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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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ディスク・レヴュー2011年6~9月(第1部) Disk Review Jun. to Sept. 2011(part 1)
【前口上】
 前回の続きで、6月から9月までに聴くことのできた作品群から選盤してお届けするのだが、今回は4か月分となったため、7作品×2=14作品の選出となった。まずは第1部として、ジャズ及び作曲作品からの7作品をお届けし、続いて第2部として、フリー・インプロヴィゼーションやフィールド・レコーディング、ドローン等からの7作品をお届けすることにしたい。なお、Farmers by Nature / Out of This World's Distortionは、別稿でレヴューしたため、ここでは対象から外している。



沢井一恵 / The Sawai Kazue -十七絃-
邦楽ジャーナル HJCD0006
沢井一恵(十七絃、五絃琴)、沢井比可流(十七絃)、齋藤徹(コントラバス)
http://www.farsidemusic.com/acatalog/KOTO.html#aFSD5793
 低音のグリッサンドが、強烈なクラスターが、強靭なドライヴにも凛とした響きの輪郭を揺るがすことなく、均質な層となって積み重なり、結晶格子にも似た整然たる輝きを放つ。通常はドライヴすればするほどディストーションがかかり、「らしく」なるのだが、彼女はそれを潔しとせず、熱く噴きこぼれる響きを受け止める空間は、いささかの乱れも見せず、しんと静まりかえっている。こうして、低音弦を増強した〈エクステンデッド〉箏としての十七絃の可能性を、冒頭に置かれた沢井忠夫「華になる」で鮮やかに燃やし尽くした後、彼女の想像力は始原へと溯る。高橋悠治「畝火山」では復元楽器である五絃琴を手繰る身体の律動と、放たれる息と声は、遠い古代の巫女がひとり座する暗闇への通路を開く。対して西村朗「覡(かむなぎ)」では引用されたクッコリのリズムを通じ、齋藤徹を従えて韓国巫楽の深淵へと降りていく。かつてジョエル・レアンドルとの共演において、箏はコントラバスと共に木枠に弦を張り渡しただけの古代の祭具へと変貌し、ベニャ・アシアリ、ミッシェル・ドネダとの交感では、ギリシャ悲劇のコロスのように集合的な多声を映していたことを思い出す。そして締めくくりに置かれた「六段」。この誰もが聞き知る古典が、彼女の手にかかると(2010年5月のライヴ)、旋律の衣を脱ぎ捨てた各音がストレス・フリーに飛翔し、その様は池に放たれた黒や金や緋や錦の鯉たちが一瞬交錯し、また思い思いに離れ去っていく軌跡を思わせた。ここでの十七絃による演奏は、はるかにゆったりと重く遅く、まるで暗い水の中を歩むようだ。音は遥か遠くからはるばると空間を渡り、影のように尾を引いてなかなか消えていかない。あるいは一度沈み込んだ後、響きとなって浮びあがり、匂いが立ちこめるように再び還ってくる。あの時、水面から覗き込んだ景色が、ここでは冷たく重い水ののしかかる水中から見上げたもののように感じられる。彼女は弦や胴、空気の震えをきっと〈側線〉で感じ取っているのだろう。〈今/ここ〉だけでなく、人間の感覚の枠組みからも流出してしまう傑作。
できれば以下のURLで2010年5月のライヴ・レヴュー(奇しくも「華になる」、「畝美山」、「六段」の3曲の演奏を採りあげている)も参照していただきたい。
http://miminowakuhazushi.dtiblog.com/blog-entry-34.html



