■プロフィール

福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

■最新記事
■最新コメント
■最新トラックバック

■月別アーカイブ
■カテゴリ
■リンク
■検索フォーム

■RSSリンクの表示
■リンク
■ブロとも申請フォーム
■QRコード

QR

アンドレア・チェンタッツォ来日ライヴ  Andrea Centazzo Live in Japan
 「来月、坂田明、藤原清登とのツアーのため、イタリア出身の伝説の打楽器奏者アンドレア・チェンタッツォが来日します。渡米後の活動は謎なのですが、イタリアと言えば、まず思い浮かぶのが、彼のICTUS、PISAのインプロヴァイザーズ・シンポジウム、MEVだった。」
 8月8日、寺内久がFacebookに寄せたこの書き込みで、私はアンドレア・チェンタッツォAndrea Centazzoが来日することを初めて知った。掲載された日程を見ると、坂田明、藤原清登とのトリオ演奏しかブッキングされていないようだ。思わず反射的に手が動き「う〜ソロが見たい。聴きたい」と書き込んでしまう。そうした私のつぶやきが天に届いたのか(Twitterもしてないから貴重なつぶやきではあるだろう)、何と寺内自身がソロ演奏を含むライヴを企画してくれると言う。世の中まだまだ捨てたものではないかもしれない。

【ライヴ情報】
アンドレア・チェンタッツォ Solo & Trio
出演:Andrea Centazzo (per, electronics) 、石川高 (笙) 、秋山徹次 (g)
日時:9月16日(火)  開場19:30 開演20:00
料金:予約2700円 当日3000円
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
   東京都世田谷区松原2-43-11
  [京王線 / 京王井の頭線・明大前駅より徒歩2分 ]
   Tel:03-3322-5564 
   Mail:arthall@kidailack.co.jp




 ここでライヴ告知の補足として、なぜ私がそんなにソロ演奏にこだわったのか、その理由を書いておきたいと思う。そうすれば、彼の音楽活動を概括的に紹介することもできるだろう。もちろん、あくまで私の視線、私の「個人史」を通して‥ということになるのだが。


