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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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『阿部薫と冬』に関する覚書  Memorandum on the Talking Session "Abe Kaoru and Winter"
 阿部薫と冬について、少しばかり書き付けておくことにしたい。
 発端は9月24日(月・祝)に上池袋anoxiaで開催されたtamaruの企画発案による『阿部薫の冬』なるトーク・イヴェントだった。もともと田口賢治がナビゲーター、加藤裕士が進行役を務める「種を撒く」の7回目にtamaruがゲストとして迎えられた形であり、下に掲げる案内文にもある通り、阿部薫は言わばとっかかりに過ぎなかったようなのだが、実際にはほぼ彼を巡るやりとりとなってしまった。それゆえ「阿部薫を知らなくてもOK」との誘いに応じて参加された方には、ことによるとずいぶん敷居の高い閉鎖的なやりとりになってしまったのではないだろうか。

【「種を撒く」vol.7 『阿部薫の冬』案内文】
夏が過ぎて。秋分、彼岸の頃合い。来たる冬の幻視、 昭和最後の冬の記憶、中谷宇吉郎『霜の花』、草野心平「ゆき」「 冬眠」、井上靖『夏草冬濤』、 阿部薫の音が空から極北を媒介してくる夜話。 その遠景的存在に各々の「冬」を重ねていく試み。

 これから阿部薫について、幾つか事実関係も含め書き留めていくこととなるが(特に1の部分)、それは決して「阿部薫について、常識/教養として、せめてこれぐらいは知っておいてほしい」というようなことではない。ただ、あの日以来、いつまでも頭の隅に引っかかり続けていることを吐き出すには、多少、前提の説明が必要であるというに過ぎない。そのつもりで読み進めて(読み飛ばして)いただければと思う。
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1.間章が阿部薫に投影する冬、寒さ、北あるいは極北
 『阿部薫 1949-1978 増補改訂版』(文遊社)の巻頭には、彼の経歴が次のように短く記されている。

1949年、川崎市に生まれる
17歳で高校を捨て、新宿で青春を生きた
アルトサックスの奏法と理論を、ほとんど独学で構築
19歳のとき、川崎のジャズ喫茶でデビューする
以来、つねに屹立する音と魂とで
日本フリー・ジャズ史に独自の光跡を刻んだ
1978年、精神の極北へと飛び去る。29歳

 この文章を見て、阿部薫がどのような演奏をしたかは到底わかるまい。しかし、彼が信奉者たちからどのように伝説化されている(た)かは明らかだろう。彼は夭折した天才として、自由にして孤独なアウトサイダーとして、一部で熱狂的に崇め奉られていた。ここで「極北」の語が用いられていることに注意したい。
 もう少し引用を続けよう。

 阿部薫の演奏地平は演奏における破壊意志と厳密な演奏意志の上に成り立っている。恐らく阿部は世界のあらゆるサックス演奏者の中で、真にテクニックと奏法を持つほんの数人の人間の内の最もラディカルな一人であることに間違いがない。エリック・ドルフィーとスティーヴ・レイシーの他に阿部に比すべきテクネーと奏法を作業化し獲得したものはいまだないとの感を私は強く持っている。即興演奏行為を通して、意識と無意識の、肉体と精神の底知れぬ闇と出会ってしまった、無産者の栄光に照らされるようにして阿部は演奏行為の極北に立ちながら彼はそしてさけがたく無性と直面している。

 これは阿部薫の初めてのソロ録音である『なしくずしの死』のリリースに際して、プロデュースした間章がしたためたライナーノーツからの抜粋である。彼の阿部に対する評価が適切であるかどうかは、今は問わずにおく。ここでも「極北」が登場し、阿部が「極北に立つ者」として名指されていることを見ておこう。
 なお、『なしくずしの死』とは、周知の通りルイ・フェルディナン・セリーヌの作品の題名であり、1975年10月18日に青山タワーホールで行われた阿部薫のソロ・コンサート(間章がプロデュースした)のタイトルでもある。本作品がその際のライヴ録音とその前々日の入間市民会館での録音で構成されていることを付記しておこう。言わば、ここでセリーヌもまた「極北」のシンボルとして召喚されているのだ。
 間章は阿部薫の死に際して次のように書いている。

