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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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「線より」届いた壜の中の21年前の手紙 Evan Parker Electroacoustic Quartet『Concert in Iwaki』ディスク・レヴュー  21-Year-Old Message in a Bottle "From Line" Disk review of van Parker Electroacoustic Quartet "Concert in Iwaki"
EPEAQいわき冒頭掲載 JohnButcherNigemizu冒頭掲載
 Evan Parker Electroacoustic Quartet        John Butcher「Nigemizu」

 寺内久のUchimizu Recordsから待望の2作目Evan Parker Electroacoustic Quartet「Concert in Iwaki」が届いた。記念すべき第1作は2013年来日時のJohn Butcher 『Nigemizu』であり、大阪島之内教会と深谷エッグファームの素晴らしいアコースティックを得て創造の翼を存分にはためかせた彼のソロ演奏を、高岡大祐の鋭敏な耳によるワンポイント録音が、これ以上望めないほどの的確さでとらえた2015年作品のベスト・オヴ・ベストである(※)。そして2作目は、2000年10月に福島県いわき市で行われたEvan Parker Electroacoustic Quartet(EPEAQ)のライヴ録音である。以下に述べるように、これもまた素晴らしい。それだけでなく、私にとって個人的に大事な作品となった。

※参考にリリース時に本ブログに執筆したレヴューを再掲しておく。

John Butcher / Nigemizu
Uchimizu Uchimizu01
John Butcher(tenor saxophone,soprano saxophone)
試聴:http://www.ftarri.com/cdshop/goods/uchimizu/uchimizu-01.html
 冒頭、リードの手前で音にならずにもやつく吐息のたゆたいが、眼に見えるように浮かび上がる。ブレスの際に漏れる息遣いに全身の、生身の緊張が映し出され、聴き手の身体に伝染する。音の消え際にふっと気配のようにその場のアコースティックが浮かび、いま自分が演奏者とひと連なりの空間に座して、同じ空気を呼吸しているかの幻想に一瞬とらわれる。質の高いレンズで撮影した写真のように、対象の輪郭が空間に溶ける部分のボケ味が、丸みのある立体の、複雑に折り畳まれた響きの襞の確かな手触りを伝える。引き伸ばされた持続の中で、「一音」をかたちづくる各層がふっと芽吹き、すっと枝を伸ばす。重音奏法とか、重層化されたポリフォニーというのは、ずいぶん解像度の低いとらえ方だったことに今更のように気づかされる。いや「解像度」と言ってしまうと、単に録音機材のスペックの問題であるかのような誤解を与えかねない。これは空間と響きをいかに見極めるかという視点の設定の問題である。録音を担当したのは「tuba吹き」高岡大祐。これは単に音楽家だから、管楽器奏者だから可能になった録音ではない。ふだんから音を放つことで空間を探査/聴診する演奏を続けている「音の釣り師」だからこそできる業だろう。John Butcherの演奏を初めて聴いたかのような衝撃を受ける(今までCDであるいはライヴで、聴いたつもりになっていたのは一体何だったのか)。今年のベストワン候補が早くも登場してしまった。


1.EPEAQの位置づけ
 実は、この編成によるEPEAQは、もともと来日ツアー用の臨時編成だったため活動が短期間に限定され、これまでライヴもスタジオも録音が一切リリースされてこなかった。メンバーであるLawrence Casserleyが自身のウェブページ(*1)で、よい演奏もあったのに残念だと、録音のリリースがないことを嘆いていたほどだ。その点でも貴重な録音である。
 しかし、その価値は、単に「レアな編成による演奏記録」というだけに留まらない。この時点でParkerの演奏活動のカギとなっていたEvan Parker Electro-Acoustic Ensemble(EPEAE)と、その縮小版であり、いわばオーケストラに対する室内楽版と位置づけられ得る(実際、前述のCasserleyのウェブページではそのように説明されている)EPEAQ の演奏原理の違いを確認できるからである。
*1 http://www.lcasserley.co.uk/EP-EAQ.html

 本作品の内容に踏み込む前に、その辺を少々説明しておきたい。EPEAEは、Parkerが Walter Pratiとの共作『Hall of Mirrors』(1990年)で試みた自身の演奏に対するライヴ・プロセッシングの導入を、Barry Guy, Paul Lyttonを含むEvan Parker Trio全体へと対象を拡大したものととらえられる。第1作『Toward the Margin』(1997年)では、トリオのメンバーに1対1でライヴ・プロセッシング担当者が付けられていた(実際には、Barry Guyのプロセッシングを担当するPhilipp Wachsmannが自らヴァイオリンやヴィオラも演奏しているので、話はそう単純ではないが)。
 この原理がそのまま適用されるとすれば、EPEAQはParkerとLyttonのデュオにそれぞれライヴ・プロセッシング担当者が付いたものととらえられる。しかし、実際にはそうではない。本作に収められた演奏を聴いても、また、当公演の1週間前の9月29日に横浜で行われた来日初公演の記憶をたどっても、Joel RyanとCasserleyの2人はプロセッシングのみならず「楽器演奏者」としても演奏に参加していた。EPEAQとEPEAEを本質的に分かつ違いは、この二重性の有無なのである。
 『Toward the Margin』を聴けば、Evan Parker Trioの演奏がEPEAEになっても基本的には変わっていないことがわかるだろう。Parkerの参加するもうひとつの代表的トリオであるAlex von Schlippenbach Trioに比べジャズ色が薄く、現代音楽色が強いこと、テナー・サックス演奏の占める割合が低いこと、GuyもLyttonも以前から演奏にエレクトロニクスを用いており、演奏環境の変化にすばやく対応できたこと等が理由として挙げられるだろう。彼らは巧みに間合いを取り、ライヴ・プロセッシングが余韻を長く揺らめかせたり、サウンドを泡立つように一瞬で増殖させたりできるスペースを確保している。


