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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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ディスク・レヴュー 2014年6月〜12月その1  Disk Review Jun. - Dec. 2014 vol.1
 遅ればせながら2014年後期のディスク・レヴューをシリーズでお届けする。今回は音響的なインプロヴィゼーションからの16枚。いわゆるフリー・インプロヴィゼーションのジャンルに収められるべき作品以外でも、「即興的瞬間」が重要な役割を果たしている演奏については、それがコンポジションの演奏であってもインプロヴィゼーションととらえ、それを演奏の傾向から「器楽的」と「音響的(エレクトロアコースティック)」に二分して採りあげているのだが、もとより両者の境界線ははなはだ曖昧で、正直、評者個人の主観的判断に基づく。特に今回はミュジック・コンクレート的な音響構成作品が多かったことから、ますます選定の枠組みは怪しいものとなっている。しかし、採りあげた作品の質というか、聴取に対する強度については保証したい。
 2014年のディスク・レヴュー執筆に関しては、ペース配分を完全に間違ってしまい、掲載が非常に遅れてしまったことをお詫びしたい。その結果、2015年作品(たとえばJohn Butcher『nigemizu』)に着手できないと言う弊害も、すでに生じてきている。昨年は2月末には片をつけていたから、か月以上の遅れということになる。今年も音楽サイトmusicircusからお誘いいただいて、2014年のベストを掲載することになっているのだが、こちらの正規レヴューが一通り済まないと、あちらに取りかかれない。少なくとも、後2回、器楽的インプロヴィゼーションとフィールドレコーディング/ドローンの執筆が必要だ。本来なら、その後にさらにポップ・ミュージック篇のヴォーカルとインストゥルメンタルの2回が続くのだが、これはmusicircusのベスト選の中に忍び込ませることとしよう。
 なくもがなの言い訳が長くなった。それではどうぞ。



Rhodri Davies, John Butcher / Routing Lynn
Ftarri ftarri-217
Rhodri Davies(pedal harp,electric harp,wind harps), John Butcher(acoustic and amplified/feedback saxophones), Chris Watson(pre-recorded sounds)
試聴:http://www.ftarri.com/ftarrilabel/217/index-j.html
 Chris Watsonがあらかじめ録音した二人のデュオ演奏や環境音をクワドラフォニック(4チャンネル?)でプレイバックしながら、再び二人で行ったデュオ・インプロヴィゼーションのライヴ録音。強風が唸り、潮騒が轟き、激しい雨が大地を叩く環境音の絶え間ない流動変転がもたらすサウンド・スペクタクルと拮抗して、重ね合わされたデュオが切り裂き、張り詰め、ほとばしる。あらかじめ録音された音がいったん空間に放出され、再び録音されているため、画面の粒子は荒れ、音像は混濁し、パースペクティヴの透明度も低いが、エレクトロ・アコースティックな繊細さを遠ざけ、エレクトリックな粗暴さに両足を突っ込みながら、なお環境と交感して止まない即興演奏は、これまで類例のないものと言えるだろう。随所で頭をもたげ、視界を閉ざし、その剣呑さで身震いを引き起こすフィードバック。硬い絵筆やパレット・ナイフの跡が生々しく刻み込まれ、あちこちに絵の具の塊が荒々しくへばりついたサウンド・キャンヴァス。最新作『nigemizu』の演奏/録音を聴けば、あるいはLP4枚組みボックス・セット『Pedwar』に残された軌跡を振り返れば、この演奏がButcher / Daviesデュオが本来有するスペクトルの広がりのうちの、ほんの一部分だけに光を当てたものであることは明らかだが、それであっても十二分に素晴らしい。


