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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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羅府夢衆展 − LAFMS (Los Angeles Free Music Society) and Their Friends in Slow Life Avant-garde
 TOKI ART SPACEで行われるLAFMS関係の展示、ライヴ、トークを観に外苑前へ。今回はこの催しについて内容をリポートするとともに、観終えて考えさせられたことを書いてみたい。掲載の展示やライヴの写真はすべて
 LAFMSについては、このブログでも以前にArt into Life主催による「映像によるLAFMS」展@宇都宮を紹介している(※)。その時に講師を務めたLAFMS関連のオーソリティ科補(シナプス)こと坂口卓也が、今回の催しの首謀者である。まずは彼による催しの案内を見てみよう。なお、今回掲載の展示やライヴの写真はすべて坂口のFacebookページから転載させていただいた。
※http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-133.html


1972 年から現在まで
日常に前衛を融合させてしまうユル~い音楽共同体
LAFMS こと Los Angeles Free Music Society と
そのフレンズの展覧会を催します。
タイトルの『羅府夢衆』とは私の造語。
米国日系人の方々が用いる『羅府』を引用しました。
それは Los Angeles を表す言葉。
"Dreamers" を意味する夢衆をそこに融合。
ロサンジェルスの夢見人達を表します。
発音は『ラフムス』。
もちろん LAFMS の方々を指しています。
それに留まらず彼らの精神的友人をも含むでしょう。
会場の TOKI ART SPACE は 1977 年と 79 年に
LAFMS の中核である Joe Potts の個展を
当時銀座に在ったルナミ画廊で催すことに尽力された
トキ・ノリコさんの画廊。
新旧とりまぜた作品を展示すると共に
LAFMS の音楽を常時紹介するなど
濃厚ながらユル~く進行いたしますのでご期待ください。
期間 - 8 月 21 日 (木 ) ~ 24 日 (日)
時間 - 11:30 ~ 19:00 (24 日のみ 16:00 終了)
場所 - 〒150-0001
東京都渋谷区神宮前3-42-5サイオンビル1F
 TOKI ART SPACE


 奇想に溢れた造語感覚など、彼の面目躍如たるところ。また、彼らを夢衆=Dreamersととらえ、その濃密さとともに「ユルさ」を指摘しているのが、彼のLAFMS評価のキモと言えるだろう。これによって彼はLAFMSの活動を高く評価しながらも、徒に神話/伝説化したり、何か究極のスゴイものとして奉ったり、あるいは至高のイロもの/変態音楽として廃盤作品の値段を吊り上げたり‥‥というこの国の(もちろんこの国だけではないかもしれない)LAFMS評価の趨勢に、静かにヒューモアをたたえながら、しかし頑強に抵抗し続けているのだと私はとらえている。

 小学校の教室より少し小さい程度の広さのスペース(一部は事務スペースとなっている)に、活動開始時の貴重なプライヴェート写真の数々、LPやシングルのジャケット(写真やコピーではなく、本当に現物が展示されている)、彼らの作成したアートワーク等がペタペタとテープで貼りまくられ、あるいはジャンクな金属オブジェが壁に掛けられて、不思議にちょっと歪んだ空間が現出していた。ちなみに展示された作品群にはJoe Pottsが初期に手がけていた死体写真アートのようなセンセーショナルなものはなく、代わりに何と言うことのないスナップショットの一部がまるで心霊写真のように歪んでいたり、デッサンが神経症的な変形/解体を帯びていたり、デザインが幼児退行症的な乱雑さを示していたりと、いずれもどこか細部に「病的」な徴候をはらんでおり、それが波動として室内に放出され、先の歪み感を醸し出していたのではないだろうか。いや「病的」と言うのは当たらない。と言うより、「病的」というのは「健全」を明々白々な前提として、これに適合しないものを排除するためのラベリングにほかならない。こうした態度ほどLAFMSから縁遠いものもないだろう。あるいはかつて「有徴性」に憧れるが故に(おそらくは「凡百の他人と自分は異なる」ことをプレゼンテーションしたいのだろう)、ことさらに「ビョーキ」を喧伝吹聴して回る露悪的振る舞いが蔓延した(もちろん今もある)。こうしたこともLAFMSにはそぐわない。彼らは「ビョーキ」を売り物にしたことなど一度もない。しかしかつてCaroliner Rainbowが「精神病者がメンバーとして在籍している」ことを売り文句として、一部メディアに採りあげられたのとよく似た物欲しげな視線がLAFMSに向けられたことが幾度となくあったことは確かだ。


 やはりLAFMS関係の作品であるターンテーブルに載せられて回転する白いオブジェをひとつひとつ撮影したヴィデオ(※)を投影しながら、ライヴは冷泉淳、清水沙、内田静夫、康勝栄、橋本孝之、美川俊治の順でソロ演奏が行われた。おそらくは演奏時間を前もって決めておいて、前の奏者の演奏が終了する前に次の奏者が演奏を始め、少しの間デュオ状態となるのだが、対話関係をクローズアップする等により、デュオであることの必然性を強調したものはなかった。むしろ互いに相手を意識しない、反応しないことを心がけているように見えた。西荻窪のワイン・バーにちなんで「Orchestra Le Matin」と名付けられた、これら一連の演奏は、その名前の由来故か、正直LAFMSとの関連については計りかねた。ただ、エレクトリック・ギターの弦を糸で擦ったガサガサした音をループにして、重くのしかかる持続音を加えて揺り動かし、映像の異様さをある種の荘厳さへと高めてみせた冷泉、静かに吹き込まれた息を、ふと波頭を高く持ち上げ、甲高く鳴り響く咆哮へと変貌させる1972年の阿部薫を思わせる仕方でアルト・サックスを鳴らし切った橋本、その橋本と相似形のサウンドでスタートし、二人が同時に演奏することの意味合いをさりげなく示してみせた美川が印象に残ったことを記すにとどめよう。
※オブジェは既成のフィギアを改造したもののようで、銃や剣を持った兵士や牛や馬等の
 動物、あるいは木や花が暴力的に切断・再結合されている。解説によれば遺伝子組み換
 えに対する抗議を含んでいるという。


 続くトークは、バワーポイントで資料を示しながら説明する坂口が、折に触れて竹田賢一、藤本和男(第五列)、生悦住英夫(モダンミュージック、PSFレーベル)にコメントを求めるかたちで進められた。先の演奏者たちにも一部質問が振られていた。坂口は「映像によるLAFMS」展の時と同様、日本におけるLAFMS受容を竹田賢一によるディスク・レヴュー掲載から語り起こし、時代背景の特異性を浮き彫りにしようとしたと思われる。しかし、一人語りではない形式では、時代認識は当然のことながら拡散し、個人的な思い出語りとならざるを得ない。もともとユルさを志向していたであろうトークは、この導入部での「つまずき」によって、さらにユルくとりとめのないものとなっていく。以降に坂口が提出した論題、たとえば「フリー・ジャズやフリー・ミュージックに対するLAFMSのバックグラウンドのなさをどうとらえるか」、あるいは「アヴァンギャルド音楽、アンダーグラウンド音楽が受け入れられる素地とは何か」といった問いかけは、他の発現者のコメントから拾い上げた展開ではあるのだが、「LAFMSとの出会い」とか、「(前衛)音楽との出会い」という質問に置き換えられて出演ミュージシャンへと投げかけられると、これまた思い出語り以外の内容を引き出せなくなってしまう。結局、トークはユルく伸び切ったまま終了時刻を迎えた。しかし、後になって思えばだが、これは坂口にとって想定の範囲内であったようにも思う。「映像によるLAFMS」展では4時間以上に及ぶ説明と映像が「LAFMSとは何か」を伝えることに費やされた。LAFMS本体の活動内容の説明だけでなく、日本での受容状況や時代背景の解説は、「現象としてのLAFMS」を多角的に浮かび上がらせることに効果があった。今回の「羅府夢衆展」では、時間も限られている中で、発現としての、事態としてのLAFMSは展示に委ね、ひたすら受容について、すなわち「我々とLAFMS」、「共同性とLAFMS」について語りたかったのではないだろうか。そこでは肝心の「LAFMSの音」については知っていることが暗黙の前提とされており、「対象としてのLAFMS」がすでに示されている中で、そこから視点をずらし、「我々とLAFMS」について改めて考えてみることが主題だったのではないかと。すなわち、「LAFMSによって照らし出される我々」こそが問題だったのだと。もしそうだとすれば、作業はまだ緒に就いたばかりであり、これから粘り強く継続していく必要があるだろう。



