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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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ハープの4つの側面 − Rhodri Davies『Pedwar』ディスク・レヴュー  Four Facets of Harp − Disk Review for Rhodri Davies "Pedwar"
PEDWAR−1 本作品はケルティック・ハープ奏者Rhodri Daviesがこれまで発表してきた3作品『Trem』(2002年)、『Over Shadows』(2007年)、『Wound Response』(2012年)と新作『An Air Swept Clean of All Distance』(2014年)の合計4作品を、それぞれLP1枚に収録して収めた4枚組みボックス・セットであり、2014年にリリースされた(250セット限定。本レヴューの最後にレーベルや規格番号、トラックリスト等の情報を記載した。国内ではFtarri等で入手可能)。アートワークはサキソフォン/オルガン奏者Jean-Luc Guinnetが担当し、ヒューモラスな可愛さをたたえた簡素でアブストラクトなデザインを提供している。





 ボックスにはDaviesがこれまでに行ってきたライヴのフライヤーの複製が多数収められており、それはもともと彼自身が捨てられずに手元に遺しておいたものに基づいている。彼は付録の小冊子で、それらは記憶の貯蔵庫であり、過去を振り返る際の参照点になると述べている。そして実際に、これまでの作品を振り返って自ら解説し、さらに複製したフライヤーを収めた16回のコンサートのそれぞれについて短い思い出を書き記している。e-bowを全面的に用いた『Over Shadows』期の演奏について、共演したDerek Baileyから、「君はこの手の道具を用いるには勿体ない優れたミュージシャンなのに」と諭されても使用を止めなかったエピソードや、弾かれた音は減衰していくしかないハープの構造に、e-bowによる「持続」が加わったことが、次作『Wound Response』への扉を開いたというあたりの「供述」はなかなか興味深い。
 また、David Toopによるライナー・ノーツが収められており、彼は「ハープ」という楽器の「古さ」にシンボリックに言及し、途中でJohn Cageによる20台のハープのための作品に触れながら、楽器の歴史を東大寺正倉院の収蔵物以前にまで遡っていく。ようやくRhodri Davies『Wound Response』に話が及んだかと思うと、彼はそこにアフリカのリズムを聴き取り、話題はKonono No.1等へと横滑りしていく。『An Air Swept Clean of All Distance』を聴いてCy Twomblyから古代へと通ずる道筋を思い描くというのも、「古代」的シンボリズム+ワールド・ミュージック的な視点に基づくものであり、全体を通じて、どうも「お仕事」的な安易さが感じられる。大風呂敷を広げるばかりで、おそらく彼にはRhodri Daviesの音楽/演奏自体を掘り下げる気があまりないのだろう。




pedwar trem 私にとって衝撃的だったのは、やはりソロ第1作『Trem』である。当時、我が国のマイナー音楽ジャーナリズムにおいては、「日本音響派」が英国に飛び火してNew London Silenceと呼ばれる、これまでの即興演奏シーンとは一線を画した新世代ムーヴメントをつくりだしたと真しやかに喧伝されており、DaviesはMark WastellやJohn Butcher(!)と共に、その一員と位置づけられていた。もちろん、これは誤解と言うよりは、意図的な事実の歪曲である。John Stevensと共演を重ねていたButcherのことは今回の主題ではないのでさて措くとしても、DaviesとWastellが主催していた「The All Angels Concerts」にはSteve BeresfordやEddie Prevost等の「旧世代」が参加し、またDaviesとWastellの2人は揃ってマルセイユでのCompany公演に参加してDerek Baileyと共演しており、これらはCDとして制作されてもいるのだから。だが、当時の我が国の即興演奏シーンのつまらなさや、それを誉め称える論者たちが持ち出す理屈のくだらなさに辟易していた私は、そうした事実確認の労を厭い、「彼らが持ち上げるからにはつまらない」とばかりに無視を決め込んでいた。『Trem』はそんな私の前に忽然と現れた。
 当時の私が『Trem』をどのように聴き、衝撃を受けたか、2004年のDavies/Butcherデュオによる来日時のライヴ・レヴュー「テムズ川は深く静かに流れる」(『News Ombaroque』vol.69掲載)から、この作品について触れた部分を引用しよう。

