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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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ディスク・レヴュー 2013年11〜12月 その1  Disk Review Nov.−Dec. 2013 vol.1
 2013年ディスク・レヴュー最終セットの第1回です。これまでのレヴューに間に合わなかったものを採りあげていきます。入手が遅くなったものや書きあぐねていたものがあるので、「落ち穂拾い」ということではありません。まずはエレクトロ・アコースティック・インプロヴィゼーションからの7枚。



Common Objects / Live in Morden Tower
Mikroton cd 29
Common Objects :Rhodri Davies(electric harp),John Butcher(saxophones,amplifier),Lee Patterson(amplified devices,processes)
試聴:http://www.ftarri.com/cdshop/goods/mikroton/mikroton-29.html
 英国Newcastle Upon TyneのMorden Towerにおけるライヴというと、すぐにNew Blockadersの名が浮かぶが、ここでも演奏はざらざらした粒子、ギザギザした破片が高速で噴出し撹拌されるノイジーなものへと傾いている。冒頭、空間を360°睥睨し制圧する持続音の強度で幕を開け、ハープ弦への苛烈な打撃が眼前で目映く炸裂する彼方に、サキソフォンの倍音が雲となって沸き上がり、顕微鏡的に拡大されたざらつきや揺らめきがそこかしこから溢れて触覚を支配する。e-bowの使用によりハープ弦から永遠に続き得る持続音を取り出し、特殊奏法とアンプリファイによりサキソフォンは喉を鳴らし、とぐろを巻いて足元にまとわりつき、ノイズ流にすら鋭い打撃を食らわし、殺気立ったフィードバックすら自在に操ってみせる。手元で立てられる微かな物音が拡大され、パースペクティヴをねじ曲げて不穏さをいや増しながら、空間を励起し、沈黙を波立たせる。ここで三者は「一者」から変形/分岐して流出したようにも、三方どころか、四方八方から押し寄せるようにも聴こえる。もちろん、DaviesとButcherの器楽的なやりとり+Pattersonのエレクトロニクスという場面も見られるのだが、総体としてはエレクトロ・アコースティックなインプロヴィゼーションに軸足を置きながら、エレクトロニックな繊細さよりも耳を傷つける過激なアンプリファイにより、かつてのEvan Parker / Paul Lyttonデュオの現在形と言うべき新たな扉を開いている。New Blockadersの名前に思わず腰を浮かすファンにこそ聴いてもらいたい。


Jean-Luc Guionnet, Eric La Casa, Philip Samartzis / Stray Shafts of Sunlight
Swarming 004
Jean-Luc Guionnet(sax,microphones),Eric La Casa(microphones,laptop),Philip Samartzis(electronics,laptop)
試聴:http://www.squidco.com/miva/merchant.mv?Screen=PROD&Store_Code=S&Product_Code=17503
 サキソフォンは希薄な息音を多用し、正弦波やグリッチが空間を分割するエレクトロ・アコースティックな繊細さ/端正さ/清澄さのただ中に、空を掴むマイクロフォンがざらざらと粒立つ沈黙のざわめき/もやつきを導入し、サキソフォンの管の鳴りが束の間姿を現して、風景をかき乱し混濁させる。ここでマイクロフォンはサウンドの電気的拡大よりも、先に見た沈黙を満たすざわめき/もやつきの可視化と、リアルタイムのサンプリング加工のための音素材の収集に用いられている。これに加え、6都市に渡る異なる場所で録音された演奏(2007年)に、後からミュジーク・コンクレート的なミックス(2012年)が施されることにより、音響はアンフラマンスな(デュシャンを参照のこと)希薄さを保ちながら、極めて重層的で入り組んだものとなっている。たとえば、案内アナウンス等のあらかじめ録音されたヴォイス、あるいはブザーやホワイト・ノイズのような持続音の使用。彼方に蜃気楼のようにぼんやりと浮かび上がる既成のポップ・ミュージックの断片。この演奏/作品は基本的にはエレクトロ・アコースティックなインプロヴィゼーションに軸足を置きながら、サキソフォンが身体的な重みの手応えを残し、かつフィールドレコーディング的な聴き方を強く喚起/要請して止まない。そこでは三次元的なパースペクティヴに演奏者の音像が浮かぶというような事態把握は全く役に立たず、見分け難いオールオーヴァーな広がりの中から、音響の肌理に対する触覚的な差異の認知や、空間への広がりの違いを通じた遠近の把握、響きの重なり合いによる重層的な前後関係の見極め等により、音が幻視的な風景として析出してくるような耳の視点の設定と能動的な聴取が求められてくる。もちろんぼんやりとした耳の眼差しの下、うつらうつらと音響の波間に浮かびながら、空間の移り変わりを愉しむ聴き方を否定するものではないが、先に述べたような能動的な没入があればこそ、あり得ない空間の様相の遷移に激しく揺さぶられることもできるのだということは主張しておきたい。


