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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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『松籟夜話』第二夜来場御礼(補足)  Thank You for Coming to Listening Event "Night Stories As Pine Tree Leaves Rustling in the Wind" The Second Night (Supplement)
 前回のプレイリストの補足として、当日参照した文献について触れておきたい。


クォーツ補足1デヴィッド・トゥープ『音の海』 水声社
 トゥープ自身による著作。多種多様な響きが「音の海」に浮遊していて、それらが混じり合い、不意に結びつきながら、また新たな響きを生み出していくというヴィジョンは、極めてユートピックだが、同時にサイバースペース万能論的な情報主義に傾いているようにも感じられる。それゆえ様々な媒体に執筆された論稿の集成である本書においては、テーマ別とか、編年体といった編集方針ではなく、様々な文章=情報=イメージが元の文脈から切り離され、断片化のまま浮遊する形態を採っている。それは一方では「情報の海」への埋没であり、読み手の積極的な参画がなければ、前述のユートピックな世界が開けることはあるまい。
 今回はもっぱらトゥープとフィールドレコーディングの関わりの線に沿って、文章を抜粋した。すなわち、彼がラウンドハウスで出会った初期AMMの「演奏」の様子であり(p.70〜)、ルートヴィッヒ・コッホの録音への無垢な情熱が「世界をキュレートする」というモチーフを通じてマーガレット・ミードによる映像人類学やミハイル・バフチンの「クロノトポス」と結びつけられる手つきであり(p.171〜)、ブライアン・イーノが周囲の環境音を録音してシングル盤程度の3分半に切り詰め、繰り返し聴いて「一曲の音楽として」覚えてしまったという実験であり(p.177〜)、トゥープとバーウェルが行った6時間に及ぶパフォーマンスや、さらにエヴァン・パーカーたちを加えて催した13時間以上に渡るコンサートについて述べた「連続体(continuum)」という一節(p.202〜)である。これらはすべて前回述べた「ある空間・時間の中で起こるすべてを(音楽/演奏として)聴く」仕方と関わっていると言えるだろう。
 他に補足的に挙げたレヴィ=ストロース『蜜から灰へ』から騒音を生み出す楽器と死や腐敗、社会的混乱、秩序崩壊との関連性を引用するくだり(p.97〜)、イーノとの出会いからアンビエント・ミュージックという聴き方の発見に至るエピソード(p.188〜)、いささか「アンビエント」に引きつけ過ぎではあるが、ジョン・ケージが提唱した「イマジナリー・ランドスケープ」概念の下に彼とデヴィッド・チュードアによる「ヴァリエーションズⅣ」からイーノの作品を「多様な信号の混合」として聴く仕方(p.194〜)、そしてトゥープ自らがオリノコ川を遡り、密林を踏破してヤノマミ族の儀式を現地録音しに向かう紀行(p.298〜)も、もちろんこのことに関連しながら、フィールドレコーディングの「in situ」(その場で、丸ごと)志向を明らかにしている。
 断片化し浮遊する情報群は、多種多様な結びつきの可能性を潜在させている。だが潜在化したままではアクチュアルではあり得ない。編集や方向付けの意志により、ある特定の結びつきを引き出すこと、それは無限に広がるユートピックな可能性を縮減する愚かな行為のように見えるかもしれない。だが、それこそがいきいきとした現勢化の企てなのだ。もちろん今回の「読み」はほんのささやかな試みに過ぎないが。
 せっかくなので、以下に一部を引用しておく。

 ひとりは短いレインコートを着て、テナーサックスをゆるく吹いている。頬骨のとがったヤギのようなあごひげを生やした男は、ドラムキットを組み立ててスネアを歯切れよくロールしていたかと思うと、再びばらしてシンバルとスタンドとドラムをケースにしまっている。二人の男が床にしゃがみこんでコードやプラグやコンセントやギターと格闘している。ほかの音とは無関係としか思えない大音量のノイズが炸裂する。ステージの端に立って近くを見回してみると、観客の誰ひとりとしてこれが演奏だと気づいていない。私自身、それに気づくには、これまで抱いていた演奏の概念を打ち砕かねばならなかった。【p.70〜71】