The International Nothing / The Dark Side of Success
Ftarri ftarri-218
Kai Fagaschinski(clarinet), Michael Thieke(clarinet)
試聴:http://www.ftarri.com/cdshop/goods/ftarri/ftarri-218.html
希薄な暗闇の中で、ぼんやりと青白く発光しながら、名前のわからない深海魚のようにぬるりすらりと滑らかに行き交うという、これまでのデュオの基本線は保ちながら、三作目となった本作はよりアンサンブルの妙味へと踏み出すものとなった。2本のクラリネットが微妙な間合いを保って並走する際の、産毛を触れ合わせるような音色のもやつき。無重力に広がる倍音同士が擦れ合う毛羽立ち感。薄墨を含ませた筆の跡が交わる部分での不定形な滲みの広がり。強勢の重ね合わせによる空間の震えや音色の唸り。摺り足で歩む雅楽の強度を、あるいは石庭の揺るぎない配置を思わせる水平な持続と一瞬の打撃のかたちづくる鮮やかな対比。鎮められたより深く長い呼吸が、静謐さの度合いを以前より高めている。


Xavier Charles / 12 Clarinets in a Fridge
Unsounds 44u
Xavier Charles(clarinets)
試聴:http://www.cdbaby.com/cd/xaviercharles
 クラリネットによる音源や環境音を含む具体音を素材に、ミュジック・コンクレートの手法で構築した「コンクレート・クラリネット」作品集。表題は「作曲や演奏をよくキッチンでする」という彼の生活習慣にちなんだものだが、同時にこれらの作品が、「冷蔵庫の中にあるもの」を自在に組み合わせて料理を創造するのと同じ手さばきで制作されていることを示している。サウンド構成は繊細な心配りの行き届いたもので、素材の取り合わせに関する基本的なアイデア(それは料理がそうであるように、風味はもちろんのこと、食感や食べ応えや季節感や香りの配合といった、「食べること」の様々な次元にフォーカスしている)に拠りながら、途中で味見して「もう少し舌に残るコクが欲しい」とか、「ウェルバランスなまったり感を突き抜けて、全体を際立たせるパンチを加えてみよう」とか、微調整の中で閃きに賭けた冒険を楽しんでいる。結果、サウンドは氷結したような構築感よりも、遊び心に満ちた細部の意外な組合せを味わえるものとなっている。オムレツに合わせる赤味噌ベースのソースに、風味/香り/食感上のアクセントとして粒マスタードを加えてみるような。


Joachim Badenhorst / Forest//Mori
Klein Klein-03
Joachim Badenhorst(acoustic and amplified clarinet,bassclarinet)
試聴:https://soundcloud.com/k-l-e-i-n/sets/joachim-badenhorst-forest-mori
 前掲作とは対照的に、すべての録音はライヴで行われ、エフェクトやオーヴァーダビングは施されていない。各トラックはそれぞれ異なる特殊奏法に拠っているのだが、それ以上に、それぞれに異なる演奏「場所」の特性を深く掘り下げたものとなっている。おそらく演奏は、それぞれの「場所」の音響環境を見極めるところから始まるのだろう。残響時間、固有の共鳴、すでにそこにあり、あるいは通り過ぎていく音。マイキングは常にオフ気味で、リードや管の鳴りにフォーカスを当てるのではなく、演奏の場の空気を丸ごととらえることが目指されている。だから、これらの録音は紛れもなく楽器演奏を対象としたものでありながら、どこか監視カメラの荒れた記録映像を眺めるような、非人間的な眼差しを感じずにはいられない(そこで演奏する男の姿はひとつの点景に過ぎない)。さもなければ、これは土地の精霊と語り合うための個人的な儀式の記録なのだ。それゆえ、随所に「心霊写真」的な誰のものでもない音が聞こえる。1部ごと表紙に彼自身が手描きのドローイングやコラージュを施したA5版24ページのコピー誌仕立てのアート・ブックが付属。



