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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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『松籟夜話』第五夜「ジム・オルークを光源として、音と響きの間を照らし出す」来場御礼  Thank You for Coming to Listening Event "Syorai Yawa" the Fifth Night "Jim O'Rourke Illuminates between Sound and Tone As a Light Source"
 冷え込み厳しい中、2月7日(日)開催の『松籟夜話』第五夜にご来場いただいた皆様、どうもありがとうございました。3時間半の長丁場お疲れ様でした。初めておいでの方もいらして、主催者としてうれしい限りです。この手のコアなイヴェントとしては、女性比率の高さにもびっくり。
 今回の『松籟夜話』は前回に引き続き、青山「月光茶房」に隣接するスペースで、ECMライブラリともなっている「ビブリオテカ・ムタツミンダ」で行いました。前回は会場備え付けのスピーカーであるソナス・ファーベル「ミニマ」が素晴らしいパフォーマンスを聴かせてくれましたが、今回はギャラリー白線での第一夜~第三夜を飾った歸山幸輔特製スピーカーが復活します。
 モノラル仕様なので中抜けのない強みを活かして、前回とは異なりスペースを横長に使うこととし、スピーカーをつないでサウンドをチェックすると、これが素晴らしい。コンクリート床に直置きでも全然平気。試聴でかかったデヴィッド・シルヴィアンは本人が泣いて喜びそうな色気のある声でした。モノラルなのに奥行きや広がりがあるし、何より音に生々しい力が漲っています。特にオルーク作品に見られる極端に小さな音が、さらに小さく、しかし力強く張り詰めて聴こえるというマジカルな魅力。今回の主役は他の誰よりも、このスピーカーでした。
松籟夜話5-1縮小
 開演前のサウンドチェック  撮影:原田正夫



 それでは当日のプレイリストを掲げておきます。コメントは構成案を元に作成しているので、当日の発言そのままではありません。なお、当日の様子については多田雅範が自身のブログでリポートしてくれているので、ぜひ併せてご参照ください。
http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/day?id=7590&pg=20160207
http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/day?id=7590&pg=20160208


開演前BGM
松籟5-1 (01)Manos Hadjidakis『Sweet Movie』Side B
オルークの熱愛するユーゴスラヴィア(当時)の映画監督ドゥシャン・マカヴェイエフによる前衛アート映画のサウンドトラック(作編曲はギリシャの名匠マノス・ハジダキス)。子どものコーラスをフィーチャーしたB面は、めくるめく幻想が白昼夢のように希薄に移ろう。




0 イントロダクション
 ○資料に掲げたオルークによるミニマリスト10選にマイルス・デイヴィス『ゲット・アップ・ウィズ・イット』A面に収められた長大な「ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー」が掲げられているように、彼はここでミニマル・ミュージックをジャンルの定義や人脈関係図ではなく、反復と言う行為や充満する響きの強度による類比によりとらえている。そうしたオルークの耳との出会いからまず。

松籟5-2 (02)Kaiser, Kimura, O'Rourke, Oswald『Acoustics』 tr.1[0:00-2:04]
福島が初めて聴いたオルークの録音。集団によるフリー・インプロヴィゼーションでありながら、対戦的ではなく、混沌に向かうのでもない、レイヤーの敷き重ねや緩やかな相互浸透によるサウンドの変容。このトラックは「Warm Grey To Pale Yellow」と題され、他の曲題もすべて色名であり、光の明滅とともに色彩がゆっくりと混じり合い、移り変わる演奏の推移を象徴している。「新世代」登場の予感。