高柳昌行 / メタ・インプロヴィゼイション
Jinyadisc B-25
高柳昌行(ギター、テープ、エレクトロニクス)
http://www.squidco.com/miva/merchant.mvc?Screen=PROD&Store_Code=S&Product_Code=14769&Product_Count=&Category_Code=
 ここに収められた高柳の北海道ツアーの様子を、副島輝人撮影の8mmの映像で垣間見たことがある。副島のレクチャーに高柳がゲストで招かれた時で、高柳は石油缶を叩いたり蹴飛ばしたりした音や漁船の焼玉エンジンの音を、後で演奏に使おうと思ってテープレコーダーにみんな録音したと、うれしそうに話していた。その時に聴くことのできたライヴ演奏の録音は強烈で(たぶん1分足らずだったろう)、後にLPが出たソロによる「アクション・ダイレクト」(以下ADと表記)よりずっと凄かった。その演奏を再び聴くことができたことを、まずは喜びたい。
 ここでの演奏はソロでありながら、かつての「ロンリー・ウーマン」に比べ、はるかにフリー・フォームかつノイジーであり、後のADにつながるものと位置づけられようが、そこには大きな違いがある。後のADがサウンドの空間への散布を目指したのに対し、ここで音は固いしこりを伴って中央にわだかまり、膿汁のような独特の粘性をもって這い回る。ラジオからの朝鮮語や部分的なエレクトロニクスの導入もあって、サウンドはそれまでのソロやグループ演奏に比べ、はるかにAD的な雑色化を果たしているが、ADの演奏の特徴と言うべき「操作する身体」はまだここには現れていない。演奏は高柳自身の身体所作との連動性/一体感を色濃く残している。それゆえ、この「前史」的演奏との対比において、ADにおけるアクションからの操作的/批評的距離が、反語的に浮かび上がることになる。対して、ADのライヴにおける弓や数珠等の音具を用いたアコースティック・ギターの即興演奏が、痛々しいほどに「浮いて」いたことをも思い出さざるを得ない。
 グループ演奏「マス・プロジェクション」において、他のメンバーが極限的な加速に苛まれて互いに(自らを含め)寸断しあう地獄絵図を眺めやりながら、高柳はそうした「万人の万人に対する闘争状態」をひとり抜け出して、水底でフィードバックの長い尾をくねらせ、サウンドの濃度勾配を操作し、演奏全体をコンダクトしていた。ADにおける「操作する身体」にまっすぐつながっているのは、むしろそうした手法・感覚だろう。対して本作に収められた演奏では、高柳の〈操作〉に反応する演奏者は不在であり、〈操作〉により相互作用を起こし、描き出す光景を様々に変化させる持続音のレイヤー(それこそがADの演奏の核心にほかならない)もまたない。必然的に自らを切り刻み、責め苛むと同時に、彼方へと解き放とうとする身体、ギターとテープを同等に演奏/操作しようとする身体が現れることになる。この身体の引き裂かれたあり方は本当に貴重だ。
 当時、高柳のボーヤを務め、北海道ツアーにもそのまま同行した大友良英による長文ライナーは、この84年のツアーを、60年代末のフリーへの転進に続く2度目の転換期ととらえている。それはその通りだろう。だが、その転換は、先に見たように、必ずしもまっすぐに次なるモードであるADに続くものではない。この転換の中で束の間姿を現し、成熟することなく消えてしまった可能性もまた多い。転換期とは、まさに〈折れ目〉にほかならず、だからこそ露出する本質がある。先に指摘した分裂的な身体にぜひ注目して聴いてほしい。そこに耳が届けば、本作は高柳の代表作のひとつとなり得るだろう。



Hammeriver / Hammeriver
Mikroton Recordings mikroton CD 8
Clare Cooper(harp), Chris Abrahams(piano), Christof Kurzmann(lloopp), Tobias Delius(clarinet&tenor saxophone), Clayton Thomas(double bass), Werner Dafeldecker(double bass), Tony Buck(drums)
http://soundcloud.com/clarecooper
 シドニー生まれ、ベルリン在住の女性ハープ奏者Clare Cooperが、アリス・コルトレーンに捧げたプロジェクトから生まれた本作品は、選ばれた題材と演奏メンバーから予想されるように、「再構築されたスピリチュアル・ジャズ」とでも言うべきものとなっている。インド古典音楽のアーラーブにも似た、定型的なビートを持たずに各楽器が絡まりあう組んづ解れつの演奏は、アリス由来の宇宙的な広がりを志向しつつ、解像度が飛躍的に高まったことで、黒くどろどろとした粘液質の充満を離れ、さらさらとより流動性の高い透明なものとなっている。とは言え、表面を模倣しただけのファンクラブ仕様に終わっていないのが、彼女らの素晴らしいところだ。〈音響〉以降の研ぎ澄まされた感覚(音色への注視、音構成の細分化、沈黙/空間の重視等)により演奏を掘り下げ、グループのサウンドを彫琢し、充分聴き応えのある水準に至っている。冒頭に置かれた10分以上に及ぶ「Second Stabbing(Ohnedaruth)」のとりわけ力の入った演奏をぜひ聴いてみてもらいたい。