1.米国ツアー
 私が初めて彼の名前を眼にし、また音を聴いたのは、Eugene Chadbourne率いる2000 Statuesの演奏を収録したLP『English Channel』(Parachute)だった。John ZornがかつてChadbourne, Polly Bradfieldと組んでいたトリオが300 Statuesという名前で、確か「三百羅漢」と漢字が添えられていたから、さしずめ「二千羅漢」か。この作品は1978年6月にコロンビア大学で催されたNYダウンタウン・シーンに集う新世代インプロヴァイザーたちの旗揚げと言うべき公演の記録であり、新たな胎動の予感に満ち満ちている。この「即興オーケストラ」のメンバーには300 Statuesの3人に加え、Tom Cora, Wayne Horwitz, Lesli Dalaba, Bob Ostertagらが参加し、Elliott Sharp, David Moss, Christian Marclayたちこそいないものの、AlabamaからTransmuseqの2人(Davey WilliamsとLa Donna Smith)が駆けつけるというオールスター的なものであり、さらに当時NYで活動していた4人の異邦人たちをも惹き付けていた。すなわち、Fred Frith, Steve Beresford, 近藤等則, そしてアンドレア・チェンタッツォである。
 演奏はChadbourneによるインスタント・コンポジションに基づくインプロヴィゼーションなのだが、極端な断片化、典型の引用、破滅的な加速、雑多さを厭わないコラージュ志向等、後にNYダウンタウンで繰り広げられる汎イディオム的なインプロヴィゼーションの特質がすべて出揃っており、Derek Baileyたちによる非イディオム的なインプロヴィゼーションを当然の前提としつつ、さらにそれを切断し、乗り越えていこうとする向こう見ずな意欲に溢れたものとなっている。とりわけ確信犯的な「ステレオタイプ」の濫用とC&Wやカリプソ・バンドのフェイク等の攻撃的なヒューモアで「即興」の権威を打ち砕き、引き摺り下ろそうという、Chadbourne一流のポップな悪意は凄まじい。もうひとつ、コンポジションの指定により、複数の演奏者によるソロやデュオが同時並行的にズレながら仕掛けられる等、ジョン・ケージによるブラックマウンテンでのハプニングを踏まえた構成となっていることも指摘しておきたい。
 ここでチェンタッツォはアタックが強く余韻の短い金属質の音を多用しながら、ノイジーな喧噪に満ちた、しかし遠くまで見透かせる隙間を失わない「ポップ」な演奏(後のDavid Mossを思わせる)を達成しており、また、バンド演奏のパロディックなフェイクにおいても、見事にその務めを果たしている。
 この後、彼はいったん帰欧し、同年10月からの英国ソロ・ツアーに続き、11月5日に再びNYの土を踏む。12月12日まで続く大規模な米国ツアーの始まりだ。この滞在の間にZorn,Chadbourne,Bradfield,Cora,近藤との共演を収めた『USA Concerts』及び『Environment for Sextet』、Rova Saxophone Quartetとの共演『The Bay』(以上すべてIctus)、Henry Kaiser、近藤とのトリオによる『Protocol』(Metalanguage)、Davey Williams, La Donna Smithとのトリオによる『Velocities』(Trans Museq)の録音を残している。なお、Ictusは彼自身による自主レーベルで、これについては後述する。
 彼の「単身赴任的ネットワーキング」の形は、やはり単身日本からNYに乗り込んだ近藤と、美しい相似形を描いている。ちなみに先の4人、チェンタッツォ、近藤、Frith、Beresfordはいずれも1948年から50年の生まれであり、1953〜4年生まれであるChadbourneやZorn、Cora等と同じく、録音を通じてあらゆる種類の音楽に親しむことを共通の行動規範/文化的基盤とする世代に属している。このことはDavid Moss(1949年)、Elliott Sharp(1951年)、David Toop(1949年)、Heiner Goebbels(1952年)等を周囲に並べ、さらにDerek Bailey(1930年)、Steve Lacy(1934年)、Misha Mengerberg(1935年)、Peter Brotzmann(1941年)、Han Bennink(1942年)、Willem Breuker(1944年)、Evan Parker(1944年)ら「第一世代」と年齢を比較してみれば、より明らかになってくるだろう。
 さて、この時期のチェンタッツォの演奏の特徴のわかりやすい例として、5つのデュオの収められた『USA Concerts』を聴いてみよう。カタカタ、コトコト、カシャン‥‥。身軽ですばしっこい音。余韻が短く、質感が軽くオープンで、時にオモチャっぽさすら感じられる音色。細かな連符の記述に押し込めようもない、それぞれ異なる響き/粒立ちの素早い明滅。彼はこの時、かなり大量の楽器を抱えてツアーしているのだが(ジャケット写真にとらえられた楽器ケースの多さに注目)、音色の多彩さは決して楽器の多種多様さだけによるものではない。ドラム・セットの各部を鳴らし分け、音具やアタックを変えてスキンからうなりやうねりを引き出し、余韻の短い風を切るような鋭い一撃、岩を穿ち金属を掘り刻むような重い打撃が、「おりん」の長く引き伸ばされた余韻(楽器を振り動かし、空気をかき混ぜて響きをくねらせる)やシンバルの揺れ動くドローンと対比させる。アフリカ的なカリンバの音色が用いられても、民族音楽的なリズム・テクスチャーが採用されるのはほんの束の間のことに過ぎず、すぐにざわざわとした触感/耳触りへと解体され、音色そのものの運動と化す。先に見た余韻の対比をはじめ、彼はサウンドのありとあらゆるパラメーターを操作しようとする。彼が軸足をサウンドの次元に置いていることは明らかだ。逆に言うと、彼は即興演奏の「お約束」の最も重要な、そして因習的/慣習的な「コール&レスポンス」にほとんど頼ろうとしない。「フリー・インプロヴィゼーション」という剥き出しの闘争の場に、楽器だけを携えて裸で放り込まれた演奏者たちの身体は、たいていまずそこへ向かい命綱とするのだが、彼はむしろサウンドの背後に巧妙に身を潜める。あらゆるパラメーターを操りながら、ソロ演奏により編み上げたサウンド・レイヤーを代わりに差し出すのだ。



