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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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ディスク・レヴュー2013年1月~5月 その3  Disk Review Jan - May, 2013 vol.3
 ディスク・レヴュー第3弾はエレクトロ・アコースティックなインプロヴィゼーションの領域からの7枚。
 今までにも繰り返し述べてきたように、another timbreやcreative sources、あるいは比較的最近のpotlatch等のレーベルの作品とサウンドスケープ、アンビエント、フィールドレコーディング等と呼ばれるジャンルの作品のサウンドの類縁性に気づいて以来、それらのエレクトロ・アコースティックなインプロヴィゼーションと器楽的インプロヴィゼーションをレヴューの対象として仕分けるようになった。
 両者のどこが違うかと言えば、後者においては、向かい合う演奏者の身体の輪郭が空間のパースペクティヴに浮かび上がり、それらが相互に触発し合う運動の結果としてサウンドが編み上げられていく。コンピューターやエレクトロニクスに用いる演奏者であっても、こうした対峙の構図の中では「個」としての「ヴォイス」を持つことになる。たとえそれがプリセットされた音色であり、固有の声ではない場合であっても。そこには時間の経過の遅速の揺らぎはあったとしても、同一の(単数の)タイムラインが共有されている。まるで共に演奏する空間同様、すでに存在している枠組みが共有/共用されるのはごく当たり前のことであるかのように。
 対して前者においては、演奏者の身体は薄闇に沈み、輪郭は薄暮に溶解してあてもなく流出し、たとえソロ演奏であってもサウンドは常に複数形で現れる。空間に対しては常に変容が仕掛けられ、充満し相互に浸透しあい、分割され貼り合わされ敷き重ねられる。同様に時間に対しても複数のタイムラインが浮かび上がり、各レイヤーは思い思いの時を刻む。ここで注意すべきはひとつひとつのレイヤーが、それぞれ単一の現実に対応しているわけではないことだ。レイヤーとはあくまで便宜的な表現であり、その素材となったひとつのサウンド・ファイル、あるいはひとつの画像データに対応する物ではない。むしろ、複数の空間と複数のタイムラインの立ち現れに当惑した知覚が、それらをレイヤーの重ね合わせになぞらえてとらえようとしているに過ぎないだろう。

 多田雅範がブログでこの謎めいた核心部分を的確に言い当てている。

 このChristian Muntheのたとえばソロ演奏を、
涼しく聴いた、ということではなくて(それじゃあおハナシにならない)、
以前のように、抽象図形の美を脳内に描くように聴くこともしていた、んだが、

ひとつのギター、ひとりの奏者であるソロ演奏に、複数のタイムラインといったものを視てみて、

たとえばボールの動きだけ見ればそのジグザグ、速度変化、高低、カーブが抽象図形美に近しいとして、

サッカー選手の4・5にんの動き(=複数のタイムライン)が存在するものとして、

「聴こえてしまう」んだなあ・・・

もう20ねん近く前のレコーディングなんだけれど。
これもまた「メロディフェア状態」と言えるのではないだろうかー。
※http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/day?id=7590&pg=20130709

 これは重要な指摘だ。これまで私は複数の異なる生成原理の集積である点を「風景」になぞらえたり、あるいは一見揺るぎない輪郭が実は内外の絶え間ない往還の動的平衡によりかたちづくられた境界面に過ぎないと言ってみたりしていたのだが。これは東浩紀が『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』で論じていた「互いに異なる演算速度を持つ情報処理装置が複数組み込まれている」状態とパラレルと言えるだろう。

 今回採りあげた7枚中、冒頭の広瀬淳二作品を除く6枚が、まさにこうした関係性のヴァリエーションとでも言うべきもので、自然とレヴューのアプローチも類似ケースの症例集的なものとなった。そのことを意識してレヴューに眼を通し、音源に耳を傾けてみるのも面白いかもしれない。前置きが長くなったが、それでは始めよう。