Matana Roberts / Coin Coin Chapter One:Gens de Couleur Libres
Constellation CST079
Matana Roberts(as,cl,voice), Gitanjali Jain(voice), David Ryshpan(p,org), Nicolas Caloia(vc), Ellwood Epps(tp), Brian Lipson(bass tp), Fred Bazil(ts), Jason Sharp(brts), Hrair Hratchian(doudouk), Xarah Dion(prepared g), Josh Zubot(vn), Marie Davidson(vn),Lisa Gamble(musical saw), Thierry Amar(bass), Jonah Fortune(bass), David Payant(dr,vib)
http://www.pastelrecords.com/SHOP/matana-roberts-pl-674.html
 「Time Out New York」選出による「The 25 essencial New York City jazz icons」で彼女は19位。ちなみに20位がTony Malabyだから、これはかなり高評価と言えるだろう(GSYBEの作品への参加は後から知った)。サックス奏者としてよりも、コンポーザー、サウンド・プロデューサー、ヴォイス・パフォーマーとしての力量を買いたい。大編成のバンドを切り回すだけでなく、歌でもラップでもない、枠にはまらぬ不定形な生々しい声の噴出(それは語りであったり、絶叫/悲鳴であったり、言葉にならないつぶやきであったり、いずれにしても切羽詰った危機的な流出にほかならない)を見事に組織し、聴かせ切る手腕は並大抵のものではない。流れの構築は自然と演劇的な場面転換を呼び込み、それゆえ音楽は時に「書割」として扱われるが、それでも単なる「劇伴」に堕さない強度と品位をたたえている。長大な作品の第1部ということだが、ポリティカル・コレクトネスの陥穽にはまることなく継続してほしい。



Gerard Lebik/ Arthur Majewski Foton Quartet / Zomo Hall
Not Two MW847-2
Gerard Lebik(tenor sax,contra alt clarinet), Arthur Majewski(trumpet), Jakub Cywinski(bass), Wojclech Romanowski(drums)
http://www.squidco.com/miva/merchant.mvc?Screen=PROD&Store_Code=S&Product_Code=13989&Product_Count=&Category_Code=
 ポーランドはクラクフに拠点を置くNot Two Records関係から2作品を紹介したい。まずはピアノレスのクワルテットによるフリーな演奏。この張り詰めた冷ややかさ、凍てついた重苦しさはどうだろう。演奏は決して走らず、また、歩みを止めることもない。各楽器はみな口数少なに、だが、ずしんと腹にこたえる重みに満ちた言葉を、このうえない誠実さで語り出す。だからこそ、ふと遠くを見詰めたようなメロディアスなフレーズが、かけがえのない魅力をたたえて胸に迫るのだ。寡黙さの美学。彼らは、互いに命を預けあって十数年を共に過ごした炭鉱夫仲間のように、視線すら交わさず仕事にかかる。それでも信頼に裏付けられた阿吽の呼吸が、途切れることのない息の長いアンサンブルを生み出していく。〈黒人性〉を〈東欧性〉に置き換えたジャズとでも言うべきか。「世界音楽としてのジャズ」(ここで「世界」とは「世界宗教」と言う時のそれであり、ワールド・ミュージックのことではない)について思いを巡らせずにはいられない。