 十年前、私と阿部はハイデッガーとセリーヌとブランショの三人を誰よりも気にしていた。とりわけルイ・フェルディナン・セリーヌはそうだった。だから彼のソロを録音した時にタイトルは「なしくずしの死」はどうだと私は彼に言い彼も喜んでそう決めた。そしてその頃やはり録音した吉沢元治とのデュオと阿部・小杉武久・吉沢の三人のピアノ連弾を収めたレコーディングは『北』(Nord)に決まったのだった。
【間章「〈なしくずしの死〉への後書 ——阿部薫の死に——」 『間章クロニクル』所収】

 それでは間章における「極北」とは何か。大里俊晴は次のように書いている。

 演奏家論では、例えば、リー・スティーヴンス(ブルー・チアー)というロック・ギタリスト、サビカスというフラメンコ・ギタリスト、チャーリー・クリスチャンというジャズ・ギタリストの名が、同一平面で語られたということが大きな特徴だろう。実際、間は、その文章に「極北」「北」という語が頻出するように、どのジャンルであれ、ある極点に達したと見なした者しか取り上げようとしなかったし、その限りに置いて、ジャンルの壁は全く無化されていた。現代音楽であれ(シュトックハウゼン、クセナキス等々)、ロックであれ(シド・バレット、ジミ・ヘンドリックス等々)、ジャンルを超えた「極北の行為者」としての音楽家たちを同一平面上に語る為の基盤、それが思想論の系だったのである。
【大里俊晴「AA 未明の思想家 ———間百合の霊に捧ぐ」 『間章クロニクル』所収】

 「極北」のこうした「間章的用法」については、土取利行がより端的に述べている。

 極北の音楽家。1978年12月12日、32歳で急逝した音楽評論家、間章は、いつしかギタリスト、デレク・ベイリーをこのように形容し、デレクに代表されるフリー・インプロヴィゼーションを、来たるべき音楽として「北」に位置させるようになっていた。
【土取利行「『ディスアポイントメント・ハテルマ』の季節」 『間章クロニクル』所収】

 さらに「北」と連なる「冬」や「寒さ」の間章的あり方については、彼の初期の執筆活動であるブリジット・フォンテーヌの作品のライナーノーツに、すでに刻印されていることを示しておこう。

 そして例えば様々な形で私達は自分が感動したり、かけがえがないと思ったりしている〈音楽〉について考える季節を持つだろう。或る一つの音楽を通してそれを〈深く受け入れた〉者達が本当は何をどのように共有しているのかは今いうと、とても寒いことには違いない。【間章「ジャズと季節についてのメモ」 ブリジット・フォンテーヌ『ラジオのように』ライナーノーツ】
 ブリジットが「世界は寒い」と言った時私は彼女と出会い、彼女の悪意あるやさしさに出会った。【間章「残酷な感性」 ブリジット・フォンテーヌ『ブリジットⅢ』ライナーノーツ】
 永遠のようにやさしく一人で在り続けることに寒くふるえながら僕は亡び、終りつづけ静けさの中からなつかしさの中へ沈んでいった……。在ることは寒く、思い出すことはさらに寒く……言葉は僕の静けさの回りをゆっくりとめぐるだけで……。(中略)
 男が話しかける。雨はまだ降っていますか。ええ降っていますまだ、そして季節はいままでもそしてこれからもずっと冬ですよ。(中略)歌が聞えてくる遠く遠く……言葉たち……世界は寒い……世界は寒い……世界は……寒い、そう世界は寒く僕も寒い。(中略)
 そして僕はフォンテーヌと出会った。僕が僕の心の北へさらに北へと旅立ったのはその翌日だった。パリ−マコン−マルセイユ−サンセバスチャン−マドリッド−コルドヴァ−バルセロナ−バレンシア−グラナダ−アンダルシア−セヴイラ−マラガ−アルジェシラス−タンジール−カサブランカ−マラケシ−アルジェ−チュニス−リスボン−ナザレ……僕は移動し続けた。それは僕の北への旅だった。最後の一冊の本『精神現象学』をカサブランカで捨てる。ハシシュもマリファナもただ僕をさらに寒くさせるだけだった。
【間章「さらに冬へ旅立つ為に」 『アレスキーとブリジット・フォンテーヌ』ライナーノーツ】

