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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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1+2+3 / 1982 Live Review for Gallery Septima 16/10/2013
 ほとんど真四角な白い部屋。古い木の床にあれこれ種類がバラバラな椅子が並べられている。無垢の木の丸いテーブル。壁際に置かれた白いソファ。反対側の壁際には木のベンチ。ぽっかりと開いた大きな窓と壁に作り付けの木製の棚がギャラリーらしいだろうか。
 音具とエフェクターが床に散らばり、左手奥に斜めに置かれたアップライト・ピアノ(上半分は手前の板が外されて弦が剥き出しにされている)の手前のテーブルにも、ガラクタ・オモチャな音具が山積みになっている。右手奥には簡素なドラム・セット。正面奥のテーブルにはヴァイオリンが2台。

1.ソロ
プログラムの幕開けは津田貴司のエレクトリック・ギターによるソロ。高域の張り詰めた音がディレイにより引き延ばされ、左右にパンで振られる。木の床の軋みと寄り添う「水琴窟」ギター。そうしたきらめきの波紋が広がる向こうにハーモニクスのうっすらとした影が揺らぎ、サンプル&ホールドされてさらに音が重ね描きされていく。口を尖らせた舌先でくるっと丸まってしまう響き。床の軋みや足音と親しく混じり合うのは、津田の耳の志向ゆえだろうか。
 素早い遷移のうちにある高音の繰り返し、ゆっくりと背筋を伸ばしていく低音、弦のさわり、分厚いドローンとか細いアルペジオ‥‥寝た子を起こすことのないよう細心の注意を払って取り扱われるギターから引き出される様々な響きは、それぞれに固有の速度と時間をはらんでいる。それは一方で「グリッチ以降」のエレクトロニカ美学の帰結だが、むしろ津田にとってはサウンドスケープに耳を傾け、ひとつの時間/空間のうちにあれこれの響きがマッピングされているわけではないことを、発見したのが大きいのではないだろうか。

2.デュオ
 minamoは結成当時からのコアである安永哲郎と杉本桂一によるデュオ編成で、音具を中心とするインプロヴィゼーションを繰り広げた。杉本がギターを、あるいは安永がピアノを弾いたり、二人がハーモニウム(?)に手を伸ばしたりする場面もあったが、それらはすべてゆったりと靄がたなびくようなエレクトロ・アコースティックなサウンドの一部を構成するに過ぎない。
 電子ノイズのひそやかなつぶやきがギター弦の弓弾きの倍音に水没し、金属質の打撃音の長い尾の揺らめきが遠い国からやってくる短波放送にも似た高周波の混信や変調に溶けていく傍らでは、アコースティック・ギターの爪弾きもあらかじめ散布された電磁波に逃れ難く汚染されており、すべての響きは空間を包み込む微かな波動の網の目にかかり、それを震わせてしまう。彼らはそうしてかたちづくられたサウンドの希薄でこわれやすいプラトーを、リアルタイムの音の加工を含め、崩してしまうことなくゆるゆるとくゆらせていく技術に長けている。

3.トリオ
 彼ら「1982」は、はるばるノルウェーからやってきたヴァイオリンとピアノとドラムのトリオ。東京でのライヴはここだけだという。すべてのマイクやアンプは取り払われ、演奏はすべてアコースティックで行われた。
 まるで音を高く放り上げ、あるいは遠くへと飛ばすように、一音を一弓で弾き切っていくヴァイオリン。冷ややかな音色が弧を描き、指で弦をミュートしたピアノのトレモロやドラムの打面や縁を擦って生み出される音の切れ端等のマイクロサウンドを見下ろしている。やがてヴァイオリンが掻き鳴らすようなピチカートに転じ、ピアノのミュートされたトレモロやブラシに擦られるドラムと、繊細なさざめきの重層をつくりだしていく。
 三人の真ん中に立つヴァイオリンは、演奏によって弓を取り替えて臨む。冒頭の冷気がたちのぼる鋭敏さは円弧型の弓によるもので、より希薄で透明な音色が生み出される。これに対し通常の弓はより輪郭が明確で中身が詰まった厚みのあるサウンドを提供する。
 ドラムが脚で鈴を鳴らし続け、ピアノがノイジーに掻き回されるざわめきの中で、なめらかに滑りゆく弓の推移がつくりだす音が、列車の車窓から眺める電信柱のように通り過ぎる。大きな空間を占有するヴァイオリンに対し、ピアノとドラムは緊密な連携で対応する。ピアノの左手が弾き出すむしろベース・ソロ的なつまづくリズムに、ドラムがアタックの強弱で拮抗し、この緊密なリズムのやりとりにヴァイオリンは胸に迫る叙情を覆いかぶせ、ピアノがミュートせずにトレモロを解き放ったことをきっかけとしたフリー風の盛り上がりには、極端に落差をつけた沈鬱な響きで均衡をかたちづくる。

