■プロフィール

福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

■最新記事
■最新コメント
■最新トラックバック

■月別アーカイブ
■カテゴリ
■リンク
■検索フォーム

■RSSリンクの表示
■リンク
■ブロとも申請フォーム
■QRコード

QR

クラリネットの匿名的な響きとピアノの〈短詩型文学〉-「タダマス5」レヴュー  Anonymous Sounds of Clarinete and "Short Form of Poetry" for Piano - Review for "TADA-MASU 5"
 4月22日(日)の四谷音盤茶会第5回(=「タダマス5」)は、クラリネットの復権を巡って、後半は菊地雅章のECMからのリリースをひとつの核として、アンサンブルの在り様について興味深い議論が交わされていた。当日の詳しいプレイリストは下記URL(※)を参照していただくとして、個人的に触発された部分を中心に振り返ってみたい。
 ※http://gekkasha.modalbeats.com/?eid=953824
 なお、この日の様子については、すでにホストの一人である多田によるリポートがある(*)。
 *http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/day?id=7590&pg=20120422


1.クラリネットの匿名的な響き

 「クラリネットの復権」については、益子博之が以前の四谷音盤茶会で「最近のNYジャズ・シーンではクラリネットが復権してきている」と語ったことに触発されて、私自身も感じていたクラリネットの活躍について、その正弦波にも似たするりとした響きならではの世界の魅力を、あくまでも私自身の耳の個人史に即してであるが、本ブログで論じたことがある(「クラリネット・ルネッサンス-クラリネットを巡る耳の個人史から」2012年2月1日)。今回は、益子自身が「自分で『クラリネットの復権』と言いながら、実はかつてとはクラリネットの使われ方が違うので、『復権』じゃないんですよね」と話しながら、かつてかけた「The Clarinetes」等とは重複しない選盤により小特集してみせた。
 そこで明らかにされたクラリネットの響きの性格を最も象徴的に表していたのは、後半でかけられたTim Berne『Snakeoil』 (ECM)における二管の関係性だろう。そこではBerneのアルト・サックスにOscar Noriega(The Clarinetesにも参加)のクラリネットが「影のように付き添って」(益子博之)いた。フレーズを選び、確かな筆致でラインを描いていくアルトに対し、クラリネットはそうした軌跡の輪郭を明らかにしないまま、影の中に身を沈めてしまう。「匿名的な響き」(同)。
 やはりThe Clarinetes のメンバーであるAnthony Burr『Anthony Burr』 (Skirl)においても、自動車のエンジンのうなりや走行音と重ね合わされたクラリネットは、やはりいっしょに用いられた正弦波と見分け難いすらりとした音で、ノイズの揺らぎの中に浮き沈みし、一方バス・クラリネットは水平にたなびきながら、背景へと沈み込んでしまう。その様子は昔の8mmフィルムをサイレントで映写しながら、その前でそれぞれ薄いグレーと濃いグレーのコスチュームを身にまとったダンサーが、ゆるやかに動いているようだった。二人は自らの輪郭を際立たせることなく、背景からふと浮かび上がり、あるいはすっと沈み込みながら、ゆっくりと空間を横切っていく。