2.tr.2「ni」
 このことからすれば、あえて二重化を図らずとも、EPEAQはParker / Lyttonデュオのライヴ・プロセッシング版で差し支えないはずだ。本作のtr.2を聴いてみよう。拍子木と小型のシンバルが間を空けて打ち鳴らされ、鋭く張り詰めた響きに引き締められた空間に、ソプラノ・サックスがやはり切れ切れに砕かれたパーカッシヴなサウンドで加わる。その時にはすでに打楽器の音響の落とす影が不思議に息づいて、うねりくねり、ふと鎌首をもたげる。厚みを増した音響にサックスが加速して切り込むと、その周囲をおぼろに包むかげが、広がり波打って、話し声の空耳にも似た不定形の軌跡を描く。しばらく演奏はParker / Lyttonデュオによる、剣豪が高速で切り結ぶような極端に加速された応答と、二人の回りにオーラの如く広がる光彩の、マルチ・プロジェクションによる複雑極まりない「影絵」を思わせる交錯により展開される。10分を過ぎた辺りから「臨界点を超えた」とでも言うかのように、光彩の爆発的な増殖はちらつくような明滅や遷移だけでなく、ぞっとするような深い奥行きや崇高さを産み出して、「本体」を出し抜き自分の意志で振る舞い始める。
 しかし、そうであっても、それはCasserleyやRyanがParker / Lyttonと同一平面に立ってソロを取るというのとは、いささか事態が異なっている。あくまでリアルタイムのプロセッシングとサンプリングしたサウンドの加工・編集にこだわる彼らの演奏は、フリー・インプロヴィゼーションのドライでクールな側面、「向かい合う身体同士の直接的な相互作用からの離陸」をこそ目指す。それはすなわち、身体動作の反射的な応答を遠ざけ、激情の放射に自閉せず、音響をマテリアルな強度でとらえ構築する「聴くことの優先」にほかならない。
 音響を至近距離でぶつけ合わせながら、操作者(オペレーター)としての冷静な距離を失わず、時には生身の身体にはあり得ない残酷さで加速し、増殖し、充満し、切断する。このアドヴァンテージを決して手放さないことが、名だたる即興演奏の名手であるParker / Lyttonと彼らが対等に振る舞うことを可能にしている。


3.tr.1「ichi」
 と言って、二人は常に分担してParker / Lyttonに付いているわけではない。tr.1を聴けば、一陣の息音からしめやかに立ち上がるソプラノ・サックスを二人が痛いほどに凝視し、互いに異なる側面に手を伸ばして、うねりまくる音響の被膜を切開して中身を取り出そうとしている様が看て取れるだろう。やがて足元から黒々とした電子音の潮が満ちてきて、いつの間にか頭上に木霊し、巨大なシルエットを壁面に投げかける。これらの音響操作により、演奏空間はもはや等身大とはかけ離れた巨大なスケールへと変貌を遂げ、小指を動かすだけで嵐が吹き荒れる不穏さを帯びている。そうした気象現象が展開する傍らで、バネや小石がか細く打ち鳴らされると、そびえ立っていたメガロマニアックな音響は四方八方蜘蛛の子を散らすように消え失せ、改めてLyttonの打音に憑依すべく地の底から回帰してくる。以降は専ら彼が餌食となるだろう。プロセッシングにより、加速や先鋭化のみならず、減速や不鮮明化までもが施され、またしても人が話しているような空耳が横切る。
 やがて、小鼓を思わせる破裂音でソプラノ・サックスが戻り、銅鑼の連打に伴われてゆったりとしたコーダをかたちづくり、テープの長期保存により生じる「ゴースト」にも似たおぼろな幻像が、終わりを見届けるように立ち尽くす。


