光に盲いて サイ・トゥオンブリーの写真 − 変奏のリリシズム − Eyeless in the Overflowing Lights Review for the Exhibition "Cy Twombly Photographs Lyrical Variations"
2016-05-08 Sun
尖塔状のエントランス・ロビーから、展示室に入り、外の見えるガラス張りの渡り廊下から新緑の沸き立つ中庭越しに、そのサイロみたいな外観を見返す。ホワイト・キューブの延長として設えられた瀟洒な階段室にも、展示空間と照応したオブジェがさりげなく掛けられている。そうした贅沢な空間を味わいながら、多くの質の高い常設展示作品(その中には専用の「ロスコ・ルーム」にインスタレートされた7点の絵画で構成されるマーク・ロスコ「シーグラム壁画」も含まれている)を見た後に、企画展である「サイ・トゥオンブリーの写真 − 変奏のリリシズム − 」の展示スペースにたどり着く。スペースに足を踏み入れると、左手の壁に沿って奥までパネルが並び、それがさらに正面の壁面へと続いているのが見える。歩みを進め、最初の作品の前に立った瞬間、静かに打ちのめされ、動けなくなった。これは一体何だろう。私はいま何を見ている/見ようとしているのだろう。
一瞬、視線が定まらず、それでもホワイト・アウトの中から浮かび上がるかたちを何とかつかまえることができたものの、今度はそれが何であるか、どのような状態が写されているのか、言葉がすっと浮かばず、束の間、急に海が深くなって足が着かなくなったような不安に襲われる。
脆い光に満たされた空間に、壜やコップの壊れやすい輪郭が浮かんでいる。高い露出で画面が飛んでいるせいもあって、写っている物体の姿は妙に平面的だ。影絵、いやエックス線写真みたいだな‥‥と思う。空港の手荷物検査でモニターの中を通り過ぎて行く不確かなかたち。特定の対象に向けて焦点を絞り込むことなく、素通しの「光」がたまたま浮かび上がらせた何物かの影。キャメラのこちら側にいてシャッターを切ったはずのトゥオンブリーは、その時にレンズを通して何を見ていた/見ようとしていたのだろう。「壜やコップを写真にとらえようとした」ようには見えない。対象へと向けられた強い眼差しが感じられないのだ。だから、とらえどころのない薄明るさの中に頼りなく浮かんだ「廃墟」という印象が浮かぶ。打ち捨てられ、人がいないこと。「空虚」や「寂寥」を空間ごととらえたものなのだろうか。だが、この「とらえどころのない薄明るさ」に「廃墟」というレッテルを貼っても、すぐに力なく剥がれ落ちてしまうだろう。そのような撮影者の意図を伝えるメッセージ性、何かの意味合いを効率よく伝える表象性というか、プレゼンテーションの力が、ここからは陰影と共に揮発してしまっている。
よく似た写真がさらに2点並べられている。同時期に撮られたものか、あるいは連作か。そう言えばこれまでの常設展では必ず添えられていた、作品名や制作年次を記したプレートが、ここには貼られていないことに気づく。写っている個数は異なるが、おそらくは同じ壜やコップがジョルジョ・モランディの絵画よろしく、被写体として使い回されているのだろう。だが、モランディの場合と異なり、そうした配置のコンポジション感覚が表立つことはない。撮影者の「意図」を求めて伸ばされた手は、虚しく空を掴むことになる。対象/被写体を見詰めようとする視線が空振りし、手応えなく画面を通り過ぎてしまうように。
ピントが合っているのかズレているのか、よくわからない布の皺が、海底の砂地の褶曲のように浮かび上がり、あるいは遺跡の柱の列が、全体を想定させない一部分として切り取られている‥‥。そうした「把握」が一瞬の「失語症」の後、どこからともなく浮かんでくる。空白を埋め合わせるように。だが、一瞬ぽかんと空いた隙間感は残っていく。次々に作品を見ていくと、同様の手触りというか、手応えのなさを感じずにはいられない。
この「失語症」感を撮影者のねらいととらえられるだろうか。見慣れたものを、一瞬だけ何だか見定められない形象としてとらえる‥‥というように。確かに不安定で不均衡に切り取られたフレーミングや、対象の分布のバランスを取りながら眼差しを多視点に分散させ視線をさまよわせるオールオーヴァーへの傾きがないわけではない。だがそこに対象の輪郭を幾何学的な文様へと解体してしまうような、強い抽象化への志向は見られない。つまり、ここで視覚は抽象世界へと飛躍することにより、「見たままとは別の安定した構図/構造」へとたどり着くことができない。支えてくれるもののないまま、見ることの不安定さに揺られ、震えるばかりだ。
