■プロフィール

福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

■最新記事
■最新コメント
■最新トラックバック

■月別アーカイブ
■カテゴリ
■リンク
■検索フォーム

■RSSリンクの表示
■リンク
■ブロとも申請フォーム
■QRコード

QR

ディスク・レヴュー 2013年11〜12月その3  Disk Review Nov.-Dec. 2013 vol.3
 ディスク・レヴュー最終セット第3回は器楽的インプロヴィゼーション編。自分の耳がMichel Donedaに負っているものの大きさに改めて驚かされた。彼の演奏は、がらんとした空間いっぱいに手足を広げ響き渡る時も、他の演奏者の気息音と鋭敏な肌を重ね合う時も、がさがさと鳴る茂みに身を潜める時も、たとえどんな時であっても音の身体を失うことがない。彼の作品を器楽的インプロヴィゼーションの枠で取り扱うのはそのためなのだが、私の耳を希薄な息遣いと輪郭がおぼろな電子音のかげが溶け合うエレクトロ・アコースティック・インプロヴィゼーションへと誘い、また、風が逆巻き樹々が葉を打ち鳴らし、たちが騒ぎ立てるフィールドレコーディングに開いてくれたのも、やはり彼なのだ。最後に挙げた盤のレヴューでインプロヴァイズド・ミュージックに愛想尽かしをしていた時期について書いているが、それはDonedaが2002年の『Spring Road 01』を最後に、ほぼ自身のレーベルPuffskyddに引きこもり、わずか50枚限定でリリースしていた期間とも響き合っている。これは後になって知ったことだが、多田雅範もほぼ同じ時期に同様の状態に陥っており、当時を振り返って、『春の旅01』でフリー・インプロヴィゼーションは終わった‥って感じてたよねーと話し合ったりしたものだ。
 さて、本来、器楽的インプロヴィゼーションとして取り扱うべき作品のうち、益子博之と多田雅範の主催する「四谷音盤茶会」(通称「タダマス」)のレヴューで触れたものについては、改めて採りあげていないことをお断りしておく。



Benjamin Bondonneau, Michel Doneda / ARR Suite
Le Chataignier Bleu CASTA 03
Benjamin Bondonneau(clarinet,tambour,objects,voice,painting),Michel Doneda(soprano & sopranino saxophones,radio,voice,textes),Maurice Benhamou(textes),Jean-Yves Bosseur(textes)
試聴:
 カヴァーに写っているギャラリーでの演奏。最初、紙をいじっているのか、ぱたぱたかさかさと音が鳴っているだけなのに、もうすでに胸がもうざわざわどきどきしている。マイクロフォンはまるで民族音楽のフィールドレコーディングのように、しかるべき距離を置いて、サキソフォンからほとばしる息の流れを軋みの高まりを、それが響き渡る空間の在りようを含め丸ごととらえる。物音がし、足音がして、音源の所在が動き、管の向きが変わったのか、響きの手触りが一変する。Donedaの放つ軋みに別の低い息音が応じて繰り広げる「気流の演劇」の手前で、一瞬テクストが語られる。それでも演奏が言葉の背景に退くことはない。ここで語りとは、鼻にかかった/喉を鳴らす/歯の隙間から鋭く息を解き放つ等による空気の流れ/震えのスペクトルの一部に過ぎないのだから(同様のことは、空間に放たれるざらざらと粒子の荒れたノイズ混じりのラジオ音声についても当てはまる)。


