2018-05-30 Wed
本日5月30日発売のムック『別冊ele-king カマシ・ワシントン / UKジャズの逆襲』(Pヴァイン)に原稿を書かせていただいた。もちろん一発「カマシ」ているわけではなく、第2特集の「変容するニューヨーク、ジャズの自由」の方なのだけれど。こちらの特集の軸となっているのが、我らが「タダマス」、すなわち益子博之と多田雅範のNYダウンタウン・ミュージック・シーンを巡る対談で、それに人名事典や重要作品のディスク・レヴューが付くという体裁。私は人名事典の中の1項目として、アンソニー・ブラクストンについて書いている。
もちろん初リーダー作からですら半世紀に喃々とするだけでなく、驚くほど多方面にわたり、かつ多作であるブラクストンの活動を、3000字で詳細に語ることなどできるはずもない。彼の活動の「鵺的」と言うべき多面性を祖述した後、それを彼の驚くべき多楽器主義と合わせ鏡にし、反対にその広範な膨大さの中の欠如/不在として「声」と「即興的瞬間」を見出す‥‥という、いささかアクロバティックな論旨構成を採っている。
ここで彼が誌面に召喚された理由は、決して近作オペラ「トリリウム」への高評価のゆえではなく、彼の弟子筋とみなされ得るメアリー・ハルヴァーソンやタイション・ソーリーの活躍のためであろう。これに対し、本稿では、彼がずっと魅了され信奉している「サウンドの幾何学」に対し、いまNYダウンタウン・シーンの「タダマス」が(そして世界の耳の精鋭たちが)注視している側面から浮かび上がるのは「サウンドの地理学」にほかならないと結論付けている。字数制限のために原稿からは削除したが、ブラクストンのグループでのハルヴァーソンの演奏に、後の彼女の奔放な魅力を見出すことはできない。その片鱗すらも。確かに彼女が言うように、彼女が恩師ブラクストンから学んだことは数多いのだろう。だが、彼女を羽ばたかせたのはブラクストンの音楽原理ではない。



ひとつだけ補足を。先に触れた人名事典の見出し文句に「アンソニー・ブラクストンからウィリアム・パーカーまで」とあるが、彼らのことをあらかじめ知っている者が見たら、何と世代を限定した、しかもヴェテランに偏ったチョイスなのだろうかと誤解されかねない。実際、アンソニー・ブラクストン(1945年生まれ)とウィリアム・パーカー(1952年生まれ)の年齢差は7歳しかない。人名事典では、ロスコー・ミッチェル(1940年生まれ)、ヘンリー・スレッギル(1944年生まれ)と、さらに年長のミュージシャンが採りあげられる一方で、マタナ・ロバーツ(1975年生まれ)、メアリー・ハルヴァーソン(1980年生まれ)、トーマス・モーガン(1981年生まれ)等も対象とされており、また同様に、タイション・ソーリー(1980年生まれ)等についても言及されていることを明らかにしておきたい。


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