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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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ディスク・レヴュー 2013年6〜10月その2  Disk Review June - October,2013 vol.2
 ディスク・レヴュー第2弾はエレクトロ・アコースティックなインプロヴィゼーションからの7枚。と言いながら、実はコンポジション演奏を多く含み、また、必ずしも編成にエレクトロニクスを含む訳ではない。むしろ、微細な音響に耳をそばだて、沈黙にすでに書き込まれている響きを読み取らずには置かないエレクトロ・アコースティックな音楽美学と、そうした聴取の鋭敏さを演奏に直結させるフリー・インプロヴィゼーションの作法の「十字路」ととらえるべきかもしれない。いずれにしても流動的な仮構に過ぎないが、しかし、そのような視点/区分を導入することにより、これを補助線として初めて見えてくる景色もある。そしてそれらを言葉で解きほぐすことにより明らかになることも。それこそはいま批評が負うべき務めにほかなるまい。


Alvin Lucier / (Amsterdam) Memory Space
Unsounds 37U
MAZE:Anne La Berge(flute,electronics),Dario Calderone(contrabass),Gareth Davis(bass clarinet),Reinier Van Houdt(piano,electronics),Wiek Humans(guitar),Yannis Kyriakides(computer,electronics)
試聴:https://soundcloud.com/maze_music/amsterdam-memory-space-excerpt
 「外へ出て、そこの音の状況を記憶/記録し、それを追加、削除、即興、解釈なしに演奏によって再現せよ」とのAlvin Lucierによる指示に基づく作品。その結果、MAZEの面々による演奏は、おぼろにさざめき、希薄にたゆたいながら、決してアンサンブルの構築を目指すことなく、常に隙間をはらみズレを来たしつつ、精緻に入り組み微妙なバランスを歩むものとなった。これはこの国で一時流行した、「他の演奏者の音を聴かずに小音量で演奏せよ」とか、音の密度をあらかじめ希薄に規定してフレーズ/イディオムの形成を阻み個を全体へと埋没させる均衡化の企みとは、本質的に異なっている。これらは演奏者が互いに聴き合い、無意識に同期を志向してしまう生理を暗黙の前提として、これを指示によって打ち消すことにより、言わば不安定を生成させるものにほかならない。出来上がりの全体イメージを提示することなく、それが演奏者同士の「切り離された関係性」からその都度生成してくる‥というところがミソなのだが、実際には「場の空気を読む」ことに長けた(というより、普段からそれしかしていない)この国の演奏者たちは、「少ない音数で、小音量で‥」とすぐにいつでも使える「模範解答」をパブリック・ドメインとしてすぐに作成/共有してしまい、後はそれをだらだらと読み上げるだけになってしまう。これに対しAlvin Lucierの指示は「外界の音の状況」という目標を、アンサンブルに共通のものとして先に設定しながら、それにより逆にクリナメン的な偏向/散乱を生成させる。演奏者各自がそれぞれある部分に食いつき再現に取り組む時、それによって不足と過剰が明らかにされ、これに対する応答が各演奏者を突き動かし、動的平衡を保ちながらの移動/変遷を余儀なくするとともに、アンサンブルを不断に更新していく。演奏者たちは瞬間ごとの判断を曖昧に生理に委ね、怠惰な空気に身を沈めてしまうことなく、ぴりぴりとした覚醒の下、他の演奏者の意図を探るのではなくサウンドにだけ応ずるため、触覚的な次元に至るまで全身を耳にして歩み続ける。結果としてアンサンブルはエレクトロ・アコースティックなインプロヴィゼーションを行うことになる。だが、それにしても何と鮮やかに核心を射抜いた指示だろう。ここにはエレクトロ・アコースティックなインプロヴィゼーションとフィールドレコーディングを「聴く」ことの体験的同一性が、すでに1970年の時点で見事に言い当てられている。