広瀬淳二 / SSI-4
Hitorri hitorri-997
Junji Hirose(self-made sound instrument version 4)
試聴:http://www.ftarri.com/hitorri/997/index-j.html
 息音に似た響きがゆっくりとたちのぼり、薄暗がりの中で金属質の軋みに傷つけられていく。そこにかつて聴いた広瀬の手製ノイズ・マシーン演奏の、泡立つような性急な速度はない。共通の枠組みに取り付けられ、互いに振動を伝え合い干渉し合う各部分の「鳴り響き」の交錯/衝突は一段と深いレヴェルへと移行し、より繊細で微視的な、だが以前を上回る静かな速度を秘めた戦闘を繰り広げている。音は刻一刻、絶えることなく滾々と湧き出し続け、もつれ絡み合い、複雑な、だが澄み切った文様を織り上げていく。時にその様は古びた工場に放置された自動作業機械の端正な律動に限りなく接近し、彼は手練の職人のように指先の感触に注意深く耳を傾ける。響きはそのまま水深を増し、すべてを呑み込んで水没させ、さらに圧力を高めながら、「耳を聾する静寂」へと一歩一歩近づいていく。この充満のかたちづくり方は循環呼吸とマルチ・フォニックスを用いるサキソフォン奏者のそれを思わせるところがある(より細部が顕微鏡的に拡大され、音の密度を増してはいるが)。だが、広瀬のサキソフォン演奏がかつてたたえていた、噛みちぎり破り捨て燃やし尽くす性急さを、この音はやはり遠く離れている。彼自身は否定するだろうが、私はこの変容を「円熟」と呼びたい。傑作。



Atolon, Chip Shop Music / Public Private
Another Timbre at59
Ruth Barberan,Alfredo Costa Monteiro,Ferran Fages
Eric Carlsson,Martin Kuchen,David Lacey,Paul Vogel
試聴:http://www.youtube.com/watch?v=7FldWrPZJno
   http://www.ftarri.com/cdshop/goods/anothertimbre/at-59.html
 かさかさと鳴る細かい粒子の振動、震える空気の柱、遠くで聴こえる群衆のざわめき、蜂の羽音のようなエレクトロニクスのうなり、ベルの鋭い一撃がぴりぴりと鳴り響かせる空気。アコースティックなものとエレクトロニックなもの、音と言葉、器楽演奏とラジオやテープの導入。ここには様々な質感の違うものが混在/共存している。けれどそれらは決して見分け難くひとつに溶け合っているわけではない。フレーズの排除はこれらの音を「音響」化し、各々がもともと属していた文脈から切り離すが、それでもひとつひとつの音は異なる仕方で空間を開き照らし出すことを止めようとはせず、それは空間に対する化学作用の違いとして現れている。音がそれぞれくっきりとした輪郭を保ち(たとえどれほど希薄ではあっても)、互いに作用を及ぼしあわないことにより、サウンドの全体は明滅の集合体、きらめく星空としてその姿を現す。密度と持続を巧みにコントロールしたアンチ・クライマックスの演奏は、だから少しも積み重ならず、決して台地状の連なりを形成しない。「Public」と題された聴衆のいる演奏に対し、聴衆のいない「Private」では、その不在を埋め合わせるかのように、音はいよいよ切り込みの深さと重なりの厚みを増している。7人という演奏者数の多さを考えれば、むしろこちらの方が「通常」の即興演奏モードと感じられ、そこから顧みれば前者の演奏の鮮やかな達成が浮き彫りとなる。


