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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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2015年1〜8月ディスク・レヴュー その1  Disk Review Jan. - Aug. 2015 vol.1
 延び延びになっていたディスク・レヴュー執筆だが、次から次へと興味深い作品のリリースが続き、これではいつまでたっても選盤に入れない。ということで、無理矢理に区切りをつけてご紹介することにしたい。まずは器楽的インプロヴィゼーションからの10枚。本来なら今年に入ってからの「タダマス」レヴューで触れた菊地雅章のクワルテットをはじめとする作品群も採りあげなければならないところだが、先の事情により割愛させていただいた。引き続き音響的インプロヴィゼーションやフィールドレコーディング系の作品も採りあげていく予定である。そちらは作品数がさらに多いので、幾つかに分割して執筆・掲載することになると思う。乞うご期待。


John Butcher / Nigemizu
Uchimizu Uchimizu01
John Butcher(tenor saxophone,soprano saxophone)
試聴:http://www.ftarri.com/cdshop/goods/uchimizu/uchimizu-01.html
 冒頭、リードの手前で音にならずにもやつく吐息のたゆたいが、眼に見えるように浮かび上がる。ブレスの際に漏れる息遣いに全身の、生身の緊張が映し出され、聴き手の身体に伝染する。音の消え際にふっと気配のようにその場のアコースティックが浮かび、いま自分が演奏者とひと連なりの空間に座して、同じ空気を呼吸しているかの幻想に一瞬とらわれる。質の高いレンズで撮影した写真のように、対象の輪郭が空間に溶ける部分のボケ味が、丸みのある立体の、複雑に折り畳まれた響きの襞の確かな手触りを伝える。引き伸ばされた持続の中で、「一音」をかたちづくる各層がふっと芽吹き、すっと枝を伸ばす。重音奏法とか、重層化されたポリフォニーというのは、ずいぶん解像度の低いとらえ方だったことに今更のように気づかされる。いや「解像度」と言ってしまうと、単に録音機材のスペックの問題であるかのような誤解を与えかねない。これは空間と響きをいかに見極めるかという視点の設定の問題である。録音を担当したのは「tuba吹き」高岡大祐。これは単に音楽家だから、管楽器奏者だから可能になった録音ではない。ふだんから音を放つことで空間を探査/聴診する演奏を続けている「音の釣り師」だからこそできる業だろう。John Butcherの演奏を初めて聴いたかのような衝撃を受ける(今までCDであるいはライヴで、聴いたつもりになっていたのは一体何だったのか)。今年のベストワン候補が早くも登場してしまった。


Common Objects / Whitewashed with Lines
another timbre at85x2
John Butcher(acoustic & amplified saxophones), Angharad Davies(acoustic & amplified violin), Rhodri Davies(electric & pedal harp), Lee Patterson(amplified devices,processes)
試聴:http://www.anothertimbre.com/commonobjects.html
 深い闇の中で、固く強ばり拘縮していた四肢が氷解し、硬直がゆるやかに伸びていくにつれ、次第に世界がその姿を現し始める。水の滴りや急な温度変化により石室が立てる軋み。それらが空間に広がり映し出す影。ふつふつと滾るような内臓各部のつぶやき。引き攣りあるいはぐったりと弛緩する筋肉のざわめき。神経の昂りが高周波のように鋭く脳内に響き渡る。それらの音響が遠近を欠くばかりか内外の区別すらなく混濁し、原形質状に蠢き震えている。まるで折口信夫「死者の書」の冒頭、目覚めの部分のサウンドトラックのようだ。耳の視界の片隅を占めるに過ぎないちっぽけで希薄な物音が、これしかない仕方で緊密に重なり合い結び合わされて、音響の張り詰めた推移をつくりだす。引き伸ばされた持続音や繰り返しの重ね合わせによらずに、彼らがそうした状態を創出できている理由のひとつとして、ここ(CD1枚目に収録された「cup and ring」)で彼らが図形楽譜を用いていることが挙げられるだろう。しかもそこでモチーフとなっているのは、付近の新石器時代の遺跡から出土する石や岩に彫られた線条の文様である。ただ視覚的なグラフィックと言うだけでなく、古代へと遡る想像力がここでの彼らの演奏の基盤となっていることは想像に難くない(同様の事態を私たちはすでに三上寛・灰野敬二・石塚俊明によるVajraの第1作で体験している)。CD2枚目に収められた集団即興も見事だが、まず何よりもこのRhodri Daviesによるコンポジション「cup and ring」の演奏を聴いてほしい。


