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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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逆光の中に姿を現す不穏な声の身体 − 「タダマス17」レヴュー  The Threatening Body of Voice Appeared against the Light − Live Review for "TADA-MASU 17"
 あれは一体何だったのだろうか……このひと月というもの、ずっとずっと考えていた。


 ピアノの二音がすっと視界に浮かび上がり、たちのぼる響きにすぐにモーガンが応える。だが、続く一音の指さばきは、ためらうように、響きを途中で途絶えさせ、宙吊りにする。そっと、だががっしりと確実に、モーガンが差し出した手をよそに、ピアノは無重力性を保ったまま、ゆるやかに線を伸ばす。だが、その足下にはすでに不穏な気配が兆している。ゆったりと巡るように引き伸ばされる連なりの傍らに、そいつは姿を現す。不可思議な呪文、妖しい吐息、押し殺した嗚咽。もう一人のベーシストが隙間に色を挿し、ドラムもブラシ・ワークで空間にうっすらと傷をつけていく。音数を増やし、渦を巻くピアノの只中に、逆光に浮かぶようにそいつはくっきりと不吉な姿を現し、そのまま中央に居座る。唸り、喘ぎ、軋り。重さはない。むしろ蚊柱のような流動性が感じられる。

 それが菊地の漏らす「声」だと気づくまでに、ずいぶん時間がかかった。前作『Sunrise』(ただし録音日時は本作の方が以前ということになる)で僅かに聴かれたものとは、およそ似ても似つかない。あの時は、その「声」が、たとえばキース・ジャレットの場合と異なり、内なる旋律、すなわち指の動きに先んじて脳内に浮かぶメロディの不完全な流出ではなく、そこから離れるためだけに冒頭におかれる「序詞」とでも言うべきものではないかと感じた。しかし、ここで出来している事態は、そんな生易しいものではない。何しろ「声」はドラムや2本のベースはもちろん、ピアノよりも手前に位置し、しかもそこに居座り続けるのだ。
 「菊地さんの、ヴォイス演奏とでも言うんでしょうか……」と、今回の四谷音盤茶会のゲスト山本達久はその素晴らしさを賞賛していたが、私にはそれが、ピアノを弾く片手間に興じられる「ヴォイス演奏」といった暢気なものには、とても思えなかった。それほどにそれは禍々しい危うさをたたえていた。見てはいけない、視線を合わせてはならないものと眼が合ってしまい、そのまま魅入られたように囚われてしまう。耳を金縛りにし、視線を釘付けにする「魔」。何よりそれは演奏の一部になどなり得ていない。どこまでも無法な濫入者として居座り続ける。身悶え、痙攣、ぞっとするような筋肉の緊張、奇形や不具の気配。そうした点でそれは土方巽の舞踏に似ているようにも感じられる。だが、即興演奏との共演を繰り返しもした彼が、常に音の傍らに立ち続けたのに対し、ここで「声」はあからさまに音の場に踏み込んで、周囲を汚し、傷つけ、あるいは覆い隠す。

 逆光の中に黒々と浮かぶ「声」の身体が揺らぎ、あるいはさっと身を翻す。ピアノの音がその陰から、不意撃ちするように、ふっと姿を現す。『Sunrise』においても菊地やモーガンが「音で線を描かないこと」は顕著だったが、それは音と音の間を引き伸ばし、響きの断続的な明滅としか感じられなくなるまで、連なりを希薄化することを基底に置いていた。そこで「フレーズ」は、後から恣意的に描き込まれた星座の連なりに過ぎない。だがここでは違う。ピアノの音は、「声」の背後から突然飛んでくる「礫(つぶて)」のように姿を現す。それに応えるモーガンのベースもまた。一見連なるように感じられる音も、異なる方向から異なる速度、異なる軌跡で飛来する違った形、大きさ、材質の石の寄せ集めでしかない。それゆえ音は、それぞれにざらりとした異質性を際立たせながら、思い思いの方向に飛び去って行く。

 ピアノの放つ一瞬のきらめきは、耳に沁み、眼に痛いほど目映く鮮やかだ。以前にあるクラシック・ファンから「菊地はピアノを鳴らし切れていない」との指摘を受けた。ならば鳴らし切っているピアニストとは誰なのかとのこちらの反問に、フリードリヒ・グルダの名前が返ってきて、なるほどと思ったのを覚えている。確かに菊地には、ベーゼンドルファーの底の底までを、大きな手でひと掴みにして、一斉に震わせる技量はないかもしれない。しかし、そうした筐体の縛りを切り裂いて、音を外へと迸らせる速度において、菊地は極めて卓越した奏者だと思う。ロラン・バルトがロベルト・シューマン論で指摘した「打つ」ことの技量において。本作の録音は、まさにその一瞬に向けて、フォーカスをきりきりと絞り込んでいる。ピアノ総体の鳴りなど、後から自然についてくると言わんばかりに。そのことがハンマーが弦を打つ地点に近接したマイク・セッティングをもたらし、その結果として菊地の口の端から噴出する「声」に、無防備に襲われる事態を招いたようにも思われる。