4.tr.3「san」
 能管と「おりん(お鈴)」によるしめやかな、直ちに雅楽を連想させる導入部から一気に引き込まれる。もちろん模倣やパロディではなく、抑揚の見事さをはじめParker / Lyttonの音になっているのだが、ソプラノ・サックスにおいて極めて珍しい音色選択が為されている。ライヴ・プロセッシングとの共同作業を経験して、自らのサウンドを「素材」として異なる視点から見詰め直すことにより、改めて発見/獲得したものなのだろうか。そうした束の間の舞台設定を離れてからも、しばらくはParker / Lytton中心の展開が続き、エレクトロニクスはせいぜい彼らの放つ音に陰影や隈取りを施し、ストリングスのように背後にたなびくに留まるが、Parkerがノンブレス・マルチフォニックスで天高く昇り詰めた直後から、一挙に音の欠片を中華鍋に入れて激しく炒めかき混ぜるようなサウンドの「万人の万人に対する闘争」状態に突入する。互いが互いを切り刻み、ごく短い断片しか存在を許されないこの場を薙ぎ払ってみせるのは電子音の方である。一瞬開けたスペースに、すぐさまParkerが滑り込み、すぐにプロセッシングの網にかかって、合わせ鏡的な増殖を遂げる。以降の演奏をリードしていくのは、むしろエレクトロニクス/プロセッシングの側だ。前半の控えめな対応が嘘のように、サウンドを自在に転写/投影し、ギラギラした電子音を放ち続ける。だが、それでもやはり冷ややかな距離の眼差しを失うことはない。


5.苦い記憶
 本CDに収められた3つのトラックを、それぞれかなり詳しく記述したのは、私自身の中の「苦い記憶」に拮抗しつつ、眼の前の作品を見詰めるために必要な作業だったことを、ここで告白しよう。ここで「苦い記憶」とは、本作に収録された公演の1週間前の9月29日、神奈川県民ホール小ホールで行われたEPEAQの来日初ライヴを期待で胸を張り裂けんばかりにして聴き、深く落胆・失望したことを指す。冒頭に「個人的に大事な作品となった」と記したのは、このことゆえである。
 これまで確認・検証してきたように、本作に収められている福島県いわき市の公演は実に素晴らしい。1週間前の横浜公演の記憶は何だったのかと思うほど、全く別物になっている。記憶の中の彼らの、どこか不安気で、自分たちの演奏を、空間を、時間を統御できずに手をこまねいている無力な姿はここにはない。
 関内ホールのステージ上の4人の演奏者は、ただ、それぞれに音を放っているだけだった。本作に聴かれるような広がりと自在な結びつきにより、1が2にも3にもなり、4が大きな1にもなる高い流動性は、そこにはなかった。それは決してEPEAEに比べ編成が小さいからではないだろう。Evan ParkerとLawrence Casserleyは後述するように『Solar Wind』において、2人だけで流れる雲のような素早い運動をつくりだしていた。
 新しく加わったJoel Ryanのせいかとも思ったが、彼だけのせいではなかった。Casserley は右手でマウスを闇雲に動かして、電子音によるフリーなソロを懸命に発していたが、それが他のメンバーに届いているようには見えず、わずかに自分の回りを照らし出しているだけだった。そこには『Solar Wind』の凍てついたように冷ややかな距離の眼差しはなく、あたふたと忙しく動き回り疲労していく肉体があるだけだった。Lyttonもまた仰々しく周囲に巡らしたパーカッションの壁を眺め回しながら、時折気ままに叩いてみるだけだった。そこにはかつてParkerとのデュオで見せた、そしてEPEAEでも健在だった長く尾を引く余韻の硬質で透き通った繊細さや、鋭い針先で突き刺すような打撃が一瞬で燎原の火を燃え上がらせる卓越した速度はなかった。そして中央先頭に位置したParkerもまた、こうしたグループとして機能していない事態に対し何ら為す術なく、他のメンバーに気兼ねするように間を空けてソロを吹いているだけだった。
 いま考えれば、ライヴ・プロセッシングのための空間を確保しようと間を空けるParker / Lyttonに対し、Casserley / Ryanが同一平面でソロを展開して空間を埋めようとするために、展開が固着し、停滞している様子が窺える。冒頭に述べたEPEAQの二重性の「前者」の側面、すなわち「Parker / Lyttonデュオに対するライヴ・ブロセッシング」を基本配置として演奏に向かえば、こうした混乱は生じなかったはずだ。しかし、実際にはそうなっていない。Parker / Lyttonの2人の演奏だけでは、素材として少な過ぎるとの判断があったのかもしれない。あるいは、Lyttonがコンタクト・マイクを用いるなど、1970年代に録音された演奏を聴いても、当時のフリー・インプロヴィゼーションとしては異例にエレクトロニクス度が高かったParker / Lyttonデュオを改めてライヴ・プロセッシングの対象とするのは、屋上屋を重ねることになると嫌ったためだろうか。いずれにしても、その1週間後の本作における演奏を聴くと、彼らがその後わずか2回のライヴとリハーサルを通じて、急速にアンサンブルの構築と意思疎通を深めていったことが想像される(★)。
★ 本稿掲載後に、EPEAQ来日公演の招聘を行い、また、今回『Concert in Iwaki』を自身のレーベルからリリースした寺内久氏から、EPEAQはコンサート前には簡単なサウンド・チェックをするだけで、入念なリハーサルは行わなかったとの証言をいただいた。EPEAEはかなりリハーサルを行うとのことで、EPEAQの方が演奏の即興度が高いのではないかとのことだ。貴重なご指摘に感謝したい。