 虚空に明滅するソプラノ・サックス。輪郭がにじみ、そこから溶けて流れ出すような電子音。石造りの床を這う冷気の揺らめき。遠くでようやく暖まりだしたスチームパイプがカーンと甲高い音を響かせる。それらの音どもは冷たい湿気を含み重く垂れ込めた空気の中で、思い思いに様々な波紋を広げながら、決してひとつにはなろうとしない。まして、そこに置かれた1台のハープへとは収斂しようもない。ある音は身体を軋ませながら宙高く弧を描き、同じ弓奏から生み出されたもうひとつの音は、乾きしわがれて床に火花を散らしている。むしろここに働いているのは、演奏者の意図以上に演奏空間の特性による選択である。
 デイヴィスのソロ作品『トレム』は、彼と盟友マーク・ウォステル(vc)が根城としている教会オール・エンジェルズで録音されている。聖堂の圧倒的な空間ヴォリュームは、神岡鉱山の地下深くに満々とたたえられた重水がニュートリノの通過を逃さないように、微細な音すら余すことなくとらえ、ねっとりとした波紋の広がりを通じて、空間の隅々にまで伝播させていく。演奏は決して先を急がない。音数も少ない。過剰な残響の充満に盲いてしまうことのないように。だが音(群)と音(群)を隔てるしかるべき間は、波紋が遠ざかり、空間が平らかに静まるのを待つだけでなく、彼が空間を渡っていく音に眼を凝らしている時間でもある。いやむしろ、彼は水からが放った音を、そこで初めて聴いているようにすら感じられる。意識に映る音のイメージを追いかけていく指先ではなく、遥か空間を渡って届けられる音を待ち焦がれる耳がそこにある。
 (中略)こうして、空間からの呼びかけにその都度アクションで応えながら進められる演奏は、アクション自体が複数の音を同時に放つものであることも手伝って(これは弓奏を多用する結果であり、共鳴部分の多いハープの構造上の特性でもある)、必然的にずれをはらむことになる。それは全体を視野に置くことなしに、画布に顔をこすりつけるようにして次々に部分を描いていった絵に似ている。剥き出しの神経に触れてくるような感覚に鮮烈に訴える細部と、全体パースペクティヴの歪みのねじれがもたらす奇妙な生々しさ。それは、自ら放つ音がすぐさま空間に奪い取られる(空間に向けて音響を放つというよりも)ところから産み出されたものなのだ。このことは、テープを用いた表題曲の奥行きのない平板さ(本作の中で悪い意味で異彩を放っている)が、反対側から証し立てていることでもある。
 
 ここで言及している「手元から奪い去られる音」のあり方については、同じ『News Ombaroque』vol.69に掲載された別の論稿(「音響について」連載第6回)においても採りあげている。そちらについても該当部分を抜粋引用することとしよう。

