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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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名古屋スキヴィアス② - 服部レコンキス太『音について その1-語りの音楽 フィールドレコーディング-』  Scivias in Nagoya vol.2 - Reconquista Hattori “On Sound vol.1-Narrative Music Fieldrecording-”
 前回に続いて名古屋に新規開設されるスペース/音楽&薬草バー「スキヴィアス」について。今回は前回少し触れた店主である服部の近刊『音について その1-語りの音楽 フィールドレコーディング-』を採りあげることにしたい。


1.音と向かい合うこと

 ここで服部は12ページ足らずの限られた紙幅の中で、29の音源(下記リスト参照)について聴きながら順に語っていく構成を採っている。彼の耳はそこに現れるサウンドスケープをさまよい、襞に入り込み、あるいは遠くから眺望し、時に逡巡したり、眼を凝らしたりしながら、メロディ/リズム/ハーモニーといった通常の「音楽」の構成要素を離れたサウンドに対し、随所で遭遇する当惑を隠すことなく、移ろうままに書き付けていく。それゆえ論旨は積み上がらず、読者は結論へと手短に導かれることなく迂回/彷徨し続けることになる。要領の良いまとめ(そんなものはネット上に幾らでも転がっている)を求めれば失望してしまうかもしれない。だが、この文章の価値はこの記述にこそある。彼は『音について』との表題に愚直なまでに忠実に、音をして語らしめようとしているのだ。

 音そのものと向かい合うことを回避し、聴くことをミュージシャンの略歴や要約されたインタヴューや既存の評価に従属させ(それらに適合した部分のみを都合よく切り取る)、果ては置き換えてしまおうとする音楽批評ばかりが生産される中で、こうした彼の姿勢は果敢かつ貴重なものと評価できる。経歴や作品目録は何も語らない。語るのは「音」であり、それを聴くのは「耳」である。彼はこの当たり前の事実を改めて確認するように、音にまず耳を浸し、しばらくは距離を置いて全体を静かに眺め、その後、耳の視界をゆっくりと広角にパンさせていく。それを書き付ける言葉もまた、そうした耳のゆるやかな運動を共有している。ゆっくりと深い呼吸の下、起伏や濃度の変化を抑えた平らかな記述が、ゆるゆると続いていく。そこにはこうしたゆるやかな持続のうちに開かれた耳だけが聴きつけられる音の姿/手触りが刻まれている。

 このようにして音と向かい合い、それを記述することで、発酵を促すように思索を深めていくやり方は、彼が音楽ミニコミ誌『TOHU BOHU』に掲載した『ヒルデガルト・フォン・ビンゲン ある女性と音楽』においても試みられている。以前に本ブログに掲載したレヴューから以下に引用したい。