Dog Lady Island / Dolor Aria
Alien Passengers #39
Mike Collino(violin,zither,metronome,tape,shortwave radio)
試聴:https://soundcloud.com/alien-passengers/dog-lady-island-dolor-aria-track-4
   https://www.youtube.com/watch?v=5hLaTmkVkKI
 テープのヒス・ノイズやざらざらとしたラジオ・ノイズで曇った、透明度の低い薄暗い空間に、エレクトリック・ツィターのおぼろな爪弾きとヴァイオリンやチェロの軋みや掠れが解き放たれる。多重録音により重ねられた各声部は、連続したフレーズの展開や一定の音域やリズムの維持といった通常課せられる役割をまったく放棄して、思い思いに身をくねらせ、向こうで鈍く銀色に光る横腹を見せたかと思うと、そのまま闇に沈み、澱んだ水を掻き分けてふと眼前に姿を現す。各楽器の音色はイコライジングやエコーの付加を含めた電子変調によるのか、それともマイキングや空間の特異性によるものなのか、腐敗したような不思議な化学変化を来していて、凍り付いたフルートのようにも、息絶え絶えのトロンボーンのようにも、埃をかぶったチェロのようにも、打ち捨てられたピアノの低弦のようにも、巨大な柱時計のチャイムのようにも聴こえる。濃密に荒れ果てた夜の甘やかな胸苦しさ。100部限定CD-R。


Antoine Beuger / Tschirner Tunings for Twelve
another timbre at77
Konzert Minimal : Pierre Borel(alto saxophone), Lucio Capece(bass clarinet), Jonny Chang(viola-centre), Catherine Lamb(viola-right), Hannes Lingens(accordion), Mike Majkowski(double bass-left), Koen Nutters(double bass-centre), Morten J.Olsen(vibraphone), Nils Ostendorf(trumpet), Derek Shirley(double bass-right), Rishin Singh(trombone), Michael Thieke(clarinet)
試聴:http://www.anothertimbre.com/kmbeuger.html
   https://www.youtube.com/watch?v=8AA1VA4mcH0&feature=youtu.be
   http://www.ftarri.com/cdshop/goods/anothertimbre/at-77.html
 一音ずつ、すっと力みなく立ち上がり、身体の力を抜いて水に浮かぶように水平にたなびく。そのたなびきながら引き伸ばされる一音の中に、倍音の揺らぎや弦の掠れ/軋み、息のもつれ/震え、その他もろもろの僅かな音色スペクトルの変化が映し出される。それは不思議なことに、時間変化というより、視線を巡らせ、景色を眺め回した時に現れる変化に似ている。複数の楽器の音が重ねられた場合においても、和音が提示されたと言うより、複数の色合いが浮かび上がり、あるものは透かし見るように溶け合い、あるものは隣り合って互いを際立たせ、さらには水面のさざめきと、樹々のざわめきと、雲の揺らめきが視界の中で響き合う。それは風の動きがもたらす様々な度合いの揺らぎであり、同時に結果として現れる様々な度合いの光のちらつきでもある。確かにここで演奏は時折長い沈黙をはさみながら、音数を少なく限って、弱音の中でひっそりと進められる。だが、Wandelweiser楽派の音楽は、いつまでそのような外形的特徴のみによる記述、言わば「奇形」としての取り扱いに甘んじなければならないのだろう。


Anders Dahl / 16 Rows
Bombax Bombax Bb009
Christer Bethen(bass clarinet), Erik Carlssen(percussion), Anders Dahl(sine waves,electronics,bouzouki,pitch pipe,pump organ), Magnus Granberg(clarinet,alto saxophone), Anna Lindal(violin), Bjern Nilssen(kantele,bottles,crotales,toy piano), Matilda Nordenstrom(tin whistle,slide whistle), Emma Nerdlund(cello), Henric Olsson(glass,percussion,electronics,vibraphone), Petter Wastberg(double bass)
試聴:http://www.bombaxbombax.com/records/record/16rows
 何の変哲もない電子音が立ち上がると、小さな太鼓がトンと鳴り、ヴァイオリンのささくれた持続に、「おりん」の引き伸ばされた余韻が寄り添う。カンテレの弦の振動、抑揚のないクラリネットの一息、足踏みオルガンのため息。言葉で表記された指示によるのか、図形楽譜によるのかわからないが、そうした「一音」が長短取り混ぜて配置される。間を置いてぽつりぽつり‥というだけでなく、ほぼ同時に鳴り響く音もあり、余韻の違いを際立たせる。あらかじめ設えられた音楽(旋律や和声、あるいはリズム構造)を多数の楽器に配分した‥とは聴こえない(ヴェーベルンによるバッハの編曲とは異なる)。何をきっかけにか、あちらこちらからふっ、ふっ音が湧き起こり、その間に素早くちらつくような、あるいはゆったりとたなびくような関係性の線が引かれる、と言うより聴き手の耳が引いてしまう。全16曲のうち10曲には曲題があり、それらは「スライド」とか「ロング・トーンズ」といった奏法上の指定となっている。これらの指定はコンポジションの一部であるだろう。音は決して「ダマ」にならず、積み上がりもせず、鳴っている間、隙間を保ちながら、端からさらさらと崩れさっていく。時に思いがけない苛烈な衝突があるのだが、安定したゆるやかな歩みはそれを際立たせない。言わば「あっけらかんとしたWandelweiser楽派」。165枚限定。