それと気づかぬうちに写真がカラーになっている。眼を射る鮮やかさはない。「水死体のような」とでも言うべきか、ふやけて褪色した色合い。水槽に漂うクラゲみたいに、内側からぼんやり発光しているようにも感じられる。モノクロとカラーの間の断層は感じられない。
半開きのドアの向こうに広がる部屋、引かれたカーテンの隙間から覗くベッドの暗がり。そうした奥行きを提示しながら、キャメラの眼差しは「向こう側」へと踏み込んでいかない。関心なく通り過ぎ、生気なく映し出すばかり。
そうした中に、手前の、おそらくは鉢植えか花瓶に活けられた花の向こうに、横向きの男の頭部が浮かんでいる写真があった。全体がぼんやりと淡く、こちらに訴えてくるものがなく、視線を惹き付けることもない。珍しく生きた人間が写っているにもかかわらず。ふと「念写」で撮影した写真みたいだなと思う。レンズが見定めるべき対象を持たない、思念により直接感光されたフィルム上の痕跡。あるいは死体の脳に電極を突き刺して、生前の記憶をサルヴェージし、「救出」した断片的イメージをモニターに映し出したら、こんな風に見えるかもしれないと。当の本人にも、もういつ、どこでのことか思い出せなかっただろう色褪せ擦り切れた記憶。「エピソード記憶」となることなく、文脈からこぼれ落ちたまま、海馬の片隅にただただ堆積/沈殿し、溶解するに任されていたばらばらの記憶のかけら。割れたガラスの破片のような視覚の断片。
後半になって、テーブルに置かれた野菜に続き、飾られた花や墓前に供えられた花の写真が多くなる。いっしょに見ていた妻が「これはお仕事をしている花ね」とつぶやく。こちらを向いて美しさを送り届けてくれるのではなく、周囲に満遍なく魅力を振り撒くでもなく、こちらとは違う方を向いて、そちらにだけ事務的に愛嬌を送り届ける、こちらは放ったらかしの愛想のなさを言っているらしい。なるほどと思う。
それに比べると併せて展示されていた、キノコの写真を貼り込み、さらにドローイングを施したコンポジションは、いかにも「こちら向け」でプレゼンテーション的な押し付けがましさを感じずにはいられなかった。



「当惑」というか、「宙吊り」の快感をこれほど感じた展示もなかった。珍しく図録を買って帰った。写真は各ページに1点ずつ収められ、やはり作品名も制作年次も記載されていない。その代わり、後の方のページに縮小版が掲載され、そこに作品名や制作年次が併記されたリストが付いている。実は会場での展示に関しても、番号付きの配置図があり、その番号で引ける作品目録が用意されていた。しかし、トゥオンブリーの写真を見るには、つまりは「失語症」の瞬間を味わうには、確かにこうしたキャプションはない方がよかった。また、これは川村美術館ではいつものことなのかもしれないが、常設展を見て回り、通常の作品(という括りはあまりに乱暴だが)を体験した後に、トゥオンブリーの写真を見るという順序も正しかった。企画者の確かな見識を感じる。
もともと私がこの展示に興味を持ったのは、部屋を暗くし、視覚を封じた上で、筆触(触覚)だけを頼りにドローイングする「触覚=非視覚の画家」トゥオンブリーが、視覚そのものであり、本来触覚とは無縁の写真を撮っていたという矛盾というか、謎に惹かれてのことだった。
トゥオンブリーとの出会いは、おそらく80年代後半ではなかったろうか。池袋西武にあったアール・ヴィヴァンで、洋書の画集をあれこれ立ち見していた中で見つけたのだと思う(だから90年代になって初めて明らかにされる写真作品は、そこに入り込む余地がなかった)。当時は「触覚=非視覚の画家」などという理解はなく、アブストラクトで鋭敏な軽やかさとリリカルでファンタジックなところに魅惑されていた。だから、私の頭の中でトゥオンブリーは、ジョセフ・コーネルの「箱」やコラージュ、マックス・エルンストのコラージュ、ヴォルスの銅版画(写真や油彩ではなく)の傍らに位置していた。
その後、しばらく忘れていたトゥオンブリーの名前に出会ったのは、最近惜しまれつつ閉店した吉祥寺dzumiで音盤レクチャー『耳の枠はずし』を行った際に、5回目として企画した「複数の言葉 ECM Cafe」の打合せで、月光茶房店主にしてECMレーベルのコンプリート・コレクターの原田正夫と話していた時だった。ECMのジャケットの書き文字がトゥオンブリーのドローイングの影響を受けているのではないかと指摘されて、「ああ、確かに」と思った。しまい込まれていたはずの記憶がするっと出て来たことに自分でも驚き、どこでトゥオンブリーを知ったのだっけ‥‥とその時も訝ったのを覚えている。このことをきっかけに彼について少し調べ、ロラン・バルトが彼について書いていることも知った。