Klaus Filip & Dafne Vicente-Sandoval / Remote
Potlatch P213
Klaus Filip(sinewave),Dafne Vicente-Sandoval(bassoon)
試聴:https://soundcloud.com/potlatch-records/remoto
   http://www.ftarri.com/cdshop/goods/potlatch/p-213.html
 バスーンのひとり芝居。舞台上には彼女ひとりだけ。口ごもり、喉を鳴らし、吐息を漏らすかと思えば、ぱたんとキーを鳴らして、ガラスを引っ掻き、ため息をつく。沸騰する間際のケトルのみたいなピーピー音を出しながら、リードを鋭く軋ませ、カモメの鳴き声をまね、歯の隙間からしゅーしゅーと息を吐き、がさがさと紙を丸めるような音を立てる。ガラス窓から忍び込む隙間風。たき火のぱちぱちと爆ぜる音。古いレコードのスクラッチ。接触不良ノイズ。ありとあらゆる物音を演じながら、その響きは常にメタモルフォーゼの過程にある。これらの音たちに類似した相貌は、その一瞬の断面に過ぎない。そのようにひとつところに留まらず、忙しなく不安定に変容を繰り返すバスーンに対し、正弦波はある周波数を投影することしかしない。その都度その都度、左右上下異なった位置に浮かび上がる響きのもやつき。だからこれは共演ではない。輪郭を崩し、軸を崩壊させていくダンサーの身体に、一筋の照明が様々な角度から当てられ、影によって輪郭を明らかにし、全体を水没させるドローンとなってたゆたい、ホリゾントをかたちづくることによって重力を生み出し、空間/距離を媒介してパースペクティヴをつくりだす。まったく触れ合うことのない二つの身体によるデュオの脱構築。Potlatchレーベルの作品はいつも正確に核心を射抜いてくる。


Alvin Lucier / Still and Moving Lines
Pogus 21072-2
Deciebel: Cat Hope (flute, alto flute, organ); Lindsay Vickery (saxophone, organ, MaxMSP programming); Stuart James (piano, organ); Malcolm Riddoch (electronic playback, MaxMSP performance, organ)
試聴:http://www.pogus.com/21072.html# (Download Album/Tracksをクリック)
   http://www.art-into-life.com/product/4246
 前回のエレクトロ・アコースティック・インプロヴィゼーションからの7枚で、Alvin Lucier / (Amsterdam) Memory Space(Unsounds)を採りあげたばかりなのに、また選ばずにはいられない。今回の盤も前回同様、「外」の音の記憶を演奏によるサウンドで再現する作品(「Carbon Copies」)を含む。他の曲でもピアノ、サキソフォン、フルート、オルガン等を用いながら、オシレーターの使用等、わずかな仕掛けで、空間を流動化させ足元を揺らがし、渦を巻き浮き上がる雪の欠片に満ちた無重力空間をつくりだす手際はまったく見事なもの。あるいは廃墟となり果てた古いホテルの、廊下の曲がり角の向こうからかすかに響いてくるピアノの和音の不可解さの魅惑。それゆえ、器楽中心の作曲作品の演奏にもかかわらず、この枠で取り扱う次第。かつては『Bird Person Dying』ばかりが知られていた彼だが、今後さらに評価が進むのではないだろうか。


Ferran Fages / Radi d'Or
another timbre at65r
Ferran Fages Ensemble:Olga Abalos(flute,alto saxophone),Lali Barriere(sinewaves),Tom Chant(tenor & soprano saxophone),Ferran Fages(acoustic guitar),Pilar Subira(percussion)
試聴:http://www.youtube.com/watch?v=C5F6D7NuKa4
 クロマトグラフィーのように次第に色合いを変えながら、ゆっくりと空間に沁み込んでいく淡い音色の重ね合わせ。これらの音は視覚も触覚も喚起しない。うすあかりのなかでゆらゆらとおぼろにかたちのないかげがゆらめくだけ。むしろ味覚に近いかもしれない。一服の茶からたちのぼる馥郁たる香りの幅広いスペクトル。口に含んだ時にまず舌先に感じられる水のまろみ。青々とした草の甘みとほんのりとした乳の匂い。ゆっくりと沈んでいく渋みが軽やかな「重み」をつくりだし、爽やかな苦みを招き入れ引き立てる。ぴんと張り詰めた「淡さ」のなかを、輪郭を持たない響きがゆるゆると移ろう様は、時に雅楽を思わせる。先ほど「視覚を喚起しない」と言ったが、もしMark Rothkoの絵画が水彩で描かれていたならば、一部のみを接写でとらえるキャメラが移動しながら映し出すのは、こうした張り詰めた「淡さ」かもしれない。36分の1トラックのみ。


