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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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ディスク・レヴュー 2014年1月〜5月 その1  Disk Review Jan.- May 2014 vol.1
 2014年ディスク・レヴュー第1弾は、器楽的インプロヴィゼーションの領野からの7枚。楽曲演奏からアブストラクトなサウンドの配置まで、あるいは御大デレク・ベイリーからうら若き即興乙女たちの饗宴までと幅広い選盤となった。


Great Waitress / Flock
Creative Sources CS234CD
Laura Altman(Clarinet),Monica Brooks(accordion),Magda Mayas(piano)
試聴:http://greatwaitress.bandcamp.com/album/flock
 暗闇に響くかすかな吐息と足音、ねじを巻く音。甲高い耳鳴り、遠く近く響く鐘の音、彼方を通り過ぎるサイレン。‥‥とカフカ演劇さながら、アブストラクトにして表現主義的な強い喚起力を持つ音の断片の配置は、舞台が次第に明るさを増すにつれ、情景の広がりとして連なり始める。厳しい抑制が足元に口を開けた深い亀裂を覗き込ませ(あのMagda Mayasに疾走を禁じているもの)、一見穏やかな手の運びが、信じ難い正確さ/冷酷さで、空間を暗く張り詰めたモノクロームに染め上げていく。サウンドはますます優美な洗練を遂げながら、禍々しく生々しい力動そのものと化して、否応なく耳を惹き付け縛り挙げていく。暗がりの湿った匂い、凍てついたピアノの透き通る甘さ、リードのか細い震えが重なり合って照らし出す暗闇の冷ややかさ、希薄な倍音の干渉がつくりだす不定形の広がり。励起され交錯し混濁する五感。素晴らしい。昨年のベストに選んだJohn Butcher, Thomas Lehn, John Tilbury『Exta』 (Fataka)と同様、ここにはエレクトロ・アコースティック・ミュージックやフィールドレコーディングを聴く耳で、反対側からとらえられた器楽的インプロヴィゼーションが繰り広げられている。ただし、馨しい芳香が実は蛆の涌いた腐臭かもしれないあの不安はここにはなく、どこか生臭い血の匂いを漂わせた乙女の夢想の横溢がそれに取って代わっている。ECM的なアブストラクトなジャケット・デザインを主流とするCreative Sourcesにあって、このジャケットの禍々しき「乙女力」の解放/暴走ぶりは本当に恐ろしい。


Hassler-Ullmann-Kupke-Follmi / Hassler
Intakt CD212
Hans Hassler(accordion),Gebhard Ullmann(bass clarinet),Jurgen Kupke(clarinet),Beat Follmi(percussion)
試聴:http://www.intaktrec.ch/212-a.htm
 以前にZeitlratzer『Volksmusik』を聴いて思い知らされたのだが、ドイツ語圏ミュージシャンの民謡演奏時の没入ぶりは、祭りの記憶や大量のビール/ワイン、あるいは桃や杏のブランデーといったたちの悪い酒のせいなのか、誠に鬼気迫るものがある。その切れっぷりは一升瓶抱えた日本のノイズ親父なぞ足元にも及ばない。ここでのスイス勢もやってくれる。室内楽的な緻密なコンポジション/アレンジメントは当然のこととして、俗臭紛々たるメロディを逆手にとった、大衆演芸めいたあざとくも露悪的な構成を随所に織り込みつつ、ソロを交替し、アンサンブルを疾走させ、ついには崖から突き落とす。同じく管と蛇腹入りのFarmers Marketの一糸乱れぬ急加速はもちろん、フリーキーな乱れ/崩壊をも自在にこなす確信犯ぶり。ここにはかつて独FMP等で活躍したアコーディオン奏者Rudiger Carlの含羞に満ちた礼節ぶりは薬にしたくもない。弾けまくった快作。


