「抽象の厳しさとやさしさを突きつめたと考えられていた画家が、そのかたわら、事件性の希薄な日常の事物や風景に、『見えているけれど見えていない』眼を向けていた真の理由は何なのか。明確な答えはないだろうし、当人にもわからないだろう」と、その「謎」を宙吊りのままにする。それは美術批評として正しい姿勢と言えるだろう。
だが私はトゥオンブリーの写真から受けた、これまでにない魅惑的な「とまどい」の深さ故に、このあえかな光の靄に包まれた世界に闇雲に踏み込み、根拠を欠いた妄想を吐露したいという気持ちを抑えられない。すなわち、「抽象の厳しさとやさしさを突きつめたと考えられていた画家」、「触覚=非視覚の画家」がこのような写真を撮影したのではなく、実はその真逆で、このような写真を撮影する写真家、いやこのような眼差しで世界を見ていた男が、やがて「触覚=非視覚の画家」として「抽象の厳しさとやさしさを突きつめた」のではないか‥‥と。
もちろんこれは単なる思いつきに過ぎない。しかし、ブラック・マウンテン・カレッジ在籍時の1951年に行ったピンホールカメラの実験から、その後1993年になって初めて開催した写真展にポラロイド写真を拡大してプリントした作品まで、断続的に撮影された写真には同様の手触りがあり、強い連続性・一貫性が感じられるのは確かだ。そこには彼特有の生理的・生得的な何かが前提条件として横たわっているように感じられる。つまりあからさまに言えば、トゥオンブリーはあのような撮影を手法として選択し行ったのではなく、そもそも彼にはあのように世界が見えていたのだと(仮にいつもではないにしても)。図録の年譜を見ると、暗闇の中で視覚を封じたドローイングを始めるのは1953年からとなっている。これは後発的に手法として開発したものととらえることができよう。
だが、それにしても、なぜ視覚を封じて筆触に頼ることをしたのだろう。新たな手法開発のための実験としてだろうか。私にはそれも「彼にはあのように世界が見えていた」ことに理由があるように思えてならない。不確かな視覚の中で、世界は光の靄に満たされ、「真実の擬態」が遍く浮遊する。これは実は視覚=光の不足ではなく過剰によってもたらされる状態だ。彼は「光に盲いていた」のではないか。とすれば、むしろ求められるのは視覚=光を厳しく制限することにより、手で触れることのできる物質の世界、堅固で確実で平らな基底平面に着地することだ。彼はそれを曲がった棒を反対側に曲げるような、いささか極端な方法で実施した。すなわち視覚=光をシャットアウトし、直接事物に触れることのできる確実な触覚のみに頼って描くことで。それは紙と筆記具の接触点で生じる「筆触」を繋留点とした「自動筆記」的な性格を持つ一方で、光の靄の中に失われてしまう現物=視覚像と「それが何であるか」という言葉・了解の結びつきを、ドローイングの運動と軌跡として彫り刻まれる線を通じて取り返そうとする営為ではなかったか。
そのように考えると、今回展示されていたキノコの写真を貼り込みドローイングを施したコンポジションが、まるでキノコ図鑑のページのように、図像とそれが何であるかの説明、絵解きを、くどいようにプレゼンテーションしていた理由もわかるような気がする。名前を書いてみたり、数字を書き込んでみたり、そうした図像と「それが何であるのか」のくど過ぎる確認作業は、原美術館に展示されていた作品群に共通に見られ、私はその飽きることなく繰り返される鬱陶しさに、いささかげんなりしたのだった。
サイ・トゥオンブリーに対するイメージが大きく変わっただけでなく、視覚と触覚に関する思考を深めるまたとない機会ともなった。希有な展示だった。

撮影:原田正夫
サイ・トゥオンブリーの写真 − 変奏のリリシズム −
DIC川村記念美術館
2016年4月23日〜8月28日
2016-05-03 Tue
