『松籟夜話』第一夜来場御礼 Thank You for Coming to Listening Event "Night Stories As Pine Tree Leaves Rustling in the Wind" The First Night
2014-11-13 Thu
御陰様で11月10日の『松籟夜話』第一夜、何とか無事に終えることができました。ご来場いただいた皆様、開演に向け暖かく励ましてくださった皆様、どうもありがとうございました。いつもなら、ここでライヴ・レヴューをしたためるところですが、自分自身が参加しているため、それはとても難しく、何点か情報を提供させていただくとともに、感想めいたことを申し述べて代わりとさせていただきます。誤解のないように申し添えれば、自らが参加したことをレヴューする難しさとは、対象化する距離が取れないとか、自意識や自己評価の問題といったややこしい話ではなく、その場で話すことや参加者の皆さんとの受け答えに集中していると、なかなかメモも取れないし、その場で「燃焼」してしまうため、断片的なシーンだけが記憶に残っていて、時系列的に思い出せないという至極単純な理由です。


冒頭に『松籟夜話』の趣旨めいたことをご説明した後、「なぜドネダか」という話になりました。その部分について再構成して掲載しておきます。
ひとつには私と相方を務めていただいた津田貴司さんの出会いに関することです。2012年の12月下旬、小野寺唯さんが主催したイヴェント『Study of Sonic』(※)において、私は金子智太郎さんと組んでレクチャーを行い、津田貴司さんはsawakoさんとのデュオで、出演した3組のうちの一つとして短いライヴ演奏を行いました。巻貝やガラス瓶に水を入れたものをコポコポと鳴らすなど、繊細なアコースティック音を散らし、あるいは編み上げていく演奏に耳が惹き付けられました。この日出演した他の演奏者はすべてラップトップPCを用いた演奏だったこともあり、印象がとても強く残りました。また、この日はPAスピーカーに点音源の特殊なものを用い、それを幾つも会場中にオブジェとして配置して、聴衆には歩き回って響きの違いを楽しんでほしいと呼びかけていたのですが、津田さん自身が点在するスピーカーの間を経巡るように歩き回ったこと、そして何よりもその姿がとても自然で奇をてらったものではなかったことに感銘を受けました。
終了後、彼の作品を購入しに行って、その時少し立ち話をしたのですが、彼が以前からミッシェル・ドネダを聴いていたことを知り、とても衝撃を受けたのです。「衝撃」というといかにも大げさだけれど、この時点で私はドネダをデレク・ベイリーとはまた異なる「即興のハードコア」と位置づけていて、彼のアンビエントな感覚には気づいていても、それはインプロヴィゼーションを聴く耳のさらに向こう側に開けている景色ととらえていました。実はこの日の私と金子さんによるレクチャーは「The Way to Ambient Music」と題されており、その中でドネダの音源を使用していたのですが、それはあくまでベイリーやルシオ・カペーセ(Lucio Capece)と共にであり、言わばアンビエント・ミュージックのリスナーが知るはずもない「別のアプローチ」を示すという気負いに満ちたものでした。それゆえに「向こう側の住人」であるはずの津田さんが、ドネダを聴いていたことに驚いたわけです。
※http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-206.html