 延々と続く地名の羅列を省略せずに書き写したのは、それが地理的な北への旅ではおよそないことを示すためである。間章にあって「北」とは磁針の示す方位や地理上の高緯度地帯を示すものではなく、「寒さ」も気温の低さや冷感を示すものではなく、「冬」もまた太陽高度の低い一時期(我が国では12月から2月か)を示すものではない。いずれも極端に観念的な範列に基づいて用いられている。
 阿部薫における冬、寒さ、北あるいは極北はこうした間章の刻印を逃れ難く帯びている。もし阿部薫を通じてそれらの語や概念について語ろうとするならば、こうした間章の「磁場」の中でゲームを始めざるを得まい。それが嫌ならば、そこから抜け出す方法を編み出さなければならないが、中谷宇吉郎の顕微鏡的な観察眼とそれがもたらす静謐な詩情だけでは難しかったと言わねばなるまい。もちろん、例えば日本の雪国の、冷たく湿った雪に閉ざされた冬の生活のどうしようもないリアリティから、間章の観念性を批判することは可能だろう。だが、これは当日も指摘したことだが、彼は新潟県新潟市に生まれ、大学入学で上京するまで、ずっと新潟で暮らしている。彼は雪国の冬のリアルを知りながら、なお、冬、寒さ、北あるいは極北をあのように語っているのだ。


2.コンラッド・エイケン/tamaruによる「冬」の相対化/対象化
 イベントの最後になって、tamaruがコンラッド・エイケンの短編小説「ひそかな雪、ひめやかな雪(Silent Snow, Secret Snow)」について語り始めた。雪の幻想に取り憑かれた繊細鋭敏にして孤独な少年の物語。甘美な幸福のうちに閉ざされていく世界。tamaruは確か、「種子が芽吹くのではなく、種子の内部へと還っていく季節」としての冬……というようなことを言っていたように記憶している。

 作品を探してテクストに当たってみた。最後の場面で雪が少年に語りかける。「横になって、さあ目をつむりたまえ——もう見えるものなどないのだから——この白い闇の中で、目の見える者などいはしまい。」……凍死による甘い眠りへの誘いとも思える雪の言葉を、突然の闖入者が遮り、彼を揺さぶり立てる。少年の口から飛び出す邪魔物を追っ払う言葉。「ママ! ママ! 向こうへ行って! ママなんか大きらいだ!」……ささやきかける声が再び近づいてくる。
 「眼をとじたまえ——とても小さい話なのだ——だんだん小さくなってゆく話なのだ——花のように外に向かって開くのではなくて、内に向かってはいりこんでゆくのだ——花が種になるのだよ——小さな冷たい種に——聞こえるかね? もっと君によりかかっていくよ——」【コンラッド・エイケン「音もなく降る雪、秘密の雪」野崎孝訳 『教えたくなる名短篇』(ちくま文庫)所収】

