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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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タダマスの「9月15日」  “September Fifteenth” for “TADA-MASU”
 早いもので、この週末には今年最後の「四谷音盤茶会」が催される。通算15回目となって、喫茶茶会記のイヴェントとしてもすっかり定着した感がある。最初のうちは聴衆が2~3人しかいなかったなんて、今の盛況からはまったく想像できない。Jazz the New Chapterとやらでメディアがジャズの同時代的展開に注目し始めたということもあるだろう。ようやく彼らに向かって風が吹き始めた‥「継続は力なり」というわけだ。そうした「先見の明」だけでなく、NYダウンタウン・シーンの定点観測という「視線の揺らがなさ」、「姿勢のブレのなさ」を評価することもできる。

 だが、私が益子博之と多田雅範による「タダマス」を高く評価する理由は、決してそれだけではない。彼らの魅力は二人にゲスト・アーティストを加えた三人で、互いに異なる視点から音をとらえ、その結果、音像を立体的に浮かび上がらせていく多視点性にある。お仲間の内輪ノリ的な「あー、いーよね。サイコーだね」といった無責任な追従や同意はきっぱりと退けられ、次から次へと音源が俎上に乗せられては、多方向に引き裂かれていく。益子と多田の二人は「タダマス」の上演や準備を通じて、互いに同じアーティストを山ほど聴き合っているはずなのに、思考/指向が重ならない。これはおそらく、彼らがより深く穴を掘り、より遠くを見詰めようとするからだ。手元ではほんの僅かな視差も、遥か彼方では大きな違いとなる。

 なぜ急にこんなことを書き出したかと言えば、つい最近、こうした視点の差異を強く感じる出来事に出くわしたからにほかならない。前回、レヴューを執筆したPorta Chiusa+森重靖宗のライヴについて、Facebook上で池田達彌からトマツタカヒロのレヴューのことを教えられた。早速読みに行って、えらく感心した。さりげなく飾らない語り口ながら、事態の核心を見事にとらえている。とりわけ打たれたのは次のくだり。

 「とくに感動したのは、何でもアリの即興、ゆえに彼ら4人は[待つ]のです、次の音粒子が部屋中に飛び散って加速しはじめるまで、ジックリと待つ、待てるのです、即興で待つことの出来る人はホンモノです、これは素人なりオレなりの判断基準でもありますが、、」

 私もレヴューで同様の事態を「音を出さず、耳を澄まし続ける」、「沈黙を恐れない」、「すっと、さっと、ふっと入れ替わる」、「彼らは音を出さずとも常にそこにいて耳を澄まし、身体と楽器を音にさらしている」等と表現を変えながら、何度となく繰り返している。トマツタカヒロも次のように事態を語り直す。

 「例えば格闘技に置き換えますと、いつも音楽と関係ない譬えでスミマセン、、試合経験が浅かったり大したことない方に限って力んで始めからラッシュ、スグに息きれ余裕など全くなし、対して百戦錬磨のツワモノは、まず余裕のスッテプで相手を往なし捌き、一瞬のスキを逃さず突く、それまで待つ、待てるのです、そして狙い撃ちで倒す、これはとても重要で高度なことなのです、格闘技は、ヤルかヤラレルか、ですから、、」

 
 あの演奏にその場で立ち会っていた時、私の中にも「待つ」という言葉は湧き上がっていた。だが、私はこれを採らなかった。「待つ」というのは当事者の感覚であり、ここで私は同じ一続きの響きに身を浸しながらも、演奏のただなかにいるのではなく、しかるべき距離を取ってこれを眺め、音/音響/響きの次元に感覚をフォーカスしている。演奏者の感覚を代弁するのではなく、聴き手としての言葉を語ろうという思いがあった。それゆえ、私の言葉は沈黙と空間を巡るものとなった。
 だが、トマツタカヒロは違う。彼は聴き手にとどまることのできない、「当事者」としてライヴを体験しているのだ。それは続く次の部分に明らかである。

 「即興も同じだと観じます、待てる、彼ら4人はジッと耳を澄まして時には眼をつむり瞑想しているかのように微動だにせず待っている、その[間]こそ彼らホンモノの即興の神髄と僕は観じました、その間とのコントラストにて奏でる即興音響は僕の肉態を隅々まで縛り付けては解放して踊らせる、正直いいまして何度も舞台へ歩み寄りそうになり必死で我が身を押さえました、それだけ即興ってスゴいことなのです!誰でもやれるけれど誰にも出来ない、、っとあらためてホンモノに触れて覚醒しました、有り難うございました」

 その場で沸き起こり繰り広げられる転変に、身体を突き動かされ、爪先でも鼻先でもいいから、ともかくその騒乱の中に身体を差し込みたいという滾るような欲望。「肉態表現」を行うトマツタカヒロの身体を「踊り手」の身体と重ね合わせてしまってよいかどうかわからないが、演奏でも、環境でも、ともかく事態の変化に身体が反応し、動いてしまう/動けてしまう者たちが、あのような演奏に巻き込まれたとしたら、Porta Chiusaの三人と森重が果たしていた「待つ」ことの揺るぎなさに、たじろぐほどに触発されるのは、よくわかる気がする。視点の違いとは、予備知識や経験の違いというより、まさにこうした身体の在りようの違いなのだ。

 ちなみにトマツタカヒロは11月8・9日、喫茶茶会記企画によるグループ展「迷宮のエルドラド」(於:千駄木STOODIO)で、それぞれ森重靖宗、高岡大祐と共演する予定である。
エルドラド1縮小 エルドラド2縮小


 さて前置きが長くなった。今回の「タダマス」の告知記事を、以下に転載しておく。詳しくはhttp://gekkasha.jugem.jp/?cid=43767を参照していただきたい。


masuko/tada yotsuya tea party vol. 15: information
益子博之×多田雅範=四谷音盤茶会 vol. 15
2014年10月26日(日) open 18:00/start 18:30/end 21:30(予定)
ホスト:益子博之・多田雅範
ゲスト:蛯子健太郎(ベース奏者/作曲家)
参加費:¥1,300 (1ドリンク付き)

今回は、2014年第3 四半期(4~6月)に入手したニューヨーク ダウンタウン~ブルックリンのジャズを中心とした新譜CDのご紹介します。

ゲストには、ベース奏者/作曲家、蛯子健太郎さんをお迎えすることになりました。詩人の三角みづ紀を正式メンバーに加え,大胆にサイン波を導入したLIBRARY「Light」を前回の合間にかけたところ、非常に好評でした。そんな蛯子さんは現在のNYの動向をどのように聴くのでしょうか。また米国留学中、先日亡くなったチャーリー・ヘイデンに師事されていた蛯子さんに当時の思い出話も伺います。お楽しみに。(益子博之)
タダマス15

 なお、今回の「15」にちなんだタイトルは、多田の激愛する橋爪亮督による異形のコンポジション「十五夜」かとも考えたのだが、それでは当たり前過ぎるかと、Pat Metheny & Lyle Maysによる「September Fifteens」(『As Falls Wichita, so Falls Wichita Falls』所収)とした。Bill Evansに手向けられた繊細な響きは、秋の深まりに沿って、いよいよ寂しさを増して、怜悧なものとなっていく。
http://www.youtube.com/watch?v=WbklUUuhHgs


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ライヴ/イヴェント告知 | 21:36:20 | トラックバック(0) | コメント(0)
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