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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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ポップ・ミュージック再構築への視点 − 「タダマス8」レヴュー  A View Point for Reconstruction of Pop Music − Review for "TADA-MASU 8"
 1月27日(日)、四谷三丁目綜合藝術茶房喫茶茶会記において、第8回四谷音盤茶会(通称「タダマス8」)が開催された。今回のゲストは橋爪亮督グループ等で活躍するベーシスト織原良次。本日の予定は2012年第四四半期の10枚と年間ベスト10の発表。
 ここではいつもの通り、私が触発された部分を中心にレヴューしたい。そのため当日の模様を偏りなく伝えるリポートではないことをあらかじめお断りしておく。なお、当日プレイされた音源については、*1を参照していただきたい。また、当日の模様についてはホストのひとりである多田がすでに自身のブログに振り返りを掲載している(*2)。こちらもぜひ参照していただきたい。
*1 http://gekkasha.modalbeats.com/?cid=43767
*2 http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/day?id=7590&pg=20130130


1 第四四半期の10枚

 珍しく女性ヴォーカル作品で幕を開けた前半は、耳に優しく楽しく心地よいが、何かひっかかりのないまま進んでしまった。しかし、その分、「第四四半期の10枚」後半は聴きどころ満載。その5枚を順に見ていこう。

 まずはJeremy Udden『Folk Art』。益子が「Paul Desmond的」と紹介したUddenのアルト・サックスはなるほど息を多く含んで空間に滲みを広げていくサウンド。これを「バンジョー界のスティーヴ・ヴァイ」ことBrandon Seabrookの弓弾きバンジョーが斜めに横切っていく。ゲストの織原がコメントを求められて、各演奏者が「面で進んでいく」そのグループ・アンサンブルの技量の高さを賞賛していたが、確かにアルトにしても、バンジョーにしても、空間に浸透して空気に濃度/粘度を与えながら広がりをつくりだしていくサウンドは、互いの間に高い摩擦/軋轢を生み出し、アンサンブルはこの触れ合いを通じて進められているように感じられた。






 続いてはキューバ出身のDavid Virelles『Continuum』。Andrew Cyrille(dr)とRoman Diaz(perc)が生み出す散発/拡散的な暗くゆったりとした広がりのうちに、Virellesのピアノが深く深く沈み込み、時折オルガンによるドローンが月に照らされたように青白く浮かび上がる。2曲目にかけられた短い「Unssen Mother」の次第に音の間を空けながら踏み外すように沈んでいく仕方は、どこかPaul Bleyを思わせるところがある。そのPaul Bleyトリオのメンバーを長く務めたCYrilleについて益子が「最近、NYシーンで非常に評価が高く、引っ張りだこになっている」と語っていたのが興味深かった。






 その次にかけられたGiovanni di Domenico/Arve Henriksen/Tatsuhisa Yamamoto『Distare Sonanti』も同質の夢幻的な空間の重さを有しているように感じられた。散らかすような金属音が冷たく響き渡り、満たされた暗く重い水をHenriksenのチベット的なトランペットがゆっくりと押していくと、どこからか水音が聴こえてくる。di Domenicoのクレジットにelectronicsに加えeditingと記されているように、音色/響きを重視したかつてのNurse with Wound的なサウンド・コラージュに聴こえる。その点で「(遊園地の)アトラクションに乗せられたような感じがする」という多田の指摘は相変わらず鋭い。「ジャズ」が通常基本としているライヴなセッションを通じてつくりあげるプロダクション感覚とは明らかに異なる、ポスト・プロダクション感覚に満ちた作品と言えるだろう。






 その点で、益子、多田、織原が激賞し、アフターアワーズでも好評だったというRafiq Bhatia『Yes It Will』にはいささか疑問を感じた。ビートを中心にいじりまくり直列で唐突に切り替わっていくリズム・トラックと粘っこく引きずるギター&ベースの対比に、突如としてストリングスがカットアップされる構成は確かに見事なものなのだが、ここまで来ると最初からコラージュを志していた者たち(たとえば前述のNurse with Woundsがその代表であるだろう)
にどうしても一日の長があるように思うのだ。






 「第四四半期の10枚」の最後はMarc Ducre『Tower,Vol.4』。この盤は以前に月光茶房でさわりを聴かせてもらったことがある。多田や益子も同席していたその場では、頭上高くに設置されたスピーカーからの音だったが、今回、スピーカーと向かい合って聴き、Ducreの演奏の凄さに改めて息を呑んだ。おそらくはスライド・ギター奏法を拡張的に用いて、音程をスリップさせた音が空間を斜めに横切りながら鋭く切り裂いていく。だがそこに過剰なテンションはない。アコースティック・ギターはそれが生得の音色であるかのように力むことなく響き渡り、彼方に聴こえる小鳥の声にまったく違和感なく溶けていく。金属質の濡れたような潤いをたたえた音は典雅ですらあり、東南アジアの見知らぬ宮廷民族楽器(ヴェトナムの一弦琴ダン・バウを多弦化したような)
を聴いているような気分になる。







2 ポップ・ミュージックの再構築

 この日発表された益子・多田選定による2012年度ベスト10は次の通り。
 1.Henry Thredgill Zooid『Tomorrow Sunny/The Revelry,Spp』
 2.Rafiq Bahtia『Yes It Will』
 3.橋爪亮督グループ『Acoustic Fluid』
 4.Jeremy Udden『Folk Art』
 5.Eivind Opsvik『Overseas IV』
 6.Thomas Fujiwara & The Hook Up『The Air Is Different』
 7.Tim Berne『Snakeoil』
 8.Masabumi Kikuchi Trio『Sunrise』
 9.Colin Stetson『New History Warfare Vol.2』
 10.Becca Stevens Band『Weightless』

 この選定結果について何より興味深かったのは、2〜6位のラインナップを指して、益子が「ポップの再構築という感じがする」と発言し、これを受けて織原が「ひとりで音楽を作れるようになって、音楽のとらえ方が変わってきている」と応じたやりとりである。多田が「スレッギルの1位で我々の矜持を示し、ECMからのティム・バーン、菊地雅章という間違いのないところをあえて7・8位に置いて、その間に注目させるようにした」
と補足していたことからも、この2〜6位が今回の肝であることがわかる。

 ここで指摘されている傾向は、画像加工ソフトであるPhotoshopの操作等で用いられる「レイヤー」という語に象徴される感性のあり方ではないだろうか。他のポップ・ミュージックではもはや当たり前のことであり、エレクトロニカ等ではそもそもジャンル発生の前提ですらあるこうした感性が、なぜいまジャズの先端で問題になるかといえば、やはりジャズが演奏のライヴな現場に軸足を置いた集団創造の音楽であることが理由として挙げられるだろう。いま/ここ=演奏の場でつくりあげられる音楽。ここには即興性の問題も当然関わってくる。即興演奏が他の演奏者との相互触発や場との関係によって生成される一回限りのものであるとすれば、録音にできるのはせいぜいそれをあるがままに記録することであり、その一部を切り取り、あるいは貼り合わせることはできない。そんなことをすれば即興性が不純なものになってしまうからだ(だからこそマイルス・デイヴィス『イン・ア・サイレント・ウェイ』の編集は革命的だった)。
 一方で本来的に編集/加工の音楽であるヒップホップが、既存の音源を切り貼りするというポスト・プロダクションとしかいいようのない操作をしていながら、それでもライヴな場でリアルタイムのターンテーブル演奏にこだわるのは、それがジャズ同様「場の音楽」であるからだろう。

 もちろんここで言いたいのは「ジャズもようやくミックスに目覚めた」というようなことではない。ポスト・プロダクションが一般化し、サンプリング機能を含めた編集ソフトが普及して、織原の指摘するように「ひとりで音楽をつくれるようになって」、明らかに音に対する感性に変化が生じていることである。それはポスト・プロダクション的視点がプロダクション(演奏やサウンド制作、あるいはサンプリング等)やプリ・プロダクション(作曲や構成・編成、作品コンセプト等)へと滲みだしていく過程として、あるいはサウンドのとらえ方の楽器(群)単位のオブジェクト指向からレイヤー指向への変化として、さらにミュージシャンシップ優位からリスナーシップ優位への転換としてとらえることができるのではないだろうか。
 たとえば3位に選ばれた橋爪亮督グループ『Acoustic Fluid』(以前に本ブログでもレヴューした)を見てみよう。本作品では響きの広がる空間を重視し、アンサンブル主体の演奏でありながら余白を効果的に活かした演奏/アレンジメントが特徴として挙げられるが、これは弾き過ぎを抑制し響きを触知する耳の感性(リスナーシップ)の優先、音自体にとどまらず、響きの広がる空間、音の滲む余白を重ね合わせるレイヤー指向が生み出したものと言える。
 橋爪の作品はよく「ECM的」と形容されるが、実は益子・多田による四谷音盤茶会でかかる作品には、ECM的な空間の現出を感じることが多い。これはECMレーベルが先ら指摘した変化を先取りしていたためにほかなるまい。マンフレート・アイヒャーは他のポップ・ミュージックに比べ卓越したミュージシャンシップが当然とされていたジャズの世界に研ぎすまされたリスナーシップを持ち込み、響きを溶け合わせて楽器と楽器の間の空間に風景を描き出し、空間構築をこれに先立つと考えられていた作曲やミュージシャンの組合せへと波及させた。

 エレクトロ・アコースティックなフリー・インプロヴィゼーションも、フィールドレコーディングが織り成すサウンドスケープも、先に挙げた変化の先に開けた世界だ。これらの音楽と益子や多田が聴き進めるNYの先端ジャズは、言わば同じところに向けて様々な方向から穴を掘り進んでいるととらえることができよう。
 その先行者はもちろんECMだけではない。アート・アンサンブル・オヴ・シカゴやアンソニー・ブラクストンによる一連のパリ録音、スティーヴ・レイシー『ラピス』等の名前を直ちに付け加えることができる。むしろこれら60年代末から70年代初めにかけての「ポスト・フリー」と呼ぶべき断層期の多様な実践の一環として初期ECMの諸作品を位置づけられることは、慧眼にもすでに清水俊彦が指摘していることだ(「ポスト・フリーのパラダイムをきりひらく二人の先導者」 青土社『ジャズ・アヴァンギャルド』所収)。

 次回は今回の補足として、「ポスト・フリー」期と同様に多様な実践が交錯し、数多くの実験がそのまま振り返られることもなく打ち捨てられたままとなっている70年代末から80年代初めにかけて走る断層から、Nurse with Woundの作品を採りあげることとしたい。


2012年ベスト1に選ばれた
Henry Thredgill Zooid
『Tomorrow Sunny/The Revelry,Spp』
これは文句なく素晴らしい!
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ライヴ/イヴェント・レヴュー | 22:31:12 | トラックバック(0) | コメント(0)
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