2.フリー・ミュージック
 渡米に先立って、彼はヨーロッパに広がるフリー・ミュージックのシーンで活動を展開していた。パリに移住する前、一時、イタリアを活動拠点としていたSteve Lacyが導きの糸となった。チェンタッツォはLacyについて、次章で述べるGiorgio Gasliniと対比させながら、次のように語っている。
 「ガスリーニはクラシック音楽出身のミュージシャンだから、どのように演奏すべきか、どのようにスコアを読みとるべきか、どこで即興すべきかを教えてくれた。でも、作品をやはり第一義的に考えていた。でも、スティーヴ・レイシーは違う。もっとオープンで、自分の感じるままに演奏することを教えられたんだ。ガスリーニの教えも貴重だったが、レイシーには即興演奏を学んだと言える。」(横井一江『アヴァンギヤルド・ジャズ』)
 1976年のLacyとの出会いは、結果としてGiorgio Gaslini Quartettoからの脱退をもたらし、彼はソロを中心に活動し、様々な即興演奏者たちと共演を重ねていくことになる。彼はまた自主レーベルIctusを創設し、Lacyとのデュオによる『Clangs』をその第一作としてリリースする。やがて彼の共演者リストにはDerek Bailey, Pierre Favre, Kent Carter, Evan Parker, Alvin Curran, Gunter Hampel, Radu Malfattiら、ヨーロッパのフリー・ミュージック界からとびきり重要な名前が連ねられていくことになるだろう。また、Guido Mazzon, Maurizio Glammrco, Bruno Tommaso, Giancarlo Schiaffini等、イタリア人ミュージシャンの名前も。ヨーロッパの即興ネットワークに単身飛び込み、自主レーベルを通じてそれを広めていくチェンタッツォの動きは、イタリアでは極めて先駆的なものだった。イタリアにおけるフリー・ジャズ〜フリー・ミュージックに関わる動きを1990年代初頭のItalian Instabile Orchestraからとするのはあまりと言えばあまりな過小評価だが、実際、原本が1971年に上梓されたフィリップ・カルル、ジャン−ルイ・コモリ『ジャズ・フリー』巻末の「フリー・ジャズ人名事典」において、英・独・仏・蘭のミュージシャンたちが数多く並んでいるのに対し、イタリアからはGiorgio Gaslini, Enrico Rava, Aldo Romanoの3名しか採りあげられていない。この時点でのチェンタッツォの動きは、まだ胎動期のNYダウンタウン・シーンへの突入と同様、極めて例外的な早すぎたものととらえられよう。
 ここで当時のチェンタッツォの演奏を紹介する前に、イタリアにおけるLacyの役割の重要性に触れておきたい。ジャズ・コンポーザーズ・ギルドの欧州楽旅からスピン・アウトした彼は、そのまま欧州を彷徨し、そこで出会った仲間たちと南米へ演奏旅行に出かける。その時の演奏を私たちは名作『The Forest and the Zoo』(ESP)で聴くことができる。後にパリに住まうことになる米国人サックス吹き、南アフリカから英国へ亡命してきたリズム・セクション、イタリア人トランペット奏者がアルゼンチンで繰り広げた演奏は、祖国/大地を遠く離れた異邦人の哀しみと、それゆえに可能となった身体の重さを感じさせない透明さによって、フリー・ジャズの頂点にして、すでにそれを突き抜け、フリー・ミュージックとしか呼びようのないものへと至っている。この時のトランペット奏者こそ、前述のEnrico Ravaにほかならない。また、1960年代のイタリアで注目すべき即興演奏集団として、Gruppo di Improvvisazione Nuova ConsonanzaとMusica Elettoronica Vivaが挙げられるが、共に現代音楽の作曲家たち(前者はイタリア人、後者はローマ在住の米国人)を中心に結成されたこれら二つのうち、コミューン的で参加の門戸を広く開いていた後者にLacyは参加し、『United Patchwork』(Horo)の録音を残している。さらには「International POPular Group」を標榜するAreaにも招かれて、『Maledetti』に参加している。そしてまた、チェンタッツォに対しても導きの糸となったのだった。
 さて、数ある盤のうちから、まずはDerek Baileyとのデュオ『Drops』を聴いてみよう。Baileyが神経を剥き出しになったが如き鋭敏な弦の震えに対し、チェンタッツォが煎り豆が弾けるように多方向に散乱する打撃で応える。共に音数は多いが余韻の少ない透明な響きが空間の透過性を保っているため、敷き重ねられた音は互いに交錯/衝突しながら、いくらでも自由に空間を飛翔することができる。空間を埋め尽くしていくのと対照的な、響きの散乱が空間を押し広げ、隅々まで照らし出して耳の視界を広々とさせていく演奏。様々な打楽器を駆使し、長短や音高、音色や余韻、倍音等のパラメーターを即時に操作しながら(スチール・パンのような音色すら聴かれる)、休むことなく音を繰り出していくチェンタッツォの貢献は大きい。数あるBaileyの共演作の中でも、とりわけ透明度が高く繊細にして鋭敏な1枚と言えよう。
 もう1枚、Evan Parker, Alvin Curranとのトリオによる『Real Time』(Ictus)を聴いてみよう。ソプラノ・サックスと電子音がつくりだす水平なたなびきに、打楽器の鋭いアタックが刻み目をつけていく。抑制の効いた乾いた響きは凍てついたモノクロームさをたたえ、まぶしさのない薄明かりの中に、その身を横たえている。決してフレーズを奏することなく、流動するドローンを編み上げ、あるいは複数の微細な流れへと解けていく電子音に対し、ソプラノ・サックスによるノンブレス・マルチフォニックスもまた、いつもの喧噪さを抑え、しめやかに響く。しかし、この滔々たる流れを断ち切るように、打楽器の音色が突如として泡立ち沸騰する。ここではデュオである『Drops』以上に、演奏者一人ひとりがまずソロによりサウンドのレイヤーをかたちづくり、それを敷き重ね触れ合わせながら、そこに生じる摩擦や干渉に応じて敏感に音の層や粒子を変容させていく演奏のあり方が見えやすいものとなっている。


