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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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2015年1〜8月ディスク・レヴュー その3  Disk Review Jan. - Aug. 2015 vol.3
 ディスク・レヴュー第3弾は、音響的あるいはエレクトロ・アコースティックなインプロヴィゼーションからの9枚。書きあぐねているうちに、採りあげるべき新譜がどんどんと増えている状況で、これはともかく書けたものから出していくよりない‥と、ようやく腹を決めた次第。えいやっとリリース。なので、ここに入っているべき作品が次回送りになっていたりします。ごめんなさい。


Masahide Tokunaga / Alto Saxophone 2
Hitorri hitorri-994
徳永将豪Masahide Tokunaga(alto saxophone)
試聴:http://www.ftarri.com/hitorri/994/index-j.html
 空間を貫いて水平に張り渡された梁が、ぐにゃりとねじ曲がる。眼に見えぬ圧倒的な力が、その確かな痕跡を眼の前に刻み付ける。水平に引き伸ばされたアルトが歪み、弧を描いて屈曲し、そこにかかる力の凄まじさをひしひしと伝える。張り裂けそうに震える管、引き裂かれて内部を露わにする響き。トランペットの高鳴り、バス・クラリネットの低音の徘徊、エレクトロニクスによる変調、複数の音色の間に生じるモワレの脈動。一見、暴れることなく、平静を保って穏やかに推移する音色のうちに現れる凄まじい力の痕跡。管楽器による音響的なインプロヴィゼーションの多くが、重力をキャンセルし、サウンドを浮遊させ、響きを空間に遊ばせて、音響へと解体するのに対し、ここで徳永は徹頭徹尾、楽器に極限的な負荷をかけ続ける。初期の阿部薫を思わせる強度で鳴らし切られた管は、しかし「速度」へとは向かわず、走り出すことなく、その場に突っ立ったままで身をねじ曲げる。行き先を見定めようとする眼差しはここにはない。息を提供し続け、そこにのしかかる巨大な重量を背負いながら、それをコントロールするのではなく、「立会人」として正確に見定めつつ、事態が一瞬のうちにカタストロフに至ることを回避し、限界をはるかに超えた圧力/張力に耐え続けること。虹のように移り変わる音色は、そうした力のドラマのほんの現れに過ぎない。リードや管の振動に眼を擦り付けんばかりに肉迫した前半の3曲がとりわけ素晴らしい。それ以降の、やや「現象」から距離を置き、エアーを採り入れての録音では、そうした力動がいささか感じ取りにくくなっている。以前に『Dead Pan Smiles』を採りあげた大上流一とのデュオを、ぜひ聴いてみたいと思う。


Ezaki Masafumi, Takaoka Daysuke / 外の人 vol.3
無番号
江崎將史, 高岡大祐
試聴:
 冒頭、流れ込んだ雨水の滴りの響きに、まるで暗闇でマッチを擦ったように、地下道の湿度に閉ざされたパースペクティヴがふっと一瞬のうちに浮かび上がる様に驚かされる。音に照らし出される空間。じょぼじょぼと水のながれる地下道の、閉塞感のある特異なアコースティックのうちに、あるいはそこに入り込む交通騒音をはじめ周囲の環境音の中に、二人はすっと入り込んで音を出し、その響きを通じて、さらにその場の特性を触知する。空間に導かれる「演奏」。
 その後も街を散策しながら「演奏」は続けられる。そこでは歩き回り、耳を傾けることが、足音や息音を生み出し、楽器に息を吹き込むことと、分ち難くひとつになっている(楽器に吹き込まれる息のかすれにフォーカスして耳をそばだてるうち、遠くから響く交通騒音等のもやつきや風によるマイクロフォンの「吹かれ」に聴き入っている自分を発見する)。ここで音を聴くことと音を出すことは同じ一つのことであり、自らの身体や演奏行為のつくりだす輪郭、周囲の環境との境界は、いくらでも可変で相互浸透可能な、とりあえず仮構されただけのものにほかならない。商店街では頭部にマイクロフォンをセットして歩き回り、移り変わる音景色に口笛がいつまでも付いて回る。
 本来、この「外の人」は、高岡たちに聴衆が随伴し、街中の様々な特徴ある場を経巡っていく企画であり、聴衆は必ず演奏の場に立ち会い、その空間に共に居合わせることが原則なのだが、この3回目はたまたま雨天中止となったために、高岡と江崎だけで実行され、その結果が録音されたものだ。しかし、高岡による相変わらず秀逸な、汚れは汚れとして示し、聴くことを「キレイゴト」にしてしまわない録音は、その聴取を通じて湿気や匂い、「場」の圧力を感じさせるものとなっている。もし、その場に聴衆として居合わせたなら、おそらくは「演奏者」たちの姿をまじまじと見詰め、その結果、無意識のうちに環境音を「地」として背景に追いやり、「演奏者」たちのつくりだす音を「図」として浮かび上がらせてしまっただろうから、その点でもこの録音を聞くことは体験として貴重なものとなっている。20枚限定CD-R。