 終演後、様々な説明・解釈が耳に入ってきた。曰く、ECMからリリースされたEPEAEの作品は、長大なセッション・テープからSteve Lakeが切り貼りした結果であって、それをライヴには期待してはいけない。曰く、EPEAQはEPEAEとは別物で、むしろLeoレーベルから少し前にリリースされた類似編成の作品(そこでは来日メンバーのうちLyttonがNoel Akchoteに置き換わっている)の線で捉えるべきものである(*2)‥‥等々。それらはみな今回の来日公演に対する高い期待が裏切られたことに対する不満を、何らかの理由を付けて辻褄合わせをしようというものだった。結局、私はこの記憶を胸の奥深くに封印せざるを得なかった。
 しかし、悪いことは続くもので、その3日後に、しかも同じ横浜の関内ホールで催された斎藤徹「Stone Out」オーケストラ公演(横浜ジャズ・プロムナード2000の一環として開催された「横浜コンテンポラリー・オーケストラ」)のひどさに追い打ちをかけられ、その後、私は即興演奏やその周辺の音楽の新たな動きを追いかける情熱を失っていくこととなる。
*2 当時は未聴だったEvan Parker with Noel Akchote, Lawrence Casseley, Joel Ryan『Live at "Les Instants Chavires"』を聴くと、器楽奏者1名とプロセッシング奏者1〜2名のデュオないしはトリオによる演奏が6トラック中5つを占め、ParkerとAkchoteの共演はカルテットによるわずか1トラックに過ぎない。また、演奏内容もライヴで提供された素材のプロセッシング奏者による電子的な展開が主であり、器楽奏者の活躍の場はほとんどない。もともとこのコンサートはGeorge Lewisが企画したものであり、ライヴ・プロセッシングやコンピュータ奏者の即興演奏シーンへの紹介の意味合いが強かったのではないかと想像される(Les Instants Chaviresは即興演奏中心のライヴ会場である)。この録音で判断する限り、このカルテットをEPEAQの先駆と位置づけるのは、いささか無理がある。
EPEAEtoward縮小 solarwind縮小 parker_lesinstantschavires縮小
   Toward the Margins         Solar Wind         Les Instants Chavires


6.1990年代の閉塞/停滞
 2〜3回、期待はずれのライヴが続いたからと言って、情熱を失うとは何事だとお叱りを受けそうだ。
 しかし、当時の状況は明らかに閉塞/停滞していた。振り返れば、所謂「日本音響派」の隆盛により、サイン波を使えば、極小音量で演奏すれば、沈黙が多く出音が少なければ、それでもう何物かである‥‥といった風潮が広まり、実験音楽に対する誤解とも相俟って、国内のシーンは深刻な質の低下を来していた。国外のシーンの評価にしても、国内と共振するシカゴやベルリンが最先端であり、ロンドンでは「日本音響派」のファンがシーンを作っているなどという風説がまことしやかに唱えられていた。
 こうした風評が広がる中、私自身が最も高く評価していたMichel Donedaですら、相変わらず極めて質の高い演奏を行っているにもかかわらず、自身のレーベルから極少部数のリリースを行うに留まり(日本の自主レーベルは貴重な例外だった)、聴取を専らCDに頼っている身としては、彼の活動が幅広い評価を得られず、狭いところに押し込められ(追いつめられ)ているように見えた。「あのDonedaでさえ‥‥」、そうしたことがシーン全般に対して覚えていた閉塞感をさらに強めたことは間違いない。Donedaとの個人的な親交を通じて、彼の自主制作CDを国内でほぼ唯一取り扱っていたバーバー富士は、この後、2001年に行われたDonedaと斎藤徹のフランス・ツアーからのライヴ録音の抜粋を、2002年に自身の自主レーベルScissorsから、紛うかたなき傑作である『Spring Road 01』としてリリースする。しかし、これを最後に彼の作品のリリースはピタリと止まってしまい、そのため優れた即興演奏のCDはもう金輪際出ないのではないかと、当時、本気で心配したのを覚えている(後で、多田雅範も、当時、同じ心配をしていたことを知る)。
Doneda_springroad縮小
    Spring Road 01