3.ジョルジョ・ガスリーニ
 Lacyとの出会いが結果としてGasliniとの別離を招いた。Baileyよりひとつ年長のGiorgio Gasliniはイタリア・ジャズ界のマエストロとして知られ、1957年には無調によるジャズを作曲・演奏し、巨匠ミケランジェロ・アントニオーニに映画音楽を提供し、前述のItalian Instabile Orchestraの創設メンバーともなったピアノ奏者/作曲家である。
 まずはチェンタッツォ参加以前の1957年の無調ジャズ作品「Tempo E Relazione」を聴いてみよう。6本の管楽器が緻密に綾なす優雅な響きは、どことなくカバレット風味の退廃的香りを含め、直ちに初期のシェーンベルクを思い起こさせる。しかし、ベース&ドラムスは時にシンコペーションこそかいま見せるものの、極めてスクエアにリズム・キーパーに徹している。その禁欲性が垂れ込める管アンサンブルの官能性を際立たせていることは事実としても。これは1960年にアントニオーニ『夜』のために書いた映画音楽でも基本的に変わらない。これが1964年の「Oltre」となると、テーマ・メロディにジャズ的な闊達さが再帰するとともに、リズム・アレンジが細分化し、オン/オフやシンコペーション、モンタージュを多用したものとなる。しかし、「書かれたもの」感が強いことは否めない。
 手元にあるチェンタッツォ参加作品は2枚。いずれも同メンバーのQuartetto編成による1975年の『Murales』と『Concerto Della Liberta』である。前者はライヴ録音で全編を貫く革命歌的な簡素で飾り気のない、だが雄々しくしなやかで力強いメロディに驚かされ、圧倒される。私は即座に竹田賢一率いるA-Musikを思い出した。それゆえチェンタッツォのドラムスもむしろジャズの枠組みを離れ、シンプルにメロディを歌うサックスを支えている。Francois TusquesのIntercommunal Free Dance Orchestraと似た感触と言えるかもしれない。対して後者は題名通り各演奏者の自由度が高く、勇壮に隊列を組んだ前者と対照的な感がある。まるで盛装してぬかるんだ泥道を爪先歩きするように、優美にして不安定なテーマを基本として、各自が充分にスペースを取ったのびのびした演奏を繰り広げる。チェンタッツォは冒頭のドラム・ソロを除けば地味にバッキングに徹しているようでいて、よく聴くとGasliniのもつれるような指さばきにキラキラと輝く擬音的なパーカッション・ワークで絡み、前景でのリズムの刻みとは別の動きを後景で仕掛ける等、重層的な演奏をしている。後に顕著となるサウンド・レイヤー的な構築の萌芽や彫り刻むような強いアタックもすでに聴かれる。それゆえグループ全体のダイナミクスの振れ幅が大きく、それでいて細部からの構築感も揺るぎない。傑作と言ってしまっていいだろう。
 ちなみに『Murales』をリリースしているのはGaslini自らが起こしたレーベルDischi Della Querciaであり、彼のフリー色の強い作品はここから出ているものが多い。Querciaとは「樫」のことで、おそらくは大地/民衆に根差した抵抗的な力強さの象徴だろう。同レーベルからのチェンタッツォ脱退後の作品『Free Actions』(1977年)、『Graffiti』(1978年)等を聴くと、全体としてのフリーの度合いは増しているものの、前者の場合、それはリード・セクションとピアノの応酬に留まりドラムはスクエアだし、後者ではパーカッション・ソロによる曲があったりするが、エスニックなリズム・パターンの導入に終始してしまう(むしろチェンバロをフィーチャーした曲が聴きもの)。