Anthony Kelley, Danny McCarthy, Mick O'Shea, David Stalling / Soundcast 4 x 4 (+1)
Farpoint 035
Anthony Kelley, Danny McCarthy, Mick O'Shea, David Stalling
試聴:https://soundcloud.com/farpointrecordings/soundcast_4_by_4_plus_1_track_9
   http://www.art-into-life.com/phone/product/6064
 アイルランドのギャラリーの古典的な彫像の並ぶ一室で2009年に繰り広げられたインプロヴィゼーションの記録。八つ折りされたポスター風ジャケットに掲載の写真で見ても、かなり広いスペースで天井も驚くほど高い。そうした空間のヴォリュームを存分に活かした演奏となっている。演奏楽器のクレジットはないが、これも写真を見る限りエレクトロニクスとパーカッション程度。硬質なサウンドが空間に放射され、決して飽和することなく、距離と覚醒の下で、常に余白のある緊張をつくりあげる。軋みやざらつきに満ちた手触りと希薄で無機質な響きの間に、一瞬のうちに張り巡らされるテンションが素晴らしい。この手の即興セッションに付き物のもったいぶった探り合いや付和雷同的な盛り上がりがなく、あたかも人の手によるものではないように演奏は進み、風景が移り変わる。それらの生成をじっと見詰めながら、細部をかたちづくる様々な流れ/力動に手指や爪先を差し入れ、耳を澄ます‥‥というフィールドレコーディング作品の聴き方が、本作にはふさわしかろう。2010年の作品だが、その時点ですでにこうした演奏が生み出されていたことに、改めて驚かずにはいられない。


Seijiro Murayama, Jean-Luc Guinnet / Mishima, Day & Night
Ftarri ftarri-990
Jean-Luc Guinnet(alto saxophone), 村山政二郎Seijiro Murayama(percussion,voice)
試聴:http://www.ftarri.com/ftarrilabel/990/index-j.html
 静岡県三島市内の寺とバーでの演奏を収録。そっと息を吹き込まれる管と、ゆっくりと巡りながらこすられ続けるシンバルの、付かず離れずの響きの触れ合いの只中に、タンギングの破裂が庭に設えられた鹿おどしのように点を穿ち、遠くで遊ぶ子どもたちの声が幻灯の如くぼうっと映し出される。管の鳴りとシンバルの響きはそのまま薄闇に溶け合い、見分け難くひとつとなりながら、時折思い出したように、甲高い唸りや不機嫌な軋みがふと浮かび上がる。奏法/音色を限定し、ゆるやかに黄昏れていく響きの中で、暗闇に慣れてきた眼差しは、多様な音色の繁茂と衝突を克明に聴き取ることができよう。その後の寺での演奏は長い沈黙に侵食されている。バーでの演奏は、そうした長い沈黙を引き継ぎながらも、より動きの多い演奏となっている。


