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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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霧は星形の庭に降りる ― フェデリコ・デュランド ライヴ@Ftarri  Milky Fog Descends into the Pentagonal Garden - Live Review for Federico Durand / El jardín de la armonía TOKYO session
 はるばるアルゼンチンから単身来日したフェデリコ・デュランドの、半月にも及ぶ国内ライヴ・ツアーの初日となったこの晩、会場となったFtarri水道橋には多くの聴衆が詰めかけた。明らかにいつもと客層が違うのは、彼の作品がフリー・インプロヴィゼーションやフィールドレコーディング、あるいは「実験音楽」(嫌な言葉だが)の聴き手以外にも、広くアピールしていることの証しと言えるだろう。このことを踏まえ、あえて3番手として登場した彼のソロ演奏から話を始めることとしよう。





 カンテレに似た小型の弦楽器、オルゴール、オモチャのような音具……。地球の裏側まで移動してのツアーということもあって、携行する荷物を絞り込んだ結果だろう、ちっぽけでわずかな仕掛け。そこからフェデリコ・デュランドの特質と言うべき、やさしさとぬくもりに満ちた簡素な音がかそけくたちのぼる……ように見えて、そこには考え抜かれた細密な仕掛けと、一点たりともゆるがせにしない完璧主義の職人気質による入念なコントロールが施されていた。
 碁盤に石を打つように、あるいは敷き詰められた白砂に石を立てるように、手前に音が配され、淡い陽炎にも似た響きが奥で揺らめく。床にラグを敷いて座る彼の手元は、前方の聴衆の陰に隠れて私の席からは見えない。しかし、置かれた音が彼の手元をすっと離れ、天井に反射して降り注ぐ音のかけらと行き交いつつ、奥行きの中で揺れ動く響きと溶け合い、まるで幻灯のように浮かび上がる「牧歌的」な音風景に吸い込まれて、そこに広がる別世界へと連れ去られてしまうのが手に取るようにわかる。そこにはミルクみたいに濃くて重たい霧がたゆたい、まどろみのうちに沈みながら、木々か、家々か、あるいは人影かと、点々と浮き沈みする形象を耳が追いかけ、飛び石伝いに奥へと誘われるうちに、間口がさほど広くないにもかかわらず、思いのほか深い奥行きをたたえていることに気づかされる。
 幾つもの空間が折り重ねられ溶け合いながら、先の奥行きの深さが物語るように、ここに音響レイヤーの敷き重ねが与える息苦しい閉塞感はない。立ちこめる濃霧が視界を奪いながら、音の柔らかく深い響きが空間のゆったりとした広がりを伝える。と同時に、あまりに良く出来ている、いや出来過ぎている気がしてならない。絵画のように完璧に仕立てられた配置/構図を、まるで絵画を鑑賞するように完璧に設えられた視点/視角からとらえている印象。それゆえ、いったん風景が完成すると、そこにそれ以上の動きや生成変化はなく、時はほとんど止まったかのようにただゆらゆらと浮遊し、聴き手の身体に響きが充分に沁み渡った頃合いで景色は薄らぎ、クロスフェードにより別の風景に場所を譲り渡していく。
 ふと弦を打つ音が輝かしく鳴り渡る。いささかオモチャな電子音がそれに続き、それまで身じろぎひとつせず、固唾をのんで音世界の移り変わりを見守っていた聴衆は、それまでの硬直が解けたようにみんなもぞもぞと身体を動かし、そこかしこで衣擦れの音を立て始める。





 彼のソロ演奏に続いて行われた、この日の演奏者全員によるセッションで、彼の「秘密」がまたひとつ解けたように感じた。
 彼のつくりだす音世界は、その音像のゆったりとした配置により、たっぷりと隙間をはらみ、そこに開けた空間を通じて自在に出入りできるように見える。しかし、実はそこは極めて高い「濃度」に満たされていて、彼の張り巡らす「結界」の中に他の音はなかなか入り込むことができない。もちろん、ソロ演奏とは異なり、彼はひとりで風景を描き上げるわけではない。しかし、彼の置いていく音と響きは、互いに固く結びついて切り離すことができず、響きはさらに次に放たれた音の響きと分ち難く溶け合って、強固な連続性/一体性を生み出してしまう。
 このことに気づかず無造作に音を放てば、彼の音世界の背景へと退くか、あるいは無作法にその前を横切って覆い隠すか、そのどちらかになってしまう。津田貴司はエレクトリック・ギターのハーモニクスを用いて、フェランドの音世界と直接重なり合うことなしに、淡く色づいた透過光を投げかけ、極めて希薄な「ヴェール」を掛けてみせた。セッションが開始されてからしばらく音を出さず、じっと耳を傾けていた佐藤香織は、雲間からすっと薄日が射すように、極めて細く薄く滑らかに引き伸ばされたアコーディオンの単音をデュランドの音世界へと刺し込み、向こうまで無抵抗にするっと貫き通した。耳の確かさと素早い判断に支えられた的確なアクションが、デュランドの音世界の特質を、ある手触りや手応えとともに触覚的に明らかにしていく。





 ここで時間を巻き戻し、フェランドのソロ演奏に先立って行われた津田貴司と佐藤香織のデュオ「星形の庭」の演奏に立ち返るとしよう。私にとっては、この演奏がこの夜のハイライトとなった。