Michel Doneda, Joris Ruhl / Linge
Umlaut Records umfrcd07
Michel Doneda(soprano saxophone,radio),Joris Ruhl(clarinet)
試聴:http://umlautparisberlin.wordpress.com/linge/
   http://www.ftarri.com/cdshop/goods/umlaut/umfrcd-07.html
 鳴り渡る響き。溢れ出す息。弧を描く軋み。リードへの、あるいはキーへの、パーカッシヴな打撃が共鳴しあう。ここでは沈黙の次元はほとんど姿を現さず、常に呼び交し、結び合い、重なって溶け合う二つの声/一つの響きがある。音はすべからく触覚を喚起し、また実際、二人は音を触れ合わせることにより親密な交感を成し遂げているのだが、そうした「触れ合い」が通常求められる、肌のうぶ毛を総毛立たせて集中するような神経質さが、ここには薬にするほどもない。鋭敏さを希求し、希薄さを請い願い、おずおずと暗闇に手を伸ばす不安さ(それは注射で針を刺される時や歯医者で歯を削られる時に、思わず身を固くするあの「構え」と似ている)は微塵も感じられない。ここには確かな重みと輪郭、熱を持った声/息の身体がある。彼らは旧友のようにやあやあと抱きしめ合う。何の不安もなく相手に身を預ける。相手がそこにいるだけでもう充分とばかり、あらかじめタイミングを推し量ることもなく、返答も当てにせず、まっすぐに音を放つ。その様はほとんど無造作に見える。だが、そこにある確かな信頼が、この息と息の結び合いによる高所の綱渡りのような奇跡を可能としているのだ。一見、素っ気ない無造作な手つきは、バランスへの信じられないほど細やかな配慮に溢れている。それは熟達した職人の何気ない(しかし身体を通じて考え抜かれ、一つも無駄のない)動作を思わせる。「試聴」欄に掲げたUmlaut Recordsのページには、録音の様子と併せて、カードボード製のジャケットを一つひとつ手作りする様子が動画で掲載されている。裁断し、タイトルを印押し、型押しを施し、さらに背の部分を糊付する。それは孤独な、また、ほとんど考えることのないオートマティックな作業のように見えるが、その実、使い込んだ、信頼の厚いと同時におそらくは頑固で気難しい工作機械との、触覚を通じた無言の交感にほかなるまい。


Michel Doneda, Jonas Kocher / Le Belvedere du Rayon Vert
Flexion flex_007
Michel Doneda(soprano saxophone,radios),Jonas Kocher(accordion)
試聴:http://www.ftarri.com/cdshop/goods/flexion/flex-007.html
 元はホテルだったという空きビルに潜り込んでの録音は、前掲作とは裏腹に、「おずおずと暗闇に手を伸ばす不安さ」と、かくれんぼや追いかけっこをするガキっぽい冒険の喜びに満ちあふれている。互いにリードを軋ませながら呼び交す二つの息の間には、広大な空間が介在し、両者を隔てると同時に結びつけ、距離と密度を通じてサウンドを変容させる。Doneda、Alessandro Bosetti、Bhob Raineyによる3本のソプラノ・サックスが草むらに身を隠したまま鳴き交わすような『Places dans l'air』(Potolatch)同様、ここでも主役を務めるのはむしろ空間の広がりなのだ。二つの息は周囲の空間のアコースティックの違いを照らし出す一方で、空間に浸され覆い隠され、二人はそれに抗うように物音を立て、叫び声を挙げる。「環境音との共演」によくあるように、環境音や場のアンビエンスを書き割りによる背景として演奏を重ね描きするのではなく、彼らは場のざわめきに深く身を沈め(時には姿すら見えなくなるほど)、そこに沁み込ませ、掘り刻むように音を放つ。


Elena Kakaliagou,Ingrid Schmoliner, Thomas Stempkowski / Para - Ligo
Creative Sources CS228CD
Elena Kakaliagou(french horn,voice),Ingrid Schmoliner(piano),Thomas Stempkowski(double bass)
試聴:http://www.squidco.com/miva/merchant.mv?Screen=PROD&Store_Code=S&Product_Code=17872
 フレンチ・ホルンのたなびきから、すーすーと漏れる息と哀しみを帯びた旋律が姿を現し、プリペアド・ピアノが蛍光灯のちらつきにも似た振動を放ち続ける(そのせいで旋律は前へ進むことができず、自らに折り重なっていく)。じっと構えたまま動かないダブル・ベース。だからベースのつぶやきやピアノの軋みの傍らに、女声の優雅な語りが舞い降りても何の不思議もなかった。抑制され切り詰められたセノグラフィとしての音楽。すすり泣くピアノ弦の軋み。がさがさとした吐息。雄弁な沈黙。ゆったりとした時間と連れ立って歩み出すフレンチ・ホルン。刻々と時を刻むベース。プリペアドされた弦への忙しない打撃が張り詰めた響きに亀裂を生じさせる。三者が同一平面に立って対話を交わしたり、身体の反応を照らし合うのではなく、切り離された個々別々の生成を、見事なアングル/パースペクティヴでフレームに収めてみせたとの印象。どうしたらこんなことができるんだろう。むしろ風景を的確に切り取るフィールドレコーディング的な耳の冴えを感じさせる。