4.それ以前
 Gasliniの下へ馳せ参じる以前からの活動について、少し触れておこう。チェンタッツォはスイスのジャズ・スクールで学び、自身のスタジオで音楽制作を開始している。リリースは後のことになるが、その時期の活動を反映した作品として、いずれも彼自身のソロによる『Ictus』(1974年)とElectriktus名義の『Electronic Mind Waves』(1976年)が、共に伊PDUレーベルからリリースされている。ウェブ上に残された音源を聴く限り、前者は瞑想的なゴングの深い響きで幕を開け、低域の電子音のうねりに打楽器の繰り返しが重ねられて、次第に温度感が上がりピュンピュンと「トビもの」の電子音パルスが放出される。オルガンやエレクトリック・ピアノのソロが前面に出たジャズ・ロック的展開も一部聴かれ、さすがにドラムは達者な演奏を見せている。後者は1973年からの演奏を収めるとされるが、シンセサイザーのリフレインを多用した前者以上にコズミックな仕上がりで、共にTangerine Dream等のジャーマン・ロックの強い影響下にある作品と言える。
 ここで改めて注目すべきは、彼がこうしたソロによる世界創造から音楽活動を始めていることだろう。一人でバンド・アンサンブルを構築するのではなく、打楽器と電子音のつくりだすサウンドの海に深々と身を浸すところから。そこではパターンとしてのメロディやリズムよりも、サウンドの温度や粘度の差異、あるいは連続と切断の配分、密度の配置と変容等が身体感覚的に重視される環境である。彼の音楽世界の始まりは、こうしたところにあるのではないだろうか。
 もうひとつ、ソロ・アルバムのタイトル、自主レーベルの名称等に頻出する「Ictus」について触れておきたい(ElectriktusもElectric+Ictusと絵解きできる)。「Ictus」とはイタリア語で詩における「強勢」とか、医学用語としての「発作」を意味し、元々はラテン語で「吹く」、「打つ」といった意味合いを持つ。このことを知ってから、チェンタッツォの打楽器演奏が平坦なリズム・パターンを編み上げるよりも、常に隙をついて一音が飛び出すこと、群れから走り出ることに憑かれているのを見るにつけ、彼が何に魅せられているのか、わかったような気がする。その一瞬に稲妻のように身体を走り抜け、世界を切り裂く「閃き」に。