 寒さに閉ざされた冬の、北の、極北の潔癖さ、無菌状態のイメージは、夏や南の放つ腐敗/変容の臭いの対極にあるだろう。腐ることなく、永遠に保たれる形(氷河に埋もれたマンモスのように)。それゆえ死は永遠に通ずる。死骸が腐敗し、獣や蟲に食われ、やがて蜜となって土壌に染み込むことはない。
 私は間章的な極北志向に、人間を超えた彼方に魅せられ、憧憬し続けるアンチ・ヒューマンなウルトラ・ロマンティシズムを見ていた。それはやはり永遠不変への憧れにほかなるまい。一方、エイケンは(あるいは彼の作品を引用するtamaruは)、そうした永遠不変に強く魅せられつつも、それを氷に閉ざされた永遠の眠りを種子への退行ととらえ、無限に降り続く雪をちっぽけなスノウ・ドームに閉ざされた反復として思い浮かべさせる。これは間章の張り巡らす強力な「磁場」に対する見事な相対化/対象化であり、呪力封じではないだろうか。それは私にとって、静かな、だが驚きに満ちた、新たな視点をもたらす指摘だった。


3.即興演奏における阿部薫の「問題」 
 「新たな視点」とは何かを述べるためには、ここで私の阿部薫との出会いについて書いておかねばならない。

 私も彼の伝説に引き寄せられて、彼の音を追い求めた。もうすでに80年代になっていて、『なしくずしの死』は廃盤で入手できず、『北』と『オーヴァーハング・パーティ』を聴いた。だが、私が伝説の向こうに透かし見ていたものは、そこにはなかった。その後、『なしくずしの死』が再プレスされ、ようやく耳にすることができたが、むせかえるほど充満した濃密な死の匂いには惹かれたものの、やはり私の求めるものは、そこにはないように思われた。

 それでもずっと気にかけていたのは確かだろう。P.S.F Recordsから、まだ聴いたことのない1972年のライヴ演奏のプライヴェート録音が『またの日の夢物語』として1994年にリリースされると、すぐに買い求め、噴出する音響の瑞々しさに驚かされることになる。しばらくしてやはりP.S.Fからリリースされた、同じく1972年の、前掲作のほぼ3か月後のライヴ演奏を収めた『光輝く忍耐』もまた素晴らしかった。何よりも垂直に立ち上がる速度に魅せられた。ここで速度は、力みや抵抗、鈍い重さを削ぎ落とすことを通じて、音響の純粋さと同義語だった。フレーズや音列のヴァリエーションが自己を展開すべきストーリー・テリングや構造のアレンジメントは、前述の垂直な速度と音響の純粋さに蹴散らかされていた。
 その後、『なしくずしの死』を聴き返して、1972年の阿部の断片があちこちに埋もれているのに気づかされた。あの垂直の速度が一瞬噴出するが、もはやその強度に耐えきれなくなった意識/身体がすぐに態勢を崩してしまい、音響は屹立するに至らず、倒れ横たわりながら音の身体を弓なりに反らせるのが精一杯だ。この突然の噴出が、完遂することなく絡めとられ、沼地へと沈められることの反復が、演奏中に立ちこめる死の匂いを、一層濃密なものとしているのは確かだった。それは決して甘美な眠りへと引き込まれていくような安らかなものではなく、神経が火花を散らし、筋肉が激しく収縮して、痙攣を繰り返しながら、その都度、壊死していくような凄まじさをたたえていた。

 阿部薫には有名な詩(のようなもの)がある。冒頭に引いた『阿部薫 1949-1978 増補改訂版』でも、経歴の次のページに掲げられている。同書所収の長尾達夫「風のような男」によれば、1978年6月に行われる中村達也とのデュオ・コンサートに向けた打合せの際に、パンフレットに載せる文章を自分が書くと言って、手近にあった告知チラシを1枚引きちぎり、その裏面にしたためられたものである。