 彼らはまた10歳ずつ年齢が違うのではないかと思われる「齢の差トリオ」でもあるのだが(vn > pf > dr)、演奏が進むにつれ、最初のうちに見せたトリオ内の役割分担を含め、そうした階層性を侵食し、自在に組み替えていく動きが見られた。
 ピアノの弦がガムテープでミュートされ、荒々しいグリッサンドが繰り出されるかと思えば、テープを剥がす際のノイズが際立たせられ、ドラムはと言えば打面の張りを緩め、輪郭の歪んだ不定形の響きを床に這わせ、ハイハットの下の皿に様々な音具(独楽の類?)を放り込んで音を立てる。アルバート・アイラーを思わせるカリプソ風のメロディをピアノが弾き散らかすフリーな盛り上がりを「苦々しげに」眺めていたヴァイオリンが割って入れば、懸命に美音を奏でる彼をよそに、ドラムは席を立ってピアノのところに密談に行き、ピアノの位置をずらし、少し向きを変えたかと思うと、天板の上で、靴下をはめた手をパペット代わりに陳腐なショウを繰り広げ、"Money,Money"とクッキー・モンスターみたいにパクパクする口の中に、ピアニストが小銭を押し込む。ピアニストがピアニカで「ハーレクイン・ロマンス」的な甘ったるいメロディを奏でれば、お高く留まっていたかに見えたヴァイオリンも辻楽士的な泣きの旋律で加わり、靴下パベットの熱き抱擁を引き立てる。いささかダダ的なヒューモアの破壊性が、奇妙に歪み始めたサウンドの化学変化を推し進め、「ノリ」を加速し、北欧的な昏い混沌へと突き落としていく(ここで私はInternatinal HarvesterやTrad Gras Och Stenar等の土臭くサイケデリックなスープを思い浮かべている。これらはスウェーデン産だけど)。ピアノ弦から剥がしたガムテープをつるつるの光頭に巻き付けるといったハン・ベニンク的なパフォーマンスもその一部に過ぎず(だからまったく「浮いて」しまうことなく演奏の血肉化される)、規制の窮屈な枠組みの底を荒々しく踏み抜いて、すべてをつなげてしまうことが目指される。足踏みしながらのダンス・チューンの演奏も、ミニ・ハーモニカのロング・トーンへの音響的な重ね描きも、ここではもっともらしいコンセプトの説明や編集意図を超えて、分ち難くひとつになっている。

 希薄さと透明さを突き詰めてどこまでも高く昇りつめていく響き。ライヴを予約した時点で思い浮かべていたのは、そうした冷ややかさだったが、そうした予想/期待は心地よく裏切られた。彼らの演奏は天井の高さがなく、それほど広くもない会場のルーム・アコースティックも踏まえた対応であったろう。確かな技量に支えられた自由闊達な演奏は、とびきり豊かな時間をもたらしてくれた。会場で買い求めた彼らの録音作品群がまた素晴らしかった。いずれ改めて紹介することとしたい。

2013年10月16日(水) 立川 砂川七番 ギャラリーセプチマ
「逆回りの音楽 vol.7」
津田貴司、minamo(安永哲郎+杉本桂一)、1982(Nils Okland, Sigblorn Apeland, Oyvind Skarbo)


   

  
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ライヴ/イヴェント・レヴュー | 23:42:07 | トラックバック(0) | コメント(0)
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