日常を食い破る記憶 ―― 日本美術サウンドアーカイヴ | 上田佳世子、渡辺恵利世《トートロジー》1973年 Memories ( To Remember ) Break Through Everydayness ―― Japanese Art Sound Archive: Kayoko Ueda and Erize Watanabe, Tautology, 1973.
2022-06-27 Mon
1.時を織る片方が一瞬遅れて後を追ったり、相手の動きを確認するかのように途中で筆を止めたりしても、概ね重なり合い同期していた「キュッ、キュー、キュッ‥‥」というマジック・ペンの軋りの「ハーモニー」にふと違和感を覚えた次の瞬間、床に落ちる前に垣間見えた画用紙の数字は「28」と「29」にすれ違っていた。そんなことが起こり得るのかとの当惑をよそに、その後も平然と数字は書かれ続け、マジック・ペンの軋りはズレ続け、書き手には見ることの出来ない数字の閃きがそのことを証し立てる。
1973年8月に上田佳世子と渡辺恵利世が《トートロジー》の第8回として行ったパフォーマンス《時を織る》は、今回の日本美術サウンドアーカイヴの展示で、次のように説明されている。
「室内には1台のテーブルと、向かい合う2脚の椅子がおかれ、女声二人が腰掛けている。二人の眼は黒い布でかくされ、視覚的情報は遮断されている。互いに息を整え、呼吸を読みとりながら、無言で紙に数字を書きつける作業を始める。相手の動きを読み取りながら、作業が進んでいく。書かれた紙は床に捨てられ、1枚ずつ落ちた紙は、散らばり広がっていく。室内には60枚の紙に書き付けられるサインペンの音と、床に落ち続ける紙の音が、ずれながら重なっていく。」

■《時を織る》 1973年8月 日本美術サウンドアーカイヴ ウェブページより(スクリーンショット)
冒頭に記したのは、今回、6月24日に同展で改めて上演されたパフォーマンス《時を織る》の一場面である。以前に当ブログで参加体験リポートした安藤朋子による演劇ワークショップの会場となったBUoYカフェに連なるスペースに透明なビニールが敷かれ、やはりビニールを掛けられたテーブルと椅子が置かれている。演者(岡千穂と田上碧)が登場し、客席に向け一礼して着席する(向かって右が岡、左が田上)。テーブル上に置かれていた黒い布でそれぞれ目隠しをし、マジック・ペンを取り、キャップを取って、各自の左手側に置かれた画用紙を1枚取って、「1」から順に数字を書き、書き終えたら紙を床に落とす。することはわずかにこれだけ。演者二人は儀式ぶったり妙に勿体ぶることなく、すらすらと行為を続けた。
視覚が閉ざされている中で行為の同期を図るため、向かい合う二人は相手の動きに聞き耳を立てることになる。紙を取る音や床に落とす音は当てにならないのだろう、「キュッ、キュッ‥‥」というマジック・ペンの特徴的な軋りが同期のキーとなっている様子が浮かんでくる。次の紙を取ってテーブルに置くのはいつも岡の方が速い。ペンを持った利き手で紙を取る彼女に対し、利き手でない左手で取る田上がいつも少し遅れてしまう。だが岡は先には書き始めず、ペンを構えたまま、田上が書き始めるのを、具体的にはペン先が画用紙に触れる「キュッ」という音がするのを待って、それからおもむろに書き始める。数字ごとの画数や、書いている部分が直線か曲線か、さらには線の長短の差異がつくりだす音響のリズムにおいて、自分と相手のペンの動きが重ね合わされ、自ずと検証されて、「同じである」との安心感をもたらしていたことだろう。もちろん、細部まで合致しているわけではないにしても(たとえば「7」を一方は一画で、他方は二画で書いていた)。
「60」まで無事書き終え、ペンにキャップをはめてテーブルに置き、目隠しを取る(ここで外したキャップをポケットに入れた岡がすぐ取り出せたのに対し、田上はテーブル上に置いたキャップを探し当てられず、キャップをせずにペンを置いて目隠しを取り、後からキャップをはめるという違いが生じた)。