ぼくは誰よりも速くなりたい
寒さよりも、一人よりも、地球、アンドロメダよりも
どこにいる、どこにいる
罪は

 詩作品としての評価はさて措くとして、この文章は演奏に向かう彼自身の意識の在りようを鮮やかに示している。ここで「速さ」は、実存の虚無(寒さ)も、孤独(一人)も、重力(地球)も、果てしない遠さ(アンドロメダ)も超えるものとしてある。それは無論、運指やフレージングの速度などではなく、放たれる音と演奏する身体/意識の関係においてとらえられるべきものにほかならない。脳内に噴出するイメージが瞬時に手指へと伝達され、音となって管から迸り出る過程を、彼は常に「のろい」と感じていた。その瞬間、垂直に立ち上がり、管を極限まで鳴らし切る、しなやかに卓越した技量に至りながらもなお。思い浮かんだ瞬間にはもうすでにその音が出ているという理想状態すら、彼には満足のいくものではなかった。放たれ、出てしまった音が、演奏する意識をすら追い越し、彼方へとさらにとめどもなく加速していく時、音は、母親の手を放してしまった幼子と同じ不安に襲われ、思わず背後を振り返り、あたりをキョロキョロと見回すことになる。罪を負い、この場、この瞬間に、プロメテウスの如く固く縛り付けられた意識/身体はどこにいるのかと。

 もちろん、こうした解釈は何か確たる根拠を持つわけではなく、所詮は恣意的なものであり、私の個人的な印象に過ぎない。しかし、1972年の阿部の演奏を聴いた後では、そのように読むことしかあり得なかった。幸運にも、あるいは偶然にも、すなわち天賦の才の成せる業であっても、あるいは天文学的な確率の偶然に恵まれた結果であるにしても(それは同じコインの裏表にほかなるまい)、あのように瞬時に管を鳴らし切る境地に達してしまったが故に、1972年の阿部は、そこにある眼に見えない壁に、どうしても乗り越えられない一線に、気づかざるを得なかった(否応無く気づかされた)のだ。
 通常の場合、即興演奏における「問題」は、新たな演奏の展開に向けて照準され、それゆえそこに至る回路として、楽器の表現領域の拡張、新たな音響の獲得が目指される。通常とは異なる楽器の部位を用いたり、様々な音具を使用したり、利用可能な音域や音色のパレットを拡張したりという特殊奏法は、「エクステンデッド・テクニック」と呼び慣わされるように楽器の能力の、表現の領土の、拡大・伸張にほかならない。とすれば、当然のことながら、「エクステンデッド・テクニックを用いれば、それが即興演奏として成立する」というのは、転倒・倒錯した問題理解に過ぎないことになる。多くの自称「即興演奏者」たちがこうした転倒・倒錯と、自堕落に戯れている。
 阿部薫はそうした児戯に耽溺する暇もなく駆け抜け、ただ一人、あまりにも真正直に前述の問題に突き当たっている。
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4.阿部薫がデリダから「受信」したもの
 なので、中上健次が次のように書き残しているのを知った時は、「やはり」と思わずにはいられなかった。

 今、手元に阿部薫が読んでいたジャック・デリダ『声と現象』という本がある。こんなところに線がひかれてある。
《ところで、われわれは一方において、イデア性をも、またあらゆる形式のもとにおける生ける現前をも最もよく維持するように思われる記号作用の活動領域 ——すなわち表現の資料—— は、声としての気息の精神性であること、また他方において、イデア性という形式における現前性の形而上学である現象学は、同時に一種の〈生の哲学〉でもあるということ、この二点をよく考えてみなければならない》
 線をひいたのは阿部薫なのか誰なのか分からない。ただ阿部薫がジャック・デリダをその当時読んでいた事は確かだ。そう考えると、かつての熱狂の夢が分析しがたい謎をまた一つ含み、私の前に立ちふさがる。
【中上健次「金属神に仕える現代のシャーマン」 『阿部薫 1949-1978 増補改訂版』所収】