 沸き上がる入道雲の向こうに筋雲が空高くたなびき、左手中頃には鱗状の羊雲が厚く層を成して垂れ込めて、一筋の飛行機雲がそれを貫いてどこまでも線を伸ばしていくと、いつの間にか足元には灰色の靄がねっとりとたゆたっている‥‥。ロードリ・ディヴィス『トレム』においては、そうしたあり得ない光景が、1台のハープから引き出された音響に拠り描き出されていく。美術館の展示室で見た慎ましい動き、手元を照らすそばから気化してしまいかねない希薄な響きが、大聖堂の最上のアコースティックを得て、このようにモノクロームながら豊かな陰影に富んだ、彫りの深い音像をかたちづくるに至ったのだろう。この感触は『トレム』の録音が行われた教会におけるコンサート・シリーズの演奏(『The All Angels Concerts 1999-2001』(Emanem)で聴くことができる)に共通している。ソロやデュオ演奏によるちっぽけなアクションが、大聖堂内の気象を揺り動かし、様々な形状の音の雲を浮かべ、あるいは霧や靄を操って、空模様を緩やかに移り変わらせていく。
 彼は演奏の仕方を規定する要因として、楽器、聴衆、空間、グループ(共演者)の経緯との関係を並列して挙げ、次のように語っている。
 「この教会では、空間の音響条件があるべき演奏の仕方を語りかけてくる‥‥『トレム』は空間と即興演奏することに深く関わっている‥‥私の音楽は、どんな場所でも同じことを演奏するというより、私がその中にいる環境に対して応答している。コール&レスポンスで演奏するのではなく、空間や自分のまわりにある音に敏感であるように‥‥。」
 ここで空間は明らかに楽器の一部となっている。広大な空間をレゾネーターとして利用するということではない。そうした部分的な機能補充ではなく、この圧倒的な環境ヴォリュームと接続されることにより、楽器は決定的な変容をきたしている。ここで楽器は空間に深く埋め込まれ、分ち難く結びつくことにより、演奏者の手元から奪い取られ、この空間の一部となっている。楽器を携えた演奏者が空間(環境世界)の中に立っているという構図はもはや成り立たず、楽器は外部の環境世界に属している。演奏は指先(あるいはその延長と言うべき様々な音具)と楽器のインターフェースにより産み出されるが、音は生まれるやいなや、すぐさま彼の手元から奪い去られてしまう。結局のところ彼は、この広大な空間により変容/増幅された圧倒的な響きとして打ち返されるものしか聴くことができないのだ。

 この後、論旨は、意識の中で鳴っている音を指先でたどるのではモノローグに過ぎず、それを「自己との対話」とするには、そこにズレを持ち込む必要があるとして、長井真理『内省の構造』(岩波書店)に触れていったりするのだが、それはさて措くとしても、その後の音盤レクチャー『耳の枠はずし』の「環境による音/響きの侵食」や、現在継続している『松籟夜話』で提唱している「環境・音響・即興」へとまっすぐにつながっていく論点が、もうここでほとんど示されていることに改めて驚かされる。すなわち、Rhodri Daviesは私にとって、「聴くこと」の新たな扉を開いてくれた、かけがえのない恩人のひとりなのだ。
試聴:


pedwar over 話が『Trem』(2002年)の衝撃ばかりに集中してしまったが、他の作品にも触れていくとしよう。続く第2作『Over Shadows』(2007年)はe-bowによる持続音が、ゆるやかにたゆたい、空間を穏やかに満たしていく。ここで改めてハープが多くの異なる材質の部品の構成物であることが前景化してくる。単に異なる音程の間のバランスだけでなく、張られた弦以外の部分をいかに共振/共鳴させるかにより、振動の密度や質感、重さや色合いが大きく変わってくるのだ。e-bowの押し当て方ひとつで、弦の張力、弦に対するミュートの度合い、弦に付属する金具類や弦が張られている枠組みへの振動の伝わり方等がすべて変化する。実際、Daviesはサブ・ハーモニクスを生じやすくするために弦を緩めに張るなど、様々なテクニックを開発したと語っている。あるいは「これはドローン・ミュージックではない」とも。ドローン=定常音に対して、耳の焦点の当たり方の移り変わりにより音色や質感が変化していくのとは異なり、『Over Shadows』では先に挙げたような多岐に渡る要素のミクロな変化により、実際に音が変容していくのであり、さらにそれを演奏者が耳で追跡しながら、次なる変化を産み出していくという、アタリを頼りに竿や糸を操る「音の釣り」的なところがある。空間を振動で満たしながら、決して充満させず、ましてや飽和させない節度溢れる演奏には、そうした注意深い眼差しが感じられる。これがドローン・ミュージックだったら、むしろサウンドを空間に徹底的に充満させ、過飽和の中で様々な空間的干渉が、サウンドの変容を産み出していくことに期待するだろう。だが、彼はそうはしない。弦に触れ続ける指先の閉じることのない傷口から、止むことなくじくじくと浸出し、滴り、溢れ続ける粘液を思わせる持続的音響を、彼はいつまでもいつまでもじっと見詰め続ける。
試聴:http://www.ftarri.com/cdshop/goods/confront/confront-16.html
   http://www.squidco.com/miva/merchant.mvc?Screen=PROD&Store_Code=S&Product_Code=11811