 こうした理解を「我々」の一人であるはずの自分自身に適用してみよう。私とLAFMSの出会いについては、前述の「映像によるLAFMS」展レヴューで述べているので、引用しておこう。

 元はと言えば、池袋西武アール・ヴィヴァンで入手したフリー・ペーパー「AMALGAM #8」(ピナコテカ・レコード発行)に掲載された「科補おもしろニュース(2)」におけるLAFMS紹介記事(*1)が、LAFMSとの最初の出会いだったのではなかろうか。アール・ヴィヴァンでは、当時、コンピレーション「Darker Scratcher」やLe Forte Four「Spinin' Grin」など、彼らの作品も取り扱っていたし。前者は手に入れたけど、後者は試聴させてもらって迷曲「Japanese Super Heroes」でめげた記憶が‥‥。それでも懲りずに注目し続け、なぜか大学生協主催の中古盤セールで「Live at Brand」とか拾ったりするのだけれど。

 さらに調べてみると他にも出会いがあった。『Fool's Mate』誌上で秋田昌美が何度かLAFMSに言及している。たとえばvol.13では近藤等則へのインタヴュー「U.S.A.Free Music」の中で「ロスのLAFMSなどについてはどうですか」と尋ね、近藤からニューヨークと米国西海岸のフリー・ミュージックを巡る状況の違いを引き出している。また、vol.15+スペシャル・ストック所収の「未公開名盤150選」でJad Fair『The Zombies of Mora-Tau』について「ロスアンジェルス・フリー・ミュージック・ソサエティで活動するハーフ・ジャパニーズのドラマー」と紹介し、内容を「ポリバケツで骨でも洗っている様なトイ・ミュージックとでも言うのか、ジャドの幼児性と周到な生理科学が生み出したダダ的な音響詩。ギミックなしにフリー・ミュージックはこのようにタブラ・ラサの状態から導きださねばならない」と評している。さらにvol.17には水上はるこによるLAFMS紹介記事が掲載されているのだが、これはミュージシャンとの友達話ばかりで得るところがほとんどない。

 アール・ヴィヴァンでは在庫のあった作品が通常の価格で販売されていたし、たまたま安値で中古盤を拾う幸運にも恵まれたから、80年代初めにLAFMS作品を数枚所持していたが、それ以上血眼になってプレミアを出して買い求めるほどには熱狂しなかった。さらには彼らの活動自体が1982年のDoo-Dooettes『Look to This』以降、少なくともLAFMSレーベルとしては途絶えてしまう(個々のアーティストとしては他のレーベルから作品をリリースしていたりするのだが)こともあって、むしろLAFMS関連で知ることとなったZ'evやJad Fairは追いかけるものの、LAFMSそのものを「掘る」ことはしなかった。それでも彼らの存在は常に頭のどこかに引っかかっていた。

