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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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タダマス、スティーヴン・キング「幸運の25セント硬貨」を読む  "TADA-MASU" Reads a Short Story "Luckey Quarter" by Stephen King
 益子博之と多田雅範が主宰するNYダウンタウン・シーンの定点観測「四谷音盤茶会」(通称「タダマス」)も、すでに6シーズン継続しており、この週末にいよいよ7年目に足を踏み入れる。長期に渡り、マンネリ化に陥ることなく活動を継続していられる理由は、毎回のゲストの多彩な顔触れを別にすれば、まずは益子の貪欲な聴取 ― 当初設定していたNYやジャズという土俵を果敢にはみ出していく ― にあるだろう。だが、決してそれだけではない。相方を務める多田の、常に新たな面をさらし続ける「切断力」が大きなカギを握っているのだ。

 先日、今回の「タダマス25」に向けた打合せを終えたばかりの二人と、少し話す機会があった。「多田さんは打合せの時の話の流れをいつも忘れている」とツッコミを入れる益子に対し、「いや、それはですね‥‥」とボケまくる多田という、いつもながらの漫才トークを聞かせてくれたのだが、事前の評価や周辺情報を即座にリセットして(忘却力!)、いまここで再生されている音源だけに聴取を賭ける、賭け切るというのは、実はなかなか出来ることではない。その証拠に、インターネット上に溢れるディスク・レヴューは、ほとんどすべて制作者側が提供したプレス・シートの劣化したコピーに過ぎないではないか。
 多田がもたらす想定外の揺らぎを、決して益子は「なかったこと」にして、事前に描いた予定調和に回収しようとしない。ズレやすれ違い、踏み外し、あるいは眼にも止まらぬ疾走や奔放な飛躍が、「録音物の再生」という、一見、差異など生じようもない行為に、熱く息を吹き込む。いや、実際異なるのだ。「他者と共に聴く」によって。他の耳の眼差しを意識し、他なる言葉に伴われた聴取は、音を、いや「聴くこと」自体を変容させる。

 先の二人との会話は、打ち解けた雑談だったから、「最近の料理はインスタを意識して、やたらスマホ写りのよいものになってきている」というような「最近流行事情」にも話が及んだ。SNSに写真をアップする際には、結局盛り上がるようなキャプション/コメントしか付けないから、「フォトジェニック」な料理は露出が増え、味とは無関係に絶賛が躍ることになる。何とも情けないが、まあ、流行とはそうしたものだ。そこにあるのは承認欲求を介した単なる同調圧力に過ぎない。

 先に述べたように「タダマス」はその対極にある。もっともらしいキャッチ・コピーや押しつけがましい評文の下に聴取を束ねてしまうのではなく、自分とは違う聴き方に気付くことにより、多様な聴取の可能性を解き放つこと。
 今週末の「タダマス25」では、果たしてどんな「別の聴き方」に出会えるだろうか。

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masuko x tada yotsuya tea party vol. 25: information
益子博之×多田雅範=四谷音盤茶会 vol. 25

2017年4月23日(日) open 18:30/start 19:00/end 22:00(予定)
綜合藝術茶房喫茶茶会記 
新宿区大京町2-4 1F(丸の内線四谷三丁目駅 徒歩3分) 
03-3351-7904

ホスト:益子博之・多田雅範
ゲスト:大村亘(ドラム・タブラ奏者/作曲家)
参加費:¥1,300 (1ドリンク付き)

今回は、2017年第1 四半期(1~3月)に入手したニューヨーク ダウンタウン~ブルックリンのジャズを中心とした新譜CDをご紹介します。
ゲストには、ドラム・タブラ奏者/作曲家の大村 亘さんをお迎えします。ジャズの世界で幅広く活躍し、インド古典音楽にも深い造詣をお持ちの大村さんは、現在のニューヨークを中心としたシーンの動向をどのように聴くのでしょうか。お楽しみに。(益子博之)