 垂直に構えられた弓が僅かにギター弦に触れ、そこから空間に滲みを広げる。淡い滲みが広がるにつれて色合いが浮かび、ようやく耳が響きの輪郭をとらえる。弓と弦との接触が刻一刻変化するためか、あるいはディレイによる折り重ねの結果か、響きの表面に浮かぶ色彩が微かに震えながら移り変わる。希薄なハーモニクスがオーロラのように裳裾を翻し、それよりは重たい音色がかわるがわる浮き沈みし、さらにその奥からまた別の響きが頭をもたげる。
 それまでアコーディオンの蛇腹を軋ませたり、ボタンだけをカタカタと鳴らし、人形芝居を思わせる無機質な物音を立てていた佐藤が、ふっと薄く滑らかな和音を奏でる。その音はまるでギターの弓奏による響きの移り変わりの只中から浮かんできたように聴こえた。彼女の耳の良さと単刀直入ためらいなく核心部分へと刃を差し入れる「勇気」に驚かされる。弓の動きが加速し、湧き出す響きの水面から飛沫が跳ね上がり、外へと飛び出す音粒子が増え、やがて全体が沸騰して弾け、ふと沈黙へと至る。アコーディオンの和音がただいまの終着地点を的確に指差し、そこからまた歩みが始められる。増幅度を高められたギター弦がコキコキとしごかれ、水の滴りにも似た、だがそれよりはずっと鉱物質の輝きに満ちた音を放って、アコーディオンの広げる水面のたゆたいに小石を投げ入れる。
 次第に演奏は冷ややかな構図を離れ、揺れ動きを増しながら、二人の応酬による生成へと局面を移していく。間歇的なギターの弓奏にスライドやフラジオが挿み込まれ(津田の弓遣いは中国書道の運筆、筆を垂直に捧げ持つような筆遣いに似ていると感じる)、アコーディオンによる全音音階の浮遊感がさらに不安定な移ろいやすさを増幅しつつ、不協和に侵食されていく。
 アコーディオンの蛇腹の軋みが、氷が水面に張り詰めていく際に立てるぴしぴしとした緊張を放つ中、ゴム球で擦られたギター弦の硬く氷結したトレモロが、静かに、だがくっきりと響き渡る。

 津田によれば、佐藤は「バンド」での演奏経験はあるが、いわゆるインプロヴィゼーション畑での活動はないと言う。合わせ鏡のようにアクションを強迫的に加速/増殖させたり、あるいは空気を読んで迂回に迂回を重ねたり…という、いわゆる「即興演奏」の悪しき因習語法に染まっていないのは、そのせいもあるだろう。その一方で彼女は亡き大里俊晴の薫陶を受けており、授業ではジョン・ケージの貴重な映像を見せてもらったり、彼がどこかから掘り出して来た誰も知らないような音盤を「今週の収穫」として聴かせてもらったりしていたと言うから、当然、フリー・インプロヴィゼーションの録音にも数多く触れているのだろうが。
 津田が佐藤とのデュオを「星形の庭」と名付け(出典は武満徹「鳥は星形の庭に降りる」か、あるいはこの曲題の由来となったマルセル・デュシャンのエピソードにほかなるまい)、その演奏を「ミニマル」と語った時には、ライヒやグラスのイメージが災いして、きちんと像が結ばなかったが、二人の演奏を聴いた後ではよくわかる。ここで「ミニマル」とは、決して様式や技法のことでなく、文字通り「最小限」を意味する。だからと言って、「削ぎ落とす」ことだけを至上命題としたリダクショニズムではないし、「剥き出しにする」ことが陥りがちな露悪的な身体パフォーマンスでもない。そうではなく、虚飾を排し、無用な因習を斥け、もっともらしいコンセプトに寄りかかることなく、思い通りにならない音や予想を裏切る空間、なかなか過ぎていかない時間と向き合って、増殖/充満させた音の背後に身を隠す代わりに、静寂に身を浸し耳を澄ますこと。そこでは「音を放つ」ことは、「よりよく聴く」こととイコールであるだろう。
 無論、課題がないわけではない。しかし、それは今後、「音を放つこと」=「よりよく聴くこと」を積み重ねていく中で、自ずから解消されていくと思われる。佐藤香織という新たな演奏者の登場をまずは喜びたい。また、このところの津田の活動に注目してきた者として、楽器演奏をあえて排したstilllifeとはまったく異なる位相のデュオとして「星形の庭」が始まったことは、今後の活動を広げ深める中で大きなプラスになると信じている。いずれにしても、フェデリコ・デュランドという一見優しげで何でも受け入れる、しかし、その一方で、音に対する頑固で一徹な哲学/世界観を持ち、自分のパースペクティヴをまったく譲らない演奏者と共演できたことは、貴重な経験となったに違いない。コンセプトで防御を固め、敏感に空気を読み、「ハブ」や「ぼっち」にならないよう何しろ周囲に合わせる……という、この国に蔓延する「即興演奏スタイル」においては、そのような「哲学」はまさに邪魔物として排除されてきたのだから。


津田貴司のFacebookより転載(3月10日のライヴ時の写真ではありません)


2017年3月10日(金)
Ftarri水道橋
Chihei Hatakeyama(guitar,electronics)
星形の庭(津田貴司(guitar)+佐藤香織(accordion))
Federico Durand(electronics)


 フェデリコ・デュランドは3月25日まで国内ツアーを続け、3月24日には神戸・旧グッゲンハイム邸、25日には奈良・日+月+星で、津田貴司とのデュオにより演奏する予定である。







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ライヴ/イヴェント・レヴュー | 22:46:57 | トラックバック(0) | コメント(0)

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