これで終了かと思っていたら、二人は席を立ち、新たな画用紙の束を取って席に戻り、また目隠しを着けて行為を繰り返した。とは言え、細部には違いがある。田上は外したキャップを今度はポケットに入れた。一方、岡は、田上が書き始める気配が掴めるようになったのだろう、「15」を過ぎた辺りから、「キュッ」という音がする前に書き始めることも見られるようになった。互いの身体の動きがわかるようになった分、数字を書く動きも、一画ずつ確認するぎこちなさが薄らいでスムーズになったように感じられる。数字が書かれる位置や大きさも安定してきた(最初のうちは、相手の動きに合わせようとするあまりか、数字が紙の中央から外れて偏ったり、線がはみ出しそうになる場面が見られた)。
この安定した繰り返しが、この後ずっと続くのだろうかと緊張が緩んだ瞬間、同様のことが演者にも生じたのか、冒頭に記したズレが生じた。田上が数字をダブって書いてしまったのだ。演者二人は書かれた数字の違いを見ることはできないが、以降、紙にペンを走らせるたびに、その軌跡を示す音響が同期しない居心地の悪さに苛まれ続けたことだろう。さらに田上が取った画用紙が1枚足りなかったのか、「59」と「58」が床に落ちた後、岡が「60」を書き上げて床に落とすまでの間、田上はぼつねんと過ごさねばならなかった。
ペンにキャップをはめてテーブルに置き、目隠しを取り、席を立って、また画用紙の束を取り、再び着席して三回目の繰り返し。今度は田上が左手で取った紙を、手首をひねり裏返して置くように動作が「改善」された。「キュッ、キュッ」という同期がまた始まって、他はほぼ変わりなく、このまま何事もなく事態が進むと思われたその時、またも「28」を岡が重複して書いてしまう。筆致の生み出す音響は以降ズレを提示し続けながら、「59」と「60」がはらりと舞い落ちるラストを迎える。ペンにキャップをはめてテーブルに置き、目隠しを取り、立ち上がって一礼。終了。
2.《トートロジー》
「『トートロジー』は1973年に渡辺恵利世(堀えりぜ)と故・上田佳世子が8回連続で行った作品行為の総称である」と堀えりぜは本展リーフレットに記している。ここで同リーフレットに基づき概略のみを記せば、二人の共同生活の場であり、彼女たちが開いた子ども向け絵画教室の会場ともなった東京都大田区南雪谷のマンションの一室で同年1月に第1回を開催し、以降、毎月、異なるテーマで展覧会を開催した(第3・5回をこの部屋で、第2・4・6〜8回を画廊等で)。その内容はインスタレーションから制作作品展示、パフォーマンスまで多岐に渡っている。なお、当初の予定では、1年間12回を開催する計画であったという。
今回の展示では、パフォーマンスが行われたスペースから壁一枚隔てた隣の細長い空間に、《トートロジー》各回の記録写真と第2回《アリアドネの糸》の再制作作品、及び堀えりぜによる解説コメントが、ひび割れたコンクリート剥き出しの壁面に掲示された。また、第6回《真空の》のインスタレーションの再制作と新作《あなたはいつも私より強い、あなたはいつも私より弱い》(この二作品については後ほど改めて言及する)が、反対側の壁面の前に展示されていた。さらに前章に述べたように、最後となった第8回のパフォーマンス《時を織る》が今回上演された。

■展示風景(スペースの奥の部分)
右手の壁面に記録写真パネルが、奥の壁面に《アリアドネの糸》の再制作作品が展示されている。左側のインスタレーションのように見える椅子やポリバケツについては「5.刻印 ―― 地層を貫く力線」を参照。
日本美術サウンドアーカイヴの主催者である金子智太郎は本展リーフレットに寄せた評文「反復と不在 上田佳世子、渡辺恵利世《トートロジー》」において、その特質を、①自宅で展覧会を開催することによる制度批判と、②第6回「真空の」で参照されたシモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』から引き出した真空と重力の対比の二点において見ようとしている。私なりの要約を以下に示そう。