松籟5ex1縮小 松籟5ex2縮小
撮影:原田正夫


1 ジム・オルークの耳を借りる
○これから福島の選曲により、ジム・オルーク自身の作品、彼が演奏やミックスに参加した作品、彼の愛聴する作品等と、これへの補助線として津田が選曲した作品を、次の4つの視点から聴いていきます。
 ・沈黙/ざわめき/環境
・振動/マテリアルな現象
・溶解/変容/襞/気象/分泌/派生
・「無声映画」的推移/モンタージュ
○最初は福島と津田の耳の立ち位置の違いが現れてくるでしょう。けれど次第に皆さんは、オルークの耳を通じて、オルークの肩越しに世界を眺めることになります。それは「オルークの耳の形成史をたどる」ということでは、必ずしもありません。今のオルークが到達点として設定されていて、これに向けて聴いていくということは意識していません。
○今回、資料として先頃刊行された『ジム・オルーク完全読本』から、全編随一の読みどころである虹釜太郎さんのインタヴューをお配りしていますが、その虹釜さんが以前、猫のトラヴェローグの話をしていました。猫の首に超小型カメラを着けて、自動的に写真を撮影していくと、猫の生活圏や生態が見えてくる。あ、猫の集会に参加してるとか、ここで日向ぼっこしてる‥とか。実際、夜、屋外で猫を抱いて座っていると、互いの感覚が浸透しあって、猫が見ている世界が見えてくるような気がします。今回もそれと同じで、オルークという生物の耳を借りると、世界はどのように見えるか‥という体験をしていただければと思います。


2 沈黙/ざわめき/環境
○そこに潜む何者かの気配を見極めようと闇に凝らす眼差し、そばだてられる耳。浮き沈みする不定形の影。
○外界に意識を集中して、空っぽになった空白にどこからともなく満ちてくるざわめき。身体をゆったりと浸す外なのか内なのかわからない響きの広がり。
○それは一方では、厳格なカトリックの家庭に育ち、友達もなく、自室にひとり籠って電子音楽やミュジック・コンクレート、フリー・ジャズやフリー・インプロヴィゼーションの聴取に没頭し続けた孤独さの産物(微熱の中で研ぎ澄まされた聴覚)であり、他方では後で言及する派生的な変容や(無)意識の流れによる映画的推移が基づく「潜在的なもの」の可視化(「ソラリスの海」のような)にほかならない。

松籟5-3 (03)V.A.『Statics』tr.4(Jim O'Rourke「Sinking Lights in Lambeth」)[6min]
薄暗がりにひっそりと息づく響きの移り変わり。コンピレーションの中で、このオルークのトラックだけとても音が小さい。遠くで音が鳴って、そのまま頭上を通り過ぎていく響きは、壁の穴から顔を出したネズミが聴いている音世界を、あるいは床に放り出され横倒しのままのヴィデオ・カメラの映像を思わせる。

松籟5-4 (04)V.A.『銀界』tr.20,21(tamaru)[2min]
ライブ演奏ではベースギターを用いるTAMARUだが、音響彫刻的な作品ではいったい何の音をどう加工したものなのか。「これは何の音か」という音源の同定が意味を為さない、「音そのものに語らしめる」志向はこのころから変わらない。



松籟5-5 (05)Min Tanaka & Derek Bailey『Music & Dance』tr.1[0:00-3:00] tr.2[3:00-6:00]
ギターとダンスの屋外ライヴの録音。ギターとダンスの共演という聴こえない関係に耳を傾けること。さらには足元を洗い続ける交通騒音や屋根を激しく叩く豪雨に侵食/変容され、時には全く掻き消されてしまう音、物理的に聞こえなくなってしまう音に耳を凝らすこと。当初、記録用のカセットテープだけが制作され、おそらくはオルークの提言で、当時彼と親交の深かったジョン・フェイヒーのレーベルRevenantから再発された。Revenantは初期ブルースのほか、本作やセシル・テイラーの作品を、いずれも「Raw Music(生な音楽)」としてリリースしている。
松籟5-6 (06)Mark Hollis『Mark Hollis』 tr.3[0:00-6:19]
 テープ・ヒスに希薄に満たされた静寂に、空間が綻びるようにふっと響きが現れ  る。内語がふと漏れたと思しき声、木の軋み息漏れのような管楽器‥。ざわめきの陰からふと姿を現す得体の知れないもの。幻聴としか思えないそれはもともと空間の一部であり、その本性であるに過ぎない。心霊現象的。打合せ時に会場備え付けのスピーカーで聴いた時よりもダイナミクスの振れ幅が大きくなり、今回、小さな音はさらに小さく聴こえた。