Rodolphe Alexis, Stephane Rives / Winds Doors Poplars
Herbal International 1401
Rodolphe Alexis(field recordings,editing), Stephane Rives(soprano saxophone)
試聴:http://herbalinternational.blogspot.jp/2014/04/1401-rodolphe-alexis-stephane-rives.html
   http://digitaldaylightdistribution.bandcamp.com/album/the-sound-of-herbal
 フィールドレコーディング音源をコンポジションの枠組みとし、別途録音したソプラノ・サックスのインプロヴィゼーションと重ね合わせる試み。これまでにも環境音と即興演奏の組み合わせはあった。たいていそれは場所の音を特徴ある背景とした「名所絵」風の構成にすとんと収まってしまう。もちろん、ミッシェル・ドネダをはじめ、場の響きに深く耳を身体を浸し、奥深い交感を成し遂げる演奏者もいるのだが。ここではサックス奏者は場の音を聴いていない(演奏はスタジオで録音された)。にもかかわらずStephane Rivesのうねり軋みながらどこまでも引き伸ばされる単音をはじめ、極端に切り詰められた演奏は、フィールドレコーディングされた視界の傾くような部屋の揺れや機械の動作音、人の動き等が浮かび上がらせる空間のパースペクティヴと重ね合わされ、不思議な変容を来している。前景と後景の不連続な切断ぶりにとまどい立ち尽くす耳は、やがてサックスの管のひしゃげた鳴りやリードの甲高い振動がもたらす豊かな倍音が、環境音の微細な変化と互いにマスクしあうことにより、相互に響きの輪郭を溶解させ、まるで顕微鏡で拡大したような色斑の明滅や粒子の運動、あるいは渦や乱流の生成消滅へと「音を立てて」解体されていく光景に目覚める。息音の輻輳した響きがふと止んだ時に姿を現す、鳴り続けていた風の唸り。それはある時は菌糸を伸ばして胞子をかたちづくり、ある時はアメーバ状にうごめきバクテリアを補食する粘菌の生態を思わせる。よく似た試みであるBryan Eubanks「Double Portrait」(『Anamorphosis』(Sacred Realism)所収)において、それぞれの音たちが自らの外套を脱ぎ捨てられないのと比べてみること。


