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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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ディスク・レヴュー 2011年10~12月(第2部)  Disk Review Oct. to Dec. 2011 (part 2)
 【前口上】
 第1部に続いて、よりエレクトロ・アコースティックな視点からの7枚をお届けする。どうしても評文が長くなってしまうのだが、これはエレクトロ・アコースティックな即興演奏やフィールドレコーディングを素材とした作品が、そのサウンド自体を簡単に語らせてくれない(そこに肉薄するために様々な迂回を強いられる)ことが大きい。たとえばPatrick Farmer『Like falling out of trees into collectors' albums』(Consumer Waste 04)は、今回のレヴュー掲載作品に並ぶ優れた作品だが、その素晴らしさを言葉にする術をうまく探り当てることができず、結局採りあげるのを断念した(彼自身によるフィールドレコーディングに対する一見シンプルな、その実複雑に込み入った問題提起も原因しているのだが)。こうした試行錯誤を通じて、サウンドに対する描写分析の深化や新たな批評言語の開拓に努力していきたい。
 なお、以前に予告したように2011年のポップ・ミュージックからの選盤レヴューについても、追ってお送りしたいと思う。ご期待ください。

Patrick Farmer
『Like falling out of trees
into collectors' albums』
(Consumer Waste 04)





Haptic / Scilens
Entr'acte E127
Steven Hess, Joseph Clayton Mills, Adam Sonderberg
試聴:http://soundcloud.com/experimedia/haptic-scilens-album-preview
 盤を真空封入したラミネート・パック(Entr'acteおなじみのパッケージ)の裏側には、使用された音源がピアノや弦楽器、打楽器から、エレクトロニクス、ラジオ、CDプレーヤー、果てはワイングラスや様々な厚さの紙類まで50種類以上も記されている。そのことが如実に物語るように、作品は繊細緻密極まりないミュジーク・コンクレートとなっているのだが、音色の配合や空間への配分のみならず、切断と転換、音の軌跡の交錯と衝突への眼差しが行き届いていることにより、きめ細かなレイヤーの敷き重ねによるスタティックなドローン/サウンドスケープにとどまることなく、即興的な強度をたたえている。音がある眺めに収まりそうになると、そこに亀裂/隆起/陥没/断裂/流出/沸騰/析出/凝固/散逸/沈殿等が生じ、常に過剰さが景色を突き動かし、そこに絶え間ない生成流動を継起させていく。それゆえ、前もって枠組みとしての空間が先にあり、そこにアクターとしての音が去来するのではなく、音が現れ変形を遂げるたびに、新たに空間のモザイクが誕生し、歪み変形しながら、他のモザイクに侵食されて(あるいは侵食して)いくドラマがここにはある。通常のエレクトロ・アコースティックな即興演奏と比較するならば、サウンドの手触りこそさして変わらないものの、各演奏者の輪郭は役割分担のレヴェルですら全く見定め難くなっている(それぞれが持ち楽器であるハープとチェロを手放して、匿名的なエレクトロニクスとオブジェを操作しながら、サウンド特性の均質化がかえって役割分担の固定化を招くに至ったRhodri Davies, Mark Wastell『Live in Melbourne』(Mikroton cd10)と比べてみること)。


Ferran Fages / Llavi Vell
l'innomable
Ferran Fages(composition,acoustic guitar,contact mics,speakers)
試聴:http://www.ftarri.com/cdshop/goods/linnomable/linnomable-19.html
 虹色に輝く昆虫の群れが一斉に翅を震わせ始めたような何とも豊穣な響き(アコースティック・ギターの弓弾きの重ねあわせとフィードバックによると言うが、とても信じられない)が湧き上がり、ゆっくりと巡り、ゆるやかにうねりながら、空間を息苦しいほど強烈な香りで満たしていく。直感的に近いのはRaphael Toralがギターとエレクトロニクスから引き出した無重力感だが、そうした浮遊する透明性とは異なり、こちらは微細なちらつき、ざわめき、きらめきに満ちて、むしろ羽虫の群れがつくりだすランダムな、しかし結果として構築的な(蚊柱を見よ)運動性をたたえている。聴き進めるうちに音はさらに軋轢と緊張を増し、響きの只中に金属質の「芯」がしこり始め、その切り立った危機的な鋭さをますます募らせていく。ロック・アルバム並みに「play it as loud as possible」の表記が添えられており、音量を上げれば上げるほど音は底知れぬ深まりを見せ(聴き手を呑み込もうとするような)、さらに闇の輝きを濃くしていく。40分以上に及ぶ1トラックのみ。150枚限定。