まず①制度批判については、単に画廊ではない場所で展覧会を開催したというだけではないことに注意したい。金子は、ベビー・ブームと高度経済成長がもたらした人口増加と都市化により住宅が社会問題化しており、これに美術が反応して住宅をテーマにした展示や自宅における展示が行われたことを指摘し、さらに高松次郎による彦坂尚嘉《FLOOR EVENT》評に触れながら次のように述べている。
「この作品が重要なのは、美術館や画廊以外の場所で展示したからではない。彦坂は、学生運動のさい『日常』を破壊するためにバリケードを築いたにもかかわらず、そのなかに非日常ではなく『日常』が構成されたと感じたという。自宅を舞台とする彦坂の作品は『日常性』のあり方を探求するものだろう-と。高松がここで語った『日常』を、彦坂らの言葉を使って『制度』と言いかえることができそうだ。美術をめぐる制度とは美術に関わる人やモノのあり方、規制や慣習の全体を意味する。高松や彦坂は文化的再生産の場である自宅を、オルタナティヴな展示空間ではなく、美術をめぐる制度を根本から問うための場所としてとらえた。」
ここで、日常性を支える、日々の生活に沁み込んだ固定観念や慣習・習慣の総体を、「制度」としてとらえる、言うならばアンリ・ルフェーブルHenri Lefebvre的視点は極めて重要であると考える。
一方、②については次のように述べられている。「ヴェイユによれば、人間の魂はたえず『重力』の作用を被っており、『恩寵』がもたらされるには自分のなかに『真空』がなければならない。《トートロジー》における不在や欠如がヴェイユの『真空』という概念と結びつくなら、『重力』に対応するのは表現をめぐる制度や蓄積される過去だろうか。」と。
ここで前述の「制度」が「蓄積される過去」と併置されていることに注意が必要である。実は先の引用に先立つ段落で金子は次のように述べている。「《トートロジー》は作品を重ねるごとに、場所を変えても、過去の作品を蓄積していった。彼女たちは、表現を条件づけるさまざまな制度を意識したように、過去の共同作業を新たな制作の条件としていったように見える。そして、視覚の欠如と一定の規則にしたがう行為を通じて、互いの存在を確認しあうパフォーマンス《時を織る》を最後に、過去の蓄積を保ちきれなくなったかのように、シリーズは計画の途中で動きを止めた。」
3.再制作と批評性
パフォーマンス《時を織る》の上演に続き、堀えりぜと金子智太郎によるトークが行われた。冒頭、パフォーマンスを見た感想を訊かれた堀は「とても緊張した。自分がやった方がずっと楽だ」と述べた。これは単に客席の笑いを取る「つかみ」ではなく、堀の実感にほかなるまい。彼女は「もうよく覚えてはいない」という自身のパフォーマンス当時と現在との「距離」を正確に感じ取っている。さらに本展準備のプロセスについて、「資料はいったん全部捨ててしまった。今回活用した資料は、処分してしまったと思っていたものが本棚の裏側に落っこちていて、たまたま残っていたもの。日付入りの写真も出てきた。これらがなかったら今回の展示はできなかった」と語りつつ、「展示の説明コメントはそれらに基づきながらも、現在の視点で書いている。そこには当時と異なる理解、批評性が入ってきている」と述べた。この「距離」の肯定とそこへの注力が、再制作を単なる記録や再現ではなく、いま・ここに立ち上がり、開かれたものとしていると言えるだろう。