 いまDonedaをシンボリックな例として挙げたが、当時、私の眼にはどこかもかしこもが停滞し、閉塞しているように見えた。80年代からのつながりで見ていこう。
 John Zornは90年代初頭にゲーム・ピースから離れ、メンバーを固定したグループであるNaked City, Pain Killerを結成し、さらに『Elegy』等のスコア化されたコンポジションを始めている。さらに90年代半ばからは怒濤のようにMasadaのリリースが始まり、それまでは煮えたぎるメルティング・ポット状態にあったNYダウンタウン・シーンの演奏者たちのネットワークの能産性に彼が見切りをつけ、個による突破へと転身したことがますます明らかになっていく。
 80年代末に新たに注目を集めた存在としてJon Roseがいるが、その勢いもCDリリースで言うと1994年の『Violin Music for Supermarket』や1995年の『Violin Music in the Age of Shopping』辺りを頂点として下降していく。実際、1995年の『ショッピング・プロジェクト』来日公演は、おそらくは招聘側の準備不足もあって、空いた口が塞がらないほど詰まらない垂れ流しに終わった(これについては虹釜太郎がどこかで言及していた)。
 再度、国内に眼を転じれば、Cassiberが待望の来日を遂げ、見事な演奏を聴かせたのが1992年、それがGround Zeroによって無惨な「音響」化を施されてリリースされたのが1997年、この流れは1998年3月のGround Zero「融解GIG」(解散コンサート。ライヴ会場の柔な壁が振動しまくって、音はほとんど聴き取れず、演奏はグダグダに融解し、まさにただの「音響」と化していた)、2001年7月に2日間通しで行われた「デラックス・インプロヴィゼーション・フェスティヴァル(DIF)」(当時、麻布にあった六本木スーパー・デラックスの前身となったライヴ会場「デラックス」にちなむ)へとつながる。DIFでの杉本拓ギター・カルテット(秋山徹次・大友良英・中村としまる)の無様な失態(タイム・ブラケットによるコンポジションの演奏にもかかわらず、メンバーが時計を見ていなくて演奏が終われなくなり、一同、顔を見合わせてへらへら笑って終了)については以前に触れたことがある。私は前売りで2日間通し券を買っていたのだが、あの失態を共にへらへらと笑うことで何事もなく受け入れる聴衆に嫌気がさし、2日目は出掛ける気が失せてしまった。
 そして前述の通り、2002年のMichel Doneda『Spring Road 01』を、フリー・インプロヴィゼーションの「世界で最後の1枚」であるかのように受け止めることになる。

 そうした息苦しく希望のない閉塞/停滞の中、1990年代にめくるめく変貌と遷移に満ちた見事な活躍を見せたのがEvan Parkerだった。もちろんこちらは彼の活動を音盤で追いかけているだけであり、それゆえその期間は80年代半ば(一説には1987年)にDerek Baileyと袂を分かち(その確執の内実を私は未だに知らない)、共に立ち上げたIncusレーベルを離れた後、FMP, Leo, Touch, ECM等の各レーベルをネットワークしながら活動領域を拡大し、2001年に自身のレーベルとしてpsi recordsを立ち上げるまでに当たる。ここで、その時期の彼のディスコグラフィをざっと振り返ってみるとしよう。


7.1990年代におけるEvan Parkerの活躍
 従来、演奏されたままで、後から手を加えることをしない「演奏の忠実な記録」と見なされてきたフリー・インプロヴィゼーションの録音に、電子的なリアルタイムのライヴ・プロセッシングを持ち込んだWalter Pratiとの共作『Hall of Mirrors』(1990年) が嚆矢となる。しかし、これはまだ助走に過ぎなかった。CDがPratiのレーベルと言うべきMM&Tからリリースされていることを見ても、これはむしろPrati主導のプロジェクトであり、Parkerはいわば素材の提供者に過ぎない。おそらくは、そのせいで、プロセッシングによる変容ぶりは穏当で、ストリングス系のシンセサイザーでバッキングを付けているような甘さがある。
 続くのは、マルチトラックによる多重録音を導入した『Process and Reality』(1991年)で、タイトルは彼の愛読書であろう、英国の偉大な哲学者/数学者ノース・ホワイトヘッドの主著である『過程と実在』から。フリー・インプロヴィゼーションへの多重録音の導入それ自体については、たとえばSteve Lacy『Lapis』(1972年)等の先例がある。しかし、ここでのParkerの演奏は、通常のソロ演奏(多重録音なし)と多重録音による構成を区別なく並べて配しており、彼のトレードマークである循環呼吸による切れ目のないノンブレス奏法とマルチフォニックスによる演奏が、そもそも多重録音によるドローン/ミニマル・ミュージックを想起させることを考えれば、これは極めて挑発的な企てである。おそらくは多重録音による効果を試した後、それを一発で超えるべく挑んだ演奏は、従来のソロがのんびりと間延びして牧歌的に感じられるほど、極端に高密度に圧縮され、激しく高速で遷移/振動する、凄まじいばかりの強度に満ちたものとなっている。本作はいまだに彼の到達点の一つと言ってよいだろう。なお、最後にエピローグのように付け加えられた「Lapidary」は、先に触れたSteve Lacy『Lapis』に収められている「The Cryptosphere」に、ソプラノ・サックス内部にコンタクト・マイクを仕込むという極めて特異な仕方で演奏を重ねたもので、「The Cryptosphere」自体が、あえて型通りのジャズ・ヴォーカルのレコードを部屋で再生し、その余白にソプラノ・サックスの囀りを書き込む「重ね描き」であることを考えれば、先駆者への周到なオマージュであると同時に、聴き手への重ねての過激な挑発と言える。