Ted Byrnes / Objects
Clained Responsibility CLAINED 4
Ted Byrnes(percussion)
試聴:http://www.art-into-life.com/product/6214
 金属製や木製の音具、ドラム、電動ドリル等を用いたソロによる即興演奏。ざっくりとかき混ぜられ、あるいは高速で撹拌される音響。四方八方から流れ込み、至るところで衝突し混じり合う混在郷。眼前に迫るほど至近距離でとらえられた音像は空間をはらまず、残響は一瞬で揮発する。それゆえ打撃/摩擦の瞬間に弾け飛ぶ音粒子が眼に痛く、また、衝突の衝撃が打撃に微細なクリナメン(ルクレティウスの言うところの)をもたらし、高速の連打が次第にぶれていく様子が曇りなく鮮明に写し取られている。演奏する身体の運動よりも、高速で振動し、遷移し、変容する対象物=物体の運動が前景化してくるのも、同じ原理による。音響機械の自動運動、熱による分子運動のランダム化、もつれてはほどけていく音流に向けて、廃品集積場を漁るようなジャンクな構築は、ますます人の手を離れ、冷ややかにマテリアルな強度をたたえながら、エロティックに崩壊して行く印象を与える。彼はLAFMSと親交が深く、何と大編成版のAIRWAYにも参加していたりするのだが、このことを踏まえて坂口卓也氏が本作に関し「技術を意識させない変なことをあれこれやっているが、『面白いだろう?変だろう?』という意図が全く無い」と実に的確な評を述べている。限定100枚とのこと。紹介してくれたArt into Life青柳氏に感謝したい。


Paul Lytton / "?" "!"
Pleasure of the Text Records POTTR1303
Paul Lytton(Trobiander laptop,miscellaneous percussion instruments,objects and implements,electro-mechanical devices,frame plus CnC Elektronics)
試聴:http://www.squidco.com/miva/merchant.mvc?Screen=PROD&Store_Code=S&Product_Code=20776
 様々な小さな音具を用い、多彩な音色を駆使したソロ・パーカッションによるインプロヴィゼーションという点では前掲作と同じだが、ここで打撃の密度や変化はよりゆるやかになり、演奏する身体、発せられる音の行方に耳を澄ます生身の体の持続が際立ってくる。エレクトロニクスの使用により音色の幅は本作の方が広く、おそらくはサンプリングされたのだろう動物の鳴き声も聴こえる。また、前掲作では皮膚の表面を高速で駆け抜けていった音粒子の、あるいは打撃のパルスの心地よいシャワーは、ここで金属片を擦り、スプリングを撓ませる力動の生々しい触覚に取って代わられている。放った音がすぐさま耳の視界を離れ消え去る前掲作に対して、ここで響きはねっとりととぐろを巻いてこの場に居座り、周囲の空間へじくじくと滲み出していく。だからここでフリー・インプロヴィゼーションは音響の泥沼との果てしない悪戦苦闘として現象している。音響素材のパレットとしては限りなく音響的、エレクトロ・アコースティック的でありながら、器楽的即興演奏の範疇に本作を置きたいのは、前掲作と比較しながら、この身体の誠実な不自由さを直視したいからにほかならない。Evan Parker Electro-Acoustic Quartetの一員として来日した際の演奏の無様さがずっとトラウマになっていたのだが、これは優れた演奏だ。


高木元輝 / 不屈の民
ちゃぷちゃぷレコード POCS-9353
高木元輝(tenor saxophone)
試聴:https://www.youtube.com/watch?v=bHBit7KNK80
   https://www.youtube.com/watch?v=2d80j1T13v8
   https://www.youtube.com/watch?v=MEWR-a86_zY
 1996年9月15日、山口県防府市カフェ・アモレスにおけるライヴの埋蔵録音から、高木のソロ・パートのみを抜粋したもの。寡黙とすら言ってよい、口数の少ない静かな語り口は、穏やかさの中に濃密な情感(それは主に悲哀であるのだが)と揺るぎない意志の強さを秘めている。そのことは吐息をはらんでゆったりとくゆらされるテナーの軌跡が、いささかも上滑りすることなく、地平をがっしりと踏みしめ、自らを彫り刻んでいくことからも明らかだろう。ジャズ的なフレーズをふんだんに組み込んだ演奏は、その語彙やテンポ設定からすれば、紛う方なき「ジャズ」、それもスローでリラックスしたそれにほかなるまいが、背後に不可視のリズム・セクションの存在を感じさせず、ただただ自らの息と空間の、響きと沈黙の張り詰めた均衡だけを足がかりとして細い綱を渡っていく即興は、一瞬たりとも聴き手の耳を眠り込ませることがない。何よりも音の、息の、空間の気配を見詰め続ける高木のみ身の視線の強さに打たれる。彼の大きな眼は演奏時にはしっかりと瞑られているのだが、それとは裏腹に耳の眼はくわっと大きく食い入るように見開かれている。それゆえ彼の演奏は、フレーズの変奏を離れ、展開の道筋をほとんど見失って、音のかけらと戯れる時も、硬質な輪郭と充実した重み、確かな手触りを失わない(この「極めて具体的な抽象性」のあり方はスティーヴ・レイシーを思わせる)。荒々しく粗雑なブロウにまみれた形骸化せる定型としての「フリー」を求めるのでなければ、きっと満足できることだろう。入手可能な録音の少ない高木の、貴重な音源の登場である。