 フッサール現象学の批判的精読であり、以降、脱構築のツールと鳴る様々な用語を/概念を生み出した『声と現象』は、デリダの著作の中で最初に邦訳されており、1970年に高橋允昭訳により理想社から出版されているから、阿部が手に取ることは充分可能だったろう。ここで中上は該当箇所が『声と現象』のどこに位置しているか詳らかにしていないが、確かめると同書21ページの「序言」の一部であり、例の「自分が話すのを聞く」ことを論じた第六章「沈黙を守る声」を予告する箇所である。それでは第六章の記述から該当する箇所を適宜引用してみるとしよう。

 対象のイデア性とは、対象の、非経験的意識に〈対する−存在〉であるから、それが表現される場は、その現象性が世界性という形式をもたないような場にほかならない。声とは、そのような場の名称である。声は自分自身を聞く。音声的記号(ソシュールの意味での《聴覚映像》、現象学的声)は、この記号の現前の絶対的近さにおいてこの記号を発する主観によって《聞かれ》る。主観は、自己の外を経る必要もなしに、自己の表現活動によって直接に触発される。私の言(パロール)は、私のもとを離れないように思われるがゆえに《生き生きして》いる。すなわちそれは、私の外へ、私の気息の外へ、可視的な隔りのなかへ、転落しないように思われ、私に所属することをやめず、《余計な付属物をもたないから》私の意のままになることをやめないように思われる。ともかく、このようにして声の現象が、現象学的声が与えられるのである。【同書p.143〜144】
 話し手が自分を聞くということ、話し手が諸現象の感性的形式を知覚すると同時に自分自身の表現志向を理解するということが、言(パロール)の構造そのもののうちに含まれているのである。もしもなんらかの偶発事が起こり、それがこの目的論的必然性に反するように思われるときには、その偶発事はなんらかの補欠作業によって乗り越えられるか、さもなければ言(パロール)が存在しないか、そのいずれかということになるであろう。【同書p.148】
 〈自分が話すのを聞く〉という作業は、純粋な自己−触発であるから、そのかぎりにおいて、自分自身の身体の内面的表面さえをも還元するように思われる。すなわちそれは、その現象の内部において、あの〈内面性における外面性〉を、つまりわれわれ自身の身体についてのわれわれの経験ないし心像が提示される場である、あの内面的空間を、なしですますことができそうに思われる。そういうわけで、〈自分が話すのを聞く〉というこの作業は、間隙一般の絶対的還元にほかならないような〈自己への近さ〉において、絶対的に純粋な自己−触発として体験されるのである。[中略]それというのも声は、それが純粋な自己−触発として世界のなかに生じるという、まさにそのかぎりにおいて、世界への発出にあたっていかなる障害にも出くわさないからである。【同書p.149〜150】
※上記引用において下線としたのは原文では傍点、( )としたのは原文ではルビ。

 さて、このように声に、自分が話すことを聞くことに、フッサール現象学の根拠というべき絶対的近接、直接的現前を見出しながら、デリダはそれを脱構築しにかかる。

 フッサールは差異を能記の外面性のうちに押しやりはしたものの、意味と現前の根源において差異が働いていることを、認めないではいられなかったわけである。声の作業としての自己−触発は、ある純粋な差異が〈自己への現前〉を分裂させに来ることを予想していたのである。このような純粋な差異のうちにこそ、空間、外面、世界、身体、等々といった、自己−触発から排除しうると考えられているすべてのものの可能性が、根を張っている。自己−触発が〈自己への現前〉の条件であることを認めるやいなや、いかなる純粋な超越論的還元も可能でなくなる。【同書p.155】