 その後、しばらく間を置いて、さらに野心的な挑戦/飛躍と劇的な変容の記録が矢継ぎ早に届けられる。筆頭に挙げるべきはやはりEvan Parker Electro-Acoustic Ensemble(EPEAE)の第1作『Toward the Margin』(1997年)だろう。そのコンセプトは先に「1.EPEAQの位置づけ」で述べたように、『Hall of Mirrors』ではParkerだけを対象としていたライヴ・プロセッシングを、Parker, Barry Guy(cb), Paul Lytton(perc)のトリオに拡大するものだった。そのため、Pratiに加え、彼の盟友Marco Vecchiと、英国の即興シーンでヴァイオリン、ヴィオラ、エレクトロニクス奏者として長く活動しているPhil Wachsmannが呼ばれる。もともとParker, Guy, Lyttonによるトリオは、Parkerの所属するもうひとつの主たるトリオであるAlex von Schlippenbach(pf)及びPaul Lovens(dr)とのそれよりもジャズ色が薄く、またLyttonは70年代におけるParkerとのデュオですでにコンタクト・マイクを用いるなど、エレクトロニクスへの親和性が高かった(私は以前に別稿で、このデュオを初期のOrganumやDavid Jackmanと同一の系譜として扱っている)。それゆえ、彼らの演奏はこの初作からして高い水準に達しており、硬質な音色のつぶやき/ささやきが増幅されてさらに緊張を高め、影のように長く伸びた残響が再びむくむくと起き上がって動き出し、眼の端で何かがちかちかと瞬いたかと思うと、視界が大きく揺らぎ傾いて風景が液状化し一気に流れ去るというダイナミックな変転を見せる。

 EPEAQはEPEAEの派生型(小編成の室内楽版)と言うべきものだが、さらに押さえておくべき前提がある。一つは本作に折り込まれた畠中実の解説でも触れられているCasserleyとの共作『Solar Wind』(1997年)である。ここでParkerは一連の作品と同様ソプラノ・サックスを用いながら、ノンブレス・マルチフォニックスよりもロング・トーンによる滑らかな遷移を多用する。蜘蛛の吐き出す細い細い糸がきらめきながら西風に乗って空高く舞うように、あるいは受光器の翼を広げた宇宙船が太陽風に乗ってホヴァリングするかのように、自在に推移するサウンドが色彩スペクトルを次々に変化させ、一瞬のうちに増殖/充満し、自身の影と仲睦まじく戯れる。すべてが短波ラジオの受信空間で繰り広げられるが如くに、マテリアルな輪郭を欠いた不確かさや宛てどころなく浮遊する無重力性を強力に帯磁した演奏は、従来のフリー・インプロヴィゼーションとは一線を画す、極めてエレクトロ・アコースティック色の強いものとなっている。はっきり言って、この時点におけるEPEAEよりも。

 もう一つ補助線として付け加えるべきは、前述の『Hall of Mirrors』と同じMM&Tからリリースされた『Synergetics - Phonomanie Ⅲ』(1996年)である。これは1992年に開催された音楽祭のライヴ録音で、実はParkerは並みいる出演者の一人に過ぎない。が、Walter Pratiと共にMaco Vecchiが参加し、またGeorge Lewis, 吉沢元治、Sainkho Namchylakといった共演経験者が加わり、さながらParkerがキュレートした企画であるかのようだ。さらにここで注目すべきは、倍音唱法のSainkhoに加え、コムンゴ(弓奏する小型の箏。朝鮮の民族楽器)、ラウネダス(サルデーニャの民俗楽器。詳細は後述)、イムブムブ(アフリカのディジェリドゥ)といった強烈な倍音を放つ民族楽器の奏者が参加していることである。特にラウネダスはリード付きの細い笛3本を同時に口にくわえ、両手で操りながら(1本は通奏低音としてのドローン)、循環呼吸によりノンブレスで鳴らし続けるという、「天然エヴァン・パーカー(笑)」な楽器である。ライヴ・プロセッシングのみならず、こうした「全く別の出自を持つ自分の似姿」と共演することは、エレクトロ・アコースティックな音響の海の深みへと身を沈めていく彼にとって、大きな糧となったに相違あるまい。

 そして1999年にはEPEAEの第2作『Drawn Inward』がリリースされ、さらにこれまで他のインプロヴァイザーたちとの共同作品をほとんど制作してこなかったAMMのメンバーとのデュオ・アルバムが、1997年のEddie Prevostに続き、2000年にはJohn Tilbury、そしてKeith Roweと矢継ぎ早に制作され、そのいずれもが素晴らしい出来となる。ParkerがEPEAQを編成して来日公演を行ったのは、まさに、他の停滞・低迷をよそに彼の活動が充実を極め、「希望の星」として輝いていた時点にほかならなかった。
mirrors縮小 processジャケ写縮小 EPEAEtoward縮小
     Hall of Mirrors        Process and Reality      Toward the Margins

solarwind縮小 phonomanie縮小 EPEAEdrawn縮小
      Solar Wind      Synergetics-Phonomanie Ⅲ     Drawn Inward