Gregory Buttner / Pochen
Herbal International 1402
Gregory Buttner(field recordings,editing)
試聴:http://herbalinternational.blogspot.jp/2014/05/gregory-buttner-pochen-oder-mit.html
   http://digitaldaylightdistribution.bandcamp.com/album/the-sound-of-herbal
 現在はアーティスト・ハウスとして使用されている19世紀末に建造された屋敷に滞在中に、そこでフィールドレコーディングした様々な音、スイッチの開閉音、機械の動作音、床に者を投げ散らかした際の部屋の共鳴‥‥等々を素材として、後から編集してつくりあげた作品。すなわちここで屋敷は「音響発生器、共鳴空間、楽器の間を揺れ動き続けている」(Gregory Buttnerによるライナー・ノーツから)。こうした説明が与えるミュジック・コンクレート的なイメージ、すなわち音素材の音色やリズムをパラメーターとした「純粋音楽的」な配置とは異なり、聴き手は屋敷内を経巡りながら、様々な音響現象/音響体験に遭遇させられる。その意味で本作の聴取体験は、キューブリック『シャイニング』やタルコフスキー『ストーカー』の視聴体験に似ている。それは出来事の連鎖であり、耳の視点の絶え間ない移動/飛躍であり、パースペクティヴというだけでなく空間への位置取りのめまぐるしい変化/切断であり、つまりはドクンドクンと息づき脈動する空間に呑み込まれ、徹底的に翻弄されることなのだ(実際、前述のライナーでButtnerは「throbbing」の語を用いている)。


Chris Strickland / Animal Expert
Caduc #CA07
Chris Stickland(composition), Joda Clement(fieldrecording archive)
試聴:http://caduc.org/catalogue.html
 フィールドレコーディング素材とエレクトロニクスによる、繊細極まりない手つきで織り上げられた音絵巻。ループやジャンプカットを安易に用いず、またモンタージュによる直列のつなぎだけでなく、ひとつのパースペクティヴの中での重ね合わせも駆使しながら、声や音風景のような対象の音、移動や変容を支持する音、環境音、電子音や電子的に変容された環境音や音楽の断片による「サウンドトラック」等、フレーム内外の音を巧みに使い分けながら、サウンドをデザインし、視覚的イメージを強烈に喚起しながら、強靭に持続をつむいでいく。前掲作では「同一家屋内で録音された音のみ」という音素材の縛りが、家屋内の空間を経巡るという構成と同期し、作品の枠組みを強固にかたちづくっていたわけだが、ここにはそうした限定はない。ともすれば散漫なファンタジーに、あるいは浅薄なスペクタクルに陥りそうなところを、緻密にまとめあげた手腕には恐れ入るしかない。音の触覚性、空間性、物語喚起性等、多くの側面に着目しながら、アリアドネによる導きの意図を一瞬たりとも手放すことなく、カットは進んでいく。ただし、そうした構成の鮮やかさは、1・2曲目に素材を提供しているJoda Clementのフィールドレコーディング・アーカイヴの質の高さ(一瞬で耳をとらえる視覚喚起力の高さ)にも多くを負っているようだ。3曲目はループやジャンプカットの使用が目立ち、構成に「音楽的冗長さ」が忍び込んでいる。100枚限定。


D.O.R. featuring Crys Cole / Hestekur
Caduc #CA05
Jamie Drouin(suitcase modular,radio), Lance Austin Olsen(floor guitar,amplified objects), Mathieu Ruhlmann(turntabl,otors,amplified objects), Crys Cole(contact mics,objects)
試聴:http://caduc.org/catalogue.html
 前三者によるトリオとCrys Coleを含めたカルテットによる演奏を収める。薄暗く陰って、あるいは粒子を荒げて、くっきりとした視覚的イメージを結ぶことなく、しかし、カサカサ、ザワザワと耳の触覚を最大限に喚起しながら、音は刻一刻と生成を続ける。一瞬も止まることなく動き続ける編み棒の先端から、編み物が紡ぎ出されていくように。三者があちらとこちらとそちらに立って、互いに音を投げ交わすのではなく、ぴたりと重ね合わせた掌の隙間から、敷き重ねられ編み上げられた音織物が生み出されていく印象。空間的にも時間的にも距離/隙間を欠いた同時性(継起性ではなく)。これはとても特殊な感覚だ。Mathieu Ruhlmannの第一作で出会って、彼自身もその後は手の届かなかったものに、再び巡り会えた気がする。