 私などとは到底比較にならないほど深く菊地を聴き込み、ライヴにも幾度となく接し、本人と親交もある多田雅範に、菊地の声はいつもこのようにはっきり聞こえるのか尋ねてみた。どうもそうではないらしい。ましてや録音作品においては空前絶後のようだ。声が聞こえること自体は不思議ではないと思ってしまったけれど、考えてみたら、こんなにはっきりと「声」を聴いたことはいまだかつてないとの答が返ってきた。


 今からひと月以上前、4月26日(日)に行われた「四谷音盤茶会第17回(タダマス17)」のレポートとして今回の原稿を差し出すことは、何時にも増してためらわれる。これまでも私のレポートは、イヴェントの全容をバランスよく紹介するものでは全くなく、ただただ私の興味関心に基づいて視点とフレームを設定し、切り取ったものに過ぎなかった。しかし、それでも、イヴェントの流れに沿って数作品に言及することにより、事態の一端を伝え得ていたとは思う。それに比べて今回は、10枚かかったうちの1枚だけにしか触れていない。
 それはぼんやりと予想されていた事態ではあった。本ブログでの「タダマス17」告知記事で、私はまだ公式にはリリースされていない菊地の作品が、今回採りあげられることに焦点を当てて紹介している。そのせいか、この日の幕開けの口上で益子博之は、どうも始まる前から一部分に関心が集まってしまって……とこぼしていた。一方、多田雅範は、菊地の作品がかかったら聴衆の反応はどうなんだろうか、みんな大きく頷くのだろうか、それとも腕組みしたまま考え込んでしまうのだろうか……との私の問いかけに対し、みんな腕組みしたまま黙っちゃいそうだなあと言っていた。実際にはそうはならず、ゲストの応答を含め、演奏の素晴らしさという話になってしまったのだが。
 もちろん、実際には当日いろいろなことがあり、様々なことを感じた。主に違和感として。Pascal NiggenkemperからMatana Robertsというソロによる音響構築の流れは正直ピンと来なかった。話題のTigran Hamasyanもどこがいいんだかわからずにいると、最近手放しに持ち上げられているが本当によいか…との説明が入り、むしろそうした採りあげ方に違和感を覚えた。Mario PavoneのアブストラクトなルーズさとJakob Broのどうでもいい細心さが奇妙な相似形を描く中で、Vijay Iyer Trioによる速度の重層性とChris Lightcap's Bigmouthにおける響きの積み上がっていく感じは素晴らしかった。特に後者の場合、2サックスが後方で鳴り響く部分では自在に飛び回るくせに、フロントでユニゾンにより奏する際には、よれよれとことさらに非マッチョ性を明らかにするあたり、思わずツッコミを入れたくなる。ふだんなら、この辺が論述の焦点となっていたことだろう。ゲストの山本達久の臆面もない切り捨てぶりについて多田がブログで賞賛しているが、正直それほどのものかなと思う。RJ Millerのソロ作品におけるエレクトロニクスの揺らぎが話題に上ったところで、ドラマーがエレクトロニクスを操るのが新しいって言うんですか、Harald Grosskopfは知ってますか…という辺りで、そのあからさまな「ネタ」嗜好/志向/思考に聴いていて腰砕けとなった。
 いずれにしても、それからひと月が経過し、菊地とトーマス・モーガンらによる盤以外のことは、とりあえずどうでもよくなってしまった。それだけ、この演奏の強度に打ちのめされてしまったわけだが。インターネットで検索すると、その後、5月下旬に無事リリースされたようだ。世評はどうなのだろうか。

タダマス17
Masabumi Kikuchi, Ben Street, Thomas Morgan, Kresten Osgood
『Masabumi Kikuchi Ben Street Thomas Morgan Kresten Osgood』

Ilk Music ILK 23B CD
Masabumi Kikuchi(piano), Ben Street(double bass right), Thomas Morgan(double bass left), Kresten Osgood(drums)
当日プレイされたのはtrack 1の「#1」。

「タダマス17」当日のプレイリストについては、次を参照していただきたい。
http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-357.html
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