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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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ヨン・ヤンセン来日ツアーから  Live Review for Yong Yandsen Japan Tour 2016
 マレーシアやシンガポールで活動するサックス奏者ヨン・ヤンセンが来日した。彼については、今回の彼の来日ツアーにも帯同した高岡大祐が以前に自身のブログ(※)に書き付けていて、ずっと興味を持っていた。「旅のtuba吹きdaysukeの日々」と題されたブログには、2015年1月にシンガポールで開催されたChoppa Festival(主催は、その後シンガポールから東京に活動拠点を移したダレン・ムーア)から、隣国マレーシアの首都クアラルンプールに移動してSwitch ON Mini Festに参加した滞在記が、ライヴ演奏、食事、釣り等を巡りながら、実にいきいきと描かれている。その中でヤンセンと高岡の出会いが、2014年に来日したトリオ「ゲーム・オヴ・ペイシェンス」(ヤンセン及びムーアをメンバーに含む)のツアーであり、今度は高岡が彼の地に招かれて再会を果たしたことがわかる。
 高岡の筆からは、インプロヴァイズド・ミュージック不毛の地で粘り強く活動を続ける二人への敬意だけでなく、天井を吹き飛ばすような爆音から微細な繊細さに至る演奏の極端な振れ幅を通じて常に一体感を失うことなく演奏できる二人との濃密な交感が、自分でも思いもよらなかった床を転げ回るようなパフォーマティヴな演奏を引き出された経験や、街を歩き回り、飲み食い回る(ヤンセンはここで「クアラルンプールで一番うまいものに通じている男」と呼ばれてもいる)エピソードを通じ、「義兄弟」的とも言える、厚いつながりが築かれていることが感じられる。
 フリー・インプロヴィゼーションを通じてそのような関係が浮かび上がることはあまりないし、何よりその様子があまりに楽しそうなので、ぜひ一度、高岡、ムーア、ヤンセンの三人が一緒に演奏するのを観てみたいとずっと思っていた。その後、前述のようにムーアが東京に活動拠点を移し、今回、ヤンセンが来日して願いがかなったことになる。
※旅のtuba吹きdaysukeの日々 http://d.hatena.ne.jp/daysuke/
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 会場のFtarri水道橋店に開演時間ぎりぎりに着くと、ゲストの広瀬はいるものの、お目当ての三人の姿が見えない。高岡はいつも開演時間前から現場に詰めている印象があるのだが、今日はどうしたのだろう。聞くとどうも三人で飲みに出かけたらしい。こちらの心配をよそに、程なくして三人が戻る。みんな少し赤い顔をして楽しそうだ。打ち解けた雰囲気で笑顔が浮かぶ。
 まずは三人の演奏から。右側のピアノの前にヤンセンが座り、ムーアのドラムはやや左側に、そしてその間に高岡が位置取った。

 スキンを擦られたバスドラの低音の唸りが深々と響く。テナーが濁った息音を重ね、さらに声を混ぜる。やがてリードがピヨピヨと甲高く鳴り始め、プチプチ、ザラザラとした粒立ちを経て、引き伸ばされたいななきへと至る。その間、チューバは長く息を保ち、これらの響きを背後から裏打ちしながら、そのままノンブレスで低い唸りを提供し続ける。幾層にも重ねられた粘っこい持続がだらりと弛緩し、湿った肉の熱と重みを放ちながら水平に横たわる。高温多湿の息苦しさ。
 擦りがスネアやタムに移行し、金属質の軋みが浮かび始めると、テナーがすっと音色を切り替え、唾液が泡立つような微細な破裂音の連続へと移り変わる。ドラムはそのまま細かい刻みや音具の使用により、やはりミクロに粒立つパーカッシヴネスへと場を移し、これと混じり合う。音響の密度を高める両者に対し、チューバは相変わらず奥まった位置から、ノンブレスによる切れ目のないゆったりと平坦な持続(ベースのゆるやかな弓弾きを思わせる)を浮き沈みさせている。