Julien Beau / Reflet
Aposiopese 06
Julien Beau(computer,woods,strings,piano,fieldrecordings,turntables)
試聴:http://label-aposiopese.bandcamp.com/album/reflet
 黄昏れていく弦の交響。手前でちらつく落ち葉をかき混ぜるような物音やがさがさした電子ノイズの向こうに映し出されるオーケストラ。通り過ぎていったかと思えば、いつの間にかまた傍らに佇んでいる雨音。木片あるいは石片を打ち鳴らすひんやりと乾いた響きが小鳥の声と混じり合う。打ち解けた会話や食器の音の向こうに楽器演奏が聴こえたかと思うと犬の吠え声や自動車の通過音に取って代わられる。ここで音楽は耳の視覚の過半を占めるキャメラの対象であったり、引いた画面における一点景であったり、画面を伴奏するサウンドトラックであったり、生成する音風景への凝視であったり、様々な物音の出入りがつくりだす展開や起伏であったり、あるいはそれらの幾つかの要素を兼ね備えたものであったりする。それをサウンド・コラージュと呼んでみても、何も言ったことにはなるまい。音の視覚喚起力は非常に強いが、視覚イメージの連なりが音を導いているわけではない。物語的な連想に拠るのでもない。映像で言えば、「フレーム内」の音も、「フレーム外」の音も、そしておよそフレームとは無関係な音(サウンドトラックであれ、「ノイズ」であれ)も、聴取の次元で相互に浸透しあい、決定不能に揺れ動きながら、甘美な幻影を呼び起こして止まない。


Joseph Clayton Mills / The Patient
Entr'acte E167
Olivia Block(piano,walkie-talkie,objects), Noe Cuellar(accordion,psalter,cassette player,objects), Steven Hess(percussion,cassette player), Jason Stein(bss clarinet), Joseph Clayton Mills(electronics,cassette player,objects)
試聴:http://www.entracte.co.uk/projects/joseph-clayton-mills-e167/
   https://agiyuzuru.wordpress.com/2014/07/23/joseph-clayton-mills-the-patient/
 金属を擦り合わせる重く冷ややかな響きに、深く身を切られる思いがする。テープの速度変化によるものだろうか、地の底から響いて来るような低くしわがれた非人間的なつぶやきが漏れてくる。病室の外の廊下を徘徊する大太鼓の拍。拭い去れない不安のように垂れ込める電子音。部屋の四隅から湧き立って昏さを満たす低音の振動。去来する様々な物音。その中には電子ノイズの噴出もあれば、バスクラリネットの激しいブロウも、アブストラクトなピアノの打鍵もある。だが、それらはすべて一様に熱を奪われ、固く輪郭を閉ざして、眼を伏せたまま足速に通り過ぎる。ここで表題の「患者」とは、肺結核から咽頭結核を併発し、声を奪われ、水も飲めなくなった死の間際のフランツ・カフカのことにほかならない。カフカと言えば、高橋悠治による連作が思い出されるが、高橋が彼の不条理かつ極限的なユーモアをたたえた喜劇的側面にもスポットを当てていたのに対し、ここで演奏は不安と乾きと絶望から踏み出そうとしない。声を奪われたカフカが遺した筆談のための短い会話メモは、極限的な厳しさを言語化することで、事態の呪縛から解き放たれたかのような不思議な軽みと明るさ(それはどこか「希望」に似ている)を読み手に与えてくれる。しかし、ここでそうした記号化のプロセスを経ていない演奏は、「希望」へとたどり着けていないように思われるのだ。電子変調された切れ切れのヴォイスの残骸。息と管の痛々しい擦れ。カフカによるテクストの抜粋とMillsの指示に基づく5人の即興演奏を素材として、さらにMillsが加工編集を施し完成させた。テクストを収録したA5版54ページの冊子にCDが挿まれ、さらに薄い白紙で包まれている。力作。2013年作品。


Ilia Belorukov, Pedro Chambel, Bruno Duplant, Kurt Liedwart / Quiet Place Recomposed
Theme Park TP007
Ilia Belorukov(alto saxophone,objects,ipod,mini-amp), Pedro Chambel(sinewave,noises), Bruno Duplant(organ,concept), Kurt Liedwart(analog synthesizer,electronics)
試聴:
 息音の短い噴出の間を置いた繰り返しが響きの広がりをふと変えると、電子音の低い唸りが床を這い、金属の擦れる音が繰り返し繰り返し静かに響く。再び息音。別の持続音が忍び込む。電子音が息継ぎするように、あるいは風に煽られたかのように、微かな揺らぎを見せる。最小限に切り詰められたアクションは、それゆえに僅かな差異に聴き手の耳をそばだてさせる。サンプリングされた断片のループでは生み出し得ない揺らぎが、事態を絶え間なく更新していく。思わず身を乗り出して、暗い深淵を覗き込んでいる自分に気づく。耳はいつも聴こえている音の向こう側を探っている。演奏者の唇や指先の震えが伝わってくるようなぴりぴりと張り詰めた空気。コンセプチュアルであることに、ひとときも安住することのない演奏。拮抗し合う力の緊張の只中から刻一刻生成されていく音楽の持続。全体の半ばほどで電子音のノイジーなもつれを経て、音の配置は別のより動的な均衡へと移行するが、本質は変わらない。50枚限定。


Dawn Scarfe / Tuning to Spheres
Melange Edition ME02
Dawn Scarfe(sine tone,wine glasses,turntable)
試聴:http://www.dawnscarfe.co.uk/project_tuning
 ワイングラスの共鳴周波数に合わせた正弦波をスピーカーから流し、ワイングラスをターンテーブルに載せて回転させる。そのような簡単な「理科実験」的仕掛けから、幽玄な響きが生み出される。音のかそけき震え。結んでは消える唸り。部分的な共振が芽生え、次第に形を変えながら大きく育ってくる。シャーレの中で培養するバクテリアの繁殖に眼を凝らすように、音というよりは空間の震えに、複数のワイングラスとスピーカーの間で投げかけられ、受け渡される眼に見えない何かに、じっと耳を澄ます。現れては消える様々なかたち。変化を突き動かす力動の流れ。コマ落としで撮影した種子の発芽や細胞の分裂を眺めるような体験は、だが映像を見る時の「視点として対象から切り離された感覚」とは異なり、震えに指先や唇で触れ、ついには身体を丸ごと振動の場に投げ込まれる感覚を与える(たとえば終曲での底なしの高揚)。決してコンセプト(企画書?)だけのサウンド・アート作品ではなく、「演奏」の豊かさ、聴き手を巻き込む強度を有している。


Lucio Capece / Factors of Space Inconstancy
Drone Sweet Drone DSD016
Lucio Capece(soprano saxophone,two wireless speakers,cassette walkman,volume pedal,analog synthesizer,equalizers)
試聴:https://dronesweetdrone.bandcamp.com/album/factors-of-space-inconstancy
 1曲目はソプラノ・サキソフォンによる演奏を、ウォークマンをマイクロフォンとして、振り子状に設置したワイアレス・スピーカーから再生し、そのフィードバックを含めてシステム全体を「演奏」するもの。振り子効果だけでなく、楽器から直接空間に放たれる音のルーム・アコースティックによる変容、再生音の干渉、ウォークマンを介することによるヒス・ノイズ、ヴォリューム・ペダルによるフィードバック自体のコントロール等が相俟って、複雑な(「多層決定的な」と言うべきだろうか)結果がもたらされる。遠くから幾重にも押し寄せる音の波。黒々とした波につきまとう不思議な光のもつれ。ほとんど吐息のような息のたゆたい。空間に響き渡る管の鳴り。その同じ振動がスローモーションに引き伸ばされ、壁面一杯に映し出される。穏やかなフィードバックの正弦波に似たとらえどころのない浮遊感。それら前景の物音が止みかけた時に姿を現す奥まったノイズのもやつき。それはテープのヒス・ノイズの名残のようにも、壺の中に澱む古い風のようにこの空間に沈殿した古い響きのようにも思われる。2曲目はアナログ・シンセサイザーとイコライザーを用いたフィードバック。より直接的な変容のプロセスが示される。

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ディスク・レヴュー | 22:27:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
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