マレーシアやシンガポールで活動するサックス奏者ヨン・ヤンセンが来日した。彼については、今回の彼の来日ツアーにも帯同した高岡大祐が以前に自身のブログ(※)に書き付けていて、ずっと興味を持っていた。「旅のtuba吹きdaysukeの日々」と題されたブログには、2015年1月にシンガポールで開催されたChoppa Festival(主催は、その後シンガポールから東京に活動拠点を移したダレン・ムーア)から、隣国マレーシアの首都クアラルンプールに移動してSwitch ON Mini Festに参加した滞在記が、ライヴ演奏、食事、釣り等を巡りながら、実にいきいきと描かれている。その中でヤンセンと高岡の出会いが、2014年に来日したトリオ「ゲーム・オヴ・ペイシェンス」(ヤンセン及びムーアをメンバーに含む)のツアーであり、今度は高岡が彼の地に招かれて再会を果たしたことがわかる。高岡の筆からは、インプロヴァイズド・ミュージック不毛の地で粘り強く活動を続ける二人への敬意だけでなく、天井を吹き飛ばすような爆音から微細な繊細さに至る演奏の極端な振れ幅を通じて常に一体感を失うことなく演奏できる二人との濃密な交感が、自分でも思いもよらなかった床を転げ回るようなパフォーマティヴな演奏を引き出された経験や、街を歩き回り、飲み食い回る(ヤンセンはここで「クアラルンプールで一番うまいものに通じている男」と呼ばれてもいる)エピソードを通じ、「義兄弟」的とも言える、厚いつながりが築かれていることが感じられる。
フリー・インプロヴィゼーションを通じてそのような関係が浮かび上がることはあまりないし、何よりその様子があまりに楽しそうなので、ぜひ一度、高岡、ムーア、ヤンセンの三人が一緒に演奏するのを観てみたいとずっと思っていた。その後、前述のようにムーアが東京に活動拠点を移し、今回、ヤンセンが来日して願いがかなったことになる。
※旅のtuba吹きdaysukeの日々 http://d.hatena.ne.jp/daysuke/

会場のFtarri水道橋店に開演時間ぎりぎりに着くと、ゲストの広瀬はいるものの、お目当ての三人の姿が見えない。高岡はいつも開演時間前から現場に詰めている印象があるのだが、今日はどうしたのだろう。聞くとどうも三人で飲みに出かけたらしい。こちらの心配をよそに、程なくして三人が戻る。みんな少し赤い顔をして楽しそうだ。打ち解けた雰囲気で笑顔が浮かぶ。
まずは三人の演奏から。右側のピアノの前にヤンセンが座り、ムーアのドラムはやや左側に、そしてその間に高岡が位置取った。
スキンを擦られたバスドラの低音の唸りが深々と響く。テナーが濁った息音を重ね、さらに声を混ぜる。やがてリードがピヨピヨと甲高く鳴り始め、プチプチ、ザラザラとした粒立ちを経て、引き伸ばされたいななきへと至る。その間、チューバは長く息を保ち、これらの響きを背後から裏打ちしながら、そのままノンブレスで低い唸りを提供し続ける。幾層にも重ねられた粘っこい持続がだらりと弛緩し、湿った肉の熱と重みを放ちながら水平に横たわる。高温多湿の息苦しさ。
擦りがスネアやタムに移行し、金属質の軋みが浮かび始めると、テナーがすっと音色を切り替え、唾液が泡立つような微細な破裂音の連続へと移り変わる。ドラムはそのまま細かい刻みや音具の使用により、やはりミクロに粒立つパーカッシヴネスへと場を移し、これと混じり合う。音響の密度を高める両者に対し、チューバは相変わらず奥まった位置から、ノンブレスによる切れ目のないゆったりと平坦な持続(ベースのゆるやかな弓弾きを思わせる)を浮き沈みさせている。
チューバがそれまで平坦だった持続を波立たせ、音量を上げる。だが、前面へと躍り出てソロを取るわけではない。確実に音圧を高めながら、しかしその音色にはどこか遠くで鳴っているかのような、風に運ばれる距離感が宿っており、輪郭の曖昧さや波立ちの不定形と相俟って、響きのパースペクティヴをかき乱す。