 
  Tim Berne『Snakeoil』    Anthony Burr『Anthony Burr』

 こうしたクラリネットの〈生態は、確かにスウィング・ジャズの花形楽器だった「黄金時代」とは全く異なるものだろう。そこはもはやジャズはないのだろうか。この点については、Travis Laplante『Heart Protector』 (Skirl)で聴かれた重音を駆使したソロに対して、「今の演奏を胸を打つバラードと聞いた」という多田の一言に尽きる気がする。奏法やサウンドは一見確かにいわゆる「現代音楽」的ではあるが、そこに眼を凝らすならば、息がにじみ/にごりにフォーカスしながら、ケント紙ではなくパステル用画用紙のざらつき(ミクロな凹凸)をサウンド・テクスチャー化していることに気付くだろう。そして、そうした息の手触りは、前後に揺れながら、むしろため息/吐息の軌跡を描いていく。フレーズやコード進行の次元でも、トーンの次元でもなく、息の生々しい手触りとタイミングのずらしによる〈体感〉レベル(それはふわりと浮き立つ浮遊感であり、確固たる地面を踏みしめることのできない足元の心もとなさである)の次元で、紛れもない〈ジャズ〉である音楽。
 このことは「リズムの訛り」と紹介されたSteve Lehman Trio『Dialect Fluorescent』 (PiRecordings)にも共通している。Lehmanの無伴奏ソロは、彼の師であるAnthony Braxtonの『Saxophone Improvisations Series F』のやはり正弦波と見分け難い滑らかな音色、ゆるやかに引き延ばされた起伏、冷気のように広がる静謐さをそのまま描き出しながら、そこに微分リズム的な不均衡を持ち込む。演奏がトリオになると、微分リズムはリズム・セクションに転移し、Lehmanは明るい開放的な音色でモールス信号のようにシンコペートされたソロを重ねる(その演奏はは私になぜかアルバート・アイラーを思い起こさせた)。ここでも、〈ジャズ〉は体感的な揺らぎの中にこそ息づいている。
  
    Travis Laplante         Steve Lehman Trio        Anthony Braxton
    『Heart Protector』      『Dialect Fluorescent』   『Saxophone Improvisations Series F』


2.ピアノの〈短詩型文学〉

 後半のハイライトは、やはりようやく先頃ECMからリリースされた菊地雅章トリオ『Sunrise』だろうか。ジャズ・サイトcom-postにおけるクロス・レヴューでも「わからない」発言が出ていたが、私も当日かかった2曲を聴いて、最初いささかもどかしい感触が残った。響きの美しいところだけを見事に切り取った菊地のピアノ、Thomas Morgan(bass)の鮮やかにツボに鍼を打つ神業、そしてトントントンと3回叩くだけで寝違えを直すPaul Motian(drum)の相変わらずの名人整体師ぶり。達人揃いのトリオということはすぐに響いたが、景色が全体として像を結ばない。
 「リズムにしろ、ハーモニーにしろ、サウンドにしろ、インプロヴィゼーションなのに恐ろしいほど同期している」(益子)、「Thomas Morganは菊地のヴォイシングのひとつ先を的確に見詰めて弾いている」(佐藤浩一:今回のゲスト)、「ピアノ・トリオでこれだけベースの音が大きいミキシングはまずない。これはThomas Morganに軸を置いた演奏」(益子)というやりとりを聴いて、耳に残る響きのピースが組みあがってきた。
 これは、菊地が次々に詠みあげていく和歌の連なりなのだろう。例の菊地のうめき声は「〇〇にて詠める」という題辞にも似たものであり、そこで示された視点から一瞬垣間見えた景色の閃きに向けて、ピアノが鋭く切り込み、語/音を積み上げ、響き/イメージを掘り進み、ドラムが呼吸を伸縮させ、ゆるやかな弧を連ねて、ベースが点景を指し示し、句読点を打つ。決して弾きすぎることのない菊地のピアノは淀むこと/立ち止まることを知らず、するすると流麗に流れ続けるが、実は至るところで切断され、先端/断面を宙に泳がせている。和歌を綴る筆の軌跡、墨の跡が、そこかしこで余白に遊ぶように。そこに浮かぶ情景もまた。
 冒頭の2曲を一度聴いただけで何かわかった気になるのも噴飯ものだが、益子・多田・佐藤のやりとりに立ち会わなかったら、こうしたひらめきは生まれ得なかったろう。「複数の耳の間」にこそ生じるものに感謝したい。


  Masabumi Kikuchi Trio
      『Sunrise』


Eivind Opsvik『Overseas Ⅳ』
     (Loyal Label)
本文中では触れられなかったけど、
これも変てこで面白かったなー。
ハープシコード多用のシェークス
ピア劇音楽風北欧サイケみたいな。

スポンサーサイト


ライヴ/イヴェント・レヴュー | 21:28:55 | トラックバック(0) | コメント(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad