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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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「耳の枠はずし」第3回へのレヴュー、ご感想ありがとうございます
「耳の枠はずし」第3回について、レヴューやご感想を数多くいただきましたので、ご紹介します。

まずは四谷いーぐる後藤さんと益子さんがcom-postに書いてくださいました。
http://com-post.jp/
後藤さんのレヴューは、思考や感性が音に触発されていく様子が、断片の構成によりリアルに描かれています。
「今回の主要アーティスト、ミシェル・ドネダ周辺のミュージシャンが出す音からは、実に有益な思考の種を受け取った。」とか、「音そのものが喚起するさまざまな心象、想念の数々が非常に興味深いものであったということである。」というあたりは泣けてきます。(T_T)うぅ
com-post bbsでも後藤さん、益子さんとも、あの午後の時間から、ある種の同時性とか風景とかを感じ取っていただけたことがわかります。うれしいです~。

第5回「ECMカフェ」にゲスト出演していただく多田さんは、こちらの選曲に見事にチューン・インし、鮮やかに乗りこなしてくださいました。
http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/day?id=7590&pg=20100425
これまた選曲者冥利に尽きるレヴューですー。(ToT)あぅ

体調不良を押して参加してくださった虹釜さんは、最後もうろうとして、かつて白州アートキャンプでカンパニーを聴きながら熱が39度まで上がって、即興演奏と自然音が渾然一体となった時のことを思い出したと告白してくれました。この回は最後環境音攻めでしたからね。お身体をお大事に。今回はディストピア・アンビエントまでたどり着けませんでした。ごめんなさい。

今度は補足です。まず始まる前に流していたヴィデオですが、Maya Deren/Divine Horsemenです。前回記事の写真はその1コマでした。この作品はマヤ・デレンがハイチのブゥードゥー教の儀式を撮影したものを、後にシェリル・イトウが編集しています。この作品は今福竜太「野生のテクノロジー」(岩波書店さん再刊してよ)所収のマヤ・デレン論「石蹴り遊びをするリリス」で知りました。そこで彼は、人類学者が対象となるフィールドに「書き込み」をしてしまう介入的なモードの例として、この作品に見られるトランスして踊っている人たちの中に分け入ってしまうカメラ・ワークを挙げています。実際「何でぶつからないんだろう?」と思ってしまうくらいスゴイです。フィルムによる人類学フィールドワークとしては、バリ島におけるグレゴリー・ベイトソンとマーガレット・ミードの取り組みが先駆ですが、それは極めて非介入的なものであり、人類学では当然そちらが正統です。
前回のレクチャーの際に、野山に分け入るミッシェル・ドネダたちを追うマイクロフォンについて、演奏者が動くかマイクが動くかは重要な違いで、演奏者が動くから物語が生まれる‥とのご指摘をいただき、それは相対的なものではないかとだけお答えしたのですが、後で思い出したのが本作品というわけです。近々(「フィネガンズ・ウェイク」にちなんで6月16日だとか)、今福竜太さんご本人が、ズミでライヴをなさるということで、宣伝も兼ねて。
もっともカメラ・ワークについては、カメラが動くだけじゃ物語は生まれないなんて、今や誰も言わないでしょうねど。それだけカメラに比べ、マイクは固定された記録メディアでしかなく、視点の移動に対する「聴点」の移動なんてあり得ないと思われているということかもしれません。

もうひとつ補足です。Sound Cafe dzumi店主の泉さんから、「第一部と第二部のつなぎのところが、やや説明不足でとまどった人がいたかも‥」とご指摘をいただきました。確かにいきなりP.D.(P16.D4.の前身)ですからねー。
この回は「空間の侵食」ということで、一貫して「空間を聴く」ことをしていますが、第一部の作品は、即興演奏という行為に注目すれば、それでも即興演奏+背景音として聴けてしまうものであるのに対し、第二部の作品ではそれがもはや成り立たなくなっています。あえて事前説明をしなかったのは、P.D.の作品の冒頭で噴出する都市環境音の輪郭の定かでない広がりに不意討ちされてもらいたかったからです。一瞬くらくらっとして、すぐに「これは駅のコンコースの音か何かだ」とわかってしまうんですが。でも、この耳を押さえていた掌をぱっと外した一瞬に襲い掛かる外の世界の音圧を、ぜひ体験して欲しかった‥というわけです。


こちらはFabrice Charles,Michel Doneda,Pierre-Olivier Boulant/Salsigneの演奏風景。風力発電の巨大な風車の傍らで奏され、ぼろぼろに切り刻まれる音の痛み。


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レクチャー関連 | 22:04:53 | トラックバック(0) | コメント(0)
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