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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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津田貴司による「音の設え」  "Sound Surroundings" Furnished by Takashi Tsuda
 津田貴司が益子STARNET RECODEで「音の設え」を担当すると言う。この試みを紹介するとともに、この件に関しFacebook上で取り交わされたやりとりが大層興味深かったので、これに触れることとしたい。

 津田は今回の「音の設え」の試みについて、次のように案内している。


益子設え8月2日と3日、益子 STARNET RECODE にて「音の設え」を担当いたします。
『星眺酒場』ー2014夏ーオープン17:00〜21:00(L.O 20:30)
於・STARNET RECODE
http://www.starnet-bkds.com/
8月2日と3日は、鹿沼にあるレストランmikumari高橋シェフが料理を担当。2日のみ、結城cafe la familleの奥沢シェフも参加。鮎のコンフィや地野菜のロースト、地鶏の煮込みなど、フレンチをベースとした大地の力に満ちたお料理でおもてなしします。
私のほうは、古いアジアの音楽、静かな民族音楽、森と水の音楽、空と星の音楽などの「音の設え」をしてお待ちしております。
夏の小旅行がてらお越しいただけますよう。

STARNET RECODEについて少し。
このほど無事にリイシューできた『湿度計』ですが、元はと言えば、2007年7月、益子STARNET RECODEの杮落し展示として発表したサウンドインスタレーション『湿度計』の音素材がモチーフになっています。このときはまだ壁も何もなく文字通り伽藍堂の状態だったのですが、その後何度もコンサートやワークショップでお世話になり、レコーディングエンジニアとして何度か仕事もさせていただき、土祭のときは屋根裏に泊まったり、非常に思い入れのある大切な場所なのです。

栃木県益子町に関して。
とても素敵な場所です。やや交通の便はよくないものの、そのおかげもあって古い暮らしが残っており、陶芸木工はもとより、藍染め屋、味噌屋、造り酒屋が町の中にあるのはすごいことだと思います。日帰りでも20時ごろの電車で東京都内まで帰れますし、お車の場合も常磐道を使えば都内まで2時間くらいでしょうか。益子廻りのご案内もできますので、お越しの方は一声おかけください。


益子音の設え0 津田によるワークショップ「みみをすます」への参加とstilllifeのライヴのため、多田雅範、益子博之と連れ立って彼の地を訪れた話は、以前にブログに書かせていただいた。宿泊した翌日、市街地へ向かおうとして不思議な形をした何だかわからない木造の建物に行き当たった。どうも閉鎖中らしく、中は暗くがらんとしていて人の気配もなかったが、ここに息が吹き込まれたらどんなに素敵だろうと思ったことを覚えている。その向こうにSTARNETのショップを発見し、そこでようやく建物の正体が知れたのだが。津田によると250年前の会津の古民家の骨組みを利用して建てられたという。

益子音の設え3 まだ朝早くて、ショップは開店前の清掃中だった。店員さんと思しき方に声を掛けて尋ねると、やはりRECODEは一時休止中とのこと。私はそのまま徒歩で市街地に向かい、通りの両脇の陶器店を物色し、ついでに販売センターも覗いて(観光バスから溢れ出る団体客に押し流されて、早々に立ち去ることにはなったが)、眼をつけたコーヒーカップと湯のみ茶碗を購入すると、また、STARNETへと引き返したのだった。その時には品切れ状態だった津田貴司『湿度計』も、いまやリイシューされて手に入るようになった。

 さて、『湿度計』は「サウンドインスタレーション」と紹介されているにもかかわらず、今回の試みは「音の設え」。両者はどのように異なるのだろうと思っていたら、Facebook上で興味深いやりとりがなされた。最初、津田が選曲の苦労を漏らしたところから始まったやりとりは、彼が「こういうの、自分が好きなもんだけダラダラかけてるような垂れ流しが一番良くないですから」と述べたところから一気に深まりを見せる。これに対し、「垂れ流しと一線を画すには一日のなか及びもう少し短い時間の中で空気感、抽象的なストーリーや世界感をもたせていくという事でしょうか? そうだとして、来訪者は各々、ランダムに切り取られた作品の断片を体験する事になります。それでも来てくれた方にそのストーリーは伝わるのでしょうか? それでも伝わるという事が音楽が時間ではなく空間に属するという事なんでしょうか?」との突っ込みがあったからだ。

 その後の津田の発言を見てみよう。


BGMは、誰が聴いていようが聴いていまいが垂れ流されているもの、です。それは香料を振りまくのと同じで、必要ない人もいる。それに対して、その時その場に必要最小限の音を選ぶ、という感じですね。DJみたいにつながってる必要もないし、しっかり聴かせる必要もないけど、ただとりあえず流しておく、という態度とは真逆のやり方を考えてます。

「音楽が時間ではなく空間に属する」という考えですが、これは(とくにフィールドレコなんかは)その時の空気の感じだとかその場所の地形だとかが、音の響きによってわかったりする。その時その場にタイムスリップする感じも含めて、音は一瞬で場をつくってしまう、ということです。

なので、今回は、STARNETという場に元からある雰囲気に、風に乗っていろんな音が聴こえてくるみたいに、いろんな時代や地域の音楽が流れ込むとおもしろかろう、と考えて選曲しています。