Lucio Capece / Less Is Less Music for Flying and Pendulating Speakers
intonema int009
Lucio Capece
試聴:http://www.intonema.org/2011/02/int009.html
 持続する正弦波と空気が擦れるような何かの噴出音、話し声等の環境音等が不定形に入り混じり、混沌としたまま高鳴っていく。広々とした三次元的なパースペクティヴが開ける一方で、どこかつきまとう「よしのずいから天井のぞく」的な視界の狭さや、トンネルの中どころか、土管の中をくぐっているような閉塞感に強烈な違和を覚えずにはいられない。Capece自身による解説を見ると、ボール紙のチューブ(そう言えば彼は以前にも、サキソフォンのベルに突っ込んでプリペアドするのに使っていたっけ)を通してあらかじめ録音した音源を素材のひとつとして用いているようだ。チューブの長さを違えることにより異なる周波数帯への共鳴のヴァリエーションを獲得し、それをまた複数のヘリウム風船に吊り下げたスピーカーから教会の広大なエアー・ヴォリュームへと放出するという壮大な、と同時に小学生向けの理科実験みたいなオモチャな仕掛け。だが私には先のヴァリエーションよりも、閉塞感と開放感、閉所恐怖と広場恐怖のアンビヴァレンツの方が先に来る。音響の構築ぶりよりも、その視覚的相同物や皮膚感覚的な受容の方が。Capeceの「演奏」も結果として、ハーモニック・シリーズの操作というより、正弦波の輪郭がおぼろで半透明な手応えの無さと、コンタクト・マイクによって増幅される断片的な物音の刻み付けるような圧倒的な存在感、そして先の視覚と皮膚感覚の違和といった、通常は併置/共存し得ない項を、「手触り」を通じて配置しているように聴こえる。その点で、以前の傑作『Zero Plus Zero』の極限的にパースナルな音世界を、内外反転させてみせたようにも感じられる。ただし、正弦波と振り子原理による2曲目にそうした手触りの生々しさは感じられない。Fripp&Enoをもっとピュアかつヘヴンリーにしたような心地よさはてんこ盛りなのだが。300枚限定。



Various Artists / Presque Rien
Rhizome-s #03
Ana Foutel, Barry Chabala, Brian Labycz, Bruno Duplant, Bryan Eubanks, D'Incise, Dafne Vicente Sandoval, Daniel Jones, Darius Ciuta, Delphine Dora, Dimitra Lazaridou Chatzigoga, Dominic Lash, Ernesto Rodrigues, Eva-Maria Houben, Fergus Kelly, Ferran Fages, Gil Sansón, Grisha Shakhnes, Iliya Belorukov, Jamie Drouin, Jez Riley French, Johnny Chang, Jonas Kocher (with Dafne Stefanou), Joseph Clayton Mills, Julien Héraud, Jürg Frey, Keith Rowe, Lance Austin Olsen, Lee Noyes, Lucio Capece, Massimo Magee, Michael Pisaro, Paco Rossique, Paulo Chagas, Pedro Chambel, Philippe Lenglet, Rachael Wadham, Ryoko Akama (with John Bryan), Simon Reynall, Stefan Thut, Travis Johnson and Vanessa Rossetto
試聴:http://www.ftarri.com/cdshop/goods/rhizomes/rhizomes-03.html
 当然のこととしてタイトルはLuc Ferrariの同題の作品を参照していよう。ただただ時間が流れていくかのように装われたFerrari作品に対し、多くの参加者に対しタイトルだけを示して2分威内の音源提供を求めたこの作品は、ピアノの内部奏法によるほとんど聴こえない断末魔で幕を開け、ほとんど変化の無いダイナモの唸り、狭い隙間から垣間見た全貌の明らかでない電子音の断片の集積等、タイトル通りに微細で希薄な音響が続いていく。だが、それは決してもっともらしいポーズに留まるものではない。フィールドレコーディングやミュジーク・コンクレート的作品はもちろん、ピアノ・トリオやクラリネットのソロ等の器楽演奏も含むことによって、彼方に向けて耳を澄ます注意深い視線を待ちこがれている(それらがほとんどランダムに並んでいることによって、前者を後者に向けた耳の視線で、あるいはその逆で聴かれることが期待されていよう)。なお、カヴァーには「水は(それが入っている)グラスにほとんど何も( = presque rien)及ぼさないし、グラスも(そこに入っている)水を変化させない」というFrancis Pongeの文章が引用されている。「水」と「グラス」の代わりに、音響とか、音楽とか、録音とか、再生音とか、部屋のアコースティックとか、聴き手の知覚とか認知とか、様々なものを代入してみること。120枚限定。
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ディスク・レヴュー | 21:33:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
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