The Pitch / Frozen Orchestra(Amsterdam)
Sofa Music SOFALP546
The Pitch:Boris Baltschun(electric pump organ), Koen Nutters(bass), Morten J.Olsen(vibraphone), Micael Thieke(clarinet)
Lucio Capece(bass clarinet), Johnny Chang(violin), Robin Hayward(tuba), Chris Heenan(contrabass clarinet), Okkung Lee(cell), Valerio Tricoli(revox)
試聴:https://soundcloud.com/sofalabel/the-pitch-frozen-orchestra-amsterdam-side-a
 分厚いうねりのめくるめく持続。滾々と湧き出し、滔々と流れ続ける響き。ちょうど水底から湧き上がる眼に見えない水の流れを、舞い上がる砂粒の動きを通じてとらえるように。あるいは空中に噴き上がる水の柱の、圧力により上昇する流れと重力により下降する流れが交錯/交替し、不定形なうごめきをつくりだす柱頭部分を、真上からスローモーションでじっと見詰め続けるように。一見、動きのないドローンは、実際には刻一刻、震える平衡の下にかたちづくられ、終始かたちを変え続ける(そうした変化はFrancisco Lopez『La Selva』同様、飛ばし聴きをすると改めて気づかされる)。各楽器がただただ音程を保って演奏し、微妙な上下や倍音の変化により音響が変化する‥‥というのではない。どのようにして、このように緊密に張り詰めた持続/生成を達成し得たのだろうか。The Pitchの4名のみで演奏された前作『Xenon / Argon』(Gaffer Records)と原理的には同様なのだろうが、そこでは識別可能なそれぞれの出音の輪郭が、ここでは集合性の中に溶解し、過剰なまでに濃密化することにより、匿名的と言うより、人称すら遠く離れ、数えきれない昆虫をはじめとする動植物、風雨等の自然現象、さらには温度変化や微生物がもたらす化学変化等が渾然一体となった、熱帯雨林のサウンドスケープを思わせるものとなっている。ダウンロード・クーポン付きLP。


Charlemagne Palestine / CharleBelllzzz at Saint Thomas
Alga Marghen Plana-P 35NMN 090
Charlemagne Palestine(carillon)
試聴:https://soundcloud.com/meditations/charlemagne-palestine-bells-carillon-excerpt
 鍵盤により打ち鳴らされる複数の鐘の単独の振動だけでなく、共鳴や共振が重なりあい、埃のように厚く降り積もって、連続した一様な層をかたちづくる。響きと倍音が入り混じった音響の雲。その中に鐘の音とは明らかに異なる輪郭の不確かな低音が、暗い影となって映り込む。どうもニューヨークの街の交通騒音のようだ。音響の雲にいったん沁み込んだ音風景が、再びゆるゆると立ち上がってくる様は、カイロ市街の音を題材としたGilles Aubryの作品を思い出させる。重たいトレモロが駆け抜け、路面電車の警戒音を思わせる鋭い響きが閃き、よりゆったりと間を空けて、無数の柱時計がランダムに衝突しながらなり始める。こうしてCharlemagne Palestineが奏でるセント・トーマス教会のカリヨンの音色は、John CageやTony Conrad、Moondogが愛したと言う。同時期に同じレーベルからLPのみでリリースされた、ただカリヨンが心地よく鳴り渡るだけの『Bell Studies』より、ずっと聴き甲斐がある。


Ferran Fages / For Pau Torres
organized music from thessaloniki #16
Ferran Fages(electric guitar,walkie-talkie)
試聴:https://thesorg.bandcamp.com/album/for-pau-torres
   http://www.ftarri.com/cdshop/goods/thessaloniki/t-16.html
 40分強の1トラックの演奏の最初8分間と最後5分間に収められた、極薄の金属板を翻させるような脆く儚く壊れやすいフィードバック主体の演奏に惹き付けられる。音響が身を翻しうねるとともに、周囲の空間が歪みひび割れ、その時に生じた細かな亀裂に溶け出した響きが入り込み、モザイク状の滲みを生み出していく。まるで宇宙空間のような虚無的な深いエコー、古い記憶を呼び覚ます針音めいたざらついたノイズ(もしかするとwalkie-talkie由来のノイズだろうか)と相俟って、厳冬の滝みたいに時の流れが凍り付いた中に浮かび漂う、見てはいけない封印された心霊写真を思わせる、特異な成分を分泌している。中間部分のLoren MazzaCain Connorsを(時にはDaniel Lanoisをすら)思わせる流麗に移りゆき、希薄にたなびきながら、深い陰影を残す「ブルージー」な演奏(とは言えそこには、冷ややかな距離を画定したラボ的な音響操作性が備わっている)も素晴らしいのだが。300枚限定。2012年作品。