Fred Frith, Michel Doneda / Fred Frith / Michel Doneda
Vand'œuvre 1440
Fred Frith(electric guitar),Michel Doneda(soprano&sopranino saxophone)
試聴:https://www.youtube.com/watch?v=AS4JwfRTB1o
 多彩なサウンドを自在に操り、いやむしろ「完璧にコントロールし尽くしてしまう」がゆえに、フレッド・フリスは作曲家に転身したのであり、演奏はもはや余興に過ぎないと思っていたのだが、ドネダとの共演はまた新たな扉を開いている。ちょっとあり得ないほどゆるやかな音の交感が互いの響きを滲ませあい、さらには引き伸ばされた音が弛緩に耐え絶きれずにほぐれ、内側から響きの遷移が露出してくる。フリスは、ドネダの音の「出」ではなく、立ち上がりの音色の微分的な変化にこそ、自らの響きをぴったりと寄り添わせる。むしろ一歩引いて、管の震えを引き立てるよう裏打ちを施す。サンプル&ホールドによる反復の提供も決して前面に立つことなく、背後に沈んで空間の色合いを差し替え、管の鳴りの細部を際立たせる。多彩でありながら、常に脆く崩れやすく、明度/彩度を低めに押さえて、一瞬閃いてはすぐに移り変わる希薄な響き。それは別の視点からすれば、ドネダが訪れ、彼の響きが満たすべき空間を、フリスが常に先取りし、あらかじめ染め上げ飾り付けてしまうことでもある。ここでドネダは空間へ触れ合い響きを解き放つ契機を奪われ、四方八方をフリスの音に囲まれている。「外」に遊び、空間を触知するドネダではなく、完璧に仕組まれたスタジオ・セット(バスビー・バークレイを思わせる‥と言おうか)の中のドネダ。それでも聴き応えは充分。異色作。2009年にサンフランシスコで行われたライヴを収録。


Derek Bailey, Simon H.Fell / The Complete 15th August 2001
Confront ccs22
Derek Bailey(acoustic guitar),Simon H.Fell(double bass)
試聴:http://www.squidco.com/miva/merchant.mvc?Screen=PROD&Store_Code=S&Product_Code=18110 
 語法の確立と推敲に明け暮れた1970年代前半から、即興演奏者のプールであるCompanyでサウンド/空間の重ね合わせによる相互浸透を模索した同後半、『Epiphany』に象徴される「フリー・インプロヴィゼーション」の「グローバル化」の1980年代を経て、1990年代以降のベイリーの演奏はあまりにも融通無碍というか、無造作な印象を受けてしまうことがある。ここでも弦を掻き回し、四方八方に音粒子を散乱させながら(その様は以前紹介したBill Orcuttを思わせる)、我が道を行こうとするのだが、フェルが通常のデュオの間合いを明らかに踏み破って、至近距離でベイリーを執拗にチェイスし、それを許さない。弦のブリペアドによりベイリーの音/音色領域を侵犯し、音具を使用して密度を高めたサウンドをぶつけ合わせ、はるか低域へと飛び退いたかと思えば、フレージングやノイズの放出で行く手を先回りしてみせる。その結果として、ベイリーは追いつめられたライン際からの脱出に、持てるランゲージを総動員させられる。そのようにして運動性が増せば増すほど、両者のサウンドはさらに研ぎ澄まされ、空間は透明度を高め、演奏はくっきりと奥行き深い空間に鋭利な軌跡を彫り刻むものとなる。優雅に浮遊する流れが急加速し、するりと身体が入れ替わって思いがけぬ地点へとパスが通り、その瞬間、予想だにしなかった不可視のフィールドが眼前に浮上する。潜在的なものが一挙に顕在化する一瞬。この体験こそが即興演奏を聴く醍醐味にほかなるまい。