Toshi Ichiyanagi / Music for Piano
Edition OMEGA POINT OPX-011
Toshi Ichiyanagi(composition),Takuji Kawai(piano)
試聴:http://www.allmusic.com/album/toshi-ichiyanagi-music-for-piano-mw0002539648
 フレーズをかたちづくることのない音の散乱と交錯、持続と拡散あるいは減衰。ここで音は粒子であり、その運動の軌跡が刻まれると同時に、また波でもあり、その持続と伝播、変容が示される。付された演奏者河合拓始の解説によれば、作曲は不確定性を導入した五線譜から図形楽譜、あるいは言葉による指示のみのものにまで至り、その指示内容も奏法の指定や音具の追加からフルクサス的な命令(たとえば「できるだけ早く大音量で、身体的あるいは精神的に疲れ果てるまで演奏せよ」)を含む幅広いものとなっている。それゆえ作品演奏に当たり、河合の即興演奏経験が活かされたことは疑いない。しかし、演奏は即興演奏独特の熱に決して浮かされることなく、各音のダイナミクスと持続を実験物理学者のように冷徹に操作しきっている。その結果、音は鳴るべき時に鳴り、そうでない時は固く口を閉ざし、音響と沈黙が共に高くそそり立つ、毅然とした切断に満ちたものとなった。全曲まとめての録音は初めてとのこと。


Matana Roberts / Coin Coin Chapter Two:Mississippi Moonchile
Constellation cst098
Matana Roberts(alto saxophone,vocals,conduction,wordspeak),Shoko Nagai(piano,vocals),Jason Palmer(trumpet,vocals),Jeremiah Abiah(operatic tenor vocals),Thomson Kneeland(double bass,vocals),Tomas Fujiwara(drums,vocals)
試聴:http://cstrecords.com/new-release-matana-roberts-–-coin-coin-chapter-two-mississippi-moonchile/
   http://www.allmusic.com/album/coin-coin-chapter-two-mississippi-moonchile-mw0002566488
   http://www.reconquista.biz/SHOP/cst098.html
 昨年の前作「第1章」が、被抑圧者の叫びやつぶやきを、多視点からのヴォイスとしてすべて板に乗せた舞台的な仕立てだったのに対して、今回はオペラ歌手(!)による象徴的な「声」にそれらを集約し、それ以外の言葉なき「多声」は器楽アンサンブルに委ねており、前作から総入替されたメンバーも、相変わらず多様な曲想を演じきり、見事に期待に応えている。特にピアノとドラムのもたらしている「散乱した交感」が貴重だ。トランペットとアルト/スキャットのやりとりだけでは、ずいぶん古風なところに留まってしまっただろう。アルト奏者としての彼女に対する私の評価は決して高くないし、ポリティカル・コレクトネスまんまな内容もどうかと思いつつ、前作からこうも変わってくると、次がどうなるかと見続けずにはいられない。なお、この編成でライヴも行っている(※)。姿の見えないCDと異なり、オペラ歌手がずっとそこにいながら、時々しか歌わないのは違和感が強いが。
※http://www.youtube.com/watch?v=-UKRVs2N6OU
 ただし、ドラムをMike Prideが務めている。


Jean Dubuffet, Ilhan Mimaroglu / Musiques pour Coucou Bazar
SUB ROSA SR350
Jean Dubuffet(various instruments,voice,recording),Ilhan Mimaroglu(composition),Anna Sagna(selection,compilation)
試聴:http://www.subrosa.net/en/catalogue/soundworks/jean-dubuffet-coucou-bazar.html
   http://www.meditations.jp/index.php?main_page=product_music_info&products_id=12604
 「四色問題」と格闘したような落書きが増殖して平面を埋め尽くし、ついにはキャラクターとして自立し立体化を遂げるウルループ作品の展示「Coucou Bazar」(1973年開催)のためにIlhan Mimarogluが制作した電子音楽と、1978年にトリノでの展示に当たり制作されたJean Dubuffet自身による演奏をAnna Sagnaが編集したものの両方を収めたCD2枚組(40ページの写真入りブックレットを綴じ込み)。やはりDubuffet自身による演奏の天衣無縫な、それでいて胆汁質の軋轢と重層的な吃音に満ち満ちたプリミティヴな強度を讃えたい。彼自身述べているように「これまでの音楽を一掃し、新たに生み出す」意気込みで制作されており、確かに「文化」へと昇華/濾過される以前の原形質的な蠢きがここにはある。しかも多重録音とテープ操作により変調されることにより、生々しさをいや増しながら、衝動的な垂れ流し(情動失禁)からも遠く離れている。野太い唸りに圧倒される2曲目は波止場に停泊する船体の発する重たい軋みを思わせ、4曲目からの寸断された弦の叫びの交響は凍てついた湖における氷の衝突や熱帯雨林で繰り広げられる鳴き声の饗宴を浮かび上がらせる。彼自身標榜する「anti-musical, anti-humanistic」は、こうして人間がつくりあげたものではない構築へと向かう。その視線は、『建築家なしの建築』でヴァナキュラー建築を蟻塚や海鳥の繁殖地のように眺めるバナード・ルドフスキーの眼差しと似ている。本来こちらが本編であるIlhan Mimarogluの作品はあくまで電子音楽の語法内に留まるが、Dubuffet音源を体験後に聴き返せば、低音のドローンの有機的な揺らぎや、ノイジーに跳ね回る電子音の粘り着くような感触に、Dubuffetの残響を聴き取ることができるだろう。