Wake / Graveyard Coitus
Chocolate Monk choc.307
Wake ( Adam Bohman, Nick Couldry, Crow ), Mark Browne, Lol Coxhill
試聴:http://www.art-into-life.com/phone/product/6056
 1991年ロンドンでのライヴの録音で、今回のリリースは2012年にこの世を去ったLol Coxhillに捧げられている。音はものの見事にとっ散らかっていて、エレクトロニクスとテープとハウリングとガラクタ/オモチャなノイズの混濁したごった煮に、おそらくはラジオ放送から採られたであろうファウンド・ヴォイスや周囲のざわめきが混入し、一部の音が急に大きくなるなど、ミックスもまた演奏の一部としてはちゃめちゃな錯乱ぶりを示し、三次元的なパースペクティヴなど結ぶはずもない。幼児退行症的感覚はLAFMSに通じるが、何語ともつかない語りの妙に折り目正しい登場、気の抜けた拍手の挿入、歪み加減の陰湿で執拗な悪意等は明らかに英国的。おそらくはリーダー格のAdam Bohmanが参加するMorphogenesisの洗練が裏返され、徹底的にプリミティヴな衝動が目指される。それが単なる音響のゴミ溜めに堕してしまわないのは、いついかなる状況にあっても、くちゃくちゃと分節不明瞭なソプラノ・サックスを吹き鳴らし、決して歩みを止めることのないLol Coxhillの貢献によるものと言わねばなるまい。彼の推進力は溢れかえるノイズの合間を巧みに縫って、壊れた断片同士を結びつけ、過剰なサウンドが飽和する中に何度も立ち尽くしそうになりながら、それでも事態を更新し、常に水を入れ替え続ける。79枚限定CD-R。


Aine O'Dwyer / Music for Church Cleaners Vol.1 and Vol.2
MIE MIE 028
Aine O'Dwyer(church organ)
試聴:https://aineodwyer.bandcamp.com/album/music-for-church-cleaners
   https://soundcloud.com/aine-o-dwyer
 一見古代的で実のところ空間恐怖的なカヴァー・アート、「教会清掃人のための音楽」という題名と、のっけからひたすら謎めいている。実際に教会のパイプ・オルガンによって演奏しているにもかかわらず、権威的で猛々しい音圧や、空間の圧倒的広大さがもたらす押し付けがましい尊大さ等は、ここにはまったく感じられない。はるか高みから見下ろすようなそそり立つ建築的構成やそれを可能とする超絶技巧等もない。音は壁を一枚隔てた向こう側から響いてくるように角がなく、もやついてくぐもっており、にもかかわらず演奏ノイズや周囲の物音/話し声は、妙にはっきりと聞こえてくる。「舞台裏に響いてくるオルガン演奏」と言えば感じが伝わるだろうか。すなわち、ここでマイクロフォンは通常とは異なり、まっすぐにオルガンの方を見詰めていない。演奏のエネルギーが放出される照準とはずれたところで、それでも遍く響いてくる音響に、耳を傾けるともなく浸している。とぼとぼと歩きながら、あるいは他のことに思いを巡らしながら、音圧を濾過されたオルガンの力なくゆるんだ響きに、哀しみをたたえたなだらかな旋律に、あるいは礼拝堂に集う様々な物音/響きに、なすがままに肌を慰撫させている。やはり題名は、ここに収められた演奏にふさわしいのかもしれない(最後にそれらしい会話が収められているから‥というのではなく)。見開きカヴァーの2枚組LP。Aine O'Dwyerはやはり謎めいた活動を続けるフォーク・グループUnited Bible Studiesのメンバーとしても活動している。
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ディスク・レヴュー | 22:15:35 | トラックバック(0) | コメント(0)
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