Johnny Chang, Stefan Thut / Two Strings and Boxes
Flexion flex_005
Johnny Chang(zither,object),Stefan Thut(zither,object,composition)
試聴:http://www.flexionrecords.net/?page_id=803
   http://www.ftarri.com/cdshop/goods/flexion/flex-005.html
 低くうなり続けるチターの弦のミクロな震えを、水平に構えたヴィデオ・キャメラの超近接撮影が克明にとらえ、その向こうに淡く揺らめくエフェメラルな空間が浮かび上がる。ごく手前に像を結ぶがさがさとした摩擦音を、永遠に続くかと思われるピュアな弦の振動が溶かしさり、やがて自らも沈黙の中に身を沈めると、空間の「そこにある」気配が亡霊のように浮かび上がり、はるか遠くを車が通り過ぎ、学校の階段で子どもが何かを叫んでいるような気がする。前掲作で聴かれる音の輪郭/手触りの確かさに比べ、本作では音は常に近すぎるか遠すぎるかして、一様に不確かさに汚染されている。ふと気がつくと鳴っており、知らぬ間に鳴り止んで別の響きと交替している音の不確かな立ち現れに、耳はうまく焦点を合わせることができない。まさにそれがWandelweiser楽派のひとりでもある作曲者のねらいなのだろう。だがそれはかつてこの楽派に注目した音楽評論家たちが得意げに語った音が少ないとか音量か極めて小さいとか、あるいはライヴ会場で空調の動作音や冷蔵庫のコンプレッサーの音が聴こえたというような暢気な話ではない。彼らは聴きたいものを聴いているに過ぎない。これはむしろ耳が聴取の構図を設定できず、とまどいの中で「耳の枠」からこぼれ落ちてしまう音があることを、聴かされてしまう/聴かざるを得ない過酷な体験なのだ。聴き手は耳の視線があてどもなく宙に浮き、伸ばした指が空をつかみ、自分が何を聴いているのか/聴こうとしているのか判然としない不安との戦いを通じて、辛うじてこの演奏の一端を耳の視界の隅にとらえることができるに過ぎない。静けさに満ち満ちたハードコア。171枚限定。


Sarah Hughes / Accidents of Matter or of Space
Suppedaneum Number One
Sarah Hughes(zither),Rhodri Davies(harp),Neil Davidson(guitar),Jane Dickson(piano),Patrick Farmer(electronics),Dimitra Lazaridou-Chatzigoga(zither)
試聴:https://soundcloud.com/suppedaneum/sets/sarah-hughes
 Sarah Hughesによるソロ・インプロヴィゼーションと5人の演奏者のためのコンポジション「Can Never Exceed Unity」のグループ演奏を収録。後者は「第一奏者は連続したトーンやサウンドをあらかじめ定めた時間演奏せよ。これがコンポジションの半分の長さとなる。第二奏者は合計で第一奏者の半分の時間、自由に演奏せよ。第三奏者は合計で第二奏者の半分の時間、自由に演奏せよ。第四奏者は‥‥」という簡潔な指示のみで構成され、ここには同一グループによる3つのリアリゼーションが収められている。表題とは裏腹に、後から付け加えられた(持続)音は全体性へ向けて補完するというよりは、常にこれまで見えていなかった別の側面を浮かび上がらせ、むしろ全体像を遠ざける。
 対して前者は、遥か遠くの爆発のようにゆっくりと空間を伝搬し、粉塵の雲のように不明瞭に立ちこめる打撃音、近く遠くきらめく澄んだ弦の響き、電子音を思わせる持続振動(おそらくはe-bowによる)等が、距離のパースペクティヴをあからさまに欠いたまま希薄に充満する。空間の中に音が置かれるというより、黒い雲の中を稲光が走りとらえどころのない不定形の明滅が繰り返される光景にも似て、空間それ自体の混濁した揺らめきだけがある印象。私にはむしろこちらの演奏の方が刺激的だった。A3版の大きなシートにCD-Rが封入されている。100枚限定。