聴覚と触覚の関係と言うか、「聴くこと」に否応なく入り込んでくる「触れること」について考え込んでいた時期だったために、「触覚=非視覚の画家」トゥオンブリーは、私の中でいささか特権的な位置を占めることになった。滑らかに流れていく機械的な反復のようでいて、実は様々な紙質/表面状態の紙との接点における諸力のせめぎ合いに突き動かされ、筆触をその都度その都度のミクロな繋留点としながら、流され推移していく線の軌跡。それはたとえばエヴァン・パーカーがノンブレス・マルチフォニックスでつくりだす複層的な音流と、あるいはミッシェル・ドネダが息の流れを編み、束の間つくりあげる息の柱と、とても近しいように思われた。
だから、白く細い線がスキーのシュプールのように流れ、彫り刻まれたグレイ・ペインティングの1点を除き、ほとんどそうした筆触や流れの感覚の感じ取れなかった原美術館における展示(2015年)には正直がっかりした。その失望が今回の発見の驚き/喜びを倍加させているのかもしれない。


だがそれにしても、「触覚=非視覚の画家」トゥオンブリーによる、これらの写真をどのようにとらえ、位置づけたらよいのだろう。
展示の図録に付された前田稀世子による解説では、彼の写真がポラロイド・写真を複写機で約2,5倍に拡大し、色の浸潤の実験を行いながらプリントしていることを説明した後、トゥオンブリーのドローイングと絵画における「盲目性」は写真制作においても呼応するところがある‥と指摘する。だが、その「盲目性」の内実として示されるのは「写真は出来上がる像が意識されながらも、実際には出来上がる瞬間まで結果がわからない」ことであるに過ぎない。これではすべての写真作品が「盲目性」を含む‥というだけのことになってしまう。これに対し前田は次の2点を指摘することにより、トゥオンブリーの特権化を図る。すなわち、かつて実践していた描画の「盲目性」と写真の制作方法の「盲目性」の類似に、彼は気づいていたに違いないこと。そして、彼の写真の多くが対象のクローズアップであり、作家と対象の距離が非常に近く、これは鉛筆で手元だけを見て描くことと同様、画面全体に対して仮の盲目性を引き受けることになること。さらに次のことを付け加える。撮影したポラロイド写真をそのまま作品化するのではなく、複写機で拡大することにより、人の手を直接介在させないプロセスを挿入し、眼からの専制を逃れていると。「眩しい光によってもののディテールと色が消し去られ、世界の手触りだけが残されている」という指摘にはその通りだと思うが、それ以前の理屈立ての方は、あらかじめドローイングや絵画で知られているトゥオンブリー作品の特質=「盲目性」を採りあげ、それと呼応する部分を彼の写真作品から無理矢理つつき出した気がして、どうも納得が行かない。
やはりずっと気にかけている画家ジョルジョ・モランディに関する評文が掲載されていると聞いて、堀江敏幸『仰向けの言葉』(平凡社)を図書館から借り出したところ、そこに何とサイ・トゥオンブリーの写真に関する一文が記されていた。
「深海魚の瞳 − サイ・トゥオンブリー」と題された評文は「自分以外のだれかに世界を示すための光がかえってものを見えなくさせる光になり、見えなくさせる障害がむしろ見えるということの真の意味を教える」という一節で始まる。「盲目性」の暗示。しかし、彼は「トゥオンブリーの写真を前にすると、ついそんなことを考えたくなる」と書き付けながら、観念を抽象的に深める代わりに、描写へと筆を転じる。「ほぐれて散らばった光の束がいつのまにか膜と化し、どこまでも直進するのを止めて、微かな震えを抱えた靄となる」と。視覚像に手を伸ばし、指先でかき分けながら触れていくような的確な描写。この『仰向けの言葉』に収められた彼の美術批評は、どれもこうした五感へと広がる繊細で的確な描写が素晴らしい効果を上げている。そして彼はそうした描写の力を借りながら、トゥオンブリーの写真を次のように名指していく。
「(前略)被写体が何であるかをすでに言葉を通して知っているにも関わらず、現物と一対一で結びつける機会をついに得られなかった、特殊な人間の器官を連想させる点だ。トゥオンブリーの写真は、物理的には像が見えているのに、それがいったい何であるかを理解できない欠落を抱えた目に写る光景である。世界を発見する喜びや昂奮とも、親しい世界を確認して得られる安堵ともちがうとまどいがそこには焼き付けられている」
私の感じた失語症的瞬間、あるいは死体からサルヴェージされた文脈を欠いた記憶、その時に何を見ていた/見ようとしていたのかわからない視覚の断片として描き出した欠落が、ここではまた別の視点からとらえられている。これに続くチューリップや花々を被写体とした連作等に関する「とまどい」を鍵とした記述がまた素晴らしい。
「ハレーションとブレに包まれた光の膜から。偶然のたまものとしてしかあらわれて来ない画。表面の肌理に感応しつつ、その向こうにある厚みと奥行きをぼやけた光で照らし出す一連の写真では、しばしばとまどいに喜びがまさる。1990年に撮影された『彫刻の細部』の、幾層かの薄い黄色の光も同様だ。なにが写っているのか不明のままであったとしても、色彩と光が輪郭をぼかし、色のグラデーションが世界の皮膚となって、世の中のすべては真実の擬態にすぎないことをそれらは明確に示してくれる」
これらの深い感取に支えられた見事な描写にもかかわらず、堀江は「抽象の厳しさとやさしさを突きつめたと考えられていた画家が、そのかたわら、事件性の希薄な日常の事物や風景に、『見えているけれど見えていない』眼を向けていた真の理由は何なのか。明確な答えはないだろうし、当人にもわからないだろう」と、その「謎」を宙吊りのままにする。それは美術批評として正しい姿勢と言えるだろう。
だが私はトゥオンブリーの写真から受けた、これまでにない魅惑的な「とまどい」の深さ故に、このあえかな光の靄に包まれた世界に闇雲に踏み込み、根拠を欠いた妄想を吐露したいという気持ちを抑えられない。すなわち、「抽象の厳しさとやさしさを突きつめたと考えられていた画家」、「触覚=非視覚の画家」がこのような写真を撮影したのではなく、実はその真逆で、このような写真を撮影する写真家、いやこのような眼差しで世界を見ていた男が、やがて「触覚=非視覚の画家」として「抽象の厳しさとやさしさを突きつめた」のではないか‥‥と。
もちろんこれは単なる思いつきに過ぎない。しかし、ブラック・マウンテン・カレッジ在籍時の1951年に行ったピンホールカメラの実験から、その後1993年になって初めて開催した写真展にポラロイド写真を拡大してプリントした作品まで、断続的に撮影された写真には同様の手触りがあり、強い連続性・一貫性が感じられるのは確かだ。そこには彼特有の生理的・生得的な何かが前提条件として横たわっているように感じられる。つまりあからさまに言えば、トゥオンブリーはあのような撮影を手法として選択し行ったのではなく、そもそも彼にはあのように世界が見えていたのだと(仮にいつもではないにしても)。図録の年譜を見ると、暗闇の中で視覚を封じたドローイングを始めるのは1953年からとなっている。これは後発的に手法として開発したものととらえることができよう。
だが、それにしても、なぜ視覚を封じて筆触に頼ることをしたのだろう。新たな手法開発のための実験としてだろうか。私にはそれも「彼にはあのように世界が見えていた」ことに理由があるように思えてならない。不確かな視覚の中で、世界は光の靄に満たされ、「真実の擬態」が遍く浮遊する。これは実は視覚=光の不足ではなく過剰によってもたらされる状態だ。彼は「光に盲いていた」のではないか。とすれば、むしろ求められるのは視覚=光を厳しく制限することにより、手で触れることのできる物質の世界、堅固で確実で平らな基底平面に着地することだ。彼はそれを曲がった棒を反対側に曲げるような、いささか極端な方法で実施した。すなわち視覚=光をシャットアウトし、直接事物に触れることのできる確実な触覚のみに頼って描くことで。それは紙と筆記具の接触点で生じる「筆触」を繋留点とした「自動筆記」的な性格を持つ一方で、光の靄の中に失われてしまう現物=視覚像と「それが何であるか」という言葉・了解の結びつきを、ドローイングの運動と軌跡として彫り刻まれる線を通じて取り返そうとする営為ではなかったか。
そのように考えると、今回展示されていたキノコの写真を貼り込みドローイングを施したコンポジションが、まるでキノコ図鑑のページのように、図像とそれが何であるかの説明、絵解きを、くどいようにプレゼンテーションしていた理由もわかるような気がする。名前を書いてみたり、数字を書き込んでみたり、そうした図像と「それが何であるのか」のくど過ぎる確認作業は、原美術館に展示されていた作品群に共通に見られ、私はその飽きることなく繰り返される鬱陶しさに、いささかげんなりしたのだった。
サイ・トゥオンブリーに対するイメージが大きく変わっただけでなく、視覚と触覚に関する思考を深めるまたとない機会ともなった。希有な展示だった。

撮影:原田正夫
サイ・トゥオンブリーの写真 − 変奏のリリシズム −
DIC川村記念美術館
2016年4月23日〜8月28日
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