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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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1982 / 奥行きの戦略  1982 / Strategy of Depth
 先日、立川セプチマにおいて素晴らしいライヴを聴かせてくれた、ノルウェーから来日のトリオ「1982」について、ディスク・レヴューをお届けする。当日、会場で買い求めた中には、ECMからリリースされたNils Oklandのソロ作『Monograph』や彼とSigbjorn Apelandのデュオによる『Hommage A Ole Bull』、あるいはやはりNils Oklandが参加したノルウェー伝承曲集『Abel En Norveg』等もあるのだが、美しさの果てに昇り詰めるようなNils Oklandによるヴァイオリンの響き(あるいはこれに添えられるSigbjorn Apelandの奏でるピアノの滑らかなきらめき)の素晴らしさを認めながらも、三人三様の仕方でクロマトグラフィックに空間に浸透し、空間そのものとなって震え揺らめきながら、同時にカタカタと眼前を横切って空間の奥行きをつくりだす「1982」の確信犯的手口に深く魅了されてしまう。
 というわけで、「1982」の全作品3枚をまとめて紹介したい。



1982 + BJ Cole / 1982 + BJ Cole
Hubro CD2522
Nils Okland(hardinger fiddle,violin), BJ Cole(pedal steel), Sigbjorn Apeland(harmonium,wuritzer), Oyvind Skarbo(drums)
試聴:https://soundcloud.com/hubro/01-09-03
   http://www.amazon.com/1982-BJ-Cole/dp/B009LUE93E
 耳の視界を何か茫漠とした影のようなものが覆い横切って、しばらくするうちにそれがBJ Coleの奏でるペダル・スティールの揺らめきだと気づく。ハルモニウムがカタカタと古めかしいメカニズムを軋ませ、ヴァイオリンがゆっくりと旋律を口ずさみ始めると、ペダル・スティールはますますうっすらと希薄化し、エーテルのようにさざめく。山裾を取り巻いていた霧がゆるゆると湧き上がり斜面を昇っていく大きな流れ/揺らめきと、カチカチコトコトと細密な象眼を施すようなミクロな響きが共存し、「図」と「地」が常に緩やかに交替していくのが彼らのサウンドの真骨頂だ。寄せては返し重なり合い移り行く響きの流れと、その手前を横切るちっぽけな物音。それは必ずしも楽器ごとに配分されているわけではない。ヴァイオリンの香り立つ豊かな倍音の広がりとネック上の微かなスクラッチ。空間へと沁み込み空気自体が震えているようにしか感じられないハルモニウムの持続音と鍵盤やペダルのメカニカルなノイズ。ドラムの緩めた打面の響きの深さとブラシに擦られたざわめき。眼の中に音もなく広がる暗がりから次第に熱気を増して、ブルージーなロック・サウンドでうなりを上げるペダル・スティール。2011年録音の現在のところ最新作。


1982 / Pintura
Hubro CD2510
Nils Okland(hardinger fiddle,violin), Sigbjorn Apeland(harmonium,wuritzer), Oyvind Skarbo(drums)
試聴:https://soundcloud.com/experimedia/1982-pintura-album-preview-mp3
 ゆっくりと明るさが増していくにつれ、モノクロームな静寂が次第にざわめき始め、ゆるやかに暖色に染まっていく。少し離れた舞台の奥の方で、天窓からの明かりに照らし出されたヴァイオリンが、弦の豊かな響きをたちのぼらせている。その手前でハーモニウムの響きが、陽炎のように揺らぎながらヴァイオリンのきらめきにうっすらと紗をかける。さらにその手前でカタカタと乾いた物音が転がり、眼前を横切る。彼らのアンサンブルは常にこうした空間構成の奥行きと共にある。据えっぱなしのキャメラに映し出される揺らめく雲の流れ、強さを増しやがて陰っていく陽射し、濃さを変じながら一度短くなり再び長く伸びていく影の移ろい。ヴァイオリンのゆるやかな繰り返しを「図」としながら、「地」をかたちづくるハーモニウムとパーカッションは、微妙に配合を変えながら、足下をさらさらと掘り崩していく。2010年録音のトリオ2作目。


Sigbjorn Apeland, Oyvind Skarbo, Nils Okland / 1982
NORCD NORLP0985
Sigbjorn Apeland(harmonium), Oyvind Skarbo(drums), Nils Okland(hardinger fiddle,violin)
試聴:http://www.amazon.co.uk/Øyvind-Skarbø-Økland-Sigbjørn-Apeland/dp/B0028GFYW8
 トリオとしての記念すべき第1作(2008年録音)。ここではまだ「1982」はタイトルに過ぎず、アーティスト名は3者の連名となっている。次作ですでに確立される独特の空間構成の整合性はまだなく、一聴、即興演奏性が強く感じられるが、肌理や手触りを感じさせる艶消しのくぐもった音色を時間をかけて空気に沁み込ませていくハルモニウム、ブラシやミュートを多用し定型のビートを叩かず時間を細分化しながらやはり触覚に訴えるドラムス、少し離れたところで冷ややかな倍音をゆったりと巡らせるヴァイオリン‥‥といった個性はすでに出来上がっている。LPのB面を占める長尺の曲における、厚いカーテン越しに射し込む淡い月の光の下で繰り広げられる、もう長く済む人もない部屋で埃除けの布カヴァーをかぶせられた家具たちのつぶやきにも似た、密やかな交感が素晴らしい。