 その理由を自問自答する前に、ここで何本かの補助線を引いておきたい。今回のトークでもLAFMSのバックグラウンドのなさ、より率直に言えば演奏技術の拙さ、フリー・ジャズ〜フリー・インプロヴィゼーションのプロセスを経て洗練されてきた即興語法に関する素養のなさが話題となっていた。秋田昌美がレヴュー中で指摘した「タブラ・ラサ」ともつながる点だ。逆に「フリーなんて誰でもできる」発言に抗して、フリー・ジャズを演奏するミュージシャンがちゃんと楽器を演奏できる正統的なテクニックがあることを反論したり、あるいはフリー・ジャズのミュージシャンが、そうした「正統」な出自を持たないフリー・ミュージックのミュージシャンを見下すことも見られたと言う。
 今回のトークにおける生悦住の発言「アメリカの廃盤屋にTiny TimやPeter Iversといっしょに注文して‥」に象徴されるように、LAFMSはフリー・ミュージックや即興演奏というよりも、むしろサイケデリック文脈の中で、一種のアウトサイダー・ミュージックととらえられていた節がある。これは「キャラ立ち」という視点からとらえればなるほどと思う。たとえばPeter Iversの音楽を知る人なら、それが単なるキワモノでないにもかかわらず、どうしようもなく通常の音楽とは異質な「仲間はずれ」な匂いがしてしまう感じを理解していただけるだろう。
 一方、生悦住が発行していた音楽誌『G-Modern』第3号で、LAFMS作品『Live at Brand』を紹介する石原洋の筆致には、これと相通じるものがありながら、さらにそこから歩み出していく。「私がLAFMS系アーティストを取り上げるのは(中略)いまだに根強く残るサイケデリックとかアヴァンギャルドとか、そういったカテゴリーの壁面を少しでも可変的なものにしたいから、というのが理由のひとつである。(中略)確かに音楽的に見ればノイズ・マニアに人気のあるAirwayなど少しの例外を除いて、普通の人が聴けばガラクタに等しいものが多いし、あまりにも雑然としているため直接的なインパクトは期待できない。(中略)このような節操のなさ、無邪気な実験精神こそが60年代サイケの持っていた最良の部分だということは疑う余地のないことだし(中略)実に自然に音と戯れているように思われるのだが。」
 この石原の指摘を、前述の竹田による先行レヴュー(「ジャズ・マガジン」1977年11月号)と重ね合わせてみよう。「このジャケットでもわかるとおり、L.A.F.M.S.のミュージシャン(?)たちは、その出発点を60年代後半のザッパやビーフハートに代表されるロックの異化ムーヴメントに持っているのに違いない。次々と輩出したサイケデリック・ロックのグループが、コマーシャルに、また風俗的ファッションへと風化していく中で、フリー・ジャズやヨーロッパのフリー・ミュージック、あるいは電子音楽、テープ音楽などの現代音楽と出会いながら、音楽に与えられる定義を片っ端から反故にしていった人たち。ミドル・ホワイトの自己解体の実験としては。パンクよりはるかに衝撃的な行為がここにはある。そして、これらもフリー・ミュージックなのだ。」 サイケデリック文脈やロックの異化作用への着目を両者は共有している。異なるのは、竹田がそれを戦略的にとらえているのに対し、石原が言わば「天然」と受け止めている点だ(そこが生悦住と共通する)。実は石原のレヴューには次のような、竹田の発言を意識した箇所が見受けられる。「"異化"だの"解体作業"だのと都合のいい言い回しがなければ単なるクズ扱いされても仕方のないものが殆どなので純ノイズ・マニアの方は高価なプレミアを支払ってまで入手しない方が身のためであろう」と。