その後のトークの展開は、当時の社会や美術シーンの状況やそこから受けた衝撃・影響に関する生々しい証言(たとえば当事者ならではの裏話等)を期待していた向きには、あるいは肩すかしとなったかもしれない。堀はさばさばした思い入れのなさをたたえながら、画廊の高額な使用料など到底支払えないこと、特に銀座の画廊には権威に対する反発を感じていたこと、かと言って自宅だけでやっていたのでは駄目でみんなが来易いところでも展示をやらなければいけないと最初から思っていたこと、小学生の頃に安保闘争を見て政治闘争に期待を持たなくなったこと、斎藤義重に憧れて多摩美術大学に入学したが大学闘争で授業がなくなりBゼミに出るようになったこと、その流れで高松次郎の私塾にも通うことになったこと、斎藤も高松もスーパースターだし距離が近過ぎて影響を直接受けるというのはなかったこと、父親が推理小説を書いていて(父の弟がやはり作家で『新青年』の編集者だった渡辺温とのこと)言葉の世界が身近だったこと、ル・クレジオやソレルスは当時出たばかりで高松も読んでいて意気投合したことなどが緩やかに語られた。「かつてスゴイことがあった」といった伝説化・神話化の素振りをいささかも見せないその語り口を、私はとても好ましく思った。
第6回《真空の》インスタレーションについて、解説コメントには次のように記されている。
「室内に入ると、一脚の椅子の上に2冊の本が置かれ、床には4冊の本が直に置かれている。それだけ。仮設壁の奥からは声が聞こえる。二人が交互に本を読んでいる声をテープに録音したものだが、どちらの声なのか、どの本をよんでいるのかも判然とはしない。そもそも聴く意志がなければ、言葉としても成立しないほどはっきりとは聞こえない。」
コメントはさらに次のように続くが、「私たち」ではなく「私」が主語であることからして、これは再制作時に新たに書き下ろされた内容だろう。「私には、薄いアパートの壁から聞こえてくる他人の生活音に支えられた経験がある。隣の住人は、規則正しく毎日をおくる。自分自身がたてている音が、どんな音であるか考えたこともないだろう。グラスを洗う水の音、椅子を引いたり、ドアをバタンとしめたり、鉄骨の階段を駆け下りていく靴音など。それを聴くことが、私が生きている証だった。ただ音として、息を継ぐ言葉が、絶えず室内に降り積もる。意味もなくし、無になる過程を展示したかった。」

■《真空の》 1973年6月 日本美術サウンドアーカイヴ ウェブページより(スクリーンショット)
再制作展示において、「二人が交互に本を読んでいる声」は椅子の真下に置かれた小型のワイヤレス・スピーカーから流れていた。確かに聞き取り難く、何を語っているのか判然としない。連続するBUoYカフェのスペースから話し声や物音が入ってはくるが、コメントに記されているような「生活音」とは感じられない。そう感じられたのは、それが生活の場の隣室から聞こえてくる隣人の身体の軌跡であるからだろう。だからこそ、それは「私が生きている証」と成り得たのだ。再制作された展示からはそうした隣人の気配が抜け落ちて、代わりにその後の(現在の)堀えりぜの痕跡が残されている。コメントでは「一脚の椅子の上に2冊の本が置かれ、床には4冊の本が直に置かれている。」とあり、記録写真でもそのようになっているのだが、再制作では椅子の上に4冊、床の上には6冊の本が置かれ、スーザン・ソンタグ『サラエボで、ゴドーを待ちながら』、今福龍太『群島=世界論』、ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』等、当時のものではなく最近出版された書籍が多く含まれている。おそらくは堀が最近読んだ本なのだろう。
先の解説コメントにもかかわらず、当時のインスタレーションを体験した観客がまず感じたのは、その部屋の(不在の)居住者の気配にほかなるまい。声は誰のものともわからずとも、生活の気配がたちこめる住居の中に椅子と本が置かれていれば、まずはその部屋の主のことを思い浮かべるだろう。たとえ隣室から生活音が響いてきても、そのことを深く考えるには至るまい。
このように考えてくると、かつて堀が隣人の生活音に「私が生きている証」を聴き取っていたことが事実だとして、本展展示再作成及びコメント執筆の時点おいて「隣人」として感じられていたのは、「当時の私」にほかならなかったのではないかと思えてくる。ずっと感じ続けていた「距離」に関する手触りが、ここから過去/記憶へと姿を変えて一挙にせり上がってきた。

■《真空の》再制作(部分) 2022年6月