 「1982」のスター・プレイヤーというかフロント・マンは明らかにNils Oklandなのだが、にもかかわらず彼らの「奥行きの戦略」の核心を担っているのはSigbjorn Apelandにほかならない。彼は「1982」での主要楽器であるハルモニウムに子ども時代から親しみながら、その後、ピアノとチャーチ・オルガンを学び、演奏者としてのキャリアを積んでいく。改めてハルモニウムの可能性を見出したのは、最近になってからだという。
 ハルモニウムを音響発生装置として再発見し、持続音がせめぎ合うドローンをかたちづくりながら、楽器各部の共振/共鳴の不均衡やそれにより生じる軋み等を介して、音響に豊かな「傷跡」をはらませていくやり方を、たとえば以前にディスク・レヴュー(*)で採りあげたFavrice Favriou『Phases』(Creative Sources)に見ることができる。
*http://miminowakuhazushi.dtiblog.com/blog-entry-197.html
 それは例えばRohdri Daviesがハープの弦を爪弾きながら、即興的にこれをプリペアドし、弦に挿入された素材のみならず、ハープという複雑な音響構造体の不均質な細部に眼を凝らし、さらにはそうした各部に直接e-bowを押し当て、振動とこれに付随する各部の共振の干渉状態をつくりだしていくことと比較できるかもしれない。
 だが、Sigbjorn Apelandの、あるいは「1982」の戦略はまた異なる。Favrice Favriou やRohdri Daviesがまるで検査技師のように細部の反応を確かめ、せめぎ合う諸力がかたちづくる束の間の平衡を切り替え結びつけていく点で「モンタージュ型」とするならば、奥に揺らめく広がりを必ず手前で物音が横切っていくSigbjorn Apelandや「1982」は「ディープ・フォーカス型」と言えよう。
 ここで注意しておかなければならないのは、インプロヴィゼーションのみならず、通常、音楽の提示される空間はライヴの演奏空間を前提としてイメージされ、また、受容されていることだ。アクースマティック・ミュージック作品の上演において、マルチ・チャンネル・スピーカーを駆使して様々な音場操作を行ったとしても、コンサート・ホール自体の空間の連続性/一様性が変化する訳ではない。こうした遠近法的構図に基づき構築された三次元音場は、もとより奥行きの次元を有しており、オーケストラのホルンはヴァイオリンの奥から聴こえてくる。だから、奥行きを持つ三次元空間は言わば当然のことと見なされがちだ。しかし、「1982」が用いる奥行きは、むしろ「重なり」によってもたらされる。
 響きが提示され、それに覆い隠されながらもその向こうにぼうっとした曖昧な揺らぎが浮かび上がる。持続する最初の響きに、流れる雲のように影を落としながら別の響きがと通り過ぎる。さらにそのずっと手前、眼前をちっぽけな物音たちが逆方向から足早に横切る。小津安次郎はトレードマークのロー・アングルにより畳の目を消し去り(ピエロ・デラ・フランチェスカからフェルメールに至るまで、床面の市松模様の推移は遠近法の要だった)、代わって開けられた襖や障子の縁と鴨居や欄間のかたちづくるフレームの重ね合わせにより奥行きをつくりだしていた。それと同じ「順序構造」としての奥行きを彼らは取り扱う。
 そうした空間構成がジャズやフリー・インプロヴィゼーションにおいて用いられることはほとんどないように思う。自らのランゲージの確立/検証過程でパンニングやフレーム・イン、フレーム・アウトを多用していた1970年代半ばのDerek Baileyも、奥行き方向に対しては積極的に取り組んでいない。例外としてArt Ensemble ChicagoやAnthony BraxtonのBYGレーベルへのパリ録音(たとえば『Jackson in Your House』や『Anthony Braxton Trio』)、Steve Lacy『Lapis』(Saravah)等が思い浮かぶ。そこにBrigitte Fontaineの初期作品(Saravah)を媒介項として加えれば、レコーディング・エンジニアDaniel Vallancienの名がまるであぶり出しのように浮かび上がってくる。
  



Sigbjorn Apeland / Glossolalia
Hubro CD2503
Sigbjorn Apeland(harmonium)
試聴:http://www.amazon.com/Glossolalia-Sigbjorn-Apeland/dp/B004Q1DFLK
 ソロのためか、引き伸ばされた一音の中でもつれあう息の震えに耳を澄ます感じが薄れ、複数の音を敷き重ね、ON/OFFしてみせるようなレイヤー操作が前面に出てきてしまうのだが、それでも遠近を意識しながら音を重ね、さらに鍵盤やペダルの軋み、胴のうなり、おはじきを振り撒くような、あるいはネズミが走り回るようなミクロな物音を手前に配し、その隔たりの間にさらに音を浮かび上がらせるなど、彼ならではの「奥行きの戦略」を存分に看て取ることができる。動きを抑え息の深い3曲目、さらに平坦さを志向し、深みを覗き込む視線を水面に移ろう波紋が掠める4曲目、親密な思い出の淵にゆっくりと沈み込みながら、物音を遠く見詰める5曲目と後半が素晴らしい。


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ディスク・レヴュー | 22:31:20 | トラックバック(0) | コメント(0)
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