そんな出会いもあって、津田さんから「CDを聴いてあーだこーだ言う」イヴェントをやろうとお誘いをいただいた時にはもう、何となくドネダは二人の頭に浮かんでいたのだろうと思います。イヴェントの内容をあれこれ考えていく中で出てきた「即興・環境・音響」の三つの軸についても、ドネダはそれらの空間の結び目のような場所に立っている訳ですし。
実は当日、津田さんが紹介したもうひとつ不思議なエピソードがあって、参考資料として、私が以前に『ジャズ批評』に載せたドネダのインタヴュー記事、『アウトゼア』のドネダ小特集に載せた論稿、そして『音場録』に書いたドネダの来日時のライヴ・レヴューのコピーを津田さんにお送りしたところ、彼からメールがあり、何と彼はこれらを全部以前に読んだことがあり、そのことを今の今まですっかり忘れていたというのです。彼の話によると、ベルクソン研究者の友人からコピーを束ねた状態で見せてもらったとのこと。それが彼にとってドネダを知ることになるきっかけだったわけですから、言わば私たちはドネダを通じて最初から出会っていたということになります。
そんな津田さんに言われて気づいたのですが、『ジャズ批評』掲載のインタヴューは1996年当時のもので、『Montagne Noire』も『Gaycre』も、『Ce N'est Pourtant...』すらまだリリースされていない時期でした。なのにインタヴュー記事は「自然のポリフォニーを聴き取る野生の耳」と題され、次のような描写で始まっています。
吹きすさび耳を切る北風の唸り、白く泡立つ潮騒のざわめき、遥か高みから打ちすえられる滝壺のどよめき、何物ともつかぬ生のざわめきのただ中から、霧笛にも似た哀しげな響きが頭をもたげ、ゆっくりとあたりを眺め回し、角笛となって谷を渡り、ひしゃげた叫び声をあげ、咳き込み、嗚咽する(それは耳にしたものを悲しみで金縛りにする、クジラやアザラシの叫びにも似ている)。荒い吐息、ひゅうひゅうと鳴る喉、裏返り血がにじむ声、力の限りに息を吹き込まれて張り裂けそうになるソプラノ・サックス。
あるいは、雨水の滴り落ちる廃屋の片隅にわだかまる古い風。壁が鳴り、窓枠が軋み、雨戸が震え、廊下が笛となって、喘息患者のように苦しげな息を立てる。
これは当時すでにドネダがリリースしていた、風の音のフィールドレコーディングと共演した作品のサウンドの描写で、ドネダという存在を象徴するものとして冒頭に置いたわけですが、津田さんに指摘されて初めて、この文章が、後の『Montagne Noire』や『Gaycre』といった野外での自然のざわめきに身を浸すような演奏、あるいは『Anatomie de Clef』以降に顕著となる息音の使用等について、「すでに聴き知っている」かのように書かれていることに気づき、自分自身、たいそう驚きました。このことは『松籟夜話』の場でも触れましたが、それは別に私に予知能力があるということではなくて、ドネダがそこに秘められた豊かな可能性に向けて、幾多の困難にもめげず、まっすぐに突き進んで行ったことの証しであるでしょうし、また、そうした「予兆」を彼の演奏がふんだんにちりばめていたということでしょう。
ちなみに、このインタヴューは次のように締めくくられており、これまた、後の『Spring Road 01』や『Montsegur』におけるヘテロトピックな実践を言い当てているかのようです。
そうした(ドネダがつながっていると感じている)広大で開放的な空間は、楽音/非楽音/周辺の物音といった区別を突き抜けた向こう側に、おそらくアンフォルメルな「生の音」として開けていよう。その世界を見届けるには、異質なものの共存を排除選別することなくヘテロフォニックに聴き取る強靭な野生の耳が必要となる。それは同時に、我々の無意識の奥底に潜む、むしろ動物的な創造のざわめきを聴き取る耳でもあるだろう。

『松籟夜話』第一夜 プレイリスト
各作品へのコメントは内容の紹介というより、当日来場者が記憶と照会しやすいように入れたものです。
1.イントロ

◇アコーディオンとコントラバスのデュオによる海辺の廃墟での楽曲演奏。
2.環境とドネダ

◇ソプラノ・サックスとパーカッションのデュオが野山を踏み分け、奥へと進んでいく。

◇野外でのソプラノ・サックスのソロ(ただしテープの早回しのような音も聴こえる)。舞台となったモンセギュールは弾圧されたカタリ派の砦があったところ。

◇野外での2本のサックスとパーカッションによる演奏。虫の声(?)がすごく、牛の鳴き声(?)らしきものもひっきりなしに聴こえる。
3.環境とドネダ(補助線)

◇野外でのソプラノ・サックスとクラリネットのデュオ。周囲の音はそれほど大きくなく、両者の響きの触れ合う様子が前面に。

◇ソプラノ・サックスのソロ。迸るような息音による激しい演奏。

◇アルトーの手紙を読み上げる役者たちの声と足音、ソプラノ・サックスとコントラバスの演奏が複雑な空間の中で混じり合う。
4.声とドネダ


◇建物の中を移動しながらのソプラノ・サックスとヴォイスのデュオ。後半は中庭らしき場所へ出て時計台の音が聴こえる。
5.アウトロ

◇ハイ・トーンのヴォーカルをフィーチャーしたゆったりとたゆたうようなバンド演奏。「昔のビルマのジャズ・バンドの流出音源みたいに聴こえる」(津田)。ラストのコーラスは阿佐ヶ谷商店街で収録。
ご来場いただいた皆様、開演に向け、暖かく励ましてくださった皆様、本当にどうもありがとうございました。今回、いろいろ不手際もあったかと思います。改善して、また、やります。


『松籟夜話』第一夜当日の写真は、ご参加いただいた原田正夫さんのFBから転載させていただきました。
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