4.記憶の諸相
堀は第2回《アリアドネの糸》(それぞれ中央部分の縦糸と横糸を抜いた2枚の布地を重ねた作品。今回、再制作作品を展示)と第8回《時を織る》に共通する「織物」という主題について問われ、「世界中どこでも、なぜか決まって機織り仕事は女性がしている(*1)。その点、女性二人が行う展示のテーマとしてふさわしいと考えた。たとえば《時を織る》は向かい合う二人が縦糸と横糸を織り上げていくパフォーマンス。二人がそれぞれ別の過去を引き摺りながらいっしょにやっていくところに、二人でやる意味がある」と答えた。
実は本展を見る前の「予習」として、日本美術サウンドアーカイヴの記念すべき第1回、堀浩哉・堀えりぜ《MEMORY-PRACTICE (Reading-Affair)》1977年の拙レヴュー(*2)を読み返した際、堀浩哉の「記憶は残り続ける」との発言が強く印象に残っており、それがこの回答や第6回《真空の》インスタレーション再制作に対する印象と結びつくこととなった。
また、今回上演されたパフォーマンス《時を織る》を、コンポジションとも言い難いようなごく簡素な指定に基づくデュオ・インプロヴィゼーションととらえるならば(*3)、互いの身体(運動)の応対(主として同期)が前面に出て、何を書いたかは重要ではなくなる。実際、演じた二人に後で訊いたところ、「数字がズレるのは失敗ではないので、何しろ最後までやり通せ」と指示を受けており、途中で違和感を覚えたが表に出さず淡々とやり続けたと語ってくれた。にもかかわらず、冒頭に記したように見ている側は大きなショックを受けた。一見、機械的(自動的)な反復と思える動作が、実のところ不確かな記憶に辛うじて支えられており、いつ破綻するかわからない不安定なものであることに気づかされたからではないか。ここでも「記憶」が別の角度から主要なテーマとして浮上してくるように思われた。
*1 これは確かにその通りだと思う。指が細く、糸を織り込む細かい作業に向いていることもあるだろうが、アジア、アフリカ、アラブ、ペルシャ等の民俗織物は主として女性が担い手であろう。また、工業化された織物業においても、我が国の「女工哀史」に見られるように、やはり主たる働き手は女性だった。その一方で、女性が集まって糸を紡いだり、機を織ることによって、女性が各家庭内に閉じ込められずに、世代を超えて女性同士の連帯を育めた側面も見逃すわけにはいかない。社会運動としてのキルト・ワークはそうした側面を継承している。細田成嗣編『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(カンパニー社)所収の拙論「録音/記録された声とヴァナキュラーのキルト」は、過激な制度破壊者としての面ばかりが強調されがちなアイラーにおける、フォークロアへの親和性や女性的なものの発露についてキルト・ワークをモティーフに論じている。ご参照いただければ幸いである。
*2 ブログ 耳の枠はずし「残存の中ですり減ることと積み重なること―日本美術サウンドアーカイヴ | 堀浩哉《Reading-Affair》レヴュー」
http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-442.html
*3 岡千穂、田上碧ともミュージシャンとして活動し、即興演奏も行っているから、この見立ては決して無理なものではあるまい。なお、このパフォーマンスについて、堀えりぜはトークの中で「時代が変わり、社会の感じ方、受け止め方も変化してきている中で、目隠しした女性の姿を舞台で晒すのはどうかとも考えた」と話していた。私は目隠しは仕掛けとして必須だったと思う。これがもし目隠しなしで衝立で視界を遮る装置だったとしたら、たとえ演者には対面する相手の姿が見えなくとも、客席からはそれを直接感じ取れないし、コロナ禍等への余計な連想が働いてしまったことだろう。ちなみに金子智太郎は、ライヴ・パフォーマンスの際に聴衆に目隠しをさせるフランシスコ・ロペスの来日ライヴを実施した経験があり、彼による助言もあったのではないかと推測する。