5.Indian Tapes
 チェンタッツォの音との個人的出会いから始めて、彼の活動を遡ってきたが、ここで米国ツアーに続く時期に戻ることとなる。実は彼は1980年代の途中から演奏活動もレーベル運営も中断してしまう。正直に言って、その後1990年代から米国を中心に活動を再会していたことは、今回の来日情報をきっかけにリサーチしてみるまで知らなかった。だから私の紹介は彼が1980年に残したLP3枚組ボックス・セットの大作『Indian Tapes』を以て終わることになる。
 だが、これが大変な問題作なのだ。なぜ彼のソロが聴きたかったかと言えば、いまだにこの作品が頭の中で鳴り響いていたから‥と言っても過言ではない。そう、このLP3枚に収められた音源は、ライヴの一発録りにしろ、スタジオでオーヴァーダビングを数限りなく重ねたものであろうと、すべて彼独りによるものなのだ。
 全体がまとめられたのは1980年だが、使用された中には遥か以前1974年に録音された音源も含まれており、先に述べたようにライヴの一発録りで編集も施されていないトラックもあれば、何と35回ものオーヴァーダブを重ねているトラックもある。打楽器奏者のソロ作品というと、リズム・シークウェンスな何層も重ねたリズムのタピストリーのようなものを想像しがちだが、本作は決してそうではない。演奏は「Ictus」の名にふさわしい「閃き」の力を常にはらんでおり、ロラン・バルトがイーヴ・ナットを讃えた意味での「打つ力」に溢れている。その一方で、ゴングの長い余韻のたゆたいに身を浸し、ハーモニクスの色合いの変化に耳を澄ますことも忘れてはいない。
 フィールドレコーディングによる虫の音や蛙の合唱が素材として用いられているのも特筆すべきだろう。先に精密な設計図を描いて、細かな部品を一つずつ録音していくような組み立て方とは異なり、ここには最良の意味で「アンビエント」な、開かれた広がりがある。彼はサウンドのレイヤーを重ね合わせながら、紙漉き職人にも似た手さばきで響きを繊細に滲ませていく。
 様々な種類の音響のかけらを、「驚異の部屋」のように陳列配置した音空間も現れる。微細な打撃音が「野生」のままに枝を伸ばし繁茂した結果、壊れたオルゴールとゼンマイ時計の「墓場」に迷い込んだが如き機械仕掛けの植物園をつくりだし、クラシックやポップスの誰でも知っている有名曲が、あるいは映画のワンシーンがズタズタに切り刻まれ、ほとんどプランダーフォニックス的なブリコラージュを経て、めくるめくサウンドのパノラマへと変貌を遂げる。
 彼の世界にあって、メロディはむしろ副次的な存在だが、もしかしたらそれゆえにこそ、ここではまだ磨かれていない原石を思わせるメロディがふと剥き出しで姿を現す。その様は彼がライナーノーツで発言を引用し、オマージュを捧げているHarry Partchを思い出させる。

スポンサーサイト


ライヴ/イヴェント告知 | 18:55:56 | トラックバック(0) | コメント(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad