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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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濃密な錯乱した一夜 − 2013年11月23日「音ほぐし」  A Dense Confusinal Night − 23/11/2013 "Insolidification of Sounds"
 演奏の行われる奥のスペースに入ると、中央にラグが2枚敷かれ、細々とした音具類が整然と並べられている。当初は最前列中央の椅子に座っていたのだが、冒頭の笹島裕樹と津田貴司によるstilllifeの演奏終了後にスペースの「模様替え」をすると聴いて、それならと向かい側の座布団席に移る。スペースの天井を見上げたかったのと、演奏者と同じ目線の高さに自らを置いてみたかったため。
 演奏の始まる前に、立川セプチマでしたのと同様に(というか基本的にはすべてのライヴで行っているのだが)、耳を環境にチューニングする。人の話し声等の「意味」のあるフローのレヴェルから、そこにもともと横たわっているざわめきのレヴェルへと身を沈めていく。椅子の軋み、フローリングの床を歩き回る足音、頭上を通り過ぎていく話し声、咳払いや鼻をすする音、隣室でのやりとり、携帯電話の着信音、空調の動作音‥‥。どうもこの辺が「底」のようで、これ以上潜って行けない。外の虫の声や雨音が聴こえてきたセプチマと異なり、路地の奥に位置した喫茶茶会記では、外を走るクルマの音すら聴こえない。耳の風景が開けきらないもどかしさを抱えて、灯されたキャンドルの炎を見詰めるともなく見詰めていると、眼の前に裸の足が現れる。見上げると笹島も津田も背が高い。セプチマの時も裸足だったかは覚えていない。
 二人がラグ上に胡座をかいて、部屋の照明がすべて落とされる。津田が木製の笛に手を伸ばし、指先が筒に触れただけで音が立ち上がる。セプチマの時より間近で耳への距離が近いだけでなく、前述のように外からの透過音がないためだろう。そうした「意図せざる音」もここでは否応なく演奏の一部に繰り込まれる。
 筒に沿って流れる息。隣室のドアの開閉が空調ノイズに浮き沈みし、津田は息の起伏を通じて、彼方を透かし見ようとする。筒を指先で軽く叩きながら、できるだけ細く息を紡ぐことが目指される。挽かれたコーヒー豆に落とす湯の、細い細い流れを保つ時の感覚が、ふと過る。息が静寂に沁み込んでいく様を眼で追うと、床の軋みに加えて、自分が唾を飲み込む音が浮かび上がる。むら息のぶれが客席の衣ずれと重なり合い、石笛の表面を滑っていく息が、自分の吐息を照らし出していく。
 試験管にそっと吹き込まれる息の丸く暖かい湿り気に、眼には見えないガラスの曇りを感じ取りながら、間を置いて吹き鳴らされる響きの消長に耳を傾けるうち、吹き込まれる息がキャンドルの炎を揺らしていることに気づかされる。笹島もずっとそれを見詰めている。そう言えば彼はさっきから音を出していない。
 巻貝の貝殻を床に転がし、キーホルダーのリングの触れ合いに耳を澄ますうちに、耳を浸し、身を沈め、触発されるべき微かなざわめきのたゆたいがここにはないことに、痛いほどに気づかされる。細く息が紡がれ続けるうちは明らかにならなかった沈黙の「貧しさ」が、息苦しく迫ってくる。皮膚感覚を研ぎ澄まし、耳の風景を開いて、「すでにそこにある響き」を借景としながら、そこに上書きするのではなく、その隙間に音を芽生えさせていく彼らの演奏にとって、そうした「景色」の不在はほとんど致命的な事態にほかなるまい。息には息、打撃には打撃、衝突には‥と、同種の発音原理の応酬から彼らがなかなか踏み出せなかったのも、ここに理由があっただろう。出口のない演奏にいらだちが募るように感じられた。もともと「出口」を求めること自体が、彼らの「即興演奏」には似つかわしくないにもかかわらず。演奏はいよいよ剥き出しとなり、沁み込むべき媒質を欠いて、直接のやりとりとなり、器楽的なタイミングの奪い合いやリズムのやりとりに傾きそうになる。じれた客がもぞもぞと動きだし、客席からノイズが湧き上がる。
 津田が水を満たしたガラス壜を手に取り、コポコポと音を立てる。ここまではこれまでにも見られた音具の選択のひとつに過ぎなかったが、繰り返すうち、何を思ったか手を伸ばし、壜をキャンドルにかざしてみる。柔らかな光の反射に思わず見上げると、天井に光のかげが揺らめいている。笹島がダルシマーの弦をそっと爪弾き、揺らめきに淡い色合いを添える。新たな感覚の通路が開かれ、澱んでいた水が行き場を見出して水位が平静を取り戻し、介在すべき距離、夾雑物となるべき空間、抵抗としての手触りが回復し、あのゆるやかさが帰ってきた。


 スペースの模様替えが終わると、片側にステージが設えられ、赤石拓海が白木のハーディ・ガーディを抱えて壁際に置かれた椅子に座っている。ハンドルを回し、円盤に擦られた弦を震わせると、鍵盤に触れることなく、共鳴弦を直接ピチカートしたり、様々な音具でプリペアドすることにより音色スペクトルの変化をもたらしていく。共鳴と相互干渉が指先と耳の間でコントロールされる。後半は鍵盤を用いての演奏。鍵盤を押し込み揺らすことで弦がたわみ、音に不均質なビブラートがかかる。ドローンを交えた演奏は、バクパイプを連想させた。いずれも弦をミュートしながらノイジーな成分を際立たせるやり方ゆえ、どうしても力は内向きにかかり、音色は明度/彩度を減じてくぐもらせる方向に向かう。録音であれば、この内向きの軋轢を顕微鏡的に拡大して強度へと転じることが可能になるのだが、近接距離の、空間の反響もさして期待できない空間では、ひとりぽつんと佇むに留まり、聴衆の耳に届きにくかったように思う。