そうした想いから、トークの最後に設けられた質疑応答において、堀浩哉においても重要なテーマとなっている「記憶」と《トートロジー》の関係、さらにはその後の彼との共同作業との関係について、それが当時に特徴的な時代的/世代的なテーマであったのかを含め、問いを投げかけてみた。
堀えりぜによる回答は次のようなものだった。「記憶へのこだわりは強くある。私は写真のような映像的な記憶が強く、それがどんな状況でのことかは覚えていなくても、ある断片的な一場面を細部まで鮮明に、たとえばどんな色や柄の服を誰が着ていたかとか覚えていて、それがふと甦ることがある。」
客席(私の隣!)にいた堀浩哉が続けて答えた。「20年のブランクを経てパフォーマンスを再開してから、『記憶するために』ということを重要なテーマに掲げ、ずっと継続して活動してきている。60年代末から70年代の初めにかけて、『制度批判』ということが盛んに言われた。ここで『制度』とは先ほど言われたように日常としてルーティン化したもので、ありとあらゆるところに及ぶ。制作というものは制度に従ってやるということでもある。そこで『記憶』によって、『記憶』を掘り起こすことによって、日常の殻を食い破るということが考えられた。これは『記憶』というものの、その時代の『用法』と言ってよいと思う。自分でずっと絵画を描いてきて、それが自分なりに出来上がってきた時に、それが制度化してきているという感じを持った。そこで『記憶するために』を掲げてパフォーマンスを再開した。この『日本美術サウンドアーカイヴ』第1回で《わたしは、だれ?── Reading-Affair 2018》という東日本大震災の死亡者の氏名を読み上げるという、やはり『記憶するために』と関わるパフォーマンスを行ったが、それもその後も機会があるごとに何回も行ってきている。」
5.刻印 ―― 地層を貫く力線
「記憶」が彼/彼女らにとって重要なテーマであるというだけでなく、「制度批判」の動機付け/足場/源泉等として多面的にとらえられていることに注目したい。というのは、最近の歴史認識を巡る論争(というより「騒ぎ」)等を見ていても、過去=記憶=資料記録=‥‥=歴史的事実といった、すべてが難なく等号で結ばれてしまう杜撰な図式的理解が大きな障害となっているように思われるからだ。
まず記憶とは多型的なものにほかならない。物語記憶は常に突き動かされ書き換えられているし、写真にも似た映像的記憶はたやすく属すべき文脈を喪失して、断片として浮遊してしまう。最近問題になっているように、ある暗示を与えて、偽の記憶を刷り込むことも可能である。ある瞬間に浮かぶ記憶は記憶総体のごくごく一部に過ぎず、それらが他の記憶とどのような関係にあるかもすぐに判断することはできない。そうした瞬間的に浮上し意識を支配する記憶を、日常を食い破るための手段とすることはできない。それは単にその場の激情に任せることに過ぎないのだから。
ここで、堀えりぜが本展で展示している新作《あなたはいつも私より強い、あなたはいつも私より弱い》が意義深い示唆を与えてくれる。スペースに置かれているのは、第6回《真空の》インスタレーションのとは異なる木製の古びた椅子とその脇の水の入ったポリバケツ、そして椅子の背には作業着の上着のようなものが掛けられ、座面には白チョークと軍手が置かれているだけなので、これってインスタレーション?‥‥とうっかり見過ごしてしまいかねないのだが、実は作品本体は別にある(私も受付にいた金子に「椅子等は作品の制作中なので置いてある」と教えられて、ようやく理解した)。壁面に掲示されたプレートには次の説明が掲載され、壁にできた亀裂すべてに白いチョークの線が入っている。