これを合図にテナーが激しく泡立ち、沸騰し、鋭く切り裂く口笛を差し挟みながら、パーカッシヴに爆発する。ドラムもまた、シンバルを擦るスティックの速度を何倍にも高め、高密度に圧縮された倍音の歪んだ軋みで応える。ブラシによる素早い刻みがもたらす金属質の「さわり」。さらにはスキンを櫛の歯で擦ることにより生み出される、空間を巨大な「へら」で掻き取るようなダイナミックな音響。目まぐるしくサウンドを切り替えながらこれと拮抗するテナー。
両者ががっぷり四つに組んだ演奏の土俵に対し、チューバは自らの居場所を定めず、浮遊し続ける。息の波打ちは、やがて甲高い裏声で苦しげに歌うような呻き声を生み出し、これがゆるゆると変化を続けるうちに、電子音を思わせる上ずった声と低音の管の鳴りへと、ふっと分離してしまう。
以降も演奏はテナーとドラムが鏡合わせに響応しながら進行する。アルバート・アイラー的なテナーの爆発/咆哮に立ち向かうようにドラムが叩きまくるが、音のくっきりした粒立ちが素晴らしく、空間を埋め尽くすことがない。喧噪を駆け抜け、次々に音景を置き去りにしながら進む演奏に対し、やおらチューバが立ち上がり、モールス信号的な長短のフレーズを吹きまくる。だが、これは次の瞬間、一挙に静謐へと転じるための仕掛けだったようだ。ドラムは金属音の余韻を紡ぎ、シンバルに弓を当てる。テナーは希薄に引き伸ばされたロングトーンから倍音を浮かび上がらせ、リードの微かな破裂を付け加える。チューバは抑えた息を長く保ち、ごく低い音域で長短のフレーズを奏でる。
何と滋味豊かな、旨味溢れる濃厚な音響のスープであることか。あえて視覚的に構造化してとらえれば、前述のように鏡合わせで向かい合うテナーとドラムに対し、奥から手前まで浮遊しながらそれを一体に溶け合わせ、遠近法的な構図を撹乱するチューバという絵解きになるのだが、それはやはり一面的な見方に過ぎない。それぞれのサウンドから滲み出た旨味が見事に溶け合い、しかも口中を一色に染め上げず、舌にいつまでも残って味覚を飽和させることなく、すっきりと消えながら移り変わって新たな旨味をもたらす‥‥そんな喩えがふさわしいように思う。だから、ふっと景色が移り変わる時の息の合い方は何とも絶妙だけれど、それは「いっせーのせっ」と縦に刻んで合わせた風ではなく、まさに味覚が切り替わるようなさりげなさなのだ。
柔らかく連打されるシンバルのうねりを背景にして、チューバがプレ・モダンな葬送の悲しみを運んでくる。遠い響きに宿るプリミティヴな情感。フレーズはやがて管によって拡大された呼吸音の繰り返しへと姿を変える。ヤンセンはテナーを抱えたままじっと耳を傾けている。チューバが息を吹き切って立てる打撃音に転じると、テナーが小鳥の囀りや木ねじの軋みでそっと加わる。テナーがぶつぶつと唾液の泡立つ濁流とチューバがゆったりとくゆらす唸りが混じり合って、高く低く波打ちながらコーダを締めくくるのを、ムーアが黙って見ている。前半終了。

後半の演奏は左端に立った広瀬と引き続き右端に位置するヤンセンのテナー・デュオで始まった。低音から高音まで激しく駆け上り駆け下るフレーズ。低音のブロウのぶつけ合わせ。高音のフラジオでの空中戦。ほとんど身体を揺らさず、ただ指先だけが管の上を走り回り、音色の太さも一定で変化しない広瀬に対し、上半身を前後に激しく揺すり、音色の太い細いを混ぜながら使い分けるヤンセンという対比はあるが、サウンドは左右対称の美しい相似形を描き、加速/減速を繰り返し、押し合いへし合いながら、見事に噛み合いバランスしていた。時に極端なまでに高域を集中して攻め続け、ノイズを暴走させて他を顧みない広瀬の一面を知っている者としては、彼が共演者の資質をバランスよく引き出すことを心がけたのだろうと想像する。実際、演奏終了後に「よく息が合ってましたね」と彼に声をかけると、「いやあ最近オレも丸くなってね」と笑みが帰って来た。もちろんそれは手加減をしたというようなことではない。実に気持ちのよい爽快な演奏。
デュオを続けたまま、さらに残りの二人が加わる。チューバが管だけを「空鳴り」させ、ドラムが発砲スチロールでスネアを擦り始めると、ふっと全体の音量が下がり、一挙に静謐さへと向かう。左テナーがサウンドの断片を散らばせ、右テナーが唾液を泡立たせて、その遥か向こうにうっすらとチューバによるバッハ的なフレーズが浮かび上がる。ふとAnne Guthrieによるフレンチホルンの響きが脳裏を掠める。二本のテナーは先刻とは異なり、互いのサウンドを深く噛み合わせず、希薄さを優先して加速には向かわない。音響的な時間。
チューバが空間に沁み込むような角笛を思わせる音色を保ったまま、水平な長短の配分へと至ると、ドラムの細かい刻みが湧き上がり、左テナーが高音域、右テナーが低音域に分裂して噴き上がり、さらにシンバルを回転させて擦る金属倍音が重ねられる。そのままブロウをぶつけ合わせるテナーをよそに、チューバはやおら立ち上がり楽器を揺らしながら、管の鳴りと息の音を分離させる。その後も細かいノイズを振り撒く他の三人に対し、チューバは膨らみのあるまろやかな倍音の提示から、さらにはシュルティ・ボックスを思わせるねっとりとしたドローンへと、一貫してノイズレスな音色を紡ぎ続けた。いつの間にかドラムが演奏の手を止めてすっかり聴き入っている。次第に音数が減り、チューバの漏らす長い溜め息が掻き消えて終了。
高岡、ムーア、ヤンセンの演奏は、おそらくシンガポール/クアラルンプールの時とはまったく異なるものだったろう。しかし、そこにある息の通じ合い方の精妙さ、追いつこうとか、遅れまいという性急さを微塵も感じさせることなく、いつの間にかすっと別の場所に身体を移動している絶妙の一体感は確かに感じられた。フリー・インプロヴィゼーションでこれほど「いっしょに演奏する楽しさ」が前景化することも珍しいだろう。だが、それが再会を祝い同窓会的な懐かしさを喜ぶものでなかったことは、きちんと言っておかなくてはならない。アイラー的なブロウから細かな音色/ノイズを頻繁に切り替えるパッチワークまでを自在に使いこなすヨン・ヤンセンの奏法は、「忍耐のゲーム」を通じて培われた確かなものであることを明らかにしていたし、ダレン・ムーアも打撃や音色の粒立ちの鮮やかさ、ダイナミクスのメリハリといった自身の資質を、以前に観た時よりも存分に発揮していた。そして高岡大祐はさらに新たな奏法/音色を開拓しつつ(彼自身Facebookで新たな奏法を試していると書いているが、実際、これまで体験したことのない鳴りが随所で聴かれた)、それを実際に即興演奏の展開の中で柔軟に活用できていることは賞賛に値する。そしてこれは広瀬を含めた四人に共通して言えることだが、アクションにアクションをぶつけ合わせて闇雲にサウンドのカードを切り合う、皮膚が触れそうになる瞬間の発作的対応の繰り返しで構成される「ハリネズミのジレンマ」的演奏(フリー・インプロヴィゼーションはこうした仕方に陥りやすい)ではなく、互いにじっくり聴き合い、しっかりと先を見通した演奏だったことを改めて評価したい。


ヨン・ヤンセンと高岡大祐(2015年1月) ダレン・ムーアと高岡大祐(2015年1月)
冒頭の写真(来日ツアーちらしに掲載)はダレン・ムーアのFBページから
他は高岡大祐ブログ「旅のtuba吹きdaysukeの日々」から転載
2016年4月27日(水)
Ftarri水道橋店
ヨン・ヤンセン Yong Yandsen (tenor saxophone)
高岡大祐 Takaoka Daysuke (tuba)
ダレン・ムーア Darren Moore (drum,percussion)
広瀬淳二 Hirose Junji (tenor saxophone)