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ライヴ/イヴェント告知 | 23:17:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
はなればなれに ―― 渋谷・関島・高岡・外山@kakululuライヴ・レヴュー  Bande à part ―― Live Review for Takesi Shibuya, Takero Sekizima, Daysuke Takaoka, Akira Sotoyama@kakululu
 池袋サンシャイン60の裏手ということになるのだろうか。ビルの谷間に小さな公園が開け、その傍らにストロベリー・ショートケーキみたいな不思議な形をした建物が姿を現す。今回初めて訪れるkakululuだ。
 テラスとカウンターのある1階を抜けて、螺旋風に回り込む狭い木の階段を昇ると、2階にライヴ・スペースが用意されている。部屋の入口部分から見て、左手側は梁と柱がつくりだした壁の窪みに、音楽と料理の本がずらりと並ぶ本棚が設えられ、家具調の柔らかい茶のアップライト・ピアノもまた、その窪みに身を落ち着けている。その奥に2本のチューバが並び、右手側の木の仕切り壁が弧を描いた先には、シンプルなドラム・セットがセッティングされている。ピアニストの背中をにらみつける位置。星座を思わせる不思議な配置。
 床は柔らかな木、壁は打ちっぱなしの上に白いモルタルを掛けているのか、わざと粗目の凹凸のある仕上げとなっている。天井はやや高め。響きは比較的ライヴだろうか。向かいの壁の大きな窓には厚めの硬い遮光カーテンが引かれ、右手奥の水平窓から切り取られた外の景色が覗いている。天井から吊り下げられた鳥のモビールが、その手前でゆらゆらと揺れている。
私は奥の壁際の、前から2列目の席に腰を下ろした。そこは先ほどの星座を見込む軸線上に位置しているように思われた。並んだ2本のチューバのうち、やや小ぶりの方が本日の企画者である高岡大祐の楽器に違いなく、しっかりとしたソファー・チェアはやや内振りに置かれていて、その席からは高岡と渋谷をほぼ中央に、そして外山と関島をその左右にとらえることができる。
 それにしても居心地の良い魅力的な空間だ。今回の企画のため、場所探しに精を出した高岡は自身のFacebookに次のように書き込んでいる。
  「打ち合わせがてらお茶しに来た最初の訪問で、あ、ここだ、と。店主高橋さんからひしひしと伝わる音楽好きの空気、海外の図書室のようなピアノのある二階の部屋。まだ音は出してないけど、ここだ、と。」
 
高岡大祐のFacebookより転載


 冒頭に奏でられたDuke Ellington「Dual Highway」に、いきなり胸をときめかされた。色褪せた写真から聴こえてくるようなピアノの古風な調べ。チューバ2本の柔らかなふくらみ。縦に区切らず、小節線などないかのように、どこまでもするすると優雅に横滑りしていくドラムス。チューバの響きの雲の中から、まず関島のソロが現れ、高岡がウォーキング・ベース風のバッキングを受け持つ。速いパッセージへと昂まっていった関島から、ソロのバトンが高岡に引き継がれると、ことさらになだらかにゆったりと引き伸ばされた息がグルーヴィに尾をうねらせる。コロニアル様式のアーリー・アメリカンな邸宅の空気。渋谷の柔らかいタッチと音色は、まさにこの眺めにふさわしい。
 だが、それにしても、外山のドラム・ワークの何と見事なことか。シンバルやスネアの上にセットしたカウベルの金属質の打撃が、ふっと「リズム」を離れ、誰もいない静まり返った部屋に甲高く響き渡るスチームの鳴りや自動織機の動作音といった「物音」へと憑依する。あるいはマーチング・ドラムの遠い響き。チューバ2本の生み出す豊かな倍音が回り込むのだろうか、壁際から湧いてきたり、天井から降ってきたりする響きと相まって、チャールズ・アイヴズの父ジョージが、2組のブラスバンドをそれぞれ街の反対側から向かい合わせに行進させ、異なる響きを現実の空間の中でミックスしてみせた‥‥というエピソードが頭を過る。シンバルの中央部分の硬く詰まった響きが、リズミックな「ノリ」へと自らを(そしてアンサンブルを)縛り上げることなく、むしろ砂粒のようにさらさらとほぐれ、花びらの如くはらはらと舞い落ちる。それでいて、チューバという「巻かれた長い管」の抵抗が引き起こす息の流れのよどみやもつれに、すっと寄り添い、手を携える。手を結び合うがゆえに、ふらふらと揺らぐ歩み。音素材を、音数を絞込みながら、豊かな滋味溢れるこの演奏を、シンコペーションやポリリズムだけで語ることはできまい。