「私は1948年の冬に生まれた。私の両親は、生まれた子に、漢字で「恵利世」と書き 「えりぜ」と読ませる名前をつけた。それ以来、私は日本人でありながら外国名を持つ女の子として、フィクションとリアルの間を生きることになった。それに伴う差別も被害も経験した。その経験は特別な傷跡として、今も私の中に残っている。1970年から73年までの間に、私は「壁の亀裂」をテーマとした作品を何点か作った。堅牢な壁と、そこに走る亀裂が、私の中に残る引き裂かれた傷跡と共振したのかもしれない。その記憶が、ここ BUoYの壁を観た瞬間に蘇ってきた。そして同時に、この壁の亀裂を描き起こしたいという想いが湧き上がってきた。私たちの前にいつものように立ち塞がる壁の前で「壁の向こうに言葉は届くだろうか、壁の向こうから言葉は届くだろうか」とつぶやきながら。それが、再制作でもあり、ライブドローイングとしては新作でもあるこの作品である。」
ここで心の傷が壁面の亀裂に重ね合わされているというだけでなく、壁のひび割れ一つひとつを白いチョークでなぞり直すことが、ある力の刻印を発見し、それが描く軌跡/力線に身体を動かして同調しつつ、それを余すところなく可視化していく行為であることに注目したい。ここにあるのは、記憶を白黒のはっきりした単一なもの-たとえば単純な線引きや一瞬のうちに沸き起こる感情-に収斂させてしまうことから確実に遠ざかる手立てを着実に遂行することにほかならない。記憶の襞に分け入り、凝り固まったしこりを解し、回路を幾つにも分岐させ、全身に血を巡らせること。
それは亀裂が生じた力のドラマに想像力を向けることでもある。地層はどのように形成されたのか、隆起や沈降、褶曲や断層はどの方向からどれだけの力が働いて成し遂げられたのか、それらの変容はどれくらいの時間をかけて生じ、それからさらにどれだけの年月が流れたのか。それは過去に刻印されてしまった傷跡を、自らの一部として受け止め生きていくプロセスでもあるだろう。

■《あなたはいつも私より強い、あなたはいつも私より弱い》制作中 2022年6月
6.反語としてのトートロジー
日常を食い破り得る「記憶」とは「かけがえのないもの」でありながら、単一の状況/物語/事実に収束・収斂していくようなものではないとすれば、むしろ中井久夫が「世界における索引と徴候」(*4)で提示している「索引」に近いのではないか。すなわち、マルセル・プルースト『失われた時を求めて』における紅茶に浸したマドレーヌ菓子の如く一つの世界を開く魔法の鍵に。
*4 中井久夫『徴候・記憶・外傷』(みすず書房)所収
中井はやはり同書所収の「発達的記憶論 ―― 外傷性記憶の位置づけを考えつつ」で、実際には多くの記憶が失われているにもかかわらず、個人の記憶が現在までの連続感覚を獲得しているのはなぜかについて論じており、そこで米国の精神科医ハリー・スタック・サリヴァンの議論を紹介している。「サリヴァンのいう『セルフ』というシステムは、意識の幅を制御する仮想的システムであって、意識の統一性を乱すものを『解離』し続けている装置である。」中井はこのことを踏まえ、意識のスクリーンには一定の容量があり、それを超える量の記憶がいっせいに意識に現前すれば超氾濫状態により意識が瓦解する危険があるとし、意識に対して現前こそしていないが、そこから想起によって記憶を取り出すことの出来る「メタ化」した記憶の総体があると考える。先に挙げた成人型記憶の連続感覚は、このメタ記憶の存在感覚ではないか‥‥というわけだ。(*5)
*5 中井 前掲書 p.51
この構造的理解を「日常を食い破る記憶」と重ね合わせてみたい誘惑に駆られる。そこで制度化/日常化は個人や社会の「セルフ」の統一性を乱すものを解離するシステムの作動として現れてくるだろう。にもかかわらず、それらは消滅してしまうのではなく、メタ化した記憶として収蔵される。ここで注意すべきは、個人の記憶の連続性とは、あるいは個人の生=セルフとは、不変の硬直したものではなく、日々移り変わるものであることだ。
「ストーリーは生きる時間とともに変わってゆく。細部の克明さも、個々の事実の重みも変わる。生死を賭けたと思う体験も階層の中では些細なエピソードに転化する。逆に、取るに足らない事件が後になって重大な意味を帯びてくる。生きるとはそういうことである。あるいは『歴史性』とは。」(*6)