8.その後
 Evan Parkerが離れたIncusは、1986年のBailey / Parkerによる『Compatibles』と他の演奏者も参加した『Trios』以降、LPからCDリリースに転じるとともに、Parker参加の新作を一切リリースしなくなってしまう(その結果として彼のレーベル行脚が果たされたわけだが)。片翼をもがれたIncusは、そしてBailey自身も、その後の活動に生彩を欠いていくように感じられた。その後Baileyは、David Sylvian『Blemish』への参加(音源提供)がきっかけとなって、『To Play』、『Carpal Tunnel』と死の直前に最後の輝きを見せたが。
 Evan Parkerについても、その後、続々とメンバーを加えたEPEAEの演奏は響きが厚くなり過ぎて、きびきびとした運動性/流動性を減じてしまったように思われる。彼は本作に寄せた文章で「いわき市立美術館ホールの広々とした空間とよく響くアコースティックのおかげで、ほとんどシンフォニックなやり方で演奏できた」と書いているが、確かにここに収められた演奏は、「シンフォニック」と呼び得る響きの豊かさや厚み、スケールの大きさや重層性を有している。しかし、これによって運動性/流動性を減じているわけではいささかもないことは強調しておきたい。
 今年、77歳(喜寿!)を迎えた彼は、依然として見事な演奏を続けている。パーカッション奏者二人(Toma Gouband, Mark Nauseef)とのトリオという新たな編成による『As the Wind』と、ベース・ギター様のモロッコの民族楽器ゲンブリ(!)をフィーチャーしたJoshua AbramsのグループNatural Information Societyによるトランシーな高揚に満ちた『Descension(Out of Our Construction)』を近年の充実作として挙げておこう。
AsTheWind縮小 JoshaAbrams縮小
     As the Wind             Descension

 なお、2002年頃からしばらくの間、即興演奏やその周辺の音楽の新たな動きを追いかける情熱をほとんど失っていた私は、2008年になって、バーバー富士の松本氏から新たな動きを展開しているレーベルとして、Creative Sourcesと創設されたばかりのAnother Timbreを教えていただき、シーンへの興味をようやく取り戻した。そこから眺め直すと、『ロンドン・サイレンス』の一派に押し込められていたJohn ButcherやRhodri Daviesが、Derek BaileyやJohn Russellとの関わりをはじめ、それを遥かに超える射程で活動していることも見えてくる。初期のAnother Timbreに集った面々がHugh Davies(昨年リリースされた、彼の所属グループGentle Fireのアーカイヴ録音は40年後の今でも実に刺激的だ)に特別なリスペクトを捧げていたことも浮かんでくる。表面的な衰弱や断絶の陰で脈々と受け継がれている「地下水脈」。


9.補論 装画:李禹煥「線より」1980年について
 本作のジャケットを飾っているのは、いわき市立美術館所蔵の李禹煥(イー・ウーファン)「線より」1980年である。会場となった美術館の所蔵作品から名品を選んだのだろうが、そこには幾つかの興味深い符合が見出され、この絵画が本作のジャケットを飾ることはあらかじめ運命付けられていたのではないか‥‥との不思議な感興を覚えた。最後にそのことについて少しばかり記しておきたい。

 「線より」は1970年代の半ばから、「点より」のシリーズと共に連作として描き進められた。たとえば東京国立近代美術館に収蔵されている1977年に描かれた「線より」は、今回の作品と非常に似通っていて、キャンヴァスの上に青い岩絵具の線が平筆により垂直に一気に引かれ、それがほとんど隙間なく平行に並べられている。筆を途中で止めたり、あるいは画面から離して絵具を付け足すことはない。このため線は途中から掠れ、下辺まで届かぬうちに途切れてしまう。それでも武道で言う「残心」の如く、筆の軌跡はまっすぐに浮かび上がる(岩絵具の溶剤である膠の痕跡の効果もあるだろう)。ミニマル・アート的な反復による類似が示されながら、一気に引かれ、塗り直すことのない筆の軌跡が、一回性を通じて露わにする筆致の揺れが、一本ごとすべて異なる多様な線を産み出す。1980年の「線より」では絵具がよく伸びて画面のほぼ半ばまでを着色部分が占めており、他にも「起筆」時の筆跡が、1980年の方が丸くやや尖っていて(1973年は平坦で角張っている。筆が違うのかもしれない)、色むらや掠れが少ないという細かな違いはあるが、基本的な枠組みは同じである。
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             李禹煥「線より」1980年 いわき市立美術館所蔵

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             李禹煥「線より」1977年 東京国立近代美術館所蔵