Joana Sa / Elogio Da Desordem ( In Praise of Disorder)
Shhpuma Records SHH006CD
Joana Sa(semi-prepared piano,bells and serens installation,toy piano,noise boxes&mini amps,harmonium,flexible tubes), Rosinda Costa(voice)
試聴:http://www.squidco.com/miva/merchant.mvc?Screen=PROD&Store_Code=S&Product_Code=20396
 不安げな女声の語りの背後でさらに不安と緊張を煽り立てる音響は、声が止んでもそのまま自らの運動を繰り広げていく。凍てついた空間に波紋を広げるピアノの重厚な打鍵、搔き鳴らされたピアノ弦の高鳴り、沈黙をざらざらと傷つける針音や回り続けるフィルム・リールの動作音、遠く聴き取りにくいヴォイスの混信、プリペアドにより生み出された虚ろな響きが空間に不思議な文様を浮かび上がらせ、突如として鳴り渡るベルやブザーがきりきりと胸を締め付ける。語りをフィーチャーした作曲作品なのだが、作曲者自身による演奏は、見事なまでに即興的強度に溢れている。特に遠近配置の巧みな撹乱と多元的な要素の混在のもたらす、夢見るように多層が交錯する幻想性において。Clean Feedが流通を担当するポルトガルのマイナー・レーベル。2013年作品だが、他に紹介するところもないと思うので。

ジャケットはブックレット仕立てになっている。


Open Field + Burton Greene / Flower Stalk
Cipsela Records CIP 002
Jose Miguel Pereia(double bass), Marcelo dos Reis(nylon string guitar,prepared guitar,voice), Joao Camoes(viola,mey,percussion), Burton Greene(piano,prepared piano,percussion)
試聴:https://cipsela.bandcamp.com/album/flower-stalk
 1960年代にESPレーベル等に残した録音で知られる白人ピアニストBurton Greeneだが、このCDの内ジャケットでは、まだ若い共演者に囲まれて、年老いた吸血鬼のように元気な姿を見せている。緊密に絡み合う集団即興は、弦の軋みが「音響」への離陸の気配を示しながらも、研ぎ澄まされ切り詰められたピアノの打鍵やプリペアドに象徴されるように音のボディの確かな重みを手放さない。一方、たとえ音数が増えてもフリー・ジャズ的な放埒さには決して至らず、冷ややかな構築が揺らぐことはない。瞬間を切り裂くギターの閃きがソロに転じると意外なリリカルさを見せ、駆け回るヴィオラが弦を焼き切らんばかりに加熱すると、他の3人はこれを冷ややかな距離を置いて眺め、自然とソロになる「離見の見」的なバランス/構成感覚は特筆すべきだろう。2曲目冒頭部分でギターとダブルベースのデュオが張り詰めた時間の中で浮き沈みし、情感をゆるやかに醸成していく様も見事だが、その緊張を些かも損なうことなくピアノとヴィオラが加わる手口の鮮やかさ(ロベール・ブレッソン『スリ』が捉えた水も漏らさぬ連携作業を思わせる)には、本当にぞくりとさせられる。Greeneの確かな技量と氷のような抑制がもたらす透徹した覚醒感が何より素晴らしい。彼がPatty Watersのピアニストだったことを改めて噛み締めざるを得ない。ポルトガルの新生レーベルから。300枚限定。ちなみにレーベル第1作はCarlos Zingaloのソロ。


Malcolm Goldstein / Full Circle Sounding
Kye Kye 34
Malcolm Goldstein(violin,electronics,tapes)
試聴:https://www.youtube.com/watch?v=w0XDRM0jM1Y
 1960年代にJudson Dance Theaterとの共同作業のために制作された2曲のエレクトロニックなコラージュにヴァイオリンのソロを重ねた演奏、ボスニア・ヘルツェゴビナのフォークソングに基づいた作曲、あらかじめ準備のないオープンなインプロヴィゼーションが1枚のLPに収められている。50年の歳月が。比類なき超絶技巧によりながらも、時に弦を責め苛むためだけにせわしなく飛び回るかに聴こえてしまう彼の演奏は、ここでエレクトロニスの混交やヴェトナム戦争に対する反戦運動の記憶、民族文化への憧憬等の厚みを踏みしめることによって、隅々まで血の通った、重く深い情感をたたえたものとなり得ている‥‥と言ったら、あまりにロマンティックな物言いだろうか。しかし、身をよじり、ねじれ、自らを果てしなく切り刻みながら、軽々しい切断や飛躍を許さず、透徹した持続を貫いていることが、本作に何時にも増した強度を与えていることは確かであり、それをしっかりと裏打ちしているのは、時代の変遷を乗り越えた強靭な記憶にほかならないのだ。レーベルとの組合せに意外性を感じるが、Kye主催のフェスティヴァルへの出演、そこでの演奏が本作制作のきっかけになったと言う。旧作を一部転用しているとは言え、すべて新録音とは恐れ入る(1936年生まれだから、今年で79歳のはず)。ジャケット及び付属のインサートの装画も彼自身による。