Animist Orchestra / Auscultation
レーベル・番号記載なし
Animist Orchestra Seattle, Animist Orchestra Austin,Jeph Jerman
試聴:
 向こう側に開けたスクリーンに映る外の環境音の手前で、刻一刻生成し続けるちっぽけな物音が視界を洗い続ける。指先で小石を探り、木目をたどり、陶片を打ち合わせ、掌の下で枯れ葉が砕ける感触を楽しみながら、絶え間なく音を紡ぎ続ける。手の動きに合わせて皮膚の上を移ろう響きだけが、視覚いっぱいに広がるざわめきの中で、自分のたてている音だとわかる。だがそれもふと視線を上げると、エコーにより不明瞭に滲んだはかなげな揺らめきに溶け、どれがどれだかわからなくなってしまう。タージマハール旅行団を思わせる「日常的な営み」としてのインプロヴィゼーションは、だが小杉たちが過剰なリヴァーブにより留保していた距離の感覚や時間/空間のLSD的な変容を伴わない。彼らはすでにある空間の片隅にそれぞれひっそりと閉じこもり、指先にちっぽけな響きを灯すだけだ。同調のくびきから逃れるというより、隙間からこぼれ落ちてしまう細かな音の粒。CD-R2枚組。


Ernesto Rodrigues, Radu Malfatti, Ricardo Guerreiro / Late Summer
Creative Sources CS230CD
Ernesto Rodrigues(viola),Radu Malfatti(trombone),Ricardo Guerreiro(computer)
試聴:http://www.ftarri.com/cdshop/goods/creativesources/cs-230.html
 車の音、遠い人の声、犬の吠え声。離れた窓の向こうに広がる外の景色の手前を物音が横切り、ツーンとした耳鳴りやブーンといううなりが視界を曇らせる。「演奏」が進むにつれ、彼らがこうした音響的インプロヴィゼーションの定型(をとらえる視角)を自在に裏切る老獪さをたたえていることに気づかされる。楽器は自らの輪郭/相貌を際立たせることなく、生活騒音の中に潜み、これを擬態する。部屋の軋みや窓から進入する物音、階段室に響く話し声、外から響いてくる風の唸りにくぐもった息音が身を沈め、その手前には息の掠れがふと浮かび上がる。希薄に重なり合いながら層の積み重ねとして奥行きを示す音響とそれを刺し貫き交錯する演奏。
 2枚組のもう1枚に収められているのは外の音が入らない閉塞空間で、ここでは演奏だけが音空間を構成する。音素材の感触はほぼ同様でありながら、もやもやとしたざわめきがすぐそこに行き止まりの「壁」として立ちはだかる奥行きの浅い空間のせいで、弦のねじれや軋み、ふっと吹き込まれた息の広がりやマウスピースの泡立ち、シーンとした電子音の水平線、プチッと鳴るグリッチ、ぴちゃぴちゃした口腔音や重苦しく下腹部にのしかかる低音等の各サウンド群は、「地」へと潜り込むことができず、ほとんど気配しかしないにもかかわらず、その場に姿を浮かび上がらせずにはいない。



Guerreiro, Malfatti, Rodrigues / Shimosaki
B-Boim Records 027
Ernesto Rodrigues,Radu Malfatti,Ricardo Guerreiro
試聴:
 前掲作と同一メンバーによる前日の演奏を収録。音楽祭のライヴ録音だけあって、眼差しがとらえ得るのはあくまでステージの上の出来事だけであり、前掲作のように部屋にたゆたいあるいは澱む空気が見えてくるわけではない。だからこそ、真っ黒なフィルムの影の上をせわしく走り回るカリグラフのように、点描が明滅し、希薄さのうちに鋭く応答の線が走る。極端なまでに絞り込まれギリギリまで削られた音が、硬く尖った鉛筆で描かれた点と線だけのドローイングを鋭い筆致で支えており、一方、持続音の敷き重ねとそれらの層の間の摩擦/軋轢が触覚を刺激し、緊密/緊張と速度による支配を確実な物としている。



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ディスク・レヴュー | 23:29:27 | トラックバック(0) | コメント(0)
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