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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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「ジョン・ケージ・ショック」その後  "John Cage Shock" and After
 昨年はジョン・ケージ生誕100年ということで、これを祝うイヴェントが数多く開催された。そのうち私自身が実際に見聞きできたものはごく一部に限られ、CD等の復刻/発掘録音物や雑誌の特集記事等のテクストのみなのだが、そこに感じたある種の「違和感」について書いてみたい。


1 好々爺ケージ?

 『ユリイカ』2012年10月号「特集ジョン・ケージ 鳴り続ける〈音〉」の表紙写真は、「破顔哄笑するケージのよく知られた写真をプリントしたTシャツ」を着たケージ‥という重層的なものとなっている。彼は静かな微笑みをたたえており、そんな大笑いをさらした過去も、そうした写真を大きくプリントしたTシャツを制作するあざとい企画も、さらにそのTシャツをケージ本人に着せて写真を撮ろうといういささかブラックなヒューモアも、すべて心広く受け入れているように見える。ここに収められた各論稿も、この「微笑みに満ちたケージ」のイメージを覆すものではない。森に遊びキノコを採集したケージ、易経にすべてを委ねコインを投げ続けたケージ、試みの結果を常に許容したケージ‥‥。わずかに小野洋子の作品が掲げる簡素なインストラクションとの対比でケージと伝統とのつながり(彼の吹っ切れなさ)を指摘する論があるくらいだ。それも混乱するパフォーマンスの中心に人々が見出すケージの「ビッグ・スマイル」(高橋アキ)や献辞の「ケージ」の綴りを間違えてもそれを受け入れたケージ(坂本龍一)といったなごやかな思い出に埋もれてしまう。彼/彼女らはみな静かな笑みをたたえすべてを許し受け入れる寛大な「祖父」であるケージに甘える孫たちのようだ。そこに「父」との関係がはらむ緊張や対立を見出すことはできない。どこまでもぬくぬくと暖かい回想だけがある。

 調性の重力を逃れた軽やかな音たちを、息もできないほど雁字搦めの十二音技法やトータル・セリエルの網に捕えるのではなく、にこにこと微笑みさざめく遊戯へと解き放つこと。朝の光に祝福された小鳥たちの羽ばたき。河原で拾った様々な形をしたきれいな小石のコレクション。丸みを帯びたヒューモアに彩られたキノコの音楽。
 だが、そうした争いや暴力と無縁な音の「静か」な佇まいは、ケージのほんの一側面に限定した見方ではないのか。

 プリペアド・ピアノから湧き出すそれぞれに異なる風変わりな形の音たちは、響きが互いに衝突しあう苛烈な戦争状態の産物であり、いわばピアノの「音の身体」の引きちぎられた断片にほかならない。美しく彩色された図形楽譜は初演者デヴィッド・チュードアに厳密な測定と規則づくりを要求し、ブラックマウンテンにおける同時多発的なパフォーマンスや「4分33秒」初演会場を満たしたざわめきは、そこに居合わせた者たちを激しく揺さぶり、当惑で刺し貫いたのではなかったか。

  『ユリイカ』ケージ特集号


2 『ジョン・ケージ・ショック vol.1〜3』

 今回「オメガポイント」からリリースされたジョン・ケージとデヴィッド・チュードアの初来日公演(1962年)を収めた3枚のCDを聴いてみよう。1枚目冒頭に収められているのは高橋悠治とチュードアのピアノ・デュオによる武満徹「ピアニストのためのコロナ」。このキーボードのための図形楽譜作品については、ロジャー・ウッドワードやジム・オルークの一人多重録音による演奏を聴くことができるが、それらが持っている空間を遍く満たす広がり(前者においては敷き重ねられたピアノが、後者においてはオルガンのドローンが担う)は、ここにはない。鍵盤を力強く蹴立てるアタック。射抜くような鋭い立ち上がり。引き絞られる弦のうなり/軋み。沈黙はぴりぴりと励起され、人を寄せ付けぬ張りつめた気配を発し、音は前後を鋭く断ち切られて、いまこの瞬間に即物的強度をもって屹立する。グループ化された音群のちらつきさえもが、砕け散る鍵盤の軌跡に沿ってまちまちの方向に散乱する。ここにあるのは曲題「コロナ」が暗示する希薄な広がりではなく、むしろ持続を欠いて凶暴に噴き上がり渦巻く「フレア」や「プロミネンス」にほかなるまい。それは私たちが通常「武満」の名から思い浮かべる響きとは程遠く、彼の処女作「二つのレント」を山根銀二が評した「音楽以前」の不気味さをさらけ出しているように思われる。

 そのことはチュードアによるピアノの響きが、次に収録されたクリスチャン・ウォルフ「ピアニストとヴァイオリニストのためのデュオ」に違和感なく連続していくことによっても証し立てられている。「一方の演奏者は田野演奏者から次の音を聞き取るまで音を出し続けること」等、幾つかのルールによって構造化された演奏は、唐突に断ち切られ、あるいは限界まで引き延ばされる張りつめた音を通じて、遊戯の残酷極まりない一側面を引き出してみせる。マイクロフォンの冷徹な視線が、空間に黒々とわだかまる超低域の暗騒音の影を浮かび上がらせていることも見逃すべきではない。
 一方、2枚目冒頭からいきなり音が全速力で駆け巡るカールハインツ・シュトックハウゼン「クラヴィアシュトゥック(ピアノ曲)X」は明らかに異なる音の様相を呈している。「できる限り速く」等の演奏指示はトータル・セリエルな建築性よりも、様々な音の流動状態の立体交差的なコンバインをもたらす。次から次へと押し寄せ、聴き手に襲いかかる音の波浪/激流は、だが垂直に切り立った打撃による痛いほどの粒立ち(硬質な輪郭を備えた粒子性)を片時も失わない。この日が世界初演であったというこの曲は、ケージやウォルフの作品とはまた別の角度から、聴衆の耳を打ちのめし圧倒したことだろう。

 こうした流れは1枚目の後半を占める「ヴァリエーションズII」でひとつの頂点を極める。ケージとチュードアの二人がグランド・ピアノから容赦なく引き出す様々な軋みは極端にアンプリファイされ、壁を揺るがすエレクトロニックな轟音へと姿を変える。ねじ切られた金属の断面を思わせるギザギザとささくれた輝き。響板をばりばりと引き剥がし、鍵盤を打ち壊し、鋼線を切断しあるいは引きちぎる‥‥。端的にピアノを破壊しているとしか思えない壮絶な悲鳴が間歇的に響き渡る。と同時に繰り返し轟音に断ち切られる沈黙が、極限まで感度を高められたマイクロフォンの前に、超高電圧に励磁された灼けるような臭いと一触即発の不穏さをたたえ、ざらざらと触知し得るマテリアルな存在として姿を現していることに注意しよう。聴き手はこの迫真性に満ちた無言の圧力に終始脅かされ続けることになる。

 沈黙は、3枚目の冒頭に収められたケージ自身の「演奏」による「0分00秒」でまた別の角度から焦点を当てられる。「日常的な動作を可能な限りアンプリファイせよ」という簡潔な指示のみで成り立っているこの作品は、ふだん意識することのない日常の一部分、意図せざる音に満ち満ちた余白部分を顕微鏡的にクローズアップすることにより、聴衆をそれと向き合わせる点で「4分33秒」の続編と目されるものだ。
 極端に電気増幅され耳に痛い打撃音や摩擦音は常に間歇的で、音を生み出しているケージによる日常動作が至極淡々と進められているためだろう、音が積み重ならず、高揚したカタストロフに至ることがまったくない。それゆえ「聴き慣れる」こともできない。その後に現れた、これよりもはるかにやかましい超大音量のハーシュ・ノイズを放出する一群が、過剰な情念をはらみ、ショー・アップされたクライマックスを含むことで、たやすく消費に回収されてしまう(耳に心地よい「快感ノイズ」として)こととの残酷な対比。
 「0分00秒」は「聴け」というインストラクションにより聴き手の主体的な能動性を引き出すのではなく、客席に縛り付けられた聴衆に襲いかかり、有無を言わさず耳をなぶり蹂躙する。聴衆が舞台上で繰り広げられる得体の知れない(しかし日常的には見慣れた)パフォーマンスと、それとは明らかに断絶/隔絶した聞き覚えのない異様な音(の組合せ)に圧倒されていたことは、客席から2回ほど起こる笑いの様相に看て取れる。聴衆が個々で改めて注目を余儀なくされた生活の細部を、一定の距離を確保して対象化し、「余裕」を持って見る/聴くことができたならば、そこに洗われる日常と非日常の喜劇的な乖離に、終始くすくす笑いを漏らしていても構わないはずだ。しかしそうはならない。聴衆たちは互いに顔を見合わせる余裕すらないのだろう。笑いは付和雷同的に力なく起こり、ほっと一息ついただけですぐに静まってしまう。
 おそらくは各事物の表面に装着されたコンタクト・マイクロフォンで音を拾っているためだろう、増幅された物音の背後に広がる空間のざわめきは、「ヴァリエーションズII」の方がはるかにギラギラと強迫的である。沈黙の一部を選択的に前景化することと、サウンドに不可分にまとわりつく沈黙がいっしょに前景化してしまうことの違いが、ここには横たわっている。
  
  『John Cage Shock vol.1』  『John Cage Shock vol.2』   『John Cage Shock vol.3』

※各作品内容については、オメガポイントのHPをご参照ください。
http://omega-point.shop-pro.jp/?mode=cate&cbid=1339467&csid=0&sort=n


3 忘却過程

 ここに収められた音は有無を言わさず聴く者に襲いかかる。対象化のために必要な距離の確保を許さず、冷ややかに空間を切り裂き、見たことのない高さにまでそそり立ち、鋼鉄とガラスの響きで時間の流れを縛り上げる。多くの初演作品を含むプログラムが日本の聴衆に与えたのは、西欧現代音楽最前衛の響きというより、いきなり横面を張り飛ばされ、鳩尾に蹴りを入れられて眼が眩み、吐き気がこみ上げる「当惑」にほかならなかったのではあるまいか。
 これらの音がここ日本で放たれてから50年が経過していることに、改めて驚かされる。これだけ強靭な音の残響が、冒頭で触れた『ユリイカ』ジョン・ケージ特集号に、いや他の紙面やあるいはネット上で遭遇する他のケージを巡る言説にまったく聴き取れないことに、眩暈にも似た感慨を覚えずにはいられない。この50年は「ショック」によって切り裂かれた傷口を癒し、忌まわしい記憶を忘却するための年月ではなかったかと。

 ジョン・ケージ、クリスチャン・ウォルフ、アール・ブラウン、モートン・フェルドマン。「ニューヨーク四人組」と大雑把にくくられる中で、いま最も時代に愛されているのはフェルドマンではないだろうか。一般的な知名度や言及の回数ならケージに軍配が上がるだろうが、ケージへの賛辞にはいつも先の残酷な忘却が前提としてつきまとっている。
 エレクトロ・アコースティックなフリー・インプロヴィゼーション、フィールドレコーディングによるサウンドスケープ等を聴いていると、時折、フェルドマン的な美学にあまりに傾きすぎてはいないかと感じることがある(そういえば評文で「フェルドマネスク」なる形容詞を見かけたことがある)。空気をかき混ぜてしまわないよう、その揺らぎを凝視しながらゆったりと間を空けて並べられる弱音の響き。それらの音は線で結ぶことができず、はらはらと糸が解けこぼれ落ち、ばらばらに沈黙に溶けていく。不純物を含まず、どこまでも透明で、沈黙を満たす微かなざわめきすら静まり返らせる音。

 フェルドマンはジャクソン・ポロックの記録フィルムのための音楽を書いており、そのフィルムをジャクソン・ポロック展会場で観たことがある。水平に置かれた板ガラスの裏側から見上げるキャメラに対し、大胆にポーリングの絵筆を振るうポロック。あるいはせわしなくタバコをふかしながら、アトリエの床に敷き広げたキャンヴァスの縁を経巡りつつ踊るようにポーリングを施すポロック。ハイキーで輪郭が白く飛んだ画面は、鼻をつく塗料の臭いも、傷だらけの床の埃っぽさも、彼の足音や息遣いも、作品制作中に大音量で鳴らしていたというジャズの騒々しさも伝えることなく、フェルドマンのつくりだす透明で冷ややかな響きの浮き沈みとともに、ポロックの動きを抽象的な光の流れ/明滅へと変貌させていった。

 引き延ばされた長大な時間の中で、ゆるゆると結び目を解かれ、次第に透き通り昇華していく音。芯まで燃え尽き、すべて灰となる響き。フェルドマンの沈黙は手触ることができない。彼のつくりだす響きに耳を浸していると、耳の輪郭が蜃気楼のように薄らいで空間に溶けてしまいそうになる。
 Nyダウンタウンで活動するスキンヘッドの多楽器奏者エリオット・シャープは学生時代にフェルドマンの生徒だった。街頭の喧噪を録音したテープとソプラノ・サックスやギターのインプロヴィゼーションを重ね合わせた作品を提出したところ、「社会学的すぎる」と評されたという。
  
    フェルドマンの音をまとって描くポロック      フェルドマンの盟友たちによる2000年の演奏


4 聴くことの多元性

 常に聴くことは多元的である。この多元性はケージが「ロワラトリオ」の制作でジェームズ・ジョイス「フィネガンズ・ウェイク」に登場する様々に種類の物音や世界各地の響きを収集したような、起源の多元性に回収されるものではない(それらの音は混ぜ合わせればたやすく一様な広がりへと姿を変えてしまうだろう。音は常に沈黙のざわめきに汚染され、響きの輪郭は空間に滲みださずにはいない。「沈黙は存在しない」とのケージの宣告を裏返せば、私たちは音だけを聴くことはできない。音は常にいつも、私たちが聴くことを意識し身構える前に耳に届いてしまう。耳は常に不意打ちされるよりない器官なのだ。それゆえ私たちはケージの耳を忘却してはならない。


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ディスク・レヴュー | 22:17:15 | トラックバック(0) | コメント(0)
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