Ircha (Mikolaj Trzaska Clarinet Quintet feat.Joe McPhee) / Lark Uprising
Multikulti Project MPT001
Joe McPhee(alt clarinet), Waclaw Zimpel(bass clarinet,clarinet,taragot), Pawel Szamburski(clarinet,bass clarinet), Michal Gorczynski(bass clarinet), Mikolaj Trzaska(alt&bass clarinet)
http://www.squidco.com/miva/merchant.mvc?Screen=PROD&Store_Code=S&Product_Code=14683&Product_Count=&Category_Code=
 musicircus掲載の「2010年ベスト30」に選んだクラリネット・デュオInternational Nothingが、いささかのざらつきもない、ぬらりとした音の輪郭の不確かさを、組み紐にも似た抽象的な空間文様に結び付けていたのに対し、こちらのクインテットは陰りに満ちた息の長いメロディを操りながら、バス・クラリネットの軋轢に満ちた音色を多用し、ざらついた手触りとかすれた筆触を前面に押し立てる。屋外ステージでの録音なのだろうか、空気の動く気配が常にしていて、そうした熱のこもった息遣いに、くっきりとした輪郭を与え、5人の〈声音〉を浮き上がらせる。ことさらにソロをフィーチャーせずとも、縁の下の力持ち的なリフやドローンを担っていても、すぐにそれとわかる抑揚や〈声音〉がアンサンブルを骨太で豊かなものとしている。なお、Zimpelによるコンポジション「The Passion」(MPI011)も、Bobby Fewの砕け散るようなピアノの効果的参加もあって、実に魅力的な作品だったことを付記しておこう。



Ghedalia Tazartes / Granny Awards
Alga Marghen plana-T alga036
Ghedalia Tazartes(voice,tape,electronics&etc), Raphael Glucksmann(voice)
http://www.meditations.jp/index.php?main_page=product_music_info&products_id=4868
 Alga Marghenからの発掘・再発を2枚で1組として採りあげることにしたい(ちょっと反則)。まずはGhedalia Tazartes。「voyage a l'ombre」(1997)はノスタルジアの甘美な毒に首まで浸かった傑作だったが、その後10年の沈黙を経た「Hysterie Off Music」、「Jeanne」、「Repas Froid」、「Ante-Mortem」等の諸作品は、クリアで滑らかなデジタル・デヴァイスとの相性が悪いのか、若者に奉られるのが災いしたのか(Keith Roweはこのパターンですね)、いささか毒気が抜けて薄味になったように感じられた(「Ante-Mortem」の大道芸的ロック・ビートの空疎なこと!)。対して本作では、かつての臭気にまみれ、呪詛を振りまく彼が見事に帰還している(80年代初頭の未発表作品だが、同様の触れ込みの「Repas Froid」よりもはるかに優れている)。

Michel Potage Collective / Occupe
Alga Marghen plana-P alga035
Michel Potage(voice,instruments), Jac Berrocal(tp,valve tb,Tibetan oboe,dr), Bernard Vitet(bugle,tp,reeds,vn,voice), Pierre Bastian(bass,Tibetan reeds,tp), Claude Parle(acc,reeds,voice) & etc.
http://www.meditations.jp/index.php?main_page=product_music_info&products_id=4869
 仏フリーの文脈では、Jac Berrocalの協力者として知られるMichel Potageを中心としたセッション集‥‥と言うよりは彼のアトリエでの乱痴気騒ぎから断片を拾い集めて、彼のクールな語りをかぶせた超アート物件。老女の手の甲のようにささくれひび割れたアコーディオン、虫歯の穴をかき回すような金属質の軋み、古代祭儀を思わせる管楽器の不揃いな咆哮、日曜大工めいたジャンク・パーカッション‥と、とっ散らかった演奏は、外部の騒音と混ぜ合わされ、喧騒の度合いを増しながらも、決して熱くなることなく、斜に構えた洒脱/空疎/退廃を保ったまま青ざめた貧血の症状を亢進させていく。参加メンバー多数のため、有名どころに限定して表記。Daniel Deshaysが録音・編集を担当していることに注目。



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ディスク・レヴュー | 23:27:09 | トラックバック(0) | コメント(0)
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