 この国で一時「実験音楽」と呼ばれもした、「疑似ケージ主義」的な硬直したコンセプトに基づく自堕落なパフォーマンスに、私は一切の価値を認めないし、関心もない。まずそうしたクズとLAFMSを区別しよう。これは簡単だ。LAFMSの連中はもっともらしいコンセプトに価値を置かなかったし、硬直性とも無縁だった。彼らの楽器演奏技術は確かに卓越しているとは言えない。明らかに劣っている場合も多い。しかし彼らはそれを「売り物」にしているわけではなかった。ポーツマス・シンフォニアのような権威の引き下げを企んでいたわけではなかったし、技術不足のみを武器として「異化」や「解体」を進めているわけでもなかった。また、Cornelius Cardewのスクラッチ・オーケストラや大友良英のポータブル・アンサンブルのような、「楽器弱者」たちに開かれた「演奏の民主的平等主義」が、彼らの目指すところだったこともなかった。
 彼らのアニメや特撮、ホラー等への「オタク」的嗜好は、アメリカ西海岸のサブカルチャーに広く見られるものであって、彼らだけの特質では決してない。むしろ、彼らの電子音やテープ・マニュピレーション等のアナクロニックな電子音楽への偏愛、さらには精神分析的な無表情な語りや低く続く繰り返し等の催眠的要素への好みは、一時この国でも「モンド・ミュージック」の源流として採りあげられた「スペース・エイジ・バチュラー・パッド・ミュージック」そのものの趣味傾向と言ってよい。
 このように対象範囲を絞り込んでいくと、私の評価していたLAFMSの特質が、何よりも彼らの雑種性、すなわち絶えず夾雑物/媒介物を排除して直接性を求め、磨き抜かれた音へ(あるいはノイズならノイズだけへ)とひたすら純化を目指すことを自らに義務づけてしまいがちなフリー・ミュージックの世界にあって、なおそうした罠にはまらなかった柔軟さにあることが見えてくる。
 彼らは手製のアニメ・ソングを歌ってしまうぐらいで、演奏にあたり既成の枠組みを躊躇なく借用した。と同時にそれが書割りの枠組みであることを、おそらく片時も忘れたことがなかった。彼らは有名ロック・グループのようにロックを演奏することを目指していたわけではなかった。演奏技術の不足を熱狂で埋め合わせ、我を忘れることもなかった。そこには常に没入しきらない、醒めた対象化の視線が確保されていたように思う。たとえばAirwayの苛烈なノイズ流は、最終的に一人のミキサーによって放出される。彼は演奏行為に関わらずコントロールだけを担当する。それも、この演奏形態においてだけのことであって、LAFMSという集団自体に適用されるわけではない。「時間単位でレコードの溝を買う」システムもまた、集団の意図や水準を統一する代わりに、集団制作の只中にアンデパンダンの思想を持ち込むことだった。
 そこで彼らの有するノン・ミュージシャン性や反プレイヤーシップが活用され、大きな効果を挙げていることは確かだろう。彼らがプー・バー・レコード店で出会ったことが示すように、リスナーシップの高さが功を奏したことも疑いない。しかし、John ZornやArto Lindsayはじめ、NYダウンタウン・シーンの主要登場人物たちも多くはレコード店で出会い、高いリスナーシップを有していた。70年代後半と言う勃興時期もパラレルだ。それではLAとNYの違いは演奏技術水準の差異に求められるのだろうか。NYの特質はダウンタウンの狭さ/高密度にある。そこで彼らはたとえ約束していなくても道ですれ違い、カフェで隣り合わせる。ここでは即興演奏共同体は様々な新規参入者に突き動かされ、横切らざるを得ない。それゆえJohn Zornが彼らの間のコミュニケーション・ツールとしてつくりあげた「ゲーム・ピース」は、相互の交通を加速させ、参加者のパースナルな語彙を吐き出させては流通させるグローバルなマーケットの形をしていた(情報主義的で速度依存症なところまで両者は似通っている)。自動車がなければ友人の家に遊びにすら行けないLAでは、そうした超流動状態は生じなかった。LAFMSも開かれてはいたが、コミュニティ的な性格を残していた。そして何より彼らには「ユルさ」への、「Slow Life」への強い信念があった。
 Derek Baileyたちによるフリー・インプロヴィゼーションは、「ノン・イディオマティック」を掲げて、参加者の語彙を引き算的に共約することにより、共存のための場をつくりだす。最初に課した排除のための制約は、その後も演奏の場をドライヴし続け、演奏を加速し、断片化し、純化する。John Zornたちによる試みは、そのようにして硬直したフリー・インプロヴィゼーションをリサイクルするため、正反対の「パン・イディオマティック」の看板を掲げて市場を広く開放した。しかし、「フリー」であることのドライヴは演奏を極限まで加速し、個々人の差異を情報化し消費してしまう。これも「純化」のプロセスには違いない。
 これに対しLAFMSが継続したのは、「純化」を強制されることなく(あるいは強制される「純化」に抗いながら)、自由を実践し続けることだと言えよう。フリー・ミュージックのもうひとつのかたち。