Hiroki Sasajima / Bells
Ahora Eterno Recording AE005
Hiroki Sasajima(all sounds)
試聴:http://ahoraeterno.bandcamp.com/album/bells
   http://www.art-into-life.com/?pid=37846169
 フィールドレコーディングした自然/環境音をあまり加工しないフォノグラフィー(=音による〈写真〉)的な作家ととらえていた笹島裕樹には珍しく(?)、分厚いドローンが前面に展開されており、物音はその向こうで暗闇を透かし見るようにかそけき響きを立てるばかりで、ほとんど現実の音とは思われない。まだ幼い頃、海で遊んでいて気付かぬうちに浜辺から遠く離れてしまい、懸命にもがく足先に深みに淀む冷たい水が触れた瞬間の、重苦しくまとわりつき、粘っこく引きずり込むような、底知れぬ〈虚無〉の感覚がここには宿っている。美麗にきらめくドローン・アンビエントが多数を占める中で、この胸にのしかかる重さ(「金縛り」時の息苦しさを思わせる)はほとんど異様と言ってよい。これまで数作聴いてきた彼の作品で最も素晴らしい。やはり40分以上に及ぶ1トラックのみ。ちなみにベルらしき音は聞こえない。


Philip Corner / Coldwater Basin
Alga Marghen plana-C alga037
Philip Corner(water running from a fauset into a sink), Bill Fontana(microphone)
試聴:http://www.art-into-life.com/?pid=38096227
 Philip Cornerを初めて聴いたのは、同じAlga MarghenからCDリリースされている『On Tape from the Judson Years』だった。60年代初めに彼がアパートの台所のシンクの中で繰り広げたあれやこれや(激しい勢いで注ぎ込まれる水流、たまった水をかき混ぜる荒々しい手の動き、排水溝に飲み込まれていく渦巻き、調理器具や食器類が引っ掻き回され、その他何物ともつかない金属同士が衝突する‥)の極端に暴力的な切断/構成(テープ・レコーダーを壊そうとしているような荒々しいGO/STOP)に眼を見張った。John Zornの先駆と言うべきアイディア以上に、その耳による注視の比類なき強度に。本作品も同じく60年代の発掘録音であり、タイトル通り、台所のシンクに水を滴らせているだけの「演奏」だが、まるでストロボの点滅のように切断された瞬間の運動だけがクローズアップされていた前者と異なり、ここでは澱んだ薄暗さの下、外部からのトラフィック・ノイズや空調の音等に〈汚染〉され、ぼんやりと混濁し染みだらけになった、あるいは切り裂かれ穴だらけになった音響の混成体が、かつてのような〈切断〉を経ることなく、前立腺肥大でちょろちょろとしか出なくなった小便のように、じくじくと垂れ流すままにされる(水音が聞こえない間の「残尿感」のやるせなさと言ったら、もう‥)。これをパフォーマンスの記録としてではなく、エレクトロ・ァコースティックなサウンドとして、つまりはヘテロトピックな音風景として聴くところに、新たな可能性が開けていよう。


Juan Jose Calarco / Aguatierra
Unfathomless U06
Juan Jose Calarco(construction from fieldrecordings & etc.)
試聴:http://unfathomless.wordpress.com/releases/u06-juan-jose-calarco/
 人の移動、列車の振動、機械の作動、鳥の声、水のたゆたい‥継ぎ目なく次から次へと移り変わる音の景色。自らは状況に関与せず、陰からそっと見守るように視点を固定する多くのフィールドレコーディング作品とも、切断の跳躍と断面のカッティング・エッジを見せ付けるコラージュ作品とも異なる音素材への手つきは、実験映画作家ブルース・ベイリー(Bruce Baillie)の「弥撒(ミサ)」や「カストロ・ストリート」等の多重露出による特殊効果を思わせる、キメラ状に入り組んだ、「目覚めているよりもはっきりした夢」にも似た音世界が繰り広げられる。それはタイトル(aguatierra=waterland)通り〈水〉と〈陸〉が入り組んだ決定不能な二重性を表してもいるだろう。ゲニウス・ロキとも言うべき「その場所に宿る多層的な記憶やアウラ」を反映したフォノグラフィーをコンセプトに掲げるUnfathomless(この語自体が否定の接頭辞un-と同じく否定の接尾辞-lessをはらみ持つ二重否定語にほかならない)レーベルならではの作品と言えようか。250枚限定。