 いま引用した箇所は、有名な「差延」概念を導入する直前のくだりであり、デリダの脱構築の核心部分である。ここで議論はフッサールの議論の細部を精読することにより、彼が見出しているにもかかわらず明らかにせずに終わった事柄を、彼に代わって見出し、明らかにするものとなっている。脱構築とは決して決定不能性を導きだすためだけの作業ではない。
 いずれにしてもここで、デリダは声の、自分が話すことを聞くことの、絶対的近接、直接的現前が、空間、外面、世界、身体等々を逃れ難くはらんでしまうことを明らかにしている。声の絶対的に純粋な透明性が、自分が話すことを聞くことの逃げ道も隠れどころもない閉回路が、不純な混入物により汚染され混濁しており、閉域に穴や抜け道が生じていることを。
 阿部が1972年以降突き当たっていた、眼に見えない壁、どうしても乗り越えられない一線が、決して完璧ではなく、どこかに綻びや亀裂を持っていることを、本書を読んで彼は直感的に理解したのではないか。自らの「問題」に一筋の光明を見出したのではないか。私にはそう思えてならない。

 仮に私の推測が当たっていたとしても、阿部のデリダ解釈を「誤読」と指摘することはたやすい。デリダが論じているのは、フッサールが『論理学研究』の第一篇「表現と意味」で論じ、晩年の『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』や『幾何学の起源』に至るまで前提として保持された記号と表現と指標の問題であり、たとえ「気息」という点において通底しているといえども、「声」とアルト・サクソフォンの音を同列に扱うわけにはいかないと。
 無論、それは正しい。「デリダを読む阿部」について記した中上も、そんなつもりがあって記したのではないだろう。中上が生前の阿部と出会えなかったことを惜しむ向きもあるが、アルバート・アイラーの闘いに「破壊者」の姿しか見ず、アイラーの死後はボブ・マーリーと矢沢永吉ばっかり聴いていたという中上の耳に、1972年の阿部の音は、彼の「問題」の切実さは届かなかったに違いない。しかし、ここで私は「誤配」の結果として阿部が「受信」したものに、いやそれを通して照らし出される阿部の「問題」にあくまでも注目したい。そしてその「壁」の前にひとり立つところまで歩みを進めた阿部の輝かしき達成に。この点において、私にとって阿部薫は、ミッシェル・ドネダ(Michel Doneda)を別にすれば、依然として最も重要なサックス演奏者であり続けていることを告白しよう。ペーター・ブレッツマン(Peter Brotzmann)はもちろん、エヴァン・パーカー(Evan Parker)よりも。


5.「冬」の相対化がもたらしたこと
 1972年以降、阿部は彼の「問題」と闘い続けたが、ついにそれを解くことはできなかった。薬物やアルコール、不摂生で自堕落な生活と信奉者たちの盲目的な賞賛が、彼の意識/身体を奥深くまで蝕み、彼は次第に登り詰めた頂からずり落ちていった。それは見果てぬ「彼方」への、すなわち「超越」に向けた不可能な跳躍だったからだ……ずっと私はそう思っていた。カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ描く「海辺の僧侶」の、北の海の見通せない彼方を凝視し続けるウルトラ・ロマンティックな眼差しを、間章と共有していたからだと。それゆえ重力に縛り付けられる肉体を蔑視/毀損し、精神の離脱に向け当ての無い彷徨を繰り返しては、眼の前に立ちはだかる巨大な敵に戦いを挑むドン・キホーテの如く長鎗を構えたまま、薬物やアルコール、束の間の悦楽に耽溺し、出鱈目な妄想を振り撒きながら自滅していくのだと。それが「極北」への憧れの末路である……と。

 しかし今回、tamaruがコンラッド・エイケンを参照しつつ、阿部薫に即して「冬」の相対化/対象化を行ってみせたことにより、阿部の軌跡を「極北」へとまっしぐらに向かう闇雲な疾走/跳躍としてではなく、それに惹かれつつも、その閉域に囚われてしまうことを怖れた「逃走」としてとらえる視点に気づかされた。