 ジルケ・フォン・ベルスヴォルト=ヴァルラーベは『李禹煥 他者との出会い 作品に見る対峙と共存』(みすず書房)で、彼の「線より」・「点より」の連作を次のように論じている。
 「李の絵画では、まさしくわずかな絵画的手段への限定、その結果生じる(とみえる)、いつでも(とみえる)同じ絵画的行為の単調な繰り返しが、まさしくあらゆる関連する諸要素を配慮したうえで、そのたびに特別なものとしてついに明瞭に立ち現れることができる。」(p.126)
 「『つぎからつぎに』展開していく前進的な反復は、観察が持続していることの知覚を発生させる。言い換えるなら、反復によって時間体験が効果的に把握されるのだ。」(p.127)
 そして河原温やロマン・オパルカ等に続き、フィリップ・グラス等のミニマル・ミュージックを例に引いて、「微妙な反復の差異化によって、聴取そのものが体験となり、独自の現在と結びついたプロセスが体験できるようになるのだ」(p.136)としたうえで、李自身の発言「塗り重ねや描き直しが許されないのも時空間をもよおす一筆一画の実存性のためである。一瞬一瞬は一回性であるが、すべてが一瞬そのものの連なりであるためには、それらを呼び合う反復性を必要とする。」(p.137)を引用し、この時間体験のプロセス性への着目から、「実在性(リアリティ)は過程(プロセス)にほかならない」とのホワイトヘッド『過程と実在』の参照に至る。(p.138)

 その後、彼女は李の作品における生成と消滅、その移ろいやすさを東アジアの伝統と結びつけていくのだが、我々としては、先のホワイトヘッドの参照もあって、どうしてもEvan Parker『Process and Reality』を想起せずにはいられない。すると、ジャケットを飾るRoger Ackling『Waybourne 1990 (sunlight on wood)』が、李禹煥「線より」1980年と構造的に類似していることに改めて気づくだろう。一見すると似ても似つかない両者は、赤/黒⇔青/白(淡いベージュ)、水平の平行線⇔垂直の平行線、細く刻まれた線⇔幅広の掠れた線‥‥というように、構造的な変換関係にある。さらにAcklingの作品の黒い直線は、実は筆等の画具による描かれた線ではなく、太陽光線を手に持った凸レンズをかざして集光し、素材(この場合は木材)の表面に焼き痕を付けることにより産み出されている(sunlight on woodとはこの手法を指している)。李の作品がキャンヴァスに岩絵具という組合せにより不安定性を呼び込んでいるのと同様、あえてプリミティヴな手法を選択することにより、コントロールの難しい不確定性を導入し、毎回の揺らぎを通じて一回性を強調していることがわかる。
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     Roger Ackling「Weybourne 1990」        作品制作中のRoger Ackling

 いわき市立美術館が所蔵している李作品には、他に「点より」1973年もあるが、本作に収められたEPEAQの演奏との関連性は、今回選ばれた「線より」1980年の方が強いように思われる。「点より」で配置されたドットが個々の揺らぎを超えて星座的、さらには幾何学的パターンに収斂せざるを得ないのに対し、「線より」で並べて引かれた線は、それが全体として描き出す矩形に尽くされることはなく、一触即発、ねじれや流動を来す気配をたたえている。
 実は、「線より」の連作は、この後、1980年代により多様に、かつダイナミックに散乱した「風より」あるいは「風と共に」と題された連作へと推移していくことになる。すでにその前兆として、装画作品と同じ1980年に描かれた「線より」連作の中には、キャンヴァスの右端に線が3本引かれただけで大きく余白を残す作品や、線を途中で切って、筆を画面からいったん離した後に再び描き進める作品など、より散乱に満ちた作品が現れてくる。装画作品はこうした散乱を顕在化させる直前の「臨界点」を示すものだと言えよう。いわば、ねじれや流動は、ここでもうすでに始まっているのだ。未だ眼に見えぬ潜在的な様相で。やはり装画作品は、ここに収められたEPEAQの演奏にふさわしい「顔」をしていると言わねばなるまい。
点よりいわき縮小
         李禹煥「点より」1973年 いわき市立美術館所蔵(左頁上部の図)
ジルケ・フォン・ベルスヴォルト=ヴァルラーベは『李禹煥 他者との出会い 作品に見る対峙と共存』(みすず書房)より転載

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   左頁 李禹煥「線より」1980年     右頁 李禹煥「線より」1978年    前掲書より転載

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   左頁 李禹煥「風より」1983年     右頁 李禹煥「線より」1980年    前掲書より転載

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   左頁 李禹煥「風と共に」1988年    右頁 李禹煥「風と共に」1983年  前掲書より転載

風と共に2縮小
   左頁 李禹煥「風と共に」1991年    右頁 李禹煥「風と共に」1988年  前掲書より転載



 いろいろと話が長くなってしまった。最後にもう一度繰り返しておきたい。本作品はもちろん多くの方に聴いていただきたいが、わけても私と同様、かつてのEPEAQの来日公演に失望した方にこそ聴いてほしい。封印せざるを得なかった苦い記憶をわだかまりなく昇華させるために。





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ディスク・レヴュー | 16:33:08 | トラックバック(0) | コメント(2)