 チューバがそれまで平坦だった持続を波立たせ、音量を上げる。だが、前面へと躍り出てソロを取るわけではない。確実に音圧を高めながら、しかしその音色にはどこか遠くで鳴っているかのような、風に運ばれる距離感が宿っており、輪郭の曖昧さや波立ちの不定形と相俟って、響きのパースペクティヴをかき乱す。
 これを合図にテナーが激しく泡立ち、沸騰し、鋭く切り裂く口笛を差し挟みながら、パーカッシヴに爆発する。ドラムもまた、シンバルを擦るスティックの速度を何倍にも高め、高密度に圧縮された倍音の歪んだ軋みで応える。ブラシによる素早い刻みがもたらす金属質の「さわり」。さらにはスキンを櫛の歯で擦ることにより生み出される、空間を巨大な「へら」で掻き取るようなダイナミックな音響。目まぐるしくサウンドを切り替えながらこれと拮抗するテナー。

 両者ががっぷり四つに組んだ演奏の土俵に対し、チューバは自らの居場所を定めず、浮遊し続ける。息の波打ちは、やがて甲高い裏声で苦しげに歌うような呻き声を生み出し、これがゆるゆると変化を続けるうちに、電子音を思わせる上ずった声と低音の管の鳴りへと、ふっと分離してしまう。
 以降も演奏はテナーとドラムが鏡合わせに響応しながら進行する。アルバート・アイラー的なテナーの爆発/咆哮に立ち向かうようにドラムが叩きまくるが、音のくっきりした粒立ちが素晴らしく、空間を埋め尽くすことがない。喧噪を駆け抜け、次々に音景を置き去りにしながら進む演奏に対し、やおらチューバが立ち上がり、モールス信号的な長短のフレーズを吹きまくる。だが、これは次の瞬間、一挙に静謐へと転じるための仕掛けだったようだ。ドラムは金属音の余韻を紡ぎ、シンバルに弓を当てる。テナーは希薄に引き伸ばされたロングトーンから倍音を浮かび上がらせ、リードの微かな破裂を付け加える。チューバは抑えた息を長く保ち、ごく低い音域で長短のフレーズを奏でる。

 何と滋味豊かな、旨味溢れる濃厚な音響のスープであることか。あえて視覚的に構造化してとらえれば、前述のように鏡合わせで向かい合うテナーとドラムに対し、奥から手前まで浮遊しながらそれを一体に溶け合わせ、遠近法的な構図を撹乱するチューバという絵解きになるのだが、それはやはり一面的な見方に過ぎない。それぞれのサウンドから滲み出た旨味が見事に溶け合い、しかも口中を一色に染め上げず、舌にいつまでも残って味覚を飽和させることなく、すっきりと消えながら移り変わって新たな旨味をもたらす‥‥そんな喩えがふさわしいように思う。だから、ふっと景色が移り変わる時の息の合い方は何とも絶妙だけれど、それは「いっせーのせっ」と縦に刻んで合わせた風ではなく、まさに味覚が切り替わるようなさりげなさなのだ。

 柔らかく連打されるシンバルのうねりを背景にして、チューバがプレ・モダンな葬送の悲しみを運んでくる。遠い響きに宿るプリミティヴな情感。フレーズはやがて管によって拡大された呼吸音の繰り返しへと姿を変える。ヤンセンはテナーを抱えたままじっと耳を傾けている。チューバが息を吹き切って立てる打撃音に転じると、テナーが小鳥の囀りや木ねじの軋みでそっと加わる。テナーがぶつぶつと唾液の泡立つ濁流とチューバがゆったりとくゆらす唸りが混じり合って、高く低く波打ちながらコーダを締めくくるのを、ムーアが黙って見ている。前半終了。
ヤンセン2