【番外】
Various Artists / Ftarri Collection
meenna 111-117
試聴:
 年の暮れになって、とんでもないヴォリュームのブツが舞い込んできた。2008年4月に東京・京都で開催されたFtarri Festivalと2010年9月に東京で開催されたFtarri doubtmusic Festivalから選ばれた19のパフォーマンスを収録したCD7枚のセット(だから各パフォーマンスの収録時間は長い。30分以上に渡るものすらある)が、みんな異なるデザインの手製のフェルト袋に入っている。「思い出を詰め込んだアルバム」という感じだろうか。それがどのような思い出/記憶であるかは、個々人の事情によるだろう。私はと言えば、バーバー富士の松本さんからanother timbreやcreative sourcesを教えていただき、そうした新たなレーベルの視点からとらえ直して、インプロヴァイズド・ミュージックへの関心を新たにしたのが2009年の後半のことで、それが翌年の音盤レクチャー「耳の枠はずし」の開催、及びそれをお知らせするためのこのブログの開設へとつながる。だから2008年はそれ以前からずっと続いていた音響派/リダクショニズムの浸透によるシーンのつまらなさに対して、不満や反発を通り越してあきらめに至っていた頃だ。2001年7月に開催された「デラックス・インプロヴィゼーション・フェスティヴァル」で、タイム・ブラケットによる作曲作品を演奏した杉本拓ギター・カルテットが、時計の見方を間違えて終われなくなり、互いに顔を見合わせて愛想笑いを浮かべているのを見せられて、世も末だと感じたことは、いまだに脳裏を離れない。だからここに収められた2つの音楽祭にも参加しなかったし、およそ関心もなかった。それでも聴いてみるとやはり発見はある(もっぱら2008年に)。大蔵雅彦率いるGnuの解体/再構築されたグルーヴは大層「新鮮」に聴こえるし、向井千恵と共演するTetragrammatonのハーディ・ガーディの張り詰めた響きには耳が惹きつけられる。秋山徹次も最近のように無造作にではなく、えらくロマンティックにアコースティック・ギターを爪弾いていて耳に残る。Klaus FilipとKai Fagaschinskiはすでに現在につながる演奏をしているが、まだ以前のフリー・インプロヴィゼーションの尻尾を残している。その一方で他の部分は、あきれ果て関心を失っていた理由を改めて思い出せてもくれる(F.M.N.の石橋氏がここには収録されていない、フェスティヴァル当日の他の演奏について、同様の感想を記している*)。2010年についてはmusicircusでその年にリリースされた作品から30枚を選んでいるが(※)、そこで私が眼差している成果や徴候、可能性はここにはかけらもない。その点で貴重な記録となるだろう。300部限定(ただし80部は関係者に配布されるため、頒布は220部とのこと)。
*http://fmn.main.jp/wp/?p=3473
※http://homepage3.nifty.com/musicircus/main/2010_10/tx_5.htm

 なお、次のページで7枚すべてのジャケットや各トラックのパースネル等を見ることができる。
http://www.ftarri.com/ftarricollection/index.html


7枚のCDが収められたフェルト袋は
手づくりのためひとつずつ異なるようだ。
スポンサーサイト


ディスク・レヴュー | 23:14:02 | トラックバック(0) | コメント(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad