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福島恵一

Author:福島恵一
プログレを振り出しにフリー・ミュージック、現代音楽、トラッド、古楽、民族音楽など辺境を探求。「アヴァン・ミュージック・ガイド」、「プログレのパースペクティヴ」、「200CDプログレッシヴ・ロック」、「捧げる-灰野敬二の世界」等に執筆。2010年3~6月に音盤レクチャー「耳の枠はずし」(5回)を開催。2014年11月から津田貴司、歸山幸輔とリスニング・イヴェント『松籟夜話』を開催中。

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イエス - 爆裂するノンセンス、引き裂かれた牧歌  YES - Exploding Nonsense, Torn Pastoral
 2月25日に発売された文藝別冊「イエス プログレッシヴ・ロックの奇跡」(河出書房新社)に執筆した。文藝別冊は最近プログレづいていて、昨年1月のピンク・フロイド(増補版)、同7月のキング・クリムゾンに続く特集企画となっている。
 文藝別冊に初めて原稿を書いたのが、2013年6月発行のデヴィッド・ボウイ特集の号(現在「品切れ中」というのが惜しまれるが)で、その時は、今はなき野心的音楽雑誌『ユリシーズ』のチームが編集に当たったため、ヒストリーとディスコグラフィに沿った作品紹介を軸にしながら、かなりトリヴィアルなところまで突っ込んだ(あるいは関係を捏造した)関連作品レヴュー等、錯綜したマンダラ状の構成がなされていた。こうした編集姿勢は、文藝別冊のものというよりは、やはり『ユリシーズ』のものだったようで、そうした構えは同じ河出書房新社から単行本として刊行された『謎解き レッド・ツェッペリン』には脈々と引き継がれたものの、文藝別冊本体が次に特集したドアーズ(2014年12月発行)では、書き手がそれぞれ自由に書くようになっていた。

 実はこのドアーズ特集にも、私は「ドアーズ - アメリカン・ゴシックの血脈」なる一文を執筆している。いきなり1987年のYBO²のライヴで女装した北村昌士がドアーズ「ジ・エンド」を歌う場面で幕を開けるという、ある種ギミックな構成だが、それも概念としての「ゴシック」に捧げたが故の所業。かなり水増しして語られるジャズとの関係、決してジム・モリソンのワンマン・バンドではない彼らのアンサンブルのあり方、単に時代背景として済まされがちなヴェトナム戦争や『地獄の黙示録』との関係、あるいはあえて言及されないポール・ロスチャイルドによるプロデュース・ワークの位置づけ等、結構突っ込んで論じていると、少なくとも自分では思う、と言うのも、例によって私はドアーズの熱烈なファンではなく、だからこそ核心を貫く批評によってしか、対象に報いることができないからだ。
 このドアーズ特集は、それを待ち焦がれていた熱烈なドアーズ・ファン(特にジム・モリソン信者)にはどうも不評だったようで、それもそのはず、「いまドアーズってことないよね」的な論稿が過半を占めているのだ。別に熱く想いを語れ!とは言わないけれども(それは自分自身ができないからでもある)、だったら、せめて批評的高みを目指すなり、史実を細かく掘り下げるなり、あるいは徹底的に罵倒するなり、オマージュの捧げ方はあるものだろう。全体として、執筆者たちがとまどいながらお茶を濁しているのが「ミエミエ」なのが悲しい。それは時代の空気とやらを敏感に察して、恥じらっているのだろうか。ドアーズに関する著書もあり、いわばこの号の守護天使として召喚されたはずの野澤収ですら、妙に衒いを含んで歯切れが悪い。

 なので、正直、イエスも斜に構えた「いまなぜイエス?」論ばかりになるのではないかと心配したのだが、それは杞憂に終わったようだ。ほとんど思い出話の焼き直しで終わってしまう論稿こそあるものの(それはまあオヤジ向けだからしょうがないのだろう。むしろそうした飲み屋で語るような論の方が望まれているのかもしれない。私には書けないし、書く気もさらさらないのだが)、概ねイエスの評価すべき特質をストレートに、衒いなく取り扱っている。特筆すべきは、やはり椹木野衣「クリスチャン・フィッシュとしての『イエス』」だろうか。2014年の来日公演の危うさから語り起こすというゆるい導入部から、スティーヴ・ハウのよれよれぶりを枕に振って、クリス・スクワイアに話が及ぶと、一気に彼のベース演奏の核心に入り込む筆致は流石と言えよう。彼は前述のドアーズ特集でも、彼らのベースレス編成がもたらす必然性を軸に、優れた論考をものしていた。
 
 今回、対象を正面切って取り扱った論稿が並んだことで、グループにおける役割分担、特にジョン・アンダーソンとクリス・スクワイアの関係性(特に前者の壮大過ぎるヴィジョン)、また、椹木野衣も採りあげていたアンサンブルの核となるスクワイアのベースの特質、あるいは彼らの曲をサウンドトラックに用いた映画『バッファロー '66』(ヴィセント・ギャロ監督作品)への言及等々、論点が重なりあっているのが興味深い。実はこれらはすべて私の執筆した論稿「イエス - 爆裂するノンセンス、引き裂かれた牧歌」でも採りあげている論点なのだ。

 今回の執筆依頼を受けた時にまず思ったのは、イエスの音楽を正面から扱って、なおかつ新たな切り口を示すことは、いま果たして可能だろうか‥‥ということだった。私自身以前に『200CD プログレッシヴ・ロック』(立風書房)で『危機』のレヴューを書いた際に、基本的な論点は提出してしまっている。それを更新することは可能なのかと。
 しばらく猶予をいただいてリサーチした結果、私は可能と判断した。その結果が、今回の論稿である。先に挙げた複数の論点のうちひとつを、あるいはニ、三を採りあげるのではなく、それらを緊密に連関させるところから、イエスの音楽をドライヴしている力の流れを描き出せるのではないか‥‥というのが、その目論見だった。
 冒頭は『バッファロー '66』のストリップ・クラブのシーンから始まる。そこで流れる「燃える朝焼け」が映像とどう拮抗しているのか、ストリップ・ミュージックとして用いられることが、イエスの音楽の特質をどう照射しているのか‥‥から論は書き進められる。
 そこで照らし出されたイエス・ミュージックの特質は、次章で「非シンフォニック性」として別の角度から照明を当てられる。これは先の『200CD プログレッシヴ・ロック』で触れていた論点だが、ここではスクワイアのベース演奏の核心に触れながら、またルネサンス音楽を引き合いに出しながら深められる。
 ロジャー・ディーンによるヴィジュアルが、イエスの何を映し出していたのかに関する考察をブリッジとして、いよいよ論はジョン・アンダーソンのヴィジョンへと及ぶ。通例トリヴィアとして紹介されるだけの、『危機』とヘルマン・ヘッセ『シッダールタ』の関係を具体的に検証し、エリザベス・シューウェルが解剖した「ノンセンス」と同じくウィリアム・エンプソンが腑分けした「牧歌」の両概念によって、入り組んだ絡み合いを解きほぐせば、スクワイアをはじめとする優れた音楽家たちに、溢れ出す豊かなヴィジョンを次から次に難題として押し付ける「非・音楽家」アンダーソンという対比が見えてくる。これこそがイエスの駆動原理なのだ。
 ちなみにこの論稿で私は事実上『危機』全曲のほかは、『イエス・ソングス』、『リレイヤー』、そして『こわれもの』から1曲ずつにしか言及していない。彼らの達成した音楽の高みは、特集の表題通り、短く燃え尽きた「奇跡」にほかならないとみなすからである。

文藝別冊イエス

文藝別冊ドアーズ 文藝別冊ボウイ 文藝別冊クリムゾン 文藝別冊フロイド
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執筆活動 | 22:33:29 | トラックバック(0) | コメント(0)
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