松籟5-7 (07)Tsuki no Wa『真昼顔』tr.2[6min]
広大な空間ヴォリュームを活かしたアメフォンの録音と庄司広光のサウンドモジュレーションがやはり心霊現象的な音響を産み出す。やはり打合せ時よりも音の揺らぎがくっきりと聴こえ、中空できらめいていた。






3 振動/マテリアルな現象
○空間に放たれた音を、発音体を指し示す記号としてではなく、メッセージや情念の運び手でもなく、マテリアルな現象としてきっぱりと凝視する。
松籟5-8 (08)Jim O'Rourke & Mats Gustafsson『Xylophonen Virtuosen』 tr.1[0:00-1:40FO]
叩かれ擦られた金属弦の甘皮を剥いだ鮮烈な響き。フリー・インプロヴィゼーションのクリシェに従って、サックス本来の音から遠ざかり、サウンドの破片をまき散らしながら迂回を続けるグスタフソンに対し、オルークはギターが「すっぴん」のままギターとして鳴り響いてしまうことを恐れることなく、いきなり中心に躍り込む。インプロヴィゼーションの文脈に収まりきれない未抽象化の「裸形」のギター。

松籟5-9 (09)Jim O'Rourke『Toru Takemitsu:Corona』 tr.1[0:00-4:00FO]tr.2[0:00-2:00FO]
武満徹「コロナ」は4枚の透明な円盤を回転させながら重ね合わせる図形楽譜による作品。プリペアド・ピアノの打鍵とハモンド・オルガンの持続の対比。張り詰めた振動のピースがかたちづくる音のパズル。



松籟5-11 (10)さや、植野隆司、梅田哲也、高橋幾郎『モエレ』tr.1[3min]
札幌モエレ沼公園にあるガラス張りのピラミッド内部という、極端に残響の長い特異な音響条件の下でのセッション。空間/距離を感じさせる張り詰めた音響が空間にたなびく様は(05)(06)の線とつながる。




松籟5-4 (11)V.A.『銀界』tr.30(角田俊也)[3min]
 床に置かれた鉄板の振動をピエゾ・マイクで拾った作品。地下鉄と思しき響きがふと通り過ぎる。角田らしい距離を置いて冷ややかに見詰める視線が、手法やプロセスは全く異なるにもかかわらず、結果として(05(06)(09)に連なる中空にたゆたう響きをもたらす。



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撮影:原田正夫


4 インターミッション
松籟5-12 (12)Rafael Toral『Sound Mind Sound Body』
エレクトリック・ギターのふうわりとした響きが無重力状態でアンビエントに浮遊する。こうした傾向を確立した決定的作品。ポルトガルのマイナー・レーベルからリリースされた第一作をオルークが自身のレーベルMoikai(「もう一回」の意)から再発し、世界に知られるようになった。ミクロな音への集中で疲れた耳を遊ばせ、凝りをほぐすために。



5 溶解/変容/襞/気象/分泌/派生
○音や響きを発音体に合わせて、それらしく聴こえるように加工するのではなく、空間/距離を渡ることによる浸食、テープの転写(ゴースト)による変容等の不可避的かつ不可逆的な変化に注目すること。かつ消えかつ結びつ、様々な形象を束の間浮かび上がらせながら、「ソラリスの海」のように絶え間なく変容を繰り返すプロセス。

松籟5-13 (13)Gastr del Sol『Upgrade & Afterlife』 tr.1[0:00-8:24]
 プラズマ閃くドローン流がマカロニ・ウェスタン風に変貌。だが、ここでのドローンはただただ定常的に鳴り響くのではなく、時間軸を圧縮したように絶え間なく自らを組み替え変容を進めている。最後の部分はリチャード・マシスン「縮みゆく人間」が原作のB級SF映画『The Incredible Shrinking Man』のサウンドトラックからのサンプリング。