 私は「映像によるLAFMS」展レヴューの結語に次のようにしたためた。

 もちろん、比較的最近のSolid EyeやExtended Organ、あるいはかつてのAirwayといったハードエッジな音響だけを切り分けて評価するのは、おそらくLAFMSに対する適切な接し方とは言えないでしょう。奇妙奇天烈なコラージュや酩酊したグルーヴ、幼児退行症的なヴォイスやおバカなパフォーマンス、各トラックの時間配分に基づく負担金制度によるレコード作成や社会的タブーへの苛烈な攻撃、コミューン的な共同生活‥といった要素/特徴を、あるひとつの精神のあり方の多種多様な発露/展開ととらえる視点が必要なのではないかと。そうした精神の現われは、たとえばかつてのESPレーベルなどにも見られたかもしれないけど、彼らは60年代的なシーンの高揚が消え失せた70年代後半からこうした活動を始め、その後、現在に至るまでしぶとくやり続けている点は、本当に賞賛すべきものだと思います。
 旦敬介は「ライティング・マシーン-ウィリアム・S・バロウズ」(インスクリプト)で、バロウズの使命は「自由のパトロール」だった。彼の本はその報告書で、そこには敵地の見取り図や自由の処方箋が添付されることになっていた‥と書いています。また、彼はシュタイナーのような霊的な世界が見える人ではないにもかかわらず、自らの身体を実験場とした様々な試みを通じて、我々が常に見ている「現実」以外の次元が確実に存在することを確信しており、それを手探りで探し当てるために作品を書いていた‥と。LAFMSの面々にも似たようなところがあるかもしれません。彼らはバロウズのように孤独ではなく、古くからの仲間たちがいて、そのネットワークを通じて活動しているという違いはあるけれど。そこには靴底に貼り付いたガムのような、「柔らかな不定形の信念」が確かに貫かれているように思えて仕方がありません。

 今回の「羅府夢衆展」を観た後で改めていま読み返すと、ESPレーベルの追求した「自由」は、これまでなら「レコード」という「公共的媒体」にとても刻まれなかったであろう音の振る舞いを、レーベルの作品としてリリースしたという点ではLAFMSに通底するものがあるかもしれないが、エスペラント語の歌を収めた盤のリリースに象徴されるように、やはり「公共性」への意識がとても強いように感じられる。公民権運動の時代の平等志向に基づいた「公平な配分」と見えてしまうのだ。「マイノリティにも投票権を」的な。これに対しLAFMSには、そうした肩肘の張り具合は感じられない。もちろんこの間に、自主制作が広まって、「レコード出版の公共性」の敷居が著しく下がったのは事実だとしても。
 こうしたしぶとく強靭な「ユルさ」を保ち続けるLAFMSの核心を、「夢衆=Dreamers」の一語でさりげなく(だが研ぎ澄まされた鋭さで)看破する坂口の慧眼に改めて驚かされる。思えばLAFMSがこの国でCaroliner Rainbow扱いされなかったのは、そもそもの入口で竹田がサイケデリックからフリー・ミュージックや現代音楽に至る参照項を正確に示しつつ、「自己解体の実験」と核心を突いて釘を刺したからだろうし、続いてはやはり坂口がメンバーとも直接交流しながら、彼らを多面的にとらえ、紹介していったからだろう。それは決して一方通行の取材ではなく、双方向の交通だった。その一例として1982年の灰野敬二とDoo-Dooettesの共演が挙げられる。当時、灰野は前年に来日したフレッド・フリスと共演した程度で、彼の周辺には知られていたものの、今のように全米で「Noise Guitar God」として知られていたわけではなかった。にもかかわらず、LAFMSとの共同演奏が実現した陰には坂口の存在があった。その際の録音がメンバーの手元から見つかった(ずっとしまったまま忘れていたと言う)のが『Free Rock』である。『捧げる 灰野敬二の世界』所収の全作品ディスコグラフィ作成時に聴いた個人的評価としては、全作品中で十指に入る出来だと思う。何しろ演奏の伸びやかさが素晴らしい。末尾ながら、その時の文章の一部を引用して、永年に渡る坂口の営為を讃えることとしたい。

 大音量によるノイズ・インプロヴィゼーションが基調だが、そこに自作楽器モック・チェロ(形だけの偽チェロ)の紛い物の胡弓のようなチープな音色や、さらに様々な録音された断片が、そのまま、あるいは荒っぽい手つきで変調されて放り込まれることにより、演奏は奇妙奇天烈な雑色的かつ破壊的ヒューモアをたたえることになる。今から三十年前の演奏だが、このレトロ・フューチャー感覚はかえって申請に受け止められるのではないか。そうすれば、ここでタイトルに掲げられた「フリー」が、音楽の形式や語法を指すのではなく、タブーのない柔軟な精神のあり方を意味することにすぐに気づくだろう。
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ライヴ/イヴェント・レヴュー | 22:07:14 | トラックバック(0) | コメント(0)
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