Antoine Beuger, Jurg Frey / Dedalus
Potlatch P113
Didier Aschour(guitar),
Antoine Beuger(flute),Cyprien Busolini(viola),Jurg Frey(clarinet),Stephane Garin(percussion,vibraphone),Thierry Madiot(trombone)
試聴:http://www.ftarri.com/cdshop/goods/potlatch/p-113.html
   http://www.squidco.com/miva/merchant.mv?Screen=PROD&Store_Code=S&Product_Code=17584
 うっすらともやがかかるような楽器音の浮き沈み、時折高まりを見せる交通騒音、ぼそぼそとした話し声、何かを動かす物音、遠くの人の声、低くくぐもったヴォイスの引き伸ばされた持続。これらの配置/構成を了解しようと視覚的な構図を持ち出せば、話し声や物音、そして外から入ってくる交通騒音が「画面内」の「ライヴ」な音であり、楽器音やヴォイスは後から付けられた「画面外」の音というように仕分けられるだろう。だが実際には、これらの音は一様に距離をはらみ、眼前へと迫ることなく、薄闇の中に沈んでいる。おそらくは自動車のエンジン音と思われる、ごく低い音域の騒音が基底を荒々しく揺さぶることがあっても、その輪郭は明らかではなく、やはり空間に埋もれている。以前に演奏=楽器音が交通騒音に洗われ、激しい雨音に寸断される様を、Derek Bailey&Min Tanaka『Music and Dance』に「空間の侵食」として見たが、ここにあのような暴力性はない。またSteve Lacy『Lapis』には、外の物音と隣の部屋から聴こえてくる古いレコードの余白に、ソプラノ・サックスがかろうじて引っ搔き傷を残す様を見た。だがここには、そうした多重フレームに基づく「はめこみ性」もない。代わりにあるのは「融和」的な「相互浸透」にほかならない。ここではエレクトロニクスはまったく使用されていない。楽器の特殊奏法により電子音と見紛うサウンドが放たれることもない。にもかかわらず、ここでは注意深い抑制と配合により、エレクトロ・アコースティック音楽のひとつの極限と呼びたいほどの混ざりあい、「融和的な相互浸透」が達成されているのだ。すべてのサウンドの明度/彩度を減じて、輪郭を曖昧にしながら薄闇に浮き沈みさせ、距離を撹乱すること。さらに無数の「類似」と「照応」の線を走らせること。たとえば話し声と引き伸ばされたヴォイス、そして遠くの人の声の間に。あるいはヴィブラフォンの引き伸ばされた振動がヴィオラやフルートとゆるやかに交錯しながら、暗がりに滲み溶け広がって、遠くの人の声にうっすらとヴェールをかける様に。Wandelweiserの可能性の核心を示した1枚と言えるだろう。リリースしたPotlatchのオーナーJacques Ogerの慧眼を讃えたい。前回採りあげたJohn Butcher,Thomas Lehn,John Tilbury『Exta』ともぜひ聴き比べて欲しい。


Kunsu Shim / Love
senufo editions senufo edition # thirty eight
Nick Hennies(percussion),Greg Stuart(percussion)
試聴:https://soundcloud.com/nhennies/kunsu-shim-love-excerpt
 冒頭現れる打楽器の連打を聴くと、奏者の1人Nick Henniesによるトライアングルへの正確無比な打撃の連鎖が、吊り橋を落とすような巨大な共振の渦をつくりだしていったAlvin Lucier「Silver Streetcar for the Orchestra」の演奏がふと脳裏をよぎる。しかし、ここで繰り広げられているのは、そうした超絶技巧のマニエリスムではない。様々な音高にチューニングされたタムが、それぞれに異なる速さ、異なる回数、しばらく間を空けて連打される。何事かと耳をそばだてるうちに、そこに口を開いている何物かに思いがけなく引き込まれてしまう。打撃自体はいかにも素っ気ない。例えて言うなら、舞台劇のノックの効果音のようだ。それぞれに異なる方位、異なる深さから聴こえてくる、無数のドアの前に佇む訪問者たち。連打は前述のAlvin Lucier作品のような特異な音響現象を引き起こすことなく、10秒程度の間隔で生じ、あっけなく2〜3秒程で消える。にもかかわらず、そこには「身振り/立ち姿」としての完璧な造形性/完結性がある。音高と音色。打撃の間隔と速度。先の一打がつくりだした振動を次の一打が受け止め、抑制しつつ、新たな振動を生みだしていく間合いとそれらが形成する波紋。残響の固さ/湿度と広がり‥。時折足元から湧き上がってくるグラス・ハーモニカにも似たけぶるような倍音は、空間を遍く冷気で満たすことにより、かえってこれらの打撃の切り離された個別性(オブジェ性と言うべきか)を際立たせる。真上からのピンスポットが、真っ暗な舞台に離れて立つ俳優一人ひとりを浮かび上がらせ、わずか3秒、ほんの一言二言、密やかなモノローグを引き出す。そしてまた暗闇が訪れ、再びわずかな明かりとともにつぶやきが漏らされる。このようにして演じられるカフカ的オラトリオがあるとすれば‥。それは極端に禁欲的かつ濃密ではあるが、いささかも観念的ではない。Wandelweiser楽派の新たな可能性を開く、この韓国出身のコンポーザーに注目。なお、彼はChristian Wolff『Stones』のあの伝説的な演奏にも参加していた。280枚限定。