*6 中井 前掲書 p.50
制度化/日常化は「セルフ」を守るシステムの作動であるが、それが行き過ぎれば生の硬直を招く。とすれば生きるとは、(メタ)記憶の活用により、不断に制度/日常を食い破り、柔軟に組み替え続けることではあるまいか。ある一瞬における記憶の爆発的な噴出により制度/日常が祝祭的に転倒/破壊されること(=大文字の「革命」)だけを夢想するのではなく、むしろ記憶による制度/日常のミクロな転化を、一見変わることのなく続く日常のただ中にこそ仕立て見出すこと。生活の場を舞台にして始められた、一見慎ましやかな一連の《トートロジー》の実践を、このように読み解くことも可能ではないか。
この時、《トートロジー》というタイトル自体へのある疑念が湧いてくる。もともとトートロジーとは「A=A」のような事態や文脈に拠らず真であり、それゆえ情報量のない言明や話法を指す。では《トートロジー》で展開された一連の作品行為において、何がトートロジー、すなわち「A=A」だったのだろうか。
「レディメイドを用いたインスタレーションだから」というのは、おそらく皮相な理解に過ぎまい。第1回のインスタレーション《予定調和的半過去》において、用意された点滴用ガラスボトル、点滴用装置、水道水、キャンパス生地は確かにそのもの自体=レディメイドとして用いられているから、そこにトートロジーを見出すことは可能かもしれない。だが、それではありとあらゆるレディメイドの利用にトートロジーを見出さねばならなくなってしまう。また、このインスタレーションの眼目と言える布地に滴る水のつくり出す、刻一刻移り変わる不定形の染みはその等式からはみ出してしまう。それは常に「水によって濡れた染み」であるから「A=A」だと言うのだろうか。それでは時間的変化を捨象して「A0」(開始直後の状況)と「An」(開始後n分経過後の状況)を同一と見なし、A0=A1=A2=A3=‥‥を無条件に前提してしまうことになる。
冒頭に見たように、一見「A=A」的な機械的反復と思われたパフォーマンス《時を織る》にも、それをはみ出す予定外の事態が生じる。反復だからトートロジーだと決めつけることもできはしない。
むしろ、ここで《トートロジー》は、「変わらない」とか、「同一だ」と決めつけて、左辺と右辺の間に暴力的に「等号(=)」を挿入すること―― それこそは硬直した制度/日常の抑圧そのものにほかなるまい―― への抗いの宣言として掲げられているのではないか。反語的表現用法として。
トークでの堀えりぜの発言によれば、《トートロジー》とは後から思いついたものではなく、一連の作品行為の実施に先立って、最初に考案されたタイトルとのことである。おそらくそれは「渡辺恵利世」=「私」という等式への違和から芽生え、《トートロジー》と命名される前も後も様々にかたちを変えながら、生活の場において深く静かにミクロな次元で展開・継続されている戦い謂ではないだろうか。
日本美術サウンドアーカイヴ 上田佳世子、渡辺恵利世《トートロジー》1973年
2022年6月23日〜26日
北千住BUoY
上 演:上田佳世子、渡辺恵利世《時を織る》(1973 / 2022年)
出演 岡千穂、田上碧(6月24日)
トーク:堀えりぜ、金子智太郎
日本美術サウンドアーカイヴ ウェブページ
https://japaneseartsoundarchive.com/jp/jasa/
同 上田佳世子、渡辺恵利世《トートロジー》1973年
https://japaneseartsoundarchive.com/jp/news/
※現在は「新着情報」に掲載されていますが、後日、「過去の企画」(アーカイヴ・ページ)に移り、展示等のオフィシャル写真が掲載されるとのことです。作品等の詳細については、ぜひそちらをご覧ください。
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