pedwar wound 第3作『Wound Response』(2012年)は、いきなり、前2作品とは似ても似つかないファズ・ギターに似たディストーションの、途切れることのない放出で幕を開ける。音高の動きは基本的には繰り返しに基づいており、その点ではギター・リフに近い。しかし、フレーズは曖昧であり、音が欠けたり加えられたりするし、ノリも一定ではない。ここで演奏は、外見上の類似にもかかわらず、エレクトリック・ギターのリフが通常求める、確固たるノリに統率された強力な推進力にまったく興味がないようなのだ。そうしたことに気づけば、エレクトリック・ギター特有のサウンドの稠密さを目指す求心性がここには見当たらないことや、弦への指の腹のかかり具合の差異による吃音的なズレの発声、さらには歪んだリフらしきものの中で複数の弦がばらけ散乱している様子等が透けて見えてくる。後半になって、ディストーションの霧が晴れれば、ますます一本一本の弦が別々に鳴っている振動の複数性が鮮やかに浮かんでくることになる。
試聴:https://boomkat.com/vinyl/580676-rhodri-davies-wound-response


 最新作『An Air Swept Clean of All Distance』(2014年)はさらにまた全く別のものである。素早く閃くように搔き鳴らされる弦の涼やかでつましい音色には、ベトナムやミャンマーの伝統音楽を思わせるたおやかさが漂う。ふと沸き立ち薄れていく響きの雲から、一本一本の弦の柔らかな音色が次第に姿を現す。そこには朝露のきらめく蜘蛛の巣にもにた揺らぎが伴う。各指のひと連なりの動きが、それぞれ複数の弦に触れ、揺らがせる。素早い動きが響きの波紋をゆっくりと広げ、沈黙をより深く豊かで香り高いものとする。弦の張られたフレーム自体の唸りや、各弦の鳴り、響きのもつれ、ほつれが、すぐに手の届くところにある打ち解けた親密さの中に漂い、やがて散り散りにほどけていく。前作も2分から7分程度の短い演奏の集積だったが、本作に収められた各曲はさらに短く、1分から5分となっている。
試聴:http://www.thewire.co.uk/audio/tracks/listen_rhodri-davies-recordings

 このボックス・セットの表題『Pedwar』とは、Daviesの故郷であるウェールズの言葉で「4」(男性形)を意味するとのことだ。4つの作品を収めた4枚のLPのボックス・セットに付けられた名前としては、一見、あまりに芸がないというか、単純かつ直接的過ぎて、かえって何の意味も持たないように思われる。しかし、彼はこの4枚のソロ作品は、それぞれ異なる制限の下での作品であると言う。『Trem』の抽象的でもっぱら音色に関わるヴォキャブラリー、『Over Shadows』のe-bowにより持続的に振動させられた弦、そして限定した本数の弦を張った小型のハープによる『Wound Response』と『An Air Swept Clean of All Distance』と。
 「空虚と充満」、「電気増幅とアンプラグド」、「持続と断片」、「距離と近接」、「プリペアドや音具の使用の有無」、「音数の多さと少なさ」‥‥と、さらに幾つもの二項対立の基準軸を引き出すことができる。ロートレアモンの詩句「解剖台の上でのこうもり傘とミシンの出会い」における事物選択の「必然性」を構造的に分析してみせたレヴィ=ストロースなら、さらに多くの軸線を数え上げることができるだろう。
 先に触れた2004年の来日時のButcherとのデュオにおいて、Daviesはe-bowをはじめ幾つかの音具を用いたのだが、その選択はButcherの演奏に対する即時の反応ではないように見えた。眼の前で音を放つ共演者だけにフォーカスし、その一音一音に、一挙手一投足にミラー・イメージで即応するのではなく、会場である原美術館展示室のアンビエンス、アコースティック、聴衆の立てる物音を含めたバックグラウンド・ノイズ等を含めて総体としてとらえ(その中には当然、Butcherの音だけでなく自らの放つ音も含まれる)、これに対して戦略としての奏法を選択し、さらに局地的な戦術としてその時点時点での対応を判断しているように思われた。『Pedwar』に収められた4つの作品が、それぞれ一定の「制限」の下での演奏を貫徹していることに触れて、改めてそのことを思い出した。