Ernesto Rodrigues, Ricardo Guerreiro, Christian Wolfarth / All about Mimi
Creative Sources CS240CD
Ernesto Rodrigues(viola),Ricardo Guerreiro(computer),Christian Wolfarth(cymbals)
試聴:http://www.squidco.com/miva/merchant.mv?Screen=PROD&Store_Code=S&Product_Code=17881
 以前にもRadu Malfattiを迎えたトリオで優れた演奏(『Late Summer』※)を聴かせてくれたErnesto RodriguesとRicardo Guerreiroが、新たな共同作業者と共に未曾有の境地を開いた。ここに初期電子音楽に顕著な、いかにも自然界には存在しないという風の、電子音の異質さは微塵も感じられない。にもかかわらずそのアコースティックな響きは、その質量を取り去られて浮遊する希薄さと輪郭を脱ぎ捨てた不定形な流動性を、エレクトロ・アコースティックな音響以上に達成している。それらは触覚に訴えるざらざらした肌理よりもはるかにミクロな水準で作動しており、むしろ受動的な皮膚感覚の鋭敏さに対してアクトする。どこかから忍び込み足元を凍えさせるすきま風。次第に強くなってくる黴の匂い。はるか上方から降りてきて首筋を冷やす湿めり気。月明かりの照り返しに浮かび上がる細かな埃の動き(鼻腔の粘膜はずいぶん前から警告を発していた)。眼を凝らせばそこにヴィオラの乾いたフラジオやシンバルの弓引きの放つ鈍い輝きを認めるみことはできよう。だがそれらは互いに滲み溶け合うばかりか、空間に沁み込んで、暗い群青からコップの水に一滴インクを垂らしたほどのごく薄い藍色へとクロマトグフィックに色合いをかえながら、空間自体の震えと分ち難くひとつになっている。これはむしろFrancisco Lopezが提示する複数の空間の重合的なパースペクティヴに近い。彼らの演奏と比べると、Anders Dahl & Skogen『Rows』(another timbre)における、実際にエレクトロニクスを含んだアンサンブルが自在に形を変えながらありとあらゆる隙間を出入りし微細なタイミングを受け渡していく演奏は、ラヴェル的なオーケストレーションをエレクトロ・アコースティックな次元に引き写した古風なもののように聴こえてしまう。
※以下のレヴューを参照 http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-238.html


stilllife / INDIGO
無番号
Hiroli Sasajima, Takashi Tsuda
試聴:http://www.youtube.com/watch?v=vOal4g0wIh8
 この動画はディスク・レヴュー対象作品の収録トラックではありませんが、参考に掲載しています。
 虫の音が遠く近く何重にも重なりあって、明滅する響きの織物をかたちづくる。それに取り巻かれるうち、耳が、いや身体のチューニングが進んだのか、虫の音は次第に大きく聴こえるようになり、広がりと深さを増している。その中にふと音が浮かぶ。虫の音等が生成するサウンドスケープを「地」として、そこに「図」を上書きしていくのではなく、虫の音の間から顔をのぞかせ、虫の音の傍らに佇む音響。彼らが聴覚のみならず、皮膚感覚や体性感覚を研ぎ澄まし、より深くまで身を沈め、意識を潜らせていることがわかる。再び虫の音が高まり、ぶつかりあいながら、その内側に開けている「ミニ沈黙」を際立たせる。ふと響いた離れたところの人の声に驚くうち、笛の音からたちのぼる倍音がゆらりとくゆらされ、煙草の煙のように中空に移ろい漂い、熱帯雨林の擬音のような軋みが繰り返され、カエルの合唱を引き出す。金属のパイプが打ち合わされるが、まるでふと風に吹かれたようで、「鳴り」が少しもまぶしくない。ふらふらと揺れるモビールを音化したような響き。風景の中に分け入り、それを細やかに変容させていく様は、彼らの真骨頂である。言わば彼らは前掲のErnesto Rodriguesたちに比する水準の演奏を、すでにある響きの広がりを借景としてそこに身を沈めることにより、すなわち「より多く聴き、より少なく音を立てる」ことにより達成しているのだ。