松籟5-7 (14) Tsuki no Wa『真昼顔』tr.3[6min]
 ハルモニウムによるドローンは一見前曲と同様の手触りながら、こちらははるかに柔構造でヴォーカルや演奏と同一の空間で共存する。前曲の多重録音による絶え間なく変化を続けるドローンがいかに隙なく構築されたものであるかがわかる。実験的なマイキングと一発録音が捉えた空間そのものの質感。


松籟5-14 (15)Tony Conrad『Early Minimalism』 tr.1[0:00-4:00FO]
 オルークがミニマリスト10選にも挙げている「Four Violins」。特殊調弦や重音奏法によりうなりを生じる弦の多重録音。宮澤賢治「セロ弾きのゴーシュ」の子ネズミ同様、ゴーシュの弾くチェロの内部に突き落とされたよう。せめぎあう響きの溶鉱炉。移り変わるのではなく、ただただ生成を続ける持続の強度。


松籟5-15 (16)AMM『AMMMusic』tr.2[0:00-3:00FO]
デヴィッド・トゥープに衝撃を与えた英国の即興演奏集団AMMを、少年時代のオルークは愛聴していた。これはキース・ロウも亡きコーネリアス・カーデューもいた60年代の演奏。折り重ねられ、圧縮され、互いに軋轢を引き起こす水平な持続の層。



松籟5-16 (17)John Fahey『Womblife』 tr.3[3:00-6:12]tr.4[0:00-0:30FO]
 『Upgrade & Afterlife』でフェイヒーの曲を採りあげるなど、ラヴ・コールを送り続けたオルークとの共同作業により誕生した作品。砂粒が飛び散るようなざらざらと荒れ果てた空間にギターの鳴り響く傍らを、あり得ないかたちが亡霊の如くふと通り過ぎる。トラックが切り替わってもギターの音は変わらず継続し、背後の空間だけが差し替えられる編集は、いかにもオルーク的。

松籟5-4 (18)V.A.『銀界』tr.29(角田俊也)[3min]
箱や管に取り付けられたマイクロフォンによる限られた視界。箱や管の共鳴が前  曲とよく似たゴーッという鳴りを産み出し、耳の視界を限定する。角田が最初に設定するだけであとは手を触れずに見詰め続けるのに対し、オルークは絶え間なく操作を続ける。




6 「無声映画」的推移/モンタージュ
 ○無意識の連関を繫辞としながら、意識の流れをゆるゆるとたどるように、突然の
  変化/飛躍をはらみながらも、切れ目なく滑らかに移り変わっていく聴覚的映像
  の運動。覚醒する意識と緩慢になっていく時間の流れ。

松籟5-17 (19)Jim O'Rourke『Rules of Reduction』 tr.1[0:00-4:30]
虹釜太郎は先のインタヴューで、周囲の音をノスタルジックに内面化/心象風景化してしまう「セピア化」を批判し、オルークは本作で当初からそれを乗り越えていたと評価している。冒頭のカオス的に交錯する音響の提示に続き、音はゆるやかに移り変わりながらも、極端に音が小さくまばらなセクションを差し挟むことにより、聴き手をエキゾティックで心地よい持続からもぎ放す。ジョン・ゾーン的な切断の生み出すリズムとも異なる。「気狂いピエロ」でトランプの絵柄や名画の映像を挿入したゴダール的な切断/衝突。

松籟5-18 (20)Amephone『Retrospective』tr.1 [6:50min]
 (07)(14)の録音を担当したアメフォンのソロ作品。何気ないフランス語の会話が突如鳴り出したタブラの伴奏により、ふとクローズアップされる。次々に場面が移り変わりながら、異なる場所で別々にフィールドレコーディングされた音が結びつき、フレーム外で付けられていると思われた音楽が、いつの間にかフレーム内に引き込まれている幻惑的ミックス。マルチトラック録音のできるカセットテープレコーダーによる偏執的編集作品。

