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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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複数の耳のあわいに-「タダマス2」レヴュー Between Plural Ears - A Review for “TADA-MASU 2”
 7月24日に行われた四谷ティー・パーティ第2回(タダマス2)のリポートをしたい。今回は益子による選盤に加え、多田によるセレクションも披露され、さらに市野氏の演奏者ならではの指摘もあり、それに聴衆からの意見が加わることによって、前回以上に多角的な聴取の場となった。集客が少ないのは相変わらず課題だが、これについては、ある種の社会的「症状」も影響しているように思う(これについては後述)。

 当日のプレイ・リスト(簡略版)は次の通り(このうち9~11が多田による選盤)。益子による選盤は前回の続きで、今年第2四半期のNYダウンタウン・シーンからの10枚となっている(およそ50枚の新譜からの選りすぐりだという)。なお、レーベル、規格番号、曲名、パースネル等は、元リスト(http://gekkasha.jugem.jp/?cid=43767)を参照のこと。

1.Ambrose Akinmusire / When The Heart Emerges Glistening
2. Okkyung Lee / Noisy Love Songs (for George Dyer)
3. Michael Dessen Trio / Forget The Pixel
4. Ingebrigt Håker Flaten,Håkon Kornstad,Jon Christensen / Mitt hjerte altid vanker - I
5. Nicolai Munch-Hansen / Chronicles
6. Ben Allison / Action-Refraction
7.Jeremy Udden’s Plainville / If The Past Seems So Bright
8. Craig Taborn / Avenging Angel
9.Bojan Z / Xenophonia
10.Paul Motian / The Windmills of Your Mind
11.Lee Konitz,Brad Mehldau,Charlie Haden,Paul Motian / Live at Birdland
12.Travis Reuter / Rotational Templates
13. Berne, Black & Cline / The Veil
14. Farmers by Nature / Out of This World's Distortions


 前回同様、多くのことを触発されたが、ここでは次の3点に絞って論じたい。

(1)思いがけない叙情
 2からは冒頭の「百歳の雨」がかけられた。ぱらぱらと空を打つ雨音(を模したサウンド)に導かれて、もやがけぶるように弦の響きが浮かび、緩やかな息遣いを編み上げていく。そこにOkkyung Lee自身の奏でるチェロが、平らかでうつむき加減の、だが意志の強さを感じさせる流れを付け加える。情景喚起力豊かなサウンドトラックを思わせる音の運び。倍音領域を小鳥のように移ろう弦のフラジオと、遠くでカンカンと鳴るピアノの透明水彩画風の対比は、キム・ギドク「春夏秋冬そして春」の幽玄な景色(人を寄せ付けぬ凛とした厳しさと奇妙な人懐っこさを併せもった)によく似合うことだろう。
 バス・サックスによる太古の祭儀を思わせる深々とした響きで幕を開けた4は、持ち替えられたテナーがノルウェーの伝承聖歌をピュアに響かせていく。そのどこかカリプソに似た軽やかで喜悦に満ちた旋律の動きは、私にアルバート・アイラー「ゴースト」のテーマを連想させた。このことは、彼の類稀なる才能を発見したのが、楽旅で訪れた北欧であったことと関連しているのだろうか。
 いずれも「NYダウンタウン」の既成イメージ(ブランド・イメージと言うべきだろうか)から遠く隔たった、瑞々しく透き通った叙情が、演奏のただなかから、滾々と尽きることなく湧きだしていた。

(2)建築へのゆるぎない意志
 前回、Gerald Cleaver(dr)と共に大活躍だったCraig Taborn(pf)は、今回も注目すべき演奏を聴かせてくれた。ECMからのソロ・アルバム8では、音が放たれるたびに、響きが光となって天高くたちのぼり、一本ずつ柱を建立していく。前回、彼のエレクトリック・ピアノ演奏を「グリッドのオン/オフだけでできている」ととらえ、楽器としてのピアノの本質を研ぎ澄ます仕方に注意を促しておいた。これを受けて、今回、彼のライヴ演奏を聴いている益子から、彼の演奏が弱音から強音まで、ダイナミクスの変化に関わらず音色が一定であることを指摘する発言があり、また、益子・多田とも彼の演奏を「音が積み上がる」と表現していた。サウンドが平準化されたエレクトリック・ピアノに比べ、はるかにコントロールの難しい(それゆえ多彩な音色を奏でられる)アコースティック・ピアノにおいても、こうしたモノクロームの美学を厳しく探求する、彼の突き詰めた眼差しを感じずにはいられない。
 ここで興味深かったのは、(おそらくはポスト・プロダクションにより)加えられたリヴァーブの過剰さを指摘し、このCDで聴ける音は、演奏時にテイボーンが耳にしていたものとずいぶん異なっているだろうとした市野氏の発言である。彼は単にリヴァーブの有無を問うているのではなく、ピアノの音の減衰をリヴァーブが引き延ばしてしまうため、演奏の間合いが変わってしまっているであろうことを問題にしていた。もちろん、録音作品である以上、録音現場でどう聞こえたかはさして重要ではない(完成した映画作品が、セットの脇で見ていたのと違うと言ってもしょうがない)。しかし、この演奏が響きを探りながらのインプロヴィゼーションであることを思えば、市野氏の批評は核心を突いている。私が聴いたところでも、右手と左手で残響のたちのぼり方が異なるなど、リヴァーブ操作にはかなり作為的なものが感じられた。その一方で、この演奏が「ECMピアノ・ソロの典型」からずれていることも指摘しておきたい。キース・ジャレット「ケルン・コンサート」の記憶によるのだろうか、この「典型」のポイントは「アイヒャー・エコーによる美音づくり」にあると見なされがちだが、実際には「美フレーズ」の方がはるかに重要であり、そうした「美フレーズ」を最大限効果的に演出するために、音数が絞り込まれ、音の動きが切り詰められ、「間」が重要視され、響きが精緻に磨き上げられる。「沈黙の次に美しい音」をキャッチ・フレーズに掲げながら、ECMにおける「沈黙」はうっすらとした響きの残り香、美フレーズの残像にすでに満たされている。対して、ここでのテイボーンの演奏においては、フレーズを織り成すことなく放り出され、柱として屹立しながら自らを照らし出す音が随所に見られる。より深く沈黙に身を浸し、その強度を肌で受け止めていると言うべきか。そうした演奏の手触りから判断して、先に触れた市野氏の指摘は正鵠を射ていると考える。「ここはすでに弾かれた音が鳴り止み、沈黙に呑み込まれて、響きがリセットされた後に、新たな音が弾かれるべきところだろう」と感じる時に、リヴァーブによる響きが依然として中空を漂っていて、後から弾かれた音が、その響きに(つまりは直前の音に)連なってしまう場面が何度も見られたからだ。
 前回聴くことのできたエレクトリック・ピアノによる演奏では、音の均質化/平準化のための操作もあって、前述のようにグリッドのオン/オフによる構成が見えやすかった。しかし、今回はアコースティック・ピアノの響きの多彩さとタイム感覚の自由度の高さゆえに、そこにマンハッタンの市街のように縦横に張り巡らされたグリッドを見て取ることは難しい。にもかかわらず、そこには確実にオン/オフへの感覚が働いている。ちょうど池の水面に小石を投げ込み、波紋の広がりを見詰めながら、次の小石を投じるタイミングを測るように。弾かれた音が減衰し、次第におぼろに透き通っていく。そこへ新たな響きが折り重ねられる。フレーズを奏でるのではなく、音の柱を打ち建て、響きの層を折り重ねながら、空間を息づかせていくテイボーンの姿は、「建築するピアニスト」と呼ぶにふさわしかろう。
 そのことがより明確に示されたのが、William Parker(b), Gerald Cleaver(dr)とのトリオ編成による14にほかならない。浮き上がるようなピアノの和音の連なりに、ベースの弓弾きが切り込んでいく冒頭部分からして、打ちのめされるような感覚を覚えた。 これはモノが違う。この日のハイライトであるのは明らかだった。いま「和音の連なりに切り込んでいく」と書いたが、実際の響きのコントロールはより精妙で、壁のようなものに切りかかるのではなく、中国の故事に言う包丁の名人のように、骨と肉の間にある隙間に、厚みのない刃を差し込んでいく趣がある。と言いながら、ベースの響きは決して一様に滑らかではない。押し当てられた弓の圧力を、石を彫り進めるノミの跡のようにとどめ、幾重にも折りたたまれた響きの襞をたたえた、手触れるものとなっている。こうして空間に薄絹を垂らしていくピアノと、沈黙自体を掘り進むベースによる「舞い」を前面に押し立てながら、舞台袖の暗がりに身を潜めたドラムスが、画面の外からかそけき響きを振りまく。長谷川等伯「松林図」を思わせるジャケットの印象そのままに、「幽玄」とすら形容したくなる響きの味わいは、昨年6月に亡くなったフレッド・アンダーソンに手向けた鎮魂歌ゆえだろうか。いずれにしても、この盤は入手して聴き込まなければなるまい。

(3)複数の耳の間で
 テイボーンの演奏に対して、人は自分の出遭った未曾有の事態に打ちのめされながら、耳に残る確かな手触りを手がかりに、何とかしてそれを語ろうとする。だが、そうした事態ゆえ、なかなか言葉を紡ぐことができない。巷に溢れた借り物の言葉で、ぺらぺらと饒舌に(社交的に/世間話的に)語ることを、辻褄合わせにより曖昧に体験を収拾することを固く禁じる厳しさが、彼の演奏にはある。それでも語らずにはいられない魅力と、人を寡黙にさせる演奏の屹立した力。辛うじて吐き出し得た言葉が、各人の「聴くこと」の違いを明らかにし、対象の姿をぼんやりと照らし出す。ホストを務めた益子・多田、ゲストの市野氏、そしてこの日集った聴衆が、ぽつりぽつりと語り合った時間こそが、この日の真のハイライトだったのではないだろうか。この貴重な試みが、今後も継続されることを望んで止まない。


Okkyung Lee /
Noisy Love Songs(For George Dyer)
(Tzadik) 


I.H.Flaten,H.Kornstad, J.Christensen /
Mitt Hjerte Altid Vanker-1
(Compunctio)


Craig Taborn / Avenging Angel(ECM)
「これは歴史的な盤だろう。ピアノ・ソロの革命を、
またECMが、というのに近い。」 多田雅範


Farmers by Nature /
Out of This World's Distortions
(AUM Fidelity)


長谷川等伯「松林図屏風」
(東京国立博物館蔵)
上段:右隻 下段:左隻 幽玄の極み。



Telje Rypdal / Waves(ECM)
これも似てますね。
どこか遠くへと誘われる風景。

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ライヴ/イヴェント・レヴュー | 18:48:23 | トラックバック(0) | コメント(0)
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