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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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心霊写真的想像力 - フランシス・ベーコン展レヴュー  Spirit Photographic Imagination - Review for Exhibition of Francis Bacon
 しばらく前に観たフランシス・ベーコン展について、簡単に印象を記しておきたい。





 ベーコンはずっと「気になる」画家だった。決して「好き」とは言えないが、いったん作品を眼にしてしまえば、そこから視線をそらすことができず、思考を強烈に触発して止まない。だから、一度、現物を観てみたいとずっと思っていた。

 実際に作品と向かい合った印象は、まったく予想外のものだった。あの視線を絡めとり、脳髄を縛り上げる「肉の赤」が、画集に収められた印刷ほどにはこちらに迫ってこないのだ。理由のひとつは作品にはめられた展示用ガラスの透過性や反射、すなわち「透明な」夾雑物がもたらす「距離」あるいは「隔離」の感覚にあるのは明らかだ。ここで夾雑物が明瞭に視界を遮るようなマテリアルなものであれば、それは隠された部分へと向かう視覚を強烈に喚起し、むしろ画面が放つ力を高めるかもしれない。禁忌が欲望を煽り、信仰を高めるように。しかし「透明な」夾雑物であるガラスは、画面の放つ力を曖昧に減殺し濾過してしまう。そこであらかじめ何が失われているのかは、なかなか明らかにならない。

 展覧会場には展示方法の説明として、ベーコン自身がガラスのはめられた状態で作品が展示され、眺められることを望んだと記されていた。これは私にとって極めて意外なことだった。ベーコンとは強度の画家にほかならないと思い込んでいたからだ。
 だが、直接的な「肉のきらめき」を希薄化され、皮一枚隔てた向こう側に遠ざけられた作品は、画集を観ていた時には気がつかなかった別の魅力をたたえていた。それを一言で表せば「静謐さ」となるだろうか。生々しい肉の振動と耳をつんざく絶叫に満ちていると思われた作品は、いまや無音の中に佇んでいる。もちろんそこで起こる「事件」が消え失せたわけではない。電気椅子にかけられたように激しく振動する身体、バラバラに切り分けられ吊るされた肉片、立ちこめる血煙、汗と血と精液に塗れた性交は、そのままそこにある。しかし、そこには決定的に音が欠けており、それゆえに事態は血生臭いリアリティを失って、一種夢のようなはかなさを帯びる。と同時に粗暴な力の騒々しい衝突と思えたものが、極めて精密に築かれた繊細さとして浮かび上がってくる。

 図像は地である周囲の空間に侵食/分解され、いまや消滅しつつあるものとして現れる。輪郭のブレは束の間の顕現の不安定さを呈示するものであり、落ち窪んだ暗い眼窩とぽっかり開いた口腔の虚無が、残された白い歯列によってさらに明らかにされる。身体は白い筆跡の集まりと化し、おぼろに蠢きながら次第に透けていって、ぼんやりとした広がりへと姿を変える。
 そうした図像の出現の仕方は心霊写真を連想させる。形の定まらない何か流動的なものが開口部から流れ出し、部屋の隅に静かにうずくまる。ベーコンの作品に特有の顔の歪みは、印刷された画像から想像していた荒々しい力による変形というより、心霊写真に特有の奇妙な光の屈曲を思わせた。写された時には何も起こってなどいなかったはずなのに、まったく自覚のない、ぐにゃりと溶けたような視覚の変容が、画面には音もなく映り込んでいる。

   

 展示にはベーコンの作品以外に、彼の作品を発想の源とした二つのダンス作品が含まれていた。エピローグとして置かれたペーター・ヴェルツ/ウィリアム・フォーサイスによる作品は、滑り、転び、腕を回し、また立ち上がるといった身体の動きがマルチ・スクリーンへの投影によりアッサンブラージュされる。対して土方巽「ベーコン初稿」では、舞台に尻を着き、上半身を起こし、両脚も上げた窮屈な姿勢で身体を震わせる土方の姿が記録ヴィデオで流されている。様々な動作を身体上にマルチ・プロジェクションする前者が、滑り転ぶが必ず立ち上がり、決して痙攣へは至らないのに対し、後者では例えば脚を曲げ/伸ばす相反する緊張に身体を痙攣/硬直させ、決して立ち上がることのないままに、顔貌をはじめ輪郭のブレが亢進し、むしろ内臓的な骨格が露呈されていく。憑依的/降霊術的な想像力に突き動かされた後者の方が、よりベーコンの核心をとらえているように私には思われた。

 

フランシス・ベーコン展  東京国立近代美術館 2013.3.8~5.26

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アート | 22:07:20 | トラックバック(0) | コメント(0)
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