松籟5-19 (21)Jim O'Rourke『Terminal Pharmacy』 tr.1[15:00〜25:00FO]
オルークのひとつの到達点。前景化した音ではなく、背景音、すなわちその場に  たちこめるざわめきが移り変わり、場面が切り替わる。時に音はほとんど聴こえないほどか細く小さくなるが、それでもピンと張り詰め、聴き手の耳をとらえて離すことなく、先へ先へとたゆまず牽引し続ける。「高校の頃、電車通学をしていて、遠ざかる電車の粗大に小さくなっていく音を耳で追いかけると、どんどん遠くの音が聴こえてくる気がした」というスキヴィアス服部の話をふと思い出した。曲題の「cede」(譲る)とはこの推移を指すと同時に、フィールドレコーディングを素材としたかつてのコンポジション「Scend」(波等によって持ち上げられる、縦揺れする意)や初期の生成ドローン大作『Disengaging』のキーワードdrowning(溺れる)との関係性を示唆しているのではないか。

松籟5-20 (22)John Fahey『Requia』 tr.4[0:00-3:00FO]
空襲警報のサイレンにも似た耳に痛い響きが急降下してオーケストラのトゥッティに姿を変える。プリミティヴなテープ/ディスク操作による(無)意識の流れ的な展開。これで1967年の作品。こうした移り変わり、いつの間にか別のものになっている音の眺めの感覚は、オルークが掲げた「アメリカーナ」、すなわちチャールズ・アイヴズやヴァン・ダイク・パークスにも共通するものだ。逆にこの(無)意識の流れ的な展開を「アメリカーナ」と結びつけたことで、かえって見えなくなってしまったものがあるのではないか。

松籟5-21 (23)Faust『Rien』 tr.1〜tr.3[10min]
 再結成ファウストの第一作。ライヴ・テープを素材に、オルークが長い時間をかけて神経衰弱になりながら成し遂げた細密ミックス。ファウスト自身、コラージュを得意としたグループだが、彼らのそれは演奏同様粗削りで、ガラスの破片のようにギザギザとしているが、本作は幾重にも襞が織り成され、空間が折り畳まれた繊細な仕上がり。



7 まとめ
○オルークにあっては、インプロヴィゼーションも、物音によるコンクレートも、電子音による構築/ドローンも、フィールドレコーディングも、同じひとつの眼差しの下にある。それらを区別しない横断的聴取のあり方。インプロヴィゼーションをフィールドレコーディングのように、あるいは反対にフィールドレコーディングをインプロヴィゼーションの如く聴くこと。演奏者・作曲者・制作者の意図を目的=消失点とせず、そこに耳を係留しない不定形の聴取を目指すこと。「即興・環境・音響」の三者が交わる領域=音世界の綴じ目=潜在性の広がりを聴くことを志向したのは(あるいは可能にしたのは)、私にとってオルークとの出会いだった。

松籟5-22 (24)Gilles Aubry & Stephane Montavon『Les Ecoutis Le Caire』 tr.1[0:00-7:00FO]
 カイロの街のざわめきのフィールドレコーディングによる作品。厚い壁の向こうに浮かぶようなぼんやりとした蜃気楼めいた広がりが、次第に沸き上がり、濃密化し、輪郭をすら明らかにして、街の雑踏へと姿を変える幻惑的プロセス。フィールドレコーディングをただ一枚の音風景として聴くのではなく、グループ・インプロヴィゼーションを聴くように複数の音の生成の交錯として、つまりはアンサンブルとして聴きとる耳の視点が、ジル・オーブリーによるこの記念碑的傑作との出会いを準備した。


8 ジム・オルークの耳を返す
○オルークの耳を借りて世界を眺めるうちに、私たちの耳はずぶずぶと響きの深淵にのめり込み、深みへと沈み込んでしまっています。ここから現世へと浮上し、皆さんを無事に家路へと送り届けなければいけません。津田さんのワークショップ「みみをすます」でも、最後に開ききった耳を閉じていくプロセスが用意されています。

松籟5-23 (25)Judee Sill『Heart Food』 tr.2
 響きの深淵からのサルヴェージとして、オルークの熱愛する女性SSWジュディ・シルの第二作から「The Kiss」を最後に。





松籟夜話第五夜ちらし縮小

松籟夜話5-0縮小
撮影:益子博之


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ライヴ/イヴェント・レヴュー | 13:36:44 | トラックバック(0) | コメント(0)
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