Joda Clement / The Narrows
Unfathomless U09
Joda Clement(composition, fieldrecordings)
試聴:http://unfathomless.wordpress.com/releases/u09-joda-clement/
 同じく音風景の多重化を扱いながら、こちらは霧に咽び、雨に煙り、夢にまどろんで、輪郭が幾重にもぶれ、にじみ、色彩もセピアに退色し、あるいは煤け黒ずんで、すでにかたちが定かでない。というより、いくら眼を凝らしても、薄明かりの中、「アイリス」(映画効果の)のようにところどころ影が映る程度でありながら、時折、陽炎のように立ち騒ぐざわめきの中から、妙にはっきりとした物音がコツンと響く。音の焦点を視覚像へと結ばせることにより風景を伝達しようとするJuan Jose Calarcoに対し、Joda Clementが徹底して〈像〉を回避し、茫漠とした気配だけを伝えようとするのは、この音景色の多重化が、彼が子ども時代に父親に連れられて経巡った、録音採集の旅の思い出と重ね合わされているからにほかなるまい。すなわちここでは、原像がすでに夢の曖昧さをたたえているのだ。アーティストが撮影した「その場所」の写真を、レーベルを主宰するDaniel Crokaert(彼はかのMystery Seaレーベルのオーナーでもある)が加工したジャケットもまた常に素晴らしい。Semperflorence, Triple Bath等と並び、いつかまとめて紹介したいレーベルだ。本作は200枚限定。


Antoine Beuger / un lie pour etre deux
Copy For Your Records CFYR008
Barry Chabala(guitar), Ben Owen(synthesized tones,field recordings)
試聴:http://cfyre.co/rds/
http://soundcloud.com/rfkorp/antoine-beuger-un-lieu-pour
 何事もない環境音がずっと背景に流れ、そこに時折(ことさらに間を空けて音数を「節約」した)ギターや電子音が無造作にかぶさる‥‥。しかし、以前にレヴューした同レーベルからのAnne Guthrieの作品において、彼女のフレンチホルンが訥々と奏でるバッハが、環境音の指し示す風景を画面外から伴奏しているようにも、あるいは彼女がその環境音の鳴っている同じ空間の中にいて、まさにそこで演奏しているようにも聞こえ、さらに環境音のミクロな起伏や突如として起こるアクシデントにそばたてられる耳が、決して流麗には進まないバッハの演奏にそのまま差し向けられることにより、響きが粒立ち、ことさらに微分化/異化しながらとらえられることになるという、巧みな仕掛けが組み込まれていたことを思い出そう。本作品でもあまりにも都合よくリズミカルに通り過ぎる自動車、様々に異なる排気音やまれに鳴り響くクラクション、あるいは大音量のカー・ステレオの与える差異/変化、聞こえてくる集団(様々な性別/年齢層)の声の響き具合、何か工事をしているのだろうか、作業の物音や機械の作動音の多彩さ等を考えると、環境音も巧みに編集/抜粋されているものと想像される。さらにギターやエレクトロニクスによるサウンドは、ただ長い間を空けて奏でられるだけでなく、ある時は突如として眼前に立ち上がって環境音のコンテクストを切断し、あるいは環境音の陰に(例えば機械の作動音の合間に)ひっそりと身を横たえる。そして環境音の中からも、自動車の通過音のゆるやかな繰り返しという基調モードから、突如として声や物音が立ち上がり、風景を異化してみせる。そうこうするうちに、たとえば車の通過する向こうに通りがかりの者の話し声や歌声が聞こえる時、手前に掲げられる電子音やふと投げ込まれたギターのストロークは、画面に添えられたサウンドトラック(伴奏音楽)のように聞こえてくる。おそらくは時間指定がもたらしたのだろう最後の断ち切られ方(突然訪れた死にも似た)も、フェード・アウトすることなく、そのまま現実の時間に暴力的に接続するためではなかろうか。こうした多重に入り組んだ決定不能な厚みをAntoine Beugerの作曲(状況設定)がもともと意図していたものなのかはわからないが、少なくとも本作品の演奏者たちは、明らかにそうした可能性を引き出そうとしているように思われる。「ただ疎らに音がなっているだけ」というWandelweiser派への理解は、単なる都市伝説に過ぎない。150枚限定。

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ディスク・レヴュー | 00:11:08 | トラックバック(0) | コメント(0)
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