 音楽を演奏する、あるいは今回のように音を選択し配置することを、アーティストの意図の表現/具現化ととらえてしまいがちだ。ここには幾つかの明確に意識されない前提がある。まず、作品はあらかじめアーティストの内部で完成しており、それが外部に投影され、実質的な輪郭を得るということ。もうひとつは、こうした作品の起源である「意図」はアーティストによって無から生じせしめられたものだということ。
 ほとんどのアーティストは自己表現が自らの生業だと考えているから、こうした前提は受容者の側と共犯的に共有され、意識に上ることはない。まあそれはそれでしょうがない。けれど、今回の津田の試みに関しては、そうした枠組みを外してかかった方が、より豊かな体験が得られるのではないかと思う。

 ここで、津田がSTARNET RECODEという特定の空間に注目し、その雰囲気や空間の特性を重視していることに注目しよう。STARNET RECODEは決して無色透明、無味無臭の抽象空間たる「ホワイト・キューブ」としてイメージされているわけではない。具体的な、他のどこでもないその場所特有の色や手触り、匂いを持ち、特定の時間の痕跡を留め、固有の記憶を堆積させた場としてとらえられている。津田はその場所で何度となく作業に勤しみ、時には寝泊まりして時を過ごし、空間を呼吸した。彼は選曲しながら、音を白紙の上に並べていくのではない。自らに刻まれたSTARNET RECODEの痕跡/記憶とせめぎ合わせ、あるいは敷き重ね溶け合わせていくのだ。それは特定の場所との対話/共同作業と位置づけられよう。
 選ばれた曲を続けて聴いていけば、もちろんそこにストーリーが浮かび上がることもあるだろう。だが、音楽だけで自閉的に完結したストーリーが先にあるわけではあるまい。あくまで一曲一曲が運んでくる、あるいは醸し出す時間/空間と、STARNET RECODEの時間/空間との響き合いが先に思い描かれているのではないか。
 とすると、むしろそれは、STARNET RECODEの空間を、そこに刻まれた痕跡や記憶を含め、音により浮かび上がらせていく作業と言えるかもしれない。ライティングのアレンジメントが壁の趣や天井の高さを改めて照らし出し、柱や梁の表面を舐めていくヴィデオ・カメラが風雪の記憶や時間の堆積を丹念に紐解いていくように。

 と、このようなことを考えてしまうのは、やはり即興演奏のことが頭にあるからだと思う。即興演奏は、あらかじめ楽曲や素材を準備することなく、その場で無から有を生じさせる魔法のようなものととらえられがちだ。すべてはアーティストの思念から、意図によって完璧に制御された身体の運動から生じていると。
 これを裏返して、何も準備することなく演奏の場に臨み、自らの思いに従って身体を動かせば、それが即興演奏であり、すでにして行為としての価値を保証されている‥というとんでもなく誤った思い込みが生じる。こうした即興演奏は、まさに津田の言う「自分が好きなもんだけダラダラかけてるような垂れ流し」に過ぎない。
 何もない空中から、魔法のように音を取り出し紡いでみせるかように思い込まれている即興演奏が、実は沈黙のざわめきに眼を凝らし、そこに刻まれた痕跡を読み取って、そこに重ね描きすることから始めるよりほかはない、外と触れ合って外を発見していく営為であることを、何度書き綴ったことだろう。

 音は強い喚起力を持つ。一瞬の響きが時間の流れを、空間の襞を、鮮やかに浮かび上がらせる。その一瞬に耳をとらえて放さない響きはまた、ここに去来する旅人に過ぎない。一時の憩いを過ごすに留まり、決して住まうことはない。津田の選んだ曲たちは、食卓を囲む人々のもとを訪れ、興味深い異国の物語を語ってくれるだろう。そして束の間の香りを残して彼らは去って行く。跡形もなく。客席のざわめきや遠い厨房の喧噪、窓から入り込む風の響きはずっとここに留まり続けるにもかかわらず。やがて別の語り手が姿を現すだろう。そのようにして、彼らが去来し、物語が開陳され、イメージが交錯する「いま/ここ」こそが浮かび上がることになる。そして、そうした「いま/ここ」すらも、繰り返され流れ行く日々を思えば一瞬のことに過ぎない。

 インスタレーションが、文字通り何かを空間/時間にインストールすることにより、ある特定の機能/作用を備えた別の空間/時間を開くのに対し、「設え」は動かすことができるものを運び込んで、その場限りの仕掛けを仕立て上げることを指しているのだろう。それは歓待のため空間/時間を、束の間つくりあげる趣向にほかなるまい。「設え」の英訳を調べていて、furnishという語に行き当たった。「必要な家具(furniture)を運び込んで部屋を使えるようにすること」という意味らしい。となれば、「音の設え」で運び込まれる音楽は、さしづめ「音の家具」ということなのだろう。はるか昔にヴェトナムでつくられたウォーター・ヒヤシンスで編まれた椅子とか、煙草に燻されてくすんでしまったカンボジアの屏風とか、台北のお茶屋に置きざらしになっていたチェストとか。これは何だかとても似つかわしい気がした。
 そうした物語を秘め、記憶を宿した家具たちが、ふとひととき眼差しを惹き付け、肌理を露わにして、また、暗がりへと身を沈めていく。彼らは決して声高に自らを語ろうとせず、視線を遮らず、呼びかけられるまで無愛想にもこちらを振り向こうともしない。にもかかわらず、気がつけば魅惑的な後ろ姿を、あるいは横顔を有しているのだ。
益子音の設え2
選曲中の津田のCD棚

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ライヴ/イヴェント告知 | 22:18:12 | トラックバック(0) | コメント(0)
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