Arnold Dreyblatt / Second Selection
Black Truffle Records BT016
Arnold Dreyblatt(excited strings bass,electric guitar,dynamic processing electronics,electric double-neck lap "hawaiian" steel guitar,e-bow), Dirk Lebahn(excited strings bass), Jan Schade(miniature princess piano), Wolfgang Mettler(violin), Wolfgang Glum(percussion), Michael Hauenstein(excited strings bass,hurdy gurdy), Tracy Kirchenbaum(excited strings bass), Peter Phillips(miniature princess piano), Kraig Hill, Eric Feinstein(french horn), Peter Zummo(trombone), Paul Panhuysen(prepared electric bass guitar,automated plectrum)
試聴:http://www.meditations.jp/index.php?main_page=product_music_info&products_id=17229
 再評価が高まっているのか、Dreyblattの発掘音源がまた一つリリースされた。本作は1980年代の録音からOren Ambarchi(!)により編まれている。LP2枚組、各面20分程度の収録というヴォリューム。強烈な打弦が豊穣たる倍音の雲を立ち上らせ、それがアンサンブルにより交錯/衝突しながら豊かに息づく一方で、幾重にも敷き重ねられたアルコが、軋み/唸りを上げながら積み上がり重層化していく。そうしたプロセスにより擦弦楽器に特徴的な音色は解体し尽くされ、接触不良のエレクトロニクスがつくりだす、消える寸前の蝋燭の炎にも似た不安定な揺らめきとしか聴こえなかったりするのだが、そうした音響現象への溶解というか遡行はDreyblattの意図したところだろう。にもかかわらず、音響的な希薄さへと離陸しきれない、どうしても脱ぎ捨てられない肉の重さとでも言うべきものが、ここには宿命的に刻印されており、それが彼の音楽に独自の位置づけを与えている。音響的なエレクトロ・アコースティックなインプロヴィゼーションではなく、こちらの範疇に置いた所以である。


La Monte Young, Marian Zazeela / The Black Record
Oddullabaloo ODDITY1501LP
La Monte Young(voice,sine wave drone,bowed gong), Marian Zazeela(voice,bowed gong)
試聴:https://www.youtube.com/watch?v=PizITBPWhXI
   https://www.youtube.com/watch?v=otWZgXIpnV0
彼の初めての公式録音として知られる。大里俊春が「現代音楽の中からヘビメタの数百倍すごい奴」を10枚選んだうちの1枚(「巨大銅鑼の弓弾きで倍音の嵐」と紹介されている)。長らく入手困難だったので待望の再発。A面では一切の響きを伴わない声音が、ゆるゆると身をくねらせながら中空を這い回る声の多幸郷(ユーフォリア)が提示される。天女のように軽やかに舞うはずの声は、ここで重たい肉を背負い、前述のようにゆるゆるとカタツムリのように這い回るのだが、不思議と重力の頸木は逃れている。対してB面では遠く距離をはらみ空間一杯に不明瞭に拡大した音響が、倍音や分割振動や部分共鳴や、いやありとあらゆる不均衡で非調和的な派生的音響をないまぜにして、波打ち、渦巻き、滔々と溢れ出す。ミニマル・ミュージックというより、工場の動作音や停泊する船舶の軋み、あるいはGilles Aubryが指し示した、壁に沁み込んで閉ざされた部屋に侵入してくる交通騒音等に近い。進み流れることなく、足下に澱みわだかまる「時」の姿をうっかり眼差してしまったような、畏れにも似た感慨が浮かんでくる。なお、このB面は33回転ではなく、16回転や8回転でも再生して構わない旨がジャケットに記されている。しばらく前にリリースされた2種類のLP音源(おそらくはブートレグ)で聴くことのできる、素早く振動するソプラノ・サックスやヴィオラ、細かく弾むパーカッション等を伴った演奏とは全く別物。異世界が眼前に広がる。

2種類のLP音源のジャケット。

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ディスク・レヴュー | 23:46:41 | トラックバック(0) | コメント(0)
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