 本稿の特徴として、記録映画のナレーションを思わせる、文体の一貫して落ち着いた声音を挙げることができるだろう。ヒルデガルトの歩みを、その時代背景を、彼女の音楽の特質を、そこから連想される主に現代の作曲家とその作曲作品を語りながら、その声音は少しも調子を変えることがない。「地」と「図」の違いを際立たせることもなく、つねに適切な距離を保ちながら、一定の速度で歩み続け、どこにも行き着くことがない。服部はヒルデガルトの音楽を彼女の人生にも、時代背景にも、あるいはその幻視者としての能力や宗教性にも還元しようとしないし、また、その帰結/完成を現代の作品に求めて、彼女を始祖として崇めたてることもしない。自ら設立した修道院の生活、権力者との駆け引き、メシアンやスクリャービン、宗教音楽と音楽劇、グバイドゥーリナやシュニトケ、ペルト、教会音楽と世俗音楽の交錯、チェルノヴィン、多重構造による空間、サティやフェルドマン‥‥優美なカードのようにゆるやかに繰り出されるそれぞれの風景は、決して論旨を積み重ねることなく、物語的な連想の線に頼ることなく、色合いや匂い、味わいや肌触りの類似を手がかりに並べられ、互いの響きあい/映しあいを通じてホログラムのように淡く彼女の姿を浮かび上がらせる。
 「彼女の音楽で印象的なのは、ドローンとリリースの長い楽器群および声がレイヤーされた、独特の音響効果である」というように、音楽史的な用語ではなく、録音や編集を当然の前提とした現代の用語を用いて、耳元に届く音を対象化したのも適切な方法だったろう。それゆえにこそ、次のような微妙な色合いをとらえた「共感覚」的な描写分析が、神秘化・内面化に落ち込むことなく、説得力を持ちうるのである。「合唱されるパターンが教会特有の深い残響で色付けされる。複数の声で歌われる旋律は、個々の声質の差で微細に揺らめく。(中略)フレーズごとの休符では残響が淡く変化し、高揚する箇所ではフレーズごとの休符がつめられ、旋律は万華鏡のように変化していく。ドローンの微細な動きと旋律の変化が干渉して混ざりあい、色彩的な変化に深みを増している。」
 いま「共感覚」と書いたが、それはヒルデガルトの中に起こっていることであって、服部が「共感覚」の持ち主であることを必ずしも意味しない(もちろん別にそうであっても一向に構わないのだが)。音を思考の対象とする場合、中立・客観的な描写がまずあって、次に分析が発動するといった手順にはならない。常に分析を含んだ(先取りした)描写にしかなりえないのだ。その時に聴覚の描写に視覚をはじめ、他の感覚の次元を持ち込むことは非常に有用である。本稿における服部の描写分析は、耳の〈視線〉や皮膚の〈味覚〉を十二分に駆使したものとなっている。そうした描写分析の感覚的強度が、ここでの一見坦々とした叙述を支え、「複数の耳を結ぶ」力の源となっていることを評価したい。
 フェルドマンの音世界に対して、彼は一方に、静謐な弱音がゆったりと広がり(マクロな空間)、永遠に続くかのような緩やかな時間の流れを聴きとり、もう一方で顕微鏡的に拡大された(ミクロな空間)音の刻々と変化する運動の細かく複雑な運動がもたらす速い時間の流れをとらえるが、この対比はそれだけで取り出されることなく、ヒルデガルトの音の世界に、あるいは他の言及された作曲家たちの作曲作品の時空間に響いていくことによって、遥かに豊かなイメージ/感覚の広がりを生んでいる。
※http://miminowakuhazushi.dtiblog.com/blog-entry-81.html


2.途切れることのない言葉の流れ

 「冒頭ジャン=フィリップとの会話に、騒がしい街の雑踏、タブラとエキゾチックな音楽がレイヤーされる。それぞれの音が、ある時は前景、ある時は後景と、映画のカット割りのように別アングルとなり、各素材のポジションが入れ替わる。シーンが切り替わり、ジャン=フィリップの詩の朗読に、華やかなサンバの隊列の音響が、通り過ぎるかのようにフェードアウトしていく。次いで落ち着いた路地裏のような音場が現れ、タブラがリズムを刻むその上にラテン風のメロディーが流れる。しばらくすると、暗転するかのようにモノクロームな印象のウィンドチャイムのような音が静かに鳴り、そこへタブラと、朗読する男の声、ラテンの音楽、ハミングのような歌声、賑わしい街の雑踏が、色彩を取り戻すかのように浮かび上がり終わりを迎える」(服部レコンキス太『音について その1-語りの音楽 フィールドレコーディング-』より)
 