Ist / Berlin
Confront ccs18
Rhodri Davies(harp),Simon H.Fell(double bass),Mark Wastell(violoncello)
試聴:http://www.squidco.com/miva/merchant.mvc?Screen=PROD&Store_Code=S&Product_Code=17772
 錐を突き刺すような一撃。限りなく希薄にたなびく音響。微かな軋み、粒立ち、揺らぎ。そばだてられる耳に薄暗い沈黙を満たすざわめきが浮かび上がる。時間的にも空間的にも「間」を保った隙間の多い平坦な演奏は、むしろエレクトロ・アコースティックな即興演奏のマナーに近い。共演相手の姿を視界にとらえると言うより、耳の視界に入ってくる音をとらえ、相手に向けて音を放つのではなく、周囲の空間に向けて‥、いや発音体/振動体の表面=空間との接点に注意を集中し、さらには自らの身体との接点へと視点は後退し、その分、身体は収縮して、空間の片隅にうずくまる。そうした「断食音楽」をエクストリミズムの名の下に正当化する代わりに、この時点(2001年)ですでに、彼らは誰よりも耳を澄まし、音色スペクトルへの意識を拡大して演奏に臨んでいた。前掲作に続き、ここでもフェルのアクティヴさが光る。2001年11月1日の録音だから、前掲作の半月後の演奏ということになる。


藤巻藤巻鉄郎 / 奏像
Tetsuro Fujimaki / Sozo
solosolo-004
藤巻鉄郎(drums,percussion)
試聴:http://page2rss.com/2d2b6169f29b34b0ca0aa5c4c62148b4
 「演奏する」というよりは、打撃の際のスティックの感触を確かめる。最初の一打でシンバルが、あるいはドラムのスキンが揺らぎ撓むから、続く一打は自ずと感触が変わる。その差異を味わい楽しみながら、打撃を連ねていく。間を置いた打撃では対象は限りなく元の状態に戻るが、隙間なく連打すれば、そこには対象が元に戻ろうとする力と打撃の間の押し引きが生まれる。とは言え、一見安定した均衡状態も、がっぷり四つに組んで動かないわけではなく、2本のラケットの間に挟まれたピンポン球のように、高速で振動遷移しているのが、まるで止まっているように見えるだけだ。後半に進むと、スティックはそうした高速振動状態に惹きつけられ巻き込まれて、休むことなく打撃を連ね疾走を続ける。堰を切った水が溢れるように。本作は2014年1月20日に録音されているが、藤巻によれば2013年の演奏の課題は「重力」、「張力」、「共鳴」の3つだったと言う。スティックの重みとスキンの張りの生み出す自動運動に、指の皮膚感覚を集中させる。1・2曲目で聴くことのできる間を置いた打撃は、一見共振に耳をそばだて、うわんとした共鳴に耳を凝らしているように見えるが、私にはやはり「鳴り」に指先を浸しているように感じられた。繊細にして克明な「すっとそこにある」感じの録音(レーベル主宰者である高岡大祐による)も素晴らしい。同レーベルから同時にリリースされた同じくパーカッション・ソロによる石原雄治『打響音集1』も多彩な響きが次から次へと溢れ出す素晴らしいものなのだが、ここはきっぱりと盲いた藤巻の潔さを採りたい。


Gongs of Cambodia & Laos
Tiger Gong 01
試聴:https://soundcloud.com/gongs-of-cambodia-laos
 Kink GongことLauret Jeanneauによる現地録音をたっぷり収めたLP2枚組。現地の人々と親しく交流し、様々な風物を指差してへらへらと笑う彼は、決して学究肌ではなく、快楽を追求することに一途な「享楽派」なのだろう。ここでゴングによるアンサンブル演奏は、決して音楽だけが切り取られたものではなく、常に日常の時間の切れ端を含んでいる。それゆえ瞑想やトランスのありがたい香りよりも、「風のにおい。陽射しのにおい。夕暮れのにおい。湿ったにおい。けもののうんこのにおい」(多田雅範)に満ちている。掌でゴングの振動を巧みにミュートし、あるいは解き放ってつくりだすグルーブの腰をとろかす浮遊感に魅せられるが、その向こうに広がる朗らかな笑いを聴いていると、ここから音楽だけを切り取ってどうこう言うことが、とっても的外れな行いに感じられてくる。ここで反復とは、瞑想やトランスはもとより、ミニマルとかリズム構造を超えて、何よりも日常の一部であることに基礎を置いている。夜が明ければ朝が来て、目が覚めればしぜんと腹が減るように。
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ディスク・レヴュー | 18:19:27 | トラックバック(0) | コメント(0)
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