 後半の演奏は左端に立った広瀬と引き続き右端に位置するヤンセンのテナー・デュオで始まった。低音から高音まで激しく駆け上り駆け下るフレーズ。低音のブロウのぶつけ合わせ。高音のフラジオでの空中戦。ほとんど身体を揺らさず、ただ指先だけが管の上を走り回り、音色の太さも一定で変化しない広瀬に対し、上半身を前後に激しく揺すり、音色の太い細いを混ぜながら使い分けるヤンセンという対比はあるが、サウンドは左右対称の美しい相似形を描き、加速/減速を繰り返し、押し合いへし合いながら、見事に噛み合いバランスしていた。時に極端なまでに高域を集中して攻め続け、ノイズを暴走させて他を顧みない広瀬の一面を知っている者としては、彼が共演者の資質をバランスよく引き出すことを心がけたのだろうと想像する。実際、演奏終了後に「よく息が合ってましたね」と彼に声をかけると、「いやあ最近オレも丸くなってね」と笑みが帰って来た。もちろんそれは手加減をしたというようなことではない。実に気持ちのよい爽快な演奏。
 デュオを続けたまま、さらに残りの二人が加わる。チューバが管だけを「空鳴り」させ、ドラムが発砲スチロールでスネアを擦り始めると、ふっと全体の音量が下がり、一挙に静謐さへと向かう。左テナーがサウンドの断片を散らばせ、右テナーが唾液を泡立たせて、その遥か向こうにうっすらとチューバによるバッハ的なフレーズが浮かび上がる。ふとAnne Guthrieによるフレンチホルンの響きが脳裏を掠める。二本のテナーは先刻とは異なり、互いのサウンドを深く噛み合わせず、希薄さを優先して加速には向かわない。音響的な時間。
 チューバが空間に沁み込むような角笛を思わせる音色を保ったまま、水平な長短の配分へと至ると、ドラムの細かい刻みが湧き上がり、左テナーが高音域、右テナーが低音域に分裂して噴き上がり、さらにシンバルを回転させて擦る金属倍音が重ねられる。そのままブロウをぶつけ合わせるテナーをよそに、チューバはやおら立ち上がり楽器を揺らしながら、管の鳴りと息の音を分離させる。その後も細かいノイズを振り撒く他の三人に対し、チューバは膨らみのあるまろやかな倍音の提示から、さらにはシュルティ・ボックスを思わせるねっとりとしたドローンへと、一貫してノイズレスな音色を紡ぎ続けた。いつの間にかドラムが演奏の手を止めてすっかり聴き入っている。次第に音数が減り、チューバの漏らす長い溜め息が掻き消えて終了。


 高岡、ムーア、ヤンセンの演奏は、おそらくシンガポール/クアラルンプールの時とはまったく異なるものだったろう。しかし、そこにある息の通じ合い方の精妙さ、追いつこうとか、遅れまいという性急さを微塵も感じさせることなく、いつの間にかすっと別の場所に身体を移動している絶妙の一体感は確かに感じられた。フリー・インプロヴィゼーションでこれほど「いっしょに演奏する楽しさ」が前景化することも珍しいだろう。だが、それが再会を祝い同窓会的な懐かしさを喜ぶものでなかったことは、きちんと言っておかなくてはならない。アイラー的なブロウから細かな音色/ノイズを頻繁に切り替えるパッチワークまでを自在に使いこなすヨン・ヤンセンの奏法は、「忍耐のゲーム」を通じて培われた確かなものであることを明らかにしていたし、ダレン・ムーアも打撃や音色の粒立ちの鮮やかさ、ダイナミクスのメリハリといった自身の資質を、以前に観た時よりも存分に発揮していた。そして高岡大祐はさらに新たな奏法/音色を開拓しつつ(彼自身Facebookで新たな奏法を試していると書いているが、実際、これまで体験したことのない鳴りが随所で聴かれた)、それを実際に即興演奏の展開の中で柔軟に活用できていることは賞賛に値する。そしてこれは広瀬を含めた四人に共通して言えることだが、アクションにアクションをぶつけ合わせて闇雲にサウンドのカードを切り合う、皮膚が触れそうになる瞬間の発作的対応の繰り返しで構成される「ハリネズミのジレンマ」的演奏(フリー・インプロヴィゼーションはこうした仕方に陥りやすい)ではなく、互いにじっくり聴き合い、しっかりと先を見通した演奏だったことを改めて評価したい。
ヤンセン3縮小 ヤンセン4縮小
   ヨン・ヤンセンと高岡大祐(2015年1月)     ダレン・ムーアと高岡大祐(2015年1月)

冒頭の写真(来日ツアーちらしに掲載)はダレン・ムーアのFBページから
他は高岡大祐ブログ「旅のtuba吹きdaysukeの日々」から転載


2016年4月27日(水)
Ftarri水道橋店
ヨン・ヤンセン Yong Yandsen (tenor saxophone)
高岡大祐 Takaoka Daysuke (tuba)
ダレン・ムーア Darren Moore (drum,percussion)
広瀬淳二 Hirose Junji (tenor saxophone)




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ライヴ/イヴェント・レヴュー | 20:48:14 | トラックバック(0) | コメント(0)