 オーディオ・レコーディングの黎明期、ルートヴィヒ・コッホという名の少年が、エジソン式蓄音機と共にピアノの下にもぐり、ヨハネス・ブラームスの演奏を蝋管に録音した。音楽とテクノロジーが新たな時代を迎えようとしていた。(中略)一八八九年に史上初の動物の声(つぐみ)を録音したとされるのも、八歳のこの少年だった。【p.171】

ある日、DATレコーダーを持ってハイドパークやベイズウォーター通りの近くに行って、その辺の音をなんでも拾ってきたんだ。車が行き交う音や、犬や人間、もろもろの音を。そして特に何も考えずに家のプレーヤーでそれを聴いていた。で、突然ひらめいたんだ。このうちの一部分を、たとえばシングル一曲分の長さとして三分半だけ丸暗記してみようと。実際にやってみた。(中略)そう、ここで車のエンジンがかかって、エンジンをふかす音が上がっていくと犬が吠えて、次にハトが脇の方に飛び立つ音がして、みたいに。(中略)これをやって以降、僕は多くのものを、まるっきり違う聴き方ができるようになった。つまり藝術を受け取る側に自分が立つというか、自分はその役目になると決めて聴くんだ。【p.177〜178】


クォーツ補足2雑誌『Collusion』vol.1
 トゥープ、スティーヴ・ベレスフォード、ピーター・キューザック、スー・スチュワードの四人が編集した音楽雑誌の創刊号から、各人が最近興味深く聴いた音盤をリストアップした「Turntable Choices Advetures on the Wheels of Steel」のコーナーを紹介した。フリー・インプロヴィゼーションやディーブな民族音楽とラテン音楽、映画音楽、ファンク・ミュージック、自然音のフィールドレコーディング、バルトーク等が混在するリストは極めて刺激的で、彼らがポップ・ミュージックの原型に惹かれるのは、そこにこれらに共通するプリミティヴなイノセンス(とは危うい概念だが)を感じ取っているのではないかと思われる。
 なお、そのすぐ下に位置するコラムは、イランやヴェトナムの短波放送(英語による)の紹介というのがいかにも。
 手元にはおそらくは池袋西武アール・ヴィヴァンで購入した創刊号しかないのだが、調べたところでは5号まで出ていたようだ。


クォーツ補足3銀星倶楽部06 ノイズ ペヨトル工房
 アーティスト・カタログからzoviet-franceの項目を。執筆はかつて『フールズ・メイト』の編集に関わり、各国のマイナー・レーベルと直接連絡を取りながら、代々木イースタン・ワークスの仕入れを担当していた明石政紀氏。その後、eva→evvaレーベルの運営に携わり、現在はベルリン在住。スタンリー・キューブリックの全監督作品を音楽/音響から論じた『キューブリック映画の音楽的世界』(アルファベータ)は必読モノ。ここでも彼らのレコード・ジャケットのフェティッシュな奇矯さを指摘した後、彼らのサウンドの持つ本質的な「古さ」(「ストーン・ヘンジから聴こえる音楽とでも言うような‥‥すでに風化に晒された石の容貌を持っている」)を名指している点はさすが。他にはTamia, Die Todlich Doris, SEMA / Robert Haigh, Mnemonistsの項を執筆している。この執筆分担からも「ノイズ」に対する彼の視点の独自さが知れよう。


クォーツ補足4Rock Magazine 06
 当日言及したわけではないのだが、資料として挙げておきたい。この号の特集は「無意識の音楽群」と題され、渡英・渡欧した阿木譲によるミュージシャンへのインタヴューとレコード・ジャケット等に掲載された英文記事の翻訳により構成されている。デヴィッド・トゥープ、デヴィッド・カニンガム、フランク・ペリー等のインタヴュー、クォーツ・レーベル作品のジャケット記事の翻訳等が含まれており、一見、今回の企画にぴったりの内容なのだが、特集タイトルに見られるように「工作舎」的というか、「精神世界」系の匂いが強すぎるので、いささか敬遠した次第。

クォーツ補足5_convert_20150209224551
クォーツ補足6_convert_20150209224620
書影以外の写真は、前回同様、原田正夫さんのFacebookから転載させていただきました。
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ライヴ/イヴェント・レヴュー | 22:54:18 | トラックバック(0) | コメント(0)
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