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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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多田雅範の文章世界(補足)  Masanori Tada's Composition World (Supplement)
 前回の論稿「多田雅範の文章世界-疾走する眺めは人生の本質的なランダムネスを思い出させる」に対し、多田雅範が自身のブログで早速レスポンスを返してくれた(*1)。
 *1 http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/day?id=7590&pg=20120930

 「音楽のことなのに日常生活の記述が入り込むスタイル」は、友人とカセット・テープの交換をしていた18歳の頃からのものだという。「キチンと音楽のことを書ききれないので雑談するのだ」と彼は書いている。確かに最初はそうだったのかもしれない。しかし、そうした記述が継続の中で練り上げられるにつれ、それはむしろ音楽を聴くことが日常生活の一部であり、「いま・ここ」を離れた記憶に結びついていることを見出すに至ったのではないか。

 私の場合、音楽/音について書くことは、単に目の前で起こっていることをとらえるだけでなく、それを言葉に置き換えるために、音/響きの綱を伝って、意識の深みへと潜行し、同質の感覚/体験を表す言葉や情景を探り、それをつかんで再び浮上し、それを文章として配置し直すプロセスを必ず含むものである。書くこととはすべてそうなのかもしれないが、身体の奥底深くに積もった記憶の層をくぐり抜けることを必要とする。多田の文章は、その「夢」的な記述を通じて、そうした記憶の層に深く強く結びついていることを明らかにしている。

 前回の論考の中で、自分(=福島)が書いたディスク・レヴューの一節が、多田に引用されることによって変容する旨を記した。それはたとえば言葉を抽象的なイメージの連なりから引き剥がし、具体的な体験の断片へと変えてしまう。「うつらうつらとした夢うつつのうちに気がつくともう遠く通り過ぎている夜汽車の踏み切り」は、列車の座席の固さや窓ガラスの冷たさを思い出させ、「鳴り終わってから気づく階下の大時計の打刻鳴鐘」は古い家屋の軋みや遠い風鳴りを伴い、「とうに灯明を消したはずの仏間から漂ってくる香の匂い」は湿った畳や古い座布団の匂いと混じりあって眼に見えるほどはっきりとした際立つ強い香りとなる。

 そうした感覚を、多田の許しを得てブログ掲載の家族写真を並べることにより、視覚の助けを借りて幾分かでも補足しようとしたのだが、あまりうまく行かなかった。多田は「この夏のお墓参りの集合写真、40年前の親族写真が、他人の読みと手によって、ぼくの目の前に現れるとき、この写真の人たち(この世にいない人も多数)が、ぼく(のテキスト)に会いに来てくれたような」感情を持ったと記しているが、それは私の論稿に対する過大評価で、私は単に、見かけ上は音盤を語る彼の文章の背後に「彼ら」が、「彼ら」と過ごした記憶が、深いドローンのように鳴り響いていることを指摘したに過ぎない。

 前回の論稿では私の力不足で、多田による夢の記述の素晴らしさを充分に描き出すことができなかった。幸いなことに、今回、多田は自身が以前に記した夢の記述の幾つかに、今回掲載の記事(前掲のURL参照)の最後でリンクを張ってくれている。ぜひ、彼によるオリジナルの、とりとめなくかたちを変えながら、足元から崩れ去っていくような記述を実際に読んでみていただきたい。



夢の記述と言えば思い出すのが内田百『冥途』
  
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批評/レヴューについて | 18:44:08 | トラックバック(0) | コメント(0)
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