 これまで行ってきたライヴのフライヤーの集積を、「記憶の貯蔵庫であり、過去を振り返る際の参照点」と見なすDaviesにとって、過去の演奏の録音も当然そのようなものであるだろう。連綿と紡がれ、続いていく記憶。だが、今回の『Pedwar』はおそらくこの連続体に「以前/以後」を決然と分つ「切断」をもたらすことになるだろう。「以後」の彼の演奏と早く出会いたい。今とても強くそう思わずにはいられない。抑えようのない渇望として。


 本稿は『Pedwar』の日本語によるレヴューの書き手を探しているという、Rhodri Daviesからの依頼を受けて書かれた。紹介をしてくれたFtarriの鈴木美幸に、そして何よりもそれを承諾し、音源資料等を提供してくれたRhodri Daviesに、末尾ながら感謝したい。と同時に執筆にとても長い時間がかかってしまったことをお詫びしたい。
 なお、本作品について他に日本語で書かれたレヴューとして次のものがある。ぜひ、参照していただきたい。
http://www.ele-king.net/review/album/004339/


Rhodri Davies / Pedwar
Alt. Vinyl av058x

Tracklist
A1 Cresis 8:42
A2 Undur 5:15
A3 Trem 8:30
B1 Beres 6:14
B2 Plosif 3:07
B3 Berant 5:55
B4 Atam 3:38
C1 Over Shadows Part One
D1 Over Shadows Part Two
E1 Everything At Each Moment 3:17
E2 Questions Of Middle Distance 4:17
E3 The Concentric Blaze 2:59
E4 A Parallel Or Mirroring Space 6:21
E5 Here The Sun Does Not Enter 2:48
F1 'Pivotal' Object 2:34
F2 Only Compromises Were Arrived At In The End 2:07
F3 Closed Horizontal Illumined 2:17
F4 The Convergence Of How We Got There 6:50
F5 Fulfilment Of The Event 4:17
G1 Soaked Ruins Of A Raft 2:38
G2 In Distortion-Free Mirrors 3:00
G3 The Rule Was Corroborated In Non-Ordinary Reality 3:02
G4 Each Clear And Sudden Drop Is Itself 3:56
G5 Recapitulation Of 1:12
G6 Making Anything Perishable That Can Die 1:46
G7 Continues, Placement 3:25
H1 Fingers Pluck Played On By 1:50
H2 A Cut Circle Orbit Becoming A Virtual Universe 3:40
H3 The End Of Now 2:18
H4 Outward Radiating Against 2:14
H5 Each Annulling The Next... 3:14
H6 Wet Thru Mines Stone 2:32
H7 On The Outer Reach Of The Unending 4:52

A,B = Trem
C,D = Over Shadows
E,F = Wound Response
G,H = An Air Swept Clean of All Distance

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ディスク・レヴュー | 13:33:04 | トラックバック(0) | コメント(0)
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