撮影:益子博之


 以降、今回の4人の共通レパートリーである「エッセンシャル・エリントン」の曲目、カーラ・ブレイ「ローンズ」、大原裕「ディノ」、取り決め無しのインプロヴィゼーション等が奏されていく。響きが飽和気味になったり、ドラムのスキンが共振して鳴りまくったり、フレーズが危なっかしく階段を踏み外す場面も見られたが、柔らかく張り詰めた音色と、「アンサンブル」として隊列を組んで自分たちを窮屈に囲い込むことなく、空間をたっぷりとはらんで混じり合う仕方が本当に心地よい。がらんとした人気のない居間で女主人が手慰みに爪弾くピアノ、地下室で剥き出しの配管を軋ませるドラムス、街頭で葬列の尻を叩き、あるいは張り出しバルコニーの上でファンファーレを奏でるチューバが、庭先の芝生に寝転んでまどろむ耳へと風に運ばれてくる‥‥といった風情。まさに夢見心地。

 通常、チューバの生息場所であるアンサンブルやオーケストラは、群れあるいは組織にほかならず、邪魔臭い図体のデカさ、集団特有の内向きの鈍感さ、小回りの利かない慣性質量の大きさ、セクショナリズムのもたらす無責任さを不可避的に有している。総身に知恵の回りかねる恐竜的存在。では、フリーに解体されれば良いのかと言えば、もちろんそうではない。これは新聞で読んだのだが、最近は休日に家族でショッピングモールに出かけたとして、到着するなりバラバラに単独行動して、途中、LINEで連絡を取り合うだけなのだと言う。これではそもそも一緒にいる意味がない。
回りに合わせるのでも、指揮者に従うのでもなく、ひとりで素早くしなやかに動き回ること。今回の彼らの演奏では、2本のチューバが「ブラス・セクション」として、あるいはベース・パートを担うチューバとドラムスが「リズム・セクション」として、互いを拘束/結束する場面が出てこない。そうでありながら緊密に呼応/連動し、すっと向きを変える。肌を触れ合わせながら、異なる「現在」を見詰めている。
 ここで指揮者の任務から解き放たれた渋谷のピアノは、軽やかな自在さに満ちている。リズムを縁取って縦の線を揃えたり、ソロのラインを裏打ちしたりする必要は、もはやないのだから。

高岡大祐のFacebookより転載


 そうした中で、やはり圧倒されたのはラストの2曲。「Take the A Train」で急速調に歩みを速めながら「ブラス・セクション」として徒党を組むことなく、息の素肌をさらしながら鋭敏にステップを切るチューバ、湧き上がる響きの上で軽く泡立ちながらはじけるピアノ、そしてドラムの不断に組み替わるフラクタルなドライヴ。さんざん演奏され尽くし、手垢の付きまくった超有名曲が、たったいま皮を剥いたばかりの果物のように瑞々しく響き渡った。
 そしてラストは、高岡によって「僕が好きなニューオリンズの‥」と紹介されたRahsaan Roland Kirk「The Black and Crazy Blues」。高岡率いるトリオ「歌女」の演奏からも強く立ち上るプレ・モダンな匂いが、さらに濃密さを増し、立ちこめる。ロールをかましまくるドラムが、四角形、三角形、五角形、六角形‥‥とかたちを変えながら坂道を転がり落ち、ダークな音色で床を這っていた高岡のチューバがやおら立ち上がると、響きの粒子が光と風となって、あるいはぬるい雨となって、あたり一面、天井から降り注ぐ(あり得ない恩寵のように)。引き伸ばされたコーダの後、いつまでもいつまでも部屋の空気はふるふると柔らかく震えていて、天井から吊り下げられた鳥のモビールもまた、くるくると回り続けていた。

撮影:益子博之


2017年4月17日(月) 東池袋kakululu
渋谷毅(piano)、関島岳郎(tuba)、高岡大祐(tuba)、外山明(drums)



ライヴ/イヴェント・レヴュー | 22:58:07 | トラックバック(0) | コメント(0)

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