Christoph Schiller / Variations
Another Timbre at63
Christoph Schiller(spinet,objects/amplification,piano)
試聴:http://www.youtube.com/watch?v=e0v9yDHLXFQ
 Michel Doneda, Jonas Kocherとのトリオによる2011年を代表する傑作『///Grape Skin』(Another Timbre)がまだ記憶に新しいChristoph Schillerのソロ作品。彼が主として用いるスピネットは17〜18世紀に特に英国で流行したチェンバロに似た家庭用鍵盤楽器だが、彼はRhodri Daviesがハープに行うのと同様、この楽器の複雑な機構の各部に対してアクトする。弦や共鳴板を(おそらくはe-bow等により)持続的に振動させ、あるいは弦を引き絞り搔き鳴らし、筐体をコツコツと叩く。鍵盤が押さえられることはほとんどない。それはまるで宇宙人がたまたま見つけた不可思議な物体を、「楽器」とは知らずに検査にかけているようだ。これにより彼は響きを徹底的に複合物として、言うなれば複数の異なる機械の作動の結合として提示する。散らかった引き出しの中を掻き回す騒々しい物音を、直接搔き鳴らされる弦のきらめきが横切り、自動織機の端正な反復の傍らで、引き絞られる弦の軋みが電子音に似た甲高い共振を呼んで、息音と聴き紛う響きの持続と並走し、突如割り込んできた鍵盤の打撃に遮られる。運動が止んだ瞬間に開ける空っぽなパースべクティヴ。おそらくはコンタクト・マイクロフォンによる顕微鏡的拡大により、ある振動は巨大な船体の軋みとなって眼前に立ちふさがり、あるいは非常階段を駆け上がる足音となって遠ざかっていく。ピアノにおいては鍵盤からハンマー・アクションを経て響体各部の共鳴へと至る、通常はブラックボックスとして意識されることのない発音機構のプロセスが、ここではそうした入り組み錯綜した景色となって現れてくる。


Coppice / Compound Form
Triple Bath TRB.038
Noe Cuellar & Joseph Kramer(prepared pump organ,tape processer,transmitters,acoustic filters)
試聴:http://www.youtube.com/watch?v=ExrisoqCwew
 前々回の「1982」関連ディスクの紹介でも、ハーモニウムを用いたSigbjorn Apeland『Glossolalia』を採りあげたが、本作の演奏における楽器の取り扱いはさらに解体的であり、もはや一個の楽器としての輪郭を留めないほどにばらばらにされている。「空気の流れによってリードを振動させる」という本来的な発音原理すら、ここでは疑問符を付されて解体の対象とされ、その結果、pump organはある時はレーモン・ルーセル『ロクス・ソルス』に登場しそうな「吐息機械」に、またある時はピストンとシリンダーをギクシャクと不規則に動作させながら自らを破壊していく蒸気機関に、さらには地響きを立てて振動する重工業機械へと変貌を遂げる。前掲のChristoph Schiller『Variations』にはスピネットの各部に聴診器を当てて、内部のざわめきに耳を澄ますようなところがあるが、これに対し本作は脳波計や心電図を見ながら、限界へと向けて身体に取り付けた電極の電圧を上げていく生体実験の残酷さに満ちている。
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ディスク・レヴュー | 14:41:00 | トラックバック(0) | コメント(0)
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