 さらに緋の演台が整えられ、西松布咏の唄と三味線。邦楽は雅楽に箏に法竹と器楽系を聴くのがせいぜいで、声は能の謡曲がせいぜい。楽しめるかどうか危ぶまれたのだが、そうした不安は心地よく裏切られることとなった。乱れのない息の流れに支えられて、声がすらりと立ち上がる。こうした舟がまっすぐに水を押していくような息遣いは、優れた声使いに共通のもののように思われる。大工哲郎しかり、観世寿夫しかり、Savina Yannatou、Lena Willemark、Asne Vallandしかり、あるいはMaggie NicolsやTamiaも。ベルカントのように身体の厚みを後ろ盾として、大きく開けた口から声を前に押し出すのではなく、さして口を開かず、身体全体に均等に強度を掛けながら声を身体の軸に沿って垂直に立ち上げ、脳天に響かせて放つ印象。喉や胸に緊張を集中させず、喉を絞めて「声の音色」をつくることをせず、語の分節も副次的なものとして、節は回さず、声をくゆらすだけ。だから小唄や端唄、新内等を「江戸風情」に埋め込まずとも楽しむことができる。三味線のストロークや爪弾きは、こうした声/息の連続性の端を少々めくる程度。三味線の演奏が情景を浮かび上がらせ、歌詞に込められたもうひとつの意味を指差す‥と言われれば、確かにそれはその通りだが、私にとっては江戸情緒を離れてなお、声の立ち居振る舞いを楽しめたことが収穫だった。


 さらに休憩をはさんで席に戻ると、ステージには幾つもの木箱が並んでいる。テーブル上に置かれた横長の木箱には11本の銀色のパイプが立ち並び、手製パイプ・オルガンの本体と思われた。鍵盤はなく、パイプと同数の音栓が並んでいる。その右脇の縦長の木箱は風を送る「ふいご」だろう。本体と「ふいご」を結ぶチューブの中間に床に置かれた木箱が割り込んでいて、半ば空けられた蓋の中を覗くと、奇妙な形をした石が幾つか入っている。「ふいご」を動かすと、この箱の「底」が上下に動くことから、途切れることのない連続した音出しを可能とするためのバッファーと知れる(連続して放水できる水鉄砲の構造を思い出してほしい)。
 藤田陽介は床に置かれた先の木箱に腰を下ろすと、息を荒々しく押し出しては吸い込む呼吸の「ストレッチ」を始めたかと思うと、それがそのまま不可思議なヴォイス・パフォーマンスへと姿を変えていく。呪文を思わせるミニマルな繰り返しが幻惑的に呼吸と交錯し、ほとんどEvan Parker等による循環呼吸×マルチフォニックスを思わせる状態を生み出し、声音やフレーズは時にコルシカの、あるいはグルジアのポリフォニーを経巡り、さらにはホーミー風に倍音領域に攻撃を仕掛ける。そうした民族音楽的な「引用」が、すべてどこか「インチキ」で胡散臭く、「紛い物」っぽいことが、逆に彼の強烈なオリジナリティとなっている。パイプ・オルガンの演奏に取りかかり、音栓をON/OFFしながら、パイプの吹き口を掌でミュートし音色と歪みを操作し、これらにさらにヴォイスをかぶせていくと、ヨーロッパの製陶職人たちが中国陶器の絵柄をサンプリングしてつくりだした、竹に葡萄が生り桜が咲くようなあり得ない世界が花開いていく。3つの小箱をホースで結び、これに電動コンプレッサーで空気を送り込み、それぞれにオルガン本体から取り外したパイプを差し込んで延々と鳴り続けるYoshi Wada的ドローンをかたちづくって、これも吹き口を掌で操作して様々なうなりをつくりだしたかと思えば、ドローンを背景として、この響きの壁に声の絵の具の塊を投げつけ、なすりつけ、大きく削り取る。寺山修司や稲垣足穂、澁澤龍彦、あるいは伊藤若冲のほとんどフェティッシュなまでに傾いた綺想溢れる曼荼羅世界、さらにはレーモン・ルーセル『ロクス・ソルス』やカレル・ゼマンのアニメーション作品を思わせる、マッド・サイエンティスト的な想像力を駆使したパフォーマンスは、くらくらと眩暈がするほどに耳の視点を振り回す、濃密に錯乱した一夜を締めくくるにふさわしいパフォーマンスだった。


 今回のキュレーションは笹島裕樹が担当したとのこと。今後の企画にも期待したい。


「音ほぐし」 2013年11月23日(土)  四谷三丁目綜合藝術茶房喫茶茶会記
 stilllife(笹島裕樹+津田貴司)  赤石拓海  西松布咏  藤田陽介


音ほぐし

stilllifeのセッティング 写真は津田貴司さんのFBから転載しました
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ライヴ/イヴェント・レヴュー | 23:14:26 | トラックバック(0) | コメント(0)
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