 ここで先に明らかにしておかねばならないが、エイケンの短篇小説「ひそかな雪、ひめやかな雪(Silent Snow, Secret Snow)」を、「種子が芽吹くのではなく、種子の内部へと還っていく季節としての冬」を中心に読み解くのは決して一般的ではない。
 先に挙げた『教えたくなる名短篇』(ちくま文庫)の巻末には、編者を務めた北村薫と宮部みゆきによる対談形式の解説が収められているのだが、そこで北村は「この甘美な世界というのは何か、文芸を愛する者の心に響きますし、[中略]芸術の世界のようなものに捕まえられてしまうというふうな」と語り、一方、宮部は「これは大好きな作品ですね。[中略]清冽な美という点で冴えてる[中略]やっぱり心が柔らかくて繊細な年頃のときに、たまさかこういう雪の声を聴いてしまうんでしょうねえ」と述べて、少年が呑み込まれていくのが絶対的な孤独であることを認めながら、その甘美さに対する文芸愛好者としての憧れを隠そうとしない。彼らの眼差しは、「毎朝配達に来る牛乳屋の音が届かないことから、積もった雪の白さを思い浮かべて少年は喜びに浸るが、窓に眼を向けると雪など降っていない、にもかかわらず、ずっと雪が降っている感じが、その後もつきまとった……」と「響きの喪失が生み出した幻想」からこの作品を語り始めたtamaruと大きく異なっている。それは文字言語という、明らかに事後に外部からインストールされた記号を用いるがゆえに、それを外部との回路として、幻想を育むため内部へと沈潜/自閉し得る文学者と、記号とはなり得ない不定形の音/響きを扱うがゆえに、「いま・ここ」に眼を見開き、自らの発した音とその周囲に広がる環境音を凝視せざるを得ない、すなわち自らを外部へと開き続けなければならない音楽演奏者の違いなのだろうか。

 ともあれ、こうした相対化の視点を導入することにより、阿部の達成を、信奉者たちが崇め奉る「極北の殉教者」像からはっきりと切り離してとらえることができる。すると、孤独/孤高とばかり見えていた阿部の営為の周囲に、次第に他のサクソフォン演奏者たちが像を結び始める。
 たとえば、現在、サクソフォンのエクステンデッド・テクニックにおいて世界最先端に位置するジョン・ブッチャー(John Butcher)が、デュオの相手の出した音ではなく、まったく偶然の階段の軋みにすら反応してしまうほど全身の聴覚センサー感度を高め、あるいは不安定なフィードバック回路を採り入れることによって、演奏する自身の意識や身体、意図による運動/操作を希薄化していくやり方。さらには、ロル・コックスヒル(Lol Coxhill)やフローロス・フローリディス(Floros Floridis)が、路上でのバスキングの自由闊達抜さすら取り込んで、トラディショナルや既成の決まり文句を自在に渡り歩きながら、その淡く夢見るようなとりとめのなさによって、移ろい続ける筆先から自己をとめどなく溶解/流出させていく仕方。

 いずれにしても、滅びを必然とし、いやむしろ自ら自滅を希求し、追い求め続けたかに見える阿部の「宿命」を、「極北」に向け方向付けられた磁場から切り離し、むしろそれとは真逆の「自閉からの逃走」ととらえ直すことにより、彼の残した音はまったく新たなパースペクティヴの下に立ち現れてくることになる。『阿部薫の冬』は、改めて阿部を聴き直さねばならない、いや、新たな耳でまた聴くことができるのだと、そこに広がる可能性に気づかせてくれる、私にとってかけがえのない一夜となった。tamaruをはじめ、主催者及び参加者各位に感謝したい。どうもありがとうございました。
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2018年9月24(月)
上池袋anoxia
anoxia lounge種を蒔くvol.7「阿部薫の冬」
ゲスト:tamaru
ナビゲーター:田口賢治
進行:加藤裕士

2018年11月7日修正
 anoxiaでのイヴェント名『阿部薫の冬』を『阿部薫と冬』と誤記していた箇所を訂正しました。
 ただし、本文はあくまで『阿部薫と冬』に関する覚書であり、論旨に変わりはないため、
 他の部分については修正しません。






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ライヴ/イヴェント・レヴュー | 17:24:40 | トラックバック(0) | コメント(0)

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