 途切れることのない言葉の流れは、風景を経巡るようにイメージを連ね、いわば残像のうちに異なるイメージを結びつけ、敷き重ね、溶け合わせていく。それはフィールドレコーディングによる音風景の移り変わりを耳の視線がスキャンしていく時と同じ振る舞いと言えるだろう。服部は「フィールドレコーディング作品を聴く」ことをなぞり深め、ある意味擬態することにより批評を展開している。
 ここでは「語りの音楽」もまた表題に掲げられ、同様に聴取/探求の対象とされている。「語り」といっても構造分析の対象とされるナラティヴではなく、ロバート・アシュリーによる「テクスト・サウンド」が採りあげられていることに改めて注意を喚起したい。
 「テクスト・サウンド」の呪文ともつぶやきともつかぬ、息継ぎを欠いたままどこまでも途切れることのない言葉の流れは、次第に語の輪郭を失って音節の連鎖の中に溶解し、後にはアクセントのある母音や特徴的な子音のパルスに伴われた、口腔の響きのドローンだけが残ることになる。すなわち、ここで「テクスト・サウンド」にそばだてられる耳は、フィールドレコーディングに視線を走らせる耳と同じものをとらえているのであり、やはりそれは服部のテクスト戦略である擬態の対象なのだ。
 ここでは採りあげられていないが、「私は部屋の中に座っている」という男のつぶやきを録音し、再生した音をまた録音することを繰り返すうち、部屋の残響とひとつになって語の輪郭はもちろん声の手触りすら消え失せ、最後には玉を転がすような鈴鳴りだけが響くに至るプロセス・ミュージック「アイ・アム・シッティング・イン・ア・ルーム」(アルヴィン・ルシエ)は、さらに適した例と言えるだろう。
 

服部レコンキス太『音について その1-語りの音楽 フィールドレコーディング-』
主要参照音源リスト

1 ロバート・アシュリー『サラ、メンケン、キリスト、そしてベートーヴェン、そこには男と女がいた』
2 アルヴィン・ルシエ『ザ・デューク・オブ・ヨーク』
3 リュック・フェラーリ『ほとんど何もない』
4 リュック・フェラーリ『異型接合体』
5 ピエール・シェフェール『Le Triendre fertule』
6 ミッシェル・シオン『LE Tentation de saint Antoine』
7 鈴木治行『語りもの』
8 ジャン・クロード・エロワ『楽の道』
9 ジャチント・シェルシ『natura renovatur』
10 ジャチント・シェルシ『tre pezzi』
11 イアンク・ドゥミトレスク『Le Silence D'Or(Israel Version)』
12 チン・ウンスク『Xi』
13 ゲダリア・タザルテス『皆既日食』
14 AMEPHONE『RETROSPECTIVE』
15 ジャン=リュック・ゴダール『映画史』
16 Akos Garai『BARGES&FLOWS』
17 Mathieu Ruhlmann&Banks Bailey『Anaadiih』
18 Frederic Norgay『BUITI BINAFIN』
19 John Grzinich『Madal Oo(Shallow Night)』
20 Jez riley French『instamatic snowdonia』
21 Jez riley French&Barry Chabala『Trammels』
22 Five Elements Music『Vridavan』
23 Simon Wetham『Mall Muzak』
24 Simon Wetham『Connection』
25 フランシスコ・ロペス『La Selva』
26 Xavier Charles『JAUNE』
27 田んBoy
28 すずえり&Mark Sadgrove『10thSep2011@enban』
29 Xavier Charles, Michel Doneda, Jea-Leon Pallandre『Gaycre [2]』
※他にごく短く言及される音源もある。
  


服部レコンキス太『音について その1-語りの音楽 フィールドレコーディング-』
コピー誌 A4×12ページ CD-R×2枚付属 頒価(送料込み)
問合せ先:Reconquista.tori@gmail.com

服部レコンキス太+虹釜太郎『半分太 vol.1 ダイアローグ 音について』
コピー誌 3万字超 CD-R付属 頒価700円(送料込み)
問合せ先:icerice108@gmail.com
※『音について その1-語りの音楽 フィールドレコーディング-』の補足的内容
http://d.hatena.ne.jp/toxicdragon/20121228の紹介文参照

なお、スキヴィアスでは『音について その1-語りの音楽 フィールドレコーディング-』を題材としタイヴェントも2月3日(日)に開催される。何と冊子『音について その1』+1ドリンクで1000円とのこと!
詳細は音楽&薬草バー「スキヴィアス」ブログ:http://otyto.hatenablog.com/ を参照。



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ライヴ/イヴェント告知 | 22:21:18 | トラックバック(0) | コメント(0)
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